カトリック教会

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テンプレート:キリスト教 カトリック教会(カトリックきょうかい、テンプレート:Lang-la)は、ローマ教皇を中心として全世界に12億人以上の信徒を有するキリスト教最大の教派。その中心をローマ司教座におくことからローマ教会ローマ・カトリック教会とも呼ばれる[1]

「カトリック」の語源はギリシア語の「カトリケー(καθολική)」やラテン語では「カトリクス(Catholicus)」等で、「普遍的」「公同」などの意味である。ただし「カトリック」(普遍的)を自認・自称するキリスト教の教派は他にもあり(後述)、「カトリック」の語彙は教派名にとどまらない概念を指すこともある。テンプレート:Main

カトリック教会自身による定義は、教会憲章(Lumen Gentium[2]) にみられる「ペトロの後継者(ローマ教皇)と使徒の後継者たち(司教)によって治められる唯一、聖、カトリック、使徒的な教会」という表現にもっともよく表されている。

名称

東方教会正教会および東方諸教会)と区別するため、カトリック教会とプロテスタント教会を総称して西方教会と呼ぶ場合もある。その中で、最近はあまり見かけないが、日本語表記においてプロテスタント教会を「新教」とも呼ぶことがあるのに対してカトリック教会を「旧教」と呼ぶ例もあった。日本で出版された歴史の本などにも「旧教」という言葉が使われていたことがあるが、カトリック教会の側が「旧教」を自称したことはない。

別の名称としては、日本ではかつて天主公教会(てんしゅこうきょうかい)と称していた。これはかつて神のことを「天主」と呼んで教えていたためで、大浦天主堂浦上天主堂などの名称はこれに由来するものである。また「公教」の使用例としては「公教要理」「長崎公教神学校(現・長崎カトリック神学院)」などがあったが、現在ではほとんどない。なお、日本語でまれにカソリックと表記されることもあるが、これはカトリック中央協議会では公式表記とはみなしておらず、日本のカトリック教会で「カソリック」という表記・呼称が使用されることは一切ない。

「カトリック」という名称

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‎キリスト教諸教派の成立の概略を表す樹形図。更に細かい分類方法と経緯があり、この図はあくまで概略である。

1054年大シスマによる東西教会の分裂以前の教会で、ニカイア信条ニカイア・コンスタンティノポリス信条およびカルケドン信条を信仰する教会(アリウス派単性論の対義語という意味。正統教義ともいう)を指して「カトリック」と呼ぶこともある。この場合は現在のカトリック教会と正教会を含む。ただしこれはカトリック教会側の見方であって、正教会は東西教会分裂以前の教会を指して「正教会」と呼ぶ。カトリック教会も東方正教会も、東西教会の分裂以前の教会の直接の正統な後継者を自認していること、そして「カトリック」(普遍性)も「オーソドックス」(正しい讃美)もいずれもが東西教会分裂以前の教会においても重要な概念であったためにいずれの見解も誤りではなく、自らの重視する概念に由来する教会名の方を過去の教会名にも当てはめるために、このような事象が必然的に生じている。現在のカトリック教会・正教会のいずれもが自らの「カトリック」(普遍性)・「オーソドックス」(正しい讃美)を自覚しておりこの二つは排他的概念ではないことには注意が必要である。

また、狭義の「カトリック教会」には、ローマ教皇を中心としながらも伝統的な独自の東方典礼を維持する東方典礼カトリック教会の諸教会があるほか、冒頭文にもあるように「カトリック」を自称・自認する教派は他にも復古カトリック教会など独立カトリック教会の諸教会があり、これらと区別する意味でローマ・カトリック教会とも呼ばれる。テンプレート:Main

東方典礼カトリック教会や復古カトリック教会などは日本国内には実質的に存在せず、また日本ではカトリック中央協議会のほか各司教区が「カトリック○○司教区」(あるいは「カトリック○○教区」)という法人名となっているので、一般的には「ローマ」を付けて「ローマ・カトリック教会」と呼ぶ必要はなく、日本のカトリック信者もただ単に「カトリック教会」と呼ぶことがほとんどである。しかし広義の「カトリック」であると自称する他のキリスト教の教派と区別する場合や、正教会聖公会プロテスタントなど他の教派の信者・教徒からは、「ローマ・カトリック教会」と呼ばれることも多い。

教説・教義

カトリック教会の教説(教え)は「聖書聖伝」という言葉であらわされるように、旧約聖書新約聖書およびイエス・キリスト使徒の教えに由来し、教父たちによって研鑽され、多くの議論を経て公会議などによって確立されてきたものである。使徒信条およびニケア・コンスタンティノープル信条を信条としている[3]。特に宗教改革以降、トリエント公会議においてカトリック教会の教義が整理され、再確認された。さらに現代では第2バチカン公会議でも現代に生きる教会として教義の意味を見直した。

これらの教義は1992年に『カトリック教会のカテキズム』として教皇庁により編纂され、順次各国語に翻訳されている。これは、いわゆるローマ・カトリック教会だけでなく東方典礼カトリック教会の規範にもなっている。なお、イエズス会フランシスコ会などはローマ・カトリック教会の組織内部の修道会であり、教義(カテキズム)については同じであるため、「イエズス会派」「フランシスコ教団」などと呼んだりプロテスタントの各教派と同列に扱うのは誤りである。

公会議

カトリック教会では21の公会議に特別な権威を付与している。21の公会議とは年代順に、第1ニカイア公会議第1コンスタンティノポリス公会議エフェソ公会議カルケドン公会議第2コンスタンティノポリス公会議第3コンスタンティノポリス公会議第2ニカイア公会議第4コンスタンティノポリス公会議第1ラテラン公会議第2ラテラン公会議第3ラテラン公会議第4ラテラン公会議第1リヨン公会議第2リヨン公会議ヴィエンヌ公会議コンスタンツ公会議フィレンツェ公会議第5ラテラン公会議トリエント公会議第1バチカン公会議、そして第2バチカン公会議である。

公会議の位置付けはキリスト教各教派によって異なっており、東方正教会ギリシャ正教)では最初の7つの公会議のみを認めており、東方諸教会のうち非カルケドン派では最初の3つのみを認めている。さらにネストリウス派の諸教会(アッシリア東方教会など)は最初の2つしか認めていない。

教典

カトリック教会においては、ヒエロニムス以来何度となく改訂されてきたヴルガータとよばれる後期ラテン語聖書が公式な聖書とされてきた。現在は各国語に翻訳されている。カトリック教会で聖書正典に含まれる諸文書を最終的に決定した公会議はトリエント公会議である。カトリック教会が正典とする旧約聖書には、七十人訳聖書には含まれていたがヘブライ語マソラ本文に含まれていない文書がある。それらは第二正典という語で指される場合もあるが、正典に含めている。

日本語訳聖書においても、かつてカトリック教会とプロテスタント諸派では異なる翻訳による聖書を用いてきた。しかし、第2バチカン公会議以降の世界でのカトリックとプロテスタントによる聖書の共同翻訳という流れを受けて、日本でも両者による共同翻訳作業が始められた。その成果が初めて形になったのが『共同訳聖書』であり、表記などの問題点を改善したものが、現在日本のカトリック教会で公式に用いられている『新共同訳聖書』である。なお、『新共同訳聖書』では、上記旧約聖書の第二正典の部分を、これを正典に含めないプロテスタントなど他教派へ配慮して「旧約聖書続編」という名称で掲載している。

現代のカトリック教会のミサの中では、主日日曜日[4])と教会祝日には、福音書朗読と福音以外の聖書朗読が二つの合わせて三つが朗読される。それ以外の平日のミサでは、福音書朗読と福音以外の聖書箇所の二つが朗読される。

秘跡

カトリック教会は伝統的に七つの秘跡サクラメント)を認めてきた。秘跡とは、神の恵みを実際にもたらす感覚的しるしで、イエス・キリストによって制定され、教会にゆだねられたものである[5]

なお、数字は『カトリック教会のカテキズム』(CCC)において説明がある箇所の項目番号をあらわすもので、詳細に関しては各項目の記述あるいは『カトリック教会のカテキズム』の該当箇所を参考のこと。

教義についての他教派との関係

カトリック教会では、1054年正教会との分裂や、それよりもはるかに古いエフェソ公会議カルケドン公会議における分裂であっても、実際に分裂の直接の原因となったのは、本質的なことではなく些細な教義論争であると捉えている。それをよく示すのは、1994年11月に発布された『キリスト理解におけるカトリック教会とアッシリア東方教会の共同宣言英語版[6]』である。これはカトリック教会の教皇ヨハネ・パウロ2世アッシリア東方教会総主教テンプレート:仮リンクの間で調印された。アッシリア東方教会とカトリック教会の分裂は、431年のエフェソ公会議で争われた「テオトコス論争」という聖母マリアの称号をめぐる論争が原因となっている。これは「神の母」と「キリストの母」という称号のどちらが正しいかということが論議となったものである。『共同宣言』では、「どちらの呼び方も同じ信仰を表明したものであり、両教会は互いの典礼と信心を尊重する」と述べている。

さらに難しいのは正教会との合同問題である。カトリック教会側では、カトリック教会と正教会が合同するためには、教義の問題よりも互いの伝統に関する問題が大きな障害となっていると考えている。たとえば、ローマ教皇の首位権をどう評価するかという問題や、互いの典礼や信心における差異をどう尊重しあうかという問題になっているとする。一方、正教会の側からは、対立はフィリオクェ問題という基本的教義の不一致にあり、首位権や不可謬権の問題もたんなる伝統の問題ではなく教義上の問題と捉えている(アメリカ正教会の研究版新約聖書では、一致の主な障害を、フィリオクエ問題と教皇不可謬権であると指摘している)。また東方側からは十字軍問題や東方布教などのカトリックからの姿勢に対する反発もある。カトリック教会で用いられる「教導権」という言葉は、信徒を教え導く権威のことを示している。この権威は神学者のものではなく、司教たちのものである。カトリックの理解では、人々がある教えを自分勝手に理解するとかならず矛盾や対立が生じることになると考える。ユダヤ人の教育において、指導者がトーラーを声に出して読みながら、覚えさせるという伝統があるが、これはヘブライ語の文章は母音が表記されていないため、さまざまな読み方が可能であったためだが、そこにおいては口伝が文章を確定させる。これがカトリック教会が聖書と同様に聖伝(聖なる伝承)を尊重することのたとえとして用いられる。

カトリック教会とプロテスタントの諸教会との間での教義的な差異は、東方教会よりさらに大きい。プロテスタントは、カトリック教会が使徒本来の教えをゆがめてきたと考えてきた。一方カトリック教会側は、2007年の「教会論のいくつかの側面に関する問いに対する回答」において「16世紀の宗教改革から生まれたキリスト教共同体(プロテスタント)は、使徒継承による司祭職の秘跡を欠くため、カトリックの教えによれば、固有の意味で『教会』と呼ぶことはできない」としている[7]

他方、エキュメニズム(教会合同運動)の進展が皆無というわけではなく、たとえば日本聖書協会によって1987年に刊行された『新共同訳聖書』は、日本におけるカトリック関係者とプロテスタント諸派の関係者らの共同作業によって翻訳され編集されたものである(ただし新共同訳聖書に日本正教会は参加していない)。また日本におけるカトリック教会では、2000年2月15日から日本聖公会と同じ「主の祈り」の日本語訳が使用されている[8]

奇蹟

カトリック教会の公認、未公認、または非公認のあらゆる奇蹟がある。 テンプレート:Main

典礼

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ブラジルでのミサにおける教皇ベネディクト16世

カトリック教会の信仰生活の中心にあるのは、聖体祭儀のミサである。ミサの中で信者は聖体の秘跡を受ける(聖体拝領)。主日[4]と守るべき祝日にミサにあずかることは、信徒としてのつとめであるとされている。

ミサ以外の重要な典礼行為として、「聖務日課」があげられ、修道院などで必ず行われている。これは本来「時課の祈り」という意味で、一日の各時間を祈りをささげることで聖化することが目的である。日課の中で特に重要なのは、ラウズとヴェスパ(ヴェスペレ)と呼ばれる朝の祈りと晩の祈りである。これらに加えていくつかの祈りが一日の中でおこなわれる(かつて九時課、六時課、三時課とよばれた)。それ以外に読書課という祈りもあり、そこでは祈りと共に、聖書朗読と聖人伝や古典的な著作が読まれる。聖務日課の中心となるのは旧約聖書の詩篇である。

聖職者と組織

ローマ教皇と枢機卿団

カトリック教会が他のキリスト教諸教派と比べて特徴的な点として、まずあげられるのはローマ教皇と信徒の位置付けである。ローマ教皇とは、カトリック教会の総代表者で、全カトリック教会の裁治権と統治権を持つものである(日本語では「法王」と呼ばれることも多いが、カトリック教会での正式名称は「教皇」であり、「法王」という言いかたは日本国にとってのバチカン市国の首長を表す外交用語でしかない)。ローマ教皇は使徒ペトロによる使徒座の後継者であり、現在はバチカンに居住する。なお、「使徒座」という言葉はバチカン市国の行政組織を指す場合もあり、その用法においてはローマ教皇庁とも呼ばれる。バチカン市国は1929年に成立した独立国であるが、カトリック教会が政治的に特定の国に組み入れられることなく、独立していることを示す意味がある。

カトリック教会のカテキズム』第882項は、『教会憲章(Lumen Gentium)』を引用して次のように述べている。「『教皇が、ローマの司教にしてペトロの後継者である』ことが、変わらず目にみることのできる信仰の源泉にして基礎である。」

教皇首位権はペトロに由来する立場と権能によって行使される教皇不可謬性を含む。これは「信仰と道徳に関して、教皇が教会の頭として使徒座(Ex Cathedra) から荘厳に宣言する」場合に関して、教皇は誤り得ないという教義である。これはあくまで非常に限定された場合であり[9]、通常の理解ではその首位権というのは、全司教の中におけるローマ司教の優位権のことを指している。

教皇選挙に関する最新の規定は、1996年使徒憲章「ウニベルシ・ドミニ・グレギス(Universi Dominici Gregis)」に示されている。そこで定められているのは、教皇選挙においては選挙者たる枢機卿団は外界との連絡から隔離され、システィーナ礼拝堂において議論と投票を繰り返すということである。この選挙を「コンクラーヴェ」という。新教皇の決定にいたるためには投票者の3分の2以上の票を集める必要がある。また慣例によって、教皇選挙に参加できるのは80歳未満の枢機卿に限られる。

教会法の規定によって、教皇は自主的に退位することが可能であり、歴史的にも教皇が退位したことは何度かある。1294年に退位したケレスティヌス5世は、ダンテの『神曲』の中で「教皇位退位の咎」により地獄で責め苦を受けるさまを描かれているが、これはあくまでダンテの解釈であり、カトリック教会からは1313年列聖されている。1415年大シスマの終息のために退位に同意したグレゴリウス12世以後約600年にわたって教皇退位は行われず、教皇は事実上の終身制ともみなされていたが、2013年2月にベネディクト16世が健康問題を理由に退位を表明した[10]ベネディクト16世の退位)。

枢機卿団は、教皇庁で働く高位聖職者や世界の重要な司教区の司教たちの中から教皇によって任命される。教皇選挙に参加できるのは80歳未満の枢機卿であるという慣例を逆手にとって、80歳以上の聖職者で教会に大きな貢献をしたものが名誉職的に枢機卿にあげられることもよくおこなわれる。そのような枢機卿の中には、神学者やヴェトナムなどで政府によって長期にわたって投獄されていたような司教も含まれる。

枢機卿制は、1059年に教皇選挙権がローマとその郊外に在住する聖職者に限定されたことに由来する。これは枢機卿団の本来の目的が教皇の顧問団であったことを示している。枢機卿をあらわす英語のcardinal という言葉はラテン語のカルド(蝶番)に由来している。やがて、ローマ以外の聖職者でも教皇に任命されることで枢機卿団に加わり、ローマで働くという制度が確立してゆく。

司教

司教は使徒たちの後継者であり、教え、聖化し、統治する務めを与えられた者である。ローマ教皇もまた、司教の一人であるが、使徒ペトロの権能を引き継いでいるとみなされ、司教団の中における特別な地位を認められている。なお、東方教会東方典礼カトリック教会)の一部では「総大司教」がいて、教会の首長となっている。

司教の本来の職務は、教区の責任者として教区内の教会を統治することで、キリストの代理者として、司祭助祭の協力を得て司牧の務めを果たすものとされている[11]。通常の司教(教区司教)のほかに、(大司教など職務の多い)司教を補佐するために「協働司教」や「補佐司教」が任命されることがある[12]。司教座(教区司教)が何らかの事情で空位となった場合、協働司教は直ちに教区司教に着任して職務を引き継ぐことになるが、補佐司教はそのような継承権を持たない。また、特定の教区を管轄していなくても、教皇庁における職務に就くために司教に任命されるケースもある。

司教は、按手と祈りによって司祭・助祭に叙階秘跡を授ける権能を与えられるが、司教もまた叙階の秘跡によってその地位を受けるものである。(ただし司教叙階の場合は、教皇から委任された司教だけが司教叙階を執行することができ、少なくとも2名の共同聖別司教が必要である、と教会法で規定されている。)叙階の秘跡の効果は生涯消えることはないため、高齢等によって司教の実質的な職務を引退した後や、司教の職務を停止された場合でも司教の権能・称号は終生保たれる[13]。なお、司教の中には「大司教」や「総大司教」といった地位に上げられるものもいるが、これらは叙階の秘跡による位階ではなく、教区の規模に応じて定められた教会行政上の職掌を表すものである(例えば、司祭が司教に叙階されることはあっても、司教が大司教に叙階されることはない)。

地域の司教たちは定期的に会合を開いて、さまざまな問題について討議する。これを司教会議(シノドス)という。シノドスでは典礼などの問題に関しては決議することが出来るが、特定の司教の処遇に関してなどの決議のためには、有資格司教の3分の2以上の同意と教皇庁の裁可が必要とされている。

司祭と助祭

司教は、司祭助祭によってその職務を補助されている。カトリック教会の聖職者(司教・司祭・助祭)は独身の男性に限られ、叙階の秘跡を受けることで選ばれる。司祭には、教区に属する教区司祭(かつて「在俗司祭」とも呼ばれた)と、修道会に属する修道司祭とがあり、どちらにも属さないフリーの司祭というものは存在しない。

歴史的には使徒たちの多くや初期の聖職者たちは既婚者であったが、西方教会においては古代教会から司祭の独身制は推奨されており、修道会出身の教皇グレゴリウス7世によるグレゴリウス改革以降、上級聖職者(司教、司祭、助祭)の独身制が徹底されてきた。ただ例外として、東方典礼を行う教会(東方典礼カトリック教会)やプロテスタントなどからの改宗者の場合は既婚者が例外的に認められる事がある。また、第2バチカン公会議以降、終身助祭(司祭となる事を前提としない助祭)の制度が再興され、この場合のみ既婚男性の叙階が認められている。しかし、どちらにしても叙階後の結婚や既婚者の妻が亡くなった場合の再婚は認められていない。

また、教皇パウロ6世の時代まで、守門、読師、祓魔師、侍祭という下級聖職(下級品級)および副助祭という聖職位階が存在したが、1972年8月15日に発布された自発教令「ミニステリア・クエダム」によって1973年に廃止され、現代では聖体奉仕者祭壇奉仕者の二つの「奉仕職」に改められて、かつてのような聖職位階として扱われることはなくなった[14]

今も日本の歴史書や歴史教科書にそのように書かれることがあるが、かつてのカトリック教会においては教皇を頂点に、司教、司祭、信徒がいるというピラミッド型のヒエラルキー構造が強調される傾向があった。しかしこれは第2バチカン公会議以降に見直され、現代では従来の聖職者至上主義の修正が図られていて、「神の民の教会論」により、すべての信徒がキリストの祭司職にあずかっていて教会の宣教活動、典礼活動、司牧活動を遂行する者であるとしている。この信徒の使命は「信徒使徒職」と呼ばれている[15]

カトリック信徒の分布

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人口に占めるカトリック信徒の比率 色が濃くなるほど比率が高い

全世界に存在する(洗礼を受けた)カトリック信徒の総数は12億人に上るとみられている。カトリック信徒は世界中に存在しているが、特に多いのはヨーロッパアメリカ大陸である。2000年度の統計では、南北アメリカに5億2000万人、ヨーロッパに2億8000万人、アフリカに1億3000万人、アジアに1億700万人、オセアニアに800万人である。(参考:http://www.ewtn.com/library/chistory/annu2000.htm)

ヨーロッパでカトリック信徒の多い国は、ラテン諸国といわれる国でフランスイタリアスペインポルトガル、非ラテン諸国ではオーストリアベルギークロアチアチェコハンガリーアイルランドリトアニアマルタポーランドスロバキアスロベニアである。ドイツオランダスイスおよび北アイルランドはカトリックとプロテスタントがほぼ同数である。

アメリカ大陸では特に南アメリカに信徒が多く、特に多いのはメキシコブラジルアルゼンチンコロンビアパラグアイである。

アジアではスペイン、ポルトガルの植民地であった歴史的背景からフィリピン東ティモールにカトリック信徒が多い。

日本におけるカトリック教会

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カトリック教会への批判・論争、事件など

宗教改革以来、プロテスタントから、教皇の首位権・使徒継承性に対して「『聖書』の曲解、根拠なき伝承(聖伝)に基づくもの」と批判されている。同様にプロテスタントが『聖書』に根拠を持たないと主張する「秘跡」や「マリア崇敬・聖人崇敬[16]」について批判を受ける。歴史的には、カトリック教会が封建領主として君臨したことや聖遺物崇敬、贖宥状(免罪符)発行が批判されたが、対抗改革によって中止された。一方、改革の中で原理主義的姿勢が強まって「禁書目録」の作成がなされたが、このような動きは学問の自由言論の自由を求める学者と衝突を招いた。

啓蒙主義者にとっては、カトリック教会による社会生活の支配は克服すべき課題であった。フランス革命ではロベスピエールが宗教を廃止し、「理性」(あるいは、「最高存在」)に対する崇拝をそれまでの宗教に代わるものと位置付けた。このような過程を経て、カトリック教会は寛容政策に転換し、信徒や聖職者が他宗教の祭祀・儀式に列席することも認められるようになった。しかし、21世紀においても(プロテスタントの保守的な教会同様に)胎児も含めた、かけがいのない生命を尊重するという崇高な理念に基づき人工受精中絶避妊同性愛ES細胞研究への反対姿勢は変えておらず、この点を批判されることがある(ただしこれらについては他教派やプロライフの関係者にも賛成する者がおり、賛成者とカトリック教会が連携する事もある・一例としてマンハッタン宣言を参照)。「妊娠中絶の支持者には聖体の秘跡の授与を制限すべきだ」という教会関係者の発言が物議を醸しており、一種の"教条主義"とも揶揄されているテンプレート:誰

なお、プロテスタントや聖公会の中には“教会内における女性の首位権”(女性聖職者または女性牧師)を認める教会もあるが、カトリック教会では女性は司祭に叙階されない。教義上、聖職者になれるのは男性信者に限られている。フェミニストはこれに対する批判を行う者もいるが、カトリック教会側はあくまでも教義に基づく制度であるから「女性蔑視」ではないと説明している。また、聖職者には世俗の権力は一切存在しないので「女性差別」とは言いがたい、との説明もあるが、国や地域、組織によっては、聖職者が世俗的な権力行使に関わったり、その言動が世俗の権力に大きな影響を及ぼす例もあり、至当とは言えない。また、かつては女性助祭や旧約時代の女性預言者も存在したこともあり、この制度が復活することがないとは言えない。

また、近年一部の聖職者児童に対して性的虐待をしていた事実が判明し、カトリック教会の一大スキャンダルに発展している。 テンプレート:Main

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連文献

  • フランシスコ・マルナス、『日本キリスト教復活史』、1985年、ISBN 4622012588
  • 南山大学監修、『第2バチカン公会議公文書全集』、1986年、ISBN 4805656042
  • 片岡弥吉、『浦上四番崩れ―明治政府のキリシタン弾圧』、1991年、ISBN 4480025359
  • 日本カトリック司教協議会監修、『カトリック教会のカテキズム』、2002年、ISBN 4877501010
  • カトリック中央協議会『カトリック教会・情報ハンドブック 2010』- 2009年11月10日発行 ISBN 978-4-87750-541-7

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

  1. 八木谷涼子 『なんでもわかるキリスト教大事典』p58 朝日新聞出版 ISBN9784022617217
  2. DOGMATIC CONSTITUTION ON THE CHURCH LUMEN GENTIUM The Holy See(バチカン公式サイト)
  3. カトリック教会のカテキズム』194,195 (p65) ISBN4877501010
  4. 4.0 4.1 主日のミサは、日曜日だけでなく前日の土曜日の夜のミサも含む。
  5. カトリック教会のカテキズムより。(『カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)』137頁、カトリック中央協議会 ISBN 978-4-87750-153-2 )
  6. COMMON CHRISTOLOGICAL DECLARATION BETWEEN THE CATHOLIC CHURCH AND THE ASSYRIAN CHURCH OF THE EAST The Holy See(バチカン公式サイト)
  7. 教会論のいくつかの側面に関する問いに対する回答(日本語訳) カトリック中央協議会
  8. 日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳
  9. 多くの神学者の見解では、教皇不可謬権が行使されたのは1854年の「(聖母の)無原罪の御宿り」と1950年の「聖母の被昇天」の2例だけである。詳細は教皇不可謬説を参照。
  10. テンプレート:Cite news
  11. 『カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)』175頁
  12. 「東京大司教区に補佐司教任命」(2004年12月2日 カトリック中央協議会)
  13. 『カトリック教会の教え』231頁(日本カトリック司教協議会 監修・カトリック中央協議会 発行) ISBN 978-4-87750-106-8
  14. 『カトリック教会の教え』251-254頁
  15. 『カトリック教会の教え』252頁
  16. カトリック教会では、聖母マリアや諸聖人を神として敬っているわけではないため、「マリア崇拝」等と称するのは誤りである。