八部郡
八部郡(やたべのこおり、やたべぐん)は、かつて摂津国、兵庫県に存在した郡。八部郡の範囲は定かではない。時代によっても異なると考えられる。[1][2] 和名類聚抄(承平年間(931年 - 938年)編纂)には、摂津国八田部郡として、生田、宇治、神戸、八部(やたべ)、長田の5つの郷が記されている[3]。 現在の神戸市中央区の西部(旧生田区域)、兵庫区、長田区、須磨区の大部分、北区山田町(旧山田村域)にあたると考えられる。
1896年(明治29年)4月1日、菟原郡と共に武庫郡に編入され、消滅した。
『摂津』太田亮 著 磯部甲陽堂(1925)[4]P7「郡名異同一覧」には、矢田部、八田部、八部と、時代あるいは書物によって異なる表記が用いられてきたことが記されている。
雄伴郡(おともぐん)及び八部(やたべ)の由来
雄伴郡は、淳和天皇の時代(在位823年 - 833年)、天皇の諱である「大伴」(おおとも)に発音が近いことから、八部郡(やたべぐん)と改名された。仁徳天皇の妃八田皇女の名代が付近にあったためとも言われている。[5]『摂津』太田亮 著 磯部甲陽堂(1925) P538 第三章氏族 第十三節矢田部郡の「八田部」の項に、”古事記仁徳段に八田皇女の御名代として八田部を定める”と引用する。矢田部郡及び八部郡の地名(矢田部郡は八部郡の別表記)は、御名代八田部の名を負うとする。 [4] 改名当初は八田部郡と書いた。[6] [7] [8]
八部郷
八部郷(やたべのごう**)は、かつて摂津国、兵庫県に存在した郷。 和名類聚抄(承平年間(931年 - 938年)編纂)摂津国八田部郡 [3]の郷の1つとして、奈良期~平安期に見える郷名。 (姓氏家系大辞典 全3巻 1884-1956,太田亮 著[9] 「矢田部」の37条「攝津の矢田部氏」で、”神戸市山本通り5丁目(旧中宮村)に、八田郎女の陵と伝わる中宮古墳[10]がある(ママ*)”と記している。(注*)中宮古墳が現在も残っている(ある)か否かは、疑問。)あるいは、この辺りが八部郷だったろうか。なお、中宮村は、「古墳を守る村」として、”村を六軒だけに制限し”てきたという。[11]同じ記載が、「姓氏家系大辞典」(太田亮)[9]にもある。)
- **)注:『古代地名大辞典』(角川書店 1999)により「やたべのごう」とした。[12]
歴史
古代
式内社
『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。 テンプレート:式内社一覧/header テンプレート:摂津国八部郡の式内社一覧 テンプレート:式内社一覧/footer
近代
- 1868年(明治元年)11月 - 神戸村・二茶屋村・走水村が合併して神戸町となる。
- 1872年(明治4年) - 生田宮村・中宮村・花熊村・北野村・宇治野村を神戸町に編入。
- 1879年(明治12年)1月8日 - 郡区町村編制法により、神戸町・兵庫町・坂本村が八部郡から独立し、神戸区となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 市制施行により、荒田村が神戸区・菟原郡葺合村と合併して神戸市となる。また、町村制施行により、湊村・林田村・須磨村・山田村が発足。八部郡役所が湊村に置かれる。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 湊村・林田村・須磨村大字池田が神戸市に編入される。須磨村の残余・山田村が菟原郡と共に武庫郡に編入される。
関連項目
- 八田皇女
- 摂津名所図会(全文PDFが武庫川女子大学リポジトリ(学術成果コレクション)として公開されており、「矢田部郡上」「矢田部郡下」がある。[13][14])
- 和名類聚抄
- 宇治郷 (神戸市)
- 消滅した郡の一覧
参考文献
- 『古代地名大辞典』(角川書店 1999)に、さらに詳しい記述あり。[12]
注釈
- ↑ 〈参考資料〉古代の里と村[地域の歴史の見方 古代(第5回「まちづくり地域歴史遺産活用講座」試行プログラム(2011.9.18-19実施)テキスト) 坂江渉 神戸大学大学院人文学研究科 (平成23年度特別研究プロジェクト 国公立大学フォーラム / 2011-12-11) P67 ”古代の攝津国の行政区分図”あり。]
- ↑ 〈参考資料〉神戸市域の江戸時代[地域の歴史の見方 近世(第5回「まちづくり地域歴史遺産活用講座」試行プログラム(2011.9.18-19実施)テキスト) / 木村修二 P92 「神戸市域の村々(『兵庫県史』付図を加工)」あり。明らかに前記”古代の攝津国の行政区分図”と異なる。]
- ↑ 3.0 3.1 元和古活字本 - 国立国会図書館デジタルコレクション 目次・巻号 の(3) (64)の39コマ目
- ↑ 4.0 4.1 太田亮 著 磯部甲陽堂(1925)
- ↑ Wikipedia「会下山#伝説と歴史」より引用。
- ↑ 『摂津』太田亮著 磯部甲陽堂 (1925) P32「八部郡」の項に同じ趣旨の記述あり。
- ↑ 〈参考資料〉古代の里と村[地域の歴史の見方 古代(第5回「まちづくり地域歴史遺産活用講座」試行プログラム(2011.9.18-19実施)テキスト) 坂江渉 神戸大学大学院人文学研究科 (平成23年度特別研究プロジェクト 国公立大学フォーラム / 2011-12-11) P67 ”ただし八部郡は、奈良時代には「荒田郡」→「雄伴郡」”とある。]
- ↑ 『新修神戸市史 歴史編II 古代・中世』(神戸市/2010.3)目次より”葛城直・荒田直と荒田郡”、”活田長峡のクニと雄伴のクニ”、”菟原・雄伴から菟原・八部郡へ”とある。
- ↑ 9.0 9.1 姓氏家系大辞典 全3巻 1884-1956,太田亮 著
- ↑ 神戸大学附属図書館デジタルギャラリー 実地踏測神戸市街全図(昭和9年)の海洋気象台のすぐ西に「中宮古墳」と朱記されているのが見える。
- ↑ 「古地図で見る神戸 昔の風景と地名散歩」P69 2013年11月 著者 大国正美 神戸新聞総合出版センター ISBNコード 9784343006035
- ↑ 12.0 12.1 『古代地名大辞典』角川文化振興財団 1999年 02月 25日 ISBN 4-04-031800-5-C0520 発行元:角川学芸出版
- ↑ (摂津名所図会全文PDFあり) タイトル:摂津名所図会、著者:秋里, 湘夕、発行日:1796年9月、6巻12冊 武庫川女子大学リポジトリ(学術成果コレクション)
- ↑ ”摂津名所図会 巻之八 八部郡に、同じ内容あり。こちらは活字体なので読みやすい。