島本町
京都府南西部の乙訓郡大山崎町と隣接。桂川・宇治川・木津川が山崎地峡で合流して淀川となる場所にあり、京都盆地から大阪平野へ抜ける交通の要衝として古くから栄えた。大阪市や京都市のベッドタウンとして住宅地開発も進んでいる。
目次
地理
淀川の支流、水無瀬川の流域の大部分を占めている。町域は北西から南東方向に長く、北西に行くほど標高を増す。町全体の7割近くが山岳・丘陵地である。南東の淀川沿いに小さく開けた低地に市街地が拓けているが、この付近には第一国土軸を結ぶ主たる交通である東海道新幹線・東海道本線および名神高速道路のほか、阪急京都本線および国道171号線といった町域を通過する全ての主要交通が通り抜けている。桂川、宇治川、木津川の3河川が合流する地点にあたっているが、それぞれの河川の水温が違うため冬には霧が多く発生する。
海抜は釈迦岳が最高であり631.4m、最低は高浜の8.5mである。
- 山:釈迦岳
- 河川:淀川、桂川、宇治川、水無瀬川
隣接している自治体(行政区)
府境を挟んで隣り合う大山崎町との関係が深く、市外局番や集配郵便局も同じである。一時は越境合併も検討されたが、合併特例法期限内の合併は見送られた。
歴史
島本町は天王山と男山に挟まれており、摂津国と山城国を結ぶ道の中で唯一山越えをしなくてすむ交通の要所である。古くから朝廷と大宰府を結ぶ山陽道(後の西国街道)が通っており、その環境下で繁栄してきた。
水無瀬川と淀川が合流する付近(現在の広瀬地区、東大寺地区)は水無瀬とよばれ、古くは東大寺の荘園であった。景色の美しさとたなびく霞で知られ、「万葉集」の時代から歌枕とされた。後鳥羽上皇はこの地をことのほか愛し、何度も行幸をしてついには水無瀬離宮を造営したほどであった。上皇が亡くなった後、離宮跡は水無瀬神宮となった。その他、小倉百人一首のうち50句を合わせ言葉の順番に並べると、水無瀬の絵図が完成する。これは藤原定家が絵図に一致する歌を集めたためといわれている。また先述のように、島本町には藤原定家と親交も深かった後鳥羽天皇の別荘があったことから、この地は「小倉百人一首のふるさと」と言われている。また、新古今和歌集巻一冒頭の「夕さればみなもとかすむみなせ川夕べは秋となどおもふらん」は後鳥羽上皇がこの地を詠んだものである。
また、桜井地区は湊川の戦いに出陣する楠木正成が嫡子楠木正行と別れた「桜井の別れ」の地として太平記に登場する。現在の島本町章は、「嶋本」の文字を楠木氏の家紋である菊水に似るよう変形させたものである。
その他、豊臣秀吉(羽柴秀吉)と明智光秀が戦った山崎の戦いの古戦場としても知られる。
- 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、島上郡桜井村、高浜村、広瀬村、東大寺村、山崎村、尺代村、大沢村が合併して、島上郡島本村となる。
- 1896年(明治29年)4月1日 三島郡が成立。
- 1940年(昭和15年)4月1日 町制を施行し、三島郡島本町となり、現在に至る。
町政
- 町長:川口 裕(就任:2005年4月21日) - 街宣車からの政治活動の際、川口浩探検隊シリーズのテーマソングをかけることがある。
- 町議会(定員16名)(2010年1月4日現在)
- 議長:菅俊勝(山吹民主クラブ)
- 副議長:伊集院春美(自由民主党クラブ)
会派
- 山吹民主クラブ(5名)
- 日本共産党(3名)
- 人びとの新しい歩み(3名)
- 自由民主党クラブ(2名)
- 公明党(2名)
- 無所属(1名)
一時期、日本一女性比率が高い(44.4%)町議会だったことがある。
経済
産業
大都市に近く澄んだ水が豊富なため、工場の進出が相次いだ。特に大正時代に進出したサントリー(当時は壽屋)の山崎蒸溜所は、同所で作られるウイスキーのブランド名ともなっており有名。他には同時期に進出したユニチカ(当時は日紡絹糸)、第二次世界大戦後に進出した日立金属(旧・NEOMAX)、トッパン・フォームズなどの工場もあり、工業都市の性格が強い。
近年では大阪市や京都市の都市圏拡大に伴い、それらの衛星住宅都市としての地位も獲得しつつある。
日立金属磁性材料研究所・小野薬品工業水無瀬研究所・積水化学工業開発研究所・サントリー研究センター・技術開発センター等がある研究都市でもある。サントリー研究センターでは「青いバラ」の研究も行われている。
金融機関
日本郵政グループ
(2012年12月現在)
- 日本郵便株式会社
- 島本水無瀬郵便局(高浜)
- 島本東大寺郵便局(東大寺)
各郵便局にはゆうちょ銀行のATMが設置されており、島本水無瀬郵便局ではホリデーサービスを実施。
※島本町内の郵便番号は「618-00xx」(隣の京都府乙訓郡大山崎町と同じ)で、集配業務は山崎郵便局(大山崎町円明寺)が行っている。
地域
人口
平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、0.40%減の28,935人であり、増減率は府下43市町村中22位、72行政区域中41位。 テンプレート:人口統計
地区
- 青葉 - 一 - 三丁目
- 江川 - 一丁目、二丁目
- 大沢 - 大字大沢
- 桜井 - 大字桜井、一 - 五丁目
- 尺代 - 大字尺代
- 高浜 - 大字高浜、一 - 三丁目
- 東大寺 - 大字東大寺、一 - 四丁目
- 百山 - 百山
- 広瀬 - 大字広瀬、一 - 五丁目
- 水無瀬 - 一丁目、二丁目
- 山崎 - 大字山崎、一丁目 - 五丁目
- 若山台 - 一丁目、二丁目
教育・福祉・文化
教育施設
幼稚園
- 島本町立第一幼稚園
- 島本町立第二幼稚園
- 山崎幼稚園
保育所
- 島本町立第二保育所
- 島本町立第四保育所
- 山崎保育所
乳児院
- 大阪水上隣保館乳児院
小学校
中学校
高等学校
専修学校
その他町内施設
文化施設
- 島本町立歴史文化資料館
- ふれあいセンター
- 町立図書館(ふれあいセンター4階)
- 町立体育館
ホール・公民館
- 島本町住民ホール
- ケリアホール
福祉施設
- 町立やまぶき園
その他の施設
- 町立人権文化センター
- 島本町教育センター
- 町立キャンプ場
交通
先に述べたとおり島本町は交通の要所である。狭い平地にJR東海道本線、国道171号線、阪急京都線、JR東海道新幹線、名神高速道路などの大動脈が密集している。
鉄道路線
※ その他、東海道新幹線(JR東海)が京都駅 - 新大阪駅間で当町を通過しており、阪急京都本線と並行している。
道路
- 高速道路
- 名神高速道路大山崎インターチェンジ(京都府乙訓郡大山崎町)が近くにある。
- 一般国道
- 府道
- 京都府道・大阪府道67号西京高槻線 - 通称:西国街道(旧:山陽道)
- 京都府道・大阪府道734号柳谷島本線
- 大阪府道124号桜井駅跡線
路線バス
- 阪急京都本線:水無瀬駅前のりば
観光・旧跡名所・文化財
産業
名所旧跡
- 桜井駅跡(国の史跡) - 古代律令制度下の宿駅の跡(1939年に開設された阪急水無瀬駅は、同史跡への最寄駅であったため、1948年まで「桜井ノ駅駅」と名乗っていた)。
- 水無瀬神宮 - 客殿と茶室が国の重要文化財に指定、境内の湧き水「離宮の水」は名水百選に選出、また石川五右衛門がつけたといういわれのある手形が門の右手上に残っている。この手形は、石川五右衛門が盗みに入ろうとしたが、神威により入れなくて、逃げ去る時、付けたと言われている。
- 待宵小侍従碑 - 石清水八幡宮の別当の娘で、歌人の母をもつ「待宵小侍従」。太政大臣の子・藤原伊道に嫁ぎ、四十歳頃その夫に先立たれた。それから二条天皇、高倉天皇などに仕え、宮仕えを終えてから歌人としての名を挙げる。「待宵小侍従」と呼ばれる所以は、当時大評判になった「待つ宵にふけゆく鐘の声きけばあかぬわかれのとりはものかは」の一首からだ。待ちわびる心に濃厚な色香の漂う恋の歌。平安の歌姫のこの碑は、高槻城主永井直清によって1650年(慶安3年)に建てられたもの。所在地:島本町桜井3
- 関大明神社
- 若山神社
文化財
- 国宝
- 紙本著色後鳥羽天皇像 伝藤原信実筆(水無瀬神宮)
- 後鳥羽天皇宸翰御手印置文(水無瀬神宮)
- 重要文化財(国指定)
- 後村上天皇宸翰御願文(水無瀬神宮)
- 後鳥羽院御置文案文(水無瀬神宮)
- 後鳥羽院宸翰御消息(水無瀬神宮)
- 水無瀬神宮客殿
- 水無瀬神宮茶室
- 大阪府指定有形文化財
- 関大明神社本殿(附:棟札)
- 大阪府指定有形民俗文化財
- 東大寺村おかげ踊り図絵馬(若山神社)
- 大阪府指定天然記念物
- 若山神社のツブラジイ林
- 尺代のヤマモモ
- 大沢のスギ
祭り
- 島本夏まつり(8月上旬)
- 島本町文化祭(11月3.4.5日)
その他
電話
市外局番は075、市内局番は961 - 963で、京都MAに属する。他の大阪府内に通話するときは県外通話となる。
平成以前は管轄の山崎電報電話局が準市外局扱いで、長岡京市、向日市、大山崎町(市内局番分割後)の全域及び京都市、久御山町、大津市(いずれも市外局番075の地区に限る)への通話の際には市外局番が必要であったが、現在は前述の区域へは市外局番なしで通話可能で市内料金が適用され、他の京都府内(奈良MA(市外局番が0743)の地域(笠置町と南山城村)を除く)の通話は県内市外料金が適用される。
上水道
以前は100%自己水(名水百選の地下水)だった。しかし上水道の安定供給のため、1998年10月以降は大阪府営水道(高度浄水処理水)を導入、現在は自己水90%と府営水10%のブレンドとなっている。
保健行政
管轄する保健所は茨木市にある大阪府茨木保健所である。以前は隣の高槻市に所在する大阪府高槻保健所管轄であったが、高槻市の中核市(保健所政令市)移行に伴い、保健所管轄区域が再編された。