阿蘇神社
テンプレート:神社 阿蘇神社(あそじんじゃ)は、熊本県阿蘇市にある神社。式内社(名神大社)、肥後国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。全国に約450社ある「阿蘇神社」の総本社である。古くは「阿蘓神社」とも記されていた(現在も銘板が存在)。
目次
概要
熊本県北東、阿蘇山の北麓に鎮座する。全国的にも珍しい横参道で、参道の南には阿蘇火口、北には国造神社が位置していると言われている[1]。中世の戦国期に肥後中部で勢力を誇示していた阿蘇氏と縁の深い神社である。
祭神
以下の12柱の神を祀り、阿蘇十二明神と総称される。
一の神殿(左手、いずれも男神)
- 一宮:健磐龍命 - 第1代神武天皇の孫
- 三宮:國龍神 - 二宮の父。神武天皇の子で、『古事記』では「日子八井命」と記載
- 五宮:彦御子神 - 一宮の孫
- 七宮:新彦神 - 三宮の子
- 九宮:若彦神 - 七宮の子
二の神殿(右手、いずれも女神)
- 二宮:阿蘇都比咩命 - 一宮の妃
- 四宮:比咩御子神 - 三宮の妃
- 六宮:若比咩神 - 五宮の妃
- 八宮:新比咩神 - 七宮の娘
- 十宮:彌比咩神 - 七宮の妃
諸神殿(最奥、いずれも男神)
- その他
- 全国式内社祭神 3132座
- 祭神の関係略系図
- 点線は婚姻関係。()内数字は一宮から十二宮を指す。丸数字は天皇就任順[2]。
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歴史
孝霊天皇9年6月、健磐龍命の子で、初代阿蘇国造に任じられた速瓶玉命(阿蘇都比古命)が、両親を祀ったのに始まると伝えられる。阿蘇神社大宮司を世襲しこの地方の一大勢力となっていた阿蘇氏は、速瓶玉命の子孫と称している。
『延喜式神名帳』には、一宮が「肥後國阿蘇郡 健磐龍命神社」と記載され名神大社に列し、二宮が「肥後國阿蘇郡 阿蘇比咩神社」・十一宮が「肥後國阿蘇郡 国造神社」と記載され小社に列している。
肥後国一宮とされて崇敬を受け、広大な社領を有していたが、豊臣秀吉の九州征伐の際に社領を没収された。その後、改めて天正15年に300町の社地が寄進され、さらに、領主となった加藤清正、熊本藩主として入国した細川氏によって社領の寄進、社殿の造修が行われた。
1871年(明治4年)、近代社格制度において国幣中社に列し、1890年(明治23年)に官幣中社、1914年(大正3年)に官幣大社に昇格した。
神階
- 健磐龍命神社(一宮)
- 弘仁14年(823年)10月22日までには従四位下 (『日本紀略』)
- 承和7年(840年)4月21日、従四位上 (『続日本後紀』)
- 承和10年(843年)6月8日までには従三位 (『続日本後紀』)
- 嘉祥3年(850年)10月7日、正三位 (『日本文徳天皇実録』)
- 仁寿元年(851年)10月8日、従二位 (『日本文徳天皇実録』)
- 貞観元年(859年)1月27日、正二位 (『日本三代実録』)
- 文献には概ね「勲五等」と記載されている
- 阿蘇比咩神社(二宮)
- 仁寿2年(852年)1月11日、従四位下 (『日本文徳天皇実録』)
- 貞観元年(859年)1月27日、従四位上 (『日本三代実録』)
- 貞観元年(859年)5月17日、官社 (『日本三代実録』)
- 貞観10年(868年)閏12月21日、正四位下 (『日本三代実録』)
- 貞観15年(873年)4月5日、正四位上 (『日本三代実録』)
- 貞観17年(875年)12月27日、従三位 (『日本三代実録』)
境内
東向きに還御門、楼門、御幸門があり、境内には社殿が3棟ある。「日本三大楼門」に数えられる楼門は、高さが18mあり、神社では珍しい仏閣の様式で建てられた二層楼山門式である[1]。
- 願掛け石 - 拝殿の右手、古代より神石として伝承保存されている。時期は不明だが、参拝者たちが石に3回なでてから、願い事を唱える様になり、近年パワースポットとされている[1]。
- 縁結びの松 - 謡曲「高砂の松」に因んだ、同名の松。男性は左から2回、女性は右から2回まわるとご利益があるとされる[1]。
祭事
年間祭事
- 踏歌節会
- 節分祭
- お神楽
- 春の卯の祭
- 火振り神事[3]
- 御前迎神事
- 風祭り
- 御田植神幸式
- ねむり流し神事
- 秋祭り
御田植神幸式
御田植神幸式は「おんだ祭り」とも呼ばれる。この祭りは「ウナリ」という頭に唐櫃を乗せた女性の姿が印象的といわれる。かつては泥打ち(のろうち)が行われていたが、現在は大筋では変化はない。
前日には「遷座祭」として、4つの神輿に神々が移される。一の神輿には一宮、二の神輿には二宮、三の神輿には男性神(三、五、七、九、十一、十二宮)、四の神輿には女性神(四、六、八、十宮)と阿蘇十二神がすべて神輿に移される。次いで「例祭」として、28日に御田植神幸式が行われる。昼前に出発し、一の仮屋(御旅所)に昼過ぎに到着する。仮屋には神饌が供えられる。祝詞奏上、直会(なおらい)が行われ、酒を飲み食べる。駕与丁(かよちょう)が御田歌を歌ったのち、神輿を担いで回る。その時神職や氏子たちが神輿の屋根をめがけて苗を投げる。屋根に苗が多く乗ると豊作という。二の仮屋に進み、同じ神事を行なったのち本社に戻る。式が終わると歌い納めが行われる。そして神職が成就祭を行う。翌29日には再び「遷座祭」として阿蘇十二神が神殿に戻される [4]。
文化財
重要文化財(国指定)
- 一の神殿
- 二の神殿
- 三の神殿
- 楼門
- 御幸門
- 還御門
- 太刀(銘 長光) - 第二次大戦後、連合軍により接収。以後の所在不明
- 牡丹造短刀 - 同上
その他
- 近隣に位置する阿蘇市立一の宮中学校の校歌の歌詞に「大宮の瑞垣」とあるが、これは阿蘇神社のことである。
他の阿蘇神社
九州を中心として日本全国に約450の分社がある。また、男成神社・小一領神社・宮原両神社・国造神社なども当社の系統である。
- 男成神社 (熊本県山都町男成) - 阿蘇家家督の成人式を行った(男に成る)ことに名前は由来する。阿蘇惟忠が寄進した宝刀が残っている。(指定文化財)
- 小一領神社 (熊本県山都町浜町) - 阿蘇氏と密接な関わりがある神社。現在は、パワースポットとして「(同名にかけて)恋一路」神社とも呼ばれ、縁結びの御利益があるというふれこみ。
- 大川阿蘇神社 (熊本県山都町大川) - 清和文楽の奉納なども行われる農村舞台は、国指定の文化財である。大川・大平地区を主な氏子として毎年秋9月19日に集落持ち回りの大祭を行う。
- 御釜神社 (熊本県山都町鶴ヶ田・鶴底) - 阿蘇系の歴史ある神社。朝日地区を主な氏子として毎年秋9月29日に集落持ち回りの大祭を行う。
- 青井阿蘇神社 (熊本県人吉市) - 旧県社
- 阿蘇神社 (東京都羽村市羽加美4丁目) - 多摩川サイクリングロード終点に鎮座
- 阿蘇神社 (岐阜県羽島市) - 別名「小熊一宮」・「小熊本宮」
- 健軍神社 (熊本県熊本市東区) - 熊本市最古社、旧郷社
- 宮地神社 (七所宮) (熊本県熊本市南区) - 旧郷社
- 小木阿蘇神社 (熊本県熊本市南区) - 旧郷社
- 豊福阿蘇神社 (熊本県宇城市) - 旧郷社
- 若宮神社(熊本県下益城郡美里町) - 旧郷社
- 穂積阿蘇神社 (熊本県下益城郡美里町) - 旧郷社
- 若宮神社(熊本県八代市東陽町南) - 旧郷社
- 山森阿蘇神社 (熊本県玉名郡和水町) - 当神社の子供神楽は、現存する『子供だけで舞続ける芸能』としては世界最古
矢村社・矢村神社
矢村社(やむらしゃ)・矢村神社とは、阿蘇神社の主神である健磐龍命や阿蘇氏に関係する神社の一つで、山都町など阿蘇周辺に点在している。
- 「浜の館」にある矢村社 (矢村神社 熊本県山都町城平 矢部高校隣接) - 阿蘇氏と密接な関わりがある神社で、阿蘇氏が矢部郷にて居城(居館)を作る際に矢を放ち、落ちた場所に建てたもの。現在は、弓矢の神様として祀られている。
- 高森阿蘇神社 - 矢村社又は矢村大明神と称し、高森阿蘇神社の名は、明治以降に使用されはじめたものである。
- 阿蘇神社の北方約2kmのところに小さな社があり、ここを矢村社と読んでいる。この社は、手野にあった健磐龍命の本拠地を宮地に移したところ。矢を射て場所を決めた逸話は、浜の館にある矢村神社と類似している。
現地情報
- 所在地
- 交通アクセス
脚注
参考文献
- 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968
- 白井 永二・土岐 昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979
- 鈴木喬『熊本の神社と寺院』熊本日日新聞社、1980
- 高木盛義『くまもと史跡散歩』熊本新評社、1982
- 熊本日日新聞社編纂・発行『熊本県大百科事典』、1982
- 阿蘇惟之編 『阿蘇神社』学生社、2007 - 編者は前宮司
- 岡田荘司、笹生衛『事典 神社の歴史と祭り』吉川弘文館、2013
関連項目
- 甲佐神社 (熊本県上益城郡甲佐町) - 肥後国二宮、旧郷社
- 郡浦神社 (熊本県宇城市) - 肥後国三宮、旧郷社
- 国造神社 - 式内社。当社十一宮の國造速瓶玉神を主祭神とする
- 阿蘇国造
- くまもとアートポリス - くまもとアートポリス'92既存選定建築物に選定。
- あそ1962 - 最寄り駅の宮地駅発着の観光列車。祭事「御田植神幸式」(通称「おんだまつり」)で神に差し出すお膳から名付けられた「阿蘇うなり弁当」が車内で販売されている。