潮谷義子
潮谷 義子(しおたに よしこ、1939年4月5日 - )は日本の政治家、前熊本県知事。佐賀県出身。佐賀県立佐賀高等学校(現佐賀西高校・佐賀北高校・佐賀東高校)、日本社会事業大学社会福祉学部卒業。
日本福音ルーテル教会熊本教会会員。知事選告示日には出陣式を兼ねて当選祈願礼拝が行なわれた。
来歴・人物
佐賀県、大分県で社会福祉主事を務め、その後熊本県の慈愛園乳児ホームの園長を務める。
1999年、当時の熊本県知事であった福島譲二に、福祉関連政策のブレーンとして副知事に抜擢される。民間登用の女性副知事として、にわかに県民の注目を浴びていたところ、翌2000年2月25日に福島知事が急死。同月には大阪府で太田房江が当時、日本初の女性知事として当選しており、「女性知事」という存在は県民の間でも極めてタイムリーに認識されていた。福島前知事の抜擢人事と大阪府の日本初の女性知事誕生という2つの極めて強い支持材料を背景に、次点候補に7万票あまりの差をつけ、県知事に初当選。
手堅く県政を運営し、2004年の知事選において投票率38.67%という熊本県知事選史上最低の投票率(当時)のなか、県民世論の分かれたハンセン病元患者宿泊拒否事件での強権的な対応などで一部の支持を失い、支持組織の一切ない無名新人候補に約7万票を奪われるものの、再当選を果たした。
川辺川ダム問題では前知事の福島は建設推進の姿勢を示していたが、最後まで中立的な姿勢を通した。また、水俣病対策では、熊本県の加害責任を断罪した最高裁判決が「狭い」と指摘した患者認定基準の見直しを拒否しつつ、水俣病被害者の救済を国に求めていた。
2007年12月6日、「三期目をやれば燃え尽きてしまい、体が持たない」として、2008年3月23日投開票の熊本県知事選挙に立候補せず、2期8年で勇退することを正式表明した。女性知事の勇退は太田房江に次いで2人目である。
不出馬決断の一因として、川辺川ダム問題で中立的な立場をとる自らと、推薦の立場をとる自民党との関係を考えたときに限界を感じた事を示唆した[1]。
自民党と公明党の推薦を取り付け、女性団体やその他グループの支援態勢を築いてきたが、川辺川ダム建設に対する消極的な姿勢に代表されるどっちつかずの態度に対して、自民党の批判が強まり、三選出馬を牽制する動きも表面化していた。この自民党離れが、三選出馬を断念させる一因であったともいわれる[2]。
略歴
- 1962年 - 佐賀県社会福祉主事
- 1964年 - 大分県社会福祉主事
- 1972年 - 慈愛園乳児ホーム勤務
- 1999年 - 熊本県副知事
- 2000年 - 熊本県知事に就任
- 2004年 - 熊本県知事に再選(無所属、自民党・公明党推薦)
- 2008年 - 熊本県知事を退任、熊本県立大学客員教授
- 2009年 - 長崎国際大学の学長に就任
- 2009年 - 長崎国際大学の学長を退任