マスメディア
マスメディア(mass media)は、新聞社・出版社・放送局など特定の発信者から、不特定多数の受け手へ向けての情報伝達手段となる新聞・雑誌・ラジオ放送・テレビ放送・インターネット・ブログなどのメディア(媒体)である。マスメディアにより実現される情報の伝達(コミュニケーション)が「マスコミュニケーション」である。
日本では「マスコミュニケーション」を「マスコミ」と略した上で、マスメディアそのものを指す用法が定着している[1]。 日本では「報道」と「ジャーナリズム」と「マスメディア」とが混同される事もある。
目次
概説
- マス(mass)は大衆の意味だとされることが多いが、社会集団や大量などの意もある。世論を形成する。
- 高い公共性が要求される。マスメディア業界(特に大手新聞社・テレビ局)は多くの国民に迅速かつ正確な情報を伝える性格を持つからである。また、大手マスメディアはその公共性ゆえ、博物館におけるイベントやスポーツ大会の主催者、または協賛者になっている。
歴史
大量の受け手への、情報の同時発信を最初に可能にしたのは15世紀半ばのヨハネス・グーテンベルクによる活版印刷の発明である。グーテンベルクは活版印刷術を使い、世界初の近代的な出版物であるグーテンベルク聖書を完成させた。1660年には世界最初の日刊紙「ライプツィヒ新聞」が創刊されて以降、ヨーロッパ各地で日刊新聞が創刊された。欧米や日本では、19世紀の産業革命による都市人口の増加と、初等教育の普及による識字率の上昇に伴い、書籍、新聞の大衆化が進んだ。
1895年には、マルコーニが電波による無線通信の実験に成功したことで、情報を電子的に複製し1ヶ所から同時に多方向へ通信することが可能になり、放送の原理が確立された。1920年に世界最初のラジオ局であるKDKAがアメリカ合衆国・ペンシルベニア州で開局した。1926年にはGEから独立した受信機メーカーRCAが、米三大ネットワークの一つ、NBCを設立、全米へのラジオ放送を開始した。このほか、イギリスでは1922年にBBCの前身であるイギリス放送会社が設立された。
意義
情報を発信する側には、広告や広報の媒体となるほか、社会的弱者を含む多様な立場の意見表明(いわゆるアドボカシー)の場としての機能がある。
情報の受け手には、社会の出来事を知る手段、映画やドラマ、スポーツの鑑賞を楽しむ娯楽の一つとなるほか、選挙など政治参加の場としての機能を持つ。広告を有用な情報として認識する場合は広告の受信手段としての役割もある。
経営
マスメディアの収入源には大きく分けて、情報の発信側から受け取る広告料と、受け手に課金する料金(受信料、購読料など)がある。新聞や雑誌はフリーペーパーを除いて双方に課金し、書籍は通常書籍代として受け手からのみ徴収する。
新聞や雑誌と異なり、放送は課金手段が様々ある。民間放送は広告料のみで運営する。公共放送の場合、BBCやNHKのように受信料のみで運営する局のほか、広告料と受信料の両方受け取る局、政府交付金を受ける局など、国によって収入源が異なる(公共放送の項参照)。衛星放送や有線放送の場合、ペイ・パー・ビュー方式などで視聴者に課金する局もある。
ネットの発達と利用者の増加で、既存メディアは広告や情報の受信手段としての役割をネットと競合するようになり[2]、全体的なメディアの傾向として、収入は頭打ちか減少傾向にある[3][4]。アメリカの新聞社では減少傾向が顕著で、ニューヨーク・タイムズは巨額の赤字を出し、本社社屋の売却などのリストラを進めているほか、2009年には、クリスチャン・サイエンス・モニター、シアトル・ポスト・インテリジェンサー、ロッキーマウンテン・ニュースが経営難で日刊紙の発行を取りやめた。
日本のメディアは、メディア本体による収入のほか、所有不動産の賃貸も収入源としていることが多い(朝日新聞社の朝日ビルディング、中日新聞社の中日ビル、最近ではTBSによる赤坂再開発)。
主なマスメディア
以下、現代におけるマスメディアを媒体別に区分する。
電波を媒体とするマスメディア
紙を媒体とするマスメディア
その他のマスメディア
広義のマスメディアには映画や音楽(レコード)、出版(書籍)全体を含むこともある。
新しいマスメディア
1990年代後半から普及したウェブサイトが既存のマスメディアと肩を並べる影響力を持ちつつある。しかし、従来のマスメディアと呼ばれる概念に含めてよいかどうか議論が分かれている。
取材には資金と組織力が必要なこと、検証可能性の高さなどから、インターネット時代においても新聞社などマスコミ企業の優位性は変わらないという意見がある。また、マスコミ企業は取材中心の通信社的な役割に縮小し、評論や世論形成はブログなど個人のウェブサイトが中心になるという見方もある。インターネット上の市民ジャーナリズムに期待する向きもある。これは一般市民が記者となって取材活動を行うもので、マスコミ企業の欠点の克服・補完を目指している。
この他に、個人とマスコミ企業の中間形態としてミドルメディアも伸びている。
ウェブサイトは僅かの資金で開設でき、政治的に中立性が高い場合も多くある。運営に多額の広告料を受け取る必要がある大手メディアは会社の構造上、中立性・透明性確保が難しいため、大手メディアとウェブサイトの記事差別化が進み、中には急速に読者を増やしているウェブサイトもある。
中小ウェブサイトはその組織力の弱さから、記事の正確性や他社のコピー記事使用の疑問が出されることも多い。しかし、これに対しては、記者クラブで独占取材を許されているマスメディアについては記事の著作権を強く主張できないとの意見も学会などでみられる。
マスメディアの将来
ボルチモア・サン紙の元記者、デイビッド・サイモンは、所詮、インターネットに出ている情報は、既存メディアが流している情報をコピー&ペーストして、それに対し独自の意見を付け加えたものでしかなく、ネットのブロガーや市民記者は寄生虫のようなものだと指摘している。宿主となる既存メディアは、その寄生虫のため、自らの経営を蝕まれ、次第に一次的な情報を提供する既存メディアが弱体化し、社会に正確な情報が行き渡らなくなるという。サイモンは、そのためにも、既存メディアはネットでの情報発信を有料化するか、NPO化して市民の寄付などで経営を健全化していくべきだと主張している[5]。
藤代裕之は、いくら個人メディアが増加しても、まとめサイトやネット上の事件を知らせるミドルメディアの登場が示しているように、人々が何を考えているのか情報を共有するマスメディアのようなメディアはなくならないと主張している。[6]。 しかし既存メディアは双方向ではなく一方的な報道のため、大衆の意見はこうであろうというマスコミの独断に基づく視点であり、必ずしも人々が何を考えているのか情報を共有するものではない。 また、藤代は、マスメディアが凋落してきても、社会の問題を掘り下げ、人々に伝えるという役割の重要性が低下するわけではなく、むしろ、誰もが情報を発信でき、膨大なコンテンツが流通する時代になったからこそ、その人にしか表現できないコンテンツを作れる「プロ」と、重要な情報を選び出す「編集」の重要性が増すとも主張している[7]。
脚注
参考文献
- 伊藤武夫 ら 編著 『メディア社会の歩き方』 世界思想社 2004年
- 桂敬一・田島泰彦・浜田純一 編著 『新聞学』 日本評論社 2009年
- 早川善治郎 編著 『概説マス・コミュニケーション』 学文社 2004年