原健三郎
テンプレート:政治家 原 健三郎(はら けんざぶろう、1907年2月6日 - 2004年11月6日)は、日本の政治家。衆議院議員(20期)、衆議院議長(第65代)、衆議院副議長(第43代)を務め、また国務大臣としては労働大臣(第28代・第30代)、国土庁長官(第9代)、北海道開発庁長官(第43代)を歴任。位階は従二位。勲等は勲一等旭日桐花大綬章。
来歴・人物
「ハラケン」の愛称で親しまれ、選挙の度に妻とともに土下座することで有名な名物議員であった[1]。
1907年2月6日、兵庫県津名郡浅野村(北淡町を経て現在は淡路市)に生まれる。旧制兵庫県立洲本中学校を経て1931年、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、1935年5月、米国のオレゴン大学大学院政治学研究科修士課程を修了。
講談社にて雑誌『現代』の編集長を務めたのち、1946年4月に戦後初の総選挙で兵庫1区から立候補・初当選し、政界入りした(当選同期に小坂善太郎・二階堂進・江崎真澄・小沢佐重喜・石井光次郎・坂田道太・水田三喜男・村上勇・川崎秀二・井出一太郎・早川崇・中野四郎など)。政界入り当初は民主党に所属したが、炭鉱国家管理問題に反発して幣原喜重郎・田中角栄・佐々木秀世らと共に民主党を離党し、吉田茂率いる民主自由党に参加。保守合同後は大野伴睦→船田中派に属したが、船田の死後は中曽根康弘派に参加。
1959年から1961年にかけて、日活製作・配給、児井英生企画作品の製作に関わり、脚本あるいは原作として15作の映画にクレジットされた[2]。⇒ #フィルモグラフィ
衆議院副議長、労働大臣2回、国土庁長官、北海道開発庁長官、衆議院ロッキード問題調査特別委員長、自民党広報委員長、国民運動本部長などを歴任したが1972年の第3次佐藤内閣改造内閣労働大臣時には成人式の講演での失言(「感謝の気持ちを忘れ我を押し通したものが養老院にいる、諸君がそうなっては困る」)で、辞任に追い込まれた。このほかにも1980年のモスクワ五輪ボイコットの際、それに抗議した選手たちに「この国家の一大事に飛んだり跳ねたりしたいのか」と選手らの気持ちを逆なでするような発言をし、非難を浴びたこともある。労働大臣時代には当時は異例とされていた官公庁の週休二日をはじめて提唱した。
自民党国民運動本部長時代、大相撲の「内閣総理大臣杯」の創設を提案した。これは実現し、現在も続いている。
1986年7月の第106特別国会で「自民300議席」という絶対多数のもと第65代衆議院議長に就任。大型間接税(売上税・消費税)導入をめぐる税制改正問題に加えて1988年に発覚したリクルート問題など厳しい国会運営を強いられ[3]ながらも、第113臨時国会(「税制国会」)での消費税導入を含む税制改革関連6法の成立に尽力した。しかし、1989年の第114通常国会における予算案の強行採決をめぐる混乱により6月に辞任。予算案は憲政史上初めて自民党により単独採決となった。なお、衆議院の議長・副議長・仮議長をすべて務めたのは原一人である。
50年の議員生活から、1996年には尾崎行雄、三木武夫に続いて史上3人目となる名誉議員の有資格者となったが、財政難などで同認定されていない(尾崎・三木の前例では国会内に銅像が建てられる)。最後の選挙となった1996年の第41回衆議院議員総選挙では「ハラケン危うしお助けください」をスローガンに苦しい選挙運動を繰り広げるが、兵庫県第9区では新進党の宮本一三に敗れ、比例近畿ブロックで復活当選「神風が吹いた」。1999年中曽根派から移行した志帥会の旗揚げに参加。
2000年の衆議院解散を機に20期54年の議員生活を終え、93歳という衆院歴代第2位(1位は尾崎行雄)の高齢で政界を引退した[3]。従来から「生涯現役、死ぬまで議員をやる」と事あるごとに発言していたが、自民党がこの時に比例区73歳定年制を導入し重複立候補が不可能となったため。同時に引退した年下の櫻内義雄とともに、明治生まれ最後の国会議員だった。銅像建立の夢は「財政難」などから野党の同意を得られず、実現しなかった。引退後は地元関西のテレビやラジオにコメンテーターとして出演しながら晩年を過ごした。主な出演番組は『迫って!GABURI。』(毎日放送)、『さてはトコトン菊水丸』(MBSラジオ)内の「教えてハラケン」など。
明石海峡大橋の建設にも強い執念を燃やした。架橋が夢物語だと思われていたころには「ハラケン」をもじって「ハシケン」「ホラケン」などとも揶揄されたが、最終的にこれを実現へと導いた。国会に銅像を立てる念願こそ果たせなかったが、明石海峡大橋のたもとにはこの功績を称える銅像が立てられている。
2004年11月6日1時52分、心不全のため東京都渋谷区広尾の自宅で死去した。享年97[3]。
フィルモグラフィ
- 1959年
- 1960年
- 『海から来た流れ者』 : 監督山崎徳次郎、脚本大川久男・山崎巌 - 原作
- 『六三制愚連隊』 : 監督西河克己、脚本山崎巌・西河克己 - 原作
- 『渡り鳥いつまた帰る』 : 監督斎藤武市、脚本山崎巌・大川久男 - 原作
- 『海を渡る波止場の風』 : 監督山崎徳次郎、脚本山崎巌・大川久男 - 原作
- 『俺は銀座の騎兵隊』 : 監督野口博志、脚本山崎巌 - 原作
- 『赤い夕陽の渡り鳥』 : 監督斎藤武市、脚本山崎巌・大川久男 - 原作
- 『若い突風』 : 監督西河克己、脚本山崎巌・西河克己 - 原作
- 『南海の狼火』(-のろし) : 監督山崎徳次郎、脚本山崎巌 - 原作
- 『英雄候補生』 : 監督牛原陽一、脚本山崎巌 - 原作
- 『大草原の渡り鳥』 : 監督斎藤武市、脚本山崎巌 - 原作
- 『大暴れ風来坊』 : 監督山崎徳次郎、脚本中久保信成・市川佐登志、構成山崎巌 - 原作
- 『くたばれ愚連隊』 : 監督鈴木清順、脚本山崎巌 - 原作
- 1961年
備考
1959年(昭和34年)から1961年(昭和36年)にかけて、原は、日活映画『ギターを持った渡り鳥』の脚本を山崎巌と共同執筆し、同作に始まる「渡り鳥シリーズ」全9作品中4作を含めた15作の原作を執筆したことになっているが、選挙向けや党内活動の肩書きとしてクレジットされたものだった。実際にはいずれも日活のオリジナル作品であり、原はノータッチであることを当時、原のクレジットされた全作品の脚本を執筆した日活の専属脚本家・山崎巌が自著で明らかにしている[4][5]。原がクレジットされた全作品を製作・配給したのは日活であり、全作品のプロデューサーは、児井英生であった[2]。児井と原は早稲田大学の同級生で親交があった。原がタッチしていないことは日活の監督で、原の「原作」を映画化した西河克己も述べている[6]。
選挙歴
当落 | 選挙 | 施行日 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 得票順位 /候補者数 |
比例区 | 比例順位 /候補者数 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 第22回衆議院議員総選挙 | 1946年4月10日 | 兵庫県第1区 | 日本進歩党 | 49,998 | ' | 8/79 | - | - | |
当 | 第23回衆議院議員総選挙 | 1947年4月25日 | 兵庫県第2区 | 民主党 | 45,842 | 15.2 | 1/19 | - | - | |
当 | 第24回衆議院議員総選挙 | 1949年1月23日 | 兵庫県第2区 | 民主自由党 | 64,855 | 19.4 | 1/11 | - | - | |
当 | 第25回衆議院議員総選挙 | 1952年10月1日 | 兵庫県第2区 | 自由党 | 42,444 | 11.1 | 2/13 | - | - | |
当 | 第26回衆議院議員総選挙 | 1953年4月19日 | 兵庫県第2区 | 自由党 | 38,728 | 10.5 | 4/13 | - | - | |
当 | 第27回衆議院議員総選挙 | 1955年2月27日 | 兵庫県第2区 | 自由党 | 40,561 | 10.3 | 4/15 | - | - | |
当 | 第28回衆議院議員総選挙 | 1958年5月22日 | 兵庫県第2区 | 自由民主党 | 70,063 | 15.8 | 1/11 | - | - | |
当 | 第29回衆議院議員総選挙 | 1960年11月20日 | 兵庫県第2区 | 自由民主党 | 80,386 | 18.4 | 1/9 | - | - | |
当 | 第30回衆議院議員総選挙 | 1963年11月21日 | 兵庫県第2区 | 自由民主党 | 107,842 | 22.2 | 1/8 | - | - | |
当 | 第31回衆議院議員総選挙 | 1967年1月29日 | 兵庫県第2区 | 自由民主党 | 122,822 | 19.3 | 1/9 | - | - | |
当 | 第32回衆議院議員総選挙 | 1969年12月27日 | 兵庫県第2区 | 自由民主党 | 120,632 | 18.4 | 1/12 | - | - | |
当 | 第33回衆議院議員総選挙 | 1972年12月10日 | 兵庫県第2区 | 自由民主党 | 134,109 | 20.1 | 1/8 | - | - | |
当 | 第34回衆議院議員総選挙 | 1976年12月5日 | 兵庫県第2区 | 自由民主党 | 93,925 | 12.0 | 5/9 | - | - | |
当 | 第35回衆議院議員総選挙 | 1979年10月7日 | 兵庫県第2区 | 自由民主党 | 123,116 | 17.1 | 1/11 | - | - | |
当 | 第36回衆議院議員総選挙 | 1980年6月22日 | 兵庫県第2区 | 自由民主党 | 135,416 | 16.8 | 2/9 | - | - | |
当 | 第37回衆議院議員総選挙 | 1983年12月18日 | 兵庫県第2区 | 自由民主党 | 109,909 | 14.0 | 2/10 | - | - | |
当 | 第38回衆議院議員総選挙 | 1986年7月6日 | 兵庫県第2区 | 自由民主党 | 145,311 | 18.0 | 1/8 | - | - | |
当 | 第39回衆議院議員総選挙 | 1990年2月18日 | 兵庫県第2区 | 自由民主党 | 96,384 | 10.6 | 5/10 | - | - | |
当 | 第40回衆議院議員総選挙 | 1993年7月18日 | 兵庫県第2区 | 自由民主党 | 111,444 | 12.4 | 5/7 | - | - | |
当(比) | 第41回衆議院議員総選挙 | 1996年10月20日 | 兵庫県第9区 | 自由民主党 | 67,329 | 34.4 | 2/4 | 比例近畿 | 惜敗率89.4% | |
当選回数20回 (衆議院議員20) |
脚注
関連文献
- 『ハラケン「生涯現役」 元衆議院議長・原健三郎 人生聞き語り』、神戸新聞東京支社編、神戸新聞総合出版センター、2001年、 ISBN 4343001393
関連項目
テンプレート:S-par
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
坂田道太
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 衆議院議長
第65代:1986年 - 1989年
|style="width:30%"|次代:
田村元
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
久保田鶴松
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 衆議院副議長
第43代:1961年 - 1963年
|style="width:30%"|次代:
田中伊三次
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
竹谷源太郎
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 衆議院運輸委員長
1955年
|style="width:30%"|次代:
松山義雄
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
新設
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 衆議院逓信委員長
1948年
|style="width:30%"|次代:
辻寛一
テンプレート:S-off
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
後藤田正晴
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 北海道開発庁長官
第43代:1980年 - 1981年
|style="width:30%"|次代:
松野幸泰
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
園田清充
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 国土庁長官
第9代:1980年 - 1981年
|style="width:30%"|次代:
松野幸泰
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
小川平二
野原正勝
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 労働大臣
第29代:1968年 - 1970年
第31代:1971年 - 1972年
|style="width:30%"|次代:
野原正勝
塚原俊郎
- 転送 Template:End
テンプレート:衆議院議長 テンプレート:衆議院副議長 テンプレート:衆議院運輸委員長 テンプレート:衆議院逓信委員長 テンプレート:厚生労働大臣
テンプレート:国土交通大臣- ↑ 『連立政治の舞台裏 政界再編・流砂の六年間』、西川孝純、文芸社、1999年 ISBN 4887375662, p.205.
- ↑ 2.0 2.1 原健三郎、日本映画データベース、2010年1月23日閲覧。
- ↑ 3.0 3.1 3.2 テンプレート:Cite news
- ↑ 小林信彦「ギターを持った渡り鳥」 - 『2001年映画の旅 ぼくが選んだ20世紀洋画・邦画ベスト200』、小林信彦、文藝春秋、2000年 ISBN 4163568409、p.189
- ↑ 山崎巌『夢のぬかるみ』、新潮社、1993年 ISBN 4103801026、p.69.
- ↑ 西河克己、権藤晋『西河克己映画修業』ワイズ出版、1993年、p.196