新生党
テンプレート:政党 新生党(しんせいとう、テンプレート:Lang-en-short)は、かつて存在した日本の政党。略称は新生、JRP。
目次
概要
宮沢改造内閣不信任決議案に賛成し、可決させた羽田派所属の国会議員である羽田孜、小沢一郎らが1993年6月に自民党を離党して新政党を結成。理念は「自立と共生」。政策は小沢の著書『日本改造計画』を踏襲したもので新保守主義的であり、結党宣言で「新しい保守主義」を標榜する。
非自民7党1会派による38年ぶりの政権交代を主導した。連立与党時代(細川護煕内閣・羽田孜内閣)は公明党と共同歩調を取り、「新生・公明グループ」・「一・一ライン」(小沢一郎・市川雄一の名に因む)と呼ばれた。
名称
当初は党名として「創新党」「自由新党」などが有力視されていた。前者は羽田が提案したが語呂が悪いなど評判が良くなく、後者は同じ名前の政治団体が自治省(現・総務省)に先に届けられていたため使えず、補欠候補だった「新生党」に決まった[1]。
基本綱領
一、わたしたちは、抜本的政治改革を速やかに実現し、国民の皆さんの参加、公開にもとづく新しい時代に即した民主政治を実現する新しい日本をつくります。
一、わたしたちは、不況からの脱出に全力を挙げ、諸制度を緩和し、社会的公正をはかりつつ、健全な市場経済を発展させる新しい日本をつくります。
一、わたしたちは、国際社会の責任と役割を自覚し、世界から信頼される新しい日本をつくります。
一、わたしたちは、地方中心で、活力ある政治、経済、文化などを発展させる新しい日本をつくります。
一、わたしたちは、かけがえのない地球を守る新しい日本をつくります。
一、わたしたちは、教育を国づくりの根本とし、生活者の視点に立ち思いやりのある諸政策を実行し、充実した人生が送れる新しい日本をつくります。
党史
- 1993年(平成5年)
- 1994年(平成6年)
- 1月29日 ‐ 選挙公約だった政治改革四法が成立。
- 2月4日 - 参院会派の「民社党・スポーツ・国民連合」と、統一会派「新緑風会」を結成。
- 4月8日 - 細川が辞意を表明。
- 4月15日 - さきがけが次期政権では閣外協力に回ると表明。
- 4月25日 - 細川内閣総辞職。日本新党・民社党・自由党の各党ならびに衆院会派の改革の会と、統一会派「改新」を結成。
- 4月26日 - 「改新」の結成に社会党が強く反発し、連立を離脱。
- 4月28日 - 羽田内閣が少数与党内閣として発足。新生党は総理+閣僚8ポストを得る。
- 6月25日 - 羽田内閣総辞職。
- 6月29日 - 首班指名選挙に海部俊樹を擁立するが、決選投票で社会党委員長の村山富市に敗れる。
- 6月30日 - 自社さ連立政権の村山内閣が発足、新生党は野党に転落。
- 9月28日 - 衆院会派「改革」を結成。
- 11月16日 - 全国代表者会議で新生党の解党と新党への参加を決定。
- 12月10日 - 新生党解党、新進党結党。
組織
新生党秘書会
その後小沢チルドレンといわれる佐藤公治、樋高剛が推進役となった。
新生党学生塾
1993年に大学院生であった平山秀善が中心となって数十名の学生らが党本部に要請し設置されたものである。1994年に新進党学生部として活動を継続させた。
役職
歴代の常任幹事会・執行部役員表
党首 | 代表幹事 | 代表幹事 代行 |
常任幹事 (財務) |
常任幹事 (政策) |
常任幹事 (組織) |
常任幹事 (政務) |
常任幹事 (参議院) |
顧問 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
羽田孜 | 小沢一郎 | 渡部恒三 | 佐藤守良 | 愛知和男 | 船田元 | 船田元 | ||
〃 | 〃 | 〃 | 〃 | 中島衛 | 〃 | 北村直人 | 永野茂門 | |
〃 | 〃 | 〃 | 吹田愰 | 〃 | 中西啓介 | 船田元 | 石井一二 | 小沢辰男 |
〃 | 〃 | 〃 | 愛野興一郎・石井一・愛知和男・田名部匡省 中島衛(政策)・中西啓介(組織)・畑英次郎 吹田愰・船田元(政務)・藤井裕久 |
〃 | 小沢辰男、加藤六月 奥田敬和、左藤恵 佐藤守良、永野茂門 |
歴代党首一覧
代 | 党首 | 在任期間 |
---|---|---|
1 | 羽田孜 | 1993年(平成5年)6月 - 1994年(平成6年)12月 |
政権ポスト
括弧内は入閣直前の党役職
党勢の推移
衆議院
選挙 | 当選/候補者 | 定数 | 備考 |
---|---|---|---|
(結成時) | 36/- | 512 | 正式には0。下記参照 |
第40回総選挙 | ○55/69 | 511 | 追加公認+1、自民党から移籍+4 |
参議院
選挙 | 当選/候補者 | 非改選 | 定数 | 備考 |
---|---|---|---|---|
(結成時) | 8/- | - | 252 | 選挙を経ないまま新進党に参加 |
(参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』岩波書店・岩波新書、2004年8月、ISBN 4-00-430904-2)
- 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。
- 新生党結成は衆議院解散後なので、形式的には結成時の所属衆議院議員は0。ここでは、解散時に衆議院議員で、結成に参加した人数を議席数とした。
- 『戦後政治史』にない追加公認は2 国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)(衆議院、1990年 - 1999年)、(2) 参議院(1990年 - 1999年)にある、選挙直後の国会召集日の会派所属者数から判断した。
新生党議員一覧
衆議院議員
結成時(36名) | |||
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松浦昭(北海道1区) | 北村直人(北海道5区) | 木村守男(青森2区) | 小沢一郎(岩手2区) |
愛知和男(宮城1区) | 金子徳之介(福島1区) | 渡部恒三(福島2区) | 船田元(栃木1区) |
増田敏男(埼玉3区) | 高橋一郎(東京4区) | 岡島正之(千葉1区) | 井奥貞雄(千葉4区) |
藤井裕久(神奈川3区) | 小沢辰男(新潟1区) | 星野行男(新潟3区) | 奥田敬和(石川1区) |
羽田孜(長野2区) | 中島衛(長野3区) | 村井仁(長野4区) | 松田岩夫(岐阜1区) |
杉山憲夫(静岡2区) | 熊谷弘(静岡3区) | 岡田克也(三重1区) | 左藤恵(大阪6区) |
石井一(兵庫1区) | 井上喜一(兵庫3区) | 前田武志(奈良全県区) | 中西啓介(和歌山1区) |
二階俊博(和歌山2区) | 粟屋敏信(広島1区) | 佐藤守良(広島3区) | 古賀正浩(福岡3区) |
愛野興一郎(佐賀全県区) | 畑英次郎(大分1区) | 魚住汎英(熊本1区) | 仲村正治(沖縄全県区) |
第40回衆議院議員総選挙時(55名) | |||
○新人・元職 | |||
工藤堅太郎(岩手1区) | 笹山登生(秋田2区) | 白沢三郎(新潟2区) | 広野允士(富山1区) |
上田清司(埼玉6区) | 柴野たいぞう(東京1区) | 吉田公一(東京5区) | 西川太一郎(東京6区) |
実川幸夫(千葉2区) | 松沢成文(神奈川2区) | 土田龍司(神奈川4区) | 青木宏之(愛知1区) |
江崎鉄磨(愛知3区) | 大谷忠雄(愛知6区) | 豊田潤多郎(京都2区) | 宮本一三(兵庫2区) |
古賀敬章(山口1区) | 岩浅嘉仁(徳島全県区) | 月原茂皓(香川2区) | 山本幸三(福岡4区) |
山田正彦(長崎2区) | |||
○落選(前職) | |||
魚住汎英 | |||
移籍議員(8名) | |||
○追加公認 | |||
栗本慎一郎(東京3区) | |||
○自民党から移籍 | |||
政真会 (加藤六月グループ) |
加藤六月(岡山2区) | 田名部匡省(青森1区) | 吹田愰(山口2区) |
山岡賢次(栃木2区) | 古賀一成(福岡3区) | ||
政策科学研究所 (渡辺美智雄派) |
石破茂(鳥取全県区) | 小坂憲次(長野1区) |
参議院議員
結成時(8名) | ||||
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松尾官平(青森県) | 北澤俊美(長野県) | 河本英典(滋賀県) | 釘宮磐(大分県) | 永野茂門(比例区) |
泉信也(比例区) | 平野貞夫(比例区) | 田村秀昭(比例区) | ||
移籍議員(5名) | ||||
○自民党から移籍 | ||||
清和政策研究会 (三塚博派) |
林寛子(扇千景) (比例区) |
|||
渡辺派 | 星野朋市(比例区) | |||
新政策研究会 (河本敏夫派) |
石井一二(比例区) | |||
加藤グループ | 木暮山人(比例区) | |||
○社会党から移籍 | ||||
小林正(比例区) | ||||
院内会派(1名) | ||||
野末陳平(比例区) |
脚注
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 西川太一郎から荒川区の地盤継承した志村博司が当初の自民党候補から選挙期間中に各級選挙通じて初の新生党公認候補に鞍替えも落選、大田区で自民党公認で再選した松原仁が移籍し、台東区で無所属で当選した中山義活と会派「新生・友愛クラブ」を結成。