長洲一二
テンプレート:政治家 長洲 一二(ながす かずじ、1919年7月28日 - 1999年5月4日)は、日本の政治家、経済学者。専門はマルクス経済学。
神奈川県知事(民選第8・9・10・11・12代)、地方分権推進委員会委員、神奈川県国際交流協会会長、かながわ学術研究交流財団理事長、湘南国際村協会社長などを歴任した。位階勲章は従三位勲一等瑞宝章。
経歴
東京府東京市神田区(現在の東京都千代田区神田)出身[1]。安田商業学校(現:安田学園中学校・高等学校)を卒業後、1937年に日本銀行入行、1939年に退職し、1941年に横浜高等商業学校(現:横浜国立大学)を卒業する。1944年には東京商科大学(現:一橋大学)を卒業。
1944年、三菱重工業に入社。同年、短期現役士官として大日本帝国海軍に入隊し、海軍経理学校に入学。海軍少尉などを経て、1945年、海軍経理学校を卒業した。同年、終戦に伴い東京商科大学特別研究生に着任。1949年に横浜国立大学講師、1951年に同助教授、1963年に同教授、1964年に同経済学部長にそれぞれ着任した。1959年には、安東仁兵衛らとともに雑誌『現代の理論』創刊に参加し(同年廃刊)、日本共産党を離党。1964年、第2次『現代の理論』創刊にも関わり主要執筆者の一人となった(1989年廃刊)。
1975年に神奈川県知事選挙に出馬して初当選。以降、1995年までの5期20年間に渡り、神奈川県知事を務めた。知事在職時の1992年、横浜市の保土ヶ谷公園内に神奈川フィルハーモニー管弦楽団の練習場としてかながわアートホールの建設・開館を行った。
知事退職後は地方分権推進委員会委員や神奈川県国際交流協会会長、かながわ学術研究交流財団理事長、湘南国際村協会社長などを歴任。
1996年、従三位勲一等瑞宝章を受章。1999年5月4日、肝臓癌で療養中に脳梗塞で死去。県民葬が執り行われた。
人物
- 県知事として全国に先駆けて情報公開条例を提案し話題になるも、1982年、山形県最上郡金山町に先に導入されてしまった。
- 1990年、即位の礼に参加。
- 当初は革新自治体の代表例でもあったが、次第に自民党への接近と日本共産党の排除を強めていき、相乗りオール与党の代表例ともなった。
- 後援会「長洲一二と県民の会」の代表は、大学の同窓で京都大学名誉教授の宮崎義一が務めた。
- 『地方の時代』という言葉は長洲一二の造語である。
- 横浜国立大学教授時代のゼミ生に、作家の沢木耕太郎がいる[1]。