肥後国

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テンプレート:Pathnav テンプレート:基礎情報 令制国 肥後国(ひごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。

沿革

元来は肥前国と合わせて火国(肥国、ひのくに)であった。火国の名は、活発な噴火活動を行っている阿蘇山に由来するといわれる。また一説には、肥前・肥後両国の有明海沿岸に広がる干潟に由来するともいう。「肥後国」として初めて文献に現れるのは持統天皇10年(696年)頃であり、7世紀中に肥国を分割して肥前国と肥後国が成立したと推定される。

国内の施設

テンプレート:座標一覧

国府

国府所在地を記した文献は次の通り。

国府は託麻郡、益城郡、飽田郡と変遷したとされるテンプレート:Sfn。それぞれ託麻国府は熊本市国府([[[:テンプレート:座標URL]]32_47_14.25_N_130_43_22.66_E_region:JP-43_type:landmark&title=%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E8%82%A5%E5%BE%8C%E5%9B%BD%E5%BA%9C%EF%BC%88%E8%A8%97%E9%BA%BB%E5%9B%BD%E5%BA%9C%EF%BC%89 位置])、益城国府は未詳(諸説)、熊本市二本木の二本木遺跡と推定されているテンプレート:Sfn

国分寺・国分尼寺

  • 肥後国分寺跡 (熊本市出水、[[[:テンプレート:座標URL]]32_47_19.32_N_130_43_55.30_E_region:JP-43_type:landmark&title=%E8%82%A5%E5%BE%8C%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%AF%BA%EF%BC%88%E8%B7%A1%E3%80%81%E5%BE%8C%E7%B6%99%E5%AF%BA%E9%99%A2%EF%BC%89 位置]
    託麻国府に近接。熊野坐神社境内に塔心礎が残る。跡地上の医王山国分寺が法燈を伝承する。

尼寺跡は未詳。

神社

延喜式内社

延喜式神名帳』には、次に示す大社1座1社・小社3座3社の計4座4社が記載されている(肥後国の式内社一覧参照)。大社1社は次に示すもので、名神大社である。

総社一宮以下

『中世諸国一宮制の基礎的研究』に基づく総社・一宮以下の一覧[4]
  • 総社:総社神社 ([[[:テンプレート:座標URL]]32_47_35.33_N_130_41_31.02_E_region:JP-43_type:landmark&title=%E8%82%A5%E5%BE%8C%E5%9B%BD%E7%B7%8F%E7%A4%BE%EF%BC%9A%E7%B7%8F%E7%A4%BE%E7%A5%9E%E7%A4%BE%EF%BC%88%E5%8C%97%E5%B2%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E5%A2%83%E5%86%85%E7%A4%BE%EF%BC%89 位置]) - 北岡神社熊本市春日)境内社。
  • 一宮:阿蘇神社阿蘇市一の宮町宮地、[[[:テンプレート:座標URL]]32_56_52.75_N_131_6_57.18_E_region:JP-43_type:landmark&title=%E8%82%A5%E5%BE%8C%E5%9B%BD%E4%B8%80%E5%AE%AE%E3%80%81%E5%90%8D%E7%A5%9E%E5%A4%A7%E7%A4%BE%EF%BC%9A%E9%98%BF%E8%98%87%E7%A5%9E%E7%A4%BE 位置]
  • 二宮:甲佐神社上益城郡甲佐町上揚、[[[:テンプレート:座標URL]]32_38_36.13_N_130_50_3.64_E_region:JP-43_type:landmark&title=%E8%82%A5%E5%BE%8C%E5%9B%BD%E4%BA%8C%E5%AE%AE%EF%BC%9A%E7%94%B2%E4%BD%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE 位置]) - 保延3年(1137年)までには阿蘇神社の末社化テンプレート:Sfn
  • 三宮:藤崎八旛宮熊本市中央区井川淵町、[[[:テンプレート:座標URL]]32_48_31.27_N_130_43_5.20_E_region:JP-43_type:landmark&title=%E8%82%A5%E5%BE%8C%E5%9B%BD%E4%B8%89%E5%AE%AE%EF%BC%9A%E8%97%A4%E5%B4%8E%E5%85%AB%E6%97%9B%E5%AE%AE 位置]) - 嘉禎4年(1238年)の文書に「当州第三之宗廟」テンプレート:Sfn

以上のほか、郡浦神社宇城市三角町郡浦)が三宮を称する[5]

安国寺利生塔

  • 安国寺 - 熊本県熊本市横手。
  • 安國寺 - 熊本県宇土市花園町佐野。
  • 安国寺 - 熊本県菊池市豊永。
  • 利生塔 - 如来寺(熊本県宇土市岩古曽町)内に設置。

地域

江戸時代の藩

人物

国司

テンプレート:節stub ※日付=旧暦

肥後守

肥後介

守護

鎌倉幕府

室町幕府

戦国時代

戦国大名

  • 菊池氏:肥後国守護。1504年、22代菊池能運が没すると、急速に没落
  • 阿蘇氏:阿蘇神社大宮司家で鎌倉以来の名門だが、1585年島津氏に降伏
  • 相良氏:最盛期には球磨・八代・葦北を領するが、1581年島津氏に降伏。後に豊臣政権の小大名として復活

豊臣政権の大名

  • 佐々成政:肥後一国、1587年 - 1588年(肥後国人一揆の鎮圧に失敗し、改易・死罪)
  • 加藤清正:肥後北半国19万5千石(熊本城)、1588年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、肥後一国52万石の熊本藩に)
  • 小西行長:肥後南半国20万石(宇土城)、1588年 - 1600年(関ヶ原の戦い後、改易・死罪)
  • 相良頼房:人吉2万石、1587年 - 1600年(関ヶ原の戦い後も本領安堵、人吉藩に)

武家官位としての肥後守

江戸時代以前

江戸時代

肥後国の合戦

脚注

テンプレート:Reflist

参考文献

関連項目


テンプレート:令制国一覧


テンプレート:火国二国の郡
  1. 『和名類聚抄 20巻』(国立国会図書館より)29コマ参照。
  2. 『拾芥抄 3巻』(国立国会図書館より)59コマ参照。
  3. 『節用集 易林本』(近代デジタルライブラリーより)144コマ。
  4. 『中世諸国一宮制の基礎的研究』(岩田書院、2000年)pp. 618-621。
  5. 三角町史編纂委員会編纂 『三角町史』 三角町役場、1987年。