水野勝長

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テンプレート:基礎情報 武士 水野 勝長(みずの かつなが)は、能登西谷藩主、のちに下総結城藩の初代藩主で、5代で無嗣除封となった水野宗家の備後福山藩の初代藩主水野勝成の曾孫。水野宗家6代。

延宝7年(1679年)6月4日、旗本水野勝直の長男として江戸で生まれる。

元禄8年(1695年)に将軍徳川綱吉に初めて披露される。

元禄11年(1698年)に福山藩の第5代藩主水野勝岑が早世したため、その養子となって水野家の名跡を継ぐことを許され、能登羽咋郡西谷に1万石を与えられる。

元禄12年、小姓並から小姓に進み、従五位下に任官し隠岐守を名乗る。

元禄13年、下総結城に転封となり、翌14年に3000石加増される。

元禄16年にはさらに5000石の加増があり、結城城築城を命ぜられ城主に列する。正室は鹿沼藩主・内田出羽守正衆の娘。

同年3月頃から病に倒れ、6月頃に一時的に回復したが、同年12月22日に江戸の神田橋邸で病死した。享年25。跡を弟で養嗣子の勝政が継いだ。

先代:
水野勝岑
水野氏〔宗家〕当主
1698年 - 1704年
次代:
水野勝政

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