言論の自由
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テンプレート:自由 言論の自由(げんろんのじゆう,テンプレート:Lang-en-short)は自由権の一種で、検閲を受けることなく自身の思想・良心を表明する自由を指す。表現の自由の根幹をなすと考えられ、今日では国際人権法で保護され世界人権宣言第19条、市民的及び政治的権利に関する国際規約(国際人権B規約、自由権規約)にも規定されているものの、多くの国で保障されるには至っていない。
概要
哲学者のアレクシ・ド・トクヴィルは19世紀初頭のアメリカで人々が政府による報復への恐怖からではなく、社会的圧力のために自由に話すのをためらうのを観測した。個人が不人気な意見を発表するとき、その人は彼の共同体からの軽蔑に直面するか、または乱暴な反応を受けるかもしれない。このタイプの言論の抑圧を防ぐことは政府からの抑圧を防ぐよりさらに難しい。通常、市民的自由或は政府の規制からの自由と見なされる言論の自由が、本当に周囲の反応により低下するかどうかに関しては疑問が持たれている。
権力に対する言論の自由は、権力を監視する意味合いがあり、もし制約があれば民主主義とは言えない。しかし、個人に対する言論の自由は、濫用すると、名誉毀損罪・侮辱罪に抵触する恐れがあり、充分に注意して行使しなければならない(ロンドンのハイド・パークにある「スピーカーズ・コーナー」は、この制約さえもなく、主張・発言の自由が完全に保障された珍しい場所であるが、同時に「ヤジの自由」も保障されている)。
言論の自由で、大きな力を発揮してきたのはマスメディアの報道の自由である。政府から独立したマスメディアが言論の自由を利用してこそ、ウォーターゲート事件のように事件を暴露し、場合によっては大統領を辞任に追い込むこともできる。しかし世界各地でメディア支配により法規定が存在しても言論の自由が実質的に制限を受けている例も見られる。アジア・アフリカ諸国の多くでは法的保障すらない場合も多く、例えばシンガポールでは、首相の政策を批判することが首相に対する名誉毀損罪に問われる。そうした社会体制そのものを批判したら、治安紊乱のかどで無期限に収監されることになる。その他、ヨーロッパには「ユダヤ人問題の最終的解決」をナチス寄りに解釈した説もしくはホロコースト否認論を唱えると、禁錮刑が科せられる国も多い(ドイツ・フランス・オーストリア・ハンガリー等)。
一方でマスコミによってしばしば行なわれる私人の醜聞の暴露、宮内庁による天皇皇族の動静の「代表取材」要求や「写真お貸し下げ」を無批判に受け入れる行為は、言論の自由を自滅させる行為であるとする強い批判もある。前者に関しては、一部のブロガーがそれを真似た行為に走り、さらにはネット掲示板にもその情報を広めて非難を浴びることがある。それは、既成マスコミのセンセーショナリズムが一般市民にも発信可能になったに過ぎないと言えるが、そもそもマスコミがそのような行為をするのは一般市民が望むからとも言える。
他の権利との関係
- 言論の自由は生存権を前提としている。なぜなら死人に口はないからである。生命の維持が危害にさらされている場合、言論の自由もまた危害にさらされている。
- 言論の自由は法の下の平等を前提としている。国民という集団を「言論を述べることができるグループ」「言論を述べることができないグループ」に分ければ、当然後者にとって言論の自由を行使する機会が大きく阻害されるからである。
日本の言論の自由をめぐる問題や事件
- 国民新聞社襲撃(1913年)
- 白虹事件(1918年)
- GHQによる「言論および新聞の自由に関する覚書」(1945年)
- 新潟日報社襲撃事件(1946年)
- 言論出版妨害事件(1969年)
- 月刊ペン事件(1975年)
- 赤報隊事件(朝日新聞社支局襲撃事件、1987年)
- 長崎市長銃撃事件(1990年)
- 講談社フライデー事件(1991年)
- 椿事件(1993年)
- ニフティサーブ現代思想フォーラム事件(1994年)
- マルコポーロ事件(1995年)
- 『国が燃える』事件(2004年)
- NHK番組改変問題(2005年1月)
- 加藤紘一宅放火事件(2006年8月15日)
- 政府によるNHKワールド・ラジオ日本への「拉致問題」放送命令問題(2006年11月)
- 人権擁護法案(2002年内閣が提出。2003年廃案となった)
- 青少年健全育成条例(長野県を除く46の都道府県で制定されているが、有害図書指定が言論の自由を圧迫しているという批判がある)
- 在日特権を許さない市民の会など“行動する保守”諸グループによる嫌韓(自称「愛国」)行動