岩波書店

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:Infobox publisher2 株式会社岩波書店(いわなみしょてん、Iwanami Shoten, Publishers. )は、日本出版社

概要

1913年大正2年)8月5日岩波茂雄東京市神田区神保町16番地(現・東京都千代田区神田神保町)に開いた古書店として出発。正札販売方法を採用し、注目を集めた。翌1914年大正3年)に夏目漱石の『こゝろ』を刊行し、出版業にも進出。漱石没後に『夏目漱石全集』を刊行し、躍進する。看板は漱石の筆による。

多くの学術書を出版するだけでなく、岩波文庫岩波新書を出版するなどして古典学術研究の成果を社会に普及させることに貢献。文化の大衆化に多大な影響を与えた。昭和時代にはしばしば、大衆的な路線を貫く講談社と対比された。

戦前には、いわゆる共産主義講座派の拠点であった。

1933年昭和8年)12月10日ミレー絵画『種をまく人』を題材にとったマークの使用を開始(実際のマークはデザイナーによってかなり加工されている)。1949年昭和24年)4月25日株式会社に改組。社長も岩波家の世襲から脱した。

本社の隣には一ツ橋グループ小学館集英社がある。

沿革

販売店での扱い

岩波書店は他の出版社の用いる返品制を採用しておらず、全て書店の買い切りという責任販売制の形をとっている。また、比較的高正味(=出版社側の取り分が多い)であるため値下げもできず、不良在庫となっても処分が難しい面も持ち合わせている(なお、値下げができないという点などについては日本に出版物再販制度があるため、日本国内の同業他社においてもその部分は同じと言える)。そのため書店の岩波新書の多くは隅のコーナーでありながら日焼けしていたり、小さな書店ではほとんど取り扱っていない事が多い。

雇用における特徴

かつては業界内では最も高い給与体系としても知られていたが、現在は中堅出版社並みである。また、2013年度定期採用は事実上の縁故採用に限る方針を発表した[1]。岩波書店は批判を受け、サイトで「あくまで応募の際の条件であり、採用の判断基準ではありません。」とする謹告を出した[2]

出版物

雑誌

叢書

かつて刊行されていた叢書

総合辞書

関連人物

脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. 応募条件「コネのある人」宣言 岩波書店が縁故採用」 共同通信 2012年2月2日
  2. 岩波書店 「■小社の「定期採用」報道について――