13世紀
13世紀(じゅうさんせいき)は、西暦1201年から西暦1300年までの100年間を指す。
13世紀の歴史
モンゴル帝国全盛(Pax Mongolica)
13世紀は、チンギス・ハーンの興したモンゴル帝国がユーラシア大陸の大半を支配したため、モンゴルの世紀と呼ばれる。モンゴル帝国は交易を奨励、保護しユーラシア大陸を陸路、海路で結ぶ一大交易網が成立した(シルクロードの発展)。ユーラシア各地を多くの技術や情報が行き交い、大きな世界史の転換期となった。
ジャワ島では、シンガサリ王国が東部から興ってクディリ王国を倒したが、モンゴル帝国(元)のクビライの遠征軍の派兵により、内部で混乱し滅亡した。しかし、元の遠征軍も内紛の一部勢力と手を結んだが、最後には裏切りに遭いジャワ島より敗退する(1292年、マジャパヒト王国成立)。12世紀に中国を二分した金と南宋は元により滅ぼされた。また、日本も2度にわたる元の侵攻(元寇)に遭ったがこれを撃退している。
十字軍勢力は衰退へ
第6回十字軍に赴いた神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世は、アイユーブ朝のスルタンアル=カーミルとの交渉によってエルサレムの譲渡を認めさせたが、10年余りで再びイスラム勢力により陥落した(以後、20世紀までエルサレムはイスラムの支配下に置かれる)。その後も十字軍の遠征は行なわれたが、レバントにおける十字軍国家は縮小の一途をたどり、1291年には最後の拠点アッコを失ってエルサレム王国も滅亡、パレスチナ全域がイスラム勢力下に入った。
マグナ・カルタ成立
イングランド王国では、国王の権限を制限するマグナ・カルタが制定された。その後、この憲章は廃止されないまま忘れ去られており中世の時代の中でほとんど影響力を失うが、国王と議会の対立が激しさを増す17世紀に再度注目されることとなる。清教徒革命やアメリカ合衆国建国の際にもマグナ・カルタが引用され、現在のイギリス憲法を構成する前文にも残っている。
できごと
- 1202年 - フランス王フィリップ2世がイングランド王ジョンの大陸領土没収を宣言。
- 1202年 - 教皇インノケンティウス3世が勧請した第4回十字軍がヴェネツィアに集結。
- 1203年 - インド仏教の中心地だったヴィクラマシーラ寺院がイスラーム軍に破却される(いわゆるインド仏教の滅亡)。
- 1203年 - 源実朝、鎌倉幕府将軍となる。第2代将軍源頼家、伊豆に幽閉される。北条時政が初代執権に就任。
- 1204年 - 第4回十字軍が東ローマ帝国の首都コンスタンティノポリスを攻撃し占領。ラテン帝国が成立し、東ローマ帝国はいったん断絶( - 1261年)。
- 1204年 - 伊賀・伊勢平氏の叛乱(三日平氏の乱)。頼家殺される。
- 1205年 - 藤原定家ら『新古今和歌集』編纂。
- 1205年 - 北条義時が鎌倉幕府第2代執権に就任。
- 1206年 - チンギス・ハーンがモンゴルを統一。
- 1206年 - 南宋の韓侂冑が金への北伐を行う(開禧北伐)。
- 1206年 - インド北部で奴隷王朝が成立。
- 1206年 - テューリンゲン方伯の宮廷で「ヴァルトブルクの歌合戦」が開かれる。
- 1207年 - 南宋の韓侂冑が暗殺される。
- 1208年 - 南宋と金の嘉定の和議。
- 1209年 - 教皇インノケンティウス3世が小さき兄弟会(フランシスコ会)を認可。
- 1209年 - 教皇インノケンティウス3世がイングランド王ジョンを破門する。
- 1209年 - フランス王フィリップ2世によるアルビジョア十字軍始まる( - 1229年)。
- 1210年 - 土御門天皇が譲位し、第84代順徳天皇が即位。
- 1212年 - ナバス・デ・トロサの戦いでアルフォンソ8世のカトリック連合軍がムワッヒド朝揮下のイスラム連合軍を破る。
- 1212年 - 少年十字軍。
- 1212年 - ブーヴィーヌの戦いでフランス王フィリップ2世がイングランド王ジョンに勝利。
- 1215年 - 第4ラテラン公会議。
- 1215年 - イングランド王国でマグナ・カルタが制定される。
- 1216年 - 教皇ホノリウス3世が説教者修道会(ドミニコ会)を認可。
- 1217年 - ジャン・ド・ブリエンヌらによる第5回十字軍。
- 1218年 - モンゴルにカラ・キタイ(西遼)が滅ぼされる。
- 1218年 - オトラル事件により、モンゴルの通商使節団がホラズム朝に虐殺される。
- 1219年 - 鎌倉幕府第3代将軍源実朝が暗殺され、源氏の嫡流が途絶える。
- 1220年 - モンゴルにホラズム朝が滅ぼされる。
- 1220年 - 慈円が『愚管抄』を著す。
- 1221年 - 順徳天皇が譲位し、第85代仲恭天皇が即位。
- 1221年 - 承久の乱。
- 1222年 - 仲恭天皇が退位し、第86代後堀河天皇が即位。
- 1224年 - 北条泰時が鎌倉幕府第3代執権に就任。
- 1225年 - アイケ・フォン・レプゴーにより『ザクセンシュピーゲル(ザクセン法鑑)』が編纂される。
- 1226年 - 藤原頼経が鎌倉幕府第4代将軍となる。
- 1226年 - リミニの金印勅書で、ドイツ騎士団のプロイセン征服と領有が認められる。
- 1226年 - 教皇ホノリウス3世がカルメル会を認可。
- 1227年 - モンゴルに西夏が滅ぼされる。チンギス・ハーン死去によりオゴデイが後を継ぐ。
- 1228年 - 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世による第6回十字軍が談判によりエルサレムを取得。
- 1231年 - 寛喜の大飢饉。
- 1232年 - 後堀河天皇が譲位し、第87代四条天皇が即位。
- 1232年 - 御成敗式目ができる。
- 1234年 - モンゴルに金が滅ぼされる。
- 1234年 - 南宋の皇帝理宗が真徳秀らを登用し政治改革を行う(端平更化)。
- 1235年 - モンゴルの首都カラコルムが建設される。
- 1235年 - 神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世による「マインツのラント平和令(帝国平和令)」。
- 1236年 - カスティーリャがイスラム支配下のコルドバを奪取。
- 1238年 - タイでスコータイ王朝成立。
- 1240年 - マリ帝国成立。
- 1240年 - ネヴァ河畔の戦いでノヴゴロド公アレクサンドル・ネフスキーがスウェーデン軍を破る。
- 1240年 - モンゴルのバトゥがキエフを制圧しキエフ大公国が滅亡。この時期までにルーシ各地がモンゴルの支配下におかれる(タタールの軛)。
- 1241年 - ワールシュタットの戦いでモンゴルのバトゥがドイツ・ポーランド諸侯連合軍を破る。
- 1241年 - リューベックとハンブルクと間に商業同盟が結ばれる(ハンザ同盟の起こり)。
- 1242年 - 四条天皇が没し、第88代後嵯峨天皇が即位。
- 1242年 - 北条経時が鎌倉幕府第4代執権に就任。
- 1242年 - チュドー湖上の戦い(氷上の戦い)でノヴゴロド公アレクサンドル・ネフスキーがドイツ騎士団を破る。
- 1243年 - クメール朝カンボジアでジャヤーヴァルマン8世が即位し廃仏政策を行う( - 1295年)。
- 1244年 - 藤原頼嗣が鎌倉幕府第5代将軍となる。
- 1244年 - エルサレムが再びアイユーブ朝に奪回される。
- 1245年 - 第1リヨン公会議。この会議の決定でプラノ・カルピニがモンゴル帝国へ派遣される。
- 1245年 - フランドル女伯マルグリット2世がベギン会修道院を創設。
- 1246年 - 後嵯峨天皇が譲位し、第89代後深草天皇が即位。
- 1246年 - 北条時頼が鎌倉幕府第5代執権に就任。
- 1248年 - フランス国王ルイ9世による第7回十字軍。
- 1249年 - アルガルヴェ地方のシルヴェスとファロを奪還し、ポルトガルのレコンキスタが終了。
- 1250年 - エジプトにマムルーク朝成立。
- 1250年 - スウェーデン王ビルイェル・ヤール、フィンランド遠征(北方十字軍)。
- 1250年 - マンスーラの戦いでフランス王ルイ9世が捕虜になる。エジプトでマムルーク朝が成立。
- 1252年 - 宗尊親王が鎌倉幕府第6代将軍となる。
- 1252年 - 高徳院大仏(鎌倉大仏)が着工される。
- 1253年 - フランス国王ルイ9世の命でウィリアム・ルブルックがモンゴル帝国に派遣される。
- 1254年 - 神聖ローマ皇帝コンラート4世死去によるホーエンシュタウフェン朝断絶。大空位時代を迎える。
- 1256年 - 北条長時が鎌倉幕府第6代執権に就任。
- 1256年 - 教皇アレクサンデル4世により各地の隠修士団体が統合され聖アウグスティノ修道会が成立する。
- 1257年 - アラムート城砦のニザール派がモンゴルに降伏。
- 1258年 - モンゴルのフレグがバグダードへ入城し、アッバース朝を滅ぼす。
- 1258年 - シモン・ド・モンフォールらが国王ヘンリー3世にオックスフォード条項を認めさせる。翌1259年にウェストミンスター条項に拡大される。
- 1259年 - モンケが合州城近郊の釣魚山にて陣没。
- 1259年 - 後深草天皇が譲位し、第89代亀山天皇が即位。
- 1259年 - 崔氏政権が倒れ、高麗がモンゴルに降伏。
- 1260年 - クビライが開平府にて即位し、カラコルムのアリクブケと帝位を争い内戦になる。
- 1260年 - 元で基本通貨となる交鈔「中統元宝交鈔(中統鈔)」が発行される。
- 1260年 - マムルーク朝、モンゴル軍をアイン・ジャールートの戦いで破る。
- 1260年 - フランスのシャルトル大聖堂が竣工し献堂式が行われる。
- 1261年 - 東ローマ帝国の亡命政権ニカイア帝国がコンスタンティノポリスを奪回。東ローマ帝国復活。
- 1262年 - ベルケ・フレグ戦争。
- 1264年 - アリクブケがクビライに投降し、年号が至元と改まる。
- 1264年 - 北条政村が鎌倉幕府第7代執権に就任。
- 1264年 - ポーランドでカリシュの法令発布。
- 1266年 - 惟康親王が鎌倉幕府第7代将軍となる。
- 1266年 - ベネヴェントの戦いでマンフレーディが戦死。
- 1268年 - 北条時宗が鎌倉幕府第8代執権に就任。
- 1268年 - タリアコッツォの戦いでコッラディーノが敗北し処刑される。
- 1269年 - マリーン朝がムワッヒド朝を滅ぼす。
- 1270年 - フランス国王ルイ9世による第8回十字軍。ルイ9世はチュニスで熱病にかかり死去。
- 1270年 - パリ司教エティエンヌ・タンピエによる13命題の異端宣言。
- 1271年 - クビライが大都を首都と定め、国号を大元(元)と称した。
- 1273年 - ハプスブルク家のルドルフ1世が神聖ローマ帝国君主に選ばれ、大空位時代終わる。
- 1273年 - モンゴルが済州島(耽羅)を征服し、三別抄の乱が鎮圧される。
- 1273年 - モンゴルが襄陽・樊城の戦いで南宋の呂文煥を降伏させる。
- 1274年 - 第2リヨン公会議。
- 1274年 - 文永の役。
- 1275年 - 北条時宗が元のクビライが送った使者を鎌倉で切る。
- 1276年 - 博多湾に沿って防塁を築く。
- 1276年 - 元が南宋の首都臨安(杭州)を陥落させる。
- 1277年 - パリ司教エティエンヌ・タンピエによる219命題の異端宣言。
- 1278年 - マルヒフェルトの戦いで神聖ローマ皇帝ルドルフ1世がベーメン王オタカル2世に勝利。
- 1279年 - 元が南宋を涯山の戦いで滅ぼし、150年ぶりに中国を統一する。
- 1279年 - 北条時宗が元のクビライが送った使者を再度斬首する。
- 1279年 - チョーラ朝とホイサラ朝の連合軍がパーンディヤ朝軍に敗北し、チョーラ朝は滅亡。
- 1281年 - 亀山天皇が譲位し、第90代後宇多天皇が即位。
- 1281年 - 弘安の役。
- 1282年 - シチリアの晩禱事件。
- 1284年 - 北条貞時が鎌倉幕府第9代執権に就任。
- 1284年 - ドイツ・ハーメルンで約130人の子供が集団失踪(「ハーメルンの笛吹き男」伝説のおこり)。
- 1287年 - 後宇多天皇が譲位し、第91代伏見天皇が即位。
- 1287年 - パガンの戦いで元がパガン朝を滅ぼす。
- 1287年 - 元でナヤン・カダアンの乱( - 1292年)。
- 1288年 - 白藤江の戦いで陳朝ベトナムが元朝に勝利。
- 1289年 - 久明親王が鎌倉幕府第8代将軍となる。
- 1291年 - マムルーク朝が十字軍の最後の拠点のアッコを陥落させる。
- 1291年 - ウーリ・シュヴィーツ・ウンターヴァルデンの三州による原初同盟が結ばれる(スイス連邦の始まり)。
- 1293年 - 九州に鎮西探題を置く。
- 1293年 - 鎌倉大地震。この地震の混乱で平頼綱が誅殺される(平禅門の乱)。
- 1294年 - ヴィジャヤが元朝をジャワから追い払い、マジャパヒト王国を建てる。
- 1294年 - クビライが没し、テムルがモンゴル帝国(元)の第6代大ハーンに就く。
- 1294年 - 宣教師ジョヴァンニ・ダ・モンテコルヴィーノが大都に到着。
- 1295年 - バイドゥを倒したガザン・ハン(前年にイスラム教に改宗)がイルハン国の君主となる。
- 1295年 - イングランド王エドワード1世による模範議会が招集される。
- 1295年 - マルコ・ポーロ、ヴェネツィアに帰国する。
- 1295年 - クメール朝カンボジアのジャヤーヴァルマン8世が崇仏派のインドラヴァルマン3世により暗殺される。
- 1296年 - イングランド王エドワード1世がスコットランドよりスクーンの石を奪う。
- 1296年 - 元の使節周達観がクメール朝カンボジアを来訪。
- 1297年 - 鎌倉幕府が永仁の徳政令を出す。
- 1298年 - 伏見天皇が譲位し、第92代後伏見天皇が即位。
- 1299年 - オスマン帝国成立。
- 1300年頃 - スウェーデンによるフィンランド遠征(北方十字軍の完了)。
人物
モンゴル世界
- チンギス・ハーン(1167年 - 1227年) - モンゴル帝国の創始者(在位1206年 - 1227年)
- ジョチ(1177年/1184年? - 1225年)- チンギス・ハーンの長男・キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)の祖
- チャガタイ(1185年/1186年? - 1242年) - チンギス・ハーンの次男・チャガタイ・ハン国(チャガタイ・ウルス)の祖
- オゴデイ(1186年 - 1241年) - モンゴル帝国の第2代ハーン(在位1229年 - 1241年)
- グユク(1206年 - 1248年) - モンゴル帝国の第3代ハーン(在位1246年 - 1248年)
- バトゥ(1207年 - 1256年) - キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)のハン(在位1225年 - 1256年)・ロシアや東欧を制圧
- モンケ(1209年 - 1259年) - モンゴル帝国の第4代ハーン(在位1251年 - 1259年)
- クビライ (1215年 - 1294年) - モンゴル帝国第5代ハーン(在位1260年 - 1294年)・中国元朝(大元ウルス)の創始者
- フレグ(1218年 - 1265年) - イル・ハン国(フレグ・ウルス)の創始者(在位1260年 - 1265年)・アッバース朝を滅ぼす
- アリクブケ(? - 1266年) - クビライの弟・クビライと帝位を争う(モンゴル帝国帝位継承戦争)
- カイドゥ(? - 1301年) - オゴデイの孫・クビライに対し反乱を起こす(カイドゥの乱)
- アタカイ(1234年 - 1289年) - 元の将軍・日本討伐軍の総司令官・東路軍と江南軍を編成して戦うが敗北する
- バヤン(1236年 - 1294年) - 元の将軍・クビライの重臣・南宋討伐軍の総司令官として臨安を降伏させる
- ガザン(1271年 - 1304年) - イル・ハン国(フレグ・ウルス)の第7代君主(在位1295年 - 1304年)・イスラム教に改宗
- ラッバーン・バール・サウマ(1220年代 - 1294年) - ネストリウス派キリスト教(景教)の聖職者・元朝からヨーロッパ諸国を歴訪
イスラム世界
- アッタール(1140年代頃 - 1221年頃) - ペルシアの神秘主義詩人・代表作に『鳥の言葉』『神秘主義聖者列伝』がある
- イブン・アスィール(1160年 - 1233年) - ザンギ―朝に仕えた歴史家・『完史』『アターベク王朝における輝かしき歴史』の著作がある
- イブン・アル・アラビー(1165年 - 1240年) - アンダルシア出身のイスラム神秘主義者・「存在一性論」を提唱
- アイバク(? - 1210年) - デリー・スルターン朝の奴隷王朝の創始者で初代スルターン(在位1206年 - 1210年)
- ムハンマド・ナースィル(? - 1213年) - ムワッヒド朝の第4代アミール(在位1198年 - 1213年)・ナバス・デ・トロサの戦いで敗北
- ジャラールッディーン・メングベルディー(? - 1231年) - ホラズム・シャー朝の第8代スルタン(在位1220年 - 1231年)・モンゴル軍の西征に抵抗
- ファリドゥッディーン・ガニシャカル(1173年 - 1266年) - インドのイスラム神秘主義者・イスラム教とヒンドゥー教の融和思想の基礎を築く
- アル=カーミル(1180年 - 1238年) - アイユーブ朝の第5代スルタン(在位1218年 - 1238年)・エルサレムを一時十字軍に返還
- サアディー(1184年? - 1291年?) - ペルシアの神秘主義詩人・『果樹園』『薔薇園』の著者・サアディー廟も有名
- イブン・アルバイタール(1188年 - 1248年) - アンダルシア出身の医師・植物学者。アル=カーミルに仕え『薬と栄養全書』ほかを執筆
- ムハンマド1世(1191年 - 1272年) - ナスル朝の初代君主(在位1238年 - 1272年)・グラナダに勢力を確立
- ナスィールッディーン・トゥースィー(1201年 - 1274年) - ペルシアの学者・『ナースィルの倫理学』や『イルハン天文表』がある
- サーリフ(1201年 - 1249年) - アイユーブ朝の第7代スルターン(在位1240年 - 1249年)・エルサレムを十字軍から奪還
- ラズィーヤ(1205年 - 1240年) - デリー・スルターン朝の奴隷王朝の第4代スルターン(女性でスルターナ)(在位1236年 - 1240年)
- ルーミー(1207年 - 1273年) - ペルシアの神秘主義詩人・『シャムセ・タブリーズ詩集』の著者・メヴレヴィー教団の開基
- シャジャル・アッ・ドゥッル(? - 1257年) - アイユーブ朝スルタンのサーリフの夫人・マムルーク朝の初代スルタン(在位1250年)
- ムスタアスィム(1212年 - 1258年) - バグダードのアッバース朝最後(第37代)のカリフ(在位1242年 - 1258年)
- イブン・アル・ナフィス(1213年 - 1288年) - シリア生まれの医師・代謝の概念をまとめあげ「循環理論の父」と呼ばれる
- バイバルス(? - 1277年) - マムルーク朝の第5代スルタン(在位1260年 - 1277年)・十字軍やモンゴル軍を撃退した英雄
- アブー・ユースフ・ヤアクーブ(? - 1286年) - マリーン朝の君主(在位1259年 - 1286年)・ムワッヒド朝を滅ぼし「戦闘王」と呼ばれる
- ジュヴァイニー(1226年 - 1283年) - イルハン朝の政治家・歴史家・歴史書『世界征服者の歴史』の著者
- アシュラフ・ハリール(? - 1293年) - マムルーク朝の第9代スルタン(在位1290年 - 1293年)・十字軍の最後の要衝アッコを奪取
- アミール・ホスロー(1253年 - 1325年) - デリー・スルターン朝の諸王朝に仕えた詩人・宗教歌謡カッワーリーの祖で「インドの鸚鵡」と呼ばれる
- イブン・タイミーヤ(1263年 - 1328年) - マムルーク朝の神学者・ハンバル派法学者・イスラム神秘主義を批判
- ジャラールッディーン・ハルジー(? - 1296年) - デリー・スルターン朝のハルジー朝の創始者で初代スルターン(在位1290年 - 1296年)
アフリカ
- ゲブレ・メスケル・ラリベラ(生没年不詳) - エチオピアのザグウェ朝の王(在位13世紀前半)・ラリベラの岩窟教会群を建設
キリスト教世界
東ローマ帝国・ラテン帝国・ニカイア帝国
- アレクシオス4世アンゲロス(1182年 - 1204年) - 東ローマ皇帝(在位1203年 - 1204年)・第4回十字軍により帝位に就くが内紛で戦死
- ボードゥアン1世(1172年 - 1205年) - ラテン帝国の初代皇帝(在位1204年 - 1205年)・ブルガリア帝国との戦いで捕虜となり獄死
- テオドロス1世ラスカリス(1175年頃 - 1222年) - ニカイア帝国の初代皇帝(在位1205年 - 1222年)・第4回十字軍を逃れ亡命政権樹立
- エンリコ・ダンドロ(1107年? - 1205年) - ヴェネツィア共和国元首・第4回十字軍を東ローマ帝国に方向転換させる
- ジョフロワ・ド・ヴィルアルドゥアン(1150年頃 - 1218年頃) - 歴史家・第4回十字軍に従軍し『コンスタンティノポリス征服記』を執筆
- ジャン・ド・ブリエンヌ(1148年 - 1237年) - エルサレム王(在位1210年 - 1212年)・ラテン帝国皇帝(在位1231年 - 1237年)
- ニケタス・コニアテス(1150年 - 1213年) - 東ローマ帝国の政治家・第4回十字軍に遭遇して亡命・歴史家として『年代記』を執筆
- ゲオルギオス・アクロポリテス(1217年 - 1282年) - 東ローマ帝国の帝都大学総長・第2リヨン公会議に出席・歴史家として『年代記』を執筆
- ミカエル8世(1224年 - 1282年) - 東ローマ皇帝(在位1261年 - 1282年)・ラテン帝国を滅ぼしパレオロゴス朝の創始者となる
- グレゴリオス・パキュメレス(1242年 - 1310年) - 東ローマ帝国の学者・アクロポリテスの著作を継ぐ『歴史』を書く・東西教会合同には反対
東欧・カフカス
- タマル・バグラティオニ(1160年? - 1213年) - グルジアの女王(在位1184年 - 1213年)・セルジューク朝を駆逐しグルジア全盛を現出
- カロヤン・アセン(1168年/1169年 - 1207年) - 第二次ブルガリア帝国の皇帝(在位1197年 - 1207年)・ラテン帝国に勝利を収める
- ヘンリク2世(1196年頃 - 1241年) - ピャスト朝のポーランド大公(在位1238年 - 1241年)・ワールシュタットの戦いで戦死
- アレクサンドル・ネフスキー(1220年 - 1263年) - ノヴゴロド公・ウラジーミル大公(在位1252年 - 1263年)・中世ロシアの英雄
- オタカル2世(1230年? - 1278年) - プシェミスル朝のボヘミア王(在位1253年 - 1278年)・ルドルフ1世と神聖ローマ皇帝位を争い戦死
イタリア
- インノケンティウス3世(1161年 - 1216年) - ローマ教皇(在位1198年 - 1216年)・教皇権全盛期の教皇・ジョン王を屈服させる
- グレゴリウス9世(1143年? - 1241年) - ローマ教皇(在位1227年 - 1241年)・十字軍をめぐるフリードリヒ2世との確執で有名
- レオナルド・フィボナッチ(1170年頃 - 1250年頃) - イタリアの数学者・『算盤の書』でアラビア数字のシステムをヨーロッパに導入
- ジャコモ・ダ・レンティーニ(? - 1250年) - シチリア派の詩人・フリードリヒ2世の宮廷では公証人として活躍・ソネット(十四行詩)の創始者
- アッシジのフランチェスコ(1182年 - 1226年) - イタリアの修道士・フランシスコ会(小さき兄弟の修道会)の創設者
- プラノ・カルピニ(1182年 - 1252年) - フランシスコ会士・教皇インノケンティウス4世によってモンゴル帝国に派遣される
- アッシジのキアラ(1194年 - 1253年) - フランシスコ会女子修道会キアラ(クララ)会の創設者・「もう一人のフランチェスコ」と呼ばれる
- パドヴァのアントニオ(1195年 - 1231年) - ポルトガル生まれのフランシスコ会士・神学者・説教に優れ死後は教会博士となる
- ジョヴァンニ・ダ・プロチダ(1210年 - 1298年) - 皇帝フリードリヒ2世の侍医・アラゴンや東ローマと組みシチリアの晩禱事件を画策したか
- ブルネット・ラティーニ(1210年頃 - 1294年) - フィレンツェの政治家・詩人・ダンテの師・当時の知識を網羅した百科全書『宝典』を編纂
- ボナヴェントゥラ(1221年? - 1274年) - 神学者・枢機卿・フランシスコ会総長・熾天使博士・著作に『精神の神への道程』ほかがある
- トマス・アクィナス(1225年頃 - 1274年) - 神学者・哲学者・ドミニコ会士・天使博士・『神学大全』で盛期スコラ学を代表
- シャルル・ダンジュー(1227年 - 1285年) - シチリア王(在位1266年 - 1282年)・後にナポリ王(在位1282年 - 1285年)
- ヤコブス・デ・ウォラギネ(1230年? - 1298年) - ジェノヴァの大司教・説教者・年代記作家・中世有数の聖人伝『黄金伝説』を執筆
- チマブーエ(1240年 - 1302年) - フィレンツェのゴシック期の画家・弟子ジョットの才能を見抜いた逸話でも知られる
- マルコ・ポーロ(1254年 - 1324年) - ヴェネツィア商人・旅行家でモンゴル帝国各地を歴訪・『世界の記述(東方見聞録)』の著者
イベリア半島
- アルフォンソ8世(1155年 - 1214年) - カスティーリャ王(在位1158年 - 1214年)・ナバス・デ・トロサの戦いでムワッヒド朝に大勝
- ドミニコ・デ・グスマン(1170年 - 1221年) - スペインの修道士・ドミニコ会(説教者兄弟会)の創設者
- ハイメ1世(征服王)(1208年 - 1276年) - アラゴン王(在位1213年 - 1276年)・イスラム領のバレアレス諸島やバレンシアを征服
- アルフォンソ10世(賢王)(1221年 - 1284年) - カスティーリャ国王(在位1251年 - 1282年)・『アルフォンソ天文表』の編纂などで有名
- ペドロ3世(1239年 - 1285年) - アラゴン王(在位1276年 - 1285年)・シチリア王女と結婚・シチリアの晩禱事件でシチリア王となる
- モーシェ・デ・レオン(1250年 - 1305年) - カスティーリャのユダヤ教徒ラビ・カバリスト・『柘榴の書』『ゾーハル』の著作がある
フランス
- トゥールーズ伯レーモン6世(1156年 - 1222年) - 南フランスの諸侯・フランス国王によるアルビジョワ十字軍に対抗する
- ヴィラール・ド・オヌクール(活躍時期1230年 - 1250年頃) - フランスの建築家・残された画帖はゴシック様式の貴重な文献
- ブランシュ・ド・カスティーユ(1188年 - 1252年) - フランス王ルイ8世の王妃・息子ルイ9世の幼少期と十字軍の不在の時期に摂政を務める
- ヴァンサン・ド・ボーヴェ(1190年頃 - 1264年) - フランスのドミニコ会士・中世随一の百科全書「大いなる鏡」三部作を執筆
- ロベール・ド・ソルボン(1201年 - 1274年) - フランスの司祭・神学部の学生のための学寮を設置・後年その名が「ソルボンヌ大学」に転じる
- ルイ9世(聖王)(1214年 - 1270年) - フランス国王(在位1226年 - 1270年)・第7回十字軍と第8回十字軍を指揮
- ウィリアム・ルブルック(1220年? - 1293年?) - フランシスコ会士・聖王ルイ9世によってモンゴル帝国に派遣される
- ジャン・ド・ジョアンビル(1224年 - 1317年) - フランスの伝記作家・第8回十字軍に従軍しルイ9世の伝記『聖王ルイの生涯』を執筆
イングランド
- ジョン(欠地王) (1167年 - 1216年) - イングランド王(在位1199年 - 1216年)・大陸領土を喪失・教皇に破門される・大憲章を承認
- ロバート・グロステスト(1175年? - 1253年) - イングランドのリンカーン司教・オックスフォード大学総長・光学や自然哲学に貢献
- ヘンリー・ブラクトン(? - 1268年) - イングランドのローマ法学者で聖職者・「国王といえども神と法の下にある」の句は有名
- シモン・ド・モンフォール(1208年 - 1265年) - イングランド貴族(第6代レスター伯)・国王ヘンリー3世に対抗し議会を整備
- ロジャー・ベーコン(1214年 - 1294年) - イングランドの哲学者・神学者・驚嘆博士・近代科学の先駆者とされる
- ルウェリン・アプ・グリフィズ(1228年頃 - 1282年) - イングランド王エドワード1世による征服以前のウェールズ独立時代最後の公
- エドワード1世(長脛王)(1239年 - 1307年) - イングランド王(在位1272年 - 1307年)・ウェールズを征服・模範議会を開く
スコットランド
- アレグザンダー2世 (1189年 - 1249年) - アサル朝のスコットランド王(在位1214年 - 1249年)・ヨーク条約で国境を画定
- アレグザンダー3世 (1241年 - 1286年) - アサル朝最後のスコットランド王(在位1249年 - 1286年)・ヘブリディーズ諸島を獲得
- マーガレット (1283年 - 1290年)- スコットランド女王(在位1286年 - 1290年)・アレグザンダー3世の外孫・夭折し王統は断絶
- ジョン・ベイリャル (1250年 - 1315年) - スコットランド王(在位1292年 - 1296年)・イングランドに敗北しスクーンの石を奪われる
神聖ローマ帝国
- ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ(1160年/1180年頃 - 1220年以後) - 詩人・叙事詩『パルツィヴァール』やミンネザングで有名
- アルベルトゥス・マグヌス(1193年頃 - 1280年) - 神学者・哲学者・ドミニコ会士・普遍博士・トマス・アクィナスの師・錬金術でも有名
- フリードリヒ2世(1194年 - 1250年) - ホーエンシュタウフェン朝の神聖ローマ皇帝(在位1215年 - 1250年)・第6回十字軍に参加
- ルドルフ1世(1218年 - 1291年) - ハプスブルク家における最初の神聖ローマ帝国君主(ドイツ王)(在位1273年 - 1291年)
- エリーザベト(1207年 - 1231年) - ハンガリー王女・テューリンゲン方伯ルートヴィヒ4世の妻・修道女となり死後列聖される
- マクデブルクのメヒティルト(1210年 - 1279年) - ベギン会の女性・後にヘルフタ修道院に身を寄せる・神秘家・著作に『神性の流れる光』がある
- ハッケボルンのメヒティルト(1240年/1241年 – 1298年/1299年) - ヘルフタ修道院の修道女・神秘家・著作に『特別な恩寵の書』がある
- ヘルフタのゲルトルード(1256年 - 1302年) - ヘルフタ修道院の修道女・神秘家・著作に『神の愛の使者』があり大ゲルトルードと呼ばれる
北欧
- スノッリ・ストゥルルソン(1178年/1179年 - 1241年) - アイスランドの政治家・歴史家・『ヘイムスクリングラ』『スノッリのエッダ』を執筆
- ビルイェル・ヤール(? - 1266年) - スウェーデンの政治家・北方十字軍を指揮・息子ヴァルデマールを国王に擁立しフォルクンガ朝の祖となる
南アジア・チベット・東南アジア
- シャキャーシュリーバトラ(1127年 - 1225年) - インドのヴィクラマシーラ寺院最後の学頭・寺院破却後はチベットに亡命し仏教を伝える
- サキャ・パンディタ(1182年 - 1251年) - チベットのサキャ派の座主・シャーキャシュリーパドラの法を継ぐ・パクパは甥
- パクパ(パスパ)(1235年 - 1280年) - チベットのサキャ派の座主・元のクビライに招請され帝師となりパスパ文字を作成
- ジャヤーヴァルマン8世(? - 1295年) - カンボジアのクメール朝第22代国王(在位1243年 - 1295年)・廃仏を行う・周達観が来訪
- ラームカムヘーン(大王)(1239年 - 1317年) - タイのスコータイ朝第3代国王(在位1277年 - 1317年)・タイ文字作成・上座部仏教を導入
東アジア
南宋・金・元
- 丘長春(長春真人)(1148年 - 1227年) - 金末期からモンゴル帝国初期の全真教の道士
- 韓侂冑(1152年 - 1207年) - 南宋の宰相・慶元の党禁で活躍・開禧の北伐に失敗し処刑される
- 馬遠(生没年不詳) - 南宋は寧宗時代の画家・夏珪と並ぶ院体画に属する・代表作に「洞山渡水図」がある
- 夏珪(生没年不詳) - 南宋は寧宗時代の画家・馬遠と並ぶ院体画に属する・代表作に「溪山清遠図巻」がある
- 史弥遠(1164年 - 1233年) - 南宋の宰相・韓侂冑を倒し金と和議を結ぶ(嘉定の和議)・寧宗没後に理宗を擁立
- 真徳秀(1178年 - 1235年) - 南宋の政治家・皇帝理宗の側近として政治改革(端平更化)を行うが頓挫する
- 無準師範(1178年 - 1249年) - 南宋の禅僧(仏鑑禅師)・中国五山第一万寿寺の住持・弟子に無学祖元や牧谿がいる
- 無門慧開(1183年 - 1260年) - 南宋の禅僧(仏眼禅師)・杭州の霊洞山護国仁王寺住持・公案集でもある『無門関』を編纂
- 張即之(1186年 - 1266年) - 南宋の官僚・書家・代表作に楷書「金剛般若波羅蜜経」がある・日本の禅林にも招来される
- 耶律楚材(1190年 - 1244年) - モンゴル帝国の官僚・遼の契丹族の末裔・戸籍や税制で功績があったか
- 郭侃(? - 1277年) - モンゴル帝国の将軍・フレグの西征やバグダードの戦いで活躍・後にフレグを離れフビライに仕える
- 賈似道(1213年 - 1275年) - 南宋末期の宰相・度宗のもとで専権を極める・モンゴル南宋戦争で敗退し失脚
- 蘭渓道隆(1213年 - 1278年) - 南宋から日本に渡来した禅僧(無明慧性の弟子)・鎌倉建長寺開山
- 無学祖元(1226年 - 1286年) - 南宋から日本に渡来した禅僧(無準師範の弟子)・鎌倉円覚寺開山
- 牧谿(生没年不詳) - 南宋の禅僧(無準師範の弟子)・水墨画家・「瀟湘八景図巻」などが日本に招来される
- 呉自牧(生没年不詳) - 南宋の文人・首都臨安の記録である『夢梁録』を執筆
- 謝枋得(1226年 - 1289年) - 南宋末期の政治家・学者・元には仕えずに唐宋の文章から『文章軌範』を撰述
- 曾先之(生没年不詳) - 南宋末期の学者・元には仕えずに正史の要約本『十八史略』を執筆
- 呂文煥(生没年不詳) - 南宋末期の軍人・襄陽の守将となり襄陽樊城の戦いで奮戦するも降伏・後に元軍に従い臨安開城などで活躍
- 蒲寿庚(生没年不詳) - 南宋から元の泉州の貿易商人・アラブ系イスラム教徒・南宋を裏切り元の水軍司令官となる
- 郭守敬(1231年 - 1316年) - 元朝に仕えた水利事業家・天文学者・暦学者で「授時暦」を作成
- 銭選(1235年頃 - 1301年以降) - 南宋から元の文人画家・篆刻家・趙孟頫と交流するも元には仕えず・「宮女図」がある
- 陸秀夫(1236年 - 1279年) - 南宋末期の宰相・崖山の戦いで帝昺とともに入水・亡宋の三傑の一人
- 張世傑(? - 1279年) - 南宋末期の軍人・崖山の戦いの後に再起を図るが遭難死・亡宋の三傑の一人
- 文天祥(1236年 - 1282年) - 南宋の軍人・政治家・元朝に仕えることを拒否し刑死・亡宋の三傑の一人
- 一山一寧(1247年 - 1317年) - 元の成宗テムルより遣わされた渡来僧・後に日本の建長寺ほかの住持を歴任
- 馬致遠(1250年 - 1321年) - 元の劇作家・元曲「漢宮秋」の作者
- 趙孟頫(1254年 - 1322年) - 南宋から元の政治家・書家・画家・宋王室の一族・著作に『松雪斎集』がある
- 鮮于枢(1257年 - 1302年) - 元の政治家・書家・詩人・著作に『困学斎集』がある
- 王実甫(1260年 - 1336年) - 元の劇作家・元曲「西廂記」の作者
- 周達観(1266年 - 1346年) - 元からクメール朝カンボジアに派遣された使節・『真臘風土記』を著し「富貴真臘」と讃える
大越
高麗
- 高宗(1192年 - 1259年) - 第23代高麗王(在位1213年 - 1259年)・モンゴルに服属・高麗八萬大蔵経でも有名
- 一然(1206年 - 1289年) - 高麗の禅僧(普覚国尊一然)・朝鮮三国時代の重要史料である『三国遺事』を撰述する
日本
- 法然(1133年 - 1212年) - 浄土宗開祖・専修念仏を唱え『選択本願念仏集』を著す・親鸞の師
- 北条時政(1138年 - 1215年) - 鎌倉幕府初代執権(在位1203年 - 1205年)・梶原氏や比企氏を幕政から排除
- 栄西(1141年 - 1215年) - 臨済宗開祖・『興禅護国論』の著者・京都建仁寺ならびに鎌倉寿福寺開山
- 運慶(? - 1224年) - 仏師・快慶らとともに慶派を大成・東大寺南大門金剛力士像などが代表作
- 藤原隆信(1142年 - 1205年) - 歌人・画家として伝「源頼朝像」など似絵を描いたとされる
- 和田義盛(1147年 - 1213年) - 鎌倉幕府侍所別当・有力御家人であったが和田合戦で敗北し一族は滅亡
- 大江広元(1148年 - 1225年) - 源頼朝の側近・鎌倉幕府の政所初代別当・承久の乱では主戦論を唱える
- 慈円(1155年 - 1225年) - 天台宗の僧(天台座主)・歌人・九条兼実の同母弟・『愚管抄』の著者
- 貞慶(1155年)- 1213年) - 法相宗の僧・笠置寺や海住山寺を再興・「解脱上人」と呼ばれる
- 鴨長明(1155年 - 1216年) - 神官・歌人・随筆『方丈記』の著者・歌論書『無名抄』や説話『発心集』もある
- 北条政子(1157年 - 1225年) - 源頼朝の正室・頼家と実朝の母・「尼将軍」と呼ばれ実朝暗殺以後の幕政を指導
- 藤原定家(1162年 - 1241年) - 公卿・権中納言・歌人で『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』を編纂
- 北条義時(1163年 - 1224年) - 鎌倉幕府第2代執権(在位1205年 - 1224年)・承久の乱で勝利する
- 三浦義村(? - 1239年) - 鎌倉幕府侍所所司・評定衆・有力御家人として北条氏に次ぐ宿老とされる
- 畠山重忠(1164年 - 1205年) - 御家人・「坂東武士の鑑」と称されたが畠山重忠の乱で滅ぼされる
- 俊芿(1166年 - 1227年) - 真言宗の僧・渡宋の後に泉涌寺を再興・「月輪大師」と呼ばれる
- 西園寺公経(1171年 - 1244年) - 公卿・太政大臣・西園寺家の祖・関東申次として承久の乱後の朝廷を支配
- 親鸞(1173年 - 1262年) - 浄土真宗開祖・法然の弟子・『教行信証』の著者・本願寺大谷家の祖
- 明恵(1173年 - 1232年) - 華厳宗の僧・栂尾の高山寺開山・戒律の復興に尽くし『摧邪輪』や『夢記』を残す
- 後鳥羽天皇(1180年 - 1239年) - 第82代天皇(在位1185年 - 1198年)・上皇となり承久の乱を起こす
- 源頼家(1182年 - 1204年) - 鎌倉幕府第2代将軍(在任1202年 - 1203年)・伊豆修善寺にて殺害される
- 北条泰時(1183年 - 1242年) - 鎌倉幕府第3代執権(在任1224年 - 1242年)・「御成敗式目」を制定
- 源実朝(1192年 - 1219年) - 鎌倉幕府第3代将軍(在任1203年 - 1219年)・私家集に『金槐和歌集』がある
- 少弐資能(1198年 - 1281年) - 御家人・鎌倉幕府の鎮西奉行・大宰少弐・元寇では日本側の総司令官となる
- 道元 (1200年 - 1253年) - 曹洞宗開祖・入宋して禅を学ぶ・『正法眼蔵』の著者・越前永平寺開山
- 叡尊(1201年 - 1290年) - 真言律宗の僧・奈良西大寺の復興を果たす・謚号は興正菩薩
- 円爾(1202年 - 1280年) - 臨済宗の僧・入宋して無準師範の法を嗣ぐ・京都東福寺開山・諡号は聖一国師
- 忍性(1217年 - 1303年) - 真言律宗の僧・叡尊の弟子で鎌倉極楽寺開山・病者や非人の救済に尽くす
- 藤原頼経(1218年 - 1256年) - 鎌倉幕府第4代将軍(在任1226年 - 1244年)・摂家の九条道家の子
- 藤原頼嗣(1239年 - 1256年) - 鎌倉幕府第5代将軍(在任1244年 - 1252年)・第4代将軍頼経の子
- 後嵯峨天皇(1220年 - 1272年) - 第88代天皇(在位1242年 - 1246年)・持明院統と大覚寺統の両統分裂をもたらす
- 日蓮(1222年 - 1282年) - 日蓮宗開祖・『立正安国論』の著者・身延山久遠寺ならびに池上本門寺開山
- 阿仏尼(1222年? - 1283年) - 女院付きの女房(安嘉門院四条)・女流歌人・『十六夜日記』ほかを残す
- 北条実時(1224年 - 1276年) - 北条氏一門の金沢流の祖・引付衆や評定衆を歴任・金沢文庫の創設者
- 北条時頼(1227年 - 1263年) - 鎌倉幕府第5代執権(在任1246年 - 1256年)・宝治合戦で勝利し幕政を安定させる
- 安達泰盛(1231年 - 1285年) - 御家人・時宗死後に弘安徳政を指導するが霜月騒動で落命する
- 一遍(1239年 - 1289年) - 時宗開祖・遊行による「踊念仏」を勧める・「一遍聖絵(一遍上人絵伝)」でも有名
- 宗尊親王(1242年 - 1274年) - 鎌倉幕府第6代将軍(在任1252年 - 1266年)・後嵯峨天皇の皇子で最初の皇族将軍
- 竹崎季長(1246年 - ?) - 御家人・元寇で奮戦するも恩賞不足に苦しむ・「蒙古襲来絵詞」で知られる
- 北条時宗(1251年 - 1284年) - 鎌倉幕府第8代執権(在任1268年 - 1284年)・幕府の中枢にあって元寇を斥ける
- 浅原為頼(? - 1290年) - 武将・甲斐源氏小笠原の一族・伏見天皇暗殺を謀り宮中に乱入・失敗して自殺する(浅原事件)
- 平頼綱(? - 1293年) - 内管領・霜月騒動に勝利し権力を握るが平禅門の乱で落命する
- 惟康親王(1264年 - 1326年) - 鎌倉幕府第7代将軍(在任1266年 - 1289年)・第6代将軍宗尊親王の子
- 北条貞時(1271年 - 1311年) - 鎌倉幕府第9代執権(在任1284年 - 1301年)・得宗権力を拡大し永仁の徳政令を出す
- 久明親王(1276年 - 1328年) - 鎌倉幕府8代将軍(在任1289年 - 1308年)・後深草天皇の皇子