三木谷浩史
テンプレート:Infobox 人物 三木谷 浩史(みきたに ひろし、1965年3月11日 - )は、日本の実業家。楽天株式会社の創業者で代表取締役会長兼社長。コボ社取締役・楽天ブックス会長。
新経済連盟代表理事、東北楽天ゴールデンイーグルス会長兼球団オーナー、Jリーグヴィッセル神戸オーナー、東京フィルハーモニー交響楽団理事長、楽天証券ホールディングス会長、フュージョン・コミュニケーションズ会長、ビットワレット会長等も務める。
目次
人物
- プロフィール
- 兵庫県神戸市出身。1983年兵庫県立明石高等学校を卒業、1988年一橋大学商学部を卒業し、日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行。1993年にハーバード大学経営大学院を修了しMBAを取得、そして帰国。
- 1995年に興銀を退社し、楽天を創業し会長に就任。2008年にはフォーブス誌の日本人富豪ランキング8位にランクイン、38億ドル(約4000億円)保有していると報じられ、2009年には36億ドル(約3384億円)で7位にランクイン、2010年には47億ドル(約4277億円)で6位にランクイン、2011年には56億ドル(約4648億円)世界ランキング182位、日本富豪ランキングでは5位にランクインした(なお、楽天での役員報酬は2010年12月期現在で1億円強。内訳は基本報酬7千万円、ストックオプション900万円、賞与2700万円[1])。
- 好きなカラー
- 母校一橋大、ハーバード大のスクールカラーである真紅(クリムゾン)を深く愛好しており、楽天グループのコーポレートカラーや野球、サッカーのチームカラーをクリムゾンとしている。特にサッカー(ヴィッセル神戸)では、元のチームカラーだった白と黒の縦縞を、サポーターの反対を押し切って現在のものに変更させている。ヴィッセル神戸を保有する会社の名称もクリムゾングループである。
- 家族・姻戚
- 父は経済学者の三木谷良一(神戸大学名誉教授、元イェール大学客員教授、元日本金融学会会長)。母・節子[2]は戦前に小学校時代をニューヨークで過ごした帰国子女で、神戸大学卒業後兼松江商に入社したキャリアウーマンの走り。3人兄弟で、姉・育子(現姓・松井)[2]は医師(大阪大学医学博士)、兄・研一[2]はバイオ研究者(神戸大学バイオシグナル研究センター客員准教授を経て、神戸学院大学栄養学部客員教授、東京大学博士(農学))。祖父は一橋大学を卒業して三菱商事に入社した商社マン[3][4]。
- 妻・晴子は下山裕司(元林野庁青森営林局長)の子。東京都立小石川高等学校を経て1986年上智大学文学部英文学科を卒業し日本興業銀行入行。三木谷とは興銀のテニス部で知り合い結婚。ハーバード大学に留学した三木谷に同行して渡米し、1993年ボストン大学大学院修士課程修了[5]。楽天創業以来経理や広報を担当し、2001年まで楽天副社長を務めた[6]。息子もおり、2011年より東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任した星野仙一と対面している。上智大学を卒業後に電通勤務を経て、外食業の株式会社グラナダを創業した下山雄司は妻の実弟[7]。
- なお、父方の祖母・本多昌子[2]の先祖は、播磨国山崎藩(現・兵庫県宍粟市山崎地区周辺)を治めていた政信系本多家の流れを組む、本多家(譜代大名、表高:1万石)であり、第9代藩主で子爵の本多忠明は高祖父にあたる[2]。
- 趣味
- ワイン好きで有名であり、2009年10月には日本ソムリエ協会から名誉ソムリエの認定を受けている[8]。
- 最大の発明
楽天の購入時のメール送信のチェックボックスは自身の最大の発明だと思っている[9]。
発言
kobo騒動について
koboでの騒動について以下のようなコメントを残している。
- 初期設定できないのは途中で難しくて諦めちゃった人だ
- 実際に騒いでいる人の数を数えると、まずたいしたことない
- 致命的な問題があった訳でもない
とコメントしている[10]。
一方、執行役員・本間毅は
- 大きなミスをしてしまった
- アクティベーションに失敗する人が続出して迷惑をかけた
とコメントしている[11]。
書籍としてwikipedia項目掲載について
「koboイーブックストアでウィキペディアの作家情報 約500件の配信を順次始めました。作家の情報や、作品の時代背景などに関する理解も深めていただき、本選びの参考にぜひご活用ください。読書の楽しみがさらに増しますね。Koboで、より充実した読書をお楽しみ下さい!」と自らtwitterにて発言している[12]。その後批判的な発言が多く自ら削除している。
金銭的なリスクなんて、ある意味大したことはない。
『日経ビジネス アソシエ』2002年11月号で「現代社会において最大のリスクは、人生を後悔することだと僕は思うんです。金銭的なリスクなんて、ある意味大したことはない。」と語り、人生の充実感は目先の金銭にこだわることなく挑戦することによって得られるとの信念を披露しているテンプレート:要ページ番号。
「日本の社長の給料は低過ぎ」
産業競争力会議の、2013年3月15日に開かれた第4回会合で、「日本は社長の給料が低過ぎる。リストラにしろ、合併にしろ、大変なことなので、そういうことをするためにアップサイドを上げるということが非常に重要であり、株式報酬の制度を積極的に活用していくことで、経営者サイドにもインセンティブを出してほしい」と発言。報告書等々を見た五十嵐仁からブログで「インセンティブが出るべき対象は社長ではなく従業員だ」と批判されている[13]。
経歴
- 1965年 兵庫県神戸市生まれ。6歳まで神戸市垂水区にあった神戸商科大学職員住宅に居住。
- 1973年 小学校2年時に父がイェール大学研究員に就任したため家族で渡米、アメリカで2年間過ごしたのち、帰国し明石市立松が丘小学校入学。
- 1977年 岡山県の岡山白陵中学校に入学、実家から離れ寮生活を送る。
その後、スパルタ教育のためノイローゼにかかり、2年生の6月に退学、実家に戻り近所の朝霧中学校へ転校する。 後にこの経験をバネにして奮起したと述懐している。
- 1983年 兵庫県立明石高等学校卒。
- 1984年 一橋大学商学部入学。花輪俊哉ゼミナール所属。
- 大学生時代は体育会テニス部主将。テニス部の1年先輩に漫画家の吉住渉、1年後輩に現インデックス・ホールディングス(旧法人)社長の小川善美がいる。
- 1988年 一橋大学を卒業し、当時の日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行。名古屋支店を経て、本店外国為替部配属。
- 1991年 結婚、同期で初めてハーバード大学に留学。滞米生活で企業家への夢が芽生える。
- 1993年 MBA取得。
- 1995年
- 1996年
- 2月 株式会社クリムゾングループ代表取締役社長
- 1997年
- 2002年
- アメリカの経済誌『フォーチュン誌』の若手富豪ランキング6位に選ばれる。この当時から3000億円近い資産を有していた。
- 5月 株式会社ネクスト取締役
- 6月26日 カルチュア・コンビニエンス・クラブ取締役
- 8月 楽天トラベル株式会社代表取締役
- 2003年
- 2004年
- 2005年
- 2006年
- 3月 楽天ブックス会長
- 4月 株式会社クリムゾンフットボールクラブ代表取締役会長
- 9月 楽天証券ホールディングス株式会社 会長
- 2007年
- 8月10日 楽天が傘下に収めることとなったフュージョン・コミュニケーションズ代表取締役社長兼執行責任者に就任。
- 11月1日 フュージョン・コミュニケーションズ代表取締役会長となる。
- 2008年
- 2009年
- フォーブス誌の日本人富豪ランキング7位にランクイン、36億ドル(約3384億円)保有していると報じられる。
- 財団法人東京フィルハーモニー交響楽団の理事に就任[16]。
- 2010年
- フォーブス誌の日本人富豪ランキング6位にランクイン、47億ドル(約4277億円)保有していると報じられる。
- 1月21日 ビットワレット株式会社代表取締役社長就任[17]。
- 2月 一般社団法人eビジネス推進連合会会長
- 8月 ビットワレット株式会社代表取締役会長就任
- 2011年
- 3月 東日本大震災発生時、自身が阪神・淡路大震災の影響を受けた経緯から、推定10億円もの義援金を寄付したと報じられた。なお、東日本大震災の日(3月11日)は奇しくも三木谷の誕生日でもある。
- 4月 財団法人東京フィルハーモニー交響楽団理事長
- 6月 日本経団連を脱退。
- 2012年
- 1月 コボ社取締役就任。
- 6月 一般社団法人新経済連盟代表理事
- 8月1日付で東北楽天ゴールデンイーグルス球団会長から会長兼オーナーへ再就任[18]。
- 2013年
- 2014年
- 1月 フランス共和国外務省でレジオンドヌール勲章シュバリエを受ける。
TBS問題
楽天が東京放送[19]を実質的に買収しようとした問題については、三木谷はあくまでも株式買い増しを進め、自身のTBS役員就任を求める姿勢を崩していなかった。既にプロ野球団を保有している楽天がTBSを実質買収した場合、TBSがオーナーとなっている横浜ベイスターズをどうするかという問題が生じるが、三木谷は「その場合はTBSに横浜球団を売却させる」という姿勢を示していた[20]。結局は東京放送が買収不可能な放送持株会社(あわせて東京放送ホールディングスに商号変更)に移行したために、楽天は「反対株主の株式買取請求権」を行使して全株式を売却することで決着している。