新党さきがけ

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テンプレート:政党 新党さきがけ(しんとうさきがけ、テンプレート:Lang-en)は、かつて存在した日本政党。略称および1998年10月以降の党名はさきがけ、英語略称はNPS

概要

1988年自民党の中堅・若手議員であった武村正義田中秀征園田博之鳩山由紀夫らが中心となり、1993年の宮沢内閣不信任決議可決(嘘つき解散)をきっかけに離党して結成されたのが新党さきがけである。自民党内の改革グループで政界浄化やリベラルな政治改革を訴えていたユートピア政治研究会を母体とし結党された。なお、不信任決議案については研究会のメンバーの多くは反対票を投じていた。他方で不信任案に賛成していた小沢一郎らは当初離党の意志はなく、党内で改革運動を継続するつもりであったが、不信任に反対した武村らが離党したことから、自身も離党を決心したとされる。したがって、さきがけの結党は非自民政権誕生に至る政界再編の引き金を引くことになった。

続く第40回衆議院議員総選挙を経て成立した非自民細川連立政権に参加後、羽田政権では閣外協力に転じたものの、自民党が政権復帰した村山政権に参加し、続く橋本政権まで政権の一角を担った。中心メンバーは自民党単独政権以降、非自民連立政権、自さ社村山政権、同橋本政権と、性質の異なるいくつもの政権にほぼ一貫して与党として参加していたことになり、小政党ながら巧みな政界遊泳で政界再編期に強い存在感を放った。途中日本新党親さきがけ派(反小沢派)など各会派の合流を受け入れて党勢を拡大させたが、1996年頃からメンバーの離脱が相次ぎ、2002年みどりの会議への名称変更という形で正式に解党した。

なお、この離脱過程で、多くの所属議員は旧民主党に参加した。結党時の民主党は旧社会党出身者が大半だったが、その多くがベテラン議員だったこともあり、中堅・若手の多いさきがけ出身者が中枢を担った。旧民主党が他会派を吸収する形で1998年に結党された新民主党においてもその傾向は続いた。したがって、新党さきがけは実質的に現在の民主党の母体と見ることもできる。これらさきがけ出身者(鳩山由紀夫菅直人前原誠司玄葉光一郎枝野幸男荒井聰小沢鋭仁など)は2009年の政権交代後の民主党政権においても中心的な人材となっており、2人の総理大臣(鳩山、菅)を輩出した。

行財政改革の推進や環境重視の姿勢を全面に打ち出して、皇室憲法第9条を尊重する「尊憲」を掲げ、保守政党でありながら、ゆるやかなリベラルとでも言うべき色彩を有していた。こうした特色も、現在の民主党に強く受け継がれている。

党史

役職

歴代の常任幹事会・執行部役員表(1993年 ‐ 1996年)

代表 代表代行 代表幹事 総務会長 政策調査会長 院内幹事 参議院
議員会長
武村正義 田中秀征 園田博之 鳩山由紀夫 簗瀬進 井出正一  
井出正一 菅直人 渡海紀三朗 堂本暁子
鳩山由紀夫 園田博之
渡海紀三朗 三原朝彦
井出正一 菅直人[1] 園田博之 三原朝彦
園田博之[1]

歴代の常任幹事会・執行部役員表(1996年 - 2002年)

代表 議員団座長 幹事長 総務会長 政策調査会長 院内幹事 参議院
議員会長
(空席) 堂本暁子 園田博之 堂本暁子 水野誠一 奥村展三 堂本暁子
武村正義   奥村展三 中村敦夫 奥村展三
中村敦夫   黒岩秩子        

歴代代表一覧

代表 任期
常任幹事会代表
1 60px 武村正義 1993年6月18日 - 1996年8月30日
2 60px 井出正一 1996年8月30日 - 1996年10月22日
議員団座長
- 60px 堂本暁子 1996年10月22日 - 1998年5月6日
常任幹事会代表
3 60px 武村正義 1998年5月6日 - 2000年7月3日
4 60px 中村敦夫 2000年7月3日 - 2002年1月16日

なお、武村の代表復帰まで井出を代表者として総務省(旧自治省)に登録していた。

政権ポスト

()内は入閣直前の党役職

  • 1993年8月9日・細川内閣
    • 国務大臣
      • 内閣官房長官・武村正義(党常任幹事会代表)
    • 政務次官等
      • 内閣官房副長官・鳩山由紀夫
      • 内閣総理大臣特別補佐・田中秀征
  • 1994年6月30日・村山内閣
    • 国務大臣
      • 大蔵大臣・武村正義(党常任幹事会代表)
      • 厚生大臣・井出正一(党総務会長)
    • 政務次官等
      • 内閣官房副長官・園田博之(党常任幹事会代表幹事)
      • 建設政務次官・簗瀬進
      • 内閣総理大臣補佐・錦織淳
  • 1995年8月8日・村山改造内閣
    • 国務大臣
      • 大蔵大臣・武村正義(党常任幹事会代表)
    • 政務次官等
      • 内閣官房副長官・園田博之
  • 1996年1月11日・橋本内閣
    • 国務大臣
      • 厚生大臣・菅直人(党政策調査会長)
      • 経済企画庁長官・田中秀征(党常任幹事会副代表)
    • 政務次官
      • 農林水産政務次官・小平忠正
      • 環境政務次官・中島章夫

党勢の推移

衆議院

選挙 当選/候補者 定数 備考
(結党時) 10/- 512 正式には0。下記参照
第40回総選挙 13/16 511 追加公認+1(日本新党と統一会派)
第41回総選挙 ●2/15 500
第42回総選挙 -/0 480

参議院

選挙 当選/候補者 非改選 定数 備考
(結党時) 0/- - 252 第17回通常選挙前には1
第17回通常選挙 ○3/15 0 252
第18回通常選挙 ●0/3 3 252
第19回通常選挙 -/0 1 247

(参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店岩波新書、ISBN 4-00-430904-2)

新党さきがけ議員一覧

衆議院議員

結党時(10名)
ユートピア政治研究会のメンバーであった宮澤派鈴木恒夫(神奈川1区)も参加を予定していたが、河野洋平の側近であったため、当時の内閣官房長官だった河野の説得を受け、参加を断念した。そのため、武村と田中は、鈴木の代わりとして岩屋を勧誘し、結成メンバーに加えた。また、研究会のメンバーでなかった渡辺派新井将敬は、参加を希望したが断られた。
第40回衆議院議員総選挙(13名)
無所属で初当選していた高市早苗も公認申請していたが前出の新井同様に断られた。しかし新井と共に翌春柿沢自由党翌夏自由改革連合の結成や翌年末の新進党結党に参加。
落選
日本新党から移籍(グループ青雲、民主の風)
社民連より合流
平和・市民より合流
新進党から移籍

参議院議員

社会党から移籍(1名)
第17回参議院議員通常選挙(3名)
平和・市民より合流

さきがけ分裂

1996年9月に旧・民主党が結成されて党が分裂する直前の時点における党勢は、27名(衆院23名、参院4名)であった(上記の議員の内、佐藤謙一郎、石田勝之は、既に離党)。内、15名が旧・民主党に参加した。

さきがけ後の動向

民主党にも自民党にも移籍せず
自民党復党
民主党

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脚注

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関連項目

  • 1.0 1.1 代表代行ではなく副代表