大浦天主堂

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ファイル:Oura Tenshudo Temple.jpg
大浦天主堂(大正)、手彩色絵葉書
ファイル:Oura Cathedral 20121114.JPG
大浦天主堂下入口に隣接する大浦教会

大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)は、長崎県長崎市にあるカトリック教会堂で、1865年元治2年)に建立された日本最古の現存するキリスト教建築物。正式名は日本二十六聖殉教者堂。その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられている。

1953年昭和28年)に国宝に指定された。また、2007年平成19年)にユネスコ世界遺産(文化遺産)暫定リストへ掲載が決まった「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を構成する文化財の1つである。

観光客の増加に伴い、1975年(昭和50年)に、天主堂に登る石段横の隣接地にカトリック大浦教会が建てられ、毎日のミサは大浦教会で行われている[1]

歴史

信徒の発見と大浦天主堂

建立まもない天主堂は「フランス寺」と呼ばれ、美しさとものめずらしさで付近の住民たちが多数見物に訪れていた。プティジャン神父には今でも何処かでカトリック教徒が密かに信仰を伝えているのではないかというわずかな期待があった。

1865年3月17日元治2年2月12日)、浦上(長崎市)の住民十数名が天主堂を訪れた。そのうちの4、50歳くらいの女性がひとり、祈っていたプティジャンに近づき、「私共は神父様と同じ心であります」(宗旨が同じです)とささやき、自分たちがカトリック教徒であることを告白した (この女性の名は、イザベリナ杉本百合だったと言われている)。彼らは聖母像があること、神父が独身であることから間違いなくカトリックの教会であると確信し、自分たちが迫害に耐えながらカトリックの信仰を代々守り続けてきたいわゆる隠れキリシタンである事実を話し、プティジャン神父を喜ばせた[11]

その後、プティジャン神父は密かに浦上や五島などに布教を兼ねて隠れた信者の発見に努め、浦上だけでなく長崎周辺の各地で多くのカトリック教徒が秘密裏に信仰を守り続けていたことがわかった。この「信徒発見」のニュースはやがて当時の教皇ピオ9世のもとにもたらされた。教皇は感激して、これを「東洋の奇蹟」と呼んだという。この日は現在カトリック教会では任意の記念日(祝日)となっている。

所在地

〒850-0931 長崎県長崎市南山手町5-3

交通

坂道を上った後、券売所からさらに石段を上ることになる。駐車場はない。

周辺

参考文献

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関連項目

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  • とは言え現在も礼拝を行うこともあるため、拝観の際には脱帽・静粛・(建物内)撮影禁止・禁煙となっており、その旨信徒発見記念の聖母像の下の看板に記載されている。
  • 1863年3月11日文久3年1月22日)とも。
  • 現在、日本二十六聖人記念館が建てられている場所。
  • 市制百年(1989年平成元年)4月1日長崎市役所
  • 浦川、1945年昭和20年)、pp. 48ff。
  • 6.0 6.1 6.2 パリ外国宣教会所蔵の大浦天主堂設計図面
  • 大浦天主堂の創建時設計図を仏で発見長崎新聞 2007年平成19年)9月6日
  • 太田静六『長崎の天主堂と九州・山口の西洋館』理工図書、1982年(昭和57年)。p. 144。
  • 1933年(昭和8年)1月23日文部省告示第14号。
  • 1953年(昭和28年)6月16日文化財保護委員会告示第65号。国宝の指定は3月31日付け。
  • 浦川和三郎『浦上切支丹史』全国書房、1945年(昭和20年)。pp. 50ff, 63ff。1973年(昭和48年)に国書刊行会から復刻刊行。