除名
除名(じょめい・じょみょう)とは、ある団体の構成員に対し、当該構成員の意に反して構成員たる地位を失わせる処分。
通常、当該構成員が団体の規則に違反し、それに対する制裁として行われる。この場合、地位の復権は認められない。
議員の除名
国会における除名
除名は国会議員に対する懲罰の一種として規定されている(日本国憲法第58条第2項、国会法第122条第4号)。
除名処分は、「院内の秩序をみだした議員」が対象とされ(日本国憲法第58条第2項)、より具体的には衆議院規則では「議院の秩序をみだし又は議院の品位を傷つけ、その情状が特に重い者」を対象とするものとし(衆議院規則第245条)、参議院規則では「議院を騒がし又は議院の体面を汚し、その情状が特に重い者」を対象とするものと定めている(参議院規則第245条)。テンプレート:See also
懲罰事犯は懲罰委員会へ付託され(衆議院規則第234条、参議院規則234条)、その後、本会議において委員長が報告することとなる。議員を除名するには除名対象議員が所属する議院の本会議において出席議員の3分の2以上の多数の賛成による議決が必要である(日本国憲法第58条第2項)。なお、議院規則に基づき、本会議決議における除名決議において出席議員の3分の2以上の多数による賛成がなかった場合にも、出席議員の過半数の賛成で他の懲罰を科することができるとされている(衆議院規則第246条、参議院規則第246条)。
除名処分が下されると、当該議員は議員の身分を失う。ただし、除名処分者は処分後の選挙に立候補して当選した場合には再び議員となることができ、両議院は、除名された議員で再び当選した者を拒むことができないものとされている(国会法第123条)。
本会議採決日 | 議院 | 議員 | 賛 | 反 | 比率 | 理由 |
---|---|---|---|---|---|---|
1950年4月7日 | 参議院 | 小川友三 | 118 | 10 | 92.19% | 本会議での予算案採決に際し、反対討論を行っていながら賛成票を投じたことが国会運営の原則を無視するものだとして野党の反発を招いたため |
1951年3月29日 | 衆議院 | 川上貫一 | 239 | 71 | 77.10% | 代表質問での不規則発言(発言許可を受けていない、要は野次。政府・GHQの政策を反動と非難して社会主義国家と革命を賞賛、議会政治の否定とも受け取れる発言)への陳謝を拒否したため |
帝国議会における除名
帝国議会における除名は、衆議院においては院議により、貴族院においては勅裁によるとされていた[1]。
除名の原因は懲罰を原因とするものと召集不応または欠席を原因とするものの2種とされていた[1]。
- 懲罰による除名
- 衆議院においては事犯のあった日から議員20人以上の賛成をもって動議をなし(議院法第98条)、その表決数は出席議員の3分の2以上とされていた(議院法第96条第2項)。ただし、除名された議員が選挙で再選された場合に衆議院はこれを拒むことができないとされていた(議院法第97条)。
- 召集不応または欠席による除名
- 議員が正当な理由なく指定期日後1週間以内に召集に応じない場合、正当な理由なく本会議や委員会を欠席した場合、請暇の期限を過ぎたにもかかわらず議長より発せられた招状を受けてから1週間以内に出席しない場合には、貴族院においては出席停止とした上で上奏して勅裁を請うものとし、衆議院においては除名することとされていた(議院法第99条)。
なお、貴族院議員については禁錮刑以上の刑に処せられた場合または破産宣告を受けてそれが確定した場合にも勅命をもって除名すべきとされ(貴族院令第10条第1項)、除名された議員についてはさらに勅許がなければ再び議員となることができないとされていた(貴族院令第10条第3項)。
本会議採決日 | 議院 | 議員 | 賛 | 反 | 比率 | 理由 |
---|---|---|---|---|---|---|
1893年12月13日 | 衆議院 | 星亨 | 185 | 92 | 66.78% | 収賄疑惑によって議長不信任が議決されたにも関わらず、議長の座に固執したため |
1938年3月23日 | 衆議院 | 西尾末広 | 320 | 43 | 88.15% | 国家総動員法案の審議において近衛首相を「スターリンの如く」と賞賛した発言を逆に政友・民政両党が問題視したため |
1940年3月7日 | 衆議院 | 斎藤隆夫 | 296 | 7 | 97.69% | 反軍演説が軍部の反発を招いたため |
地方議会における除名
現行制度上、地方議員の除名については地方自治法第135条に規定している。除名は懲罰の一種であり(地方自治法第135条第1項)、その動議を議題とするには議員の定数の8分の1以上の者の発議によらなければならない(地方自治法第135条第2項)。また、除名については、定足数は議員の3分の2以上、表決数は議員の4分の3以上とされている。
除名決議に関連する訴訟事件
政党の除名
政党においても、党則で反党行為や反社会的行為や公序良俗に反する行為に対する党員への除名を定めている。特に、国会議員経験者や中央幹部経験者の行動における政党本部による処分の場合は注目される。
公職選挙法第86条第9項・第10項で、国政選挙の比例区の候補者が除名により政党に所属する者でなくなった場合、政党が「当該候補者が政党に所属する者でなくなった旨の届出」と「当該除名の手続を記載した文書」と「当該除名が適正に行われたことを党首が誓う旨の宣誓書」を提出することが規定されている。 この手続きにより、仮に欠員が生じて繰り上げ当選の対象となっていたとしても、政党の比例代表名簿から抹消されているため、当選の権利を有しないこととなる。 当該事例として、第16回参議院議員通常選挙比例代表区で日本新党から出馬した松崎哲久(詳細は日本新党繰上補充事件を参照のこと)、第45回衆議院議員総選挙比例東北ブロックで民主党から出馬した川口民一(比例単独)の事例があげられる。
国会議員経験者の除名処分
いずれも後の保守合同によって自由民主党に参加している。
- 杉原荒太(1956年):参院選出馬。当選したため復党。
- 辻政信(1959年):参院選出馬。参院議員当選後は無所属クラブへ移籍。
- 塚田十一郎(1968年):参院選出馬。当選したため復党。
- 大橋武夫(1971年):島根県知事選をめぐる党内の内紛。のち復党。
- 松田九郎(1995年):参院選出馬。のち自由党へ移籍。
- 柿澤弘治(1999年):1999年東京都知事選挙に自民党推薦候補明石康に対抗して出馬。のち無所属の会へ移籍。
- 栗本慎一郎(1999年):1999年東京都知事選挙で前出の明石でなく当初は舛添要一を擁立し仲違いして石原慎太郎支援。通信傍受法への反対による。政党自由連合へ移籍。
- 上川陽子(2000年):総選挙の公認争いで無所属出馬。当選したため例外として同年中に復党。
- 飯島忠義、新井正則(2004年):公職選挙法違反容疑により逮捕、有罪確定。
- 坂井隆憲(2004年):政治資金規正法違反・公設秘書給与詐欺容疑により逮捕。
- 吉田幸弘(2004年):日歯連事件に絡む公職選挙法違反容疑により逮捕。
- 宮島大典(2004年):民主党へ移籍。
- 中西一善(2005年):強制わいせつ罪により現行犯逮捕。
- 綿貫民輔、亀井静香、亀井久興、長谷川憲正、亀井郁夫(2005年):郵政民営化法案に反対。国民新党を結党し、綿貫と亀井静香は歴代代表。
- 津島恭一、小林興起(2005年):郵政民営化法案に反対。国民新党を経てのち民主党へ移籍。
- 滝実(2005年):郵政民営化法案に反対。新党日本を経てのち、民主党へ移籍。
- 青山丘、宮本一三(2005年):郵政民営化法案に反対。新党日本を経て国民新党へ移籍。
- 荒井広幸(2005年):郵政民営化法案に反対。新党日本を経て新党改革へ移籍。
- 野呂田芳成(2005年):郵政民営化法案に反対。テンプレート:See also
- 佐藤静雄(2007年):小樽市長選へ無所属で出馬。
- 大仁田厚(2007年):参院選で野党候補を応援。テンプレート:See also
- 松田岩夫、小見山幸治(2010年):小見山は除名当時は非議員。民主党へ移籍し、参議院議員に当選。
- 清水鴻一郎、水野賢一(2010年):みんなの党へ移籍。清水はのち日本維新の会へ移籍。
- 舛添要一(2010年):新党改革へ移籍し代表。テンプレート:Main
- 与謝野馨、中山成彬(2010年):たちあがれ日本(太陽の党を経て現・日本維新の会)を結党。与謝野は無所属を経て、議員引退後の2013年に復党。
- 大村秀章(2010年):愛知県知事選出馬、当選も復党せず。
- 浜田和幸(2011年):菅直人首相からの総務政務官就任要請を受諾。無所属を経てのち国民新党に移籍。
- 谷畑孝、松浪健太(2012年):日本維新の会へ移籍。
- 西野陽(2013年):総選挙の公認を辞退し、日本維新の会から立候補した長男の西野弘一を応援。
- 民主党
- 民主党では対外的には「除籍」という言葉を使うが、除名と同義である。
- 特に2012年には、消費増税関連法案や環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加推進など党の対応をめぐり離党の意思を表明する者が続出。執行部は離党を認めず除籍処分を多用したため、今までにない多数の処分者が出ている。
- 山本譲司(2000年):公設秘書給与詐欺容疑により逮捕。
- 田中甲(2001年):政党・尊命を結党。
- 熊谷弘、佐藤敬夫、金子善次郎、山谷えり子、江崎洋一郎(2002年):保守新党を結党。熊谷は新進党在籍時に続き、自身2度目の除名(除籍)。
- 山村健(2002年):政党・尊命へ移籍。
- 古賀潤一郎(2004年):学歴詐称に関する公職選挙法違反容疑。
- 佐藤観樹(2004年):公設秘書給与詐欺容疑により逮捕。
- 小林憲司(2005年):覚せい剤取締法違反容疑で逮捕。
- 田村秀昭(2005年):党の安全保障政策に不満を表明。国民新党へ移籍。
- 西村眞悟(2005年):弁護士法違反容疑で逮捕。無所属、改革クラブ、たちあがれ日本を経て日本維新の会へ移籍。
- 渡辺秀央、大江康弘(2008年):渡辺は改革クラブへ移籍し代表、大江は改革クラブ、幸福実現党を経て無所属。
- 浅尾慶一郎(2009年):みんなの党へ移籍。
- 松木謙公、横粂勝仁(2011年):菅内閣不信任案に賛成。松木は無所属を経て新党大地・真民主へ移籍。横粂は改革の志士を結党、のちに院内会派・改革無所属の会に所属。テンプレート:Main
- 石田三示、内山晃、小林正枝、斎藤恭紀、豊田潤多郎、中後淳、三輪信昭、渡辺浩一郎、渡辺義彦(2012年):新党きづなを結党、内山が代表に就任。その後国民の生活が第一(のち、日本未来の党)へ合流。
- 横峯良郎(2012年):新党大地・真民主へ移籍。
- 小沢一郎、山岡賢次、東祥三、牧義夫、小宮山泰子、樋高剛、鈴木克昌、横山北斗、太田和美、松崎哲久、岡島一正、青木愛、古賀敬章、畑浩治、京野公子、石原洋三郎、黒田雄、木村剛司、岡本英子、萩原仁、村上史好、大谷啓、福嶋健一郎、玉城デニー、瑞慶覧長敏、中野渡詔子、高松和夫、菊池長右エ門、三宅雪子、石井章、金子健一、相原史乃、川島智太郎、笠原多見子、大山昌宏、熊谷貞俊、菅川洋、加藤学、中津川博郷(2012年):消費税増税関連法案に反対。瑞慶覧、中津川を除き国民の生活が第一を結成し小沢が代表に就任(瑞慶覧は無所属のまま、院内会派に所属)、その後日本未来の党へ合流。中津川は改革無所属の会を経て、日本維新の会へ移籍。テンプレート:Mainテンプレート:See also
- 小林興起、小泉俊明(2012年):野田内閣不信任案に賛成、減税日本(のち、日本未来の党)へ移籍。小林は自由民主党在籍時に続き、自身2度目の除名(除籍)。
- 松野頼久、石関貴史、今井雅人、水戸将史(2012年):日本維新の会へ移籍。
- 杉本和巳(2012年):みんなの党へ移籍。
- 熊田篤嗣、水野智彦(2012年):減税日本(のち、日本未来の党)へ移籍。
- 小沢鋭仁、阪口直人、川口浩(2012年):衆議院解散後、日本維新の会へ移籍。
- 山崎誠、福田衣里子、初鹿明博(2012年):衆議院解散に前後してみどりの風へ移籍。その後、日本未来の党へ移籍。
- 中川治(2012年):衆議院解散後、国民の生活が第一(のち、日本未来の党)へ移籍。
- 富岡芳忠(2012年)衆議院解散後、みんなの党へ移籍。
- 山田正彦(2012年):衆議院解散後、反TPP・脱原発・消費増税凍結を実現する党(反TPP)を結成、のちに減税日本に合流し「減税日本・反TPP・脱原発を推進する党」を結党、河村たかしとともに共同代表。さらに、日本未来の党へ合流。
- 長尾敬(2012年):衆議院解散後、自由民主党への移籍を模索(総選挙立候補後に自民党から追加公認を受ける)。
- 辻恵(2012年):衆議院解散後、党の公認を受けながら、日本未来の党へ移籍。
- 川崎稔(2013年):党方針に反し、2012年度補正予算案に賛成。
- 平野達男(2013年):次期参院選に無所属での出馬を模索。
- 山口壯(2014年):自由民主党・志帥会(二階派)に特別会員として入会。
- みんなの党
- みんなの党においても、対外的には「除籍」という言葉を使うが、除名と同義である。
- 西村眞悟(2013年):従軍慰安婦問題を巡る不適切発言。民主党在籍時に続き、自身2度目の除名(除籍)。
- 公明党
- 党所属かつ創価学会員の議員が党から除名されると、続けて学会からも除名処分を受けることになる。テンプレート:See also
- 日本共産党
- 日本共産党においては、1990年以降は除名処分となる者が減り、代わりに「除籍措置」となることが増えてきた。
- 神山茂夫(1954年、1958年処分取り消し、1964年再除名)
- 志賀義雄、鈴木市蔵、中野重治(1964年):日本共産党(日本のこえ)へ移籍し志賀は代表
- 野坂参三(1992年)テンプレート:See also
- 市川正一(2000年):女性問題による党規律違反。
- 衛藤速、濱田寅蔵(1948年)
- 黒田寿男、岡田春夫、中原健次、大田典礼、玉井祐吉、松谷天光光(1948年):労働者農民党を結成
- 足立梅市(1949年)
- 和田敏明(1950年)
- 白井勇(1954年):左派社会党所属・その後自由民主党へ移籍
- 木下源吾(1956年):参院選出馬に伴うもの
- 安部清美(1957年)
- 武藤運十郎(1959年)
- 相沢重明(1967年)
- 岡田宗司、戸叶武、藤原豊次郎(1968年)
- 大橋和孝(1974年):京都府知事選挙に出馬
- 後藤俊男(1974年)
- 金瀬俊雄(1976年)
- 江田三郎、大柴滋夫(1977年):社会市民連合を結党。
- 田英夫、秦豊(1979年 田は1989年取消、1997年復党):社会民主連合を結成。
- 亀田得治(1980年):大阪府知事選挙に出馬。その後除名処分を取り消して離党を受理。
- 辻一彦(1983年、1986年処分取消され復党):総選挙出馬。
- 安恒良一(1992年):東京佐川急便事件にからむ不適切な交際疑惑。テンプレート:Main
- 渋谷修(1993年):衆議院定数是正法案に党方針に反して賛成。「板橋民主党」を結成、その後、新党さきがけを経て民主党へ移籍。
- 小林正(1993年):民主改革連合、新進党を経て自由党へ移籍。
- 川島實(1994年):首相指名選挙で党首の村山富市以外に投票。新進党を経て自由連合へ移籍。
- 伊東秀子、金田誠一、中尾則幸(1995年):伊東は自民党などの推薦を得て北海道知事選へ出馬。金田、中尾は伊東を支援したため。金田は新党さきがけを経て、民主党へ移籍。中尾は新党護憲リベラル、平和・市民、新党さきがけを経て民主党へ移籍。
- 川俣健二郎(1995年):秋田県知事選で、新進党推薦の佐藤敬夫を支援。
- 堀込征雄(1995年):前年の首相指名選挙で海部俊樹に投票。新進党などを経て、それぞれ民主党へ移籍。
- 矢田部理、山口哲夫、栗原君子、小森龍邦、岡崎宏美(1996年):党の日米安全保障条約や自衛隊容認方針をめぐり反発し新社会党を結成。矢田部・栗原は歴代委員長に就任。
- 山花貞夫、嶋崎譲(1996年)[2]:海江田万里らとともに市民リーグを結成。のち民主党へ移籍。
- 上原康助(1998年):党の沖縄基地問題の方針をめぐり、民主党へ移籍。
- 山本正和(2001年):海上保安庁法改正案に党方針に反して賛成。無所属の会へ移籍。テンプレート:See also
- 田嶋陽子、大渕絹子(2002年):党の北朝鮮による日本人拉致問題をめぐる対応などを批判。大渕は民主党へ移籍。
- 原陽子(2004年):民主党公認で静岡県議選に出馬。
- 横光克彦(2005年):民主党へ移籍。
- 阿部知子(2012年):衆議院解散後、無所属を経て日本未来の党へ移籍(除籍処分)。
- 田浦直、米田建三、畑恵、熊谷弘(1996年):田浦と米田は自由民主党へ移籍(畑も無所属を経て自民党へ)。熊谷はのち太陽党、民政党を経て民主党へ移籍。
- 友部達夫(1996年):オレンジ共済組合事件に関与。
戦後の日本共産党における著名人および古参活動家の除名、除籍
1950年代から60年代にかけての日本共産党では、武装闘争路線の継続を目指すなどの分派行為によって多数の除名者を出してきた。テンプレート:Main
これら除名者が改悛した場合を想定して、党規約54条後段には「除名された人の再入党は、中央委員会が決定する」という規定がある。ただし、除名決定の多くが中央委員会によってなされていることもあり(都道府県委員会や支部など下級機関による除名決定もあり得る)、除名を覆すことは困難である[3]。テンプレート:See also除名は党規約54条の前段に「最も慎重に行わなくてはならない」と規定されている通り明確な反党行為が必要だが、除籍は「党員としての資格に欠けるか党の信頼を損ねた」というという理由で可能である。
また10条該当党員に対する支部や地区の決定による除籍では都道府県委員会による再入党決定という形で覆すこともできるが、反指導部的な理由でより上級の組織(都道府県ないしは中央)が除籍を決定した場合は対応が異なり事実上覆せない。その決定的な違いとして除名に認められている再審請求が除籍ではできないことが挙げられる。これは除籍の対象になった者から反論の機会を奪うという点で組織側に有利と判断されている。テンプレート:See also
なお、路線対立を理由とせず、贈収賄など議員・党員として相応しくない行為を理由とした除名・除籍も行なわれている。
- 井上光晴、堤清二[4]、中西功(1950年)
- 島成郎(1950年。1952年復党、1958年再除名)
- 寺尾五郎(1950年。1955年復党、1968年再除名)
- 伊藤律(1953年)
- 栗原幸夫(1954年。1958年復党、1961年再除名)
- 志田重男(1957年)
- 香山健一、福本和夫、森田実(1958年)テンプレート:Main
- 長洲一二(1959年):その後革新統一候補として党の推薦で神奈川県知事に当選するが、後に再び反革新、反共の立場に転向
- 武井昭夫(1960年)
- 安部公房、春日庄次郎、内藤知周、花田清輝、山田六左衛門(1961年)テンプレート:See also
- 宇佐美清治(1963年)テンプレート:See also
- 佐多稲子、野間宏(1964年)
- 志賀義雄、鈴木市蔵、神山茂夫、中野重治(1964年)テンプレート:See also
- いいだもも、吉川勇一(1965年)テンプレート:See also
- 大塚有章(1966年)テンプレート:See also
- 安斎庫治、大隈鉄二、四代目河原崎長十郎、竹中労、西沢隆二、原田長司、福田正義(1967年)テンプレート:See also
- 高野実(1968年)
- 袴田里見、宮地健一[5](1977年)テンプレート:See also
- 増山太助(1979年)
- 古在由重(1984年):除籍措置。
- 有田芳生(1990年):除籍措置。その後新党日本を経て現在は民主党所属テンプレート:See also
- 野坂参三(1992年)
- 霜多正次(1993年):除籍措置。
- 下里正樹(1994年):元赤旗編集局員。権利停止処分後に党を公然批判し除名に切り替わる
- 兵本達吉(1998年)
- 市川正一(2000年)
- 木村愛二(2001年):除籍措置。
- 萩原遼(2005年):元赤旗編集局員、除籍措置。
政党の除名における訴訟事件
法人・組合の除名
テンプレート:Ambox 組合においては、正当な理由がある場合に限り、他の組合員の一致によってすることができる。ただし、この要件は組合の内規により緩和することができる。公益社団法人、公益財団法人、医療法人財団、職業訓練法人および学校法人における構成員(社団法人の構成員)の除名については寄附行為で、一般財団法人および一般社団法人の場合は定款で定める(民法37条)。テンプレート:See also
律令における除名
テンプレート:See also 除名(じょみょう/じょめい)とは、古代の律令制において刑を犯した官人・有位者に対する付加刑。八虐・故殺人・反逆の縁坐の罪を犯した場合、あるいは監臨・主守の職にある者が担当場所にて犯した罪、盗み・略人(人身売買)・受財枉法(収賄して法律を枉げる)・その他五流(流罪)相当の罪などを犯した場合、それぞれの本刑に加えて出身以来の官位・勲位を全て剥奪され、蔭位のない者の場合には庶人に降格された。また、位田・職田・賜田も没収されて一般庶民と同様に課役の対象とされたが、官人が持つとされた「士大夫」としての名誉を重んじる観点から、実際の労役・兵役が伴う課役については免除された。この他にも免所居官(現任の位階、無位であれば勲位の剥奪)、免官(現任の位階・勲位両方の剥奪)などが除名より軽い付加刑として存在していた。これらをまとめて除免(じょめん)と呼ぶ。
日本の律令制においては9世紀以降に執行が事実上停止となった死罪の代替として行われた流罪の付加刑として執行されることもあった。
除免および同様の効果をもたらす換刑措置である官当は官人の身分に関わる重大な処分であったことから、日本においては一旦刑部省などで処分が決定された後も太政官において再審が実施され、更に論奏の手続による天皇の裁可を必要とした。除免・官当となった者の位記は天皇の裁可が降りた日に太政官において破毀され、式部省や兵部省に保管されている位記の写しにも「毀」の一字が上部に記された。
除名とされた場合には処分を受けた時から6載の後(丸6年が過ぎた後の最初の叙位(通常は7年目の正月に実施される叙位))に元の位階などに応じて数段格下げされた位階が再叙された(なお、免所居官の場合には1載の後に1階格下げ、免官の場合には3載の後に2階格下げの位階を再叙されている)。なお、こうした再叙規定は日本では慶雲3年2月16日(706年4月3日)に初めて導入されたことが知られており(『続日本紀』慶雲3年2月庚寅条)、大宝律令には再叙の規定は存在せず、養老律令になってから初めて律令法の規定として加えられたとする説もある。
八虐・故殺人・反逆の縁坐以外の理由で除名された場合には、恩赦によって刑罰が執行されなかった場合でも除名は解除されなかったが、それ以外の理由による除名では恩赦で刑を免除されれば免所居官、減刑されれば免官に処分が引き下げられた。
参考文献
- 利光三津夫「除名」(『国史大辞典 7』(吉川弘文館、1986年) ISBN 978-4-642-00507-4)
- 小林宏「除名」(『日本史大事典 3』(平凡社、1993年) ISBN 978-4-582-13103-1)
- 野村忠夫「除名」(『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-04-031700-7)
- 水本浩典「除名」(『日本歴史大事典 2』(小学館、2000年)ISBN 978-4-095-23002-3)
スポーツ界の除名
日本の場合は、財団や社団となっている各競技団体が前述の「民法上の除名」に沿って、寄附行為や定款、またはルールブックなどで定めている。
日本野球機構の除名
プロ野球を統括する一般社団法人日本野球機構では、野球協約[6]第18章に「有害行為」という条項があり、有期・無期・永久の3段階の失格処分が定められている。このうち無期と永久が本項の「除名」に相当するものである。失格処分を受けた場合、日本野球機構の選手、指導者となることは禁じられる。 テンプレート:Main テンプレート:See also なお永久失格は15年、無期失格はコミッショナー宣言を以て、または5年経過後に本人からの申請で見直しを行い、解除することができる。テンプレート:Main
日本相撲協会の除名
公益財団法人日本相撲協会では、「解雇」を上回る最も重い処分として「除名」の制度があり、一般企業の懲戒解雇、ヤクザ社会の絶縁に相当する強い意思を協会所属員の総意によって表すものと位置づけられる。 処分を受けた場合、退職金、功労金(一般企業の特別退職金に相当)などが一切支払われない。また今後協会が行う一切の活動に参加できなくなるだけでなく、協会ないしは関連の企業との間で利害関係、取引関係を持つこともできなくなる。現役力士が除名された場合は、それまでの番付・地位および競技成績についても一切無かったことにされる。テンプレート:See also
現在は、一般社団・財団法人法第30条の規定に沿い、理事会・評議員会のそれぞれ3分の2以上の賛成による決議を経て、所属員による総会に相当する年寄総会の過半数の賛成を得る必要がある。2014年(平成26年)2月までの旧法財団法人時代は、理事会の4分の3以上の賛成で評議員会を招集し、そこで役員・役員以外の年寄全員、日本国籍を持つ横綱・大関陣全員、および立行司からなる評議員全体の4分の3以上の賛成によって特別決議すると定めていた。
1925年(大正14年)の現法人設立以降では適用された例はないが、明治時代に運営方法の対立から相撲協会とは別の団体を立ち上げようとした力士数名が除名となった例がある。2009年には大麻所持で逮捕された力士に対して除名論が出たが、「前年に大麻所持で逮捕された別の力士を解雇にしており整合性がとれない」「(4分の3以上に緩和されていても)否決でもされれば余計混乱する」として解雇に落ち着いている(なお、解雇でも「引退を許さない」点で重い処分であり、相撲のプロ組織は相撲協会しかないため事実上選手生命を絶たれることになる)。テンプレート:Main
日本学生野球協会の除名
大学・高校のアマチュア野球を統括する公益財団法人日本学生野球協会では、日本学生野球憲章第29条に「協会は学生野球団体、野球部、部員、指導者、審判員および学生野球団体の役員が本憲章に違反し、または前条の注意または厳重注意に従わない場合には、当該の者に対して処分をすることができる」と定めており、その最も重い処分として同30条に除名の規定がある。除名処分を受けると、該当する個人の学生野球に関わる資格がすべて失われ、憲章15条にある「学生野球資格を持たない者との交流」からも排除される。
処分は高校であれば都道府県高等学校野球連盟から日本高等学校野球連盟に報告され、審議委員会で処分の方向性を決定した後、日本学生野球協会の審査室会議に上申されて最終決定が行われる。大学の場合は、所属する大学野球連盟から全日本大学野球連盟への報告を経て協会への上申となる。ただし協会に直接上申がなされることも可能で、この場合は審査室長の指示で日本高野連と全日本大学野球連盟が調査をしなければならない。テンプレート:Mainテンプレート:See also
協会は、除名によって学生野球資格を失った者であっても反省の度合いによっては復帰への道を開いており、憲章29条の6に「処分後の被処分者の情状を考慮して、処分の内容を解除変更することができる」と規定、将来的に除名が取り消される可能性もある。また、審査室が行った除名の決定に不服の場合は協会会長、または日本スポーツ仲裁機構に申し立てができるとも定めている。
1946年(昭和21年)の設立以降現在まで、協会が部員(選手)個人に対して除名処分を行った例はない。2011年(平成23年)12月、覚せい剤取締法違反で逮捕されたとして神奈川県立弥栄高等学校の野球部長を務めていた元教師が日本学生野球協会審査室会議で除名処分を受けたが、出席した日本高野連審議委員長西岡宏堂は「薬物汚染を理由に指導者が除名されたのは史上初ではないか」と認めた[7]。また野球部全体に対する除名は2007年(平成19年)に専修大学北上高等学校が日本高野連審議委員会から処分相当の内示を受け協会に上申された例があるが、この時は審査室会議の前に野球部の解散を発表して処分は行われなかった。テンプレート:Main
柔道の除名
柔道の段級位認定などを行う事実上の最上部団体である公益財団法人講道館では、倫理規定[8][9]第3条で「館員[10]が柔道の場において人権侵害や人格否定行為を起こしたり、柔道精神に反する行為や柔道に携わる者の品位や名誉を傷つける行為があった場合、審理の上処分することができる」と定めており、具体的な処分として第4条に除名の制度がある。これは、傘下の団体である公益財団法人全日本柔道連盟の処分に優越し、講道館から除名処分を受けた者は、講道館が認定していた段級位も取り消される。
なお、全日本柔道連盟においては、除名に相当するものとして「会員登録の永久停止」があり、この適用を受けた者として内柴正人がいる。テンプレート:Main
宗教の除名
キリスト教の除名
キリスト教において、異端の誤った教理の主張者や、罪を犯した者に対して、戒規処分として執行される。除名された者は教会員として扱われなくなり、教会から一切の交際を絶たれるが、悔い改めが認められた場合は、復帰が許される。
仏教の除名
檀家制度においても寺院側に正当な理由があれば檀家を除名することができる。新興宗派では信徒個人または信徒団体が誤った教理を主張、ないしは開祖や幹部を批判したりした場合、あるいは罪を犯した者を除名することがある。
檀家の除名
江戸時代には、檀徒が信徒としての責務を果たせないと判断された場合、寺は寺請証文の発行を拒否することができた。事実上の檀徒除名であり、後日、宗門人別改帳からも削除されて無宿や非人となり、社会生活から除外された。テンプレート:Main
信教の自由が保障された明治以降、菩提寺の住職が檀徒を除名することを「離檀処分」という。具体的には、檀徒となっている寺院に葬儀を依頼しなかった、墓地の管理費を長期間支払わなかったなど寺が著しい不利益を被る理由があるとの判断による。離檀処分を受けると、寺領内の墓地を使い続ける権利が失われ、離檀料を請求されることもある。テンプレート:See also
日蓮正宗宗門の除名
日蓮正宗では、「信徒除名」は破門よりもさらに上の、在家の信徒個人に対し宗派として取り得る最も重い制裁と位置付けられている。これが信徒個人ではなく、傘下の法華講全体を除名相当にするのであれば「講中解散」、また出家した僧侶に対する僧籍の剥奪を伴う制裁は「擯斥」(ひんせき)という。テンプレート:See also
1974年(昭和49年)、日蓮正宗は創価学会と激しく対立した妙信講を講中解散処分にした。これに反発した妙信講は創価学会を相手に暴力事件を起こし(妙信講学会本部襲撃事件)、激怒した宗門は関係した妙信講幹部33人を信徒除名にした。この中には講頭だった浅井甚兵衛や当時理事長で現顕正会会長の浅井昭衛も含まれている。テンプレート:Mainテンプレート:See also
1980年代前半には、正信会に参加した僧侶ら200人以上が擯斥処分を受けた。テンプレート:Main
さらに1992年(平成4年)には前年に創価学会全体ともども破門していた名誉会長池田大作を信徒除名処分にし、1997年(平成9年)には宗規の改正により残る全学会員の信徒資格も喪失させた。テンプレート:See also
これは、日蓮正宗の信徒が他の宗教団体に所属した場合は信徒資格を失うというもので、日蓮正宗の信徒が他宗派を信仰している家に養子縁組をした(嫁いだ)場合に、縁組(嫁ぎ)先の家族を折伏し正宗に入信させず、その家の檀那寺に属した場合も除名の対象となる。江戸時代の宗門改において、民衆は同時期に1つの寺院にしか檀家として登録できないとされたことに由来するものである。
ただし、創価学会や顕正会、正信会から退会したり除名処分を受けた元会員を宗門として受け入れる方法も考慮されており、信徒除名ないしは資格を喪失した者も末寺に参拝し住職の許しを得て勧誡式を受ければ(「御受戒」ともいう)、信徒に復帰することが可能である。テンプレート:Main
創価学会の除名
日蓮正宗の傘下団体として発足し、その後仏教系新興宗教団体となった創価学会は会則69条で「会員は退会または除名によってその資格を喪失する」と定めており、その具体的運用として会則72条に「会員としてふさわしくない言動をした会員に対し、その情状に応じ、戒告、活動停止または除名の処分を行うことができる」という記述がある[11]。
処分に関しては中央および総県に設けられた「審査会」が、区本部長以上の幹部から出される申し立てに対して速やかに処理しなければならないとされる[12]。
- 公明党議員の除名
公明党から除名された議員経験者は遅かれ早かれ学会からも除名されることになる。実例として竹入義勝が1998年(平成10年)に公明党から除名された直後、創価学会も竹入を除名している。また1988年(昭和63年)に党を除名された大橋敏雄も学会から除名されている。しかし藤原行正や矢野絢也は公明党が処分を見送ったため、離党届受理、学会も自主的退会で済んでいる。テンプレート:See also
- 一般会員、学会幹部の除名
また一般会員、学会幹部でも犯罪などで警察に逮捕された場合には容赦なしで除名される。さらに会員規定4条で学会員は会の内外を問わず個人的な金銭の貸し借りを禁じられており、これが発覚すると処罰の対象となり情状に応じ、戒告、降格、活動停止の処分が下り最悪の場合除名もあり得る(あくまで数千円や数万円などのまとまった金額に対してでありジュース代やタバコ銭などの一時的な小銭の貸し借りは容認されている)。テンプレート:Mainテンプレート:See also
この規定は第2代会長戸田城聖が存命だった時代には厳しく運用され、大阪事件では当時の理事長小泉隆と大阪支部長として派遣されていた後の第3代会長池田大作以外に逮捕された学会員全員が除名された。しかし、戸田が死去し池田体制になった後は、日蓮正宗と違って一度除名処分を受けると二度と活動に復帰することはできないという内部の事情もあり、学会が起こした事件に関与した幹部の中には除名されなかった者もいるなど、「学会のために行動し」逮捕されたと認められた学会員や幹部への処遇は戸田時代より甘くなった。
例として、言論出版妨害事件や宮本顕治宅盗聴事件に関与し逮捕され 宮本顕治宅盗聴事件の判決文で挙げられた学会員の一人が除名されず2004年(平成16年)のYahoo! BB顧客情報漏洩事件では創価学会幹部として逮捕されている。また2002年の携帯電話通話記録窃盗事件では逮捕された実行犯の三人は除名されず、通信会社を懲戒解雇処分になった学会員は裁判確定前に創価学会弁護団の斡旋で別の企業に再就職した経緯も存在する[13]。テンプレート:Main
なお、一般会員が退会の手続きを取らないまま日蓮正宗あるいは正信会系の寺院で御授戒を受けたり、冨士大石寺顕正会の入信勤行を行ったことが発覚した場合、総県審査会で除名されることがある。過去には退会の手続きを取っていながら後で取り消されて除名に切り替わったケースがある。テンプレート:See also
冨士大石寺顕正会の除名
同じく日蓮正宗系の新興宗教団体である冨士大石寺顕正会にも会員(信徒)を除名できる制度がある。しかし、顕正会の会則は創価学会と違い除名に関しては何の規定もされていない。学会は除名の最終決定を文書によって行うが、顕正会では支部や隊の幹部が口頭ないし電話で本人に決定を伝えるだけで除名になってしまう。
また学会と同様に一度除名されると復帰は不可能だが、稀に退会者と同様の折伏が行われることもある。その場合、過去に支部や隊レベルで除名の決定を受けていたことが後日発覚すれば本部レベルでの除名に切り替わり、再入信はできなくなる。
創価学会から顕正会に移籍した会員については、昭衛への忠誠心が低下したという理由で除名されても、前述の通り退会ないしは除名処分を受けた時点で学会に戻れなくなる。この結果、学会復帰を諦めて宗門や正信会へ再度移籍した人もいる。ただし、顕正会への入会前に学会員の経験がなかった者については顕正会を除名された後、創価学会へ移籍することができる。この場合、入会に際して地区部長や区本部レベルで通常の新規折伏よりも厳しい審査が行われ、総県を担当する副会長や幹部経験者であれば中央本部の承認が必要となることもある。テンプレート:Main
オウム真理教の除名
- 教団の基本理念、本会則及び役員会の定める規定に反する行為をしたとき
- 重大な法令違反をしたとき
- 教団又は他の会員の名誉・信用を傷つけ、又は重大な損害を与えたとき
- 教団又は他の会員の活動を妨害したとき
- 他の会員のプライバシー権、パブリシティ権、著作権及びその他の権利を侵害したとき
- その他、会員としてふさわしくないと判断される行為をしたとき