栃木県
テンプレート:半保護 テンプレート:Pathnav テンプレート:基礎情報 都道府県 栃木県(とちぎけん)は、日本の都道府県の一つで、関東地方北部に位置する。県庁所在地は宇都宮市。県内には日光国立公園が立地し、日光・那須などの観光地・リゾート地を有する。
目次
概要
関東地方北部に位置し、境界部に海岸線を有しない内陸県である。県内の地域区分は概ね宇都宮市、鹿沼市、下野市、真岡市、さくら市、日光市を中心とした県央、小山市、栃木市、佐野市、足利市など国道50号沿線の県南、大田原市、那須塩原市を中心とする県北に分類される。県名は、明治6年(1873年)6月15日に宇都宮県と栃木県が併合した後も引き続き県庁が置かれた「栃木」に由来する(6月15日は栃木県民の日となっている)。県庁はその後「宇都宮」に移されたが、県名はそのままとされた。
地勢は北西部から北部、東部にかけて足尾山地、下野山地、奥羽山脈、八溝山地などの山岳地帯が連なり、これらの山岳地帯から流れ出る渡良瀬川、鬼怒川、那珂川等が形成する沖積平野や洪積台地である関東平野、那須野が原などが広がる。人口は県央の宇都宮市に県全体の4分の1に当たる50万人が集中し、小山市、足利市、栃木市、佐野市、那須塩原市、鹿沼市が10万人以上の都市となっている。
産業は農業、工業、商業、観光業が盛んである。農業は平野部が米や麦の産地、高原部が酪農地、畜産地となっているほか、いちごやかんぴょうなどの特産物も栽培されている。工業は東北自動車道と国道50号を軸とする地域に北関東工業地域が広がっており、太平洋戦争で軍需産業が集積した宇都宮では機械工業や金属工業、食品・飲料工業が発達している。ほか、真岡市、上三川町、芳賀町などでは自動車関連産業(日産自動車系、本田技研工業系)が、また県南では繊維工業が盛んとなっている。商業は県都宇都宮市における小売業が発達し、ほか工業地域では卸売業も盛んである。観光業は北西部の日光・鬼怒川や北部の那須・塩原で盛んで、鬼怒川温泉や日光湯元温泉、那須温泉郷、塩原温泉郷などの温泉、東照宮・輪王寺などの世界遺産、中禅寺湖や戦場ヶ原、那須岳や那須高原など豊かな自然を観光資源とし、浅草・新宿などからの直通特急や新幹線、高速道路でのアクセスが容易な首都圏を代表するリゾート地となっている。これらの地域は日本初の国立公園である日光国立公園の指定地域内にあり、自然保護などの施策も執られている。
地理・地域
関東地方の北部に位置し、面積は6,408.28 km²で全国第20位(関東最大の県)、東西約84 km・南北約98 km。県庁所在地の宇都宮市は、東京から約100 km、JR東北新幹線で約50分強の位置にあり、中核市の指定を受けている。
地形的には東部の八溝山地、北部から西部にかけての那須連山・下野山地(高原山・日光連山・帝釈山地)・足尾山地の山岳地帯と、県中央部の那珂川・鬼怒川・渡良瀬川の沿岸平野部の3地域に大別される。
東部の八溝山地は標高600 - 1,000 mの阿武隈高地に続く比較的なだらかな山地が連なる。
北部から西部にかけての山岳地帯は日光国立公園、尾瀬国立公園(帝釈山、田代山湿原周辺)に指定されており、日光・鬼怒川・川治・塩原・那須などの観光地がある。北部には奥羽山脈(那須火山帯)に連なる那須連山・高原・男体・日光白根山などの諸火山がある。日光連山他の険しい山岳地帯は、標高2,000 m以上の山脈が関東の北限を形成し、瀑布や湖沼が点在している。また、諸河川の源にもなっており、鬼怒川は中央部を、渡良瀬川は群馬県との県境を流れ利根川に合流し、那珂川は八溝地域から東折し茨城県に入り、ともに太平洋に注いでいる。南部・東部は、そのほとんどが関東平野の一端で、首都圏の一角として市街化が進んでいる。
また、四方に海を有さない内陸県であり、なおかつ県域の南部は広大な関東平野を他県と共有しているため、県南部を中心に県境を超えて深い交流を持つ自治体も多く存在する。例としては小山市と茨城県結城市、真岡市(旧二宮町域)と茨城県筑西市(旧下館市域)、足利市と群馬県太田市などである。この地域では、文化や地域生活において繋がりが深く、中学校や高等学校の越境通学も日常的に行われる。また、境界線が入り組んでいるため、個人の敷地内に県境が引かれている例も多い(例:リビングが栃木県で台所が群馬県)。このような特異な事例は全国的に見ても稀で、栃木県に特に多く、特有な事象となっている。
また、埼玉県との隣接に関しては、渡良瀬遊水地により飛び地状態になっている栃木市藤岡町下宮地区に接している。なお、この地区は栃木県、埼玉県、群馬県の3県境が交差する地点が畑の中に存在し、看板が設置されている。山間部や河川上で3県が交差する地点はあるが、平地にあるのは珍しい。
地形
中南部地域は関東平野の中北部に立地し、南端部には渡良瀬川と思川、利根川、また田川と鬼怒川のそれぞれ合流点があり、茨城県、群馬県、埼玉県と境界を接している。一方、県北西部地域は奥羽山脈の南端部に位置し、山岳地域となっており、北東部は低山地で那珂川が縦断して開析が進んだ八溝山地とともに茨城県境を形成しているが、北西部は関東地方屈指の山岳地帯であり、標高2,000メートル以上の山並みが続き群馬県および福島県との境界を形成している。特に日光連山は標高2,300メートル以上の峻険な独立峰を複数有し、空気の澄んだ日には関東南部からも遠望できる。この日光連山と八溝山地の北部接点付近に立地する那須岳は関東の最北端であり、福島県との境を成す。
- 平野
- 台地・丘陵
- 山地
- 川
- 湖
- 高原・湿原
- 峠
ギャラリー
自然公園
気候
気候は太平洋側気候を呈し、山間部では冬季の降雪、また平地部では同じく冬季の乾燥と夏季の雷を特徴とする。全県で夏季多雨多湿、冬季少雨乾燥を呈し、年間降水量は山間部で多く奥日光では2,000mmを超すが、平地部では少なく県南部では1,200mm程度である。
- 栃木県は地理的に日本の太平洋側に位置し、その気候は全県下で太平洋側気候の特徴を呈する。県内各地の気象庁気象統計を見ると、県内全域が内陸部に位置することから内陸性気候(日較差大、年較差大)、また山岳部については山岳気候(冷涼)、より日本海に近い山間部では日本海側気候(冬に積雪)の特性を呈する地区もあるが、何れの地域も日本の太平洋側地域の共通の特徴である、夏多雨多湿、冬少雨乾燥(太平洋側気候)の特性が強く、周囲の山岳によって年間通して降水量が少なく低湿である中央高地式気候の特性は見られない。
- ケッペンの気候区分では、おおむね平野部が温暖湿潤気候に属し、中北部が温帯夏雨気候、北部山地部が西岸海洋性気候、北西部山岳部が亜寒帯冬季少雨気候に属する。この北西部山岳部は豪雪地帯に指定されている地域もあるが、こうした地域でも夏季は高温多雨多湿となり植物が繁茂する。冬季に豪雪(積雪として30-70cm程度)となる山間部の通年居住人口は極めて少なく、住民の殆どは平野部に居住している。
- 栃木県の冬は、冬型の気圧配置が強まると「二荒おろし」や「男体おろし」や北東部では「那須おろし」などと呼ばれる非常に冷たく乾燥した強風、からっ風が吹き少雨低湿となる。このため冬は晴天となる日が多く、年間のうち日照時間が最も長い季節となっている。冬の晴天日には放射冷却の影響を強く受け、日の出前後に氷点下となり、温暖な県中南部の平地でも-5度を下回ることもある。一方、日中は晴れれば5 - 10度まで、暖かい日は平野部では15度程度まで上がることもあるなど、日較差が非常に大きい。
- 夏は、太平洋高気圧が吹き出す高温多湿な南風の影響を強く受け、全県下で高温多湿となる。この南風が山地部で積乱雲(雷雲)を発生させるため栃木県は雷が多い地域となっており、宇都宮では平均年間雷日数24.0日のうち夏季(5、6、7、8、9月)の雷日数が20日を越え、関東地方内では突出して多く[1]、雷都と呼ばれる所以となっている。
- 以下の表は栃木県下の気象庁観測点の統計値である。これによると、県内全体が共通して夏季多雨、冬季少雨となっており、ケッペンの気候区分の基準に外挿すると、土呂部と奥日光が亜寒帯冬季少雨気候、五十里と那須が西岸海洋性気候、黒磯、大田原、今市(日光)、塩谷、鹿沼が温帯夏雨気候、ほかは温暖湿潤気候に類される。
平年値 (月単位) |
北西部山岳部 | 北部 | 中部 | 東部 | 南部 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
土呂部 | 奥日光 | 五十里 | 那須 | 黒磯 | 大田原 | 今市 (日光) |
塩谷 | 鹿沼 | 宇都宮 | 真岡 | 烏山 | 小山 | 佐野 | ||
平均 気温 (℃) |
最暖月 | 19.8 (8月) |
18.5 (8月) |
21.7 (8月) |
20.8 (8月) |
23.2 (8月) |
24.0 (8月) |
22.9 (8月) |
23.9 (8月) |
24.2 (8月) |
25.3 (8月) |
24.9 (8月) |
24.3 (8月) |
25.5 (8月) |
25.4 (8月) |
最寒月 | -4.1 (1月) |
-4.2 (2月) |
-1.9 (1月) |
-1.8 (2月) |
0.6 (1月) |
1.5 (1月) |
0.4 (1月) |
0.8 (1月) |
1.2 (1月) |
2.1 (1月) |
1.3 (1月) |
1.7 (1月) |
2.4 (1月) |
2.7 (1月) | |
降水量 (mm) |
最多月 | 272.4 (8月) |
393.9 (8月) |
258.9 (9月) |
324.5 (8月) |
244.5 (8月) |
239.5 (8月) |
305.3 (8月) |
274.0 (8月) |
242.6 (9月) |
234.5 (9月) |
202.8 (9月) |
215.0 (9月) |
190.6 (9月) |
189.6 (9月) |
最少月 | 45.0 (12月) |
36.0 (12月) |
39.9 (12月) |
41.0 (12月) |
24.0 (12月) |
22.6 (12月) |
24.5 (12月) |
22.2 (12月) |
22.5 (12月) |
25.5 (12月) |
25.5 (12月) |
25.4 (12月) |
22.9 (12月) |
19.1 (12月) |
各地域別の特徴
- 北西部山岳部・奥日光 ・・・亜寒帯冬季少雨気候に属し、夏季は冷涼、冬季は寒さが厳しい。標高1000mを超える地域では厳冬期には零下20度以下まで下がることもあり、特に標高1400mを超える戦場ヶ原では零下30度前後を記録したこともある関東地方の寒極であり[2]、北海道内陸並みの気候である。標高1291mに測候所が置かれている中禅寺湖畔は湖効果により、朝晩の冷え込みは幾分和らぐが、日中はほとんどが氷点下の真冬日となる。奥日光は年間降水量が2000mmと多く、大半が夏季である。
- 北部平野部・那須高原 ・・・那須高原などの北部山地部は西岸海洋性気候に属し、冬季は曇りや雪の日も多いため、特に那須アメダスのような傾斜部では放射冷却は幾分緩和され、標高の割には比較的冷え込みが緩い日も多い。しかし、日較差は小さく、日中の気温は低いために真冬日になることも多い。夏季は冷涼で避暑地となる。一方、北部平野部では冷気もたまりやすく、冷える時は零下10度を下回る寒さとなる。黒磯や大田原では21世紀に入っても零下10度以下まで下がることがある。しかしながら、季節風の影響で曇りの日も多いため、東部のような冷え込みは長くは続かないことも多い。夏季は平野部でも冷涼で熱帯夜になることはほとんど無く、過ごしやすい。
- 県東地域・芳賀郡・那須郡南部 ・・・真岡市や那須烏山市など鬼怒川以東に属する茨城県県境に近い地域が該当する。県内平野部としては、最も冬の冷え込みが厳しい地域で、1月の平均最低気温は真岡で零下5℃に達する。那須烏山でも観測が開始された2010年から3年連続で1月の平均最低気温が零下6℃以下となっており、季節風が弱く、放射冷却が起こりやすいことから関東平野部では最も冷え込む場所である。ほぼ毎年極値は零下10度以下を記録する。一方夏季も日中は気温が上がるものの朝晩は涼しく、比較的過ごしやすい。
- 県央地域 ・・・宇都宮市など県内の中央平野部が該当する。宇都宮ではヒートアイランド現象の影響が顕著であり、年間を通して最低気温が急上昇しており、特に1月の平均最低気温は零下2.7℃と県内で最も高く、1961~1990年旧旧平年値の零下4.5度から大幅に上昇した。8月の平均最低気温も22.7度と県内では最も高く、熱帯夜の数も最も多い。しかし、それ以外の地域では、東部ほどではないが冷え込みが厳しく、1月の平均最低気温は塩谷で零下4.6℃、今市で零下4.2℃、鹿沼では零下3.9℃などとなっており、宇都宮を除き、21世紀に入っても零下10度前後まで下がっている。夏季は日中は真夏日も多く暑くなるものの、朝晩は涼しいことが多い。
- 県南・安足地域 ・・・小山市や佐野市、足利市など群馬県や茨城県西地域に近接する地域。夏季は猛暑日となることも多く、県内で最も暑さが厳しい。冬季は宇都宮を除く県内他地域と比較すると温暖だが、零下8度前後まで下がる日もある。
地域圏
以下の10の広域市町村圏がある(県央・県北・県南3地域区分参考資料)。
- 県央
- 県北
- 県南
以下の14市5郡12町がある。町はすべて「まち」と読む。県内に村は無い。ただし、合併前は“村”がありその時はすべて「むら」と読んでいた。
- 市
- 宇都宮市(県庁所在地)
- 県都・宇都宮市は市域を流れる鬼怒川、田川、釜川および姿川の豊かな清水が育んだ豊かな自然を背景に、古代には式内社・二荒山神社の下に形成された門前町、また平安時代以降は北面武士で鎌倉御家人であった宇都宮氏の居城・宇都宮城の城下町、また江戸時代以降は日光街道と奥州街道追分に位置する街道筋で最も賑わったとされる宿場町・宇都宮宿、明治期以降は関東軍師団連隊が駐留する軍都、そして太平洋戦争終結後は北関東工業地域の主要工業都市としての機能を加えながら、東北新幹線、東北道などの高速交通網に接続した地域の中核都市、交通の要衝として発達し、現在は日本国内屈指の地域商工業都市となっている。
- 栃木県の南西部に位置し渡良瀬川が市街地の中心を流れ、隣接する群馬県桐生市とともに織物業が盛んである。隣接する群馬県桐生市や太田市との結びつきが強く、東武伊勢崎線を利用すると東京へのアクセス利便性も県都宇都宮市へのアクセスと遜色ない。使われる方言も栃木弁とは異なり、むしろ西関東方言の群馬弁に近い。古くは足利庄が栄えて清和源氏義家流・足利氏発祥の地としても知られ、フランシスコ・ザビエルが「坂東の大学」と呼んだ有名な足利学校があり、鎌倉時代に足利尊氏は後醍醐天皇の討幕運動に参加し、室町時代には足利将軍家となった。足利学校遺蹟図書館には多数の国宝や重要文化財などの古書が保管されている。
- 巴波川を利用した江戸との水運で栄えた江戸時代からの美しい町並みが残り、小江戸と称される商都であり「蔵の街」として知られる。県南地域の行政関連の中心的存在で、かつて宇都宮県との合併前の栃木県の県庁が置かれていた。2010年(平成22年)3月、下都賀郡大平町、同郡藤岡町、同郡都賀町との新設合併、2011年(平成23年)10月には上都賀郡西方町との編入合併により人口約14万6千人の県内第4位の市となった。「陸の松島」と称される太平山を有し、また市の南部には渡良瀬遊水地があり、貴重な生物も多く生息する。
- 県南に位置し2005年(平成17年)2月28日、(旧)佐野市・田沼町・葛生町が新設合併し、人口約12万人の栃木県5位の都市となる。佐野厄除け大師、佐野プレミアム・アウトレット、佐野ラーメン、いもフライ、出流原弁天池などが有名で、建築資材のドロマイト、石灰岩の産地でもある。ゆるキャラグランプリ2013でラーメンの丼を帽子にしていもフライの刀を差したさのまるが並み居る強豪を押さえグランプリを獲得する。
- 近隣の宇都宮市のベッドタウンとなっており、2006年(平成18年)1月1日に旧粟野町の編入合併を経て、人口約10万人超の栃木県第6位の市となった。古くは日光例幣使街道の宿場であり、東照宮、輪王寺などの造営、修繕に係わった彫刻師の影響を受けていると考えられる鹿沼彫刻屋台や木工の町として有名であり、家具や木製建具の産地となっている。また鹿沼土の産地として知られ、サツキなどの園芸品の産地でもある。面積約500ヘクタール・(500町歩)におよぶ広大な古峯ヶ原(コブガハラ)の標高約700メートルに鎮座する古峰神社の祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)で関東、東北一円の信仰を集め、「天狗の社」として天狗信仰も残る。
- 2006年(平成18年)3月20日に今市市、旧日光市、足尾町(以上、旧上都賀郡)、藤原町、栗山村(以上、旧塩谷郡)が新設合併し、現在の日光市が発足した。市役所本庁は旧今市市役所(今市本町)である。全国の市では高山市と浜松市に次いで全国第三位、栃木県全体の約22%を占める広大な面積を有している。秘境・奥日光、奥鬼怒、日光東照宮、輪王寺、日光二荒山神社などの神社仏閣、鬼怒川温泉、日光湯元温泉、湯西川温泉などの豊富な温泉群、東武鬼怒川線沿線の東武ワールドスクウェア、日光江戸村などの各種観光施設、エーデルワイス スキーリゾート、日光湯元などのスキー場などの豊富な観光資源が有り、東武鉄道の日光線、鬼怒川線を経由して浅草、新宿から直行できる。また、豊富な水力発電による電力を利用した銅の精錬、電線生産、東京までの遠距離送電などで日本の近代化に大きく貢献してきた地域でもある。
- 宇都宮市についで県内人口第2位。年間商品販売額も県内第2位で、県南地域の商業の中心となっている。国道4号、国道50号の2本の国道が市内で交差し、東北新幹線、宇都宮線、両毛線、水戸線が集まる交通の要衝である。県内では宇都宮市などとともに数少ない人口増加都市となっている(2010年(平成22年)現在)。2007年(平成19年)、小山ゆうえんちの跡地におやまゆうえんハーヴェストウォークが開業。さらに、2008年(平成20年)には、ジャスコ小山店が増床し、イオン小山ショッピングセンターとなった。その他、国道50号沿いには多数のロードサイドショップが立ち並ぶ。
- 栃木県南東部芳賀地区の中心都市である。2009年(平成21年)3月23日、二宮町を編入合併し、人口8万人の市となる。古くは伝統工芸・真岡木綿の産地であり、近年は日本で一位の座を争うイチゴの産地である。第三セクターの真岡鉄道には蒸気機関車・C11が走り下館駅と茂木駅を結んでいる。
- 奥州街道の宿場町、城下町として栄えた県北地域の中心都市である。広大な那須野が原の水田により米の生産高は県内1位を誇る。近年は那須野が原の広大な荒地に工業団地を造成して大手企業を誘致し、栃木県内有数の製造品出荷額を誇る工業都市の側面を持つ。戦国時代から江戸時代を通して続いた大田原氏の城下町に城址跡や寺院、那珂川沿いの旧湯津上村周辺の古墳群、国造関連遺跡、松尾芭蕉の長逗留場所など、歴史的な香りも色濃く残る。
- 高原山や塩那丘陵などの里山に囲まれ”都会田舎(トカイナカ)やいた”であなただけのスローライフ、探してみませんか?というスローガンのもと独自の情報を発信している。高原山を舞台として古くは旧石器時代に黒曜石を採取した時代の頃からある雲入遺跡、高原山山岳仏教の流れをくむ寺山観音、江戸時代前期から残る庄屋の屋敷荒井家住宅など歴史的な遺産も多い。寒冷な気候を利用したリンゴの生産は栃木県一位である。
- 2005年1月1日に黒磯市、西那須野町、塩原町の新設合併により発足し人口は約11万人、県北最多人口の多核都市である。市域は日本最大級の扇状地である那須野が原の北側の半分を占め扇頂付近は北海道に次いで生乳生産の多い栃木県を代表する乳牛の放牧がおこなわれている。扇央部分の平野部は明治時代に開削された日本三大疏水のひとつ那須疏水により広大な水田が広がり、自動車用タイヤの大型工場などが立地する。山間部には塩原温泉、板室温泉などの温泉観光地が立地している。
- 2005年(平成17年)3月28日、氏家町・喜連川町が新設合併して誕生した人口約4万5千人の市である。市名は市内にさくらの名所が多数存在することに由来する。栃木県北東部の那珂川町と県都宇都宮市を結ぶ交通の要衝であり、JR東日本氏家駅は宇都宮市北部旧上河内町、塩谷町南部の近接通勤駅になっているなど近隣に大きなマーケットがあるため人口規模に比較して大型の商業施設が多数進出している。
- 河内郡
- 芳賀郡
- 下都賀郡
- 塩谷郡
- 那須郡
都市圏
都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷
- 他の都市雇用圏に包含された都市雇用圏は灰色、都市雇用圏が成立していない場合は灰色かつ「-」で示す。
- 交通の変遷
- 東北新幹線那須塩原駅は、大田原と黒磯との中間に位置する。
- 東京都市圏に含まれる栃木県内の自治体:野木町
- 栃木県内の都市圏に含まれる他県の自治体:茨城県結城市(小山都市圏)
その他の地域区分例
- 県北、県南の2大区分-参議院選などの地区割り
- 県北、県央、県南の3大区分
- 県北、県東、県西、県央、県南の5大区分
- 塩那地区、安足地区、宇河地区などの分類(主に音楽、スポーツ競技など学校関連イベントの地区割りに用いられる)
- 那須ナンバー(ご当地ナンバー)、宇都宮ナンバー、とちぎナンバー
平成の大合併
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)3月31日 - 宇都宮市に上河内町、河内町が編入。
- 2009年(平成21年)3月23日 - 真岡市に二宮町が編入。
- 2010年(平成22年)3月29日 - 栃木市旧自治体、都賀町、大平町、藤岡町が合併し、栃木市に。
- 2011年(平成23年)10月1日 - 栃木市に西方町が編入。
歴史
歴史的には古墳時代、毛野川(けぬのかわ)(現在の鬼怒川)流域一帯には「毛野国」が成立し、これを上下に分かって「下毛野国(しもつけぬのくに)」「下野国(しもつけのくに)」が成立し、唐名では「野州(やしゅう)」と称する。現在でも「下野(しもつけ)」の呼称が広く使われている。
先史時代
- 1965年(昭和40年)から五次にわたって調査された星野遺跡は芹沢長介によって約3万年以上前の前期旧石器時代で原人段階の遺跡であると主張された。旧石器時代の遺跡であることは認められたが、原人段階まで溯るかどうかについては長い論争があり、決着をみていない[3]。
- 県北部にある活火山・高原山を構成する一峰である剣ヶ峰が原産の黒曜石を使用した石器が矢板市より200km以上離れた静岡県三島市や長野県信濃町の遺跡で発見され研究が進められている。産出時期は古いものでは石器の特長より今から約3万5千年前の後期旧石器時代と考えられており、その採掘坑遺跡(高原山黒曜石原産地遺跡群)は日本最古のものと推定されている。氷河期の寒冷な時期に人が近付き難い当時の関東北部の森林限界を400mも超える標高1,500m近い高地[4]で採掘されたことや、従来の石器時代の概念を覆すような活動・交易範囲の広さ、遺跡発掘により効率的な作業を行っていたこと等が分かってきて注目が集まっている。またこの新しい発見により日本人の起源、人類の進化をたどる手掛かりになると言う研究者の発言も報道もされている[5][6][7]。最新の研究では南関東を中心に高原山産の黒曜石製石器が広範囲に流通していたことが分かってきている。
- 約2万年前の後期旧石器時代のものと思われる磯山遺跡が発見されている。この遺跡は真岡市の南東約3キロの所にある磯山と呼ばれる小さな独立丘陵の南西麓に立地している。1962年(昭和37年)~翌年に掛けてと1968年(昭和43年)の二度にわたり発掘調査されている。デイサイト製の石核や剥片とともにナイフ形石器などが発見されている[11]。
- 古墳時代 - 古代、毛野川(けぬのかわ=現在の鬼怒川、鬼怒川は当時下野国 - 下総国と流れ現在の土浦市南方で香取海(銚子で太平洋に繋がる内海)に注ぐ大河であったが、江戸時代の利根川東遷事業より後は利根川に注ぐ川へと変更された)流域一帯には毛野国が成立しており、ヤマト王権において毛野国は筑紫、出雲、吉備などと並び強大な発言力を有していたと言われる[12]。
- 県内各地には縄文時代からの考古遺跡が多数認められており、古代には毛人が住む地域であったと解されるのが一般的であるが、その後、第10代天皇で真の意味でのヤマト王権の初代開祖とも言われる崇神天皇の第一皇子、豊城入彦命が父の命でこの地に入って毛野国を建国し、その後毛野国の有力豪族となった毛野氏の祖となり、ヤマト王権において有力豪族の一角をなした[12]。毛野国は奈良時代には上毛野(上野)国と下毛野(下野)国に分国されたと言われるが、毛野川は上野国を流れておらず、上野国を流れるのは利根川(古来は東京湾に注いでいたが利根川東遷事業の後は銚子で太平洋に注ぐ川へと変更された)であることに鑑みると、この説も定かではない。
- 4世紀から5世紀にかけて駒形大塚古墳、下侍塚古墳などの大型の前方後方墳を代表とする多くの古墳が那須地方の那珂川沿岸の河岸段丘上に築造される。これらの前方後方墳は大型の古墳が少ない東北地方に作られた福島県の大安場古墳などにも影響を与えたと考えられている。
古代
- 下毛野国と那須国は7世紀後半に統一されて下野国となり、現在の栃木県の県域が形作られた。
- 「国府は都賀郡にあり」(『和名類聚抄』)とあり、発掘の結果、国府の政庁は宮目神社(栃木市田村町)周辺で発見され、約90メートル四方の範囲を塀によって区画され、南門を入ると正面に前殿が、その両脇に東・西脇殿が確認された。政庁は8世紀前半から10世紀前葉まで4回建て替えられ存続した。
- 下野国は9郡(70郷)で足利郡(6郷)、安蘇郡(4郷)、梁田郡(3郷)、都賀郡(11郷)、河内郡(11郷)、芳賀郡(14郷)、那須郡(12郷)、寒川郡(3郷)、塩谷郡(6郷)に分かれていた。
- 郡の役所である郡衙は、那須郡(小川町那須官衙跡)・芳賀郡(真岡市堂法田遺跡)・河内郡(上三川町多功遺跡)・寒川郡(小山市千駄塚浅間遺跡)・足利郡(足利市国府遺跡)の5遺跡発見されている。内容が判明している那須郡衙跡は、那珂川と箒川の合流地点に近い小川町梅曽に位置する。郡衙の範囲は南北に200メートル、東西400メートルで、その中を溝で西・中央・東の3ブロックに分けている。西ブロックは幅4メートル、深さ1メートルの大溝によって囲われた1辺約200メートルの不正方形で、倉庫と考えられる総柱式の掘立建物が多数見つかっている。中央・東ブロックは宅地になっている。中央ブロックからは礎石立ちの倉庫と考えられる建物2棟発見されている。[14]。
- 多賀城碑、多胡碑と並ぶ日本三大古碑の一つとされる那須国造碑(国宝、700年(文武天皇4年)建立)が下侍塚古墳の付近で延宝4年(1676年)、僧侶・円順により発見された。その報を受けた領主である徳川光圀が笠石神社を創建し碑の保護を命じた。古墳文化と合わせて那須地方(那須国造)のこの地域が重要な拠点であったことがうかがい知れる。
- 下毛野国造は下毛野君である。下毛野君は豊城入彦命の後裔とされ(日本書紀)、天武天皇13年に定められた八色の姓では地方豪族としては破格の朝臣姓を賜り、大和朝廷が701年に定めた律令(大宝律令)の編纂には下毛野古麻呂が藤原不比等とともに深く関わった(続日本紀)。
- 栃木県の県庁所在地である宇都宮市の名称は二荒山神社の別号宇都宮大明神に由来し、宇都宮の歴史は即ち出雲神を祀る当神社の歴史と言える。この神社は毛野国の開祖である豊城入彦命を祀り、創祀は命の曾孫である奈良別君と言われるが、この時既にこの地には豊城入彦命によって国土開拓の祖神・大物主命が祀られていたと言われており、西暦200年代、遅くても300年代(社伝では仁徳天皇41年、西暦353年=奈良別君の時代)には成立していたと社伝に伝わるが、正史に初めて下野国の神が登場するのは836年(承和3年)のことで、この時従五位上勲四等の二荒神が正五位下を奉授している。平安時代、当神社は延喜式神名帳に下野国唯一の一之宮名神大社(河内郡)とされ、下野国で最も格式ある神社と位置付けられていた。延喜式神名帳では下野国の神として以下の11社(大社1、小社10)が記されており、大社は河内郡の二荒山神社のみとなっている。
- 二荒山神社は国造下毛野氏の統治下にあって下毛野氏の血縁者が代々座主を務め、平安時代末期に藤原北家道兼流で毛野氏あるいは中原氏の流れを汲んだ宇都宮氏がその座を継いだと言われている。宇都宮氏は鎌倉時代以降22代500年に亘って鬼怒川流域一帯を統治し、小倉百人一首の成り立ち、宇都宮歌壇の成立、東勝寺や尾羽寺、清巌寺や興禅寺に代表される寺院の造営など当地の文化的素養の養生に尽力するとともに、また元寇の折には鎌倉幕府軍総大将として討伐に向かい、関東内の戦乱にあっては時の中央政府(鎌倉幕府、室町幕府、鎌倉府、関東管領等)の意向を受けてその鎮静に当たり、武門としても当時の関東地方の治安維持に貢献した。
- 先述のとおり、宇都宮二荒山神社は宇都宮大明神と呼ばれ、古来からその武徳が尊ばれてきた。藤原北家魚名流・藤原秀郷(俵藤太、田原藤太)卿は、平将門の乱の折、その追討を命じられたが苦戦、当神社に参じて授かった霊剣をもって将門を制したと言われる。また藤原北家長家流・那須与一宗高は治承・寿永の乱(源平合戦)における屋島の戦いで「南無八幡大菩薩、日光権現、宇都宮、那須湯前大明神」と唱え、見事平家船上の扇の的を射落としたと言われる[15]。また、伝説として元寇の際には社殿から鏑矢が西へ飛び去ったという言い伝えがある。この他、源頼義、義家(八幡太郎)父子は前九年の役の前に参拝し、奥州安倍氏を掃討したといい[16]、また源頼朝も奥州藤原氏平定に際して参拝した[17]。徳川家康は当神社に神領1,500石という広大な土地寄進を行ったとされる[18]。
- 日光開山の祖と知られる勝道上人は、下野薬師寺で5年間修行した後に男体山を目指し、766年に四本龍寺を建立したと言われる。782年には3度目の試みで山頂に達し、その後神宮寺(現在の中禅寺)を建立し、日光1200年の原点を築いた。一説に「日光」という地名は空海が二荒(ふたら=補陀落:ポタラカ)を音読した「にこう」に佳字を当てたのが起源といわれるが、当時の記紀類は全て「二荒」で記録上の「日光」の初見は鎌倉時代後期であり、この時期と下野国内に千手観音や日光菩薩像が多く造立された時期が一致している(大谷磨崖仏、佐貫石仏)。
中世
- 鎌倉幕府が成立すると、足利・小山・宇都宮・那須などの下野諸氏は鎌倉御家人となり活躍した[19]。小山氏は藤原北家魚名流・藤原秀郷の後裔と言われ、武家として鎌倉時代には下野国の守護を務める家柄であったが、室町時代初期、小山義政が下野国国司・宇都宮氏を攻略し宇都宮基綱を戦死させたため、鎌倉府・関東管領によって討伐された。
- 結城氏は小山氏の庶流であり、主家・小山氏が鎌倉府によって討伐されると小山氏を継いだ。小山氏・結城氏は室町時代には室町幕府に抵抗して鎌倉を追われた古河公方に組して下野守護に再任された。結城政朝は非凡な将かつ野心家で宇都宮成綱の姉を妻として迎え、成綱と強固な同盟関係を築いた。成綱の古河公方擁立の際には政朝も加担している。成綱が没すると宇都宮氏との関係が悪化し、宇都宮領を侵攻し旧領を取り戻した。小山氏の後継者争いに介入し、子の小山高朝を送り込むことに成功している。結城政勝は結城氏の版図を最大まで拡大しており、「結城氏新法度」を制定している。結城晴朝は足利氏の力が弱まると関東に台頭してきた後北条氏方に就くが、主家・小山氏は後北条氏に追討されてしまう。豊臣秀吉によって後北条氏が討たれると結城氏が旧小山氏領を支配したが、江戸時代になると間もなく福井へ転封され、氏姓も松平氏に改めてこの地を去った。
- 藤原北家道兼流で毛野氏(あるいは中原氏)の流れを汲む関東の名門・宇都宮氏は、宇都宮二荒山神社(宇都宮大明神)の神職者として関東の治安維持に貢献した。紀清両党や大須賀党などの精鋭武士団が有名である。鎌倉時代、宇都宮朝綱が奥州合戦で戦功を挙げ、源頼朝から「坂東一の弓取り」と賞賛された。この時、同じく戦功を挙げた家臣の芳賀高親、益子正重も頼朝から源氏の白旗一流ずつを贈られており紀清両党は世にその武勲を知らしめた。朝綱の孫である宇都宮頼綱は日本三大歌壇の1つである宇都宮歌壇を築いた。宇都宮泰綱から宇都宮氏当主は評定衆、引付衆を歴任しているなど、宇都宮氏は鎌倉幕府で有力な一族の1つであった。宇都宮景綱は日本最古の武家(社家)家法である宇都宮家式条を制定している。鎌倉時代末期、元が九州に攻め寄せると、これを鎮めるべく宇都宮貞綱が鎌倉軍総大将として征西しこれを防いだ。猛将として知られる宇都宮公綱は楠木正成と戦い「坂東一の弓取り」と評された。また、建武政権でも有力者の一人だった。室町時代、宇都宮氏綱は足利尊氏を助け下野・上野・越後3国の守護を務め、薩埵山体制の一翼を担うなど絶頂期を迎える。宇都宮持綱は関東管領・上杉氏に引き継ぎ、その上杉氏を討って関東を争乱に陥れた鎌倉公方・足利持氏を室町幕府の意向を受けて牽制した。戦国時代、17代当主宇都宮成綱は、器量に優れ、かつ野心家で積極的に勢力を拡大し、古河公方の内紛が起こると娘婿の足利高基を庇護し、古河公方擁立を企み介入。勢力拡大を図った。清党の芳賀氏との内訌によって宇都宮錯乱が起こるとこれを制し、家中をまとめあげ戦国大名化に成功した。外交手腕を駆使し、伊達氏と連絡を取ったり、古河公方足利政氏を支持する那須氏を寝返らせたり、姉や娘を古河公方足利高基や結城氏の結城政朝に嫁がせるなど近隣の安定化も図った。晩年には北関東の覇権を巡り、佐竹氏の佐竹義舜と争った。成綱の思惑通りになり、北関東最大の勢力として全盛期を築いた。成綱没後は嫡男の忠綱が跡を継ぎ、[川井合戦]]で那須氏と戦い、河原田合戦で皆川氏を滅亡目前にまで追い込むなど、勢力拡大を図る。下野国統一目前まで拡大したが、家中支配の強化や連年の戦いによって家臣らは忠綱に不満を抱くようになった。また、成綱の義兄弟である結城政朝との関係が悪化。猿山合戦で結城政朝と戦っている間に、成綱の三男芳賀興綱が芳賀氏の芳賀高経らに擁立され、謀略によって宇都宮城を乗っ取られてしまう。この内訌が原因で宇都宮氏は近隣に大きく後れを取ることになり、衰退の道を辿ることになった。興綱が当主になった後は、家臣の芳賀高経、芳賀高孝、壬生綱房らが家中で絶大な権力を振るい、政治を専横した。この体制は次代の尚綱の頃まで続いた。喜連川五月女坂の戦いで尚綱が那須氏に討たれると壬生綱房が宇都宮城を乗っ取ってしまう。忠臣芳賀高定の尽力によって宇都宮城の奪還に成功し、上杉氏が侵攻してきた時も、撃退に成功している。後北条氏が台頭すると宇都宮広綱は、芳賀高定の活躍によって常陸国の佐竹氏との婚姻同盟を成立させ、佐竹氏とともに後北条氏を牽制した。戦国時代に後北条氏が下野国に攻め込んできた時も、撃退して持ち堪えた。しかし豊臣秀吉によって後北条氏が滅びると、その秀吉が東国勢力の自領化を進め、宇都宮氏は豊臣政権の内部争いに巻き込まれ備前国へ配流されてこの地を去った。
- 代々宇都宮氏の重臣を務め、また宇都宮氏と姻戚関係にもあった紀清両党の益子氏および芳賀氏は宇都宮宗家がこの地を去った後もこの地に留まり、宇都宮氏が築いた文化を伝承したと言われる。なお、益子の西明寺には宇都宮氏墓所があり、現在も守られている。また宇都宮貞綱が亡母の供養に鋳造した鉄製塔婆を保存する清巌寺は清原氏(清党)芳賀氏が建立したものである。
- 藤原足利氏は藤原秀郷の後裔と言われ、足利荘に本拠を置き、同族の小山氏と争った。小山氏とともに「一国之両虎」と称された。足利忠綱は『吾妻鏡』に「末代無双の勇士」と記されるほどの武将であり、以仁王の挙兵で大功を挙げたが、勧賞撤回騒動がきっかけで家中が分裂。その隙を突かれ、源頼朝に滅ぼされた。
- 足利荘に本拠を置いた清和源氏義家流・足利氏は鎌倉北条氏に仕えるが、足利尊氏の代に後醍醐天皇の挙兵に応じて鎌倉幕府の討幕運動に参加する。尊氏は後醍醐天皇の建武の新政からは離反し、北朝を建てて幕府を開き、室町時代には足利将軍家となる。足利学校は「坂東の大学」として宣教師によってヨーロッパにまで隆盛の様子が伝えられている。
- 藤原北家長家流・那須氏は那珂川流域に安定した地域を形成し、関東では珍しく戦国時代・江戸時代・明治時代を乗り切り、現在もこの地に家名を継いでいる。戦国時代、猛将那須高資が宇都宮尚綱を討ち宇都宮氏を滅亡まで追いつめるが、家臣の大田原資清や宇都宮家臣の芳賀高定の謀略によって阻止された。戦国時代後期には資清の子の大関高増らに翻弄された。那須与一宗高を生む。
- 佐野氏は藤原秀郷の後裔と言われ、佐野庄に本拠を置き秀郷が築いた唐沢山城を居城とし、栄えた。戦国時代、佐野昌綱は武勇に優れ、上杉謙信や北条氏康、北条氏政を何度も撃退している。子の佐野宗綱も武勇に優れ、昌綱没後に攻めてきた上杉謙信や北条氏照を撃退している。武勇だけでなく関東では遅れていた鉄砲の普及を推奨するなど革新的な政策も施した。
近世
近世には豊臣政権による仕置が行われ、壬生氏、小山氏ら中世以来の氏族は領地を没収されるが、宇都宮氏や大関・大田原両氏の那須衆は豊臣政権に臣従し旧領を安堵されたほか、鎌倉公方の名跡を継ぐ喜連川氏や成田氏などが領地を得た。天正18年(1590年)には徳川家康が関東に移封され、下野は豊臣系大名と徳川領国の接点に位置する。なお、豊臣政権下での1597年(慶長2年)には宇都宮氏が改易されている。
豊臣秀吉没後の豊臣政権では五大老の家康と五大老の上杉景勝、五奉行の石田三成が対立し、慶長5年5月に家康は景勝討伐のため会津出兵を行う。三成は家康の出兵中に上方において挙兵し、家康は小山において上片へ引き返し、関ヶ原の戦いにおいて三成方を撃破する。家康が江戸に徳川幕府を開くと、中世以来の有力豪族は相次いで下野から姿を消し、県域は幕府直轄領や旗本領に細分化され、徳川家の譜代大名や旗本が支配するようになった。
江戸時代の幕藩体制においては宇都宮藩、壬生藩、烏山藩、黒羽藩、大田原藩、佐野藩、足利藩、吹上藩、高徳藩、喜連川藩の諸藩が成立し、福原家の佐久山陣屋、芦野家の芦野陣屋、那須家の福原陣屋、大田原家の森田陣屋など交代寄合の陣屋による領内統治が行われた。
下野国は江戸から奥州へ向かう結節点に位置し、金星には日光道中や奥州街道、壬生通りなど街道や脇往還、が整備され、小山宿や今市宿などの宿駅も整備された。また、利根川水系の渡良瀬川や思川、鬼怒川などの河川交通網も整備され、河岸が設置され舟運が行われた。
日光(日光市)は幕府の聖地として、東照宮をはじめとする華麗な建物が作られ、特別に保護・崇敬された。
近世期には日光山麓をはじめ各地で新田開発・用水開削が進むが、それに伴い秣場を巡る争論や水論も発生した。
江戸時代後期に入ると、今の栃木県域は、地域社会の著しい疲弊・荒廃と、急激な人口減少に見舞われることになる。人口推計[20]によれば、江戸中期の享保6年(1721年)から、江戸後期の天保5年(1834年)までの約1世紀の間に、下野国の総人口は、約56万人から、61.1%の約32万人[21]まで減少し、1世紀で約4割の人口減少という、事実上の人口崩壊状態となっている。同時期、日本の総人口は、度重なる飢饉にも関わらず、約10%の伸び(110.3%)[22]を見せており、とりわけ飢饉が深刻であったとされる、東北太平洋側の陸奥国でも、1.5割弱の人口減少(86.1%)に抑えている[23]ことから考えても、江戸後期における、下野国の際立った荒廃ぶりが伺える[24]。
このような状態の中で、二宮尊徳は農村のたて直しを図るため、桜町(現在の真岡市旧二宮町)の旗本領の復興につとめ、以後各地で報徳仕法と呼ばれる改革事業を実施した。
近・現代
- 戊辰戦争では宇都宮など関東内における戦役の舞台の1つとなり(宇都宮城の戦い)、1868年(慶応4年)6月鍋島道太郎(肥前藩士)が下野国真岡知県事に任命され、8月には日光領が収公された。9月に入って鍋島知県事は旧日光奉行所に入り、1869年(明治2年)2月には日光県と改称し日光に県庁を置いた。
- 明治維新を迎えると政府は、中央集権をおし進めるため1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)に廃藩置県を断行、旧来の封建支配の一掃を図った。その後、全国的な府県の再編が行われ、同年12月25日(旧暦11月14日)、下野国北部に宇都宮県が、また下野国南部に上野国南東部を加えて栃木県が設置された。栃木県は壬生県、吹上県、佐野県、足利県、日光県を統合している。両県の管轄区域および県庁所在地は以下の通りである。
- 1873年(明治6年)6月15日に宇都宮県と栃木県が合併して今日の栃木県が成立、県庁が栃木町に置かれた。3年後の1876年(明治9年)には上野国内3郡が熊谷県の北半部(上野国内)と合併して群馬県の一部となり、ほぼ現在と同じ県域となった。1884年(明治17年)、栃木県という呼称のまま、県庁が宇都宮町に移された。
表記
明治時代には「栃木」の表記に揺れがあった。「栃」は中国でクヌギ(櫟)を意味する漢字「櫔」(lì)を簡略化したと考えられ、「櫔木」の表記もあった。また、1871年年の廃藩置県の後は「橡木」の表記が使われる例[25]もあったが、「杤木」の表記が主であった[26][27]。旁の「万」は、下側を「力」とつくる例[28]もあった。1881年(明治14年)ごろより、「栃木」の表記が見られるが、旁は「櫔」に従って「厂」の中に「万」が主である[29]。「厂」の中の「万」の部分は下側を「力」とつくる例[30]や「丂」とつくる例[31]もあった。「厂」の1画目を右から書く字形が生まれたのは昭和中期以降である。なお、中国語の文書で「櫪」や「枥」を使う例もみられるが、主に飼い葉桶を意味する字であり、誤りである。
人口
栃木県の都市は、主に北部山岳地域から流れ出る鬼怒川、那珂川、渡良瀬川等の諸河川が太平洋に向かう流路帯の沖積平野と河岸段丘部に発達している。県域のほぼ中央に位置する県都宇都宮市は、北西部の山地部と中南部の平野部から成り、市街地はこの山地部と平野部の境界部に形成されている。 このほか、渡良瀬川、田川、那珂川、思川などの河川中流域には、それぞれ足利市、下野市、真岡市、那須烏山市、鹿沼市、栃木市、小山市といった中規模都市が発達している。
栃木県の市の人口、人口密度、可住地人口密度 (2005年) | ||||||
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順位 | 人口 | 人口密度 | 可住地人口密度 | |||
1位 | (宇都宮市) | 50万2396人 | (宇都宮市) | 1,205人/km² | 足利市 | 1,633人/km² |
2位 | 小山市 | 16万0150人 | 小山市 | 933人/km² | (宇都宮市) | 1,513人/km² |
3位 | 足利市 | 15万9756人 | 足利市 | 898人/km² | 栃木市 | 1,060人/km² |
4位 | 佐野市 | 12万3926人 | (下野市) | 792人/km² | 小山市 | 969人/km² |
5位 | 那須塩原市 | 11万5032人 | 栃木市 | 674人/km² | 佐野市 | 898人/km² |
6位 | (鹿沼市) | 10万4148人 | 真岡市 | 539人/km² | (下野市) | 827人/km² |
7位 | (日光市) | 9万4291人 | 佐野市 | 348人/km² | (鹿沼市) | 701人/km² |
- 宇都宮市は、宇都宮市、河内町、上河内町の合計。
- 鹿沼市は、鹿沼市、粟野町の合計。
- 日光市は、今市市、日光市、足尾町、藤原町、栗山村の合計。
- 下野市は、石橋町、国分寺町、南河内町の合計。
政治・行政
国政
テンプレート:Main 衆議院の小選挙区が5。参議院では、全県で1区を構成。
県政
歴代公選知事
- 小平重吉(2期、1947年4月12日 - 1955年2月4日)
- 小川喜一(1期、1955年2月5日 - 1959年2月4日)
- 横川信夫(4期、1959年2月5日 - 1974年12月7日)
- 船田譲(3期、1974年12月8日 - 1984年12月7日)
- 渡辺文雄(4期、1984年12月9日 - 2000年12月8日)
- 福田昭夫(1期、2000年12月9日 - 2004年12月8日)
- 福田富一(3期、2004年12月9日 - 現職)
財政
平成19年度
- 財政力指数 0.63
- Iグループ(財政力指数0.5以上)17自治体中7位
平成18年度
- 財政力指数 0.58
- Iグループ(財政力指数0.5以上)16自治体中8位
平成17年度
- 財政力指数 0.53
- Iグループ(財政力指数0.5以上)10自治体中9位
平成16年度
- 財政力指数 0.49
- IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)10自治体中1位
国際友好提携・交流関係
- テンプレート:Flagicon 浙江省(中華人民共和国)
- テンプレート:Flagicon ヴォクリューズ県(フランス) - 1988年(昭和63年) 交流事業開始
- テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国インディアナ州 - 1999年(平成11年)7月16日 姉妹提携締結
経済・産業
2008年(平成20年)度の県民総生産は7兆9901億円である[32]。国のGDPと比較しても、過半数の国よりも大きな規模を有している。主要産業は、県都宇都宮市のほか上三川町、小山市、大田原市、真岡市、栃木市、足利市、鹿沼市、矢板市などに代表される内陸型近代工業で、これらは北関東工業地域の一部を形成している。ほか、農業も盛んであり、県北から流出する河川の豊かな水を利用した産業地帯で、米作が盛んなほか飲料工業も発達している。那須塩原市や大田原市、宇都宮市は国内有数の米産地となっているほか、那須塩原市では酪農も盛んであり、国内生乳生産量は北海道に次いで高い。ほか、真岡市や鹿沼市などを中心にいちごの栽培が盛んであり、壬生町や鹿沼市のかんぴょうとともに県の特産品となっている。商業は宇都宮市で盛んで、県内年間商品販売額の約半分が宇都宮市で占められており、県内第一の商業都市となっている。観光産業も盛んで、日光市や那須塩原市、足利市の歴史・自然遺産(日光の社寺、足尾銅山跡、足利学校跡、中禅寺湖、華厳滝、鬼怒川温泉、那須岳、那須高原、塩原温泉など)、宇都宮市の餃子やカクテル、ジャズ、茂木町のツインリンクもてぎ、栃木市の蔵の街なども観光資源となっている。 県庁所在地の宇都宮市は全国屈指の米産地であるほか、県の年間製品販売額の約半分を占め、工業生産額も県内市町村最大となっており、県内最大の農商工業都市となっている。
第一次産業
農林業
- 栃木県の主要農産物 イチゴ、ニラ、ニンジン、水稲、生乳、かんぴょう、二条大麦、ブドウ
- 農産物の大消費地である首都圏に位置する地理的に優位性を生かした首都圏農業が盛んである。
- 大麻 - 麻布用大麻、かんぴょう、イチゴ等の生産量が日本一である。
ちなみに、かんぴょうは栃木県が99%を生産し、残りは茨城県が生産している。
水産業
- 奥日光中禅寺湖畔に水産庁増養殖研究所日光支所、大田原市の那珂川河畔に栃木県水産試験場がある[33]。
- 県内各所の養魚場で鱒の養殖が行われている[34]。
- 那珂川、鬼怒川、思川などに主に観光目的であるがやな場が多数ある。
- 那珂川には少数であるが川魚漁で生計を立てている人もいる。
農業産出額
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第二次産業
工業
- 工業製品
- 伝統工芸 (栃木県指定の伝統工芸品)
鉱業
- かつて日本を代表する鉱山の足尾銅山を有し、周辺の水力発電の電力を利用し電線等を生産し日本の近代化に貢献。
- 佐野市葛生地区はセメントなどの原料となるドロマイト(産出量日本一)、石灰岩の主要産地である。
- 宇都宮市は建築材料として有名な大谷石の産地である。
製造品出荷額等
1 | 宇都宮市 | 1兆6949億円 | 松下電器産業、キヤノン、富士重工業、住友ベークライト、中外製薬、久光製薬、日本たばこ産業、デュポン、カルソニック・ハリソン、マニー株式会社 |
2 | 上三川町 | 9295億円 | 日産自動車 |
3 | 小山市 | 7796億円 | コマツ、富士通 |
4 | 大田原市 | 7599億円 | 東芝、富士通、ニコン |
5 | 真岡市 | 6657億円 | 本田技研工業、神戸製鋼所、パナソニック電工住宅設備 |
6 | 大平町 | 4190億円 | 日立アプライアンス、いすゞ |
7 | 足利市 | 4180億円 | タツミ |
8 | 鹿沼市 | 4126億円 | 関西ペイント、東芝ライテック、JSP、ナカニシ |
9 | 矢板市 | 4061億円 | シャープ |
10 | 那須塩原市 | 3879億円 | ブリヂストン |
11 | 佐野市 | 3857億円 | |
12 | 日光市 | 3502億円 | |
13 | 栃木市 | 2583億円 | |
14 | 下野市 | 2079億円 | |
15 | さくら市 | 2001億円 | |
16 | 芳賀町 | 1833億円 | 本田技術研究所 |
17 | 野木町 | 1134億円 | |
18 | 壬生町 | 996億円 | |
19 | 市貝町 | 847億円 | |
20 | 高根沢町 | 687億円 |
第三次産業
商業
観光
商業年間商品販売額
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主な大型商業施設
- 佐野プレミアム・アウトレット
- 那須ガーデンアウトレット
- ベルモール
- 福田屋百貨店
- 福田屋ショッピングプラザ宇都宮店
- FKDショッピングモール宇都宮インターパーク店
- 東武宇都宮百貨店
- イオングループ
- イオン今市店
- イオンモール小山
- イオンモール佐野新都市
- イオン栃木店
- イオン壬生店
- イオンタウン那須ショッピングセンター
- イオンスーパーセンター真岡店
- イオンスーパーセンター那須塩原店
- イオンスーパーセンターさくら店
- セブン&アイホールディングス
- ベイシアグループ
- パセオ
- ららぽーと
栃木県の企業
栃木県に本社のある主な企業
- 足利銀行
- 栃木銀行
- 福田屋百貨店 - ショッピングセンター
- 東武宇都宮百貨店
- カワチ薬品 - ドラッグストア
- コジマ - 大手家電量販店
- TKC
- カンセキ - ホームセンター
- フタバ食品
- 元気寿司 - 回転寿司大手
- アキモ - 漬物 「ハルピンキャベツ」「あとひきだいこん」
- マイコール - 使い捨てカイロ「オンパックス」
- レオン自動機
- マニー
- レオン自動機
- 野岩鉄道
- 真岡鐵道
- 関東自動車
- 東武バス日光
- 東野交通
- 日光交通
- やしお観光バス
- 東武ダイヤルバス
- 滝沢ハム
- 岩下食品 - 漬物製造業
- 小平産業
- ジーエムいちはら工業
栃木県に進出した主な企業
- パナソニック
- 日産自動車
- 本田技研工業
- 富士重工業
- いすゞ自動車
- ブリヂストン
- キヤノン
- PENTAX
- 花王
- 中外製薬
- 久光製薬
- グラクソ・スミスクライン
- 宇津救命丸
- ママー・マカロニ - パスタの製造 - 日清フーズ(株)子会社(日清製粉グループ)
- サッポロビール那須工場
- ニッカウヰスキー栃木工場(さくら市)
- マルシンフーズ栃木工場
- サントリー梓の森工場(栃木市)
- カルビー
- 森永製菓
- 古河電気工業
- 古河電池
- 古河機械金属 - 足尾銅山
- アキレス
- 住友大阪セメント
- 東京石灰工業
- 東光高岳
- 東日本旅客鉄道
- 東武鉄道
- JRバス関東
生活・交通
警察
交通
テンプレート:Vertical images list 県内のほぼ中心を南北に東京と東北地方を結ぶJR東北新幹線、JR宇都宮線(東北本線)、東北自動車道、国道4号が南北に走る。 また宇都宮を中心にして放射線状に県内各地へと路線が伸びている。宇都宮を基準にして各方向への主要路線は次の通り。
- 北西側(日光市・塩原町方面):JR日光線、日光宇都宮道路、国道119号、国道121号、田原街道、船生街道、新里街道(仁良塚街道)
- 北東側(高根沢町・さくら市・那須烏山市方面):陸羽街道、白沢街道
- 東側(芳賀町・市貝町・茂木町方面):水戸街道、茂木街道、柳田街道
- 南東側(上三川町・真岡市方面):国道408号、上三川街道、砂田街道、真岡街道
- 南西側(壬生町・栃木市方面):東武宇都宮線、栃木街道、羽生田街道
- 西側(鹿沼市方面):JR日光線、国道119号、大谷街道(荒針街道)、長坂街道(鹿沼街道)、楡木街道(鹿沼インター通り)
このほかに東西を結ぶ路線は、県南部では茨城県、群馬県両県間を結ぶ北関東自動車道やJR両毛線、JR水戸線、国道50号など。県北部では、国道400号などがある。 南北方向には、県東部では国道294号など。県西部には東京から直通する鉄道路線の東武日光線、東武鬼怒川線、野岩鉄道会津鬼怒川線が走る。
栃木県内に空港は存在しない。最寄りの空港は成田国際空港(千葉県成田市)・東京国際空港(東京都)など。
高速国道
一般国道
- 国道4号
- 国道50号
- 国道119号
- 日光宇都宮道路(バイパス有料道路)
- 国道120号
- 国道121号
- 国道122号
- 国道123号
- 国道293号
- 国道294号
- 国道352号
- 国道400号
- 国道407号
- 国道408号
- 国道461号
主要県道・一般県道
鉄道路線
主な路線バス
- 関東自動車
- 宇都宮・日光・壬生地区
- 鹿沼地区
- 石橋・真岡・下野・小山地区
- 佐野・栃木地区
- 高速バス
- 東野交通
- 宇都宮・喜連川・馬頭地区
- 東野交通本社営業所
- 真岡・益子地区
- 東野交通本社営業所真岡出張所
- 大田原・那須地区
- 東野交通黒磯営業所
- 高速バス
- マロニエ号羽田線(黒磯駅・宇都宮駅・佐野新都市バスターミナル - 羽田空港)
- 那須塩原リゾートエクスプレス(那須温泉・西那須野駅 - 鹿沼バスターミナル - 王子駅・新宿駅)
- 宇都宮・喜連川・馬頭地区
- ジェイアールバス関東
- 宇都宮・芳賀・茂木地区
- 那須・塩原地区
- 高速バス
- ジェイアールバス関東佐野支店
- マロニエ新宿号(佐野新都市バスターミナル - 王子駅・新宿駅)
- マロニエ東京号(佐野新都市バスターミナル - 王子駅・東京駅)
- ミッドナイトマロニエ号(新宿駅・王子駅→佐野新都市バスターミナル)※深夜便
- 那須塩原リゾートエクスプレス(那須温泉・塩原温泉 - 鹿沼バスターミナル - 王子駅・新宿駅)
- 東武バス日光
- 日光・奥日光地区
- 日光地区
- 日光交通
- 茨城急行自動車
- 野木地区
- 東京空港交通
- マロニエ号羽田線
- 千葉交通
- マロニエ号成田線
- サルビア号
- 近鉄バス
- とちの木号
- 茨城交通
- 日本中央バス
- 北関東ライナー前橋線
- シルクライナー
- 福島交通
- 夜行高速バス郡山・宇都宮~名古屋線
- 名鉄バス
- 夜行高速バス郡山・宇都宮~名古屋線
医療・福祉
教育
- 大学・短期大学
私立
- 足利工業大学(足利市)
- 宇都宮共和大学(那須塩原市、宇都宮市)
- 国際医療福祉大学(大田原市)
- 作新学院大学(宇都宮市)
- 自治医科大学(下野市)
- 帝京大学(宇都宮市)
- 獨協医科大学(壬生町)
- 白鴎大学(小山市)
- 文星芸術大学(宇都宮市)
- 足利短期大学 (足利市)
- 宇都宮短期大学 (宇都宮市)
- 宇都宮文星短期大学(宇都宮市)
- 國學院大學栃木短期大学 (栃木市)
- 作新学院大学女子短期大学部(宇都宮市)
- 佐野短期大学(佐野市)
- 高等専門学校
マスメディア
新聞
テレビ局
放送対象地域は関東広域圏に属する。栃木県域放送のとちぎテレビ・NHK宇都宮放送局のほかに、NHK放送センター(教育テレビ)と在京キー局5局(日本テレビ・テレビ朝日・TBS・テレビ東京・フジテレビ)が県内全域が放送区域になっている。また、とちぎテレビのみならずNHK・キー局ともに県内各地に中継局を置いている。
ラジオ局
※JRN系列のTBSラジオ、NRN系列の文化放送・ニッポン放送も放送対象地域になっている。
1994年(平成6年)、栃木市の栃木コミュニティ放送に免許が交付されたことがあるが(JOZZ3AA-FM:FM蔵の街)、免許を取り下げたため、現在までに開局したコミュニティ放送局はないテンプレート:Full。
文化・スポーツ
方言
食文化
- 郷土料理
- 食品・加工食品・料理
- かんぴょう料理 - 壬生町・上三川町・下野市周辺
- イチゴ - とちおとめ、女峰など
- しもつかれ - 大根の粗下ろし・鮭の頭、酒粕などを煮込んだ郷土料理、県内のほぼ全域・茨城の一部
- 餃子 - 宇都宮市
- ソバ - 山間部(日光市・鹿沼市・佐野市・栃木市 ほか)
- ゆば - 日光市
- 山菜 - 山間部(日光市・那須塩原市・鹿沼市 ほか)
- 佐野ラーメン - 佐野市
- 法度汁
- いもフライ - 県南部(佐野市ほか)
- 鮎 - 那珂川、鬼怒川、思川
- 鮎のなれ寿司 - 宇都宮市上河内地区
- 鱒 - 日光市
- モロ(サメ) - 県内各地
- チタケ(チチタケ) - 県内各地
- 耳うどん(佐野市)
- じゃがいも入りやきそば - 栃木市
伝統工芸
- 伝統工芸品
伝統芸能
- 民謡
スポーツ
- 栃木サッカークラブ(サッカー・Jリーグ・ディビジョン2)
- 栃木ウーヴァFC(サッカー・JFL)
- H.C. TOCHIGI 日光アイスバックス(アイスホッケー・アジアリーグ)
- リンク栃木ブレックス(バスケットボール・JBL)
- 全足利クラブ(社会人野球)
- ガッツ全栃木野球クラブ(社会人野球)
- 宇都宮ブリッツェン(自転車競技)
- 宇都宮競輪場
- 宇都宮競馬場(廃止)
ゆるきゃら・ご当地キャラ
観光
世界遺産
国宝(建造物)
国宝(美術工芸品)
- 太刀 銘国宗(日光東照宮)
- 太刀 銘助真(日光東照宮)
- 大太刀 銘備州長船倫光貞治五年二月日(日光二荒山神社)
- 小太刀 銘来国俊・黒漆蛭巻太刀拵(日光二荒山神社)
- 大般涅槃経(輪王寺)
- 那須国造碑(大田原市・笠石神社)
- 宋刊本文選(金沢文庫本)(以下、足利市所蔵・足利学校遺蹟図書館保管)
- 宋版周易注疏
- 宋版尚書正義
- 宋版礼記正義
重要無形民俗文化財(国指定)
- 烏山の山あげ行事 (1979年(昭和54年)指定、那須烏山市)
- 鹿沼今宮神社祭の屋台行事 (2003年(平成15年)指定、鹿沼市)
- 川俣の元服式 (1987年(昭和62年)指定、日光市(旧・栗山村))
- 発光路の強飯式(ほっこうじのごうはんしき) (1996年(平成8年)指定、鹿沼市(旧・粟野町))
国の重要文化財など
- 詳細は とちぎの文化財 を参照
県指定文化財
- テンプレート:Main
- 県内各地の 県指定 獅子舞、神楽、文楽など
自然・公園
歴史
- 日光の社寺(世界遺産)
- 中禅寺 - 輪王寺別院、坂東三十三観音霊場第18番。
- 日光杉並木 - 長さ世界一の並木道(日光街道・日光例幣使街道・会津西街道)
- 足尾銅山
- 足利学校 - 日本最古の大学跡。
- 鑁阿寺 - 足利氏発祥の地。同氏の邸館を起源とする菩提寺。
- 栃木蔵の街 - 小江戸の別名を持つ町並み。
- 太平山神社
- 大慈寺 - 円仁が修行をした寺。エドウィン・O・ライシャワー駐日大使が訪れている。
- 西明寺 - 行基の開山と伝わる古刹。坂東三十三観音霊場第20番。
- 地蔵院 - 宇都宮氏の菩提寺。歴代当主の墓碑がある。
- 雲巌寺 - 松尾芭蕉の奥の細道に登場する禅寺。
- 大谷寺大谷観音 - 日本最古の磨崖仏。坂東三十三観音霊場第19番。
- 宇都宮城址 - 宇都宮氏の居城。戊辰戦争で焼失。
- 宇都宮二荒山神社 - 平家物語屋島の戦いで那須与一が船上で揺れる扇の的を射当てる際に成功祈願した『宇都宮』。吾妻鏡で源頼朝が奥州征伐の際に奉幣した『宇都宮大明神』。
- 根古谷台遺跡(聖山公園)- 縄文時代の大集落跡。
- 興禅寺 - 宇都宮貞綱の開基。寺域は河北禅林と呼ばれる。
- 下野薬師寺跡 - 下毛野氏の菩提寺とも云われる奈良時代の大寺跡。
- 旧篠原家住宅、清巌寺の鉄塔婆、宝蔵寺のおよりの鐘、善願寺の宇都宮大仏
- 延命院の地蔵堂、一向寺の汗かき阿弥陀
- 祥雲寺のしだれ桜
- 白沢宿宿並
博物館・美術館
- 宇都宮美術館 - ルネ・マグリットの「大家族」、マルク・シャガールの「静物」など
- 栃木県立美術館 - クロード・モネの「サン=タドレスの海岸」、川上澄生の「初夏の風」など
- 栗田美術館 - 伊万里焼・鍋島焼の磁器専門。陶磁器専門館としては世界最大級の美術館。
- 川上澄生美術館 - 川上澄生の版画作品
- 益子焼、ツインリンクもてぎ
温泉地
果実狩り
テーマパーク・遊園地
- 栃木県なかがわ水遊園
- 日光江戸村 - ウェスタン村 - 東武ワールドスクウェア - 日光猿軍団
- 那須りんどう湖 LAKE VIEW - 那須ハイランドパーク - 那須サファリパーク - 那須どうぶつ王国
- とちのきファミリーランド - 宇都宮動物園
- あしかがフラワーパーク
栃木県を舞台とした作品
- 小説
- 推理小説
- 伊豆七滝に消えた女(西村京太郎):日光市
- 日光鬼怒川殺人ルート(西村京太郎):日光市
- 新婚旅行殺人事件(西村京太郎):宇都宮市・宇都宮駅
- 日光殺人事件(内田康夫):日光市
- 楽曲
- テレビドラマ
- 天うらら(NHK連続テレビ小説):日光市
- 漫画・アニメ
- ゲーム
- 街道バトルシリーズ : 日光いろは坂
- レーシングバトル -C1 GRAND PRIX- : 日光サーキット
- ヨスガノソラ : 足利市
栃木県出身の人物
脚注
関連項目
テンプレート:ウィキポータルリンク テンプレート:Commons&cat
外部リンク
- 行政
- 観光
- とちぎ観光・物産ガイド - 栃木県観光協会
テンプレート:S-start テンプレート:S-bef テンプレート:S-ttl テンプレート:S-aft テンプレート:End
テンプレート:Navbox- ↑ 関東地方各地の雷日数と夏季の雷日数は、東京約11日のうち夏季約9日、横浜約12日のうち夏季約8日、群馬県前橋年間19.0日のうち夏季約18日、埼玉県熊谷年間19.3日のうち夏季約17日、茨城県水戸年間16.0日のうち夏季約13日となっており、いずれの地点でも夏季の雷日数が多くなっている。
- ↑ 戦場ヶ原の気象
- ↑ 橋本澄朗「栃木のあけぼの」 阿部昭・橋本澄朗・千田孝明・大嶽浩良『栃木県の歴史』山川出版社 1998年 11-12ページ
- ↑ 季刊・東北学2008年第15号『高原山黒曜石原産地遺跡の発掘』P27-45より、国武貞克著
- ↑ 高原山黒曜石原産地遺跡群詳細(矢板市ホームページより)
- ↑ 2007年04月14日Asahi.comニュース
- ↑ 2008年2月23日産経ニュース
- ↑ 2009年2月27日産経ニュース
- ↑ 2009年2月とちぎテレビニュース
- ↑ とちぎテレビ動画ニュース
- ↑ 橋本澄朗「栃木のあけぼの」阿部昭・橋本澄朗・千田孝明・大嶽浩良『栃木県の歴史』山川出版社 1998年 14ページ
- ↑ 12.0 12.1 テンプレート:Cite book
- ↑ 森浩一著『古墳の発掘』中公新書(65)(中央公論社 1965年(昭和40年)4月発行) 35ページの「私はこれまで天皇陵をも含めて多くの古墳を見てきたが、そのなかでいちばん美しい古墳を一つえらべといわれたら即座に下侍塚と答えよう。」を指しているのか。
- ↑ 橋本澄朗「古代の下野」阿部昭・橋本澄朗・千田孝明・大嶽浩良『栃木県の歴史』山川出版社 1998年 6-57ページ
- ↑ 平家物語による。
- ↑ 社伝による。
- ↑ 鎌倉府政庁の公式記録である吾妻鏡による。
- ↑ 塙静夫著「とちぎの社寺散歩」(下野新聞社発行)ISBN 4-88286-210-7。
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 以下の各人口推計は、「日本歴史大事典 4」(小学館 2001年)による。
- ↑ 下野国は、正確には560,020人から342,260人
- ↑ 同じく、総人口は24,534,195人から27,063,910人
- ↑ 陸奥国は、1,962,839人から1,690,509人
- ↑ 同様に、隣の常陸国も人口減少が著しく、江戸後期においては、北関東が特に疲弊した地域であったことが分かる
- ↑ 阪部教宜 編、『橡木縣地誌略』、1877年、栃木町、集英堂 [1]
- ↑ 土屋栄五郎 編、『府縣管轄便覽』、1872年、土屋栄五郎 [2]
- ↑ 杤木縣、『杤木縣一覽概表』、1874年、栃木町、杤木縣 [3]
- ↑ 杤木縣、『杤木縣治一覽表』、1876年、栃木町、杤木縣 [4]
- ↑ 栃木県、『栃木縣治提要』、1881年、宇都宮町 [5]
- ↑ 栃木縣會、『明治廿五年度 通常縣會日誌』、1892年、宇都宮町 [6]
- ↑ 舟橋一也 編、『両毛文庫 栃木通巻 栃木縣誌』、目次、1904年、両毛文庫本部 [7]
- ↑ 栃木県の県民経済計算
- ↑ 栃木県水産試験場
- ↑ 栃木県水産試験場:とちぎの水産業