官報
テンプレート:Otheruseslist テンプレート:基礎情報 新聞 官報(かんぽう)は、日本国の機関紙である。国としての作用に関わる事柄の広報および公告をその使命とする。
制定
法律、政令、条約等の公布をはじめとして、国や特殊法人等の諸報告や資料を公表する「国の広報紙」「国民の公告紙」としての使命を持つ。会社の公告として、合併公告、決算公告なども掲載される。
明治16年(1883年)7月2日に参議・山縣有朋の建議により初めて発行され[1]、当初、編集・発行業務は太政官文書局で行っていたが、その後内閣官報局、内閣印刷局、大蔵省印刷局、財務省印刷局を経て、平成15年(2003年)4月以降は独立行政法人国立印刷局が行っている。
なお、「官報」の題字は三条実美によるものである。
発行
行政機関の休日を除く毎日発行され[2]、都道府県庁所在地にある「官報販売所」で販売される。発行日には国立印刷局の掲示板や官報販売所の掲示板に掲示され、インターネットのウェブサイトでも閲覧することができる(過去30日間の官報は無料で閲覧でき、昭和22年5月3日以降の官報は有料で検索・閲覧が可能である)。
法令上、官報に掲載する事項については、官報及び法令全書に関する内閣府令(昭和24年総理府・大蔵省令第1号)に定められている。
種類
法令の公布
公文式及び公式令の廃止以前は法令に基づき、廃止以降は慣例として、法令(憲法、詔書、法律、政令、条約、省令、告示等)の公布は官報によりなされる。
法令の公布方法などを定めた公文式(明治19年勅令第1号)では「凡ソ法律命令ハ官報ヲ以テ布告シ」(10条)と定め、これを受け継いだ公式令(こうしきれい、明治40年勅令第6号)も「前数条ノ公文ヲ公布スルハ官報ヲ以テス」(12条)と、法令の公布は官報によって行うことを定めた。日本国憲法の施行に伴い、公式令は内閣官制の廃止等に関する政令(昭和22年政令第4号)により廃止され、その後法令の公布方法を定める法令は定められなかった[3]。
しかし、以後も慣例的に法令の公布は官報によってなされており、判例では「(公式令廃止後も)特に国家がこれに代わる他の適当な方法をもつて法令の公布を行うものであることが明らかな場合でない限りは、法令の公布は従前通り、官報をもつてせられるものと解するのが相当」とし、「たとえ事実上法令の内容が一般国民の知りうる状態に置かれえたとしても、いまだ法令の公布があつたとすることはできない」と述べられている(最高裁判所大法廷判決・昭和32年12月28日・刑集11巻14号3461頁)。
なお、人事院規則の公布については、官報をもってすることが明文で定められている(国家公務員法第16条)。
公布の時期については、「一般希望者において右官報を閲覧し、または購読し得る」最初の時点とされ(最高裁判所大法廷判決・昭和33年10月15日・刑集12巻14号3313頁)、それは、国立印刷局本局及び東京都官報販売所に掲示される発行日の午前8時30分と考えられている。
広報
- 国会に関する事柄
- 公務員の人事異動(一定以上の役職公務員人事)
- 叙位・叙勲・褒賞
- 皇室に関する事柄(行幸啓、御祝電等)
- 官庁による報告(司法試験など国家試験の実施要領・結果、公聴会の開催・議事録、地価公示等)
- 閣議決定事項
- 国際収支状況
公告
- 各省庁の公告としての押収物還付・建設業の許可の取消処分
- 政府調達
- 特殊法人の公告として日本銀行営業毎旬報告・高速道路会社の工事完了・工事開始
- 地方公共団体の公告として公債抽選・公債償還・行旅死亡人・無縁墳墓改葬
- 裁判所の公告として除権決定・破産・会社更生関係
- 会社の公告として合併公告・決算公告
特定版
- 号外 - 本紙は32ページ建てとなっているため、その範囲で全ての記事が収まらない場合にそれを補う形で発行される。原則として発行日は本紙に準ずる。
- 特別号外 - 国会の召集や休刊日にどうしても公示しなければならない事項がある場合に発行される。上記通常号外とは別扱いとなり、大抵は1ページだけである。
- 物価版 - 戦後の物価統制を要する時期に発行
- 官報資料版 - 政府の広報事項をまとめたもの。昭和28年から各週水曜発行されてきたが、平成19年3月28日発行分をもって終刊した(ホームページでもその旨発表)。
- 政府調達公告版 - 昭和56年以降、政府機関等の一定額以上の調達物品に関する入札公告を官報に掲載。平成6年6月13日以降、版を分離して発行。
- 英文官報 - 占領軍の命令により昭和21年から発行
掲載事項・形式
「官報の編集について」(昭和四八年三月一二日付け事務次官等会議申合せ)では、次のように定められている。
- 掲載の形式
- 形式は次のとおりとする。
- 掲載する事項及びその内容は、
- 憲法改正
- 詔書
- 法律
- 政令
- 条約 外国文の併載
- 最高裁規則
- 府令・省令
- 規則
- 庁令
- 海上保安庁令
- 訓令
- 告示
- 内閣告示
- 内閣府告示
- 各省の告示
- 各庁の告示
- 各委員会の告示
- 裁判所の告示
- その他の告示
- 国会事項
- 規則
- 議事日程
- 議案関係事項
- 各委員会関係事項
- 議長、副議長及び議員関係事項
- 国会事務局職員の叙任及び辞令
- 弾劾裁判所関係事項
- 国立国会図書館関係事項
- その他
- 人事異動
- 叙位・叙勲
- 褒章
- 褒章条例によるもの
- 皇室事項
- 官庁報告
- 官庁事項
- 声明類
- 報告事項
- その他
- 法務
- 財政
- 文教
- 産業
- 通運
- 労働
- 国家試験
- 公聴会
- その他
- 資料
- 閣議決定及び閣議了解事項
- 法律案、政令の件名
- 一般案件のうち掲載を適当とするものの件名及び特別な場合にはその内容、各省庁の各種報告及び資料(白書類を除く。) [6]
- 閣議決定及び閣議了解事項
- 公共企業体事項(現在は該当なし)
- 地方自治事項
- 公告
- 各省庁の公告
- 裁判所の公告
- 公共企業体等の公告
- 地方公共団体の公告
- 会社その他の公告
成立
1868年の明治政府成立直後に出された「太政官日誌」(-1877年)がその嚆矢とされているが、本格的に官報が刊行されるようになったのは、1883年7月1日(ただし、この日は日曜日のため、実際の第1号刊行日は翌日の2日である)であった。
明治以前においては、高札が法令周知の役目を果たしていたが、新しい法令が次々と整備されていく中で、板に墨で書き記す高札では製作・維持ともにコストがかかるために1873年に廃止された。それに変わる手段として太政官より府県に対して法令を配布してそれを更に印刷にかけて町村の役所に配布・掲示させる方式を取ったが、町村までの到達日数との関係で公布から施行までに最低でも2ヶ月以上間隔を空けなければならないために、緊急の法令制定に対応できなかった。
そこで大隈重信は「ロンドン・ガゼット」(London Gazette)や「モニトオール」(Le Moniteur universel)のような政府公報の役目を果たす新聞を発行する新聞社を政府自らが創設する構想を唱えた。
大隈は福澤諭吉の協力を得て構想の具体化を図ったが、明治十四年の政変で失脚すると中止された(その後、福澤は独自の新聞発行に方針に変更して、政府と距離を置いた時事新報を創刊する)。
また、井上毅も大隈・福澤に対抗して福地源一郎[7]や丸山作楽と同様の新聞の創刊を計画したり、政府補助金を与えて新聞社を政府傘下に加える構想を立てる(立憲帝政党機関紙の大東日報などがその対象となった)が、失敗に終わった。
そこで井上は山縣有朋の協力を得て久保田貫一・小松原英太郎とともにプロシアやロシアの政府発行の官報をモデルとしたものを太政官で編纂・発行する計画に変更して準備を進めた。その結果、1883年の太政官布告17号及び太政官達22・23号によって官報発行が正式に決定され、編集は太政官に新設(5月10日)の太政官文書局(初代局長平田東助・幹事小松原英太郎)が、印刷は大蔵省印刷局が、配送は農商務省駅逓局が担当することになった。なお、当時の文書局には官報編纂とともに外国文献の翻訳という職務も担っており、原敬・陸実・中根重一ら多彩な人材を揃えていた。
号建て
号建てはそれぞれの版により異なっている。
- 本紙…改元を以って号数をリセット。そのため、号建てとしては「(元号)第○○号」という計算になる。平成第1号は1989年1月9日に発行され、2009年1月29日で平成第5,000号、2013年3月7日で平成第6,000号となった。
- 号外などその他…改元を伴わなくとも年が改まるごとに号数がリセットされる。そのため、号建てとしては「(元号)△△年(版名)第○○号」という計算になる。
脚注
参考文献
- 鈴木栄樹「『官報』創刊過程の史的分析 日本における近代国家の形成と法・情報」(山本四郎 編『日本近代国家の形成と展開』(吉川弘文館、1996年 ISBN 4642036644))
- 足立寛子「国内の官報」『情報の科学と技術』第51-3号、社団法人情報科学技術協会、2001年
- 梶谷育郎「初期『官報』の分析」『東京大学日本史学研究室紀要』第10号、2006年
- 岡田昭夫「叢説 「官報」の創刊と人民の法令理解--中央権力機構の変遷と法令伝達制度」『法制史研究』第56号、2006年
関連項目
- 三条実美 - 題字の揮毫者。
- 政見放送
- 白書
- 選挙公報
- 政府広報
- 六法全書
- 法令全書
- 回覧板
- 民報
- 瓦版
- 法令の基本形式
- 連邦官報 - アメリカ合衆国の官報(Federal Register)
- 朝鮮総督府官報
- 台湾総督府官報
外部リンク
- 官報バックナンバー - 首相官邸
- 官報 - 独立行政法人国立印刷局
- 『政府刊行物・官報購読・官報公告』 - 全国官報販売協同組合
- 『かんぽう』 - 株式会社かんぽう(大阪府官報販売所)
- 官報検索!Kanpoo.jp - 官報を全文検索できる無料サービス
- 国立国会図書館のデジタル化資料 - 明治16年7月2日より昭和27年4月30日までの官報がインターネットで公開されている
- ↑ 明治十六年太政官達第二十七号(官報の発行)を参照
- ↑ 行政機関の休日に関する法律(昭和63年法律第91号)を参照。なお、同法に定める休日に該当する日であっても、年度末や緊急時等には官報の発行が行われる場合もある。
- ↑ 公式令に代わる「公文方式法案」が成立しなかった経緯を論じたものとして、佐藤達夫「公文方式法案」レファレンス No.72[1957.1]2-12頁参照
- ↑ 最高裁判所規程は、裁判所時報に掲載される。
- ↑ 防衛省訓令は、防衛省公報に掲載される。なお、同公報には陸上自衛隊訓令、海上自衛隊訓令及び航空自衛隊訓令も掲載されている。
- ↑ 資料の要約及び解説等は、原則として官報資料版で取り扱っていた。
- ↑ 福地の「東京日日新聞」は1874年以来、太政官御用となっていたが、明治十四年の政変による政府批判と同時に御用返上を行った。