平成
テンプレート:参照方法 テンプレート:日本の歴史 平成(へいせい)は、日本の元号の一つである。昭和の後、1989年(平成元年)1月8日から現在に至る。2001年(平成13年)の始まりには西暦における20世紀から21世紀への世紀の転換もあった。
西暦2024年(本年)は平成36年に当たる。
目次
改元
1989年(昭和64年)1月7日に昭和天皇が崩御して、今上天皇が即位した。これを受け、元号法に基づき1989年(平成元年)1月8日に改元がなされた。元号法によって改元された最初の元号である。
「平成」は、改元時の内閣総理大臣・竹下登ら政府首脳も決定前から執心していたという(渡部恒三)[1]。また、閣僚などを通じ、「平成」や「修文」などの候補が外部に漏れ、幾ばくかの国民の間では予想する事も可能であった。しかし、佐野眞一は『文藝春秋』に載せた記事の中で、的場順三内閣内政審議室長(当時)が「元号は縁起物であり改元前に物故した者の提案は直ちに廃案になる」[注 1]と発言したとしている。また佐野は、宇野精一、目加田誠、山本達郎に新元号提案の委嘱があったといわれ、目加田が「修文」を宇野が「正化」を提案したことを認めているが、山本だけが「ノーコメント」を貫いたため山本が「平成」の提案者ではないかと「断定してよさそうである」と書いている[1]。 一方非公式ながら、1990年(平成2年)1月、竹下登が講演の際、「平成」は陽明学者・安岡正篤の案であったと述べている。[2]但し安岡正篤も昭和天皇崩御前に物故している為、彼の発案という事は有り得ない、という意見も有る[3] [注 2]。
政府は昭和天皇崩御を受け、その当日(1989年(昭和64年)1月7日)の午後、「元号に関する懇談会」(8人の有識者で構成)と衆参両院正副議長に「平成」「修文」「正化」3つの候補を示し、意見を求めた。その際、委員の間から「修文(しゅうぶん)」「正化(せいか)」の2候補はローマ字表記の頭文字が「昭和」と同じ「S」になるので不都合ではないかという意見が出て全員一致で「平成」に決まったと伝えられる。
同日14時10分から開かれた臨時閣議に於いて新元号を正式に決定。14時36分、内閣官房長官・小渕恵三が記者会見で発表。
と言いながら新元号「平成」を墨書した台紙を示す姿は、新時代の象徴とされた(#元号発表も参照)。
同日、「元号を改める政令」(昭和64年政令第1号)は新天皇の允裁(いんさい)を受けた後、官報号外によって公布され、翌1月8日から施行された。また、「元号の読み方に関する件」(昭和64年内閣告示第6号)が告示され、新元号の読み方が「へいせい」であることが明示された。
大正と昭和の際と異なり、平成改元の際に翌日から施行された背景として、当時は文書事務の煩雑化・ワードプロセッサをはじめとするOAに伴うプログラム等の変更を行うためと報道された。
「平成」の出典
新元号の発表時に小渕恵三が述べた[4]「平成」の名前の由来は、『史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」、『書経』大禹謨の「地平天成(地平かに天成る)」からで「内外、天地とも平和が達成される」という意味。日本において元号に「成」が付くのはこれが初めてであるが、「大成」(北周)や「成化」(明)など、外国の年号や13代成務天皇の諡号にも使用されており、「平成」は慣例に即した古典的な元号と言える。
江戸時代最末期、「慶応」と改元された際の別案に「平成」が有り、出典も同じ『史記』と『書経』からとされている。
ただし典拠・故実に由来する反対意見に以下のようなものがあるテンプレート:誰2。
- 典拠として『史記』を『書経』よりも重視するのはおかしい。書経のみを以て典拠とするべきである。
- 書経の当該部分は、清代中国における研究によって偽書(偽古文尚書)である事が確定したものであり、典拠として書経を挙げるべきではない。
- 平治以来「平」で始まる元号がないのは、平治が戦役によって混乱した時代であったためであり、「平」で始まる元号はこれを避けるのが故実である。また、「平」「成」の文字の中に「干(=楯)」「戈(=鉾)」があり「干戈(戦争を意味する)」に通じる。
- 追号しても、薬子の変を起こし、敗れた平城天皇(変発生当時は退位していて上皇であった)と一文字違いである点も懸念された。
なお最終案である「平成」「修文」「正化」の他に「文思」「天章」「光昭」などの案も存在したと言われる。
時代の流れ
時代概説
バブル崩壊期〜アメリカ同時多発テロ発生(世紀末の時期)
1989年(平成元年)1月8日から2001年(平成13年)9月10日まで。 テンプレート:See also
日本国内では、不動産や証券への投機熱でバブル景気が起こった。昭和から平成に年号が改元された1989年(平成元年)にはベルリンの壁が崩壊した。東ヨーロッパでは次々と革命が起こって共産党政権が倒された。マルタ会談で米ソ首脳が冷戦終結を宣言して、第二次世界大戦後に44年間も続いた冷戦は終結した。1990年(平成2年)には湾岸戦争が勃発した。翌年の1991年(平成3年)には冷戦の盟主国の一角であったソ連が崩壊して、日本ではバブル経済が崩壊した。湾岸戦争の勃発・ソ連崩壊・バブル崩壊によりアメリカナイゼーションとグローバル資本主義が世界を席巻した。アメリカ一極体制の時代が到来した。日本の社会は失われた10年と呼ばれた不況の時代が続き、団塊ジュニア世代の学生は就職氷河期に見舞われた。政界では55年体制が崩壊して、政界再編による新党の結成が活発化した。1995年(平成7年)は戦後50周年の節目として村山談話があり、1月17日には阪神・淡路大震災が発生、3月20日にはオウム真理教の地下鉄サリン事件が発生して、戦後体制の崩壊が叫ばれた。世紀末の不安が叫ばれるようになり、日本政府と企業の護送船団方式が崩壊して、内需縮小とデフレが始まる。
アメリカ同時多発発生〜世界金融危機(新世紀の時期)
2001年(平成13年)9月11日から2007年(平成19年)9月28日まで。
新世紀となった2001年(平成13年)にイスラム過激派がアメリカ同時多発テロ事件を起こして、自爆テロと対テロ戦争が吹き荒れた時代となった。アメリカ一極体制の下に悪の枢軸(イラク・イラン・北朝鮮)を名指してイラク戦争やアフガニスタン紛争など対テロ戦争を主導したアメリカは泥沼化でしだいに苦境に追い込まれていく。資源価格の高騰により、アラブ首長国連邦などの資源国やブラジル(Brazil)・ロシア(Russia)・インド(India)・中国(China)・南アフリカ共和国(South Africa)のBRICs諸国が台頭した。日本では小泉内閣が聖域なき構造改革と称して政治改革や経済構造のアメリカナイゼーションを一層強めた。輸出産業の好転によって一時的に経済状況が好転したが、富裕層や外需関連業種を除いて景気回復の実感はなく、格差社会の到来が叫ばれた。一方、中国の経済発展により、日本の最大貿易相手国がアメリカ合衆国から中華人民共和国に変わった。
平成期に入り進行していた事象だが、インターネットが急速に普及した。それに加えてコンピュータ2000年問題以降、産経新聞・NHKを除く多くのマスコミは元号よりも西暦を主に使用することが多くなり、民間では元号を使う習慣が衰退した。
世界金融危機〜東日本大震災後の復興期(平成20年代)
アメリカ合衆国のサブプライムローンを引き金に世界同時不況が勃発した。世界では、リーマンショック・ドバイショック・GM破綻などが起きた。世界中で急激な信用収縮が発生して、日本では平成20年代から人口減少社会に入り、就職氷河期が再来して、派遣切りなど非正規雇用者の解雇が相次ぎ、ゆとり世代の新卒者の就職率も低下した。格差社会が問題となり、小泉内閣の聖域なき構造改革などの新自由主義政策が批判されるようになった。政界では、2008年(平成20年)ごろから、日本の民社国連立政権を始めとする世界各国で政権交代が相次いだ。2011年(平成23年)初頭にはアラブ諸国ではアラブの春による反政府デモが起こり、チュニジアやエジプトで長期政権が崩壊した。同年3月には、日本で東北地方太平洋沖地震が発生。この地震に起因する東日本大震災及び福島第一原子力発電所事故が発生し、太平洋沿岸自治体で津波による居住地や職場の喪失、放射能汚染により福島県の広範囲が居住不能となり、被災地域の多くの人が移住を余儀なくされて、戦後最大の国難と称された。また、地震と原発事故に伴い全国各地の原子力発電所が停止して、電力不足が懸念され、東日本大震災による電力危機から節電が余儀なくされた。PIGSと呼ばれた4カ国のポルトガル(Portugal)・イタリア(Italy)・ギリシャ(Greece)・スペイン(Spain)の財政赤字が深刻化した。ユーロ圏で使用されるユーロの通貨危機が起きた。尖閣諸島問題や竹島問題などの領土問題や反日運動が激化した。2012年(平成24年)に再び自公連立政権が誕生して、第2次安倍内閣時代に2014年クリミア危機や北方領土問題や北朝鮮による拉致問題など日露関係・日朝関係が変化した。アベノミクス政策で原子力発電所の再稼働や公共事業費の増額、法人税の20%台までの引き下げを目安とする法人税減税、女性の雇用促進、外国人労働者の受け入れ拡大などの政策へと方針転換された。
政治史
内閣総理大臣
テンプレート:See 平成期に在任していた内閣総理大臣は、竹下登・宇野宗佑・海部俊樹・宮澤喜一・細川護熙・羽田孜・村山富市・橋本龍太郎・小渕恵三・森喜朗・小泉純一郎・安倍晋三・福田康夫・麻生太郎・鳩山由紀夫・菅直人・野田佳彦の17人である。
代 | 氏名 | 在職日数 | 就任年齢 | 誕生年 | 出生地 | 学歴 | 世襲 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
74 | 竹下登 | 576日 | 63歳 | 1924年 (大正13年) |
島根県 | 早稲田大学商学部卒業 | 父:竹下勇造元島根県議会議員 |
75 | 宇野宗佑 | 69日 | 66歳 | 1922年 (大正11年) |
滋賀県 | 神戸商業大学(神戸大学)中退 | |
76-77 | 海部俊樹 | 818日 | 58歳 | 1931年 (昭和6年) |
愛知県 | 中央大学専門部法科卒業 早稲田大学第二法学部卒業 早稲田大学大学院法学研究科修士課程中途退学 |
|
78 | 宮澤喜一 | 644日 | 72歳 | 1919年 (大正8年) |
東京府 (選挙区は広島県) |
東京帝国大学法学部政治学科卒業 | 父:宮澤裕元衆議院議員 |
79 | 細川護熙 | 263日 | 55歳 | 1938年 (昭和13年) |
東京府 (選挙区は熊本県) |
上智大学法学部卒業 | 祖父:近衛文麿元首相 高祖父:近衛篤麿元貴族院議長 |
80 | 羽田孜 | 64日 | 58歳 | 1935年 (昭和10年) |
東京府 (選挙区は長野県) |
成城大学経済学部経営学科卒業 | 父:羽田武嗣郎元衆議院議員 |
81 | 村山富市 | 561日 | 70歳 | 1924年 (大正13年) |
大分県 | 明治大学専門部政治経済科(明治大学政治経済学部)卒業 | |
82-83 | 橋本龍太郎 | 932日 | 58歳 | 1937年 (昭和12年) |
東京府 (選挙区は岡山県) |
慶應義塾大学法学部政治学科卒業 | 父:橋本龍伍元衆議院議員 |
84 | 小渕恵三 | 616日 | 61歳 | 1937年 (昭和12年) |
群馬県 | 早稲田大学第一文学部英文科卒業 早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了 |
父:小渕光平元衆議院議員 |
85-86 | 森喜朗 | 387日 | 62歳 | 1937年 (昭和12年) |
石川県 | 早稲田大学第二商学部卒業 | 父:森茂喜根上町長 祖父:森喜平根上村長 |
87-89 | 小泉純一郎 | 1980日 | 59歳 | 1942年 (昭和17年) |
神奈川県 | 慶應義塾大学経済学部卒業 | 父:小泉純也元衆議院議員 祖父:小泉又次郎元衆議院議員 |
90 | 安倍晋三 | 366日 | 52歳 | 1954年 (昭和29年) |
東京都 (選挙区は山口県) |
成蹊大学法学部政治学科卒業 | 父:安倍晋太郎元外相 祖父:岸信介元首相 大叔父:佐藤栄作元首相 祖父: 安倍寛元衆議院議員 |
91 | 福田康夫 | 365日 | 71歳 | 1936年 (昭和11年) |
東京府 (選挙区は群馬県) |
早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業 | 父:福田赳夫元首相 |
92 | 麻生太郎 | 358日 | 68歳 | 1940年 (昭和15年) |
福岡県 | 学習院大学政治経済学部政治学科卒業 | 父:麻生太賀吉元衆議院議員 義父:鈴木善幸元首相 祖父:吉田茂元首相 曾祖父:牧野伸顕(大臣、知事など) 高祖父:大久保利通(内務卿、大蔵卿) |
93 | 鳩山由紀夫 | 266日 | 62歳 | 1947年 (昭和22年) |
東京都 (選挙区は北海道) |
東京大学工学部計数工学科卒業 スタンフォード大学大学院博士課程修了 |
父:鳩山威一郎元外相 祖父:鳩山一郎元首相 曾祖父:鳩山和夫元衆議院議員 |
94 | 菅直人 | 449日 |
63歳 | 1946年 (昭和21年) |
山口県 (選挙区は東京都) |
東京工業大学理学部応用物理学科卒業 | |
95 | 野田佳彦 | 481日 |
54歳 | 1957年 (昭和32年) |
千葉県 | 早稲田大学政治経済学部政治学科卒業 | |
96 | 安倍晋三(第2次安倍内閣) | テンプレート:Age in days日 |
58歳 | 1954年 (昭和29年) |
東京都 (選挙区は山口県) |
成蹊大学法学部政治学科卒業 | 父:安倍晋太郎元外相 祖父:岸信介元首相 大叔父:佐藤栄作元首相 祖父: 安倍寛元衆議院議員 |
- 在任期間
1982年(昭和57年) - 1987年(昭和62年)の中曽根康弘内閣を最後に、平成に改元された当時の竹下登内閣以降、平均の在任期間が1年強という短命な内閣が続き、2011年(平成23年)までの24年間に18代(17人)の日本国総理大臣が就任した。平成での一番の長期政権は、小泉純一郎内閣で、戦後3位の1980日である。一番の短命政権は、羽田孜内閣で、64日である。一度総辞職した元総理大臣が再任した例は安倍晋三のみである。
- 年代
大正生まれ(大正世代)の内閣総理大臣が宇野宗佑・宮澤喜一・村山富市である。戦後生まれの総理大臣が安倍晋三・鳩山由紀夫・菅直人・野田佳彦である。最も若くして就任したのは、安倍晋三(52歳)であり、最高齢で就任したのは、宮澤喜一(72歳)である。
- 出生地
東京都(東京府)生まれが一番多く、宮澤喜一、細川護熙、羽田孜、橋本龍太郎、安倍晋三、福田康夫、鳩山由紀夫の7人である。
- 学歴
早稲田大学出身者は、竹下登、海部俊樹、小渕恵三、森喜朗、福田康夫、野田佳彦の6人である。東京大学出身者は、宮澤喜一、鳩山由紀夫の2人である。慶應義塾大学出身者は、橋本龍太郎、小泉純一郎の2人である。
国立大学出身者は宇野宗佑(神戸商業大学)、宮澤喜一(東京帝国大学)、鳩山由紀夫(東京大学)、菅直人(東京工業大学)の4人であり、ほとんどが私立大学出身者である。理系学部出身は鳩山由紀夫(工学部卒業)・菅直人(応用物理学科卒業)の2人であり、大部分が文系学部出身である。大学院修了者は、小渕恵三(早稲田大学院修士)、鳩山由紀夫(スタンフォード大学院博士)の2人がいる。
海外留学経験があるのは、小泉純一郎(ロンドン大学)・安倍晋三(南カリフォルニア大学)・麻生太郎(スタンフォード大学など)・鳩山由紀夫(スタンフォード大学院)の4人である。
- 世襲
11人が親族(父・祖父・おじ・兄弟)が総理大臣経験者など国会議員であった世襲政治家であり、宇野宗佑(実家が造り酒屋)、海部俊樹(実家が写真屋)、村山富市(父が漁師)、森喜朗(父が根上町長)、菅直人(父がサラリーマン)、野田佳彦(父が自衛官)の6人は世襲議員ではない。
- 派閥
2012年(平成24年)現在、17人の首相のうち、派閥領袖として首相に就任した人物は竹下登・宮沢喜一・小渕恵三・森喜朗・麻生太郎の5人のみである。
- その他
自民党でなかったのは、細川護熙(日本新党)・羽田孜(新生党)・村山富市(日本社会党)・鳩山由紀夫(民主党)・菅直人(民主党)・野田佳彦(民主党)の6人である。在職期間1年未満だったのは、宇野宗佑・細川護熙・羽田孜・福田康夫・麻生太郎・鳩山由紀夫の6人である。平成期に国会議員に初当選した総理大臣は安倍晋三・福田康夫・野田佳彦の3人である。平成期に死去した総理大臣は、宇野宗佑・小渕恵三・竹下登・橋本龍太郎・宮澤喜一の5人である。現在国会議員から引退している総理大臣は海部俊樹・細川護煕・羽田孜・村山富市・森喜朗・小泉純一郎・福田康夫・鳩山由紀夫の8人である。
- 皇室との姻戚関係がある総理大臣
旧華族(清和源氏で旧熊本藩主家)の家柄の細川家や、旧華族の系統(明治維新の功労者の大久保利通の子孫)の麻生家は華族や明治維新の功労者の血筋を引く歴史上の人物(華族)の親戚など上流階級の系統であり細川護煕と麻生太郎は学習院初等科の出身者である。細川護煕の実弟が細川家から近衛家に養子に行った近衛忠輝であり細川首相は三笠宮家の甯子内親王の義兄にあたり、麻生太郎の妹が寛仁親王妃信子であり麻生首相は三笠宮家の寬仁親王の義兄にあたるなど皇室と親戚関係がある内閣総理大臣が2人いる。
政党
- 55年体制末期(平成元年から~平成5年まで)の時期に結成された新党は以下である。スポーツ平和党・真理党・参議院の院内会派の連合の会(民主改革連合と改称した)・平成維新の会・日本新党・新党さきがけ・新生党が結成された。
- 55年体制が崩壊した後の1990年代の中盤から1990年代の後期(平成6年から〜平成11年まで)の時期に結成された新党は以下である。新党みらい・高志会・新党護憲リベラル・護憲新党あかつき・公明新党・公明・自由連合・グループ青雲・民主の風・民主新党クラブ・市民リーグ・改革の会・柿沢自由党・自由改革連合・新進党・新社会党・社会民主党・旧民主党・太陽党・フロムファイブ・国民の声・新党友愛・新党平和・民政党・黎明クラブ・民主友愛太陽国民連合・民主党・自由党・みどりの会議・無所属の会・政党・尊命が結成された。
- 2000年代(平成12年から~平成21年まで)の時期に結成された新党は以下である。保守党・保守新党・新党・自由と希望・国民新党・新党日本・新党大地(初代新党大地)・共生新党・改革クラブ・幸福実現党・国民運動体 日本の夜明け・みんなの党が結成された。
- 2010年代(平成22年)以降の時期に結成された新党は以下である。たちあがれ日本・新党改革・減税日本・大地・真民主党・新党大地・真民主・新党きづな・国民の生活が第一・みどりの風・改革無所属の会・日本維新の会・太陽の党・反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党・減税日本・反TPP・脱原発を実現する党・日本未来の党・新党大地(2代目新党大地)・生活の党・結いの党・次世代の党が結成された。
- 55年体制下で既成政党であった日本社会党・民社党・社会民主連合が解党する一方で、新党結成(新進党や民主党などの二大政党の1つから、一時的に結成されたミニ政党まで)や新しい地域政党や宗教政党や院内会派の結成があった。また昭和時代から存在する政党は自由民主党・公明党・日本共産党のみで、新しい政党も短命になった例が多くて、政党間の合併や政党の分裂が相次いだ。
55年体制期
自由民主党の敗北と日本社会党の躍進
- 1989年(平成元年)に、7月の第15回参議院議員通常選挙で自民党は過半数割れの大敗をした。社会党が一人勝ちをして参議院は与野党が逆転した。以下の点が自民党の敗因として挙げられる。
- 竹下内閣による消費税法成立による消費税導入で消費税廃止法案を公約に掲げる日本社会党が消費税の是非を争点とした事。
- リクルート事件による自民党金権汚職事件に対して国民世論が反発した事。
- アメリカ合衆国からの圧力で牛肉やオレンジの農産物の輸入自由化がされた事によって、農民層が自民党を離れをした農民の反乱現象があった事。
- 宇野宗佑首相の女性スキャンダルによって女性有権者の反発があった事。
- 土井たか子委員長の女性政策によってマドンナ旋風がおき女性議員が倍増した。以後平成期は国会でも地方議会でも女性議員が増加している。社会党は1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙でも勝利したが、自民党も安定多数で勝利した事で政権獲得に失敗する。
小沢一郎と政治改革
小沢一郎幹事長のもと自民党政権が(竹下登と金丸信を中心とする竹下派)の経世会支配で政界が安定する。自民党の最大派閥であった竹下派は、1992年(平成4年)に経世会の会長の金丸信が東京佐川急便事件で逮捕された事をきっかけに小渕派と小沢一郎を中心とする羽田派に分裂した。
小沢一郎は衆議院議員選挙制度の小選挙区への変更をする利点として以下の点を、自身の著書で政治改革論議として強調をした。
- 自由民主党候補の同士討ちやサービス合戦廃止をする事で派閥を解消する。
- 二大政党制による政権交代可能な選挙制度にする。
- 金がかからない選挙にする。
- 利益誘導型選挙から政策重視の選挙に変更する。
- 人物重視の候補者本位から政党本位にして政権選択選挙を目指す事と、党首の人気が重視される事と、政党のマニフェストが重視される選挙制度を提起する。
- 本気で政権を獲得する気がない万年野党であった日本社会党が小選挙区で勝利しにくくなる事で左翼勢力を壊滅させて、政党間の離合集散による合併を推進して、新たに政権を獲得する強い力がある野党を結成する。
新党ブーム
宮澤喜一首相が出演した番組の「総理が語る」の発言がきっかけとなった内閣不信任決議に賛成して嘘つき解散に追い込んだ小沢一郎は自民党を離党して新生党を旗揚げした。また別の政治改革グループの「ユートピア政治研究会」が新党さきがけを旗揚げした。1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙で日本新党・新生党・新党さきがけが躍進して新党ブームがおきた。
連立政権の時代
1993年(平成5年)に(日本新党・新党さきがけ・新生党・公明党・民社党・日本社会党・社会民主連合・民主改革連合)の7党1会派が連立した細川内閣が成立した。非自民連立政権の成立により、自民党は一時野党に転落して55年体制は崩壊するも、1994年(平成6年)には自民党は社会党との村山連立政権で早くも政権に復帰して、その後は公明党との連立で政権を維持した。
政権与党
- 政権与党は以下の変遷である
- →自由民主党による単独政権
- →非自民・非共産連立政権 (日本新党・新党さきがけ・新生党・公明党・民社党・日本社会党・社会民主連合・民主改革連合)
- →自由民主党・日本社会党・新党さきがけによる自社さ連立政権
- →
- →自由民主党単独政権
- →自由民主党・自由党による自自連立政権
- →自由民主党・自由党・公明党による自自公連立政権
- →自由民主党・公明党・保守党による自公保連立政権
- →自由民主党・公明党・保守新党による自公保連立政権
- →自由民主党・公明党による自公連立政権
- →民主党・社会民主党・国民新党による民社国連立政権
- →民主党・国民新党による民国連立政権
- →自由民主党・公明党による自公連立政権と移り変わり、自民党の単独政権から連立政権の時代となった。
政治体制
- →1989年(平成元年)から1993年(平成5年)の政治体制は、〔1955年(昭和30年)から続く自民党対日本社会党の保守思想勢力と革新思想勢力による2大政党制から新党結成によって多党制に移行する55年体制の時代〕。
- →1993年(平成5年) - 1994年(平成6年)の政治体制は〔多党制による非自民・非共産連立政権 対(野党)の自由民主党対(野党)日本共産党の体制〕。
- →1994年(平成6年) - 1997年(平成9年)の政治体制は〔日本社会党が自民党と新党さきがけとの連立で村山富市内閣と橋本龍太郎内閣を組閣した自社さ連立政権対(野党)の新進党対(野党)日本共産党の体制〕。日本社会党が自衛隊合憲や日米安全保障条約の堅持をするなど基本政策を転換して、左翼支持層を失い、代わりに日本共産党が左翼票を吸収するようになり一時勢力を伸ばした。社会民主党とさきがけが結集した鳩山由紀夫と管直人による(ゆ党)民主党の結成と新進党の解体の時期である。
新進党と民主党の結成
新進党結党で、55年体制時代に野党第1党で、これまで第2党であった日本社会党は第3党となった。日本社会党時代で最後の国政選挙になる第17回参議院議員通常選挙(1995年〔平成7年〕)で敗北した。その後、山花貞夫前委員長や政策集団「デモクラッツ」の赤松広隆など社会党右派によって第3極を目指す日本社会党・新党さきがけ連合の新党結成の動きがあり、社会党左派執行部は新党結成とイメージチェンジのために社会民主党に党名変更した。しかし、自社さ連立政権・新進党勢力に属しない第三の道を目指す市民リーグが結成されて、さらに発展した新党として友愛を理念とする鳩山由紀夫・菅直人によって旧民主党が結党された。日本社会党は民主党入党組と社会民主党残留組に分裂した。その後の第41回衆議院議員総選挙(1996年〔平成8年〕)で敗北した事で、旧社会党の議席数が衰退した。
1994年(平成6年)6月に、自由民主党・日本社会党・新党さきがけによる村山富市内閣が発足した事で下野した非自民・非共産勢力が、1人しか候補者が樹立できない小選挙区制度となった第41回衆議院議員総選挙で勝利するために新・新党を結成する事となり新生党・公明党の一部(公明党が解散して地方組織の公明と公明新党に分党して国会議員による公明新党のみが新進党に合流)・民社党・日本新党・自由改革連合(高志会・改革の会・新党みらい・柿沢自由党が合併した政党)が合併して、巨大新党で日本社会党に代わる第2政党である野党の新進党が結成されて、自由民主党対新進党の二大政党制が成立した。日本社会党とさきがけ勢力が結集した第三極(ゆ党)と呼ばれた民主党成立後に新進党が小沢自由党・新党友愛・新党平和・ 国民の声・黎明クラブ・改革クラブに分割されて解体する。1998年(平成10年)からは自民党vs民主党の二大政党制が成立した。
自由民主党と民主党による2大政党制の時代
2005年(平成17年)自由民主党は小泉内閣の郵政解散による選挙で大勝して絶対多数の議席を獲得したが、後継の安倍内閣は2007年(平成19年)の第21回参議院議員通常選挙で民主党に大敗して、参議院は与野党逆転をしてねじれ国会の構図が生じていた。2009年(平成21年)には、第45回衆議院議員総選挙で民主党が大勝して自由民主党が野党に転落して、民社国連立政権の鳩山由紀夫内閣が誕生して政権交代がおきた。2010年(平成22年)5月28日から、社民党が連立離脱し、民国連立政権が誕生した。
2012年(平成24年)1月、野田内閣が推進する消費税増税・TPP参加・八ッ場ダム建設再開・原発容認などの政策に対し、民主党が主張したマニフェスト(政権公約)に違反するものとして反発した議員が民主党を離党して、新党大地・真民主と新党きづなを結成した。3月には亀井静香国民新党代表が民国連立政権からの離脱を主張して、政権残留派と無所属となった離脱派に国民新党が分裂した。7月には、民主党の小沢一郎を中心とする小沢グループの議員の中から、消費税増税法案の衆議院での採決において反対投票を行った衆議院議員の一部と同調した参議院議員が離党を表明。衆議院と参議院に新会派「国民の生活が第一・無所属の歩」(後の「国民の生活が第一」)と新党の国民の生活が第一をそれぞれ結成した。第180回国会で消費税増税法案(消費税関連法案)が3党合意(民主党・自由民主党・公明党)与野党の多数で可決された。第1極の与党(民主党・国民新党)と第2極の野党(自由民主党・公明党・社会民主党・日本共産党)以外の第3極によるオリーブの木構想が浮上した。国民新党を離党した亀井亜紀子参議院議員と民主党から3人の女性参議院議員が離党して新会派の「みどりの風」を結成した事で、民主党・新緑風会は自由民主党・たちあがれ日本・無所属の会と並ぶ参議院の第2会派に近い少数会派となった。平成24年度の時点で日本の政党は二大政党と中政党とミニ政党が複数あり、与党が民主党と国民新党であり、野党 が自由民主党(自民党)・国民の生活が第一・公明党・日本共産党(共産党)・みんなの党・社会民主党(社民党)・日本維新の会・新党大地・真民主・太陽の党・減税日本・みどりの風・新党改革[注 3]・新党日本であり、2012年(平成24年)の第46回衆議院議員総選挙の解散時点で史上最多の15個の政党が乱立していた。第46回衆議院議員総選挙で野党の自由民主党・公明党が勝利して政権を奪還した。与党勢力(自民党)が強く、複数の野党勢力が弱い一強多弱状態の政界構図が誕生して、[5]2013年(平成25年)の第23回参議院議員通常選挙からネット選挙が解禁された。
政治思想・法制度改革
- 平成期は様々な政治改革や法制度改革が行われた。
- 選挙制度改革として以下の改革がされた。
- 小選挙区比例代表並立制の導入
- 参議院の比例代表制度が改定されて非拘束名簿式の導入
- 政治改革として以下の改革がされた。
- 政治資金規正法の改正
- 政党助成金制度の創設
- 国会議員政策担当秘書の制定と導入
- 地方自治制度改革として以下の改革がされた。
- 大都市地域特別区設置法案の制定
- 行政改革として以下の改革が実施された。
- 司法制度改革として以下の改革がされた。
- 組織犯罪対策として地方自治体による暴力団排除条例の制定や、1992年(平成4年)施行の暴力団対策法の制定と1999年(平成11年)施行の通信傍受法が制定された。交通安全として携帯電話を使用しながらの運転やシートベルトの着用義務の強化やチャイルドシートの着用の義務が強化された。高齢ドライバーの急増で事故防止とために、もみじマーク・シルバーマーク・高齢者マーク・枯れ葉マークのニックネームで呼ばれていた高齢運転者標識の創設や居眠り運転や飲酒運転の取り締まり強化を目的とする「危険運転致死傷罪」の制定が行われた。国民総背番号制など国家の情報管理が行われて、正反対の考え方としてプライバシー権から「個人情報保護法」の制定がされて、情報公開の思想から「情報公開法」が制定された。18歳以上の投票権を認めた日本国憲法の改正を是非を問う国民投票法が制定された事から、公職選挙法(選挙権年齢)と民法(成年年齢)と少年法(成人年齢)を「20歳以上」から「18歳以上」に引き下げる事が検討された。
- 日本国内や中華人民共和国を中心とする日本国外での商標問題やサイバー犯罪や第三国からの日本国内の企業や行政機関に対するサイバーテロ攻撃が問題となった。著作権が重視されて著作権法に違反する著作権侵害が問題となった。
- 2000年(平成12年)に犯罪被害者保護法が成立して、2004年(平成16年)に犯罪被害者等基本法が成立して、2008年(平成20年)から刑事裁判における被害者参加制度が導入された。冤罪及び冤罪事件及び冤罪と疑われている主な事件が存在する事。近代的な人権思想から欧州諸国で死刑が廃止されている現状から、法務大臣で死刑執行の署名をしない政治家がいるなど死刑存廃問題が凶悪犯罪への厳罰化との議論で注目された。日本の警察の警察官や検察官による捜査(取り調べの可視化)や基本的人権の保護や差別を訴える民主党による人権擁護法案が構想された。外国人参政権を巡って外国人地方参政権裁判が行われて、民主党などが日本における外国人参政権を推進している。
- 1997年(平成9年)に、北海道旧土人保護法が廃止されて、アイヌ文化振興法(アイヌ新法)が成立する。2008年(平成20年)6月6日にアイヌ人を先住民族と認可する国会決議が衆参両院で全会一致で可決される。
- 企業改革として1997年(平成9年)に独占禁止法が改正されて持株会社が解禁された。2005年(平成17年)に 新会社法が成立した。2007年(平成19年)に 新会社法の一部として三角合併制度が施行された。公社の民営化を推進して2003年(平成15年)に郵政事業庁が廃止されて日本郵政公社が成立した。2005年(平成17年)に日本道路公団が解散して分割民営化がされた。建物の構造を変える都市改革として1998年(平成10年)に建築基準法が改正された。雇用改革として1999年(平成11年)に労働者派遣法が改正されて、人材派遣が自由化された。2004年(平成16年)に労働者派遣法が改正された(製造業への派遣を解禁する)。
- 祝日法の大幅改正がされて、1996年(平成8年)に7月20日が海の日となり、2007年(平成19年)に4月29日のみどりの日が昭和の日となる。2016年(平成28年)から8月11日が山の日として祝日になる法律が施行される。土曜日・日曜日・月曜日を合わせた3連休にして、国民に余暇を過ごしてもらう目的で成人の日・海の日・敬老の日・体育の日を月曜日に移動して祝日とするハッピーマンデー制度が導入された。2010年(平成22年)に民社国連立政権によって日本各地を分割して地域毎に休日を分散する祝日法改正案が検討された。
- 平成期になり禁煙ブームで若い男性の喫煙率が低下傾向であり、東京都千代田区などの路上喫煙禁止条例や神奈川県公共的施設における受動喫煙防止条例が執行された。平成20年代になって、自転車による交通事故の急増から、警察本部が道路交通法の観点から自転車のマナー違反の検挙をするなどの自転車運転の取り締まりを強化する。
- 戦後の平和主義の左翼勢力を否定して、戦前の復活を唱える保守勢力(安倍晋三など)によって以下の右傾化政策を推進する改革が断行された。
- 積極的平和主義の推進
- 有事法制の整備
- PKO協力法の成立
- 集団的自衛権行使の容認
- 1992年(平成4年)のカンボジアを最初とする国際連合平和維持活動
- 小泉内閣時代に成立したテロ対策特別措置法による自衛隊の海外派遣
- 国旗国歌法の法制化
- 教育基本法の改正
- 日本国憲法第9条を中心とする日本国憲法を改正する改憲
- 武器輸出三原則の平和利用目的を条件とする緩和
- 原子力基本法の改正で安全保障目的の活用を許可する項目の追加
- 特定秘密保護法案の制定
- 国家安全保障会議(日本版NSC)の創設
- 第二次大戦前への「逆コース」の傾向が強い政策への抵抗感が弱まり、日本社会党など革新勢力は弱まった。日本共産党は共産主義政党としては例外的にソ連崩壊後も勢力を維持し、1990年代には日本社会党が与党として基本政策を転換した事を批判する左翼支持層からの革新票を吸収して躍進した。しかし、2000年(平成12年)以降は野党票が民主党に流れるようになり、小選挙区制度が機能して自由民主党VS民主党の2大政党化が進行した。日本共産党は比例区を中心に得票を減らして長期低落傾向に陥っている。
- 2001年(平成13年)以降の小泉内閣及び民主党政権では、特殊法人の廃止と民営化の議論が開始された。相次ぐ、選挙結果を無視する国会議員独自の政界再編と政治家のスキャンダルもあり国民の政治不信を呼んだ。そのため、特定の支持政党を持たない無党派層が既存政党への支持者を大きく上回っている。2003年(平成15年)12月1日から法改正されて期日前投票が開始されて、2003年(平成15年)の第43回衆議院議員総選挙から公職選挙法が改正されて、民主党が先駆けてマニフェスト選挙を行った。2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙では自民党に対する逆風から民主党へ無党派の浮動票が流れて、民主党は安定過半数の300議席を持つ第1党となった。自由民主党は110議席代となり初めて衆議院の第1党から転落した。創価学会からの組織票がある公明党を除く中小政党は後退傾向となり、2大政党化が進行した。特定の支持政党を持たない無党派層が政権を左右する風潮が2000年代以降顕著になり、政治家や政党のポピュリズム(大衆主義)やマスコミによる世論調査が盛んになり、与野党攻防の劇場化現象や政治家の発言のワンフレーズ化と言われる風潮が生まれた。
- 2009年(平成21年)に誕生した民主党政権は、日米同盟を主軸とした外交政策は維持するものの、「対等な日米関係」を重視する外交への転換を標榜したが、普天間基地移設問題をめぐる鳩山由紀夫首相の見解が一貫せず、新しい外交政策の軸足が定まらず混乱、菅内閣では従前の外交路線に回帰した。また新自由主義政策からの転換も図られ、脱官僚や政治主導が再び叫ばれたが、民主党政権は鳩山由紀夫内閣や菅内閣では閣内の見解の不一致をたびたび露呈し、鳩山由紀夫首相や菅直人首相の発言も二転三転する有り様で、官僚に対し改革の主導権を握ることができなかった。民主党は政権公約のマニフェストで農業者戸別所得補償制度や高速道路無料化を掲げ、鳩山内閣や菅内閣で実施する事を試みたが失敗して、2011年(平成23年)に野田内閣が発足するまでにマニフェストからの政策転換を余儀なくされた。
- 2010年(平成22年)ごろから、地方から政治を変えていこうとする流れが起きており、大阪維新の会や減税日本などの地方政党が徐々に勢力を強めている。首相公選制や参議院を廃止して一院制を導入する議論が提案された。2012年(平成24年)頃には、第46回衆議院議員総選挙の候補者育成のための政治スクールとして、大阪維新の会が開設した維新政治塾。大村秀章愛知県知事が開設した東海大志塾。減税日本の河村たかし名古屋市長個人の河村たかし政治塾が開設された。
税制改革
政治家
国会議員
橋本内閣の総理府に行政改革会議が設置されて、中央省庁等改革基本法が成立した。2000年(平成12年)の中央省庁再編により、官邸主導が強まった。2001年(平成13年)から2006年(平成18年)にかけての小泉政権下では社会保険庁の年金問題が表面化して、官僚による無駄使いや天下り批判がされ脱官僚の声が強まり、政権主導の改革を推進した。しかし、安倍内閣・福田康夫内閣・麻生内閣と後継政権の迷走が続き、小泉政権の時のような官邸のリーダーシップが発揮できなくなっている。
2000年(平成12年)の第42回衆議院議員総選挙で最後の明治生まれの桜内義雄と原健三郎が議員引退して明治生まれが全て引退して、2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙で、中山太郎が落選して大正生まれ(大正世代)の議員がいなくなり全議員が昭和生まれとなった。1990年代は竹下派七奉行や清和会四天王と呼ばれた政治家が活躍した。20世紀の間は大正生まれから、昭和一桁生まれ・昭和10年代生まれの政治家に世代交代をする移行期であり、大正生まれ(中曽根康弘・竹下登・宇野宗佑・宮澤喜一・村山富市・梶山静六など)から昭和一桁生まれ(土井たか子・海部俊樹・武村正義など)・昭和10年代生まれ(小沢一郎・羽田孜・細川護煕・橋本龍太郎・小渕恵三など)までの政治家が1990年代の政界を主導したが、<竹下派七奉行>や<安倍派四天王>を中心に2000年代に入るとこれらの政治家の多くが死去したり引退した。自由民主党では自由民主党総裁選挙での自由民主党の派閥争いが弱体化したが総理大臣の座を巡って、ネオ・ニューリーダーと呼ばれた政治家が活躍して、金竹小・安竹宮・YKK(山崎拓・加藤紘一・小泉純一郎)・麻垣康三・NAISの会(根本匠・安倍晋三・石原伸晃・塩崎恭久)などと呼ばれた政治家が注目された。2000年代になると、昭和10年代生まれ(森喜朗・小泉純一郎・亀井静香・小沢一郎・福田康夫・麻生太郎など)・昭和20年代生まれ(鳩山由紀夫・菅直人・岡田克也・安倍晋三など)が主導権握り、2010年代になると、昭和30年代生まれ(前原誠司・野田佳彦など)の政治家が主導権を握り始めた。与野党で戦後生まれの党首が誕生して、国会議員は大日本帝国期の1945年(昭和20年)以前に誕生した戦前生まれ・戦中生まれの政治家より、団塊の世代など第二次世界大戦の後に誕生した戦後生まれの政治家の方が多数となった。新党ブームがあった1990年代には、昭和30年代生まれ・昭和40年代生まれ(新人類・バブル世代)が、小泉チルドレン・小沢ガールズなどが注目されるようになった2000年代には、昭和40年代生まれ・昭和50年代生まれ(氷河期世代・団塊ジュニア)が国会議員となった。2010年代には昭和60年代生まれが国会議員となった。
20世紀までは、高学歴・実業家・世襲議員などのエリート階層や労組出身の国会議員が一般的であったが、21世紀に入って、就職氷河期を経験した氷河期世代(昭和40年代後半生まれ・昭和50年代生まれ)が政治家となり、杉村太蔵・太田和美などフリーター(元非正規労働者)だった経歴の一般的な若者の経歴と共通する政治家も登場した。
昭和時代の末期まで長らく衆議院では女性議員の比率が約1%の少数であり、1986年(昭和61年)の衆参同日選挙の結果では、衆議院の女性議員の人数が7人で割合が1.4%で、参議院の女性議員の数が22人で割合が8.7%であった。平成初の国政選挙となった1989年(平成元年)の第15回参議院議員通常選挙でマドンナ旋風が吹き日本社会党を中心に女性候補が大量当選して以来、2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙の結果では女性議員が54人となり割合が11.3%となり、2010年(平成22年)の第22回参議院議員通常選挙の結果では女性議員が44人となり、割合が18.2%となり、徐々に女性政治家は増加している。
小選挙区比例代表並立制に選挙制度が変わり自民党と民主党の二大政党は、小泉チルドレンや小沢チルドレンなどのサラリーマン化した議員を輩出して、中選挙区制時代のような地主型政治家や労組出身者は激減した。
首長
地方では、2000年(平成12年)に太田房江が大阪府知事となり、日本初の女性知事が誕生した。
大臣・中央省庁
1996年(平成8年)に内閣総理大臣補佐官制度が導入されて、1999年(平成11年)に国会審議活性化法が成立して、2001年(平成13年)に国会における政府委員制度及び政務次官が廃止されて、副大臣と大臣政務官が新たに設置された。内閣府副大臣・復興副大臣・総務副大臣・法務副大臣・外務副大臣・財務副大臣・文部科学副大臣・厚生労働副大臣・経済産業副大臣・環境副大臣・防衛副大臣・国土交通副大臣など副大臣制度が創設された。
内閣府大臣政務官・総務大臣政務官・法務大臣政務官・外務大臣政務官・財務大臣政務官・文部科学大臣政務官・厚生労働大臣政務官・経済産業大臣政務官・環境大臣政務官・防衛大臣政務官・国土交通大臣政務官・復興大臣政務官など大臣政務官制度が創設された。
内閣府設置法によって内閣府が創設されて、阪神大震災の教訓や東日本大震災への対応から防災担当大臣(復興担当大臣)が設置されて、福島第一原子力発電所事故対策の必要から原発担当大臣が設置されて、原子力安全庁(原子力規制庁)の設置計画が閣議決定された。2011年(平成23年)に東日本大震災復興基本法が成立して、2012年(平成24年)2月に復興庁設置法が施行されて、復興庁が設置された。同時に内閣の定員である担当大臣枠を1人増加させる法案が可決された。急速に進んだ少子化対策として内閣府特命担当大臣(男女共同参画担当)と内閣府特命担当大臣(少子化対策担当)が創設された。消費者庁を管轄する消費者及び食品安全担当大臣・金融庁を管轄する金融担当大臣・沖縄問題と北方問題を管轄する沖縄及び北方対策担当大臣が創設された。経済財政諮問会議を管轄する経済財政政策担当大臣が設置された。拉致問題対策本部のトップである拉致問題担当大臣が創設された。
一時的に規制改革担当大臣・科学技術政策担当大臣・防災担当大臣・食品安全担当大臣・青少年育成及び少子化対策担当・個人情報保護担当大臣・産業再生機構担当大臣・ 食育担当大臣・イノベーション担当大臣・地方分権改革担当大臣・再チャレンジ担当大臣・国民生活担当大臣・地域主権推進担当大臣・「新しい公共」担当大臣・原子力損害賠償支援機構担当大臣・原子力行政担当大臣・沖縄及び北方対策担当大臣・科学技術政策担当大臣・宇宙政策担当大臣・行政刷新担当大臣・原子力防災担当大臣・教育再生担当大臣・原発事故再生担当大臣・公務員改革担当大臣・国土強靭化担当大臣・内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域担当)が設置された。第二次安倍改造内閣で地方創生担当相や安全保障担当相の設置が検討されている。
海部内閣で森山真弓が女性初の官房長官となり、小泉内閣で田中真紀子が女性初の外務大臣となり、安倍内閣で小池百合子が女性初の防衛大臣となった。女性大臣は昭和時代の男性のみ女性なしから、第1次小泉内閣の女性大臣5人を最多に女性が平均1人から2人の割合で入閣するのが当たり前となった。1993年(平成5年)8月6日に日本社会党出身の土井たか子が女性初の衆議院議長(第68代)となり、2004年(平成16年)7月30日に自由民主党出身の扇千景が女性初の参議院議長(第26代)となる。
民主党政権では国家戦略室が設置されて、行政刷新会議による事業仕分けが実施された。2011年(平成23年)の野田内閣では政策仕分けが実施される。
2010年(平成22年)1月1日に社会保険庁長官をトップとする厚生労働省の外局の社会保険庁が廃止されて日本年金機構となる。
国税の徴収・課税をする国税庁と、国民年金と厚生年金など公的年金の運営業務をする日本年金機構を統合して、新たに歳入庁を設置する構想ができた。
2006年(平成18年)に内閣官房内に「電子政府推進管理室(GPMO)」を設置した。さらに2012年(平成24年)には政府情報化統括責任者(政府CIO)を設置して、各省庁の情報システム刷新に関する指揮やマイナンバー制度(「国民総背番号制#日本」参照)に伴うシステム調達の監査、各省庁の調整を担当する事が決まった。
地方自治体
- 地方では、ユニークな「改革派首長」が登場して、財政再建や過疎対策などに辣腕を振るうようになった。
- 1999年(平成11年)から~2006年(平成18年)頃に、総務省の政策で平成の大合併による市町村合併が行われて地方自治体は大幅に削減されて多くの市町村が消滅した。
- 東京一極集中が再び加速して地方経済の衰退が顕著になった。これに伴い財政再建団体に転落した自治体や医療崩壊に至った地域が現れ問題になっている。
- 1989年(平成元年度)には竹下内閣によるふるさと創生事業が実施された。2008年(平成20年度)以降にはふるさと納税制度が導入された。
- 地方自治法の改正で都市制度が緩和されて以下の地方自治制度が整備される。
- 道州制の議論が盛んになった。
- 神奈川県知事の黒岩祐治が提唱する神奈川独立国構想や神奈川州構想が立案された[7]。
- 大阪府と大阪市を統合する大阪都構想が立案された。
- 減税条例の実現を理念とする愛知県と名古屋市を統合する中京都構想や尾張名古屋共和国構想が立案された。
- 新潟県と新潟市を統合する新潟州構想が立案された。
- 関西広域連合が立案された。
- 皇族の一部を京都に迎える双京構想が立案された[8][9]。
地域政党
- 新しい地域政党として結成されたのは以下である。
- 大阪維新の会(橋下徹大阪府知事が設立)
- 日本一愛知の会(大村秀章愛知県知事が設立)
- 中京維新の会(大村秀章愛知県知事が設立)
- 地域政党いわて(飯沢巧岩手県議会議員が設立)
- 埼玉改援隊(清水勇人さいたま市長が設立)
- 三木新党8人のサムライ(蕨本吉秀兵庫県三木市長が設立)
- 減税日本(河村たかし名古屋市長が設立)
- 対話でつなごう滋賀の会(清水鉄次滋賀県議会議員が代表を務める)
- 龍馬プロジェクト吹田新選会(石川勝前大阪府吹田市議会議員が設立)
- 新政みえ
- 松山維新の会(愛媛県松山市議会議員らが設立)
- 愛媛維新の会(愛媛県議会議員らが設立)
- 西予維新の会(愛媛県西予市議会議員らが設立)
- 京都党(村山祥栄京都市議会議員が設立)など次々と地域政党が設立された。
経済史
バブル崩壊と平成不況
- 1989年(平成元年)12月29日に日経平均株価が最高値をつけた後、日本銀行による金融引き締めへの転換と、不動産金融に対する総量規制による政府の地価上昇に対する抑制政策によってバブル景気が崩壊した。
- この頃からフランスの経済学者のJ・クレメンス・ジュグラーが存在を主張したジュグラー波と呼ばれる企業の設備投資に起因する景気循環にあたる景気後退期の失われた10年(1991年(平成3年)~2002年(平成14年)の期間内の平成不況と経済停滞)が始まった。
- さらにアメリカの経済学者のサイモン・クズネッツが唱えたクズネッツ波と呼ばれる建設需要と人口の変化に起因する 約20年の周期の景気循環の後退期にあたる失われた20年(1991年(平成3年)から~2012年(平成24年)の期間内の経済成長のストップ)が始まり、平成初期は日米間の貿易摩擦からジャパンバッシングがあり、アメリカ合衆国からスーパー301条や年次改革要望書などの対日圧力があった。
- その後の、1995年(平成7年)から1996年(平成8年)の期間内にいったんは経済成長率が回復した。しかし、1998年(平成10年)から1999年(平成11年)の期間内には橋本内閣による財政構造改革で、財政支出の削減、所得税、住民税の特別減税の打ち切り、健康保険料の負担増加、消費税を3%から5%に引き上げた事が最大の要因となり、それに加えて、[10]日本で発生した金融危機とアジア通貨危機の影響でGDPがマイナス成長となり日本経済は停滞期に入った。
- 企業の設備投資は抑制されて、雇用不安の高まりで個人消費は低迷した。バブルの崩壊で巨額のキャピタルロスを生み出した。[11]三洋証券の経営破綻によるコール市場でデフォルトが発生して、コール市場への資金供給は縮小した。その後、企業や経済のシステムは、アメリカ一極体制を背景に根こそぎアメリカ型に変わり、1980年代のアメリカを襲った整理解雇が、<リストラ>や<ダウンサイジング>という雇用者による労働者の解雇を正当化した名前が普及して、1990年代以降の日本でも増加した。企業は投機の含み損により不良債権を抱え、不良債権処理の問題が発生した。
- 住専問題などを抱える、金融機関や銀行は貸し渋りに走り、第136回国会(住専国会)で対策が審議されて、金融危機対策として金融ビッグバンの実施や金融機能早期健全化法・金融再生法が第143回国会(金融国会)で制定された事によって破綻した銀行が特別公的管理(一時国有化)となった。[12]新卒者は就職氷河期に、中高年は整理解雇ブームに襲われた。
- 1997年(平成9年)4月1日に橋本内閣下で行われた消費税増税(3%から5%の増税)は、バブル崩壊の痛手から立ち直りかけていた日本経済に打撃を与え、日本は未曾有の長期にわたるデフレ経済に突入することになる。企業の倒産として2000年(平成12年)にそごうグループが民事再生法の適用を申請して、2010年(平成22年)には日本航空が会社更生法の適用を申請するなどの企業の倒産・企業間の合併・企業間の再編・海外の企業による企業買収が相次ぎ、1997年(平成9年)に山一證券・北海道拓殖銀行が廃業した。翌年の1998年(平成10年)には日本長期信用銀行が破綻して経済的理由からの自殺が激増した。
- 加えて、この頃から金融機関の含み損が再び表面化して、多額の不良債権を抱えた企業の経営破綻が相次いだ。この反省から1998年(平成10年)に発足した小渕内閣では積極財政・景気対策路線がとられて、1999年(平成11年)には、ゼロ金利政策の導入と地域振興券と言う名称の商品券が配られた。公共事業や減税によるケインズ政策によって財政赤字が増大したが、経済は本格的な回復路線に乗ることはなかった[13]。
小泉構造改革と景気回復
2001年(平成13年)に首相に就任した小泉純一郎によって「聖域なき構造改革」が推進された。郵政事業などの公共サービスの民営化・電気産業・通信産業・運輸業などの参入規制改革を政策目標としていた。民間金融機関に係る行政は、伝統的に大蔵省(現在の財務省)が担ってきたが、民間金融機関等の検査・監督を分離して2001年(平成13年)に内閣府の外局として発足した金融庁によって金融再生プログラムが実施されて、銀行の不良債権処理が進んで金融機関は健全化した。日本銀行はゼロ金利政策から量的金融緩和政策に転換して、都市銀行は三大メガバンクに統合された。デフレが進行した経済対策からノーベル経済学賞を受賞した経済学者のポール・クルーグマンが提唱したインフレターゲットの導入が検討された。
長く緩やかな景気回復(2002年(平成14年)2月から2008年(平成20年)2月まで)が続いたが、この景気拡大は専ら外需主導であり、公共投資の縮小及び企業の人件費抑制に伴う労働分配率低下により、内需と個人消費は冷え切ったままであった。また、2003年(平成15年)の大卒就職率は55%にまで低下、高卒も史上最悪の就職難に遭遇した。新興国の経済発展に伴い、重厚長大産業を含む製造業の復権が起こった。一方で、新しい産業としては情報革命によってIT産業が発達して、少子高齢化によって介護サービス事業が成長して、高齢者の死亡者数の増加で葬祭業(葬儀ビジネス)が成長して、非正規雇用の増大で労働者派遣業が成長した。
2000年代後半に入ると、六本木ヒルズ族と呼ばれる富裕層が話題を振り撒いた。富裕層増加の一方で非正規雇用の増大(15歳 - 19歳は約7割が非正規雇用)や、フルタイムで働いても貧困から脱却できないワーキングプアの存在が表面化して、日本共産党の支持層に多いプロレタリア文学の蟹工船の読者が急増して、「格差社会」の到来が叫ばれるようになった。2009年(平成21年)の日本政府の発表では、2006年(平成18年)の時点で貧困率は15.7%であった。2008年(平成20年)に入ると、景気は再び後退し始め、資源価格上昇の中で景気後退が続くスタグフレーションの進行が憂慮された。
経済構造の変化と日本社会の変化
1990年代にバブル景気による土地神話が消滅するバブル崩壊があり、基準地価と公示地価など地価が毎年下落し続けた。2005年(平成17年)以降は一部優良な土地の地価が上昇するようになった。平成20年代になり、ガソリン価格の高騰による運輸業の経営への圧迫やガソリン税の減税問題が提起された。2008年(平成20年)に国土交通省の外局として、日本の観光を盛んにして観光地に外国人観光客を多数呼び込み、観光(観光業)立国を目指すために観光庁が発足した。ギャンブル関係では、数字選択式全国自治宝くじのナンバーズ・ミニロト・ロト6・ロト7・スポーツ振興くじ・競馬のワイドが導入された。金融関係ではペイオフが実施され、ネット証券・ネットショッピング・投資信託が普及した。広告関係で顔面広告や絶対領域広告など人間広告が普及した。ホームページやブログに張り付ける広告のアフィリエイトが普及するなどインターネットビジネスが成長した。平成20年代に芸能人のブログでのステルスマーケティングが問題となる。
小売業では、ダイエーなどのGMSの隆盛が終息を迎え、100円ショップ・ブックオフコーポレーション ・日本マクドナルド・吉野家などの商品の値下げ競争が注目された。こうした価格競争に取り残されたそごうなどの百貨店が縮小した。ユニクロなどの低価格で大量販売をするチェーンと、2000年(平成12年)に大規模小売店舗法が廃止された事で大規模店舗の建設と出店が自由化されてイオンを代表とする郊外型スーパーが成長した。三浦展の造語である大型店やチェーン店などが郊外に進出することで、地域の個性が失われてしまう現象の<ファスト風土化>と<下流社会>と呼ばれる所得が低い貧困層の上に、向上意欲も低い社会階層が誕生した。2014年(平成26年)にはマイルドヤンキーと呼ばれる若者が注目された。地方都市郊外にはロードサイド店が林立し、地方都市の中心市街地を荒廃させた。
地方では医療崩壊が始まる中、鉄道ローカル線や路線バスが相次いで廃止され、自家用車を自ら運転できない高齢者の買い物難民や交通難民が社会問題となった。一方、公共交通機関の発達した都市部の若者は生活必需品ではない自動車に興味を示さなくなり、車離れをするようになった。地方で大きな雇用を生み出していた建設業は大幅な公共事業の削減で建設会社が減少して、一部は農業や福祉産業に転じる動きもみられた。製造業は円高のために生産縮小と海外への工場移転が続いた。平成初期から2010年代までに進行した男性向きの建設業・製造業などの仕事が減少して、女性向きの福祉・サービス業・事務職などの仕事が増えた結果、労働力の中心だった男性の価値が相対的に低下する男性不況が話題になる。
プリペイド前払い式のWAON(イオンリテール株式会社)やカード型のみのTOICA(東海旅客鉄道株式会社)などの電子マネーの普及で2011年(平成23年)には1円玉硬貨が1枚も製造されなかった。印刷物の書籍に代わって、電子書籍が普及する。
2006年(平成18年)5月1日に総会屋を規制する会社法の会社法第120条が施行される。2011年(平成23年)に携帯電話とPHSの契約台数が日本の総人口の1億2805万人を超える国民の保有数が1億9805万台となり、人口比で契約数が101.4%となった。通常の携帯電話以外に通信機器専用のスマートフォンをもつ人や会社などの仕事用の携帯電話とプライベートの携帯電話で使い分ける「2台持ち」の人が増加した事も要因と分析されている。
2000年代に小泉改革による航空業界の規制緩和を機に、スカイマーク、北海道国際航空(現・AIRDO)をはじめとする低運賃の格安航空会社が新規参入した。平成20年代より、外資系LCCの国際線参入が相次いでいる。
2012年(平成24年)頃から稚魚の不足からウナギの価格が高騰した。
団塊の世代が青年期だった1970年代までの生産年齢人口が増加する人口ボーナスによる高度経済成長から団塊の世代が60歳以上の高齢者となった2000年代には老人が急増して若者などの勤労者が減少する人口オーナスによるデフレ経済に移行した。高齢者を狙う押買や押売が社会問題となる。バブル期には富裕層の間で億ションが小泉時代には富裕層の間で六本木ヒルズに住むものが増加したが、21世紀になり民家(自宅・借家)・アパート・マンション以外に若者の間に流行したシェアハウスで共同生活をする男女が急増した。
世界同時不況
2000年代は輸出産業である製造業が好調だったが、人手不足は2004年(平成16年)に労働者派遣法が改正された事で製造業にも派遣が認められて外国人労働者を含む派遣社員を中心に不安定雇用労働者などでまかなわれた。そのため、海外市場の減速が製造業を直撃した事と2009年問題により、2008年(平成20年)秋頃から、派遣労働者の解雇や雇い止めをする「派遣切り」が増加した。年越し派遣村が創設されるなどの貧困対策が取られたが、2009年(平成21年)3月までに19万人が失職した。職を失った派遣社員が大量に寮を追い出され、ホームレスと化した。
アメリカのサブプライムローンを引き金とする2008年(平成20年)末からの世界同時不況は、「100年に1度の不況」「第二次世界恐慌」などと呼ばれており、製造業以外の業種にも深刻な打撃を与えている。2009年(平成21年)に麻生内閣の緊急経済対策として定額給付金の給付やエコカー減税・エコカー補助金・エコポイント制度・ふるさと雇用事業などの対策がとられたが本格的な回復路線に乗ることはなかった。
国際化と日本の企業問題
- 1989年(平成元年)に出入国管理法が改正され、日系ブラジル人などの日系の南米人が急増する。リーマンショック後、働き口を失った南米人の多くは日本を去り、元在日ブラジル人のブラジル帰国者問題が深刻化した。在日外国人の中では、在日中国人が特に増加しており、長年在日外国人の最多数派だった在日韓国・朝鮮人を上回った。
- 国内市場が縮小していることから企業のグローバル化が推進され、楽天、日産自動車など社内の公用語を日本語から英語にする企業や、パナソニックなど半分以上を外国人採用枠とする大企業が現れた。このため新卒者は第二新卒に加え外国人留学生との競争にさらされることになり、深刻な就職難に襲われている。昭和時代の戦後期からの日本独特の年功序列による昇進から成果主義に変更する企業が増加して、企業内の人権問題や健康問題として上司から部下へのパワハラや女性社員へのセクハラや社員のうつ病や退職の急増が問題となる。また社内ニートが急増して不況により、アジア諸国に職を求めて流出する人々も相次いだ。平成20年代には2005年の中国における反日活動や2012年の中国における反日活動で表面化した反日感情が高いチャイナリスクの問題や人件費が高騰したなどの問題がある中華人民共和国からチャイナ・プラス・ワンの経営手法として、人口が多くて親日で経済発展をしているVIP3ヵ国と呼ばれる以下の国に進出する企業が増加した。
- 2010年(平成22年)には2010年欧州ソブリン危機があり、中華人民共和国にGDPが抜かれて、アメリカ合衆国に次ぐ世界第2位の経済大国から世界第3位に転落した。
- 医薬品を製造する製薬会社で2010年代になり大型医薬品の特許が一斉に切れて、製薬会社の収益に損害を与える2010年問題がおきた。2012年(平成24年)に、消費者庁が景品表示法違反でコンプリートガチャを規制する方針を決定した。
- 2000年代にアメリカ合衆国のゼネラルモーターズなどビッグスリーを抜いて自動車生産台数世界一の企業にトヨタ自動車がなった。2009年(平成21年)~2010年(平成22年)に、アメリカ合衆国運輸省によって豊田バッシングと呼ばれたトヨタ自動車の大規模リコール問題が発生した。
- 外国人や外国資本による日本国内の土地買占めが国防などの安全保障面で問題となる。具体的に韓国資本による対馬の土地買占めや中国資本による北海道の山林買占めなどがある。
東日本大震災後
2011年(平成23年)には、米国債ショックと東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が起こり、さらにそれによって福島第一原子力発電所事故が起きた。この影響により、株価が急落したり、製造ができなくなったり、作物の風評被害が起きたりと障害が起きている。2011年(平成23年)夏には、電力使用制限令が発動される。菅内閣は内閣の退陣と引き換えに固定価格買い取り制度の再生可能エネルギー特措法を成立させて風力発電・太陽光発電・地熱発電・水力発電などの自然エネルギーの活用を推進した。
金融広報中央委員会が2012年(平成24年)2月22日に発表した2011年(平成23年)の家計の金融行動に関する世論調査の結果では、一家の人数が2人以上の世帯で「貯蓄がない」と答えた世帯の割合が28.6%に上り、調査を始めた1963年(昭和38年)以来では、過去最高の数字となった。
2012年(平成24年)頃には、韓国企業のサムスン電子に価格や品質や人材力で敗北するようになり、2000年代に三重県亀山市にシャープ亀山工場や大阪府堺市堺区にシャープ堺工場を建設するなど世界の亀山モデルと呼ばれた液晶テレビで好調だったシャープ・東芝・パナソニックなど大手電機メーカーの売り上げが不振で赤字となり人員削減などの大規模なリストラを実施した。被災地の鉄道復旧が進まずバス・ラピッド・トランジット(BRT)が気仙沼線で導入された。東日本大震災の影響で防災対策が注目されて、防災用品として保存が長く持つ<ロングライフ食品>がヒット商品となった。
アベノミクス(第2次安倍内閣)
2012年(平成24年)12月26日に第2次安倍内閣が成立した。安倍内閣はアベノミクスと呼ばれる政策で日本銀行による金融緩和や日本銀行による建設国債の買い取りを実施して、デフレからの脱却を目指すために、物価上昇率を2%と高めに設定するインフレターゲット目標を定めた。アベノミクスは円安による輸出の黒字の増大と株価が上昇する効果を狙う政策であった。国土強靭化計画によって、高度経済成長期に建設された道路の補修や改修などの公共事業を増加させてインフラを整備するアベノミクス政策が実施されるようになった。経済財政諮問会議が復活して日本経済再生本部と産業競争力会議が設置された。 移民1000万人計画がある事を背景に2014年(平成26年)に安倍内閣は、高度人材と認定された主に中国人を中心とする外国人が永住権を取得するために必要な在留期間を3年に短縮、親や家事使用人の帯同も認められるようにする出入国管理及び難民認定法改正案を閣議決定した[14]。
国際経済問題
平成期は、人件費の抑制と円高の進行で製造業の海外移転が相次ぎ、産業空洞化が進んだ。
バブル期のあたりは、貿易摩擦を解消するために海外へ移転する製造業が増加した。バブル崩壊後の1990年代中ごろになると、円高が生じ、海外へ移転する製造業が増加した。2000年代に入ると、人件費削減のため、中華人民共和国や開発途上国(ASEANなど)へ製造工場を移転することが多くなった。2010年代に入ると、再び円高が生じ、海外への移転が増加した。2011年(平成23年)にタイ洪水がありタイ王国内の工業団地に多数の工場を進出させていた日系企業が被災して自動車産業などの工場が操業停止となる。
2000年代に入り日本の国内で発生した内政問題やアメリカ合衆国との間で、日本が牛肉の輸入禁止措置や検査強化をした事に対する日米外交問題や国際問題としてBSE問題が発生した。
東日本大震災や急激な円高の進行で自動車産業や家電などの輸出が不振となり、東京電力福島第一原子力発電所事故の影響で日本国内の原子力発電所が相次いで点検や安全性の確保のために発電を停止して、火力発電所での発電の増加で海外からの燃料の輸入額が大きく増加したのが原因で2011年(平成23年)の日本の貿易収支は赤字に転じて、1980年(昭和55年)の第2次石油危機以降では、31年ぶりになる貿易赤字国へ転落した。
菅内閣と野田内閣はTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の交渉をする議論を開始した。
株式市場
- 東京証券取引所と大阪証券取引所が統合して東京証券取引所グループとなり、2013年(平成25年)に日本証券取引所グループに商号を変更する。2014年(平成26年度)に少額投資非課税制度(愛称NISA)が導入される。
円高
- ドル-円相場
平成初期の円は、1ドル120円から160円であったが、1990年代中ごろから円高が進行して、1ドル100円を突破した。その後、円高はおさまり、1ドルが100円を突破することは少なくなったが、2008年(平成20年)以降、急激に円高が進行して、1ドル100円を突破、2011年(平成23年)ごろからは、1ドル80円を超える状態が続き、一時1ドル75円台となり、円高記録を更新した。
ただし、2002年(平成14年)ごろまでは、ドル/円の為替レートと実効為替レートとがほぼ一致していたが、2002年(平成14年)以降は、ドルの世界的な価値が下がったため、ドルに対する円の価値と世界的な円の価値とが乖離するようになった。
- ユーロ-円相場
2000年(平成12年)ごろは1ユーロ90円から110円であったが、その後円安になり2000年代中ごろには1ユーロ160円台になった。2008年(平成20年)に急速な円高が生じて、1ユーロ130円前後になり、その後、ギリシア危機などでさらに円高となり、1ユーロ110円台となった。
- 人民元-円相場
平成初期は、1元30円程度であったが、1990年代前半にかけて急速に円高が進行して、1元10円前後となった。その後、人民元は、固定相場制や通貨バスケット制によって相場は安定して、1元14円あたりを前後している。
- 実効為替レート「2005年(平成17年)を100円とした時 数値が高いほど円高」
1990年(平成2年)ごろは、90円台であったが、その後円高が進行して、1993年(平成5年)ごろから130円を超えるようになった。1995年(平成7年)には一時150円を超えたが、その後円安となり、100円台にまで下がった。2000年(平成12年)前後から120円台へ円高となったものの、その後は円安となり、80円台にまで下がった。2008年(平成20年)には急激な円高となり、100円前後まで上がったが、その後は100円前後で安定している。
教育史
教育制度改革
- 昭和末期から平成初期に、偏差値重視の教育制度の改革が進められ、臨時教育審議会の提言で文部科学省は新学力観を導入し、その考えが元となる学習指導要領が1989年(平成元年)に改訂、1992年(平成4年度)から施行された。その後、中央教育審議会の提言で生きる力の育成という目的が導入され、その目標に基づく学習指導要領が1998年(平成10年)に改訂、2002年(平成14年度)から正式に施行された。この指導要領によって総合的な学習の時間を設置、授業時間数の削減、教育内容の減少となった。しかし、PISAの順位が落ちたことから、学力低下を引き起こしていると批判を受け、生きる力の育成という目標は堅持しつつも、授業時間の増加、教育内容の増加が盛り込まれた学習指導要領が2008年(平成20年)に改訂、2011年(平成23年度)以降から正式に施行された。
- 文部科学省が教育改革として、新設された高校として、中高連携教育や特色ある学校を認可するなどの教育改革を実施して、以下の学校が創設された。
- 総合制高校の新設。
- 単位制高校の新設。
- 国際高校の新設。
- 公立高校で中高一貫教育をする中等教育学校タイプの高校の新設。
- 併設型中等教育学校タイプの高校の新設。
- 連携型中等一貫校タイプの中高一貫校の新設。
- 福祉高等学校の新設。
- 生きる力を重視している文部科学省は以上の新しい高等学校を設置した。
- 生活力の育成や学校独自の教育を推進するために、文部科学省が設置した新設教科として、以下がある。
- 以下の新しい教科を新設した。
- 国際化や男女平等を推進する教育改革として、文部科学省は以下の教科を必修教科として必修化した。
- 出席名簿も男女が混ざったものに変わった。アメリカの自由教育思想や大正時代の自由教育の思想の影響で職業体験の重視や天才的な頭脳をもつ高校生の大学進学を早期にするための教育の規制緩和として、以下の活動と制度を導入した。
- 教育制度改革の計画として、優秀な高校生を早期に大学進学をさせて専門分野を専攻できるようにすることで、国際社会で活躍できる人材の育成を狙う文部科学省は2012年(平成24年)6月1日に、高等学校を2年間で卒業して大学に入学できる制度を創設する方針を決定した。国家戦略会議で平野博文文部科学大臣が取り組む。
学力問題
- 1990年代から学力低下が懸念されて、1999年(平成11年)には「分数が出来ない大学生」が出版された[15]。さらに2003年(平成15年)のPISAやTIMSS、2006年(平成18年)のPISAでは学力低下が顕著となった。その後、2003年(平成15年)には教育内容の上限規定が撤廃された。2007年(平成19年)には全員参加方式の全国学力・学習状況調査テストが復活して、さらに脱ゆとりへと路線が変更されて、2008年(平成20年)には指導要領が改正されて、移行措置として一部が2009年(平成21年)から実施されて、小学校では全面的に2011年(平成23年度)から実施されることとなった。2007年(平成19年)のTIMSSでは、学力低下が止まり、2009年(平成21年)のPISAでは、学力が回復した。2013年(平成25年)の経済協力開発機構(OECD)の国際成人力の調査で日本国が第1位になる。
学校制度改革
- 2003年(平成15年)に国立大学法人法が制定されて、国立大学が国立大学法人となった。教員の相次ぐ性犯罪や、偏った思想に基づいた教育や言動などが問題となり、教員の資質向上のための教育改革として実施された制度が教職大学院の創設であり、それと検討されたのは教員免許更新制である。これに伴って日本の教育問題として、親の学歴・収入・家柄・職業などの経済格差と都道府県別や市町村別の地域格差を背景とした能力格差の拡大が表面化している。この原因は公教育機能が低下しているためと言われ、公教育への不信感が増大している。それを補うため、東京都を中心に公立学校選択制の導入や公立学校以外の学習塾や私立学校へ進学希望者が増加している。私立学校と教育を重視する地域などの一部学校や、文部科学省の方針で教育予算が増加されて低学年で実施されたのが、少人数授業や少人数教育を目的に「35人学級」や「30人学級」で、きめ細かい指導を導入する教育改革がされた。平成期に学校群制度が全廃されて丸坊主などの頭髪の規制を撤廃して長髪を認可したり制服のみから私服を認可して服装の自由化をするなど校則が改正される学校が増加した。公立小学校と公立中学校が義務教育期間に一体化して連携教育を行う「小中一貫教育」が広がった事から、第2次安倍内閣で中央教育審議会が提言した構想で、小中連携教育を推進するために6歳〜15歳までの9年間の小中一貫の「義務教育学校(仮称)」の新設が議論された[16]。高校の普通科で「キャリア教育」を必修化するが検討された。
教育行政と新設教科
- 2001年(平成13年)1月6日の中央省庁再編により文部省を改組して、科学技術庁を吸収合併して廃止する形式で文部省と科学技術庁が統合されて、文部科学省が設置される。2003年(平成15年度)から情報科が新設されて、高等学校の必修教科となる。2011年(平成23年度)から小学校で、外国語活動の時間が設けられて、2012年(平成24年度)から中等教育で、安全性の問題が議論されている武道科(剣道科・柔道科・相撲科)の3種目と指導方法の向上が必要であるダンス科(創作ダンス・フォークダンス・現代的なリズムのダンス)が導入されて、3 種目から選択して必修化されるようになった。2012年(平成24年度)から、木造校舎の建設を可能とするため木造校舎の焼失実験が実施されて、1972年(昭和47年)に終了した放射線教育が約30年ぶりに中学校の理科で復活した。
成績評価
- 2000年(平成12年)から小学校と中学校の義務教育の課程で相対評価から絶対評価による教育評価と成績評価が重視をされるようになった。重視されるようになった絶対評価には認定評価の他に到達度評価があり、到達度評価の1つである観点別学習状況による教育評価と成績評価が導入をされた。
修身教育の見直しと道徳教育重視
- 自由民主党の修身教育復活や道徳教育重視を唱える愛国心と儒教道徳の育成を目指す保守派議員の意向で文部科学省が2002年(平成12年)4月に、全国の小学校・中学校に道徳の副教材の心のノートを無料配布した。民主党政権の事業仕分けによって教材作成の補助が廃止された。
私立中学受験
- 2007年(平成19年)に首都圏では格差社会の進行やゆとり教育の影響で学歴社会の負け組となる公立中学校を敬遠するようになり私立中学校の受験者数はピークとなり中学受験バブルがおきたが、翌年には私立中学受験バブルは崩壊した。2008年(平成20年)のリーマンショック以降の景気低迷、公立学校における脱ゆとり教育への転換、さらには東日本大震災などの影響で、私立中学受験者数の減少は続いており、受験者数の減少に歯止めがかかっていない。私立中学校の募集定員は3万9721人から4万1688人と約5%も増加して、私立中学受験ブームを受けての定員数の増加や、中高一貫体制強化による付設高校の募集定員の縮小と廃止が行われた。
大学受験
- 平成初期に大学共通第1次学力試験に代わり大学入試センター試験が導入された。バブル世代が大学生だった平成初期は学閥など大学ブランドが強い明青立法中・日東駒専・関関同立などの私立大学が人気であったが、2000年代以降は平成不況による貧困家庭の急増の影響などの学費の問題で地元の国立大学(いわゆる駅弁大学)志向となる。受験生の志願者数はベビーブーム世代が大学生だった平成一桁期は第2次ベビーブーム(団塊ジュニア世代)による18歳人口の多さで3流大学でも高倍率であり大学入試は難関で卒業は難易であったが、2000年代以降に18歳人口の減少による少子化の進行と学歴インフレの進行で3流私立大学の定員割れが急増した。1990年代は日本大学(日大)と早稲田大学の志願者数がトップであったが、2000年代に日本大学の志願者が減少して2008年(平成20年)まで早稲田大学が1人勝ちの志願者がトップであった。2009年(平成21年)以降は早稲田大学の志願者がトップであったが、早稲田大学ブランドの魅力が変わり志願者が減少して、代わって明治大学が志願者トップとなる。2014年(平成26年度)に近畿大学の志願者数が初めて日本一となる。[17]
教育と社会問題
- 不登校問題やフリースクールの試みが行われた。学校を卒業しても社会に参加しないニート、引きこもりに陥る者が多く現れ、メディアで盛んに報道され、問題視されるようになった。これは、学校と実社会の間にギャップがあるという日本独特の問題が潜んでいるとされる。余りに学校社会に慣れた子供は、卒業しても社会に適応することが困難になると言われる。
- 現在の引きこもりは1970年代生まれ(氷河期世代の初期と中期)の人々が最も多く(後の世代では引きこもりは減少傾向)、引きこもりの長期化・高齢化が深刻になっている。また、ニートだと定義されていない35歳以上の中年の無業者も問題になっている[18]。
- 2002年(平成14年)には、小学1年生で5.0%、中学1年生で32.3%だったのに対し、2007年(平成19年)には、小学生1年生で11.7%、中学1年生で62.0%と2000年代に入ってからは小中学生の間でも普及しだした[19]。
- また、2000年代後半になると、10代のパソコン離れが起き、携帯の使用率が上がっている[20]。これらの世代はパソコン、携帯電話などを使ってネットによる情報発信能力を身につけたにもかかわらず、情報リテラシーやマナー教育が追いつかなかったため、ネットいじめが社会問題になった。
- その一方で、それらの問題が、若者に対するステレオタイプだとして、俗流若者論という概念も生まれた。東日本大震災の影響で子供の心的外傷後ストレス障害(PTSD)が増加したり、被災地の岩手県・宮城県・福島県の子供の転校が急増する。
- 少子化の進展で大学全入時代を迎えて、21世紀には大学倒産時代となり、ブランド大学以外の地方大学や私立大学は定員割れで経営危機に立たされている。私立大学・私立短大の中には、統廃合によって学生募集を停止して廃校になる学校が増加した。親の収入と学歴の高低が子供の学歴の高低に直結する「格差の遺伝」とも言われる現象が広く知られるようになった。
- 一方で、逆に高い学歴を持ちながら生活に苦しむ学歴難民と呼ばれる層も氷河期世代から発生している。女子の高学歴化や進学率の増加、厳しい経済状況を背景にした難関志向もあり、難関大学の難易度は、依然高い水準にある。進学率が増加する一方で、BFランク大学の名前を書くだけで受かる入試、ユニーク入試、一芸入試など学力にとらわれない入試も増加している。
いじめ問題とマスコミ報道
- 第1期のいじめ問題といじめ自殺ブームとして、1986年(昭和61年)の中野富士見中学いじめ自殺事件(昭和46年生まれの団塊ジュニア世代)があった。平均兄弟数が2人まで少子化した影響で人間関係が上手でない新人類世代が中学生だった昭和40年代からいじめ自殺の事例はあった。[注 4]これまでまったくの一般人の自殺である事と、心理的影響でいじめ自殺が増加する事から、昭和50年代までタブーだったいじめや自殺問題を久米宏などの戦中生まれのマスコミがあまりにもこの中学生に対するいじめが酷かった事を理由にタブーを破り最初のいじめ自殺報道がされた。[注 5]
- 第2期のいじめ問題といじめ自殺ブーム(平成で最初)として、1994年(平成6年)前後の時期に愛知県西尾市中学生いじめ自殺事件(昭和55年生まれの松坂世代の学年でポスト団塊ジュニア世代)を中心とするいじめ自殺報道があった。
- 第3期のいじめ問題といじめ自殺ブームとして、2006年(平成18年)前後の時期に福岡中2いじめ自殺事件(平成4年生まれのゆとり世代)を中心とするいじめによる自殺が繰り返し報じられた。
- 第4期のいじめ問題といじめ自殺ブームとして、2012年(平成24年)にも大津市中2いじめ自殺事件(平成9年生まれのゆとり世代)があった。
- マスコミの報道によっていじめ問題が注目されて、この時期の統計ではいじめ自殺やいじめが増加している。
- この時期など数年に1回の割合でいじめ自殺やリンチ殺人がマスコミによって報道されており、以下のいじめについての教育問題があった。
- 政治家の発言。
- 文部科学省の対応。
- 親の対応。
- 加害者のいじめ行為。
- インターネットへの個人情報や中傷の書き込み。
- 学校の対応。
- 被害者が受けた被害と情報。
- 和田秀樹が主張するマスコミのWHO(世界保健機関)が定めた自殺ガイドラインのルールに違反する自殺報道によって自分も自殺して同情されたい注目されたいと思うウェルテル効果が起きる心理的な影響。[21]
- 教育委員会の対応。
- 警察の犯罪被害への対応といじめ問題への介入。
- 道徳教育の必要性。
- 被害者と加害者の実名などのプライバシーの問題。
- マスコミによる過剰な報道の是非。
- マスコミによるいじめ報道やいじめ自殺報道の影響でいじめ問題が注目されて、いじめの存在やいじめ自殺の存在が議論されていじめが社会問題となる。[22]
- 大津市いじめ自殺問題の対応策として、2013年(平成25年)にいじめ防止対策推進法が成立する。同年、大阪市立桜宮高等学校の体罰事件や柔道日本女子での体罰など生徒指導死(自殺)が問題となる。
教育思想
- 平成期の教育思想は大きく区分して2種類ある。教育思想として以下の2種類の教育思想が対立して激しい論争となる。
- 昭和時代の戦後期に主流だった教育思想のジェローム・ブルーナーの教育理論を支持する和田秀樹の学歴社会・受験競争・偏差値教育を第一として詰め込み教育を肯定する思想。
- アメリカ合衆国や大正時代に盛んだった作文や職業体験などの経験主義で個性を伸ばすジョン・デューイの教育理論を支持する寺脇研の公立学校での詰め込み教育を排除した教育改革として20世紀のアメリカ合衆国の新教育運動や大正時代の大正自由教育運動を模範とするゆとり教育という思想などがある。
- 小渕内閣の教育改革国民会議による教育を変える17の提案の発表や安倍内閣の教育再生会議や福田康夫内閣の教育再生懇談会が設置された。学校教育法・地方教育行政の組織及び運営に関する法律・社会教育法の改正が実施されるなど『教育改革3法案』が成立した。
- 新保守主義による国旗国歌法や教育基本法の改正などの愛国心を謳った教育が主張された。2001年(平成13年)に、新しい歴史教科書をつくる会が既存の社会科の教科書を左翼の自虐史観であると称して、それら左翼的自虐史観の教科書に反対する保守勢力が地理歴史科教科書・公民科教科書を執筆したが、中華人民共和国・大韓民国・朝日新聞などの左翼勢力の反対で教科用図書検定が妨害される歴史教科書問題が再びおきた。その後、日中歴史共同研究・日韓歴史共同研究なども模索された。
社会と大学教育
- 財界大企業では東京証券取引所上場企業の社長数1位が、昭和時代の東京大学出身者から慶應義塾大学出身者の三田閥となり、政界でも平成での出身大学別総理大臣で一番多いのは、6人を輩出した早稲田大学であるなど、東京大学の学閥は早稲田大学・慶應義塾大学の躍進で政界・財界のトップではなくなり、平成期に学歴的地位が低下した。
- 大学での女子学生へのセクシャルハラスメントの問題やアカデミックハラスメントが問題となる。貧困層の増加で大学進学が容易でない家庭や奨学金の返済がされない問題が発生をした。21世紀になり東京大学などで日本の大学で主流である従来の4月入学を全廃して、海外で主流である秋入学への全面移行をする教育改革が進んでいる。国際的な大学間の競争に対応して、学生の海外留学を促すことが理由である。大学生活の期間にボランティアなどの社会奉仕や徴農制の導入を推進する事も検討されている。
- 平成期になり日本政府の留学生受け入れ増加計画で中華人民共和国などアジアからの留学生が急増する。その反面、日本からの海外留学生数は団塊ジュニア世代が大学生だった1990年代がピークだった。2000年代にゆとり世代が大学生となりアメリカの大学や欧米諸国を中心に海外に留学する日本の若者が減少した。2012年(平成24年)に文部科学省は世界の大学が採用する共通の大学入学資格取得に必要な教育課程の国際バカロレア資格の国内認定校の拡大のために200高校に留学支援課程を設置する計画を立案した。英語の第二公用語化の議論や一部の学力が高い大学で講義の英語化が実施された。
- 平成期は大学進学率と大学院進学率が急上昇した。大学進学率が1989年(平成元年)の24.7%から2010年(平成22年)には50.2%となった。進学者は、約40万人から約60万人にまで増加した。短大進学者が4年制大学にシフトして短大進学率は1994年(平成6年)の13.2%をピークに減少して2010年(平成22年)には6%となった。修士課程の大学院進学率は急上昇して17%となり、2003年(平成15年度)に、専門職大学院の制度が作られ、法科大学院などが作られた。それに伴い、教育改革として学部をおくことなく大学院をおく大学(いわゆる大学院大学)の数も増加した。特に、大学への進学率、進学者増加は、分子(大卒の就職者数)がバブル期とほとんど変わらないのにもかかわらず、分母(大学卒業者数)が増えたため大卒の就職率(就職者数/卒業者数)が大幅に下がってしまった要因のひとつとなった。2012年(平成24年度)には、全国の法科大学院73校の入学生の統計で、86%に当たる63校で定員を下回るようになった。
- 予算や設備、人員を各学部ごとに集中させて教育の質を高め、優秀な人材を育成する狙いから、一つの国立大学法人の下で複数の大学の学部を集約して、具体例として大学Aは医学部と理工学部、大学Bは法学部と経済学部、大学Cは文学部に特化することなどを想定する文部科学省は、都道府県を超えて国立大学の学部の再編を進める方針を2012年(平成24年)に固めた。新しい大学教育制度として、一つの国立大学法人が複数の国立大を運営できるようにして、各大学にある類似する教育内容の学部を再編する計画ができた。
- 昭和時代(戦後期)に誕生した駅弁大学からさらに大衆化が進行して、平成時代(21世紀)になってコンビニ大学と呼ばれてコンビニ化した地方大学や私立大学が問題となっていたため、2012年(平成24年)に、田中真紀子文部科学大臣によって大学設置基準による大学認可問題がおきた。平成期になり大学の看護学科の新設ラッシュが発生して、平成初期から2010年代まで看護学科の増設が続いている。[23]
教育方法
- 杉並区立和田中学校の民間出身の校長となった藤原和博の教育方法として「よのなか科」「四季制」「夜スペ」が実践された。
- 脳科学者の茂木健一郎が注目されるようになり脳科学ブームがおきた。
- 七田眞によって右脳・左脳教育論が唱えられて脳機能局在論研究がおこなわれた。
- 陰山英男の百ます計算などの知識活動と教育方法学の実践がされた。
- 日本漢字能力検定などの検定やご当地検定や各種資格がブームとなった。
- インド数学として「インド式計算」方法による九九ブームがおきた。
- 記憶術がブームとなり、速読術や速聴などの能力トレーニングが盛んになり脳を活性化するビジネスが誕生するなど、脳を鍛える事を目的とする知識活動が実践された。
新しいタイプの学部・学校と通信教育の充実
- 漫画の人気が上昇して、2006年(平成18年)に京都精華大学ではマンガ学部が設立された。
- 早稲田大学第二文学部など夜学が廃止される一方で、早稲田大学人間科学部にeスクール(通信教育)などのインターネットスクールやインターネット大学が設置される。1989年(平成元年)に夜間大学院が設置される。日本大学の瀬在幸安総長によって日本大学通信教育部にメディア授業が新設された。小泉内閣によって構造改革特別区域において「株式会社立大学」の設置が認められて、ソフトバンクの子会社が運営する株式会社(学校設置会社)が設置するサイバー大学が新設された。エリート育成するための学校を作る動きが盛り上がり、トヨタ自動車・JR東海などの中部地方の有力企業が中心となって私立学校の海陽中等教育学校が設立された。
世相
- 1987年(昭和62年)に開始された第一生命のサラリーマン川柳、1987年(昭和62年)に開始された東洋大学の現代学生百人一首、1984年(昭和59年)に開始されたユーキャンの新語・流行語大賞の他に1990年(平成2年)に開始された住友生命の創作四字熟語、1995年(平成7年)に財団法人日本漢字能力検定協会の今年の漢字が開始された。
学術研究史
- 世界的に環境技術の開発に重点が置かれ、日本の企業や研究機関、日本人研究者の貢献は大きい。再生可能エネルギー、燃料電池、低公害車(ハイブリッドカーなど)、リサイクル技術など。
- 日本が研究開発をリードしている分野の一つに、材料工学がある。1991年(平成3年)、NECの飯島澄男によるカーボンナノチューブの発見後、ナノテクノロジーに関する知見の蓄積は飛躍的に進んだ。
- 日本が世界的にリードしているもう一つの分野に、ロボット工学の研究がある。産業用だけでなく、家庭用ロボットや医療用ロボットなどへの応用も進展。
- 将来的な広範な応用を目指して再生医療技術の研究が進められている。特に2006年(平成18年)、京都大学の山中伸弥らのグループによる人工多能性幹細胞(iPS細胞)の発見は大きな反響を呼んだ。2014年(平成26年)頃に理化学研究所が刺激惹起性多能性獲得細胞の研究を進めて、STAP細胞と命名した。
- 1990年 (平成2年)に森重文が国際数学者会議フィールズ賞を受賞。
- 1992年(平成4年)に木村資生(中立進化説を提唱)が、日本人で唯一のダーウィンメダルを受賞。
- 2000年(平成12年)、考古学研究家の藤村新一による旧石器捏造事件が発覚。考古学の遺跡・遺物・遺構・層位研究の信用性が揺らぐ。
- 2002年(平成14年)に小柴昌俊が、天体物理学の特に宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献でノーベル物理学賞を受賞した。
- 2008年(平成20年)に益川敏英が、小林・益川理論とCP対称性の破れの起源の発見による素粒子物理学への貢献でノーベル物理学賞を受賞する。
- 2008年(平成20年)に南部陽一郎が、素粒子物理学における自発的対称性の破れの発見でノーベル物理学賞を受賞する。
- 2000年(平成12年)に白川英樹が、導電性高分子の発見と発展でノーベル化学賞を受賞する。
- 2001年(平成13年)に 野依良治が、キラル触媒による不斉反応の研究でノーベル化学賞を受賞する。
- 2002年(平成14年)に田中耕一が、生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発でノーベル化学賞を受賞する。
- 2008年(平成20年)に下村脩が、緑色蛍光タンパク質(GFP)の発見と生命科学への貢献でノーベル化学賞を受賞する。
- 2010年(平成22年)に鈴木章が、クロスカップリングの開発でノーベル化学賞を受賞する。
- 2010年(平成22年)に 根岸英一が、クロスカップリングの開発でノーベル化学賞を受賞する。
- 2012年(平成24年)に山中伸弥が、成熟した細胞に対してリプログラミングにより多能性(分化万能性)を持たせられることを発見した事でノーベル生理学・医学賞を受賞する。
- スーパーコンピューター分野では京など複数の日本のスーパーコンピュータが、計算性能を競う「TOP500」のランキングで1位を獲得した。
PISAショック
- 2000年(平成12年)以後に、PISA(OECD生徒の学習到達度調査)と呼ばれる学力調査が行われ、これは、OECDが求める学力を調べる学力調査でPISAショックと呼ばれた。
世界史
昭和天皇の崩御の年である1989年(平成元年)にベルリンの壁の崩壊が起こり、同年12月に米ソによるマルタ会談があり冷戦が終結した。 1991年(平成3年)にソビエト社会主義共和国連邦は、領土を構成していた共和国の全てが独立し、崩壊・消滅した。こうして、それまでクレムリンやホワイトハウスに抑圧されて来た国々では、民族・宗教紛争が勃発した。ソビエト連邦の崩壊・消滅後は、アメリカ合衆国が唯一の超大国となって絶対的な力を揮うアメリカ一極体制となり、旧東側諸国が西側経済に統合され、特に1991年(平成3年)から2000年(平成12年)までの間、世界は「アメリカナイゼーション」「グローバリゼーション」と呼ばれるグローバル資本主義に巻き込まれた。
一方で、欧州連合(EU)、中国、ロシア、ラテンアメリカなどが、アメリカ一極体制を牽制する動きを見せている。この動きは、2001年(平成13年)のアメリカ同時多発テロ事件以後に顕著となった。
国連創設60周年に当たる2005年(平成17年)には、敵国条項の削除と国連安全保障理事会の常任理事国入りを目指し、グループ4(日本、ドイツ、インド、ブラジル)を結成したが、中国、韓国、さらにはアメリカなどの反対にあって挫折した。2011年(平成23年)には、アラブの春によってチュニジアやエジプトで民主化がおき、周辺国で民主化のデモが起きる。
国際関係史
アメリカとの関係
日本は、冷戦時代と同じく日米関係を外交の基軸として、湾岸戦争やイラク戦争に協力した。冷戦後、政治・経済・社会のシステムが根こそぎアメリカ型に変わった。詳しくは経済史を参照
沖縄米兵少女暴行事件が1995年(平成7年)に発生して普天間基地移設問題が起き、2009年(平成21年)には民主党政権のはっきりしない外交政策と安全保障政策によって辺野古に移す案が問題化して、2012年(平成24年)にはオスプレイの配備が問題となっている。
アジアとの関係
海外ではアジア諸国、中国・インド・タイ・マレーシアなどに急速な経済発展が見られ、それに伴って日本との経済関係も、これまで以上に緊密になった。
- 中華人民共和国との関係
- 北京オリンピックと上海万博を開催して、「四つの近代化」を進めてきた中国は急速に経済的存在感を強め、日中関係は「政冷経熱」と呼ばれるように緊密化した(日本の最大の貿易相手国は中国である)。それとともに、ガス田開発、尖閣諸島などの領土を巡る尖閣諸島問題などで日本との摩擦が表面化している。また、中国は天安門事件で国際社会から制裁を受けた1989年(平成元年)以降、年々軍備増強を強力に推し進めており、日本にとって脅威になっていると言われている(中国脅威論)。
- 大韓民国との関係
- 大韓民国は民主化が進み、1993年(平成5年)には朴正煕政権以来32年間続いていた軍事政権は消滅して、金泳三による文民政権に移行した。しかし、「反日カード」を外交問題・内政問題に利用するスタンスは軍部政権時代と変わらず、金泳三は日本海呼称問題や朝鮮総督府庁舎の取り壊しや竹島の実行支配など歴史問題で中国と連携して強硬な反日キャンペーンを行った。続いて1998年(平成10年)に発足した金大中政権は日本文化の受容や日本との関係改善に取り組み、平成14年の2002 FIFAワールドカップの日韓共催、マスコミが主導した韓流ブームや韓国料理(Kフード)の人気や宣伝など文化面では友好ムードが高まった。しかし、政治面では竹島の領有権問題の表面化や、小泉純一郎首相の靖国神社参拝により、日韓関係は冷えた。2003年(平成15年)からの盧武鉉時代には、近隣諸国に対し強硬な外交姿勢を示すことが多くなり、日本だけでなく中国・米国との摩擦も高まった。2008年(平成20年)に李明博政権が発足した。李明博大統領は大阪府出身の<月山明博>と云う日本名があった在日韓国人で当初は親日の韓国大統領と見られていたが、2012年(平成24年)8月10日に韓国の歴代大統領として初めての竹島訪問による領土問題の激化や天皇に対する謝罪要求があり日韓関係が悪化した。2005年(平成17年)に日本の島根県議会で竹島の日条例が可決されて毎年2月22日が記念日となった。2010年(平成22年)8月10日に管内閣によって管談話が発表された。初の韓国女性大統領となった朴槿恵は中華人民共和国との関係を最重要視して、慰安婦像をアメリカ合衆国に設置するなど従軍慰安婦問題で日本を追及している。
- 朝鮮民主主義人民共和国との関係
- 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との間で日本人拉致問題、核開発問題が深刻化している。日本政府は拉致問題を解決するために、経済制裁を可能とする法整備を進め、ミサイル発射訓練を機に制裁を発令した。
- 東南アジア諸国との関係
- この他の東南アジア諸国でも自国の経済発展や華僑の人口増加、中国の経済発展に伴って、日本を先頭とした雁行型経済に代表されてきた伝統的な対日依存を見直し、新たな経済大国として浮上した中国や、EUなど他地域との関係を強化する事で、経済の多極化を図る動きがある。
- なお、東南アジアにおいては東南アジア諸国連合(ASEAN)が結成され、東南アジア諸国は共同体形成を模索している。
- アジア全体との関係
- 東アジア共同体、およびアジア共同体構想が浮上している。これはEUのアジア版であり、ASEANや日中韓などの各国が共同して立ち上げた大戦略だが、ASEANや日中韓といった地域には人種、宗教、言語、文化、経済力といった地域統合を促す要素に共通性が希薄で、また共同体の主導権を巡って日中が激しく争う向きがあるものの、アジア諸国が日中の二者択一を望んでいないといった理由などで、構想自体が空中瓦解するだろうという見方も少なくない。
文化史
この時期の文化は1980年代(昭和末期)からの継続という色が濃い。
1960年代生まれ(新人類)の青壮年の間で、ハイレグ水着や、真っ赤な口紅にソバージュやトサカヘアー、太眉にボディコンという押しの強いファッションが流行した。食の本格志向が強まり、イタリア料理やエスニック料理が定着し、消費の多様化とブランド志向の高消費文化を築いた。東京ラブストーリー』『101回目のプロポーズ』などトレンディドラマの最盛期であり、当時の人気俳優を起用したドラマは軒並み高視聴率を叩き出した。音楽業界ではバンドブーム・ビーイング系の最盛期。バブル景気時代の風俗の代名詞として知られる「ジュリアナ東京」が営業していた時期は、バブル崩壊期に当たる1991年(平成3年)から1994年(平成6年)であり、当時既に時代の最先端から半歩遅れていたディスコであった。情報化社会の到来も叫ばれ、パソコン通信やポケベルが最も普及したのもこの頃である。
バブル崩壊後の不況の長期化により「右肩上がりの時代」は完全に終わり、デフレ時代が到来し、日本の風俗は大きな転機を迎えた。
ファッションの多様化が起こり、1970年代後半 - 1980年代前半生まれ(ポスト団塊ジュニア)の青少年の間で、アムラー・裏原宿系・B系・渋谷系などのファッションが流行した。バブル景気時代の流行から一転して細眉が流行し、茶髪が定着した。中高生が一気にファッションの中心の一部として認知され、コギャルが風俗として注目された。コミュニケーション手段としてはPHSを含む携帯電話、インターネットが爆発的に普及。Windows 95の発売を機に、安価になったパーソナルコンピュータが多くの家庭に浸透していった。1994年(平成6年)末には『週刊少年ジャンプ』が653万部の歴代最高部数を達成し、1995年(平成7年)頃には日本の漫画の売り上げがピークに達した。音楽業界ではビーイング系(ビーイングブーム)・小室系・ヴィジュアル系の最盛期で、1998年(平成10年)頃にはCDセールスがピークとなった。
外需主導により実感のない「景気回復」が続いていた時期。この時期も、大半の被雇用者の賃金は下落傾向にあり、「格差社会」が流行語となった。
パソコンや携帯電話は2000年代に入るとほとんどの国民に普及し、インターネットの利用が一般化した。ブログ・SNS・動画投稿サイトなど、個人が発信者となるネットサービスが新たな媒体として普及していった。いわゆる「構造改革」により福祉や公共事業の抑制、市町村合併などの緊縮的政策が実施され、大都市圏以外の地方の経済の疲弊が進んだ。行政による福祉サービスの縮小に伴い、漫画喫茶やインターネットカフェが、低所得者向けビジネスとしての機能を果たすようになった。雑誌や漫画を始めとする出版物の発行部数が減少(出版不況)したが、発行点数はむしろ増加している。iPodが爆発的な売上げを記録し、音楽のインターネット配信がそれまでのパッケージ媒体(CD)を置き換えていった。一部ではテレビ離れも囁かれ始め、メディア業界の不振が目立つようになった。映画では、テレビ局制作作品を初めとした邦画が洋画を上回る興行成績を上げるようになり、日本映画の復活が注目を集めた。1980年代生まれの青年層では、秋葉系やおたく文化の浸透が進み、メイド喫茶やフィギュアに代表される、「萌え」をめぐる社会現象が盛んに取り上げられた。戦中生まれ世代(焼け跡世代)や団塊世代などの中高年層では、1950年代-1960年代の高度経済成長時代を懐古する風潮も広がった。また、世界的な健康指向の定着により、たばこ離れやアルコール離れと言われる現象が日本でも顕著になった。ファッションでは、環境省主導で官公庁を中心にクール・ビズファッションが広まり、節電指向の広まりから民間企業でもしだいに定着した。若者のファッションは著しく多様化し、世代全体に広がるようなファッションの流行はもはや見られなくなった。
アメリカのサブプライムローンに始まる恐慌が世界を覆い(世界同時不況)、少子高齢化や貧困層の増大が進む日本の風俗にも深い影を落としている。
製造業が軒並み経営悪化し、撤退・廃業・海外移転が相次いだ。基幹産業たる製造業を失った地方経済の疲弊は著しく、地方商店街は軒並みシャッター通りと化した。公共事業に頼らない地域振興を狙った地域おこし事業が模索されるようになり、ご当地グルメやゆるキャラが取り上げられ、人気を集めるようになった。インターネット配信やウェブアプリケーション、ネット通販などによる、従来の様々な媒体やサービスの置き換えが進んだ。TwitterやYouTube、ニコニコ動画などの新しいソーシャルメディアが急激に成長し、文化・政治・社会の各方面に大きな影響を及ぼしつつある。雑誌の休廃刊が相次ぎ、新聞・広告業界は深刻な不振に陥り、社員に希望退職を募る出版社や新聞社が続出した。音楽では、嗜好の個別化がさらに進み、レコード会社の影響力はすっかり低下。新曲売上の落ち込みに伴いヒットチャートは一部アイドルグループやアニソン等に偏る傾向となり、過去のような流行歌が生み出されにくい環境になっている。アナログテレビ停波に伴いテレビ離れは若者から中高年にも及び、印刷媒体の出荷量は急激に落ちこみ、レジャー産業やメディア産業の縮小が著しい。一方で、携帯電話を対象にした各種サービスの成長は著しく、携帯電話からのインターネット利用がパソコンを上回った。大都市圏ではiPhoneをはじめとしたスマートフォンの普及も進み、書籍や雑誌のネット配信も本格化しはじめる。
- アベノミクス期(2013年(平成25年)以降)
世界同時不況からの回復期であるが、日本では富裕層とそうでない層の乖離、大都市圏と地方の格差拡大が一層進んでいる。
スマートフォンは大都市圏に限らず日本全国に普及し、携帯電話の主流となった。ネット文化では、若年層を中心に「LINE」などが広く普及し、コミュニケーションの形態を変えているが、リテラシーやモラル面での教育、啓蒙が追いついていない面が指摘されている。また、スマートフォンとタブレット端末の普及により、主だった新聞社や出版社、レコード会社はネット配信に一層力を入れるようになった。ネット通販があらゆる分野で一般的に利用されるようになったのに伴い、中小規模の書店などが経営悪化し、閉店に追い込まれる事態も起きている。コンテンツのネット配信が一般化したため、CDショップ、レンタルビデオ業界のマーケット縮小も著しくなっている。ファッションでは、資本力のある多国籍企業が展開するファストファッションが普及、衣料品の低価格化が進んだ。これに限らず小売業では価格競争やプライベートブランドの普及などにより、低価格化が進んでいる。これは可処分所得が低下している多くの日本国民のニーズに応えたものであるが、一方で貴金属類や高級マンション、その他高額なぜいたく品の売れ行きがかなり良くなったというマスメディアの報道がこの頃から多くなり、これがいわゆる「アベノミクス」効果であるともされている。だが、こうした喧騒とは裏腹に、生活保護受給世帯は増加の一途を辿っており、若者の雇用の不安定化(非正規雇用への置き換え)、労働環境の悪化も深刻化している[24]。国内消費もこの時期に行われた消費税増税の影響などで落ち込んでおり、AKB48のビジネスモデルなどに代表される出費の少ない、いわゆる「デフレカルチャー」が日本に浸透した。
宗教史・社会思想史
- 1995年(平成7年)にオウム真理教が関係した宗教団体によるテロ事件の松本サリン事件・地下鉄サリン事件が発生。[25]1993年(平成5年)の細川内閣、1999年(平成11年)の小渕内閣では創価学会を支持母体とする公明党が連立政権に参加した。[26]オウム真理教によってカルト宗教政党の真理党が1989年(平成元年)に結成されて、[27]新宗教団体が政治権力を持ち、2009年(平成21年)には幸福の科学によって幸福実現党が結成された。[28] 公明党の創価学会票が自由民主党候補の小選挙区制度による援護射撃の支援をして重要な支持層となった。[注 6]
- 黄文雄や渡部昇一が唱えた韓国併合後の朝鮮総督府によって、日本統治時代の朝鮮が植民地統治や投資によって朝鮮半島の近代化に大日本帝国が貢献した近代化論が誕生した。山野車輪が執筆した嫌韓流がブームとなる。小林よしのりが執筆した『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』の影響を受けたネット右翼の若者が急増した。平成20年代になって在日特権を許さない市民の会(在特会)など、「行動する保守」と言われる極右団体が、反韓デモを主催して、公然とヘイトスピーチを行うようになった。[29]。
- 経済思想では格差社会とグローバル資本主義を肯定する新自由主義・グローバリズム思想が支持を集める。一方、貧困層の急増により反新自由主義・反グローバリズム・プレカリアート・ローカリズムなどの運動も活発になっている。
- 昭和時代(戦前の大日本帝国期)に国家神道によって現人神であった昭和天皇が重体となり、1988年(昭和63年)の秋からの自粛騒動の間に、昭和から平成に改元された。元号法によって元号が平成と発表された1989年(昭和64年)1月7日から1日の猶予期間を設けて1989年(平成元年)1月8日になった1989年(平成元年)には、昭和天皇に対する殉死として、この時代まで生き残っていた元大日本帝国軍人たちや右翼関係者の自殺がみられた。
- 吉田清治の著書として出版された『私の戦争犯罪』の内容で、強制連行をしたとする吉田証言があった。平成初期にそれを発端とする従軍慰安婦問題が左翼によって問題化される。1992年(平成4年)に宮澤喜一総理大臣が日韓首脳会談で8回も謝罪をして、大韓民国に「真相究明」を約束する。
- 平成期は宗教の時代と呼ばれてこれらの新新宗教が、自分探しの若者たちを信者にして、一時的に台頭した。しかしオウム真理教が起こした事件が次々と明るみに出たこともあり、1996年(平成8年)以降はは新新宗教は退潮傾向である。霊友会は<インタートリップによる路線>を開始した。統一教会(世界基督教統一神霊協会)による日本の芸能人も参加した教祖が結婚相手を決める合同結婚式が注目されて霊感商法が問題化する。2012年(平成24年)9月3日に教祖の文鮮明が死去した。
- 以下が平成期に台頭した新新宗教である。
- 大日本帝国時代の不敬罪の意味などを知っている国体(天皇制)教育を受けた明治生まれや大正生まれ(大正世代)の大部分が死去した2000年代から、愛子内親王・眞子内親王・佳子内親王に特別な親しみを持っている昭和戦中生まれ世代・戦後生まれ世代を中心に女系天皇論や女性宮家の創設を唱えるものが現れ、男系天皇が男女平等や伝統の観点で議論となる。
- 明治生まれと大正生まれ(大正世代)に多かった尊皇主義者などの伝統的保守層が高齢化による死亡で減少する。戦後左翼となった明治生まれと大正生まれの日本社会党員や日本共産党員に加えて、昭和一桁(1926年(昭和元年生まれ)〜1934年(昭和9年生まれ))世代から~昭和10年代の戦中に生まれた焼け跡世代と戦後生まれの団塊の世代の左翼は多くは高齢化で死亡したり思想が転向して、グローバリズムと格差社会を肯定する新保守主義が都市部の中高年層に広がる。天皇に興味がない皇室無関心層・政治無関心層・無党派層が増加して、マスコミや国民の間で皇室の芸能人化が進む。コンピューターの発達などによって、元号使用者が減少して西暦使用者が増加する。
- 1955年(昭和30年)あたりから生涯に子供の産む数が平均で2人となり、子供が女子のみの家庭が急増した。その結果、墓や家の断絶が急増する。
- 人権問題や部落問題として、野中広務に対する麻生太郎の総理にしてはいけないとする部落差別発言や、公人で大阪府知事や大阪市長となった橋下徹の出自(江戸時代の穢多・非人身分の末裔で親族が暴力団関係者である事)や同和地区出身である事を否定するマスコミ(週刊新潮・週刊文春・週刊朝日)による部落差別報道などの人権侵害があった。
- 「大人」への社会通念が揺らぎ、新人類以降の成人は青年的な部分を多く引きずったまま加齢を続ける。就職氷河期世代の若者が安定した職につけず、親から自立できないことが社会問題となった。
- イスラム教の聖典のコーランを批判した「悪魔の詩」を翻訳した五十嵐一が過激なイスラム教徒に殺害される悪魔の詩訳者殺人事件がおきる。[31]
- 死者の葬儀は、個人の家や檀家である寺や自治会から、葬儀業者による葬儀が主流となる。葬儀の多様化の流れが進み、散骨などの自然葬が認められて、平成10年代以降は簡素な神式の葬儀が増加する。平成20年代には高齢層の間でエンディングノートや葬儀などの終活がブームとなる。[32]
- 日蓮正宗が1991年(平成3年)に創価学会を破門にする。[33]
- マインド・コントロールが流行語となる。
- 以下の非科学現象ブームがあった。
- サイババブーム[34]
- アガスティアの葉の個人の人生についての予言ブーム
- インド占星術ブーム
- 細木数子の六星占術ブーム[35]
- ホラーブーム
- 1973年(昭和48年)に五島勉が執筆したノストラダムスの大予言を発端とする1999年(平成11年)7の月に恐怖の大王が降ってきてアンゴルモアが蘇りマルスが幸福の内に支配するだろうのノストラダムスの人類滅亡の予言のノストラダムス現象やハルマゲドンブーム[36]
- 平成24年12月21日にマヤ文明の暦の終了を意味する2012年人類滅亡説が唱えられた。
- 1994年(平成6年)に四月会が結成されて、創価学会を批判する団体が誕生して、公明党が解党されて新進党に合流をする。平成初期にオウム真理教によって、上九一色村にサティアンが建設された。オウム真理教の幹部で「科学技術省大臣」と称された村井秀夫が殺された村井秀夫刺殺事件があり、麻原彰晃が警察に逮捕され、死刑判決を受ける。その他複数のオウム真理教が関連した事件でオウムの幹部が死刑などの重い判決を受ける。
- 1995年(平成7年)に フランスがカルト対策の引き金となる議会報告書「フランスにおけるセクト」を提出。日蓮正宗・創価学会をはじめとしたフランスに拠点を置く宗教団体が全てセクト対象となった。
- キリスト教世界(カトリック)では、平成期にローマ教皇が2度代わり3代のローマ教皇が在位して、コンクラーヴェが2度開催される。ヨハネ・パウロ2世が2005年(平成17年)に死去した。後継を選出するコンクラーヴェが開催されて高齢のラッツィンガー枢機卿がベネディクト16世としてローマ教皇となり、ツイッターなどの発信を試みて(2005年(平成17年)-2013年(平成25年))まで在位したが、高齢を理由に引退した。2013年(平成25年)に初のイエズス会(修道会)所属で南米(アルゼンチン)出身のベルゴリオ枢機卿がフランシスコとしてローマ教皇となった。
- 公安審査委員会は、公安調査庁長官が破壊活動防止法の請求を棄却する決定を下した。オウム真理教は「アレフ」に名称を変更した。2007年(平成19年)に旧オウム真理教はアレフと上祐史浩が独立して新しく設立した宗教団体のひかりの輪に分裂した。法の華三法行の不法な資金集め事件があり、教祖の福永法源が逮捕された。
- 1997年(平成9年)に酒鬼薔薇聖斗を名乗る少年により神戸連続児童殺傷事件が起きて、少年犯罪や成人後も秋葉原通り魔事件を犯した彼らの世代(昭和57年度生まれの酒鬼薔薇世代)の宗教観・倫理観・哲学・人生観が注目される。[37]
- 2000年(平成12年)前後には、キレるという言葉が流行し始めた。さらに、そのころ17歳前後(1982年〔昭和57年〕生まれを中心に1985年〔昭和60年〕生まれ)までの世代が凶悪犯罪を起こしたことから「キレる17歳」と称された。
- 2001年(平成13年)、フランス下院のセクト調査委員会によって、創価学会がカルト宗教の指定を受ける。森喜朗首相による神の国発言があった。[38]9・11テロ事件があり、キリスト教対イスラム教の構図でアメリカ合衆国による対テロ戦争が始まった。
- 2011年(平成23年)には、アラブの春による民主化ドミノがおきて、国際テロ組織アル・カーイダの最高指導者であるウサーマ・ビン・ラーディンの死があった。
- 日本の総理大臣の靖国神社の参拝問題(靖国神社問題)が中華人民共和国・大韓民国・朝日新聞など日本の左翼によって問題化される。謎の白装束集団のパナウェーブ研究所が注目される。[39]
- 江原啓之が出演するテレビ番組のオーラの泉が放送されて、スピリチュアルブームがあった。摂理による、日本の大学での、勧誘活動があり、韓国人男性による日本人女性へのレイプ宗教が誕生した。東京都の中年占い師が一夫多妻の生活を送る東大和市一夫多妻男事件があり、占いによる洗脳で一夫多妻の宗教になって注目される。
- 21世紀になり男女思想として草食系男子という概念が誕生した。
- 血液型分類論が盛んになり、「O(A、B、O、AB)型の自分の説明書」の4冊すべての本が2008年(平成20年)の年間ベストセラーだった。
- 主にネット上で世代区分論が盛んになり団塊の世代、バブル世代、団塊ジュニア、氷河期世代、ゆとり世代などの世代が認知されるようになった。その他にも、スポーツで有名な選手の世代や優秀な選手が集まる世代に対しても松坂世代、マー君・佑ちゃん世代、黄金世代、プラチナ世代などと世代で呼ばれるようになった。
- オセロの中島知子が洗脳被害にあうなど占いがビジネスとなり占い師による洗脳などの悪徳商法や詐欺や霊能者による霊感商法が問題となる。
社会問題
高齢化の進行と生活保護問題・年金問題
- 消費税が導入された理念からゴールドプラン(高齢者保健福祉推進十カ年計画)が策定されて、介護サービスを拡充した。少子高齢化によって年金問題が生じて、年金問題が2004年(平成16年)の第20回参議院議員通常選挙以降に議論され、年金は削減され、1941年(昭和16年度)生まれ以降は受給年齢が先延ばしされた。女性では戦後生まれの1946年(昭和21年度生まれ)以降が先延ばしの対象となる。しかし、若者を中心に非正規雇用の比率は、2005年(平成17年)に25歳 - 34歳は、男性約15%、女性約40%が非正規雇用による不安定労働(プレカリアート)が増加し、若者の所得低下で年金未納が増加して、社会保障制度の存続が危ぶまれている。2012年(平成24年)に、AIJ投資顧問の金融商品取引法違反事件が発覚する。
- 生活保護法と日本国憲法の社会権の条文である日本国憲法第25条の精神で生活保護制度があるが、格差社会による貧困層の増加や不況による失業者の増加や生活保護の不正受給や生活保護ビジネスなどの生活保護問題が社会問題となった。
- 2000年代、BB層(貧乏ばあさん)が昭和一桁世代の女性から急増した。厚生年金の分割問題で熟年離婚が急増する。
- 認知症の高齢者が2012年(平成24年)の時点で300万人を超えた。2002年(平成14年)時点の149万人から10年間で倍増した[40]。65歳以上の1割が認知症患者となった[41]。
- 2012年(平成24年)9月の敬老の日に関連する総務省の推計で団塊の世代が高齢化した影響で65歳以上が初めて3000万人を突破して3074万人になり、日本の総人口の24.1%に達した[42]。
平成の少子化問題
- 1989年(平成元年)に合計特殊出生率が1.57人となり、1966年(昭和41年)の丙午の1.58人をも下回ったため「1.57ショック」として社会的関心を集めた。平成期になり、出生率低下が続き、1992年(平成4年)度の国民生活白書で少子化という言葉が使用されて、少子高齢化が国民に知られるようになった。1995年(平成7年)に生産年齢人口(15歳 - 64歳)が最高値(8717万人)となり、1996年(平成8年)から生産年齢人口が減少過程に入った。1997年(平成9年)には少子社会となった。
- 2003年(平成15年)には年間出生数が112万人まで減少した。2005年(平成17年)の出生数は106万2530人であり、合計特殊出生率は1.26人と過去最低となり総人口の減少が始まった。その後は合計特殊出生率が上昇して、2010年(平成22年)に合計特殊出生率は1.39人となった。しかし、出生数は微増なのでこれからも日本人の人口の減少は止まらないと予測されている。
- 働く女性の保育所の待機児童の問題や、児童虐待事件の一覧があったように児童福祉法や児童虐待の防止等に関する法律が制定されて児童虐待が問題となる。
医療問題・福祉問題
- 平成生まれの子供たちの間で卵・小麦・牛乳などの食物アレルギーで急性反応のアナフィラキシーショックで死亡する例があるなど食物アレルギーを持つ子供[43]が急増して学校給食のアレルギー対策の必要がある安全性の問題が誕生した[44]。
- 2005年(平成17年)にWTOのたばこの規制に関する世界保健機関枠組条約に加盟して、平成期には若年層を中心に男性の喫煙率と全体の喫煙率が低下したが、若い女性を中心に女性の喫煙率が上昇して、未成年者の喫煙や受動喫煙が問題となる。
- 世界一だった日本人女性の平均寿命や日本人男性や沖縄県の男性の平均寿命が、21世紀になって自殺の急増や食生活の変化で1位から転落して、平均寿命が悪化するなどの変化があった。
- 日本脳炎の子どもへのワクチン接種の副作用問題がおきる。
- 妊婦の血液で胎児がダウン症かどうか診断する出生前診断があり、羊水検査や母体血清マーカーや新型出生前診断の是非が議論となる。[45]
- 水産庁は国民1人が1日当たりに食べる魚介類の量が若年層を中心に10年間で20%以上減少するなどの魚離れ対策として、魚を手軽に食べられるように骨抜きにするなどの工夫をした加工食品を、ファストフードを参考にして<ファストフィッシュ>としてロゴマークを付けて普及させる事とした。[46]
- 東日本大震災以降に、マイコプラズマ肺炎の流行が問題となる。
- 禁治産者制度に代わり、知的障害者や認知症など責任能力がない弱者の財産を管理する成年後見人制度が、2000年(平成12年)に導入される。[47]
- 1997年(平成9年)に臓器移植法案(臓器の移植に関する法律)が成立して脳死についての議論がおきる。2010年(平成22年)7月17日に15歳未満からの臓器提供を可能にした改正臓器移植法が施行された。尊厳死や延命治療の是非も問題となる。
- 2005年(平成17年)に障害者自立支援法が成立して、障害者雇用促進法が遵守されていない障害者の雇用問題と障害者福祉が課題となった。2011年(平成23年)に障害者虐待の防止、障害者の養護者に対する支援等に関する法律が成立して、2012年(平成24年)10月1日に施行された。
- 平成20年代に脱法ハーブによる事件や事故や健康への影響が問題となった。
- 代理出産や非配偶者間人工授精(AID)の精子ドナーや卵子ドナーなど不妊治療の是非が議論となった。
- 日本人労働者の不足からEPA(経済連携協定)を締結したインドネシア・フィリピン・ベトナムなどの女性外国人労働者の受け入れが推進されたが、介護福祉士を目指す国家資格試験の日本語能力が障害となって、不合格問題と帰国問題がおきる。[48]
- 精神医療では2004年(平成16年)に発達障害者支援法が成立してアスペルガー症候群が認知されるようになった。精神分裂病が偏見をなくすために2002年(平成14年)8月に、日本精神神経学会の決議により統合失調症に病名が変更された。依存症の問題では、若者を中心とするインターネット依存症や、男性が主体となっているギャンブル依存症が社会問題となる。
- 胃瘻などの延命治療や安楽死の是非が問題となる。
- 山本孝史参議院議員などの呼びかけによって自殺対策基本法や癌対策基本法が成立する。
- 1990年代、性行為で感染する感染症のエイズが日本に上陸してエイズ患者が増加して、輸血による薬害エイズ事件が発生した。
- フィブリノゲン問題と呼ばれるC型肝炎ウイルス(HCV)に汚染された血液製剤フィブリノゲンを原因とするB型肝炎ウイルスやC型肝炎ウイルスに感染する薬害肝炎問題があり、さらに血友病患者が感染した前述の薬害エイズ事件も発生して訴訟がおきた。
- 妊娠中に母子感染すると危険なトキソプラズマ症やサイトメガロウイルスが問題となる。不妊症の夫婦が急増して不妊治療費の公的助成が推進されて、不育症患者の治療が2012年(平成24年)から公的保険の適用となる。子宮癌や乳がんが認知されて検診が進めれたが、産婦人科での女性患者へのドクターハラスメントや女性患者の裸を盗撮する男性医師が問題となる。
- 家畜に感染する牛海綿状脳症や人に感染する伝達性海綿状脳症が問題となる。
- 2002年(平成14年)に、皇族の高円宮憲仁親王が激しい運動中に心室細動を原因とする心不全で薨去した影響から2004年(平成16年)に一般人による除細動のための自動体外式除細動器(AED)の使用が認められ広く普及した。
- ポリオなどの予防接種によるワクチン問題として、ワクチンの予防接種の義務化や生ワクチンと不活化ワクチンの導入や副作用の問題が発生した。
- 2003年(平成15年)に感染症のSARSが世界的に流行する。新型インフルエンザの流行問題として、平成21年に日本における2009年新型インフルエンザと2009年新型インフルエンザの世界的流行があり、H5N1亜型やトリインフルエンザが発生する危険性が問題となった。
- 2012年(平成24年)に乳幼児を中心に肺炎になるRSウィルスが流行する[49]。
- 過酷な労働時間から勤務医不足の問題と勤務医より開業医が報酬と労働時間が優遇されている格差の問題が発生した。都市の医療機関より地方の医療機関の方が医師数が少ない医療格差の問題と産婦人科医と外科医が減少する問題が発生をした。
- 内臓脂肪型肥満(内臓肥満・腹部肥満)に高血糖・高血圧・脂質異常症のうち2つ以上を合併した状態を指すメタボリックシンドロームという概念が広まり医師による健康診断が行われるようになった(メタボ問題)。ヘルシーメニューのタニタ社員食堂が注目された[50]。
- 医療費無料化が少子高齢化で老人医療費無料化から子どもの医療費無料化にシフトした。
- 生活保護者の急増や、生活保護者の不正受給が問題となった。
- 外科などでの手術での医療事故が問題となる。
- 歯医者の数が急増して、歯医者の供給が過剰となり、歯医者の年収が大幅に低下した。歯学部は不人気となり、歯医者の価値が低下した。薬学部が4年制から6年制となった。
- 1996年(平成8年)にO抗原が157番の大腸菌で特に腸管出血性大腸菌のO157が話題となり、その後はノロウイルスによる食中毒事件が医療問題となった[51]。
- 救急車の出動などで発生する救急医療が問題となる。緊急事態や重度患者以外の軽症患者や無関係の通報で日本の救急車を出動させる迷惑行為である119番通報や、1991年(平成3年)4月23日に救急救命士法が制定されて、救急車内の救急救命士が制度化された。
- 認知症やアルツハイマー病などの痴呆老人が急増して問題となり、高齢化対策が必要となった。
- 2002年(平成14年)に医療改革で 健康保険の本人の医療費の3割負担が導入された。
- 2009年(平成21年)にハンセン病問題の解決の促進に関する法律が施行されて日本のハンセン病問題が解決した。
- 2011年(平成23年)4月27日に、焼肉酒家えびすでユッケなどを食べた客の病原性大腸菌「O111」による食中毒事件が発生して、厚生労働省は生レバーの飲食店での客への提供を全面禁止にする方針を決定した。
- 産科医不足や婦人科医や小児科医が不足する問題がおきた。
- 女性の更年期障害が注目された。
- 平成20年代に薬事法違反ではない脱法ハーブや脱法ドラッグが問題となる。国家が認定した健康食品のトクホ(特定保健用食品)や、それを信じるフードファディズムが話題となる。医師の南雲吉則が実践して唱えた若返り長寿になる食生活として1日夕食1食による粗食と断食による健康方法がブームとなる。
- 2012年(平成24年)に印刷会社の元従業員などが胆管癌を相次いで発症している事が問題となり、厚生労働省が原因の化学物質の調査に乗り出す。
- 2012年(平成24年)に予防接種を受けなかった30代男性を中心に配偶者の妊婦に感染すると胎児の発育や健康が危険となる風疹が流行する。
- 平成20年代から、医療費(社会保障費)抑制のため厚生労働省によって後発医薬品(ジェネリック薬品)の普及が進められるようになったテンプレート:Sfn[52]。
- 平成20年代にSFTSウイルス(重症熱性血小板減少症候群ウイルス)で日本でも死者が出た[53][54]。
環境問題
- 主な出来事
- 1993年(平成5年)11月19日に環境基本法が制定される。公害対策専門の公害対策基本法と自然環境対策専門の自然環境保全法を統合して総合的な環境問題に対応するために制定された。
- 1997年(平成9年)6月13日に環境影響評価法が制定される。また、同年12月 に 京都市で第3回気候変動枠組条約締約国会議が開催されて京都議定書が採択される。
- 1998年(平成12年)10月9日に地球温暖化対策の推進に関する法律が制定される。
- 2000年(平成12年)6月2日に循環型社会形成推進基本法が制定される。
- 2001年(平成13年)1月6日の中央省庁再編で環境庁が改組されて環境省が設置される。
- 2002年(平成14年)7月12日に鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律が制定される。
- 2002年(平成14年)12月11日に自然再生推進法が制定される。
- 2003年(平成15年)に最後の日本産のトキの「キン」が死亡して、生存しているのは中国産のトキの子孫のみとなり日本でも佐渡島で人工繁殖が行われている。
- 2008年(平成20年)5月28日に生物多様性基本法が成立する。
- 2011年(平成23年)に、小笠原諸島が第35回世界遺産委員会(パリ)で世界遺産リストに登録された。
- 2013年(平成25年)に、昭和期に水銀中毒の水俣病が発生した熊本県水俣市の都市名水俣を名称とした水俣条約が国際連合環境計画で採択された国際条約で締結される事となった。
- 社会問題化した環境関連の事柄
- 1990年代にダイオキシンによる環境ホルモンが問題となる。
- 2000年代に温室効果ガスによる地球温暖化が国際問題となる。建設業など石綿作業者を中心にアスベスト吸引によるアスベスト問題が注目された。
- 2010年代に2011年(平成23年)に発生した福島第一原発事故による放射性物質の拡散の影響で、放射能汚染問題となり放射能汚染対策がとられて、岩手県・宮城県・福島県で処理できない東日本大震災で発生した瓦礫の広域処理問題が注目されて、福島県民への差別や風評被害や避難住民の問題が起きる。
- 中華人民共和国で環境破壊が深刻化し、特に2010年代に入ってから様々な問題が露呈している。日本では平成期になり三重県四日市市の四日市ぜんそくや首都圏の光化学スモッグなどの大気汚染による公害病被害が沈静化したが、中国の北京市で北京咳が発生して、自動車の排気ガスや工場から排出される汚染物質によって大気汚染が深刻化してPM25(浮遊粒子状物質)が日本列島に飛来した。酸性雨や中国由来の海洋汚染の問題、内モンゴルの砂漠化で黄砂に含まれる汚染物質の日本列島への飛来が増大するなどが、日本を含む東アジア・東南アジアの周辺各国の環境にも影響を及ぼしている。
- その他
- レッドリストやレッドデータブックを作成して、絶滅危惧種の野生動物の保護を行う必要がある環境問題がある。
- シーシェパードによる日本の捕鯨活動に対する抗議など捕鯨問題で日本が欧米から非難される。
- 2000年代半ば以降、環境省が中心となって環境対策などを目的とした衣服の軽装化キャンペーンのクール・ビズ(COOL BIZ)を推進した。
- 2000年代後半以降、エコカー減税・エコポイントなどのエコ商品がヒットする。
- 地球温暖化に対する懐疑論をはじめとする環境問題に対する懐疑論(主に武田邦彦、池田清彦、養老孟司など専門外の学者によるもの)がマスメディアで取り上げられ、環境保護への積極的な取り組みを主張する専門家との激しい論争が行われる。
女性史
平成以前の女性史
- 明治生まれ・大正生まれ(大正世代)の女性は大日本帝国時代の家制度の下、団塊の世代が誕生した第一次ベビーブームまで多産であり、平均子供数は4人 - 6人の多産であった。戦後になって多産多死から少産少死になる人口転換がおきて、過剰となった日本の総人口を抑制するために優生保護法が成立して人工妊娠中絶が合法化された事と、高等学校(高校全入化)・大学(大学の大衆化)などの高等教育の進学率が上昇する高学歴化(学歴社会が成立した事)によって子供にかける塾や私立学校などに支払う教育費が増大した事を背景にして、新人類世代が誕生した昭和30年代には平均子供数が2人になり、平凡なライフスタイルとして一般的に男性がサラリーマンに、一般的な女性が専業主婦になる社会が成立した。
- その後、1972年(昭和47年)に勤労婦人福祉法が成立した。同法が発展的に改正されて、1986年(昭和61年)に男女雇用機会均等法が成立した。以上の法律による女性差別撤廃によって、昭和60年代には女性の社会進出が起こり始めた。
女性と結婚と子どもの問題
- ポスト団塊世代から新人類世代において、女性の社会進出と非婚化、若年男性の経済的貧困化が進んだ事が理由で、出生率は1.5人以下の過去最低を更新し続けた。団塊ジュニア世代以降は、専業主婦志向が強まりだすが、不景気の中で専業主婦になることは非常に難しく、男性も専業主婦の妻を抱えることは歓迎せず、なりたくてもなれないという現実に直面している。[55]。2006年(平成18年)以降出生率は増加に転じたが、若年の女性の人口が減っているために出生数はあまり増えていない。
- 少子化特命担当大臣が設置される。
- 厚生労働省の2011年(平成23年)の人口動態統計(概数)の発表では、第1子出産時の母親の平均年齢は30.1歳と、初めて初産年齢が30歳を超えた。
- 結婚の時期が20歳前後から30代後半と長期に亘って分散する傾向になり、適齢期という概念は薄くなった。
- 2000年(平成12年)にミレニアム結婚(ミレニアム婚)が増加した事と、ミレニアムベビーの(濱田龍臣など)が誕生した。2001年(平成13年)に新世紀ベビーの(敬宮愛子内親王など)が誕生して、20世紀と21世紀の境界であるこの2年間に、小規模な結婚ブームとベビーブームがあった。
- 総務省の国際結婚の統計では、 中国人女性(婚姻数は約7000件〜約13000件)韓国人女性(婚姻数は約5000件~約8000件)フィリピン人女性(婚姻数は約7000件~約13000件)など主にアジア人女性と日本人男性との国際結婚が急増して、2006年(平成18年)にはピークに達する。同年誕生した日本の新生児(約110万人)の内、片親が外国国籍の子供である混血(ハーフの日本人)は約3.2%を占めた。ただし、2007年(平成19年)以降は国際結婚は減少に転じている。
- 欧米を中心とする外国人男性と日本人女性との国際結婚の破綻(国際離婚)が急増し、子の日本への連れ去りが国際問題化。子供の親権を定義するハーグ条約の加盟が欧米諸国から要求されるようになった。土井たか子を中心とするフェミニズム系の女性議員によって国籍法が改正されて、国際結婚で誕生した子供は父親が日本人で母親が外国人のみ日本国籍とする男系による国籍選択から外国人男性と日本人女性の間に誕生した女系の日本人となる子供も日本国籍にする事を可能にしたため二重国籍の問題が誕生した。
- 2007年(平成19年)1月18日に菅直人元代表代行が「愛知や東京は生産性は高いが、子どもを産む生産性が低い」、同年1月27日に柳澤伯夫元厚生労働大臣が「女性は子供を産む機械」と、女性を出産マシーンに例える発言があった。
- 2006年(平成18年)に熊本県熊本市の慈恵病院が「こうのとりのゆりかご」と呼ばれる赤ちゃんポストを設置して賛否をめぐる議論となった。
- 自民党が政権の時に幼保一元化政策として、認定こども園に関する法律が施行された。
- 民主党が政権の時に幼保一体化政策としてのこども園構想が具体化されて実施へと移る動きがでてくる。
- 2010年(平成22年度)に子供手当法が施行され、児童手当から子ども手当へと変更された。しかし、2011年(平成23年)はつなぎ法案の平成二十三年度における子ども手当の支給等に関する特別措置法で子ども手当は存続したが、2012年(平成24年度)から再び「児童手当」と云う名称となった。
- 1980年(昭和55年)に男性が2.6%(32年後に+17.5%)で、女性4.5%が(32年後に+6.1%)だった生涯未婚率が、2012年(平成24年)には、50歳時点で一度も結婚したことがない生涯未婚の人の統計の生涯未婚率が、男性で20.1%、女性で10.6%にのぼった。年代別では25歳~29歳の男性の未婚率が71.8%で、25歳~29歳の女性の未婚率が60.3%で、30歳~34歳の男性の未婚率が47.3%で、30歳~34歳の女性の未婚率が34.5%で、35歳~39歳の男性の未婚率が35.6%で、35歳~39歳の女性の未婚率が23.1%にのぼった。
フェミニストが唱えた思想
以下に記述するのは、特に平成期に入ってから広まったフェミニズムに関する思想であるが、以前から存在した思想も含まれる。
- 女性大臣や女性知事が土俵で優勝力士を表彰できるように大相撲の女人禁制を問題化する思想。
- ブルマーを廃止する思想。
- 男女混合名簿を導入する思想。
- 性教育を推進させる。
- 大学進学率を上昇させるなどの高学歴化によって女性教育を推進させる。
- 女性学の研究と女性学教育を推進させる。
- 女性史の研究と女性史教育を推進させる。
- 男女の色区別を見直す思想。
- 男女の出席番号順を統一する思想。
- 女らしさと男らしさを見直す思想。
- 看護婦と看護士が看護師など男女別で区分されていた職業の呼び名が統一される。
- 男女共同参画基本法を制定する。
- 選択的夫婦別姓制度を導入する運動。
- 婚外子(非摘出子)の遺産相続差別の解消。
- 性同一性障害を性同一性障害者特例法の成立と施行によって法的に承認する。
- 女性センターなどの女性のための施設を建設する。
- ジェンダーフリー思想の啓発をする。
- 結婚可能年齢を男女同一となる、男性と同じ18歳からにする。女性の再婚禁止期間を短縮する運動の実現化させる思想。
- 厚生労働省による経口避妊薬(ピル)の医療承認。
- 女性政治家と女性の管理職を増加させる活動をする。
- 女性の育休・産休・保育園・子育て支援制度の確立運動。
- 男性の育休・保育園・子育て支援制度の確立運動。
- 男女別の技術科・家庭科 共に必修化(なお、昭和時代にも家庭科は男女必修だった時期がある)。
実現した女性運動
- 1999年(平成11年)に児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律が成立。
- 2001年(平成13年)に配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律が成立。
男女雇用機会均等法による社会進出と結婚
1986年(昭和61年)4月に施行された男女雇用機会均等法の影響により、女性の社会進出が徐々に一般化し平成時代には以下のような変化が起きてきた。
男女平等と伝統・文化の問題
- 皇室問題では、GHQの占領政策で1947年(昭和22年)に旧皇族11宮家(伏見宮家・閑院宮家・久邇宮家・山階宮家・北白川宮家・梨本宮家・賀陽宮家・東伏見宮家・朝香宮家・竹田宮家・東久邇宮家)が皇籍を離脱して皇位継承者が減少した事と、平成期に秩父宮家と高松宮家が無子で断絶して、常陸宮家も無子であり、桂宮宜仁親王も未婚であり、東宮(皇太子徳仁親王)家と三笠宮(寛仁親王)家と高円宮家が内親王と女王の女子のみで親王や王などの男子が誕生しなかったので、女性天皇・女系天皇の是非をめぐる皇位継承問題と将来の皇族不足と宮家の断絶による皇室活動の弱体化の懸念から女性宮家の創設問題が発生した。
- 森山真弓官房長官や太田房江大阪府知事が表彰できない女性と大相撲の女人禁制の問題が注目された。
女性に関する社会問題
性犯罪や性的モラルの問題
- フリーセックスやそれによる性病が増加して、ビッチであると批判されている貞操観念がない若い日本女性が急増する。
- ドクターハラスメントや義父ハラスメントなどセクハラの概念が生まれた。
- 2000年(平成12年)以後、ストーカー犯罪の概念が成立して、女性の盗撮犯罪の被害が盗撮技術の進歩で多発する。
- 痴漢や、それによる痴漢冤罪が問題になる。
- 過剰な女性保護で、逆差別ではないかと指摘される事例も多くなっている(各種割引や雇用等)。
- 2003年(平成15年)の早稲田大学生を中心とするスーパーフリー事件を契機に強姦罪の内容に集団強姦などの条項が新設された。
- 痴漢問題の対策として、都市部に女性専用車両と2009年(平成21年)に埼京線に防犯カメラが導入された。
- 性犯罪対策として、性犯罪者に対する条例や性犯罪処遇プログラムや性犯罪者GPS監視の導入が検討される。
- 2004年(平成16年)8月に1990年代に滋賀県大津市の滋賀医科大学の産婦人科医の笠井寛司博士が大津市の女性患者8330人の女性器写真を無断撮影して著書として公開した女性器事典の医学書の日本女性の外性器―統計学的形態論 (日本性科学大系 1)が発売される。[57]
女性アイドルと女性芸能人
- 1980年代から~1990年代初期のバブル期まではバブル世代の女性を中心にアイドルブームの時期であった。団塊ジュニア世代の女性である(宮沢りえ・牧瀬里穂・観月ありさ)の3Mが活躍する。その後、沖縄県出身の沖縄アクターズスクールや小室ファミリーなどの女性芸能人が活躍する。また、コギャル世代が中高生だった1990年代中期にはチャイドルと呼ばれたジュニアアイドルや当時ティーンエイジャーであった広末涼子(昭和55年生まれ)や、女の子役である安達祐実(昭和56年生まれ)が活躍する。
- 2000年代では団塊ジュニア世代までの女性芸能人でブームとなっていたヘアヌードが、ポスト団塊ジュニア世代以降の若い世代で下火となった。代わって、歌手のhitomiなどで注目された、妊婦ヌードがブームとなる。また、モーニング娘。などのハロー!プロジェクトの全盛期でもあった。辻希美(昭和62年生まれ)・山口もえ(昭和52年生まれ)などのママドルが活躍した。女の子役である志田未来(平成5年生まれ)・大橋のぞみ(平成11年生まれ)が活躍する。
- 2010年代では秋元康プロデュースの東京都秋葉原を拠点とするAKB48・愛知県名古屋市栄を拠点とするSKE48・大阪府大阪市難波を拠点とするNMB48・福岡県福岡市博多を拠点とするHKT48・SDN48・インドネシアジャカルタを拠点とするJKT48・中華人民共和国上海市を拠点とするSNH48・台湾台北市を拠点とするTPE48(予定)・東京都乃木坂を拠点とする乃木坂46など大人数の女性グループをはじめとする各種アイドルグループが活躍し、「アイドル戦国時代」と呼ばれるようになった。秋葉系の(アキバ系アイドル)で、ローカルアイドルグループがブレイクし、他には女の子役である2004年(平成16年度)の同学年生まれの芦田愛菜・本田望結・谷花音・小林星蘭が活躍する。
女性の政治史
女性に関わる文化と流行
- 1989年(平成元年)- 2000年(平成12年)
- 平成初期には昭和生まれ世代のおばさんを指すオバタリアンが流行語となる。
- バブル景気時代には、ジュリアナ東京やキープくん(アッシーくん、メッシーくん、ミツグくん)などの流行が生まれた。バブル期には(高学歴・高収入・高身長)の三高が女性の結婚条件の理想となった。
- 末期氷河期世代(ポスト団塊ジュニア)の女性は、ルーズソックス・アムラー・プリクラなどの文化を誕生させた。コギャルと呼ばれた若い女性が登場して(1978年(昭和53年度)生まれから〜1982年(昭和57年度)生まれはコギャル世代と呼ばれた)コギャル文化を形成した一方、ブルセラショップや援助交際が問題化するなど、性道徳の乱れが叫ばれた。
- 短大志向から四年制大学志向になる。
- 平成初期はボディコンやハイレグの水着が流行して、警察の取り締まりの緩和でヘアヌードが解禁されて女性の体や性の開放が行われた。宮沢りえなど女優や芸能人など有名人の間で陰毛が写っているヘアヌード写真集ブームが起きる。
- テレビ出演によって田嶋陽子の知名度が向上して、フェミニズム思想が注目されるようになった。
- 中期氷河期世代(真性団塊ジュニア世代)以降の女性は、書き文字に丸文字(変体少女文字)を使わなくなった。ガングロやヤマンバギャルと呼ばれる派手な格好をしたり、1994年(平成6年)の流行語であるヤンママが若い女性に急増して、チョベリバなどのギャル語やギャル文字の渋谷系文化が誕生した。
- 成田離婚の急増が話題となった。
- 女子短期大学が4年制大学に移行するケースや、私立女子校の共学化が増加する。
- 不倫を題材とした渡辺淳一の小説『失楽園』(不倫の美化)がブームとなる。
- 新人類世代の女性が母親となり、短大卒以上の学歴[注 7]と高卒以下の学歴の家庭で、子供の教育格差がはっきりするようになる。
- 名前の付け方の価値観が変化しだす(特に悪魔ちゃん命名騒動以後)。しかし、DQNネームだと批判する者も増える。(俗流若者論を参照。)女児に「子」がついた名前をつける人が減る。
- 平成生まれの女の子は、昭和生まれ世代と比較して父娘愛を受けるようになり、父との親子関係が良い女性が増加をする。
- 2000年代(平成12年 - 平成21年)
- 酒井順子の30代超・子供を持たない未婚女性を指す負け犬論争がブームになる。
- 2008年(平成20年)に、『Around40〜注文の多いオンナたち〜』をきっかけにアラフォーが新語・流行語大賞になり、アラ…(アラカンなど)という言葉が生まれた。
- 女性史である、篤姫・春日局など大奥を中心に女性向けの大河ドラマがブームになる。また、戦国武将や歴史に興味がある女性が増加して歴女ブームが起きる。
- 韓流ブームが中年女性を中心に起こり、韓国に旅行する人が増えた。
- 草食系男子・肉食系男子と同様に、女性の間でも草食系女子・肉食系女子など恋愛や性体験の積極さで判断する肉食・草食論が流行する。
- 日本で初めて開発されたヌーブラが販売されて、ヒット商品となる。
- 男性は肥満傾向だが、ダイエットブームで若い女性の体重が減少傾向となり、痩せすぎによる健康被害が問題となった。
- バブル世代以後の女性を中心に勝間和代の信奉者であるカツマーが増加する。
- 航空不況の影響もあり、女性の花形産業がスチュワーデスから女子アナウンサー人気に代わる。女子アナウンサーとスポーツ選手の結婚が増加した事で、女性アナウンサーの結婚が玉の輿であると注目された。また、キャバクラ嬢が人気職業の上位になり、騒がれた。
- 有名人のできちゃった結婚が急増する。一般人の第1子に占める割合で、全体の2割(20%)ができちゃった結婚となる。1979年(昭和54年)生まれの女性の2009年(平成21年)の30才時点で半数が出産未経験であり、晩産化が進行した。
- 綾瀬はるかが主演したドラマとなり、2007年(平成19年)にユーキャンの新語・流行語大賞の候補となったひうらさとるの漫画「ホタルノヒカリ」の主人公である雨宮蛍の普段の生活態度を表す「恋愛を放棄した20〜30代の(未婚の)女性」との意味合いがある干物女が流行語とある。
- 女性の結婚条件が3Cや(低姿勢・低依存・低リスク)の三低が理想の結婚相手となる。
- 女子中高生の靴下はルーズソックスが衰退し、代わって紺色ハイソックスが主流となる。
- 彼氏レンタルサービスを受ける女性や出会い系サイトや出会い喫茶を利用する女性が急増した。
- 坂東眞理子の「女性の品格」がベストセラーとなる。
- 女性に対して広く使用されていた(美人・美女・美少女)以外に、男性にも美形で顔が格好良い男性(美男子)を指すイケメンが流行語となった。普通の男性をフツメン。気持ち悪い男性をキモメン。顔が悪い男性をブサメン。女性以外に男性の美形価値が重視されるようになった。育児パパを指すイクメンと言う言葉も定着した。
- 2010年代(平成22年 - )
- 2010年(平成22年)に女子会が新語・流行語大賞のトップテンに選ばれて、流行となった。
- 東日本大震災以降に孤独への不安から絆重視となり女性の結婚観が変化した。2011年(平成23年)4月からブライダル産業への申込をする女性が急増する。
- 恋愛面ではカレログが話題となり、恋愛ゲームにはまる女性が急増して、女性による彼氏追跡アプリが男性のプライバシー侵害として問題となった。
- 渋谷に住み着く渋谷ギャルと原宿に住み着く原宿ガールが注目された。森ガール・寺ガール・山ガールなどの趣味を持つ女性が注目された。JS(女子小学生)のファッションが注目された。
- 主婦の間でカット野菜などの「スマカジ」がビジネスとなる。
- 栃木県宇都宮市発祥の地域おこしの目的と男女の出会いを推進するコンパの街コンがブームとなった。
- 女子高生などが過激な衣装を露出して接待するガールズ居酒屋が急増する。
- 結婚相手の条件に年収や外見は平均的で性格も平穏な<三平>が男女ともに人気を集めるようになった[58]。
- 人気がある20代の若手女子アナウンサーが少なくなり、30代の女子アナの退社が相次ぎ、給料の減額などのリストラで女子アナブームが終焉した。
- 実の娘との関係が悪い母親の意味がある毒母が注目された。
- 小保方晴子の活躍でリケジョ(理系女子)が注目される。
スポーツ史
野球(プロ野球・高校野球・国際野球)
- 1980年代・1990年代(1989年〔平成元年〕 - 1999年〔平成11年〕)
- プロ野球では近畿地方を本拠地とする鉄道会社の南海ホークス・阪急ブレーブスが消滅して流通サービス業者の福岡ダイエーホークスとオリックス・ブレーブス球団が誕生する。横浜大洋ホエールズが横浜ベイスターズとなった。西武ライオンズの第2期黄金時代。またFA制度や逆指名制度が誕生し、選手の年俸高騰に拍車がかかる。1967年(昭和42年)度生まれ(桑田清原世代)がデビューして活躍をする。
- プロ野球では、ヤクルトスワローズの黄金時代。またFA制度の発生による西武ライオンズの主力選手の離脱で西武の黄金時代に終止符が打たれ、読売ジャイアンツによるプロ野球主力選手の引き抜きが続く。
- 高校野球では、1998年(平成10年)の第80回全国高等学校野球選手権大会で当時高校3年生であった松坂世代(1980年〔昭和55年〕度)生まれが活躍する。
- 1990年代に福岡ドーム(福岡Yahoo! JAPANドーム)・ナゴヤドーム・大阪ドーム(京セラドーム)が完成した。
- 1991年(平成3年)にプロ野球ドラフト会議の5位以降の指名はウェーバー方式と逆ウェーバー方式を交互に行うように改革されて、ドラフト外入団が廃止された。1993年(平成5年)に、有力な選手が希望球団に入団できるようにするために「逆指名制度」が導入された。
- 2000年以降(平成12年 - )
- プロ野球では長嶋茂雄の監督引退や、イチロー、松井秀喜のメジャー流出、W杯によるサッカー人気の過熱、パシフィック・リーグの台頭により、巨人やセントラル・リーグへの人気一極集中時代が終わりを迎えた。主力選手がFAにより大リーグに次々と進出する。マスコミから松坂世代と命名された1980年(昭和55年)度生まれが活躍する。外国人監督が複数誕生して日本人選手が大リーグで活躍するなど野球が国際化した。
- 21世紀になった2001年(平成13年)の第73回選抜高等学校野球大会から選抜高等学校野球大会で特別出場高校の<21世紀枠>が設置された。
- プロ野球のパ・リーグでは、東京都から札幌市へ本拠地を移転した北海道日本ハムファイターズが黄金期を迎え、大阪近鉄バファローズ・福岡ダイエーホークスが消滅して、情報企業が新たに球団を保有する事となり、近鉄の本拠地の大阪府から仙台市を本拠地にした東北楽天ゴールデンイーグルス・ダイエーの後継球団の福岡ソフトバンクホークス球団が誕生した。2011年(平成23年)に横浜ベイスターズが東京放送ホールディングス(TBSHD)から情報起業のディー・エヌ・エーが運営する横浜DeNAベイスターズとなった。2006年(平成18年)と2009年(平成21年)のWBCでの連覇で、日本野球の高い技術が実証された。2005年(平成17年)にセ・パ交流戦が、2007年(平成19年)にクライマックスシリーズ(プレーオフ制度)が導入された。桑田清原世代と呼ばれた1967年(昭和42年)度生まれが全員引退をした。2006年(平成18年)の第88回全国高等学校野球選手権大会で当時高校3年生だった斎藤佑樹・田中将大などのハンカチ世代(1988年〔昭和63年〕度生まれ)が活躍する。
- 2000年代に札幌ドーム・西武ドームが完成した。プロ野球再編問題があり、巨人戦を中心に大幅にプロ野球中継が減少して視聴率が低下をした。2011年(平成23年)に読売ジャイアンツで清武の乱がおきた。
- 2001年(平成13年)に、プロ野球ドラフト制度の逆指名制度に代わり、<自由獲得枠>が設置された。2005年(平成17年)からは、自由獲得枠は<希望入団枠>に改称されて、10月に高校生を対象とするドラフトが開催されて、11月に大学生や社会人などを対象とするドラフトの2回に分けて開催されることとなった。2007年(平成19年)に西武ライオンズの裏金による不正が発覚したことで希望入団枠が裏金の温床となる事が問題となり、希望入団枠廃止の議論が浮上して、希望入団枠が廃止された。2008年(平成20年)より、高校生選択会議と大学と社会人選択会議が再び統合され、一括開催となった。2013年(平成25年度)の第85回記念選抜大会に限って記念大会である事から選抜高等学校野球大会の特別出場高校として<東北絆枠>が設置される事となった[59]。
大相撲
- 1980年代・1990年代の千代の富士時代〜若貴時代・曙貴時代・二子山時代・武蔵川時代(1989年〔平成元年〕 - 1999年〔平成11年〕)
- 1988年(昭和63年) - 1992年(平成4年)の時期は二子山勝治が日本相撲協会の理事長であり、1992年(平成4年) - 1998年(平成10年)の時期は出羽海智敬が理事長となった。大相撲では通算最多勝記録の1000勝をした金字塔で国民栄誉賞を受賞した横綱千代の富士に続いて大乃国・旭富士・北勝海が引退して横綱が不在となり、大相撲は平幕力士が優勝するなど角界の戦国時代となる。若貴兄弟(若乃花・貴乃花)の登場で相撲ブームを起こす。1993年(平成5年)に曙太郎が横綱に昇進して、初の外国出身の横綱が誕生する。
- 1990年代は力士の平均体重が増加して大相撲の力士の大型化が進んだ。ハワイ勢で大型力士の小錦・曙や武蔵丸を中心とする武蔵川部屋勢・若貴(若乃花・貴乃花)を中心とする二子山部屋勢時代が1990年代中期から2000年代初頭まで続く。
- 2000年代の貴丸時代〜朝青龍時代〜青白時代(平成12年 - 平成21年)
- 1998年(平成10年) - 2002年(平成14年)の時期は時津風勝男が日本相撲協会の理事長であり、2002年(平成14年) - 2008年(平成20年)の時期は北の湖敏満が理事長で北の湖部屋力士の不祥事の責任で辞任して、2008年(平成20年) - 2010年(平成22年)の時期は武蔵川晃行が理事長となった。2003年(平成15年)に、大相撲では貴乃花引退で日本人横綱が不在になる。代わって、朝青龍時代が始まる。
- 朝青龍の全盛期であり、7場所連続優勝、年間全場所優勝、年間最多勝84勝などの記録を更新した。1990年代に主流だったハワイ出身の大型力士が引退して皆無となったが、代わりに東アジア諸国出身力士の日馬富士と、把瑠都・琴欧洲などのヨーロッパ諸国の出身力士が次々と入幕を果たして幕内力士の3割が外国人力士になる。白青(白鵬・朝青龍)時代のモンゴル力士時代で、横綱(白鵬)は2009年(平成21年)に年間最多勝記録を更新して86勝をした。大相撲が国際化した時代である。また日本人力士の高学歴化として学生相撲出身者が増加して中卒のたたき上げの力士が減少する。時津風部屋力士暴行死事件・大相撲力士大麻問題・朝青龍の不祥事による横綱の品格問題など日本相撲協会の不祥事が頻発した。北の湖理事長の方針で2003年(平成15年)11月場所を最後に、公傷制度が廃止された。
- 2010年以降の白鵬時代〜(平成22年 - )
- 2010年(平成22年) - 2012年(平成24年)の時期は放駒輝門が理事長で、2012年(平成24年)に再び北の湖敏満が日本相撲協会の理事長となった。貴乃花部屋の貴乃花親方が日本相撲協会の理事に当選して、外部理事制度が設けられた。外部理事である元東京高等検察庁検事長の村山弘義が日本相撲協会の理事長代行となり、副理事長職が新設された。朝青龍時代が暴行事件の責任で朝青龍が引退したことで終わる。大相撲野球賭博問題など暴力団と角界の間で交際があった不祥事で、2010年(平成22年)に開催された名古屋場所でのNHK(日本放送協会)によるテレビ放映が中止となった。2011年(平成23年)に大相撲八百長問題が発覚した不祥事で大阪場所が中止されて、夏場所は技能審査場所となった。横綱白鵬が、連勝記録である63連勝して、さらに7場所連続優勝などの記録を更新した。大関魁皇が2011年(平成23年)の名古屋場所で通算勝星が歴代1位となる1046勝目をあげた。魁皇が引退をして日本人大関が不在となった。横綱・大関は全て外国人力士となったが2011年(平成23年)11月場所に日本人力士の大関琴奨菊が誕生した。2012年(平成24年)には日本人大関の稀勢の里とモンゴル出身の大関鶴竜が誕生して史上最多の6大関となった。ウィンブルドン現象がおきて、2006年(平成18年)初場所の大関栃東以来日本人力士の幕内最高優勝が長らく途切れていて、2003年(平成15年)初場所に貴乃花が引退して以来日本人横綱が存在せず、平成期に誕生した横綱の内訳は合計9人の中で日本人横綱が3人(旭富士正也(青森県出身)・貴乃花光司(東京都出身)・若乃花勝(東京都出身))と、6人(曙太郎(アメリカ合衆国ハワイ州出身)・武蔵丸光洋(アメリカ合衆国ハワイ州出身)・朝青龍明徳(モンゴル出身)・白鵬翔(モンゴル出身)・日馬富士公平(モンゴル出身)・鶴竜力三郎(モンゴル出身))が外国出身の外国人横綱である。
サッカー
- 1980年代・1990年代(1989年〔平成元年〕 - 1999年〔平成11年〕)
- 2000年以降(平成12年 - )
- 2000年代前半にJリーグの主力選手がヨーロッパのプロサッカーリーグに次々と進出する。
- 日韓共同で2002 FIFAワールドカップが開催され、その後も日本代表は高い人気を維持し、テレビ局にとっては野球の巨人戦に代わる新たなドル箱となっている。W杯も国民的行事として認知されている。
- 2011 FIFA女子ワールドカップでなでしこジャパンが優勝して団体初となる国民栄誉賞が授与される。
オリンピック競技
- 柔道では小川直也・吉田秀彦・古賀稔彦・田村亮子が一時代を築く。
- 柔道で井上康生と野村忠宏と田村亮子の全盛期でシドニーオリンピックで金メダルを獲得する。
- 1998年(平成10年)に日本で2度目の冬季オリンピックである長野オリンピックが開催される。
- 高橋尚子がシドニーオリンピックのマラソンで金メダルを獲得して、国民栄誉賞を受賞する。2012年(平成24年)に吉田沙保里が男女通じて史上最多となる世界選手権の10連覇と世界大会(五輪と世界選手権)13大会連続優勝を達成してギネス世界記録に認定された事で国民栄誉賞を授与された。2004年(平成16年)のアテネオリンピックでは野口みずきが金メダルを獲得して、日本が女子マラソンで2大会連続で金メダルを受賞する。女子バレーではアテネオリンピックに出場したメグカナ世代(1984年〔昭和59年〕度)生まれが活躍する。
- 荒川静香・安藤美姫・浅田真央・高橋大輔らの活躍でフィギュアスケートの人気が上昇した。
- 2016年オリンピックに東京が立候補したが招致争いで敗れた。2020年東京オリンピック構想で東京が再度立候補して、2013年(平成25年)に2020年夏季オリンピックの開催都市が東京に決定した。
- 大阪オリンピック構想ができるが招致争いに敗れた。
- 横浜オリンピック構想・福岡オリンピック構想ができるが、計画が中止となり、開催都市として立候補をしなかった。
- 広島・長崎オリンピック構想が変更されて、ヒロシマ・オリンピック構想ができるが計画は中止となった。
その他
- 競馬
- 1990年(平成2年)前後にオグリキャップや武豊などの登場により競馬ブームがおこる。
- 1998年(平成10年)に高松宮杯競輪で高松宮家に支払われていた謝礼金が皇室経済法違反との問題となったため、高松宮杯から高松宮家からの優勝杯が下賜が廃止されて競輪・競艇でも使用されていた高松宮記念へと名称を変更した[注 8]。
- 1998年(平成10年)シーキングザパールが日本調教馬として初めて海外G-1(モーリス・ド・ゲスト賞)を勝利。以後数々の日本調教馬が海外のレースを勝つことになる。
- クラシック三冠馬となったのは ナリタブライアンが1994年(平成6年)に三冠馬となる。ディープインパクトが2005年(平成17年)に三冠馬となる。オルフェーヴルが2011年(平成23年)に三冠馬となる。スティルインラブが2003年(平成15年)に 牝馬三冠となる。アパパネは2010年(平成22年)牝馬三冠となる。
- 競輪
- 1992年(平成4年)に三笠宮寛仁親王に由来する競輪のG1競走で寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメントが創設される。
歴史的類似時代
- 平成・享保
- 古田隆彦による新語で[60]、江戸時代の1716年(享保元年)から1736年(享保21年)の享保期の約20年間の転換期と同じように、1990年(平成2年)からの約20年間は調節の時代となるだろうという予測から、戦後の高度経済成長期に流行語となった「昭和・元禄」にならって「平成・享保」と名付けられた[61]。
- その他
- 平成期は坂本龍馬が人気となり、また平成維新の会や大阪維新の会が設立されるなど維新思想がブームとなった事から幕末期から明治維新に続く明治時代に類似している。
- 日本近代史では大日本帝国憲法下(戦前)と日本国憲法下(戦後)の2代目の天皇が在位した時代で大正時代は関東大震災が発生して、平成は阪神大震災と東日本大震災が発生するなど大正時代に類似している。
- 昭和時代(大日本帝国期)の世界恐慌の時代と大不況の面で類似しているという者もいる。
- 文明法則史学の800年周期説や世代による周期説など、時代には周期があると唱える者もいる。
- 人類史革命論では人類史第1革命の農業革命(日本では弥生時代)、人類史第2革命の産業革命(日本では明治時代の工業化)に次ぐ革命として、人類史第3革命論の「情報革命」をアルビン・トフラーが唱えた。2000年代(平成期)を情報革命の時期としている。
年表
- 1989年(平成元年)
- 昭和天皇の大葬の礼。日本労働組合総連合会(連合)が発足。消費税施行(3%)。手塚治虫・美空ひばり・松下幸之助死去。宇野内閣が発足。参議院議員通常選挙で参院が与野党逆転、平成で初のねじれ国会に。宇野内閣退陣。第1次海部内閣発足。女子高生コンクリート詰め殺人事件発覚。東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の容疑者が逮捕。坂本堤弁護士一家殺害事件が発生。東証大納会で日経平均株価が終値史上最高値を記録。六四天安門事件。ベルリンの壁崩壊。マルタ会談。
- 1990年(平成2年)
- 大蔵省が土地関連融資の抑制に関する行政指導(総量規制)を行う。即位の礼・大嘗祭挙行。国際花と緑の博覧会(花博)開催。第2次海部内閣発足、その後新たに第2次海部改造内閣も発足。ドイツ再統一。イラクがクウェートに侵攻。礼宮文仁親王(現:秋篠宮)と川嶋紀子が結婚。『ちびまる子ちゃん』放映開始。秋山豊寛が日本人として初めて宇宙へ。スーパーファミコン発売。
- 1991年(平成3年)
- 雲仙普賢岳が大噴火。湾岸戦争勃発。第58代横綱千代の富士が引退。信楽高原鐵道列車衝突事故。大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が国際連合加盟。宮澤内閣発足。東北・上越新幹線東京駅乗り入れ開始。ソ連8月クーデター。ソビエト連邦解体。大手証券会社の巨額損失補填問題。バブル経済崩壊、後に失われた10年と呼ばれる不況はじまる。
- 1992年(平成4年)
- バルセロナオリンピック・アルベールビルオリンピック開催。尾崎豊死去。毛利衛が宇宙へ(スペースシャトル日本人初搭乗)。東京佐川急便の巨額不正融資事件。PKO協力法の成立、自衛隊がカンボジアへ出動。天皇が初めて中華人民共和国など東南アジア3ヶ国を訪問。米大統領にビル・クリントンが当選。宮澤内閣改造内閣発足。山形新幹線開業。学校の週休2日制(第2土曜日休日制)始まる。
- 1993年(平成5年)
- 皇太子徳仁親王と小和田雅子が結婚の儀を挙行。レインボーブリッジが開通。 東京サミット。非自民・非共産連立政権の細川内閣発足により、自由民主党最初の下野(55年体制の崩壊)。歴史的冷夏。1993年米騒動によりコメの部分開放を決定。ドーハの悲劇。田中角栄死去。北海道南西沖地震。第61回式年遷宮(伊勢神宮)。
- 1994年(平成6年)
- リレハンメルオリンピック開催。羽田内閣が発足。自社さ連立政権の村山内閣発足。中華航空機墜落事故。女性宇宙飛行士の向井千秋が宇宙へ。大江健三郎がノーベル文学賞受賞。松本サリン事件。関西国際空港開港。三陸はるか沖地震。金日成死去。
- 1995年(平成7年)
- 阪神・淡路大震災。地下鉄サリン事件、オウム真理教の麻原彰晃代表逮捕。ウィンドウズ95発売。戦後50周年村山談話。野茂英雄投手がメジャーリーグ新人王に。仏大統領のシラクが南太平洋のムルロア環礁で核実験を強行。
- 1996年(平成8年)
- 第1次橋本内閣発足。住専処理法が成立。アトランタオリンピック開催。ペルー日本大使館人質事件。藤本弘、渥美清死去。北海道の豊浜トンネルが落盤事故。O157による食中毒事件。第2次橋本内閣発足。
- 1997年(平成9年)
- 消費税改定(5%)。神戸連続児童殺傷事件。ナホトカ号重油流出事故。香港が中国に返還。秋田新幹線、長野新幹線、東京湾アクアライン開業。たまごっちブーム。映画『もののけ姫』が公開。ダイアナ元英皇太子妃事故死。第2次橋本改造内閣発足。サッカー日本男子代表がW杯初出場を決める。ポケモンショック。京都議定書が採択される。アイヌ文化振興法の成立。臓器移植法が成立。日米安保条約の新ガイドライン合意。北海道拓殖銀行が経営破綻。
- 1998年(平成10年)
- 山一證券が自主廃業。和歌山毒物カレー事件。参議院議員通常選挙で参院が与野党逆転、平成で2度目のねじれ国会に。小渕内閣発足。長野オリンピック開催。サッカーワールドカップに日本が初出場。横浜ベイスターズが38年振りに日本一。北朝鮮が弾道ミサイルテポドン1号発射実験。新しく民主党が結党される。旧国鉄債務処理法の成立により国鉄清算事業団を廃止。金融再生関連法(債権管理回収業に関する特別措置法など5法)の成立。
- 1999年(平成11年 )
- 情報公開法、周辺事態法の成立。国旗国歌法、通信傍受法の成立。天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典の開催。全日空61便ハイジャック事件発生。国旗国歌法成立。マカオが中国に返還。ミッチー・サッチー騒動。「だんご3兄弟」が大ヒット。ノストラダムス現象(7の月に恐怖の大王)。2000年問題が話題に。NATO軍がユーゴスラビアに大規模空爆。東海村JCO臨界事故。
- 2000年(平成12年)
- 九州・沖縄サミット開催。二千円札発行。小渕恵三死去。第1次森内閣発足。神の国発言。神の国解散。第2次森内閣発足。日比谷線脱線事故。韓国と北朝鮮の南北首脳会談が実現。9月11日に東海豪雨が発生。三宅島が噴火し全島避難。シドニーオリンピック。米大統領にジョージ・ウォーカー・ブッシュが当選。白川英樹がノーベル化学賞受賞。加藤の乱。世田谷一家殺害事件。20世紀が終わる。
- 2001年(平成13年)
- 21世紀が始まる。えひめ丸事故。第1次小泉内閣発足。附属池田小事件。アメリカ同時多発テロ事件発生。対テロ戦争に参加。米英軍がアフガニスタンに報復攻撃。九州南西海域工作船事件。皇太子徳仁親王妃雅子が愛子内親王を出産。野依良治がノーベル化学賞を受賞。ウィキペディア設立。
- 2002年(平成14年)
- ソルトレイクシティオリンピックが開催。EU圏内で新通貨ユーロに完全統合。住民基本台帳ネットワークが開始。東北新幹線が八戸駅までに延伸。サッカーワールドカップを韓国と日本が共催。小柴昌俊がノーベル物理学賞、田中耕一がノーベル化学賞を受賞。日朝首脳会談。拉致被害者5人が日本へ帰国。
- 2003年(平成15年)
- 天皇が前立腺癌となり摘出手術。東海道新幹線の品川駅が開業。イラク戦争勃発。自衛隊イラク派遣始まる。サッダーム・フセイン拘束。玄界灘海難事故。阪神タイガースが18年ぶりにセ・リーグ制覇。第2次小泉内閣発足。感染症SARSの世界的流行。個人情報保護法成立。
- 2004年(平成16年)
- 九州新幹線が開業。佐世保小6女児同級生殺害事件。観測史上最多の10個の台風が日本列島に上陸。アテネオリンピック開催。 イラク日本人人質事件。年金未納問題。日朝首脳会談(2回目)。新潟県中越地震発生。日本銀行券のデザインを20年ぶりに変更。 『東北楽天ゴールデンイーグルス』がプロ野球パ・リーグに新規参入。 スマトラ沖地震(インド洋大津波)。
- 2005年(平成17年)
- H-IIAロケット打ち上げ成功。福岡県西方沖地震。JR福知山線脱線事故。愛知万博開幕。中部国際空港開港。ロンドン同時多発テロ。衆議院解散を断行、第44回衆議院議員総選挙。郵政民営化法案成立。第3次小泉内閣発足。構造計算書偽造問題が発覚。
- 2006年(平成18年)
- 平成18年豪雪。ライブドアショック、堀江メール問題、堀江貴文逮捕。トリノオリンピック開催。ワールドベースボールクラシック開催、日本が初代優勝。ワールドカップ ドイツ大会開催。村上ファンド代表の村上世彰逮捕。秋篠宮妃紀子が悠仁親王出産。第1次安倍内閣発足。北朝鮮によるミサイル発射実験、北朝鮮の核実験。サッダーム・フセインイラク元大統領処刑。
- 2007年(平成19年)
- 食品に関する不祥事が相次ぐ。防衛庁が防衛省に移行。平成19年能登半島地震。長崎市長射殺事件。松岡利勝農相自殺。新潟県中越沖地震。参議院議員通常選挙で民主党大勝、参院が平成で3度目のねじれ国会に。福田康夫内閣発足。日本郵政公社民営化、日本郵政グループ(JPグループ)発足。
- 2008年(平成20年)
- 石油価格高騰による物価上昇。チベットで大規模暴動。野島崎沖でイージス艦衝突事故が発生。四川大地震。秋葉原通り魔事件。岩手・宮城内陸地震。後期高齢者医療制度が施行される。長野県長野市で北京オリンピックの聖火リレー。北京オリンピック。リーマンショック、世界的な金融危機(世界同時不況)、急速な景気後退。北海道・洞爺湖サミット開催。麻生内閣発足。バラク・オバマが史上初の黒人大統領になる。東海道新幹線0系引退。南部陽一郎・小林誠・益川敏英がノーベル物理学賞、下村脩がノーベル化学賞を受賞。
- 2009年(平成21年)
- 2009年新型インフルエンザの世界的流行。第2回WBCで日本2連覇。北朝鮮によるミサイル発射実験、北朝鮮の核実験。民社国連立政権の鳩山由紀夫内閣発足により、自由民主党が2度目の下野。天皇陛下御在位二十年記念式典の開催。裁判員制度が始まる。行政刷新会議の事業仕分けが行われる。
- 2010年(平成22年)
- 朝青龍引退。バンクーバーオリンピック開催。公立高校無償化。宮崎県南部を中心に口蹄疫の流行。菅内閣発足。ワールドカップ 南アフリカ大会開催。第22回参議院議員通常選挙で参院が与野党逆転、平成で4度目のねじれ国会に。高齢者所在不明問題。日本各地で記録的な猛暑。尖閣諸島中国漁船衝突事件。東北新幹線東京 - 新青森間全面開通。2010年欧州ソブリン危機。鈴木章・根岸英一が、ノーベル化学賞を受賞。
- 2011年(平成23年)
- タイガーマスク運動。アラブの春。大相撲八百長問題発覚。カンタベリー地震。オサマ・ビンラディン殺害。 東北地方太平洋沖地震、東日本大震災・福島第一原発事故。九州新幹線鹿児島ルート全面開通。2011 FIFA女子ワールドカップでなでしこジャパンが初優勝。テレビのアナログ放送が被災3県(福島、宮城、岩手)を除き停波、被災3県では翌年3月末に停波(地デジへ完全移行)。野田内閣発足。外国為替市場で円相場が戦後最高値の75円31銭を記録。台風12号被害。カダフィー殺害。タイ洪水。金正日死去。
- 2012年(平成24年)
- 平田信・菊地直子・高橋克也逮捕。天皇が狭心症の症状で心臓バイパス手術。東京スカイツリーが開業。新東名高速道路開通。大飯原発など原子力発電所反対デモ。九州北部豪雨。ロンドンオリンピック開催。尖閣諸島国有化。中国における反日活動。山中伸弥がノーベル医学賞受賞。日本維新の会結成。東京駅丸の内駅舎復元。パソコン遠隔操作事件。笹子トンネル天井板落下事故。民国連立政権が終わり、自公連立政権の第2次安倍内閣発足。
- 2013年(平成25年)
- フランス軍がセルヴァル作戦を実施。アルジェリア人質事件。出雲大社で遷宮を実施(60年ぶり)。富士山世界文化遺産登録(富士山-信仰の対象と芸術の源泉)。第62回式年遷宮(伊勢神宮)。あまちゃんブーム。東北楽天ゴールデンイーグルスがパ・リーグ初優勝および初の日本一、田中将大投手が公式戦通算30連勝の新記録。伊豆大島で土石流災害。
- 2014年(平成26年)
- 小保方晴子によるSTAP研究と騒動の経過。ソチオリンピック開催。平成26年豪雪。あべのハルカス開業。宇露関係が悪化してクリミア自治共和国で2014年クリミア住民投票。マレーシア航空370便失踪。消費税改定(8%)。2014年韓国フェリー転覆事故。AKB48握手会傷害事件。ワールドカップブラジル大会開催。マレーシア航空17便墜落。集団的自衛権の行使容認。マクドナルド食品消費期限切れ問題。佐世保女子高生殺害事件。妖怪ウォッチブーム。広島土砂災害。
西暦との対照表
平成 | 元年 | 2年 | 3年 | 4年 | 5年 | 6年 | 7年 | 8年 | 9年 | 10年 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
西暦 | 1989年 | 1990年 | 1991年 | 1992年 | 1993年 | 1994年 | 1995年 | 1996年 | 1997年 | 1998年 |
干支 | 己巳 | 庚午 | 辛未 | 壬申 | 癸酉 | 甲戌 | 乙亥 | 丙子 | 丁丑 | 戊寅 |
平成 | 11年 | 12年 | 13年 | 14年 | 15年 | 16年 | 17年 | 18年 | 19年 | 20年 |
西暦 | 1999年 | 2000年 | 2001年 | 2002年 | 2003年 | 2004年 | 2005年 | 2006年 | 2007年 | 2008年 |
干支 | 己卯 | 庚辰 | 辛巳 | 壬午 | 癸未 | 甲申 | 乙酉 | 丙戌 | 丁亥 | 戊子 |
平成 | 21年 | 22年 | 23年 | 24年 | 25年 | 26年 | ||||
西暦 | 2009年 | 2010年 | 2011年 | 2012年 | 2013年 | 2014年 | ||||
干支 | 己丑 | 庚寅 | 辛卯 | 壬辰 | 癸巳 | 甲午 |
平成を冠するもの
以下には、「平成」を冠する主な名称・用法・事柄などを列挙している。当然、全てを網羅するものではない。
文化・芸能
- 平成生まれ(まんがタイムきららキャラット(芳文社)誌上で連載されている4コマ漫画作品)
- 平成ウルトラセブン(円谷プロダクション制作)
- 平成音頭(北島三郎の歌)
- Hey! Say!(光GENJIのアルバム)
- Hey! Say! 7(ジャニーズ事務所の期間限定ユニット)
- Hey! Say!(Hey! Say! 7の楽曲)
- Hey! Say! JUMP(ジャニーズ事務所のグループ)
- Hey! Say! 7 West(ジャニーズ事務所のグループ)
- 平成ノブシコブシ(お笑いコンビ)
- 平成のブルース(THE BLUE HEARTSの楽曲)
- 平成風俗(椎名林檎×斎藤ネコのアルバム)
- 平成中村座(中村勘三郎が平成12年に東京・浅草で初めて演じた歌舞伎公演)
- 平成維震軍
- 平成海援隊
政治機関
企業・経済団体
番組名・作品名
- たけし・逸見の平成教育委員会(フジテレビ)
- 平成日本のよふけ(フジテレビ)
- 平成初恋談義(フジテレビ)
- 平成名物TV(TBS)
- ご存知!平成一番人気(TBS)
- 平成あっぱれテレビ(日本テレビ)
- 平成夫婦茶碗(日本テレビ)
- 続・平成夫婦茶碗(日本テレビ)
- 平成天才バカボン(フジテレビ)
- だんトツ!!平成キング(日本テレビ)
- 平成女学園(テレビ東京)
- アニメや特撮の世界では、昭和から続くシリーズで平成に制作された作品を「平成ゴジラ」や「平成ウルトラマン」、「平成ライダー」と呼ぶことが多い。
- 平成イヌ物語バウ
- 平成狸合戦ぽんぽこ
- 爆笑100分テレビ!平成ファミリーズ(日本テレビ)
- 時空間☆世代バトル 昭和×平成 SHOWはHey! Say!(日本テレビ)
鉄道
地名
- 宮城県仙台市宮城野区平成一丁目 - 二丁目
- 神奈川県横須賀市平成町
- 新潟県小千谷市平成一丁目 - 二丁目
- 岐阜県関市下之保平成(へなり)
- 岐阜県羽島郡岐南町平成
- 兵庫県赤穂市平成町
- 島根県松江市平成町
- 岡山県笠岡市平成町
- 広島県安芸郡坂町平成ケ浜一丁目 - 五丁目
- 長崎県島原市平成町
- 熊本県熊本市中央区平成一丁目 - 三丁目 (※一部は南区)
なお上記のうち、岐阜県関市(改元当時は武儀町)の地名に限っては平成改元以前の昭和時代(1988年(昭和63年)以前)にも存在していた小字名である。
道の駅
- 道の駅平成 - 上記岐阜県関市の平成(へなり)地区に建てられている。ただし駅名としての読み方は「へいせい」。
教育
小学校
中学校・高等学校
- 秋田県立平成高等学校(秋田県横手市、旧平鹿郡平鹿町)
- 加須市立加須平成中学校(埼玉県加須市)
- 薩摩川内市立平成中学校(鹿児島県薩摩川内市)
- 五島市立平成中学校(長崎県五島市)←合併して玉之浦中学校になった。
- 私立埼玉平成中学校・高等学校(埼玉県入間郡毛呂山町、学校法人山口学院)
- 私立済美平成中等教育学校(愛媛県松山市、学校法人済美学園)
大学
博物館
- 東京国立博物館平成館
病院
- 倉敷平成病院(岡山県倉敷市)
- 豊中平成病院(大阪府豊中市)
- 東浦平成病院(兵庫県淡路市)
- 藤枝平成記念病院(静岡県藤枝市)
- 平成病院(兵庫県南あわじ市)
- 平成病院(愛媛県大洲市)
- 平成記念病院(大阪府豊中市)
- 平成記念病院(奈良県橿原市)
- 平成記念病院(島根県雲南市)
- 平成立石病院(東京都葛飾区)
- 平成脳神経外科病院(愛媛県松山市)
- 山口平成病院(山口県岩国市)
橋梁・トンネル
- 平成川島橋(岐阜県各務原市)
- 平成大橋(北海道旭川市)
- 平成大橋(新潟県新潟市)
- 平成大橋(群馬県前橋市)
- 平成大橋(愛知県刈谷市)
- 平成橋(東京都板橋区)
- 平成橋(北海道釧路市)
- 平成記念橋(愛知県豊田市)
その他
- 平成大堰
- 平成に改元した翌日の平成元年(1989年)1月8日朝日新聞朝刊に、新元号と同じ平 成(たいら しげる)さんや○○平成(○○へいせい)さんが数人いることが掲載された[62]。マスコミの中には(たいら しげる)さん個人を見つけ出してインタビューする番組も見られた。
元号発表
小渕恵三内閣官房長官(当時)が記者会見で使用した台紙に平成と文字を墨書きしたのは、内閣総理大臣官房(当時。中央省庁再編後は内閣府大臣官房)人事課辞令専門職の河東純一である。記者発表の20分ほど前、「平成」と鉛筆で書かれた紙片を渡され、新元号名を知る。その後、河東自らが用意した4枚の奉書紙にそれぞれに平成と書き、4枚目を額に入れ、ダンボールと風呂敷で梱包したものが小渕内閣官房長官の元へと運ばれた。河東本人談として、初めて平成と知った時、「画数の少ない字は形が取りにくく、書きにくい」と思ったそうである[4]。また、4枚目を選んだのは上手い下手に関係なく、初めから4枚目を提出するつもりだったとも語っている。新元号を墨書する場所は、予め同官房内政審議室の会議室と決められていた。入室した際の同室では数人が別の作業を行っていたので、頼んで作業机の片隅を空けてもらい、「平成」を書き上げた。作業机は比較的高く、椅子はパイプ椅子で、周囲もやや喧騒であったため、非常に書きにくかったそうである[63]。河東純一は、2005年(平成17年)12月に職務(20万枚以上に及ぶ官記・位記・辞令及び表彰状等の作成)の功績を認められ、第18回「人事院総裁賞」個人部門を受賞した[64]。
その「平成」の奉書紙は、平成改元時の内閣総理大臣であった竹下登に贈呈され、現在も竹下元首相私邸に飾られている。[65]
脚注
注釈
- ↑ 的場は新元号考案の委嘱を受けた人物には諸橋轍次、貝塚茂樹、坂本太郎の名をあげているが、昭和天皇崩御前に物故したため彼らの提案はすべて廃案になったとしている。参考:佐野眞一『ドキュメント昭和が終わった日2 元号「平成」の決定の瞬間』(『文藝春秋』2009年3月号掲載)
- ↑ 2011年2月15日放送の『夕やけ寺ちゃん 活動中』(文化放送)にゲスト出演した石原信雄の発言にも「亡くなっている人の案は採用されない」とあるテンプレート:信頼性要検証。
- ↑ 2010年(平成22年)参院選・比例区得票率2%以上の政党要件を満たしている。
- ↑ 昭和45年11月の伊勢新聞北勢版や中日新聞の三重県桑名市の昭和33年生まれの女子中学生自殺かの記事で自殺を寝た子をおこすなでクローズアップしなかった。
- ↑ 2006年(平成18年)10月、久米宏は福岡いじめ自殺事件に対する回想コメントで「報道関係者としていじめ自殺報道でいじめや自殺が増加することも想定したが、男子中学生へのいじめがあまりにも酷かったのでニュースにしちゃいました」と発言している(「報道ステーション」や「たけしの日本教育白書」などテレビ番組での発言)。
- ↑ <参考文献>『平成宗教20年史』(幻冬舎新書、2008年(平成20年)、島田裕巳) - <書籍要約>平成元年、週刊誌が坂本弁護士事件を報道して糾弾を開始しオウム真理教はにわかに注目を集める。その後オウムは一連の騒動を起こし、その間、幸福の科学も台頭、宗教は社会の重大な関心事となり、ついに平成7年、地下鉄サリン事件を迎える。一方、平成5年、万年野党だった公明党が連立政権に参加、11年以後、与党として君臨し、ついに日本は新宗教団体が政治権力を行使する国となった―。オウム、創価学会以外にもさまざまな新宗教やスピリチュアル・ブームに沸いた現代日本人の宗教観をあぶり出す。
- ↑ 1970年生まれ以前の世代の短大卒のステータスは、1980年生まれ以降の世代に比べると高かった。
- ↑ 競艇でも以前は「高松宮杯」という名を使っていたが、1987年(昭和62年)2月以降から競輪や中央競馬よりも早く高松宮記念 (競馬)に名称を変更していた。参考:「高松宮殿下と住之江」(日本財団電子図書館)
出典
参考文献
- 改元の項目
- 歴史学的類似時代の項目
- 政治史の項目
- 経済史の項目
- 宗教史の項目
- 島田裕巳 『平成宗教20年史』 (同上)
- 教育史の項目
- 読売新聞2012年(平成24年)3月19日月曜日第1面(国際バカロレア資格の記述)。
- 読売新聞2012年(平成24年)6月4日月曜日第2面(国立大学を広域再編の記述)
- 和田秀樹『テレビの大罪』(新潮新書、教育と社会問題の項目)
- 日本大学教材『教育制度論0912』北野秋男編
- 日本大学教材『特別活動の研究0942』
- 「求められる教師像と教育養成」山崎英則・百村正登編(ミネルヴァ書房)
- 「転換期の教育」 油布佐和子(放送大学教材)
- 「教育の方法と技術」浦野一男編(玉川大学出版部)
- 「教育の方法と技術を探る」(ナカニシヤ出版)
- 「教育方法学」(岩波出版)
- 「授業」(国土館)
- 「教育学の名著」(学陽書房)
- 「教育方法学」(細谷俊夫編岩波全書)
- 時代概説
- 「昭和から平成へ」 『集英社版 漫画 日本の歴史』より
- 女性史の項目
- 「女性史」 『日本女性史大事典』より (新人物往来社、1994年、新版2002年)
- 生涯未婚率の記述⇒2012年(平成24年)5月1日火曜日 17時42分-社会(J-CASTニュース)
- 女性の初産年齢が初の30歳超えの記述⇒厚生労働省の2011年(平成23年)の人口動態統計(概数)
- 大正時代類似説
- 皿木喜久 『大正時代を訪ねてみた 平成日本の原景』 (産経新聞社、2002年)
関連項目
- 冷戦下の日本
- 冷戦#冷戦終結後の経過
- 一極体制
- 東欧革命
- ドイツ再統一(冷戦後のドイツ)
- 独立国家共同体(冷戦後の旧ソ連)
- 総統民選期の中華民国(冷戦後の台湾)
外部リンク
テンプレート:日本の歴史一覧- ↑ 1.0 1.1 佐野眞一『ドキュメント昭和が終わった日2 元号「平成」の決定の瞬間』(『文藝春秋』2009年3月号掲載)
- ↑ 「雑学大全」230ページ 東京書籍2007年刊/ISBN 978 4 487 80130 5C
- ↑ 文藝春秋 2012年2月号
- ↑ 4.0 4.1 『解禁! マル秘ストーリー』 TBSテレビ、 11月16日放送。発表時の記者会見の映像が抜粋され放送された。
- ↑ 読売新聞平成26年8月5日第4面記事
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 『日本経済史 1600年代-2000年代 歴史に読む現代』(慶應義塾大学出版会)、301ページ18行目
- ↑ 『日本経済史 1600年代-2000年代 歴史に読む現代』(慶應義塾大学出版会)、300ページ13行目
- ↑ 『日本経済史 1600年代-2000年代 歴史に読む現代』(慶應義塾大学出版会)、302ページ2行目
- ↑ 『日本経済史 1600年代-2000年代 歴史に読む現代』(慶應義塾大学出版会)
- ↑ 出入国管理及び難民認定法の一部を改正する法律案 閣法第55号 閣議決定日:平成26年3月11日
- ↑ 西村 和雄 「基礎学力低下防ぐために」
- ↑ 6・3・3・4制見直しも…首相直属会議発足へ 読売新聞(2013年1月5日)
- ↑ http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140306/wlf14030613040013-n1.htm
- ↑ ニートの救急箱 中年ニート(中年無業者)
- ↑ Benesse 携帯電話の利用実態 〜第3回(2008年版)〜
- ↑ 朝日新聞 2010年12月12日付
- ↑ テレビはそんなに偉いのか?(和田秀樹オフィシャルブログ「テレビで言えないホントの話」 2010年(平成22年)5月31日)
- ↑ 和田秀樹オフィシャルブログ「テレビで言えないホントの話」、2010年(平成22年)5月31日と同年11月9日の記事
- ↑ http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140811-00000008-sasahi-hlth
- ↑ 東京新聞朝刊2014年1月9日
- ↑ 『平成宗教20年史』91頁~93頁
- ↑ 『平成宗教20年史』76頁~77頁
- ↑ 『平成宗教20年史』36頁~40頁
- ↑ 『平成宗教20年史』45頁
- ↑ NEWSポストセブン|続く「嫌韓デモ」 国会で排外・人種侮蔑デモ抗議集会開催
- ↑ 『平成宗教20年史』21頁
- ↑ 『平成宗教20年史』52頁
- ↑ 『平成宗教20年史』54頁~56頁
- ↑ 『平成宗教20年史』65頁
- ↑ 『平成宗教20年史』78頁
- ↑ 『平成宗教20年史』185頁
- ↑ 『平成宗教20年史』130頁
- ↑ 『平成宗教20年史』117頁~119頁
- ↑ 『平成宗教20年史』148頁
- ↑ 『平成宗教20年史』170頁~173頁
- ↑ 平成24年度発表の厚生労働省の推計
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 2012年(平成24年)8月29日付読売新聞朝刊第1面
- ↑ NHKNEWSWEB 2012年(平成24年)8月29日(水曜日) 魚離れにファストフィッシュ
- ↑ 2013年(平成25年)3月15日付読売新聞1面
- ↑ 取材と文章/出井康博(ジャーナリスト)SAPIO2012年(平成24年)6月6日号
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite web テンプレート:Ja icon
- ↑ ダニ媒介感染症で新たに男性死亡 国内感染4人に
- ↑ ダニ媒介感染症:広島の成人男性死亡確認 国内で4人目
- ↑ 夫は外で働き、妻は家庭を守るべき」賛成は男性45%・女性35%
- ↑ 女性議員に「早く結婚しろ」 都議会でヤジ飛ぶ 日本経済新聞 2014年6月19日
- ↑ d.hatena.ne.jp/keyword/笠井寛司(はてなキーワード)
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 日本経済新聞(夕刊) 1989年9月18日付
- ↑ 平成享保(へいせいきょうほう)(現代社会研究所)
- ↑ 朝日新聞 1989年1月8日付朝刊 社会面
- ↑ TBSラジオ『伊集院光・『日曜日の秘密基地』より。
- ↑ 第18回(平成17年)「人事院総裁賞」個人部門受賞者 人事院、2009年7月23日 閲覧。
- ↑ TBS系列『世界バリバリ★バリュー』2007年11月28日放送