六歌仙
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六歌仙(ろっかせん)は、『古今和歌集』の序文のひとつ「仮名序」において、紀貫之が「近き世にその名きこえたる人」として挙げた6人の歌人の総称。ただし「六歌仙」という名称そのものは後代になって付けられたものである。
その当時すでに歌人として名の通った歌人を紀貫之が列挙したものであり、それぞれの歌風に共通性や類似が見られるわけではない。 なお今日の国文学では『古今集』を収録歌の詠まれた年代に応じて3期に分類しているが、その際にはそれぞれの時代を古い方から順に「詠人しらず時代」「六歌仙時代」「撰者時代」と呼んでいる。
原文
以下は『古今集』の「仮名序」で「六歌仙」について触れた部分。
解説
仮名序は、柿本人麻呂と山部赤人を「歌聖」として特別扱いし、それに対して六歌仙はそのふたりには遠く及ばないとして、あまり良い評価をしていない。しかしその後にすぐ六歌仙以外の歌人は評価にすら値しないとしているため、相対的に6人を高く評価していることになる。
また六歌仙と同時代に活躍し、勅撰和歌集にも数多くの歌が採られている小野篁や在原行平といった歌人については仮名序にまったく言及がない。喜撰法師の歌は今日まで二首しか伝わっていないことを考えると、六歌仙は必ずしも歌の多さや知名度で選ばれたものとは言えず、紀貫之がどういった基準をもってこの6人を選んだのかは判然としない[1]。
転用
女1人男5人の集団を俗に「六歌仙」という。最も有名なのは二代目松林伯圓の講談や黙阿弥の歌舞伎によって知られる『天保六花撰』。