垂水区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Pathnav テンプレート:日本の行政区 垂水区(たるみく)は、神戸市を構成する9行政区のひとつで、同市の南西部に位置する。明石海峡大橋の起点がある。

西区と同様に全域が播磨国明石郡に属していた。須磨区との境を流れる小川は摂津国との国境であることから「境川」と呼ばれる。ただし、須磨区須磨ニュータウン西部は垂水区から割譲された地域で播磨国に含まれる。

概要

テンプレート:Wide image 区内には高丸団地や明舞団地、多聞団地などの団地群が形成されている。 1995年阪神・淡路大震災後は壊滅状態となった神戸市街地からの人々の避難地(垂水区は神戸のなかでも比較的被害が少なかったため)としてその後も人口は増え続けており、神戸市全人口の約15%以上を占めている。

また、神戸独特の海と山がせまった美しい地形と神戸三宮や大阪都心にも比較的近い立地から芸術家、作家、音楽家など、多くの文化人が住んでいる。 また塩屋町6丁目には「神戸ジェームス山外国人特別居住区」がある。

JR神戸線山陽電車が東西に走っており、「明石駅」まで5分、「三宮駅」まで15分、「大阪駅姫路駅」までそれぞれ35分。

地理

  • 河川:福田川・山田川・塩屋谷川

歴史

地名の由来

垂水という地名は、かつて塩屋-東垂水の間に複数の垂水)があったことに由来する。この滝の歴史は古く、万葉集でも「石ばしる垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」(志貴皇子)と詠まれている。現在は残ってはいないが山陽電気鉄道本線滝の茶屋駅の駅名にもその名残を見ることができる。

沿革

江戸時代は、明石郡の塩屋(現在の塩屋町など)・下畑(下畑町など)・東垂水(平磯など)・西垂水(宮本町など)・東名・西名・滑・中山・奥畑・山田(西舞子など)・多聞(本多聞など)の各村であった。後に、東名・西名・滑・中山・奥畑の5村が合併して名谷村(名谷町など)となる。

  • 1871年(明治4年)7月 - 廃藩置県により明石県の一部
  • 1871年(明治4年)11月 - 明石県は姫路県に編入。飾磨県に改名
  • 1876年(明治9年) - 飾磨県は兵庫県に合併
  • 1889年(明治22年) - 町村制施行により、明石郡垂水村となる
  • 1928年(昭和3年) - 町制を施行し、明石郡垂水町となる
  • 1941年(昭和16年) - 神戸市に合併、須磨区の一部となる
  • 1946年(昭和21年) - 須磨区から独立して垂水区となる
  • 1947年(昭和22年) - 明石郡伊川谷・櫨谷・押部谷・玉津・平野・神出・岩岡の各村を編入
  • 1977年(昭和52年)6月 - 東北部の須磨ニュータウン西部区域(名谷団地)を須磨区に割譲
  • 1982年(昭和57年)8月 - 昭和22年に編入した地域を西区として分離

漁業

地域

健康

教育

高等学校

中学校

小学校

特別支援学校

各種学校

隣接している自治体・行政区

交通

鉄道

路線バス

道路

自動車専用道路

一般国道

主要地方道

一般県道

高速バス

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

有栖川宮熾仁親王が別邸として建てたもの。現在は神戸市の外郭団体による管理。庭園は当時のままだが、明石大橋を望む宿泊施設、結婚式場として運営。
1893年築。明石海峡の難所、平磯暗礁に建てられた、日本でも古い鉄筋コンクリート製の灯台。国産セメント第一号(小野田セメント)で建造。

出身有名人

ゆかりの人物

関連項目

  • 垂水区役所 - JR垂水駅前のレバンテ垂水2番館の2階にある。
  • 困ったときの友 - 文豪ウィリアム・サマセット・モームの短編小説「コスモポリタン」に収録。福田川、平磯灯台を舞台にした殺人事件…。
  • いかなごの釘煮

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:Navbox テンプレート:垂水区の町名