福島藩
福島藩(ふくしまはん)は、陸奥国南部(岩代国信夫郡)、現在の福島県福島市にあった藩である。居城は福島城。藩主は本多氏、堀田氏、板倉氏の3氏で、いずれも譜代大名であった。
沿革
福島城はかつて「杉目城」と呼ばれて、戦国大名である伊達晴宗が息子・輝宗との家督争いに敗れてこの城で隠居生活を送って以来、伊達氏の支城として機能していたが、葛西大崎一揆後に伊達政宗が旧葛西・大崎領に転封となり、皮肉にもこの一揆の責任を問われて所領を没収された旧葛西・大崎領領主の木村吉清が福島の新領主となった蒲生氏郷の城代としてこの地に入った。吉清は新しく福島城と城下町を建設した。その後、吉清は再び大名に取り立てられたものの程なく死去、蒲生氏も転封となり、1598年(慶長3年)、代わりに入った上杉景勝によって水原親憲・本庄繁長が城代に任じられた。その上杉氏も1664年(寛文4年)、4代藩主継嗣問題で減封となり、福島城を没収された。その後天領を経て1679年(延宝7年)に本多忠国が大和郡山から15万石で入封。3年後には再び天領となり、1700年(元禄13年)には堀田氏10万石、1702年(元禄15年)には板倉氏3万石が封じられた。最後の藩主板倉勝達は奥羽列藩同盟に与したため、1868年(明治元年)、三河重原に移封されて廃藩置県に至った。
居城
領地
歴代藩主
本多氏
堀田氏
(出羽山形藩へ)
板倉氏
- 板倉重寛(1702年 - 1717年)
- 板倉重泰(1717年 - 1718年)
- 板倉勝里(1718年 - 1743年)
- 板倉勝承(1743年 - 1765年)
- 板倉勝任(1765年 - 1766年)
- 板倉勝行(1766年 - 1773年)
- 板倉勝矩(1773年 - 1775年)
- 板倉勝長(1776年 - 1815年)
- 板倉勝俊(1815年 - 1834年)
- 板倉勝顕(1834年 - 1866年)
- 板倉勝己(1866年 - 1868年)
- 板倉勝達(1868年 - )
支藩
各家とも福島藩主時代には支藩の創設は無し。本多氏には、大和郡山藩主時代に分封した播磨山崎藩、陸奥岩瀬藩が存在した。このうち、福島県須賀川市に陣屋を置いた岩瀬藩主の本多出雲守政利は、天和2年(1682年)まで播磨明石藩主であったが不行跡により岩瀬に減転封された。その後、行跡を改めず乱行を続けたとして、元禄6年(1693年)に改易となった。
幕末の領地
三河国飛地については「旧高旧領取調帳」で重原藩立藩後に加増された地域も含まれているため詳細不明。
関連項目
外部リンク
テンプレート:S-start テンプレート:S-bef テンプレート:S-ttl テンプレート:S-aft テンプレート:End テンプレート:奥羽越列藩同盟 テンプレート:江戸時代の藩テンプレート:Japanese-history-stub