9世紀
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9世紀(きゅうせいき)とは、西暦801年から西暦900年までの100年間を指す。
目次
できごと
- 日本では平安時代にあたる。
- 801年 - 征夷大将軍の坂上田村麻呂が陸奥へ向かう。
- 801年 - 畿内の班田を12年に一度とする。
- 802年 - ジャヤバルマン2世がカンボジアを統一。アンコール朝の成立。
- 802年 - 東ローマ帝国で女帝エイレーネーが政変で廃位され、皇帝ニケフォロス1世が即位。
- 802年 - 坂上田村麻呂、胆沢城を築かせる。後に鎮守府を置く。蝦夷の大墓公阿弖流為ら降伏する。
- 803年 - ハールーン・アッラシードがジャアファルを処刑。バルマク家一族を粛清。
- 803年 - 東ローマ皇帝ニケフォロス1世との和約によりヴェネツィアが事実上の独立を勝ち取る。
- 803年 - 坂上田村麻呂、志波城を築く。
- 804年 - 坂上田村麻呂を再び征夷大将軍に任ずる。
- 804年 - 最澄と空海が唐にわたる。
- 805年 - 最澄が天台宗を興す。
- 806年 - 桓武天皇が没し、第51代平城天皇が即位。
- 806年 - 空海が真言宗を興す。
- 806年 - カール大帝による「国王分割令」(ディヴィシオ・レグノールム)。
- 807年 - 生野銀山が開坑された。
- 809年 - 平城天皇が譲位し、第52代嵯峨天皇が即位。
- 811年 - 東ローマ皇帝ニケフォロス1世がプリスカの戦いでブルガリアのクルムに敗北し戦死。
- 812年 - 東ローマ皇帝ミカエル1世ランガベーがカール大帝を「フランク族の皇帝」として承認。
- 813年 - ガリシアのサンティアゴ・デ・コンポステーラで聖ヤコブの墓が発見されたという。
- 813年 - アッバース朝6代カリフのアミーンが異母兄マアムーンに暗殺される。マアムーンが第7代カリフに即位。
- 814年 - 日本最初の勅撰漢詩集『凌雲集』が成立。
- 815年 - 東ローマ皇帝レオーン5世が再び聖像破壊令を出す(第二次イコノクラスム - 843年)。
- 816年 - 空海が高野山金剛峯寺を開基。
- 818年 - 菅原清公らが『文華秀麗集』を編纂。
- 821年 - ホラサーンでターヒル朝が自立する。
- 821年 - 唐と吐蕃との間で長慶会盟が結ばれる。
- 822年 - 現存最古の説話集『日本霊異記』を景戒が編集。
- 822年 - 比叡山の大乗戒壇建立が勅許。
- 823年 - 「唐蕃会盟碑」が建てられる(チベットのトゥルナン寺(大昭寺)前の碑のみ現存)。
- 823年 - 嵯峨天皇が譲位し、第53代淳和天皇が即位。
- 825年 - イングランドでウェセックス王国のエグバート王がマーシアをエランダンで破る。
- 827年 - チュニジアのアグラブ朝がシチリア島征服に着手。
- 828年 - エジプトのアレクサンドリアから聖マルコの遺骸がヴェネツィアに運ばれる(サン・マルコ大聖堂の起こり)。
- 828年ごろ - 空海が綜藝種智院を創設。
- 829年 - ウェセックス王国のエグバートがイングランドを統一。
- 830年ごろ - チェック人(西スラブ族)がモラビア王国建設。
- 830年 - 唐で牛僧孺と李徳裕が争う(牛李の党争)(- 844年)。
- 830年 - アッバース朝カリフのマアムーンがバグダードにバイト・アルヒクマ(知恵の館)を建設する。以後、ギリシア語文献のアラビア語翻訳が盛んになる。
- 833年 - アッバース朝でムウタスィムがカリフに即位。トルコ人奴隷(マムルーク)で親衛隊を組織。
- 833年 - 淳和天皇が譲位し、第54代仁明天皇が即位。
- 835年 - 唐で甘露の変が起こる。
- 836年 - アッバース朝がバグダードからサーマッラーに遷都。
- 838年 - 小野篁を隠岐国に配流。
- 838年 - アモリオンの戦い。
- 840年 - ウイグルがキルギスの攻撃により崩壊。
- 841年 - フォントノワの戦い。
- 842年 - ストラスブールの誓い。
- 842年 - 嵯峨上皇が没する。承和の変が起こり、藤原良房が橘逸勢、伴健岑らを謀反の疑いで配流する。
- 843年 - ヴェルダン条約でフランク王国が3つに分裂。
- 843年 - 東ローマ皇帝ミカエル3世の母テオドラが召集した教会会議で聖像崇敬派の最終的な勝利が確定。イコノクラスム終結。
- 844年 - クラビホの戦い。「ムーア人殺し」聖ヤコブ出現伝説。
- 845年 - 唐の武宗が仏教を弾圧(会昌の廃仏)。
- 847年 - ローマで「ボルゴの火災」。
- 849年 - イタリアのナポリ・アマルフィ・ガエタの艦隊がイスラム艦隊に勝利(オスティアの海戦)。
- 849年 - 東ローマ皇帝ミカエル3世の叔父バルダスによりコンスタンティノポリス大学(マグナウラ宮殿大学)が再興される。
- 850年 - 仁明天皇が譲位し、第55代文徳天皇が即位。
- 853年 - 唐の商人欽良暉漂着。
- 858年 - 文徳天皇が没し、第56代清和天皇が即位。
- 858年 - 藤原良房が臣下としては初の摂政となる。
- 859年 - 唐で裘甫の乱が起こる。
- 860年 - 行教が清和天皇の命を受けて石清水八幡宮を創建。
- 860年 - ヴァリャーグが東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを攻撃するも撃退される(ルーシ・ビザンツ戦争)。
- 862年 - 伝説ではノルマン人ルス族のリューリクがノブゴロド公国を建国する。ロシア国家のはじまり。
- 863年 - 東ローマ帝国のメトディオス、キュリロス(コンスタンティノス)兄弟がスラヴ人に対してキリスト教伝道を開始する。
- 863年 - 神泉苑にて最初の御霊会が行われる(祇園祭の始まり)。
- 864年 - 富士山貞観噴火。
- 864年ごろ - 第一次ブルガリア帝国のボリス1世がキリスト教に改宗する。
- 866年 - 応天門の変がおこる。応天門放火の罪で大納言伴善男が流罪となる。
- 867年 - 東ローマ帝国でバシレイオス1世がクーデターで皇帝に即位。マケドニア王朝を開く。
- 867年 - イランにサッファール朝が興る。
- 868年 - 唐で龐勛の乱が起こる。
- 868年 - エジプトにトゥールーン朝が興る。
- 869年 - 第4コンスタンティノポリス公会議による総主教フォティオスの追放(- 870年)。
- 869年 - デーン人ヴァイキング(大異教徒軍)との戦いでイースト・アングリア王エドマンドが殉教する。
- 869年 - イラクで黒人奴隷が反乱を起こす(ザンジュの乱)。
- 869年 - 貞観地震発生。陸奥国を大津波が襲う。
- 870年 - メルセン条約により中部フランクが東西に2分割される。
- 871年 - アルフレッドがイングランド王となる(- 899年)。
- 871年ごろ - アイスランドの植民始まる。
- 874年 - 唐の僖宗皇帝が法門寺に仏舎利ほかの宝物を寄進し封印する(法門寺地下宮殿宝物)。
- 875年 - 唐で黄巣の乱が起こる(- 884年)。
- 875年 - 中央アジア最初のイラン系イスラム王朝であるサーマーン朝が興る。
- 875年 - イタリアにおけるカロリング朝の断絶。
- 876年 - 清和天皇が譲位し、第57代陽成天皇が即位。
- 877年 - トゥルーン朝がシリアを併合。
- 877年 - キエルジー勅令により西フランク王シャルル2世が諸侯の官職の世襲を認める。
- 878年 - イングランド王アルフレッドがヴァイキングのデーン人の侵入を撃退。ウェドモーアの和議が結ばれる。
- 878年 - 藤原保則が陸奥の蝦夷平定に出発。
- 879年 - コンスタンティノポリスの教会会議による総主教フォティオスの復権(- 880年)。
- 879年 - ボソにより下ブルグント王国が独立し、プロヴァンス地方がその版図となる。
- 879年 - クロアティアの独立がローマ教皇ヨハネス8世に認められる。
- 880年 - リブモント条約により西フランク王国がロレーヌ西部を放棄。カロリング家の領土相続争いが決着する。
- 882年 - オレグがリューリクの子イーゴリを擁してキエフを占領し、キエフ大公国を建てる。
- 884年 - 藤原基経によって陽成天皇が事実上廃位させられ、第58代光孝天皇が即位。
- 885年 - ノルマン人のパリ攻撃に対しパリ伯ウードらが篭城戦( - 886年)。
- 886年 - イングランド王アルフレッドとデーン王グスルムとの間で協定が結ばれる。
- 887年 - 藤原基経が初の関白となる。
- 887年 - イタリアにおけるカロリング朝断絶。
- 887年 - 光孝天皇が没し、第59代宇多天皇が即位。
- 888年 - 最後の統一フランク王のカール3世(肥満王)が没し、統一フランク王国は分裂する。
- 888年 - ルドルフ1世により上ブルグント王国が独立し、スイス西部がその版図となる。
- 889年 - 高望王に平姓を賜う(桓武平氏)。
- 891年 - 宇多天皇が菅原道真らを登用して国政改革に着手。
- 892年 - 朝鮮半島で甄萱が完山(全州)に後百済を建てる。新羅が分裂への道を歩み始める。
- 892年 - アッバース朝が再びバグダードに遷都。
- 892年頃 - 東ローマ皇帝レオーン6世により「バシリカ法典」が出される。
- 893年 - ブルガリア王にシメオン1世が即位する。第一次ブルガリア帝国は全盛期を現出。
- 894年 - 菅原道真の進言により、遣唐使が廃止される。
- 895年 - 東国で7年間に及ぶ群盗蜂起(寛平・延喜東国の乱)が勃発。
- 896年 - ハンガリーに騎馬民族が定住した。
- 897年 - 父である宇多天皇より位を譲られて、第60代醍醐天皇が即位する。
- 899年 - 藤原時平が左大臣に、菅原道真が右大臣に就任。対立が激化。
人物
キリスト教世界
フランク王国
- カール大帝(742年 - 814年) - フランク王(在位768年 - 814年)・西ローマ皇帝(在位800年 - 814年)
- ルートヴィヒ1世(敬虔王)(778年 - 840年) - カール大帝の子でフランク王・西ローマ皇帝(在位814年 - 840年)
- ロタール1世(795年 - 855年) - ヴェルダン条約による中央フランク王(在位843年 - 855年)
- ルートヴィヒ2世(804年 - 876年) - ヴェルダン条約による東フランク(ドイツ)王(在位843年 - 876年)
- シャルル2世(禿頭王)(823年 - 877年) - ヴェルダン条約による西フランク(フランス)王(在位843年 - 877年)
- カール3世・シャルル肥満王(839年頃 - 888年) - 東西フランク王を兼任した最後のカロリング朝皇帝(在位881年 - 887年)
- ウード(860年頃 - 898年) - パリ伯・ノルマン人からパリを死守した功で西フランク国王となる(在位888年 - 898年)
- アニアーヌのベネディクトゥス(750年頃 - 821年) - 修道士・ルートヴィヒ敬虔王に近侍しベネディクトゥスの修道規則を普及させる
- アインハルト(770年頃 - 840年) - フランク王国宮廷学校教授・アルクインの弟子・『カール大帝伝』の著者
- ラバヌス・マウルス・マグネンティウス(780年頃 - 856年) - マインツ大司教・『事物の本性』ほかを執筆・「ゲルマニアの教師」
- ヒンクマール(806年頃 - 882年) - ランス大司教・ランス大聖堂でのフランス王の塗油戴冠を定式化・『サンベルタン年代記』も執筆
- ヨハネス・スコトゥス・エリウゲナ(810年? - 877年?) - フランク王国宮廷学校校長・神学者・哲学者・『自然区分論』を著す
イタリア
- ニコラウス1世(820年? - 867年) - ローマ教皇(在位858年 - 867年)・総主教フォティオスと対立
- ヨハネス8世(? - 882年) - ローマ教皇(在位872年 - 882年)・サラセン人の攻撃からローマを守る
- フォルモスス(? - 896年) - ローマ教皇(在位891年 - 896年)・いわゆる「死体裁判」で辱めを受ける
イングランド・スコットランド
- エグバート(775年? - 839年) - ウェセックス王(在位802年 - 839年)・マーシアを破りイングランドを統一
- エゼルウルフ(? - 858年) - ウェセックス王(在位839年 - 858年)・エグバードの子・アルフレッド大王の父
- アルフレッド大王(849年 - 899年) - イングランド王(在位871年 - 899年)・海軍を創設しデーン人を追い払う
- ケネス・マカルピン(810年 - 858年) - 最初のスコットランド王(在位848年 - 859年)・アルバ王国を建設
東ローマ帝国
- テオファネス(752年頃 - 818年頃) - 東ローマ帝国の修道士・年代記作者・この時代の記録として『テオファネスの年代記』は重要
- ニケフォロス1世(760年? - 811年) - 東ローマ皇帝(在位802年 - 811年)・アモリア朝の始祖・クルムに敗北し戦死する
- レオーン5世アルメニオス(? - 820年) - 東ローマ皇帝(在位813年 - 820年)・イコノクラスムを再開し総主教ニケフォロス1世を解任
- テオドラ(815年頃 - 867年以降) - 東ローマ皇帝テオフィロスの皇后・息子ミカエル3世の摂政としてイコノクラスムを終結させる
- バシレイオス1世(827年 - 886年) - 東ローマ皇帝(在位867年 - 886年)・ミカエル3世を倒しマケドニア王朝を開く
- フォティオス(820年 - 897年) - コンスタンティノポリス総主教・神学者・古典文献学者・『図書総覧』を著す・ローマ教皇と対立
- メトディオス(826年 - 885年) - 東ローマ帝国の神学者・修道士・「スラブ人の使徒」・グラゴル文字を作る・キュリロスは弟
- キュリロス(827年 - 869年) - 東ローマ帝国の神学者・修道士・「スラブ人の使徒」・グラゴル文字を作る・メトディオスは兄
東欧
- クルム(755年 - 814年) - ブルガリア国王(ハーン)(在位803年 - 814年)・プリスカの戦いで東ローマ帝国を破り領土を拡大
- リューリク(? - 879年) - ヴァリャーグ(ヴァイキング)の一族でノヴゴロド公国の建国者(在位864年 - 879年)
- ラスチスラフ(? - 870年) - モラヴィア王国の国王(在位846年 - 870年)・メトディオスとキュリロス兄弟の宣教を支援
- ボリス1世(? - 907年) - ブルガリア国王(在位852年 - 889年)・キリスト教(東方正教)を受容し従来の宗教を弾圧
- オフリドのクリメント(840年頃 - 916年) - オフリドの主教・スラブ人へ東方正教を宣教・スラヴ語での説教や著述活動を行う
- シメオン1世(863年頃 - 927年) - ブルガリア最盛期の君主・国王(在位893年 - 913年)・皇帝(在位913年 - 927年)
- オレグ(? - 912年/922年) - リューリクの一族か・キエフ公国の建国者(在位882年 - 912年)・ドニエプル水系から黒海を支配
イベリア半島
イスラム世界
アッバース朝
- ハールーン・アッラシード(763年 - 809年) - アッバース朝第5代カリフ(在位786年 - 809年)・王朝の全盛期を現出
- マアムーン(786年 - 833年) - アッバース朝第7代カリフ(在位813年 - 833年)・「知恵の館」を設置
- ムウタスィム(794年 - 842年) - アッバース朝第8代カリフ(在位833年 - 842年)・サマッラーに遷都
- ジャアファル(766年? - 803年) - アッバース朝の政治家・名門バルマク家出身・権力を恣にしたがカリフにより一族とも殲滅される
- アリー・ブン・ムハンマド(? - 883年頃) - イラク南部での黒人反乱のザンジュの乱の指導者・アッバース朝を弱体化させる
イラン系諸王朝
- ターヒル・イブン・アル・フサイン(? - 822年) - ターヒル朝の建国者(在位821年 - 822年)。アッバース朝から最初に独立
- ヤアクーブ・イブン・アル=ライス・アル=サッファール(840年 - 879年) - サッファール朝の建国者(在位867年 - 879年)。アイヤール(イラン世界における任侠の徒)出身
- ナスル・イブン・アフマド(? - 892年) - サーマーン朝の建国者(在位875年 - 892年)。ブハラを首都にトランスオクシアナを支配
学者・詩人
- アブー・ヌワース(756年 - 814年) - アッバース朝最盛期に活躍した詩人・飲酒や少年愛などを歌ったことで知られる
- シャーフィイー(767年 - 820年) - イスラム法学者・シャーフィイー学派の祖・著作に『起源の書』がある
- アル・ジャーヒズ(776年 - 869年頃) - アラブ古典散文学の確立者・著作に『けちんぼども』『動物の書』などがある
- フワーリズミー(780年/800年 - 845年/850年) - 「知恵の館」で活躍・地理学者・天文学者・数学者として移項の原則をまとめる
- イブン・ハンバル(780年 - 855年) - イスラム法学者・ハンバル学派の祖・著作に『ムスナド』がある
- キンディー(801年 - 873年?) - 「知恵の館」で活躍・科学者・数学者・哲学者であり「アラブの哲学者」と呼ばれる
- フナイン・イブン・イスハーク(808年頃 - 873年頃) - 「知恵の館」で活躍・主任翻訳官でネストリウス派キリスト教徒
- ファルガーニー(9世紀前半) - 天文学者・『天の運動と天文知識の集成』やアストロラーベに関する著作がある
- ブハーリー(810年 - 870年) - イスラム法学者・スンナ派ハディース集の最高峰とされる『真正集』の編纂者
- バラーズリー(? - 892年頃) - 歴史学者・イスラム帝国の拡大を描いた『諸国征服史』や有名人の伝記集『貴族の系譜』がある
- ジュッバーイー(? - 915年) - イスラム神学者・合理主義的神学ムウタズィラ派の代表・アシュアリーは弟子だったが後に離反
- イブン・フルダーズベ(820年頃 - 912年) - アッバース朝のペルシャ系官僚・地理学者・アラビア語最古の地誌『諸道と諸国の書』を執筆
- サービト・イブン・クッラ(826年 - 901年) - 「知恵の館」で活躍・ハッラーンのサービア教徒の出身・数学者として友愛数を発見
- タバリー(838年 - 923年) - イスラム法学者・歴史学者として『諸使徒と諸王の歴史』がある
- バッターニー(850年? - 929年) - シリアで活躍した天文学者・数学者・三角法の整理や私設天文台の設置で知られる
- ムハンマド・ムンタザル(868年 - 874年?) - シーア派(十二イマーム派)での第12代イマーム(隠れイマーム)・マフディー
南アジア・東南アジア・チベット
- ダルマパーラ(? - 815年) - インドのパーラ朝の王(在位770年 - 815年)・仏教を保護しヴィクラマシーラ寺院を建立
- ゴーヴィンダ3世(? - 814年) - インドのラーシュトラクータ朝の王(在位793年 - 814年)・カナウジからインド南端コモリン岬まで征服
- シャンカラ(788年頃 - 820年頃) - インドのヴェーダーンタ派の哲学者で不二一元論を提唱する・著作に『ブラフマ・スートラ注解』がある
- ジャヤーヴァルマン2世(? - 834年) - カンボジアのアンコール朝の建国者(在位802年 - 834年)・シャイレーンドラ朝から独立
- アモーガヴァルシャ1世(801年 - 878年) - インドのラーシュトラクータ朝の王(在位814年 - 878年)・『カヴィーラージャ・マールガ』を執筆
- チツクデツェン(レルパチェン)(? - 841年) - チベットの吐蕃の王(在位815年 - 841年)・唐との間に長慶会盟を結び仏教興隆に尽くすが暗殺される
- ランダルマ(803年/809年 - 842年/843年) - チベットの吐蕃の王(在位841年? - 842年/843年)・チツクデツェンの弟・廃仏を行い暗殺される
東アジア
唐
- 武宗(814年 - 846年) - 唐の第18代皇帝(在位840年 - 846年)・会昌の廃仏を行う
- 宣宗(810年 - 859年) - 唐の第19代皇帝(在位846年 - 859年)・牛李の党争を抑え小康期をもたらす
- 牛僧孺(779年 - 847年) - 唐の政治家・科挙出身者の代表として牛李の党争を引き起こす
- 仇士良(781年 - 843年) - 唐の宦官・甘露の変で李訓や鄭注を処刑し皇帝文宗を幽閉
- 李徳裕(787年 - 849年) - 唐の政治家・門閥貴族の代表として牛李の党争を引き起こす
- 恵果(746年 - 806年) - 唐の僧侶・真言宗第七祖・長安青龍寺住持・両部曼荼羅を大成・空海の師
- 百丈懐海(749年 - 814年) - 唐の僧侶・禅門の規範として『百丈清規』を定め勤労を尊重する自給自足の体制を確立した
- 韓愈(768年 - 824年) - 唐の文人士大夫・唐宋八大家の一人・皇帝憲宗の怒りに触れた『論仏骨表』がある
- 白居易(772年 - 846年) - 唐の詩人・政治家・詩文集『白氏文集』があり「長恨歌」「琵琶行」が有名
- 柳宗元(773年 - 819年) - 唐の文人士大夫・唐宋八大家の一人・詩では「江雪」散文では「永州八記」が有名
- 柳公権(778年 - 865年) - 唐の政治家・書家・楷書に優れ「玄秘塔碑」などを残す
- 李賀(791年 - 817年) - 唐の詩人・「蘇小小歌」など幻想的な作品を残し「鬼才」と評される
- 呂洞賓(798年? - ?) - 唐の道士・中国を代表する仙人の「八仙」の一人
- 段成式(803年 - 863年) - 唐の官僚・怪異をまとめた『酉陽雑俎』の著者
- 杜牧(803年- 853年) - 唐の詩人・官僚・李商隠と共に「晩唐の李杜」とも称される
- 李商隠(812年 - 858年) - 唐の詩人・官僚・杜牧と共に「晩唐の李杜」とも称される
- 張彦遠(815年頃 - 877年頃) - 唐の官僚・著述家・『歴代名画記』を著し画史の祖とされた
- 趙帰真(? - 846年) - 唐の道士・皇帝武宗に近侍し会昌の廃仏を進める・廃仏中止で斬殺される
- 臨済義玄(?- 867年) - 唐の禅僧で臨済宗の開祖・語録に『臨済録』がある・「臨済の喝」で有名
- 王仙芝(? - 878年) - 唐末の反乱指導者・黄巣の協力者・後に黄巣と別れるが反乱は鎮圧される
- 黄巣(? - 884年) - 唐末の反乱指導者・黄巣の乱を起こし大斉皇帝を名乗る(在位880年 - 884年)・反乱は鎮圧される
- 李克用(856年 - 908年) - 唐末の突厥沙陀部出身の軍閥指導者で黄巣の乱を鎮圧・後唐の李存勗(荘宗)の父
日本
- 坂上田村麻呂(758年 - 811年) - 征夷大将軍・大納言・陸奥国の蝦夷制圧に功績を残す
- 藤原薬子(? - 810年) - 尚侍(女官)・兄の藤原仲成とともに平城上皇を擁して薬子の変を起こす
- 景戒(生没年不詳) - 法相宗(薬師寺)の僧・日本最初の仏教説話集『日本霊異記(日本国現報善悪霊異記)』の著者
- 最澄(伝教大師)(767年 - 822年) - 入唐僧・天台宗の祖で比叡山延暦寺開山・著作に『顕戒論』がある
- 空海(弘法大師)(774年 - 835年) - 入唐僧・真言宗の祖で高野山金剛峰寺開山・書家(三筆の一人)・著作に『三教指帰』がある
- 藤原冬嗣(775年 - 826年) - 公卿・左大臣(閑院大臣)・最初の蔵人頭となる・「弘仁格式」や「内裏式」を編纂
- 橘逸勢(782年? - 842年) - 官人・書家(三筆の一人)・遣唐使で唐に渡る・承和の変で流罪となる
- 嵯峨天皇(786年 - 842年) - 第52代天皇(在位809年 - 823年)・書家(三筆の一人)
- 橘嘉智子(786年 - 850年) - 嵯峨天皇の皇后(檀林皇后)・仁明天皇の母・橘氏を支援し学館院を設立
- 円仁(慈覚大師)(794年 - 864年) - 入唐僧・天台山門派の祖・『入唐求法巡礼行記』を著す
- 高岳親王(真如)(799年 - 865年?) - 廃太子・空海の弟子となり入唐後さらに天竺を目指す
- 小野篁(802年 - 853年) - 公卿・参議・学者・歌人・遣唐副使の任免で衝突し隠岐へ流される
- 藤原良房(804年 - 872年) - 公卿・太政大臣・人臣最初の摂政・承和の変や応天門の変に勝利し北家全盛を築く
- 伴善男(811年 - 868年) - 公卿・大納言・応天門の変の犯人とされ伊豆に流される
- 円珍(智証大師)(814年 - 891年) - 入唐僧・天台寺門派の祖・長等山園城寺(三井寺)を再興
- 源融(822年 - 895年) - 公卿・左大臣(河原左大臣)・賜姓源氏の一人(嵯峨源氏の祖)
- 在原業平(825年 - 880年) - 蔵人頭・歌人(六歌仙の一人)・『伊勢物語』の主人公とされる
- 小野小町(生没年不詳) - 女流歌人(六歌仙の一人)・絶世の美女とされ日本各地に伝説が残る
- 益信(本覚大師)(827年 - 906年) - 真言宗の僧・東密広沢流の祖で円成寺開山・仁和寺で宇多法皇を受戒
- 相応(831年 - 918年) - 天台宗の僧・比叡山での千日回峰行の祖とされ数々の霊験譚が伝えられている
- 聖宝(理源大師)(832年 - 909年) - 真言宗の僧・東密小野流の祖で醍醐寺開山・当山派修験道の祖
- 藤原基経(836年 - 891年) - 公卿・太政大臣・最初の関白・藤原良房の養子・陽成天皇を廃し光孝天皇を擁立
- 菅原道真(845年 - 903年) - 公卿・右大臣・詩人・学者・宇多上皇の信任を得て昇進する・遣唐使を廃止
10年紀と各年
800年代 | 800 | 801 | 802 | 803 | 804 | 805 | 806 | 807 | 808 | 809 |
810年代 | 810 | 811 | 812 | 813 | 814 | 815 | 816 | 817 | 818 | 819 |
820年代 | 820 | 821 | 822 | 823 | 824 | 825 | 826 | 827 | 828 | 829 |
830年代 | 830 | 831 | 832 | 833 | 834 | 835 | 836 | 837 | 838 | 839 |
840年代 | 840 | 841 | 842 | 843 | 844 | 845 | 846 | 847 | 848 | 849 |
850年代 | 850 | 851 | 852 | 853 | 854 | 855 | 856 | 857 | 858 | 859 |
860年代 | 860 | 861 | 862 | 863 | 864 | 865 | 866 | 867 | 868 | 869 |
870年代 | 870 | 871 | 872 | 873 | 874 | 875 | 876 | 877 | 878 | 879 |
880年代 | 880 | 881 | 882 | 883 | 884 | 885 | 886 | 887 | 888 | 889 |
890年代 | 890 | 891 | 892 | 893 | 894 | 895 | 896 | 897 | 898 | 899 |
900年代 | 900 | 901 | 902 | 903 | 904 | 905 | 906 | 907 | 908 | 909 |