長崎駅

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かもめ広場とアミュゴン

長崎駅(ながさきえき)は、長崎県長崎市尾上町にある、九州旅客鉄道(JR九州)・日本貨物鉄道(JR貨物)・長崎電気軌道(長崎電鉄)のである。長崎電気軌道は「駅前」も正式停留場名に入り長崎駅前停留場(ながさきえきまえていりゅうじょう)となる。

概要

長崎県の県庁所在地、長崎市の中心駅であり、長崎本線の終着駅でもある。博多方面への特急列車『特急かもめ』や長崎都市圏等を走る快速『シーサイドライナー』・普通列車が発着する。JR九州のレンタサイクルサービス楽チャリ設置駅である。

かつては本州方面への優等列車が当駅始発で運転されていたが、2008年に寝台特急「あかつき」が廃止されて以降は、発着する全ての列車が九州内のみの運行となっている。2013年(平成25年)10月15日より、JR九州のクルーズトレインななつ星in九州」が乗り入れている。また、2022年開業予定の九州新幹線長崎ルート)乗り入れに向けて、浦上駅から当駅間の連続立体交差事業と駅周辺の土地区画整理事業が進行中である(後述)。

乗り入れ路線

JRの在来線と、長崎電気軌道の1号系統2号系統3号系統が乗り入れている。長崎電気軌道の停留場(電停)には「27」の駅番号が設定されている。

JRの駅に乗り入れる在来線は、長崎本線のみであるが、快速列車と大半の普通列車が諫早駅から分岐している大村線から当駅まで乗り入れている。JR九州の九州新幹線長崎ルート開業後は当駅が終着駅となる予定である。

歴史

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明治~大正時代の長崎駅前(手彩色絵葉書)
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2代目駅舎(大正時代)

1897年(明治30年)、九州鉄道が長崎市内への路線を開通させた際に、「長崎駅」として開設されたのは隣の現浦上駅であった。その後、より市街地に近い大黒町への新駅設置と路線延伸が検討され、1905年(明治38年)に路線が市中心部側へ延伸されて現長崎駅が開業し、それまでの長崎駅は浦上駅へと改称された[1]

大正時代に2代目の駅舎としてドイツ風建築の木造駅舎が建てられた。1915年(大正14年)には長崎電気軌道の開業に伴い、長崎駅前停留場が開設される。 1945年(昭和20年)8月の原爆投下により駅舎は焼失し、1949年(昭和24年)にステンドグラスを備えた三角屋根が特徴の3代目駅舎が建てられた。1988年(昭和63年)には大規模な改装工事が行われたが[2]、老朽化と新駅舎建設のため1999年(平成11年)に取り壊された[3]

現在の4代目駅舎2000年(平成12年)に建てられたもので、旧駅舎の三角屋根に代わりドーム状の屋根と多目的広場「かもめ広場」が設けられ、それに併設する形で複合ビル「アミュプラザ長崎」、「JR九州ホテル長崎」が開業した[4]2012年(平成24年)には当駅を含む長崎県内のJR九州区間の一部でICカード「SUGOCA」が利用可能となった。

現在、旅客ホームの線路はすべて車止めが設けられ行き止まりとなっているが、1930年(昭和5年)から1987年(昭和62年)までは、当駅から南へ約1.1kmの地点に長崎港駅(ながさきみなとえき)が存在した(長崎 - 長崎港駅間は長崎本線であるが通称を臨港線と呼んでいた)。 戦前・戦時中は長崎港へ寄港する日華連絡船へ接続する旅客列車が乗り入れ、戦後の航路廃止後は貨物列車のみが運行されていたが、1987年(昭和62年)に廃止された。

年表

  • 1904年明治37年)11月16日 - 長崎港の埋め立て工事(第2期港湾改良工事)が完成し、台場町など24町が新設される。
  • 1905年明治38年)
    • 2月 - 浦上から台場町まで1マイルの臨港路線が延長され、その終点に仮駅舎が設置される。
      • 埋め立て工事の完成と日露戦争勃発による軍事物資の輸送の必要性が生じたため。
    • 4月5日 - 九州鉄道の駅として開業。台場町の仮駅舎が「長崎駅」となり、浦上にあった従来の長崎駅が浦上駅に改称。
  • 1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道の国有化により国鉄(九州帝国鉄道)の駅となる。
  • 1911年(大正元年)10月21日 - 2代目の駅舎が完成。駅舎はコテージ式2階建てで、2階は貴賓室にあてられた。
  • 1915年(大正4年)11月16日 - 長崎電気軌道本線の病院下(現・大学病院前) - 築町間開通に伴い、長崎駅前停留場開業。
  • 1919年(大正8年)12月25日 - 当停留場から桜町までの支線(現在の3号系統)が開通。
  • 1922年(大正11年)11月1日 - 一等駅に昇格。
  • 1930年昭和5年)
    • 3月19日 - 長崎駅 - 長崎港駅間が開通。
    • 10月1日 - 長崎線に準特急が導入され、東京・長崎間が21時間に短縮される。
  • 1931年(昭和6年)- 駅舎2階の貴賓室を廃止し、食堂を開業。
  • 1942年(昭和17年)
  • 1945年(昭和20年)
    • 4月26日 - 午前11時、空襲により長崎駅2番ホームに停車中の列車に直撃弾命中、死者90名。駅本屋半壊被災。
    • 8月9日 - 原子爆弾投下により駅本屋残部分全焼。爆心地に近い大橋鉄橋から長崎駅の間の路線が不通となる。
    • 8月10日 - 復旧工事を開始。
    • 8月11日 - 復旧工事が完成。午後10時15分長崎駅発の終列車から運行を再開。
  • 1949年(昭和24年)5月25日- 3代目駅舎完成[5]
  • 1950年(昭和25年)7月31日 - 機構改革により、国鉄長崎管理部が廃止される。
  • 1958年(昭和33年)8月1日 - 長崎・博多間日帰りディーゼル・カーの運転が開始される。
  • 1959年(昭和34年)
    • 7月21日 - 特急さくらが長崎に乗り入れを開始し、長崎・東京間を20時間で結ぶ。
    • 8月 - 2階建ての団体待合室(500名収容可能)が完成。
  • 1960年(昭和35年)8月1日 - 国鉄西部支社長崎出張所が設置される。
  • 1961年(昭和36年)10月1日 - 長崎・京都]間に特急かもめ、長崎・熊本間に準特急ちくごが乗り入れを開始。
  • 1966年(昭和41年)2月7日 - 交通ラッシュ解決のため、県下で初めての横断歩道橋が長崎駅前に完成。
  • 1967年(昭和42年)12月19日 - 長崎駅前に2つ目の横断歩道橋が完成。
  • 1969年(昭和44年)6月 - 全国で初めて駅前高架広場が完成。
  • 1982年(昭和57年)7月23日 - 24日 - 長崎大水害で駅舎が浸水する。
  • 1985年(昭和60年)3月14日 - 鮮魚貨物列車「ぎんりん」、コンテナ化。
  • 1987年(昭和62年)
  • 1988年(昭和63年)11月 - 駅新装開業。
  • 1998年平成10年)4月1日 - 鮮魚コンテナ貨物列車廃止。
  • 1999年(平成11年)7月1日 - 貨物列車発着廃止、トラック便運転開始。
  • 2000年(平成12年)9月21日 - 現駅舎(4代目)完成。
  • 2002年(平成14年)10月 - JR九州が長崎県内の駅で初となる自動改札機を導入。
  • 2006年(平成18年)4月1日 - 長崎オフレールステーション開設。
  • 2012年平成24年)12月1日 - 同駅を含む長崎地区19駅にSUGOCAを導入。

移設と再開発

長崎駅周辺連続立体交差事業

踏切による渋滞解消と、市街地の分担を解消するため長崎本線の浦上駅から長崎駅までの約2.4kmの区間を高架化し、4か所の踏切を除去する事業。2001年に着工準備が決定するも長崎運輸センターの移転を巡りJR九州との協議が難航していたが、2007年8月に佐世保線早岐駅構内への移転が決定した。車両基地移転費用は長崎県が負担する。2008年12月に都市計画決定、2010年2月に国の事業認可を受けた。2014年3月15日早岐駅構内佐世保車両センターへ基地機能の一部が移転し、これから順次長崎車両センターは撤去される。尚、大半の留置線は今後も使用される。 現在は高架化のための仮線路用地の水道管等の移設工事、貨物線の撤去、土地の造成が行われている。 また、この事業と新幹線建設により、長崎駅は現在の場所から西(浦上川方面)に150メートル程度移設される。新駅は幅50メートル長さ250メートル程度の大きさの高架駅となり、1階にコンコースが、2階に在来線2面5線、新幹線が2面4線の計4面9線のホームが設けられる予定である。事業期間は2009年度から約12年程で、概算事業費は約430億円。

長崎駅周辺土地区画整理事業

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現在の新駅建設予定地

立体交差事業に伴い、長崎市が2008年度に事業認可された長崎駅周辺約19ヘクタールの再開発。この事業では新駅舎の東口、西口の両広場、交通接点(ロータリー)、周辺道路や長崎電気軌道の停留場移設、歩行者動線などを整備する。長崎駅前の国道202号線の渋滞緩和、長崎電気軌道長崎駅前停留所のバリアフリー実現、各公共交通機関の連接強化が期待される。

関連して、旭大橋を挟んで長崎駅から見て港側に位置する長崎漁港跡地に長崎県庁舎・長崎県警察本部の移転が決定している。さらに新たに建設される長崎駅西通り線(仮称)を挟んで浦上川側には、国際会議などを開催できるホテル一体型のMICEセンターの建設計画があり、現在具体的な検討が行われている。また、長崎警察署もこの事業区域内への移転が決定している。

一連の事業は着手から完成まで15年程度が見込まれている。

駅構造

JR九州

テンプレート:駅情報

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2、3番のりばのプラットホーム先端。
現在は車止めが設置されているが、かつては南側に線路が延びていた。

頭端式ホーム3面5線を有する地上駅跨線橋構内踏切等の設備はなく、改札口から全てのホームへ平面移動が可能である。ホーム先端部には車止めが設置されている。

プラットホームは、平成に入り設置された0番のりばを除き有効長が長く取られている。これはかつて当駅から本州方面への長距離優等列車(寝台特急さくらみずほ・あかつきなど)が走っていた名残である。2番のりばと3番のりばとの間に中線が1本あり、1987年(昭和62年)頃まで長崎港駅へと通じていた[6]。1・2番のりばの上屋は木製である。このホームの端(浦上方)に運転取り扱いの建物がある。

かつては0番のりばのない島式2面4線であり、1・2番のりばは駅舎と直結し、長崎港駅(1987年廃止)につながる線路に面した3・4番のりばと駅舎は跨線橋で接続されていた。1993年(平成5年)頃にホームを頭端式に変更し、ほどなく跨線橋が廃止され、同時期に0番のりばが増設された。従来線路が延びていた敷地は屋外駐車場へと転用され、のち2000年(平成12年)にアミュプラザ長崎が建設された。

2番のりばの改札口寄りには、長崎くんちの出し物として知られる「御朱印船」(三菱重工製)が展示されている。[7]

ホーム西側には複数の側線が引かれ、旅客列車の留置線として使用されている。2014年(平成26年)3月までは隣接地に車両基地機能を持った「長崎車両センター」が設置されていた。[8]

長崎ランタンフェスティバル期間中は天井に竜のオブジェ「アミュゴン」が飾られるほか、さまざまな装飾が施される。オープンスペースとなっており、各種イベントが行われる。広場の天井近くには三菱電機製の大型モニターも設置されており、JR九州関連のPR映像などが映されている。アミュプラザ長崎とJR九州ホテル長崎へは1階への出入口のほか、エスカレーターで2階へ出入りすることも出来る。改札口の左側には、総合観光案内所と待合室があり、その隣にキヨスクがある。

直営駅で、みどりの窓口自動券売機自動改札機が設置されており、SUGOCAにも対応している。駅自動放送はなく、駅員がマイクによる肉声で放送を行っている。

なお、当駅からの最低区間の乗車券は浦上までの160円だが、浦上駅周辺へは路面電車もしくは路線バスが本数・運賃両面で優位に立っており、JRの利用客が少ないため自動券売機では購入できない。購入する場合には改札の係員に申し出る必要があり、その際には簡易業務委託駅にて使用される補充券の形式で発券される。 また、自動券売機では諫早乗り換えの島原鉄道連絡乗車券も購入できる。

自動改札機の前と3・4番のりばへ向かう通路にLED式発車案内がある。長与駅止まりの列車は「長与まで」と表示される。時刻表には発車する列車の時刻のほか、到着列車の時刻とそのホーム、始発駅も表示されている。時刻表は自動券売機横、待合室内、みどりの窓口内の計3か所に設置されている。駅名標に龍踊りの龍がデザインされている。

のりば

0~4 テンプレート:Color長崎本線 (上り) 長与・諫早早岐佐世保鳥栖博多方面 特急は主に2・4番のりば

2005年に廃止された寝台特急「さくら」、2008年に廃止された寝台特急「あかつき」はどちらも4番のりばから発車していた。

長崎電気軌道

テンプレート:駅情報 長崎駅前の併用軌道国道202号上)にある相対式2面2線の停留場である。ホームの正覚寺下・蛍茶屋方、赤迫方の双方に歩道橋がある。利用者が多いため正覚寺下・蛍茶屋方面ホームは乗り場が分かれている(正覚寺下・蛍茶屋寄りの停止線に3号系統蛍茶屋行き、中央の停止線に1号系統正覚寺下行きが停車する)。赤迫・浦上車庫前行きは系統に関わらず同じ乗り場であり、到着した順に前方に詰める。

JR長崎駅からは歩道橋のみのアクセスであることから、車椅子利用者は実質、路面電車の利用が不可能である。よって、駅前広場内への停留場移設もしくはエレベーターの設置が検討されている。

正覚寺下・蛍茶屋方面ホームには日本語と英語の自動放送が流れる。また、この自動放送では長崎西洋館や平和公園など、赤迫方面の案内も放送されている。

なお、ホーム中央付近に上り線から下り線への片渡り線があるが、2000年10月ごろに試験的に駅前環状線の運行が行われた。利用者がそれほど多くなく、定常化には至らなかった。現在は正覚寺下・蛍茶屋方面が不通となったときの折り返しなどに使われるのみであり、ほとんど使用されない。

のりば

上り テンプレート:Color1号系統 (上り) 住吉赤迫方面
テンプレート:Color3号系統 住吉・赤迫方面
下り前 テンプレート:Color3号系統 (下り) 公会堂前蛍茶屋方面
下り後 テンプレート:Color1号系統 (下り) 大波止築町方面

長崎オフレールステーション

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長崎オフレールステーション

長崎オフレールステーション(略称:長崎ORS)は、JR貨物長崎駅に属し、駅西側(旧長崎車両センターの西隣)にあるコンテナ集配基地である。コンテナ貨物(12フィートコンテナのみ)を取り扱っており、貨物列車代替のトラック便が当駅と鍋島駅の間で1日に14往復運行されている。

1999年(平成11年)までJR貨物長崎駅は貨物列車の発着があったが、廃止され自動車代行駅となった。なお、2006年(平成18年)4月より、コンテナ基地の名称がオフレールステーションとなっている。

列車廃止以前は、2面のコンテナホームや複数の荷役線を有し、駅南側の埠頭にあった魚市場への線路も存在していた。魚市場から鮮魚を輸送するため、鮮魚貨物列車「ぎんりん」(大阪市場駅行き、ただし同駅廃止後は梅田駅行き)や「とびうお」(東京市場駅行き)なども運行されていた。現在は、魚市場の移転に伴い埠頭の線路はすべて撤去され、コンテナ基地として使用されていないホームは駐車場に転用されている。

駅弁

主な駅弁は下記の通り。

  • 長崎すり身揚げ弁当(膳菜家)[9]
  • 角煮入りいかめし(珠の里)
  • 角煮めし(坂本屋)
  • ながさき鯨カツ弁当(くらさき)
  • 四季彩弁当
  • トルコライス(膳菜家)
  • 角ずし
  • さば鮨
  • 龍馬弁当(いずや弁当)
  • 龍馬とお龍のおしどり弁当(膳菜家)
  • 長崎街道弁当(いずや弁当)
  • 長崎卓袱弁当(膳菜家)
  • 長崎らんたん弁当(膳菜家)
  • 長崎ぶらぶら弁当
  • 雲仙きの子ワッパ飯
  • 長崎ステーキ弁当
  • 長崎角煮パンセット

利用状況

旅客

  • JR九州 - 2012年度の1日平均乗車人員は10,724人である[10]
  • 長崎電気軌道 - 1964年度の1日平均乗降人員は11,906人である。[11]

貨物

2007年度の貨物取扱量は、発送・到着合計で68,048トンであった。1989年度の約14万トンをピークに貨物取扱量は大きく減少し続けている。

駅周辺

長崎駅の前を並行して通っている国道(国道202号)の長崎駅前交差点は、長崎県で一番の交通量である。長崎駅前交差点には歩道橋が3つ架設されており、これらは駅前駐車場上の高架広場に接続されている。

国道をはさんで、長崎県営バス九州急行バスなどの始発地点および主要路線経由地点となる長崎駅前交通会館(長崎県営バスターミナル)がある(歩道橋から直接2階へ入れる)。また、駅前高架広場下には長崎バス長崎県営バスの長崎駅前バス停がある。ロータリー内にもバス停が設置されている。また、国道上の真ん中には長崎電気軌道の長崎駅前停留場があり、当電停から桜町方面と大波止方面の2つの系統に分かれている。

高架橋広場は一部が周辺施設2階入り口(交通会館、アミュプラザ長崎など)へと繋がっている。また、車椅子利用者が横断できるよう、エレベーターが設置されている。

バス路線

高速バス

駅前の国道向かい側にある長崎県交通産業会館(通称・交通会館)の1階に長崎県交通局(長崎県営バス)のバスターミナルがあり、同局が関連する路線はここを始発とする。長崎空港行きリムジンバスも浦上経由(交通会館始発)・ながさき出島道路経由とも乗り入れる[12]。一方、長崎自動車(長崎バス)関連の夜行高速バスは長崎新地ターミナルが始発となっており、長崎駅周辺では交通会館には乗り入れず長崎駅前南口バス停での乗車となる。九州号も、始発は交通会館だが長崎到着便のうち「出島道路経由」の系統は降車所が交通会館内ではなく、国道沿いの長崎駅前高架下となっている。

経由地等については各系統の記事を参照のこと。

路線バス

一般路線バスは駅正面およびアミュプラザ前の長崎駅前バス停、ホテルニュー長崎前の長崎駅前南口バス停(大波止方面)、ローソン前の長崎駅前東口バス停(市役所前方面)の3ヶ所があり、行き先によって停車する場所が異なる。長崎県交通局は主な路線が、長崎自動車は系統番号が割り振られている路線(ココウォーク茂里町と福田方面を結ぶ路線や旭大橋経由の路線を除く)が長崎駅前に停車するが、南部方面へ行く場合は長崎駅前南口または東口からの乗車になる。

他に、ながさき出島道路・長崎自動車道を経由して大村諫早へ向かう高速シャトルバス(長崎県交通局)も発着している。乗車は交通会館ではなく長崎駅前東口である。

その他

ICカード

ファイル:NagasakiSTA.2012.12.01.SUGOCA.JPG
SUGOCA利用開始広告(2012年12月)

隣の駅

九州旅客鉄道
テンプレート:Color長崎本線
テンプレート:Color普通
浦上駅 - 長崎駅
テンプレート:Color大村線
テンプレート:Color快速「シーサイドライナー」・テンプレート:Color普通
浦上駅 - 長崎駅
テンプレート:Color九州新幹線(建設中)
諫早駅 - 長崎駅
長崎電気軌道
テンプレート:Colorテンプレート:Color本線
八千代町停留場 (26) - 長崎駅前停留場 (27) - 五島町停留場 (28)
テンプレート:Color桜町支線
八千代町停留場 (26) - 長崎駅前停留場 (27) - 桜町停留場 (44)

かつて存在した路線

日本国有鉄道
長崎本線
長崎駅 - 長崎港駅

位置情報

テンプレート:日本の位置情報

参考文献

  • 『国鉄全線各駅停車 10九州720駅』相賀徹夫著,小学館,1983年
  • 九州鉄道百年祭実行委員会・百年史編纂部会 九州の鉄道100年記念誌『鉄輪の轟き』九州旅客鉄道 1988年
  • 『鉄道ジャーナル 1989年12月号』鉄道ジャーナル社,1989年
  • 『鉄道ジャーナル 2000年12月号』鉄道ジャーナル社,2000年
  • NPO法人長崎国際文化協会『長崎文化 第71号』NPO法人長崎国際文化協会,2013年

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:鉄道路線ヘッダー テンプレート:長崎本線 テンプレート:九州新幹線 (長崎ルート) テンプレート:長崎電気軌道1系統 テンプレート:長崎電気軌道2系統 テンプレート:長崎電気軌道3系統 テンプレート:長崎本線 (長崎 - 長崎港) テンプレート:鉄道路線フッター

テンプレート:リダイレクトの所属カテゴリ
  1. 『長崎文化 71号』NPO法人長崎国際文化協会,2013年,P57
  2. 『鉄道ジャーナル 1989年12月号』鉄道ジャーナル社,1989年,P55
  3. 長崎駅2代目駅舎長崎都市遺産研究会 2014年5月28日
  4. 『鉄道ジャーナル 2000年12月号』鉄道ジャーナル社,2000年,P95
  5. 長崎の原爆遺構を記録する会編『新版 原爆遺構 長崎の記憶』海鳥社, 2005年 152頁
  6. 『国鉄全線各駅停車 10九州720駅』相賀徹夫著,小学館,1983年,P135
  7. http://www.mirokuya.co.jp/mlmag/archive/vol92.html
  8. 長崎車両センター移転へ 23日にお別れイベント朝日新聞 2014年2月21日付 2014年5月28日閲覧
  9. JR時刻表2010年8月号(交通新聞社刊)442ページ
  10. テンプレート:Cite web
  11. 五十年史 長崎電気軌道株式会社 170ページ
  12. 長崎空港行きリムジンバス長崎自動車担当便は、2006年8月まで茂里町始発だったため交通会館には乗り入れていなかった。2008年9月22日より再びココウォーク茂里町始発となったが、現在は交通会館にも乗り入れている。一方、2012年11月1日より運行開始した長崎自動車単独運行の浦上経由便はココウォーク茂里町から北へ向かう路線であり長崎駅周辺を経由しない(ただし、2013年5月1日より長崎市内行きのみ長崎駅前(構内)まで運行)。