若桜藩

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若桜藩(わかさはん)は、因幡国八東郡(現在の鳥取県八頭郡若桜町)周辺を領した

藩史

豊臣政権時代は木下重堅若桜城主であったが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に属し、敗戦とともに自害した。

慶長6年(1601年)、摂津国三田藩より山崎家盛が3万石で入封して立藩。2代・家治元和3年(1617年備中国成羽藩に転封となった。以後鳥取藩領となる。

元禄13年(1700年)に鳥取藩の支藩として同じ地に鳥取西館新田藩が立藩。以後は鳥取藩の項目を参照されたい。

明治元年(1868年)、第10代藩主の池田徳定は若桜に陣屋を置いたため、鳥取西館新田藩は若桜藩と呼ばれるようになった。

明治3年(1870年)、若桜藩は鳥取藩に合併されて廃藩となった。

歴代藩主

山崎家

3万石、外様(1601年 - 1617年)

  1. 家盛(いえもり)〔従五位下・左馬允〕
  2. 家治(いえはる)〔従五位下・甲斐守〕
池田家

2万石、外様(1868年 - 1870年)

  1. 徳定(のりさだ)〔従五位下・相模守〕

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