小坂憲次
テンプレート:日本の国会議員 小坂 憲次(こさか けんじ、1946年3月12日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(1期)。参議院憲法審査会会長(初代)。
衆議院議員(6期)、文部科学大臣(第7代)、自民党参議院幹事長などを歴任。
経歴
- 東京学芸大学附属世田谷中学校卒業
- 慶應義塾高等学校卒業
- 1968年 慶應義塾大学法学部法律学科卒業、日本航空に入社( - 1984年)
- 1986年 中曽根康弘秘書
- 1990年2月 衆議院議員初当選
- 1993年7月 衆議院議員再選
- 1994年
- 1996年
- 10月 衆議院議員3選
- 12月 羽田孜に従って新進党を離党し、太陽党結成に参加
- 1998年
- 2001年
- 2002年1月 総務副大臣を退任
- 2003年11月 衆議院議員5選
- 2005年
- 9月 衆議院議員6選
- 10月31日 第3次小泉内閣 改造内閣に文部科学大臣として初入閣
- 2008年9月22日 衆議院議院運営委員長に就任
- 2009年8月30日 第45回衆議院議員総選挙で落選
- 2010年
- 7月11日 第22回参議院議員通常選挙に比例区から当選
- 8月19日 中曽根弘文参議院議員会長の下で自由民主党参議院幹事長に就任( - 2011年10月6日)
- 2011年10月21日 参議院憲法審査会会長に就任
政策
不祥事
公職選挙法違反
- 2010年の第22回参議院議員通常選挙で小坂への投票を依頼する文書を送付したとして、滋賀県警が、小坂が2007年から会長を務めていた全日本剣道道場連盟の事務局長の男性を公職選挙法違反(法定外文書頒布)容疑で書類送検した。この事について小坂は「公職選挙法を順守するように強く申し渡していたのに、非常に残念。今後このようなことのないよう注意を促す」とのコメントを発表した[2]。
差別発言
- フジテレビで放送された生番組「報道2001」の中で、「馬鹿だ、チョンだ」などと発言し、謝罪した[3]。
所属団体・議員連盟
- 親学推進議員連盟(副会長)
- 北京オリンピックを支援する議員の会(幹事)
- 日韓議員連盟(常任幹事)
- みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会
- 日本会議国会議員懇談会
小坂家
曾祖父は小坂財閥の創業者で政治家としても活動した小坂善之助[4][5]。祖父は信濃毎日新聞社主や電源開発総裁を歴任し、政治家としても活動した小坂順造[4][5]。大叔父は元信濃毎日新聞社長の小坂武雄[4][5]。父は元衆議院議員で外務大臣を務めた小坂善太郎で[4][5]、叔父は元運輸大臣の小坂徳三郎[4][5]。
叔母の百合子は経済学者の美濃部亮吉に嫁ぎ、美濃部が東京都知事に就任する前に離婚した。その3人の子息は小坂姓に改姓し、長男は小坂の秘書を務めていた。大叔母のはる(善之助の次女)は第13代日本銀行総裁の深井英五に嫁ぎ[4][5]、その長女・結子(憲次の父・善太郎の従姉にあたる)は天文学者の萩原雄祐に嫁いだ[4][5]。雄祐の三男で元日本テレビ放送網社長の萩原敏雄は又従兄[4][5]、雄祐の孫で讀賣テレビ放送アナウンサーの萩原章嘉は又従兄の子息にあたる。
2009年、第45回衆議院議員総選挙の自民党マニフェスト策定プロジェクトチーム座長に内定している菅義偉選挙対策副委員長が、親の地盤を引き継ぐ世襲候補の立候補制限を公約に盛り込むよう提言した。菅の案は現職は適用外としたが、子弟を後継にする場合には選挙区替えが必要になるというものである。4月17日、小坂は党役員連絡会で「もしそういうことなら私は世襲の権化です!」「本当に規制するなら(世襲議員は)党から出ていくべきだということになる。私も覚悟を決めなければならない」と菅の案に反発した。ちなみに2009年まで、第1回衆議院議員総選挙で当選した衆議院議員の子孫で、かつ現職の衆議院議員だったのは小坂ただ1人であった[6]。
エピソード
- アマチュア無線家として知られているテンプレート:要出典。
- 楽天の社長である三木谷浩史と親交が深いテンプレート:要出典。
- 1990年代前半は、一貫して羽田孜の側近であった。1993年に自民党を離党し、羽田が率いる新生党に入党。その後も羽田に従って新進党、太陽党、民政党と渡り歩いたが、羽田が菅直人元厚生大臣率いる旧民主党への合流を進めたことに反発。民主党には合流せず、無所属の期間を経て後に自民党に復党した。
- 2005年文部科学大臣就任時、岡山・鳥取県境付近の人形峠のウラン残土をレンガに加工することを発案テンプレート:要出典。
- 2006年4月7日の記者会見で、石原慎太郎東京都知事が国語力の低下を理由に小学校段階での英語必修化を「全くナンセンスだ」と批判したことに対し、「日本語をしっかり勉強することが基本だが、柔軟な頭脳を持っている児童が英語に親しみ、英語教育に取り組むのは決して否定すべきことでない」と英語教育の必要性を訴えたテンプレート:要出典。
- 2008年自由民主党総裁選挙では石破茂の選挙対策委員長を務める。その際に石破茂総裁選日記というブログを立ち上げたことがきっかけでテンプレート:要出典、小坂自身も同10月よりブログを開始した。
- 2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙において、自由民主党公認で長野1区より出馬するも、民主党公認候補の篠原孝に及ばず、比例復活も出来ずに落選した[7]。
- 2011年4月14日、東日本大震災の復興補正予算が議論される中、復興予算捻出のためのODA削減案に反対する超党派連合のメンバーとして名を連ねる[8][9]。
- 2011年10月21日、参議院憲法審査会の初会合において、会長選出選挙が行われ、23票を獲得し、22票の江田五月前参議院議長を破り、1票差で会長に就任。
参考文献
- 佐藤朝泰 著 『閨閥 日本のニュー・エスタブリッシュメント』 立風書房、1981年10月30日発行
- 『財界家系譜大観 第6版』 現代名士家系譜刊行会、1984年10月15日発行、352頁 - 353頁
- 『財界家系譜大観 第7版』 現代名士家系譜刊行会、1986年12月10日発行、303頁 - 304頁
- 『財界家系譜大観 第8版』 現代名士家系譜刊行会、1988年11月15日発行、316頁 - 317頁
脚注・出典
外部リンク
テンプレート:S-off
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
中山成彬
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 文部科学大臣
第7代:2005年 - 2006年
|style="width:30%"|次代:
伊吹文明
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
創設
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 総務副大臣
遠藤和良と共同
2001年 - 2002年
|style="width:30%"|次代:
佐田玄一郎・若松謙維
テンプレート:S-par
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
新設
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 参議院憲法審査会会長
初代:2011年 -
|style="width:30%"|次代:
現職
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
笹川堯
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 衆議院議院運営委員長
第69代:2008年 - 2009年
|style="width:30%"|次代:
松本剛明
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
坂本剛二
|style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 衆議院財務金融委員長
2002年 - 2003年
|style="width:30%"|次代:
田野瀬良太郎
テンプレート:S-ppo
|-style="text-align:center"
|style="width:30%"|先代:
谷川秀善
|style="width:40%; text-align:center"|自由民主党参議院幹事長
2010年 - 2011年
|style="width:30%"|次代:
溝手顕正
- 転送 Template:End
- ↑ 「2010参院選 候補者アンケート」毎日jp (毎日新聞社)、2010年6月26日。
- ↑ 小坂元文科相へ投票を「違法文書」剣道場へ送付 読売新聞 2010年8月11日
- ↑ J-CAST ニュース 2009年9月8日
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 4.6 4.7 『財界家系譜大観』 第6版 - 第8版
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 5.5 5.6 5.7 『閨閥』、320-321頁。
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 超党派議員がODA削減反対で一致 政府に申し入れへ
- ↑ 平成23年4月14日第一次補正予算におけるODA削減に関する勉強会