摂津国
テンプレート:基礎情報 令制国 摂津国(せっつのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。畿内に属する。
目次
沿革
古代
瀬戸内海航路の起点で、淀川・大和川水系との結節点でもある難波津があり、津国(つのくに)と呼ばれた。
593年、推古天皇の摂政聖徳太子は難波の荒陵(あらはか)に四天王寺を造立した。
645年に孝徳天皇は難波に遷都し、大化の改新と呼ばれる新政はこの地で行なわれた。652年に難波宮(前期難波宮=難波長柄豊崎宮)が完成した。孝徳天皇の後、都は飛鳥に戻ったが、壬申の乱に勝利した天武天皇は、畿内の外港を抱える要地難波宮を副都とし、国司を置く代わりに、津国を摂(管掌)する機関として特に摂津職(せっつしき)を置いた。摂津職は京官とされ、大夫・亮・進・属の四等官で構成された。
前期難波宮は天武期に焼失したが、神亀3年(726年)、聖武天皇が難波宮(後期難波宮)の造営に着手し、平城京の副都とした。天平16年(744年)には恭仁京から難波京への遷都が実施された。聖武天皇は遷都の翌年再び平城京に遷ったが、その後も難波は副都として維持された。しかし、桓武朝の長岡京遷都に伴って難波宮が解体され、副都の実は失われたため、延暦12年(793年)3月9日に摂津職を廃し、新たに摂津国を置いた。前身の摂津職から引き継いで「摂」の字を冠し、「せっつのくに」とも呼び、また元の津国の訓みそのままに「つのくに」とも呼んだ(和銅6年(713年)の諸国郡郷名著好字令(好字二字令)により摂津国と改称されたという説もある)。
難波津も土砂の堆積が進み、その機能は淀川分流にある神崎や江口などに移っていった。
清和源氏の祖・源経基の子・満仲は摂津守に任ぜられて河辺郡多田荘に館を構え、またその長子・頼光も摂津守に就き、子孫が所領を継承して摂津源氏と称した。頼光四天王の筆頭に挙げられる嵯峨源氏の源綱は、源満仲の娘婿・源敦(仁明源氏)の養子となり、母方の里である渡辺に居住し、渡辺氏の祖となった。
中世
平安時代末期、日宋貿易を重視した平清盛は大輪田泊(神戸市兵庫区)に着目し、湊の前面に人工島(経が島)を築いて安全な碇泊地を設けようと、私費を投じて修築工事を行なった。仁安3年(1168年)、清盛は出家して福原(神戸市中央区から兵庫区)に別荘をかまえ、以来ここに住んで周辺一帯を経営した。治承4年(1180年)、清盛は大輪田泊を見下ろす山麓に福原京を築き、平安京からの遷都を強行した。しかし、11月には京に還都となった。
鎌倉時代に入ると、東大寺の重源が中絶していた大輪田泊の修築事業に乗り出し、やがて兵庫津(ひょうごのつ)と呼ばれて国内第一の港として発展し、室町時代には日明貿易の拠点となった。
室町時代、摂津の守護職は管領細川氏が世襲した。ただし、神崎川以南の西成・東成・住吉の3郡(ほぼ現在の大阪市域)は欠郡(かけのこおり)と総称され、別に分郡守護が置かれ、また有馬郡においても、播磨守護赤松氏の一族有馬氏が分郡守護となった。
国内の施設
宮
古代の摂津国内には、難波長柄豊碕宮・難波宮(難波京)等、度々天皇の住居(宮)が構えられている(「皇居#歴代の皇宮」参照)。
国府
国府所在地を記した文献は次の通り。
一方、史書からは次のように推定される。
- 難波京(大阪市天王寺区国分町)
- 延暦24年(805年)、江頭(大阪市中央区か) (『日本後紀』)
- 天長2年(825年)、豊島郡 (『日本後紀』)
- 承和11年(844年)、旧鴻臚館 (『続日本後紀』)
- 12世紀、住吉区
国分寺・国分尼寺
- 摂津国分寺
- 後継寺院は以下の2説。創建時の遺構はいずれも明らかでないが、天王寺の国分寺付近からは瓦が出土している。
- 天徳山国分寺 (大阪府大阪市天王寺区国分町、[[[:テンプレート:座標URL]]34_39_7.30_N_135_31_29.71_E_region:JP-27_type:landmark&title=%E5%A4%A9%E7%8E%8B%E5%AF%BA%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%AF%BA%EF%BC%88%E5%BE%8C%E7%B6%99%E5%AF%BA%E9%99%A2%E3%81%8B%EF%BC%89 位置])
- 護国山国分寺 (大阪府大阪市北区国分寺、[[[:テンプレート:座標URL]]34_42_37.24_N_135_30_51.92_E_region:JP-27_type:landmark&title=%E9%95%B7%E6%9F%84%E5%9B%BD%E5%88%86%E5%AF%BA%EF%BC%88%E5%BE%8C%E7%B6%99%E5%AF%BA%E9%99%A2%E3%81%8B%EF%BC%89 位置])
- 摂津国分尼寺
- 勝宝山法華寺(大阪府大阪市東淀川区柴島町、[[[:テンプレート:座標URL]]34_43_42.81_N_135_30_43.47_E_region:JP-27_type:landmark&title=%E6%B3%95%E8%8F%AF%E5%AF%BA%EF%BC%88%E5%B0%BC%E5%AF%BA%E5%BE%8C%E7%B6%99%E5%AF%BA%E9%99%A2%E3%81%8B%EF%BC%89 位置])が後継寺院と推定され、境内には国分尼寺のものという礎石が伝わる。
神社
- 住吉郡 住吉坐神社四座
- 住吉郡 大依羅神社四座
- 比定社:大依羅神社(大阪府大阪市住吉区庭井、[[[:テンプレート:座標URL]]34_35_41.48_N_135_31_4.53_E_region:JP-27_type:landmark&title=%E5%90%8D%E7%A5%9E%E5%A4%A7%E7%A4%BE%EF%BC%9A%E5%A4%A7%E4%BE%9D%E7%BE%85%E7%A5%9E%E7%A4%BE 位置])
- 東成郡 難波坐生国咲国魂神社二座
- 東成郡 比売許曾神社
- 論社:比売許曽神社(大阪府大阪市東成区東小橋、[[[:テンプレート:座標URL]]34_40_1.28_N_135_32_3.09_E_region:JP-27_type:landmark&title=%E5%90%8D%E7%A5%9E%E5%A4%A7%E7%A4%BE%E8%AB%96%E7%A4%BE%EF%BC%9A%E6%AF%94%E5%A3%B2%E8%A8%B1%E6%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE 位置])
- 論社:比売許曽神社 (大阪府大阪市中央区高津) - 高津宮([[[:テンプレート:座標URL]]34_40_7.97_N_135_30_49.98_E_region:JP-27_type:landmark&title=%E5%90%8D%E7%A5%9E%E5%A4%A7%E7%A4%BE%E8%AB%96%E7%A4%BE%EF%BC%9A%E6%AF%94%E5%A3%B2%E8%A8%B1%E6%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE%EF%BC%88%E9%AB%98%E6%B4%A5%E5%AE%AE%E5%A2%83%E5%86%85%E6%91%82%E7%A4%BE%EF%BC%89 位置])境内摂社
- 島下郡 新屋坐天照御魂神社三座
- 論社:新屋坐天照御魂神社(大阪府茨木市西福井、[[[:テンプレート:座標URL]]34_50_48.60_N_135_32_57.81_E_region:JP-27_type:landmark&title=%E5%90%8D%E7%A5%9E%E5%A4%A7%E7%A4%BE%E8%AB%96%E7%A4%BE%EF%BC%9A%E6%96%B0%E5%B1%8B%E5%9D%90%E5%A4%A9%E7%85%A7%E5%BE%A1%E9%AD%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE 位置])
- 論社:新屋坐天照御魂神社(大阪府茨木市宿久庄、[[[:テンプレート:座標URL]]34_50_24.80_N_135_31_34.93_E_region:JP-27_type:landmark&title=%E5%90%8D%E7%A5%9E%E5%A4%A7%E7%A4%BE%E8%AB%96%E7%A4%BE%EF%BC%9A%E6%96%B0%E5%B1%8B%E5%9D%90%E5%A4%A9%E7%85%A7%E5%BE%A1%E9%AD%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE 位置])
- 論社:新屋坐天照御魂神社(大阪府茨木市西河原、[[[:テンプレート:座標URL]]34_50_5.00_N_135_34_34.37_E_region:JP-27_type:landmark&title=%E5%90%8D%E7%A5%9E%E5%A4%A7%E7%A4%BE%E8%AB%96%E7%A4%BE%EF%BC%9A%E6%96%B0%E5%B1%8B%E5%9D%90%E5%A4%A9%E7%85%A7%E5%BE%A1%E9%AD%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE 位置])
- 豊島郡 垂水神社
- 武庫郡 広田神社
- 八部郡 生田神社
- 八部郡 長田神社
総社には多田院の境内に「惣社六所権現」という神社があったが、これは荘園の惣社とされている。
また一宮では、坐摩神社(大阪市中央区)も「全国一の宮会」に加盟しており、近世以降こちらも一宮と呼ばれるようになったが、住吉大社に及ばなかったとされる。二宮以下はない。
守護所
場所は不明だが、国衙の近くという説がある。
安国寺利生塔
- 安国寺 - 大阪府大阪市天王寺区にあった
諸山
摂津国の五山十刹制度の諸山(五山・十刹に次ぐ「諸山」格の幕府公認禅宗寺院。官寺)
- 寶満寺 (神戸市長田区) - 開基:法燈国師、南禅寺派(法燈派)
- 福海寺 (神戸市兵庫区) - 開山:在庵禅師、南禅寺派(宗覚派)
- 廣厳寺 (神戸市中央区) - 開山:明極禅師、南禅寺派(明極派)
- 福厳寺 (神戸市兵庫区) - 開山:佛燈国師、南禅寺派(大覚派)
- 禅昌寺 (神戸市須磨区) - 開山:月庵禅師、南禅寺派(大応派)
- 安国寺 - 開山:大明国師、現在は廃寺
- 栖賢寺 - 開山:竺当和上、大徳寺派。現在は京都に移転
- 澄心寺 - 開山:潜渓和上。現在は廃寺(現 高野山真言宗)
- 善住寺 - 開山:鐘谷禅師。現在は廃寺
城郭
- 大阪城 (大阪市中央区)
- 高槻城 (大阪府高槻市)
- 芥川城 (大阪府高槻市)
- 茨木城 (大阪府茨木市)
- 池田城 (大阪府池田市)
- 伊丹城 (有岡城、兵庫県伊丹市)
- 尼崎城 (兵庫県尼崎市)
- 花隈城 (神戸市中央区)
地域
摂津国の範囲は、概ね現在の大阪府淀川以北および大阪市域と尼崎市から神戸市・三田市に至る兵庫県南東部に当る。南に和泉国、東に河内国・山城国、北に丹波国、西に播磨国とそれぞれ接する。摂津・河内・和泉三国の国境は、現在の堺市の方違神社(三国山・三国丘)にあったが、明治4年(1871年)に和泉との国境は堺大小路から大和川に改められ、一部が和泉に編入された。
易林本の『節用集』に摂津は「南暖北寒、故五穀先熟、魚鹽繁、大上國也」と記されており、農漁業が盛んで豊かな地勢であったことが分かる。
郡
- 島上郡(嶋上郡)…全5郷。現在の高槻市・三島郡島本町など。
- 島下郡(嶋下郡)…全4郷。現在の吹田市・茨木市・摂津市など。
- 豊島郡…全7郷。現在の豊中市・池田市・箕面市西部など。
- 能勢郡…全3郷。和銅6年(713年)に河辺郡の一部を割いて設置。現在の豊能郡能勢町・豊能町。
- 河辺郡…全8郷。現在の尼崎市東部・伊丹市・宝塚市北部など。
- 有馬郡…全5郷。現在の神戸市北区北部・三田市など。
- 武庫郡…全8郷。現在の西宮市南部・尼崎市西部・宝塚市南部など。
- 菟原郡…全8郷。現在の芦屋市・神戸市東灘区・同市灘区・同市中央区東部など。
- 八部郡…全5郷。現在の神戸市兵庫区・長田区・須磨区南部・中央区西部・北区南部など。
- 西成郡(西生郡)…全12郷。現在の大阪市北西部。
- 東成郡(東生郡)…全5郷。現在の大阪市東部。
- 住吉郡…全5郷。現在の大阪市南西部など。
- 百済郡…平安時代頃に東成郡および住吉郡に編入され消滅。全3郷。現在の大阪市南東部。
島上郡と島下郡は古代三島郡が大宝元年(701年)に分割されて設置された。明治29年(1896年)に再統合。
明治期の改廃
現在の行政区分
大阪府
- 高槻市 ただし、旧 樫田村は丹波国。
- 茨木市
- 摂津市
- 吹田市
- 三島郡島本町
- 豊中市
- 池田市
- 箕面市
- 豊能郡豊能町・能勢町 ただし、豊能町牧・寺田は丹波国。
- 大阪市 ただし、鶴見区のうち旧 茨田町、生野区のうち旧 巽町、東住吉区のうち旧 矢田村、平野区のうち旧 加美村・瓜破村・長吉村は河内国。
※以下は明治4年(1871年)まで摂津国に属した。
※以下は明治7年(1874年)まで摂津国に属した。
※以下は明治35年に河内国より編入。
兵庫県
人物
摂津職
摂津大夫
- 多比麻呂:天武天皇6年(677年)任官
- 布勢耳麻呂:大宝2年(702年)任官
- 美努王:慶雲2年(705年)任官
- 高向麻呂:和銅元年(708年)任官
- 大神安麻呂:和銅元年(708年)任官
- 大石王:和銅6年(713年)任官
- 高安王:天平2年(730年)任官
- 長田王:天平4年(732年)任官
- 大伴牛養:天平10年(738年)任官
- 平群広成:天平18年(746年)任官
- 多治比占部:天平勝宝2年(750年)任官
- 藤原真楯:天平勝宝4年(752年)任官
- 文室浄三:天平勝宝6年(754年)任官
- 多治比国人:天平宝字元年(757年)任官
- 池田王:天平宝字2年(758年)任官
- 佐伯今毛人:天平宝字3年(759年)任官
- 市原王:天平宝字7年(763年)任官
- 中臣清麻呂:天平宝字7年(763年)任官
- 阿倍息道:天平宝字8年(764年)任官
- 中臣清麻呂:天平神護2年(766年)任官
- 百済理伯:神護景雲元年(767年)任官
- 小野小贄:宝亀2年(771年)任官
- 掃守王:宝亀5年(774年)任官
- 藤原楓麻呂:宝亀7年(776年)任官
- 藤原田麻呂:宝亀7年(776年)任官
- 多治比長野:宝亀10年(779年)任官
- 豊野奄智:天応元年(781年)任官
- 和気清麻呂:延暦2年(783年)任官
国司
テンプレート:節stub 摂津守
- 小野野主:弘仁2年(811年)任官
- 多治比今麻呂:弘仁8年(817年)任官
- 和気真綱:天長5年(828年)任官
- 甘南備高直:天長6年(827年)任官
- 中臣淵魚:天長10年(831年)任官
- 高道鯛釣:承和6年(839年)任官
- 有雄王:承和10年(845年)任官
- 藤原関主:承和15年(848年)任官
- 藤原雄瀧:嘉祥3年(850年)任官
- 益善王:仁寿4年(854年)任官
- 紀今守
- 滋野貞雄:860年頃
- 藤原佐忠:天暦5年(951年)任官
- 藤原安親:天暦11年(957年)任官
- 大江斉光:天徳5年(961年)任官
- 橘仲遠:康保2年(965年)任官
- 源相規:安和3年(970年)任官
- 源満仲:天禄4年(973年)任官。多田源氏の祖
- 藤原時柄:天延2年(974年)任官
- 源満仲:天元6年(983年)任官
- 大江為基:永延2年(988年)任官
- 源正清:永祚2年(990年)任官
- 藤原為頼:正暦4年(993年)任官
- 源頼光:源満仲の嫡男。摂津源氏の祖
- 藤原棟世:清少納言の夫
- 藤原保昌:1020年頃
- 高階泰経:応保元年(1161年)任官
守護
鎌倉幕府
- 1185年 -? - 大内惟義
- 1221年 - ? - 長沼宗政
- 1222年 - 1224年 - 安達景盛
- 1224年 - 1230年 - 野本時員
- 1263年 - ? - 北条時茂
- 1279年 - ? - 北条時宗
- 1280年 - ? - 北条久時
- 1284年 - 1293年 - 北条兼時
- 1315年 - 1333年 - 六波羅探題北方兼任
室町幕府
- 1337年 - 1339年 - 赤松範資
- 1339年 - 仁木義有
- 1340年 - 1351年 - 赤松範資
- 1351年 - 1353年 - 赤松光範
- 1353年 - 細川繁氏
- 1353年 - 1355年 - 赤松則祐
- 1354年 - 1360年 - 赤松光範
- 1360年 - 1362年 - 京極高氏
- 1362年 -? - 赤松則祐
- 1363年 - 1373年 - 赤松光範
- 1374年 - 1379年 - 細川頼元
- 1379年 - 1382年 - 渋川満頼
- 1383年 - 1397年 - 細川頼元
- 1397年 - 1426年 - 細川満元
- 1426年 - 1429年 - 細川持元
- 1429年 - 1442年 - 細川持之
- 1442年 - 1473年 - 細川勝元
- 1473年 - 1506年 - 細川政元
- 1506年 - 1507年 - 細川澄元
- 1507年 - 細川澄之
- 1507年 - 1508年 - 細川澄元
- 1508年 - 1520年 - 細川高国
- 1520年 - 細川澄元
- 1520年 - 1525年 - 細川高国
- 1525年 - 細川稙国
- 1525年 - 1531年 - 細川高国
- 1532年 - 1547年 - 細川晴元
- 1547年 - 細川氏綱
- 1547年 - 1552年 - 細川晴元
- 1552年 - 1553年 - 細川氏綱
- 1553年 - 1558年 - 細川晴元
- 1558年 - ? - 細川昭元
大名
戦国時代
織豊期
- 荒木村重(伊丹城):織田政権で摂津国主。天正6年(1578年)に信長に反乱(有岡城の戦い)
- 池田恒興:荒木村重の謀反の後、旧領を受け継ぐ。清洲会議後、摂津大坂・尼崎・兵庫において12万石を領有、後に美濃国大垣13万石に転封
- 山崎片家(三田城):天正10年(1582年)、2万3千石で就封。息子の山崎家盛が関ヶ原の戦いで西軍に属したことで、慶長6年(1601年)、因幡若桜藩に移封
- 豊臣秀吉(大坂城):天正11年(1583年)より築城開始。秀吉死後の慶長4年(1599年)、豊臣秀頼が伏見城より移る
- 青木一重(麻田城):丹羽長秀の家臣から秀吉の家臣に転じ、天正13年(1585年)、1万石を与えられる
- 高山右近(高槻城):天正13年(1585年)、播磨明石城7万石に移封し、高槻は秀吉の直轄地
- 中川清秀(茨木城):天正14年(1586年)、息子の中川秀政が播磨三木城6万5千石に移封し、茨木は秀吉の直轄地
- 新庄直頼(高槻城):文禄4年(1595年)、大和宇多城より加増転封3万石。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで西軍に属し、戦後改易
江戸時代の藩
- 豊臣秀頼直轄領(摂津・河内・和泉65万7千石、1600年-1615年)→大坂藩奥平松平家(10万石、1615年-1619年)→廃藩(大和郡山藩に転封)・天領
- 高槻藩:内藤家(4万石、1615年-1617年)→土岐家(2万石、1617年-1619年)→松平〔形原〕家(2万石、1619年-1635年)→岡部家(5万石、1635年 - 1640年)→松平〔形原〕家(3万6千石、1640年-1649年)→永井家(3万6000石、1649年-1871年)
- 尼崎藩:建部家(1万石、1615年-1617年)→戸田家(5万石、1617年-1635年)→青山家(5万石→5万4千石→4万8千石、1635年-1711年)→松平〔桜井〕家(4万8千石→4万石→4万5千石、1711年-1871年)
- 三田藩:山崎家(2万3千石、1600年-1601年)→有馬家(2万石、1601年-1602年)→松平〔能見〕家(3万石、1626年-1632年)→九鬼家(3万6千石、1632年-1871年)
- 麻田藩:青木家(1万2千石、1615年 - 1871年)
- 茨木藩:片桐家(2万8千石、1600年-1615年)→廃藩(大和小泉藩に転封)・天領
- 中島藩:稲葉家(4万5700石、1616年?-1629年)→廃藩(丹波福知山藩に転封)・天領
- 味舌藩:織田家(3万石→1万石、1600年-1621年)→廃藩(断絶)
武家官位としての摂津守
織豊期以前
- 中原師員:鎌倉時代の武将
- 北条時親:鎌倉時代中期の武将
- 石川家光:鎌倉時代の武将。大和源氏の流れを汲む陸奥石川氏12代目当主
- 楠木正行:南北朝時代の武将。楠木正成の嫡男
- 高梨政高:室町時代後期、戦国時代の武将。信濃中野を拠点とする高梨家当主
- 高梨政盛:戦国時代の武将。高梨政高の嫡男・高梨家の当主
- 細川直元:戦国時代の武将。出羽小国城主
- 山名藤幸:伯耆国の戦国武将、日野山名氏当主
- 安宅冬康:三好長慶の弟。安宅水軍の頭領。
- 荒木村重:戦国時代から安土桃山時代の武将・大名(摂津一国)
- 小西行長:豊臣政権の大名(肥後半国)
- 井田是政:北条氏照の家臣。東京都府中市是政の地に名を残す
- 一条政親:土佐一条氏第7代(最後の)当主
江戸時代
- 武蔵国川越藩秋元家
- 武蔵国岡部藩安部家
- 備中国庭瀬藩板倉家
- 遠江国掛川藩太田家
- 出羽国庄内藩酒井家
- 美濃国高須藩松平家
- 下総国結城藩水野宗家
- その他
- 稲垣長以:志摩鳥羽藩第3代藩主
- 稲垣長明:鳥羽藩第6代藩主
- 奥平忠政:上野吉井藩第2代藩主、美濃加納藩第2代藩主
- 織田長易:大和芝村藩第11代藩主
- 木村芥舟:幕末の幕臣。軍艦奉行・咸臨丸渡米時の総督
- 高力忠房:武蔵岩槻藩第2代藩主、遠江浜松藩初代藩主、肥前島原藩初代藩主
- 徳川治行:美濃高須藩第5代藩主、後に尾張徳川家世子
- 徳川茂徳:高須藩第11代藩主、尾張藩第15代藩主、一橋徳川家第10代当主
- 内藤信良:陸奥棚倉藩第2代藩主
- 内藤政峻:三河挙母藩第3代藩主
- 内藤政成:挙母藩第4代藩主。井伊直弼の実兄
- 堀田正敦:近江堅田藩第6代藩主、下野佐野藩初代藩主
- 松平定良:伊勢桑名藩第2代藩主
- 松平忠侯:肥前島原藩第3代藩主
- 松平忠恒:陸奥桑折藩第3代藩主、上野篠塚藩、上野上里見藩、上野小幡藩初代藩主
- 松平忠恕:上野小幡藩第4代藩主
- 松平輝規:上野高崎藩主
- 毛利高成:豊後佐伯藩第2代藩主
合戦
- 1184年:一ノ谷の戦い。源氏(源範頼、源義経) x 平家(平知盛、平忠度)
- 1185年:河原津の合戦。源義経 x 太田頼基
- 1333年:瀬川合戦。後醍醐天皇側(赤松則村) x 鎌倉幕府・六波羅探題
- 1336年:豊島河原合戦。後醍醐天皇方(新田義貞、楠木正成、北畠顕家) x 足利方(足利尊氏、足利直義)
- 1336年:湊川の戦い。足利方(足利尊氏、足利直義) x 後醍醐天皇方(新田義貞、楠木正成、菊池武吉)
- 1351年:打出浜の戦い。南朝(足利直義)x 北朝(足利尊氏、高師直)
- 1511年:芦屋河原の合戦。細川澄元軍(赤松義村、細川尚春) x 細川高国軍(瓦林政頼、波多野元清)
- 1519年:田中城の戦い。細川澄元軍(池田信正) x 細川高国軍(瓦林政頼)
- 1519年 - 1520年:第一次越水城の合戦。細川澄元軍(三好之長) x 細川高国軍(瓦林政頼)
- 1531年:中嶋の戦い。三好元長 x 細川高国・浦上村宗
- 1531年:大物崩れ。赤松政祐・細川晴元・三好元長 x 細川高国・浦上村宗
- 1541年:一庫城の戦い。塩川国満・伊丹親興 x 三好長慶・三好政長・波多野秀忠
- 1547年:舎利寺の戦い。三好長慶・六角定頼 x 細川氏綱・遊佐長教
- 1549年:江口の戦い。三好長慶 x 三好政長
- 1566年:滝山城の戦い。安宅信康 x 松永久秀
- 1570年 - 1580年:石山合戦。本願寺(顕如、下間頼廉、鈴木孫一、乃美宗勝、村上武吉等) x 織田軍(織田信長、九鬼嘉隆等)
- 1570年:野田城・福島城の戦い。三好三人衆 x 織田軍
- 1571年:白井河原の戦い。荒木村重・中川清秀 x 茨木重朝・和田惟政・郡正信
- 1576年:第一次木津川口の戦い。毛利水軍(乃美宗勝) x 織田水軍(九鬼嘉隆)
- 1578年:第二次木津川口の戦い。織田水軍(九鬼嘉隆、鉄甲船6隻) x 毛利水軍(村上武吉)
- 1578年 - 1579年:有岡城の戦い。織田軍 x 荒木村重
- 1580年:花隈城の戦い。織田軍(池田恒興、紀伊雑賀衆) x 荒木村重
- 1614年 - 1615年:大坂の陣。江戸幕府軍 x 豊臣軍