百人一首
百人一首(ひゃくにん いっしゅ、ひゃくにんしゅ[1])とは、100人の歌人の和歌を、一人一首ずつ選んでつくった秀歌撰(詞華集)。
中でも、藤原定家が京都・小倉山の山荘で選んだとされる小倉百人一首(おぐら ひゃくにん いっしゅ)は歌がるたとして広く用いられ、通常、百人一首といえば小倉百人一首を指すまでになった。本記事では、この小倉百人一首について解説する。
目次
概要
小倉百人一首は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した公家・藤原定家が選んだ秀歌撰である。その原型は、鎌倉幕府の御家人で歌人でもある宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の求めに応じて、定家が作成した色紙である。蓮生は、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)に建築した別荘・小倉山荘の襖の装飾のため、定家に色紙の作成を依頼した。定家は、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、100人の歌人の優れた和歌を一首ずつ選び、年代順に色紙にしたためた。小倉百人一首が成立した年代は確定されていないが、13世紀の前半と推定される[2]。成立当時には、この百人一首に一定の呼び名はなく、「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨山荘色紙和歌」「小倉色紙」などと呼ばれた。後に、定家が小倉山で編纂したという由来から、「小倉百人一首」という通称が定着した。
室町時代後期に連歌師の宗祇が著した『百人一首抄』(宗祇抄)によって研究・紹介されると、小倉百人一首は歌道の入門編として一般にも知られるようになった。江戸時代に入り、木版画の技術が普及すると、絵入りの歌がるたの形態で広く庶民に広まり、人々が楽しめる遊戯としても普及した。
小倉百人一首の関連書には、同じく定家の撰に成る『百人秀歌』がある。百人秀歌も百人一首の形式で、100人の歌人から一首ずつ100首を選んで編まれた秀歌撰である。『百人秀歌』と『百人一首』との主な相違点は、1)「後鳥羽院と順徳院の歌が無く、代わりに一条院皇后宮・権中納言国信・権中納言長方の歌が入っていること、2) 源俊頼朝臣の歌が『うかりける』でなく別の歌であることの2点である。この『百人秀歌』は、『百人一首』の原型(原撰本)となったと考えられている。
定家から蓮生に送られた色紙、いわゆる小倉色紙(小倉山荘色紙)は、蓮生の子孫にも一部が受け継がれた。室町時代に茶道が広まると小倉色紙を茶室に飾ることが流行し、珍重されるようになった。戦国時代の武将・宇都宮鎮房が豊臣秀吉配下の黒田長政に暗殺され、一族が滅ぼされたのは、鎮房が豊前宇都宮氏に伝わる小倉色紙の提出を秀吉に求められて拒んだことも一因とされる。小倉色紙はあまりにも珍重され、価格も高騰したため、贋作も多く流布するようになった。
『百人一首』の歌と歌人たち
百人一首に採られた100首には、1番の天智天皇の歌から100番の順徳院の歌まで、各歌に歌番号(和歌番号)が付されている。この歌番号の並び順は、おおむね古い歌人から新しい歌人の順である。
|
小倉百人一首に選ばれた100名は、男性79名、女性21名。男性の内訳は、天皇7名、親王1名、公卿28名(うち摂政関白4名、征夷大将軍1名)、下級貴族28名、僧侶12名、詳細不明3名[3]。また女性の内訳は、天皇1名、内親王1名、女房17名、公卿の母2名となっている。
歌の内容による内訳では、春が6首、夏が4首、秋が16首、冬が6首、離別が1首、羇旅が4首、恋が43首、そして雑(ぞう)が20首である。[4]
100首はいずれも『古今和歌集』『新古今和歌集』などの勅撰和歌集に収載される短歌から選ばれている。
- 万葉の歌人
- 『万葉集』の時代はまだおおらかで、身分の差にこだわらずに天皇、貴族、防人、農民などあらゆる階層の者の歌が収められている。自分の心を偽らずに詠むところが特徴。有名な歌人は、大伴家持、山部赤人、柿本人麻呂など。
- 女流歌人の全盛
- 平安時代の中頃、宮廷中心の貴族文化は全盛を迎える。文学の世界では、女性の活躍が目ざましく清少納言が『枕草子』、紫式部が『源氏物語』を書いた。『百人一首』にはそのほかにも、和泉式部、大弐三位、赤染衛門、小式部内侍、伊勢大輔といった宮廷の才女の歌が載っている。
- 隠者と武士の登場
- 貴族中心の平安時代から、武士が支配する鎌倉時代へとうつる激動の世情の中で、仏教を心の支えにする者が増えた。『百人一首』もそうした時代を反映し、西行や寂蓮などの隠者も登場する。藤原定家自身も撰者となった『新古今和歌集』の歌が中心で、色彩豊かな絵画的な歌が多く、微妙な感情を象徴的に表現している。
用途
『百人一首』は単に歌集として鑑賞する以外の用途でも広く用いられている。
教材
たとえば中学や高校では、古典の入門として生徒に『百人一首』を紹介し、これを暗記させることがよくある。これは、それぞれが和歌(5・7・5・7・7の31文字)なので暗唱しやすく、また、後述するように正月に遊戯として触れることも多いので、生徒にとってなじみがあるからである。また、短い和歌の中に掛詞などさまざまな修辞技巧が用いられ、副詞の呼応などの文法の例も含まれることから、古典の入門として適した教材だといえる。
かるた
『百人一首』は現在では歌集としてよりもかるたとしてのほうが知名度が高く、特に正月の風物詩としてなじみが深い。『百人一首』のかるたは歌がるたとも呼ばれるもので、現在では一般に以下のような形態を持つ。
百人一首かるたは、百枚の読み札と同数の取り札の計二百枚から成る。読み札と取り札はともに花札のように紙を張り重ねてつくられており、大きさは74×53mm程度であることが一般的である。札の構造、材質、裏面などは読み札と取り札では区別がない。読み札の表面には大和絵ふうの歌人の肖像(これは歌仙絵巻などの意匠によるもの)と作者の名、和歌が記されており、取り札にはすべて仮名書きで下の句だけが書かれている。読み札には彩色があるが、取り札には活字が印されているだけである点が大きく異なる。
かるたを製造している会社として有名なのは、京都の企業である任天堂、大石天狗堂、田村将軍堂で、現在ではこの3社がほぼ市場を寡占している。
江戸期までの百人一首は、読み札には作者名と上の句のみが、取り札には下の句が、崩し字で書かれており、現在のように読み札に一首すべてが記されていることはなかった。これは元来歌がるたが百人一首を覚えることを目的とした遊びであったためであり、江戸中期ごろまでは歌人の絵が付されていない読み札もまま見られる。また、現在でも北海道では、「下の句かるた」というやや特殊な百人一首が行われている。この「下の句かるた」に用いられるかるたでは、上の句は読まれず下の句だけが読まれ、取り札は厚みのある木でできており、表面に古風な崩し字で下の句が書いてある。江戸期の面影を残したかるたであると言える。
歌かるたが正月の風俗となったのは格別の理由があるわけではなく、もともとさまざまな折子供や若者が集まって遊ぶ際に百人一首がよく用いられたことによるものである。そのなかでも特に正月は、子供が遅くまで起きて遊ぶことをゆるされていたり、わざわざ百人一首のための会を行うことが江戸後期以降しばしば見られたりしたこともあり、現在ではこれが正月の風俗として定着しているものであろう。
百人一首を用いた主な遊び方には以下のようなものがある。
散らし取り(お散らし)
古くから行われた遊びかたのひとつで、あまり競争意識ははたらかない。以下のようなルールに従う。
- 読み手を選ぶ(ふつうは一人)。
- 読み札をまとめて読み手に渡し、取り札は百枚すべてを畳の上などに散らして並べる。
- 取り手は何人でもOK。みなで取り札のまわりを囲む。このとき不平等にならないように、取り札の頭はそれぞればらばらな方を向いているようにならなければならない。
- 読み手が読み札を適当に混ぜてから、札の順に歌を読み上げる。
- 歌が読み始められたら、取り手は取り札を探して取ってかまわない。
- 同時に何人もが同じ札をおさえた場合には、手がいちばん下にある人がこれを取る権利を持つ。
- 間違った札を取った場合(お手つき)には何らかの罰則が行われるが、源平のようにしっかりとした決まりごとはない。
- 百枚目を取ったところで終了。最も多くの札を取った人が勝ちである。
- 本来は読み札には上の句しか書いてなかったために、この遊びかたは百人一首を覚えるうえでも、札の取り合いとしても、それなりの意味があったのだが、現在では読み札に一首すべて書いてあるために、本来の意図は見失われている。ただし大人数で同時に遊ぶためには都合のいい遊びかたで、かつてのかるた会などではたいていこの方法に片寄っていた。
- お散らしに限らず、江戸時代までは読み手は作者の名前から順に読み上げ、上の句が終わったところで読むことをやめるのが常であったようだ。現在では作者名をはぶき、最後まで読んでしまう(なかなか取り手が取れない場合には下の句を繰りかえす)。読みかたに関しては上の句と下の句のあいだで間をもたせすぎるのはよくないとされるが、本来の遊び方からすればナンセンスな問題ともいえる。
逆さまかるた
本来の百人一首は上記である散らし取りが一般的であるが、この逆さまかるたは読み札(絵札)が取り札になり、下の句札(取り札)が読み札となるもの。このゲームの目的は「下の句を聞いて上の句を知る」ための訓練ゲームでもある。もちろん、多くの札を取った人が勝ちとなるが、取り札である読み札には漢字が混じるため視覚からくる思わぬ錯覚なども加わって、思わぬところで「お手付き」があるのもこのゲームの特徴である。
源平合戦
源平とは源氏と平氏のこと。二チームに分かれて団体戦を行うのが源平合戦の遊び方である。
- 散らし取り同様に絵札と字札を分け、読み手を一人選ぶ。
- 百枚の字札を五十枚ずつに分け、それぞれのチームに渡す。両チームはそれを3段に整列して並べる。
- 散らし取り同様に読まれた首の字札を取る。このとき相手のチームの札を取ったときは、自分のチームの札を一枚相手チームに渡す。これを「送り札」という。
- 先に札のなくなったチームの勝ちとなる。
- 北海道地方で行われる下の句かるた大会はほとんどがこのルールであり、民間でも一般的である。
リレーかるた
源平合戦と同じルールだが、取る人が順次交代する点で異なる。交代のタイミングは、自分のチームの札を相手に取られたとき、10枚読まれたときなど。
競技かるた
テンプレート:Main 社団法人全日本かるた協会の定めたルールのもとに行われる本格的な競技。毎年1月の上旬に滋賀県大津市にある近江神宮で名人戦・クイーン戦が開催される。名人戦は男子の日本一決定戦であり、クイーン戦は女子の日本一決定戦である。NHKBSで毎年生中継される。また、7月下旬には全国高等学校小倉百人一首かるた選手権大会が行われている。そのほか、全国各地でいろいろな大会が開催されている。
坊主めくり
上記の遊び方とは異なり、坊主めくりをする際には首は読まない。使用する札は読み札のみで、取り札は使用しない。百枚の絵札を裏返して場におき、各参加者がそれを一枚ずつ取って表に向けていくことでゲームが進む。多くのローカルルールが存在するが、多くで共通しているルールは以下のようなものである。
- 男性が描かれた札を引いた場合は、そのまま自分の手札とする。
- 坊主(ハゲと呼ぶこともまれにある)の描かれた札を引いた場合には、引いた人の手元の札を全て山札の横に置く。
- 女性の札(姫)を引いた場合には、引いた人がそれまでに山札の横に置かれていた札を全てもらう。
- 蝉丸の札を引いた場合、引いた人は一回休み。
裏向きに積まれた札の山がなくなるとゲーム終了。このとき最も多くの札を手元に持っていた参加者が勝者となる。
さまざまな地方ルール(ローカルルール)があり、例えば次のようなものが知られている。
- 山札の横に札が無い場合に、姫を引いた場合はもう1枚札をめくることができる。
- 天皇札(台座に縞模様がある札)を引いた際には、数枚引ける。
- 天皇を引いた際には、山札とその横の札を除き、すべての札が引いた人の手札となる。
- 段に人が乗っている札を引いた際、もう一枚めくることができる。
- 蝉丸が出た場合、全員の札を供託に置く。
青冠
坊主めくりと同様、首は読まず、読み札のみを使用し取り札は使用しない。4人で行い、全員に配られた札を向かい合った二人が協力して札をなくしていく。書かれた絵柄で、青冠、縦烏帽子、横烏帽子、矢五郎、坊主、姫となる。ただし、天智天皇と持統天皇は特殊で、天智天皇は全ての札に勝ち、また持統天皇は天智天皇以外に勝つ。絵の書いた人、時期によって、100枚のうちの絵柄の構成が変わるゲームである。
- 100枚の札を4人に全て配る
- 最初の人を決めそのひとが右隣の人に対して1枚手札から出す。
- 出された人は、同じ絵柄の札か、持統天皇、天智天皇の札を出して受ける(天智天皇はどの札も受けられないし、持統天皇は天智天皇のみで受けられる)。
- 受けることが出来た場合、受けた人が、右隣に1枚手札から出す。以下同様に続けていく。
- 受けることが出来なかった場合、何も出せずに右隣の人に順番が移る(最初に出した人の向かい側の人が出す)。
この手順を続け、最初に手札を無くした人のいるペアの勝ち。これを何回か行い勝敗を決める。
異種百人一首
小倉百人一首の影響を受けて後世に作られた百人一首。以下に代表的なものを挙げる。
- 『新百人一首』
- 足利義尚撰。小倉百人一首に採られなかった歌人の作を選定しているが、91番「従二位成忠女」は小倉の54番・儀同三司母(高階貴子)と同一人物。また、『百人秀歌』に見える権中納言国信も64番に入首(百人秀歌とは別の歌)。
- 『武家百人一首』
- 同名の物が複数ある。
- 『後撰百人一首』
- 19世紀初頭に成立。序文によれば二条良基の撰、中院関白顕実の補作とするが、後者の存在が疑わしいため成立年代は未定である。勅撰集だけでなく、『続詞花集』などの私撰集からも採録しているのが特徴。
- 『源氏百人一首』
- 天保10年(1839年)刊。黒沢翁満編。『源氏物語』に登場する人物の和歌を採録しているが、その数は123人。肖像をいれ、人物略伝、和歌の略注をのせる。和歌は松軒由靖、絵は棔斉清福の筆。
- 『烈女百人一首』
- 弘化4年(1847年)刊。緑亭川柳撰。英雄百人一首に対し、著名な女性の和歌を採録。
- 『義烈百人一首』
- 嘉永3年(1850年)刊。緑亭川柳撰。平安から江戸初期までの武将やその夫人等の和歌を採録。
- 『平成新選百人一首』
- 平成14年(2002年)刊。小倉百人一首,愛国百人一首と重複しないように和歌を採録。明成社から旧かなづかい、文藝春秋社から新かなづかいで出版という企画が巧妙。
- 『今昔秀歌百撰』
- 平成24年(2012年)刊。小倉百人一首,愛国百人一首,平成新選百人一首と重複しないように和歌を、一選者一歌人で101首採録。当初は寄贈だけで販売せず。
小倉百人一首関連作品
音楽
- 『八重衣』(地歌・箏曲) 石川勾当作曲、八重崎検校箏手付。百人一首より衣を詠んだ歌五種を選び、四季の順に配した手事物 地歌の大曲。「石川の三つもの」(三大名曲)の一つ。
- 『千鳥の曲』(箏曲・胡弓曲) 吉沢検校作曲。後唄に「淡路島通ふ千鳥の鳴く声に・・・」が採られている。
- 『LADY-GO-ROUND』(邦楽) 稲葉浩志作詞、松本孝弘作曲。歌詞の一部に「こひしかるべき」「神のまにまに」「わがなみだかな」の3フレーズが入っている。
- 『State of mind』(邦楽) 倉木麻衣作詞、大野愛果作曲。歌詞の一部に「天つ風雲の通ひ路吹きとぢよ・・・」の歌が入っている。
- AU by KDDI ラジオCM『百人一首篇』(全4曲)中島光一作曲、歌バニラビーンズ。2010年5月より放送。全歌詞が百人一首の歌からなる。
- 『さくら百人一首』(邦楽)Bose・RAM RIDER作詞、倉本美津留作曲、歌さくら学院。メンバーが一首ずつ選び各々その意味をラップ調で歌っている。
小説
漫画
- 小坂まりこ 『まんてん・いろは小町』 ちゃお、2008年3月 ~ 5月
- 竹下けんじろう 『かるた』 少年チャンピオン・コミックス
- 末次由紀 『ちはやふる』 BE LOVE連載中
- 杉田圭 『超訳百人一首 うた恋い。』 メディアファクトリー
- 真柴真 『詠う!平安京』 Gファンタジー
落語
ゲーム
テレビ番組
- 三枝の国盗りゲーム(坊主めくりが出てくる)
テレビドラマ
検定
- 『小倉検定問題集』 小倉検定協会編
脚注
関連項目
- 小倉百人一首の歌人の一覧
- 小倉検定協会
- 小倉百人一首文化財団
- 時雨殿(小倉百人一首文化財団が運営するテーマパーク)
- 東洋大学現代学生百人一首
- 百人一首一夕話
- 丸谷才一(『新々百人一首』を上梓)
- 林直道(百人一首の研究者、共通した札ごとに並べると風景をイメージさせる事に気づいた歌織物説)
- 五人一首
- 宝塚歌劇団(創立当初、劇団員の芸名は百人一首にちなんだ名がつけられていた)
- フレデリック・ヴィクター・ディキンズ