隠岐国
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テンプレート:Pathnav テンプレート:基礎情報 令制国 隠岐国(おきのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。
目次
「隠岐」の名称
平城宮(平城京)木簡には「隠伎国」と表記されている。
隠岐島
隠岐島(おきのしま)は、日本海にある島根県所属の島々である。島根半島から北東へ約65km、日本海にある隠岐諸島は大小180余りの島々から成り立つ群島型離島。西ノ島、中ノ島、知夫里島と島後島(どうごじま)の4島に人が住み、島後に対して前3島を島前(どうぜん)と呼ぶ。
沿革
7世紀に設置された。
国内の施設
国府
『和名抄』によれば、国府は周吉郡にあった。現在の隠岐郡隠岐の島町で稲益・横田(おおた)、甲ノ原遺跡、原田地区と推定されるが、遺跡はまだ見つかっていない。
国分寺
- 隠岐国分寺
- 隠岐の島町池田の真言宗国分寺境内に存在したと考えられている。本堂・南門・中門跡などの礎石といわれるものが残っているが、まだ本格的な発掘調査が行われていないため、当時の伽藍配置などは不明である。
尼寺跡は、国分寺の南東500メートルの所に比定される。
神社
- 知夫郡 由良比女神社 (隠岐郡西ノ島町浦郷) - 名神大社。
- 知夫郡 大山神社 (隠岐郡西ノ島町大津)
- 知夫郡 海神社二座 (隠岐郡西ノ島町別府)
- 知夫郡 比奈麻治比賣命神社 (隠岐郡西ノ島町宇賀)
- 知夫郡 眞氣命神社 (隠岐郡西ノ島町物井)
- 知夫郡 天佐志比古命神社
- 海部郡 奈伎良比売命神社
- 海部郡 宇受加命神社 (隠岐郡海士町) - 名神大社。
- 周吉郡 賀茂那備神社
- 周吉郡 水祖神社
- 周吉郡 玉若酢命神社
- 周吉郡 和気能須命神社
- 穏地郡 天健金草神社
- 穏地郡 水若酢命神社 (隠岐郡隠岐の島町) - 名神大社。
- 穏地郡 伊勢命神社 (隠岐郡隠岐の島町) - 名神大社。
玉若酢命神社は宮司家が国造を称するなど、実質的には一宮・水若酢命神社よりも玉若酢命神社の方が格が上であった。二宮以下は存在しない。
後醍醐天皇の行在所
元弘2年(1332年)に後醍醐天皇は隠岐へ流罪となる。隠岐での後醍醐天皇の行在所と伝えられる土地は二箇所あり、島根県西ノ島町の天皇山には天皇の行在所と伝えられる黒木御所址や黒木神社、寵姫の阿野廉子の三位局屋敷跡や監視を行っていた見付島などの史跡が存在し、古文書も保管されている。一方国分寺の存在した隠岐の島町にも行在所があったと伝えられている。
地域
郡
戦国時代
尼子氏は隠岐の守護代から守護となり隠岐を支配したが、尼子氏の滅亡とともに隠岐国は毛利氏一門の吉川元春の支配となった。
江戸時代
隠岐は松江藩(堀尾家、京極家)の分国となったが、寛永15年(1638年)以降は天領となった。
人物
国司
- 犬養大万侶:天平5年2月19日(733年3月13日)見
- 民古麻呂:天平5年2月19日(733年3月13日)見
- 日下部乙万呂:天平宝字元年8月5日(757年8月28日)見
- 下道黒麻呂:天平宝字6年4月1日(762年5月3日)任
- 坂本男足:天平宝字8年10月9日(764年11月10日)任
- 石川永年:天平神護元年8月1日(765年8月25日)任
- 越智貞厚:貞観11年10月26日(869年12月7日)見
- 伴有世:仁和2年2月3日(886年3月16日)見
- (姓欠)良宗:延喜16年(916年)見
- 吉備忠常:延喜16年(916年)見
- 八木雅光:長徳2年(996年)任
- 語(名欠):長保2年(1000年)任
- 滋野(名欠):寛弘4年(1007年)任
- 藤原親通:寛弘6年(1009年)任終
- 藤原実雅:寛弘7年1月(1010年1月)任、長和3年1月(1014年2月)得替
- (姓欠)遠晴:長和3年1月24日(1014年3月4日)見
- (姓欠)時重:治安1年12月16日(1022年1月26日)見
- 源道成:長元4年1月25日(1031年2月25日)見
- 宗岡国任:長元7年1月29日(1034年2月26日)任
- 八木元蔭:長元8年1月(1035年2月)任、長暦2年1月(1038年2月)停
- 平兼基:承暦4年8月2日(1080年8月25日)見
- 卜部兼経:永保元年(1081年)見
- 源成経:永保元年12月16日(1082年1月23日)功過
- 平資季:応徳元年1月17日(1084年3月2日)見
- (姓欠)経直:寛治7年6月9日(1093年7月11日)見
- 橘為重:嘉保元年2月22日(1094年3月17日)任
- 紀成久:嘉保元年12月(1095年1月)任
- 平正盛:承徳元年8月25日(1097年10月9日)任
- (姓欠)延行:嘉承元年(1106年)任
- 藤原実盛:元永元年1月18日(1118年2月17日)任
- 藤原資定:大治元年2月(1126年3月)任
- 中原師遠:大治5年1月28日(1130年3月16日)任
- 大江行重:長承元年10月30日(1132年12月16日)見
- (大江?)遠兼:保延元年6月26日(1135年8月14日)見
- 藤原資憲:保延4年5月2日(1138年6月17日)見
- 藤原光忠:保延5年1月24日(1139年3月3日)任隠岐権介、※下国の隠岐に介は無いため讃岐権介か?
- 藤原信盛:久安3年1月28日(1147年3月8日)任
- 平繁賢:久安3年7月18日(1147年8月23日)見
- 藤原家輔:仁平2年1月28日(1152年3月13日)任
- (姓欠)宗輔:久寿元年1月3日(1154年2月23日)見
- 源雅範:保元2年1月24日(1157年3月13日)任
- 源光泰:平治元年12月10日(1160年1月27日)任
- 秦松国:平治元年1月29日(1159年2月25日)任
- 垣屋恒総
守護
鎌倉幕府
- 1193年 - 1205年:佐々木定綱
- 1221年 - 1227年:佐々木義清
- 1233年 - ?:佐々木政義
- 1239年 - 1276年 - 佐々木泰清
- 1277年 - ?:佐々木宗泰
- ? - 1305年:佐々木時清
- 1332年 - 1333年:佐々木清高
室町幕府
- 1336年 - 1341年:塩冶高貞
- 1341年 - 1343年:山名時氏
- 1343年 - 1349年:京極高氏
- 1351年 - 1352年:山名時氏
- 1352年 - ?:京極高氏
- 1365年 - ?:佐々木氏
- 1366年 - 1368年:京極高氏
- 1368年 - 1379年:京極高秀
- 1379年 - 1381年:山名義幸
- 1385年 - 1391年:山名満幸
- 1392年 - 1401年:京極高詮
- 1401年 - 1413年:京極高光
- 1413年 - 1434年:京極持光
- 1435年 - 1439年:京極持高
- 1439年 - 1441年:京極高数
- 1441年 - 1470年:京極持清
- 1470年 - 1471年:京極氏
- 1471年 - 1508年:京極政高
- 1508年 - ?:京極氏
- 1552年 - 1561年:尼子晴久
武家官位としての隠岐守
- 江戸時代以前
- 江戸時代石見津和野藩亀井家
- 江戸時代下総関宿藩久世家
- 江戸時代遠江横須賀藩西尾家
- 江戸時代伊予松山藩定勝系久松松平家宗家
- 松平定勝:定勝系久松松平家宗家初代。遠江掛川藩主、山城伏見藩主、伊勢桑名藩初代藩主
- 松平定行:同2代。遠江掛川藩主、伊勢桑名藩主、伊予松山藩初代藩主
- 松平定頼:同3代。伊予松山藩第2代藩主
- 松平定長:同4代。伊予松山藩第3代藩主
- 松平定直:同5代。伊予松山藩4代藩主
- 松平定英:同6代。伊予松山藩5代藩主
- 松平定喬:同7代。伊予松山藩6代藩主
- 松平定功:同8代。伊予松山藩7代藩主
- 松平定静:同9代。伊予松山藩8代藩主
- 松平定国:同10代。伊予国松山藩第9代藩主
- 松平定通:同12代。伊予松山藩11代藩主
- 松平勝善:同13代。伊予松山藩12代藩主
- 松平勝成:同14代・16代。伊予松山藩13代および15代(再勤)の藩主
- 江戸時代その他