板倉勝弘
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板倉 勝弘(いたくら かつひろ、1838年11月8日(天保9年9月22日) - 1909年(明治42年)5月7日)は、備中庭瀬藩第11代(最後)の藩主。重宣系板倉家12代。従五位下・摂津守。
陸奥福島藩主・板倉勝俊の八男。母は杉山氏。正室は鯖江藩主・間部詮勝の娘。子は勝鏤(長男)、勝義(次男)、娘(酒井忠弘室)。
安政5年(1858年)2月19日、先代藩主の板倉勝全の隠居にともない跡を継いだ。慶応4年(1868年)からの戊辰戦争では新政府側に与し、伊予松山藩攻めに参加した。翌明治2年(1869年)の版籍奉還で藩知事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県で藩知事を免官となった。子爵に列せられ、明治42年(1909年)5月7日、72歳で死去した。