岩波文庫
テンプレート:基礎情報 書籍 岩波文庫(いわなみぶんこ)は、岩波書店が発行している日本語による文庫本叢書の1つ。1927年(昭和2年)7月10日創刊。ドイツのレクラム文庫を模範とし、古典的価値を持つ書物を刊行する。最初の刊行作品は『新訓万葉集』などである。
目次
評価
書物を安価に流通させ、より多くの人々が手軽に学術的な著作を読めるようになることを目的として創刊[1]された、日本初の文庫本のシリーズである。「袖珍本」などのように小型の判型のシリーズはそれ以前にも発刊されていたが、現在のような「文庫本」のスタイルを完成させたという意味で、岩波文庫の発刊は日本出版史上大きな意義がある。
収録作品
岩波文庫は、日本及び世界の古典的価値を持つ文学作品や、学術書を幅広く収めている。1991年(平成3年)に、活字の大きいワイド版を創刊(B6判)した。ロングセラーを主に現在は毎月一冊を刊行している。また、評価の定着したもののみを収めるという方針をとり、それに達しない、むしろアクチュアリティで注目されるものは、岩波同時代ライブラリー(1990年(平成2年)-1998年(平成10年))、現在では岩波現代文庫に収められる。
すでに戦前期にも岩波文庫に続き、旧新潮文庫や改造社文庫を始め、文庫本を刊行していた出版社はあった。昭和50年代から1993年(平成5年)に掛け、講談社学術文庫、ちくま学芸文庫、講談社文芸文庫、平凡社ライブラリーといった良質のシリーズが現れたために、岩波文庫は、戦前・戦後期のような唯一無二という地位ではなくなっているものの、古典的良書の継続的な提供という意義は未だ健在である。
問題
ただ、『紫禁城の黄昏』、『危機の二十年』(旧版)、『フランス革命の省察』、『きけわだつみのこえ』等のようにその翻訳内容や編集内容に問題が提起されることもある。
『紫禁城の黄昏』抄訳問題
テンプレート:Main 1989年(平成元年)2月に出版された岩波文庫版(入江曜子・春名徹訳)は、原書の全26章中、第1章から第10章・第16章と序章の一部(全分量の約半分)が省かれている。訳者あとがきでは、「原著は本文二十五章のほか、序章、終章、注を含む大冊であるが、本訳書では主観的な色彩の強い前史的部分である第一〜十章と第十六章『王政復古派の希望と夢』を省き、また序章の一部を省略した」と述べている。
岩波文庫版で省略された章には、当時の中国人が共和制を望んでおらず清朝を認めていたこと、満州が清朝の故郷であること、帝位を追われた皇帝(溥儀)が日本を頼り日本が助けたこと、皇帝が満州国皇帝になるのは自然なこと、などの内容が書かれている[2]。
旧版『危機の二十年』誤訳問題
テンプレート:Main 岩波文庫版の旧版訳書は、多数の誤訳や不適切な訳文が指摘された[3]。以後は「在庫なし」の状況となり、入手は困難だったが、2011年(平成23年)11月に新訳書が出版された。
『フランス革命の省察』翻訳問題
テンプレート:Main 岩波文庫版では騎士道を「任侠」と訳するなどの問題が指摘されている。中川八洋は、著書『保守主義の哲学』において、この翻訳について「悪意を感じる」と発言している[4]。
『きけ わだつみのこえ』改変問題
テンプレート:Main 1994年(平成6年)4月23日のわだつみ会総会で、副理事長の高橋武智が理事長に就任し、第4次わだつみ会が発足する。第4次わだつみ会は1995年(平成7年)に岩波文庫から『新版「きけ わだつみのこえ」』を出版したが、遺族や関係者から、「誤りが多い」、「遺族所有の原本を確認していない」、「遺稿が歪められている」、「遺稿に無い文が付け加えられている」、「訂正を申し入れたのに増刷でも反映されなかった」といった批判を浴びることとなる。1998年(平成10年)、遺族は中村克郎・中村猛夫・西原若菜が発起人となって、第4次わだつみ会とは全く別に「わだつみ遺族の会」を結成。うち中村克郎と西原若菜が遺族代表として、わだつみ会と岩波書店に対して「勝手に原文を改変し、著作権を侵害した[5]」として新版の出版差し止めと精神的苦痛に対する慰謝料を求める訴訟を起こす[6]。原告が提出した原本と新版第一刷の対照データをもとに岩波書店が修正した第8刷を1999年(平成11年)11月に出版し提出した結果、翌12月、原告は「要求のほとんどが認められた」として訴えを取り下げた[5]。
買取販売問題
書店の立場から見た岩波文庫は、返品のできない買取での扱いとなるため(書店で扱う本は基本的に仕入れ値段そのままで返品ができる委託販売の形式である)仕入れにはリスクが伴う。そのために岩波文庫を扱っているか否かは、その書店の規模や傾向を判断するバロメーターと成り得る。ただし、破損などによる交換は可能である。
ISBNコード使い回し問題
古典文学の注釈者や外国作品の翻訳者が異なるもの(つまり、同一の校訂者や翻訳者による改訂・改訳の領域を超えているもの)であっても、岩波文庫ではISBNコードを使い回すことがある。
たとえば、佐佐木信綱 編の新訂『新訓 万葉集』上巻のISBN-10は「ISBN 4-00-300051-X」である。新日本古典文学大系を文庫版にした佐竹昭広、山田英雄、工藤力男、大谷雅夫、山崎福之『万葉集(一)』のISBN-13は「ISBN 978-4-00-300051-9」である。ISBN-10の「ISBN 4-00-300051-X」をISBN-13に変換すると「ISBN 978-4-00-300051-9」になるので、ISBNコードは同じものを使っているということになる。
そこで、大学図書館の検索システムなどでは、国立情報学研究所が付与したNII書誌ID(NCID)(これは非常に粒度が細かい番号付けを行っている)を用いて、前者の新訂『新訓 万葉集』上巻にはテンプレート:NCIDを、前者の新訂『新訓 万葉集』上巻〈特装版〉にはテンプレート:NCIDを、後者の『万葉集(一)』にはテンプレート:NCIDを、(新訂ではない)改訂再版『新訓 萬葉集』にはテンプレート:NCIDを割り当てるなどして区別している。
番号 | 編著者 | 書名 | ISBN | NII書誌ID(NCID) |
---|---|---|---|---|
1 | 佐佐木信綱 編 | 新訂『新訓 万葉集』上巻 | ISBN 4-00-300051-X | テンプレート:NCID |
2 | 佐佐木信綱 編 | 新訂『新訓 万葉集』上巻〈特装版〉 | 不明 | テンプレート:NCID |
3 | 佐竹昭広ほか 校注 | 『万葉集(一)』 | ISBN 978-4-00-300051-9 | テンプレート:NCID |
4 | 佐佐木信綱 編 | 改訂再版『新訓 萬葉集』 | 不明 | テンプレート:NCID |
ISBNコードはその書物のユニーク性を維持する目的で定められているものなので、このようにISBNコードを使い回すような運用は本来、行ってはならないルールになっている[7]。
インターネット上の古書市場において、商品の識別にISBNコードに由来する値を用いているシステムを運用していると、それまでの旧版と、全く訳注者が異なる新版とが、同一の番号にひも付けされ、両者を区別して登録することができなくなる。出品者・購入希望者共に留意が必要である。公共図書館の蔵書検索システムや店頭書店の在庫管理システムでISBNコードのみを用いた場合も同様の結果となるので、著者名・校注者名・翻訳者名などもあわせて確認する必要がある。
デザインなど
文庫の巻末に掲載されている「読書子に寄す―岩波文庫発刊に際して」は、当時の教養・啓蒙主義のもと、知識を一般民衆に普及させるために刊行したという旨とともに、ドイツのレクラム文庫を模範とした事などが書かれている。起草は三木清で、当時の社長である岩波茂雄の名で発表された。
かつてはカバーはなく、パラフィン紙をカバーとして本を包み、色帯をつけて分野を明示していた。1960年代頃から他社の文庫ではカバー導入が始まっていたが、岩波文庫のカバー導入は比較的遅く、カバー付岩波文庫の初登場は1982年(昭和57年)10月となった。1987年(昭和62年)7月の新刊からは全てカバーをかけ、帯色を背表紙に表現するようにした。1990年(平成2年)からは復刊にもカバーを付けている。
また、古くからの読者には馴染みが深いが、定価は金額ではなく星印(★)で示しており、★1つ○円などと、星の数で値段を計算していた(1927年(昭和2年)の創刊当初は★1つで20銭であった)。値上げの際には、1973年(昭和48年)に★1つあたりの値段を70円に値上げするまでは、★単価の改訂で告知していた。しかし、1975年(昭和50年)の定価改定時に、☆マークを導入し、★の在庫品に関しては当時の★1つ70円という旧価格で販売し、新刊・重版時に☆マークに切り替え、☆1つ100円とした。さらに、1979年(昭和54年)からは、★マークを50円として設定しなおし、100円の☆マークと併用して50円刻みの価格設定を行った。この方式は1989年(平成元年)の消費税導入時に総額表示が行われるまで続いた。
また、岩波文庫には原則として絶版はなく(翻訳が新しくなったときなどには古いものは絶版にすることがある)、品切れがあるのみで、1982年(昭和57年)から定期的(かつては春と秋、現在は春)に、リクエストの多い過去の刊行物の復刊を行っている。重版も毎月3〜4冊と、数十冊の一斉重版も年に1〜2度している。
なお、岩波文庫ではフランス装の雰囲気を出すために製本工程において天(本の上部)の部分を化粧裁ちしていない[8][9]。
分類
カバーの背表紙下側の色によって大きく5つのジャンルに分けられている。1974年(昭和49年)までは、下位分類は刊行順を基礎とするものであったが、1974年(昭和49年)から著者番号によって小さなジャンルに分けられる方式を採用した。しかし、当初は移行期ということで、帯の背には旧来の刊行順の番号を付けていた。全面的に著者番号を導入したのは1976年(昭和51年)からであり、帯にも著者別番号を記載することになった。
また、本体には、1974年(昭和49年)までは通算した星の数が、番号として記載されていた(定価を改訂して星の数が増えたときは、aを追加していた)が、1974年(昭和49年)の新刊・重版からは著者番号に統一された。
小さなジャンルでは著者番号が原則99人分しか確保されていないことになるが、既に満席となった赤帯500番台のフランス文学や青帯100番台の日本思想などでは、著者番号の前に「N」を付けることで著者数が拡張されている。
帯の色 | 著者番号 | ジャンル |
---|---|---|
青帯 | 1-199 | 日本思想 |
201-299 | 東洋思想 | |
301-399 | 仏教 | |
401-499 | 歴史・地理 | |
501-599 | 音楽・美術 | |
601-699 | 哲学 | |
701-799 | 教育 | |
801-899 | 宗教 | |
901-999 | 自然科学 | |
黄帯 | 日本の古典文学。江戸時代まで。 | |
緑帯 | 日本の近現代文学 | |
白帯 | 1-99 | 法律・政治 |
101-199 | 経済 | |
201-299 | 社会 | |
赤帯 | 外国文学 | |
1-99 | 東洋文学 | |
101-199 | ギリシア・ラテン文学 | |
201-299 | イギリス文学 | |
301-399 | アメリカ文学 | |
401-499 | ドイツ文学 | |
501-599 | フランス文学 | |
601-699 | ロシア文学 | |
701-799 | 南北ヨーロッパ文学 その他 |
この他、解説総目録や文学案内などの別冊がある。