天草諸島
天草諸島(あまくさしょとう)は、九州西部の熊本県と、一部は鹿児島県にまたがる諸島である。
北は有明海、東・南東は八代海(不知火海)、西・南西は東シナ海の天草灘に囲まれる。
漢名は苓州・苓洲(れいしゅう)。天草を甘草(かんぞう、あまくさ)にかけ、その漢名「苓」から採っている。
目次
概要
全体の面積は約1000km2、人口は約14万人(鹿児島県長島町を含む)。
上島(かみしま)と下島(しもしま)(または天草上島と天草下島)を主島とする。下島は面積574.01km2であり、本州など主要4島を除く日本の島では8位の面積を有する。上島、長島、大矢野島、獅子島、御所浦島がこれに続く。
かつてキリスト教(カトリック)の布教が広がり、キリシタン弾圧や島原・天草の乱などの悲劇もあったことから、キリシタンの島として知られ、現在も3か所のカトリック教会がある。ただし現在の信者数は突出して多いわけではなく、人口の1%にも満たない[1]。
元来、全域が肥後国天草郡だったが、1581年、長島・獅子島などが薩摩国出水郡に編入された(#歴史参照)。これにより現在も、これらの島々は鹿児島県長島町に属している。このため、これらの島々を天草諸島に含めないこともある。なお、天草諸島に隣接する宇城市三角町戸馳の戸馳島は天草諸島に含まれない。
産業
温暖な気候で、水産業、特にクルマエビ・真珠などの養殖業が盛ん。また、非常に優れた品位の陶石(天草陶石)を産することでも知られており、生産量は全国の8割を占め、地元の天草陶磁器や日本各地の陶磁器の原料として多く用いられている。
長崎県の島原半島とともに雲仙天草国立公園に指定されている。海水浴、イルカウォッチング、船旅、温泉などを楽しめ、年間約480万人の観光客が訪れる。
地理
自治体
主な島
熊本県
- 主島
- (上島北東)
- (上島北東、天草松島)
- (上島南東)
- 樋島(ひのしま、3.46 km2、上天草市龍ヶ岳町樋島)
- (上島南方)
- (下島南方)
- (下島南東)
- 産島(うぶしま、1.94 km2、天草市河浦町宮野河内)
- (下島東方)
- 横島(よこしま、0.83 km2、天草市新和町多田尾)
- (下島北方)
- 通詞島 (つうじしま、0.6 km2、天草市五和町二江)
鹿児島県
歴史
戦国時代の1566年、修道士ルイス・デ・アルメイダが天草五人衆の1人志岐鎮経(麟泉)(下島・志岐城主)に招かれ、キリスト教がもたらされた。志岐には教会が建てられ、トルレス、ヴィレラ、オルガンチノらの宣教師も来島し、1568年、1570年には宗教会議も行われた。信仰は広まり、信者は1万5000人、教会堂は30あまりにも達したという。豊臣政権の下で天草はキリシタン大名小西行長の領地となり、キリシタンはその保護を受けることになった。
このころまでは天草諸島と肥後国天草郡は一致していた。しかし、薩摩の島津忠兼が天草に侵攻し、肥後の相良氏に追われていた長島の長島氏を庇護下においた。これにより1581年、長島・獅子島などが薩摩国出水郡に編入された。このときの国境が現在の県境ともなっている。
1591年、宣教師養成のための天草コレジオ(学林)が羊角湾岸の河浦に設置され、全寮制の集団教育がなされた。天正遣欧少年使節の4人もここで学んでいる。少年使節は日本にグーテンベルク式活版印刷機を持ち帰ったが、天草ではこれを用いて「伊曽保物語」「平家物語」「羅葡日対訳辞典」などの「天草本」と呼ばれる印刷物が刊行された。
関ヶ原の戦いの後、敗れた小西行長は斬首され、天草は唐津藩の飛び地となる。領主寺沢広高は現在の苓北町に富岡城を築いて城代を置き、検地を行い天草の石高を4万2千石とした。しかしこれは実際の生産高の倍にあたり、そのため過酷な税の取り立てとキリシタンの弾圧が行われた。さらに飢饉が続いたことも要因となって、1637年、島原・天草の乱が勃発した。
乱後、山崎家治が富岡藩4万2千石で入封し、富岡城の再建、離散した領民の呼び戻し、新田開発などに当たった。1641年、家治はその功績により讃岐丸亀藩5万3千石に加増移封され、天草は天領となった。代官鈴木重成は天草の復興に努める一方、再検地の結果に基づき石高を実収に見合うよう半減すべきと幕府に訴えた。しかし、再三の訴えも聞き入れられなかったため、重成は上表文を残して自刃したという。この主張は1659年になって認められ、天草の表高は2万1千石となった。天草の本渡には重成を祀る鈴木神社が建立され、名代官として今も人々に慕われている。
廃藩置県後1871年(明治4年)までは長崎県に属したが、その後、肥後国天草郡は熊本県、薩摩国出水郡は鹿児島県に属し、現在に至る。
交通
熊本県の宇土半島先端の三角から大矢野島・天草松島を経て上島に至るルートは、1966年(昭和41年)に開通した天草五橋でつながっており、「天草パールライン」と呼ばれている。夏のピーク時には観光・海水浴などで自動車の通行量が1日平均2万5000台にも上り混雑する。
上島と下島とは、天草の中心地である本渡の市街(下島)の近くで幅約100m、長さ約3Kmの細長い本渡瀬戸によって隔てられているが、ここも1974年(昭和49年)に開通した天草瀬戸大橋と 本渡瀬戸歩道橋で結ばれている。
また、鹿児島県に属する長島と九州本土の間にも黒之瀬戸大橋が架かり、自動車での往来が可能である。
海に囲まれた天草も九州本土と陸路で結ばれる一方で、2006年(平成18年)8月に牛深 - 水俣航路、2007年(平成19年)5月に本渡 - 水俣航路が廃止され、同年10月に松島 - 八代航路(天草フェリーラインにより運航)、2009年(平成21年)3月には熊本フェリー(株)が運行していた本渡港(下島) - 熊本港(熊本市)を約65分で結ぶ高速旅客船「マリンビュー」 が運航休止されるなど、海上航路は次々と数を減らしている。
※2009年4月に松島 - 八代航路(天草フェリーライン有限会社)運航再開
地域高規格道路の候補路線「島原天草長島連絡道路」においては島原と天草間および天草と長島間の架橋が計画されている。
鉄道
諸島内には鉄道路線はない。
(熊本県側)天草五橋の手前にあるJR三角線三角駅が最寄りとなる。
そのほか、場所にもよるが長崎本線の長崎駅や、肥薩おれんじ鉄道の水俣駅があげられる。
バス
(熊本県側)大矢野島・上島・下島内は産交バスの運行エリアである。熊本市内と本渡を結ぶ快速「あまくさ号」が都市間連絡の路線として運行している。主要拠点として本渡バスセンターがある。
(鹿児島県側)南国交通の運行エリアである。肥薩おれんじ鉄道の阿久根駅や九州新幹線の出水駅から運行されている。
主な航路
- シークルーズ : 本渡港(下島) - 前島(上天草市松島町合津) - 三角港(宇城市三角町三角浦)※三角駅にてJR三角線と接続(港から徒歩3分)
- 天草観光汽船 : 本渡港 - 棚底港(上島) - 御所浦港(御所浦島) - 大道港(上島) - 姫戸港(上島) - 八代港(八代市)
- 天草フェリーライン : 松島港(上島) - 八代港
- 松島フェリー : 松島港(上島) - 八代港 ※2011年12月より休航
- 島鉄フェリー : 鬼池港(下島) - 口之津港(南島原市)
- 安田産業汽船 : 富岡港(下島) - 茂木港(長崎市)
- 天長フェリー : 中田港(下島) - 諸浦港(諸浦島)
- 三和商船カーフェリー : 牛深港(下島) - 蔵之元港(長島)
空路
離島架橋
都市圏
金本良嗣・徳岡一幸によって提案された都市圏(10%通勤圏)。細かい定義等は都市雇用圏に則する。 一般的な都市圏の定義については都市圏を参照のこと。
県 | 自治体 ('80) |
1980年 | 1990年 | 1995年 | 2000年 | 自治体 (現在) |
主要島嶼 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
熊本県 | 大矢野町 | - | - | - | - | 上天草市 | 大矢野島 |
龍ヶ岳町 | - | - | - | - | 天草上島 | ||
松島町 | - | - | - | - | |||
姫戸町 | - | - | - | - | |||
倉岳町 | - | - | - | 本渡都市圏 7万5816人 |
天草市 | ||
栖本町 | - | 本渡都市圏 6万8343人 |
本渡都市圏 6万7019人 | ||||
有明町 | 本渡都市圏 6万8801人 | ||||||
本渡市 | |||||||
天草下島 | |||||||
新和町 | |||||||
五和町 | |||||||
河浦町 | - | - | - | ||||
天草町 | - | - | - | - | |||
牛深市 | - | - | - | - | |||
苓北町 | - | - | - | - | 苓北町 | ||
御所浦町 | - | - | - | - | 天草市 | 御所浦島 | |
鹿児島県 | 長島町 | - | - | - | - | 長島町 | 長島本島 |
東町 | - | - | - | - |
※10%通勤圏に入っていない町村は、各統計年の欄で灰色かつ「-」で示す。
- 2004年3月31日 - 大矢野町、松島町、姫戸町、龍ヶ岳町が合併し、上天草市が発足。
- 2006年3月20日 - 長島町と東町が合併し、新町制による長島町が発足。
- 2006年3月27日 - 本渡市、牛深市、有明町、御所浦町、倉岳町、栖本町、新和町、五和町、天草町、河浦町が合併し、天草市が発足。