17世紀
17世紀(じゅうしちせいき、じゅうななせいき)は、西暦1601年から西暦1700年までの100年間を指す。
17世紀の歴史
この時代のヨーロッパでは小氷河期による世界レベルでの寒冷化が原因で17世紀の危機と呼ばれる混乱が生じ各国で飢饉、戦争、内乱が相次いだ。この結果、イギリスでは清教徒革命と名誉革命が起きて議会政治が、フランスではルイ13世によって、絶対王政が確立された。この混乱を免れたオランダは自由貿易により大いに栄えた。ロシア帝国は本格的にシベリアで世界最大の版図を築いた。東欧は西欧とロシアの従属的な地位に転落していった。
ヨーロッパから現在における北アメリカ大陸への永久移民が入植した。また、西インド諸島でのプランテーション経営に多くの労働力を必要としたことから、北アフリカ諸地域から黒人奴隷が盛んに連れて来られるようになった(奴隷貿易、三角貿易)。さらに、イギリス・オランダなどが東インド会社を設立するなど、ヨーロッパ諸国はアジア、新大陸である現南北米地域との間で交易を活発にした。
アジアでは西アジアのオスマン帝国、インドのムガル帝国と大帝国が繁栄、中国では明から清へ王朝が交代し17世紀後半には康熙帝の登場により最盛期を迎えた。日本では16世紀末の関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康による江戸幕府が開かれ、第2代将軍秀忠の頃になると鎖国政策がとられるようになった。この政策は約240年に渡り続くことになる。
17世紀の科学革命
微分積分学と光学、万有引力などの諸法則・定理を発見したアイザック・ニュートン、望遠鏡を使用して月の表面に凸凹があることや木星に衛星があること、天の川が無数の星の集合であることなど天体に関する様々な発見により天文学に大きく貢献したガリレオ・ガリレイ、惑星の軌道が楕円であることなど天体の運行法則に関するケプラーの法則の提唱やルドルフ表を作り地動説のほうが精密に惑星の運行を計算できることを明示したヨハネス・ケプラーなど科学的な発見が相次ぎ、科学哲学上にも大きな影響を与えたことから科学革命と呼ばれている。 誰にでも検証可能な方法によって自説の正しさを証明するという、科学的方法が用いられるようになったのもこの時期からである。
魔女狩りのピークと衰退
ヨーロッパで15世紀から広がり始めた魔女狩りが、16世紀の終わりから17世紀の中頃にかけてピークを迎えた。一方で、17世紀末には急速に衰退しており、魔女裁判で極刑を科すケースもほとんど見られなくなっている。魔女狩りにより、ヨーロッパ全体で15世紀から18世紀までの間に最大4万人が処刑されたものと考えられている。その他の地域では、北アメリカの植民地でも数は少ないが魔女狩りの例がある(セイラム魔女裁判など)。
できごと
- 1601年
- 1602年 - オランダが東インド会社を設立(オランダ東インド会社)。
- 1603年
- 1605年
- 1607年 - イングランドが北アメリカ大陸のジェームズタウンに入植成功。
- 1609年
- 1610年 - フランス国王アンリ4世暗殺、息子のルイ13世が即位。
- 1611年
- 後陽成天皇が譲位し、第108代後水尾天皇が即位。
- スウェーデン王グスタフ・アドルフ(獅子王)が17歳で即位。
- イングランドで『欽定訳聖書』(ジェームズ王訳)が出される。
- 1613年
- 1614年 - 大坂冬の陣。
- 1615年
- 1616年
- 1617年 - フランス元帥コンチーノ・コンチーニ暗殺、ルイ13世の母后マリー・ド・メディシスの失脚。
- 1618年
- ベーメンでプラハ窓外投擲事件。この事件をきっかけに三十年戦争が始まる( - 1648年)。
- ヨーハン・ジギスムントのもとでプロイセン公国とブランデンブルク選帝侯国が同君連合となる。
- 探検家ウォルター・ローリーの処刑。
- 1619年
- 1620年
- ピルグリム・ファーザーズがメイフラワー号でイングランドから北米のニューイングランド地方へ永久移民。
- 明の泰昌帝が第15代皇帝に即位するが1か月で死去したため、天啓帝が第16代皇帝に即位。
- 1622年
- 1623年
- 1624年
- リシュリューがフランスの宰相となる。
- 1625年
- 1626年
- 開読の変。
- 王恭廠の大爆発。
- 寧遠城の戦いで明が後金に勝利、ヌルハチが死去し、ホンタイジが第2代皇帝として即位。
- 教皇ウルバヌス8世がサン・ピエトロ大聖堂の献堂式を行う。
- 1627年
- 1628年
- 1629年
- 後水尾天皇が譲位し、第109代明正天皇が即位。
- イングランド王チャールズ1世が議会を解散し、以後11年間議会は開催されず( - 1640年)。
- 1630年
- 1631年
- フランスの「欺かれし者の日」事件で、母后マリー・ド・メディシスが再失脚。
- ベールヴァルデ条約が結ばれ、フランスとスウェーデンの軍事同盟成立。
- 1632年 - リュッツェンの戦いで、スウェーデン国王グスタフ・アドルフが戦死。
- 1633年
- ガリレオ・ガリレイがローマ教皇庁から有罪の判決を受け終身刑を言い渡される。
- ハイルブロン同盟結成。
- 1634年
- 長崎に出島造成。
- 神聖ローマ帝国軍総司令官ヴァレンシュタインが暗殺される。
- ネルトリンゲンの戦いで皇帝軍がスウェーデン軍らハイルブロン同盟に勝利。
- 1635年
- アカデミー・フランセーズ創設。
- モンゴル帝国(チャハル部)のエジェイが後金に降伏。元朝伝来の玉璽が後金にわたる。
- 1636年
- 1637年
- 島原の乱( - 1638年)。
- オランダでチューリップ・バブル事件。
- ルネ・デカルト『方法序説』刊行。
- 1640年
- 1641年
- イングランドで議会の大諫奏。
- 1642年
- 1643年
- 1644年
- 李自成が北京を陥落させる。崇禎帝が自殺し明朝滅亡。
- 清の摂政王ドルゴンと続いて順治帝が北京に入城。清軍が逃亡した李自成軍を滅ぼす。
- 越前国の廻船船員竹内藤右衛門・国田兵右衛門らが満州(韃靼)に漂着、清朝支配の北京に連行される(『韃靼漂流記』)。
- 1645年
- 1647年 - ナポリでマサニエッロの反乱。
- 1648年
- ムガル帝国でタージ・マハル竣工(1632年 - )。
- フランスでフロンドの乱( - 1653年)
- ヴェストファーレン条約により三十年戦争終結(ヴェストファーレン体制)。
- 1649年
- チャールズ1世処刑。イングランドは共和国になる( - 1660年)。
- オリバー・クロムウェルのアイルランド侵略。
- 1651年
- 1652年 - 第一次英蘭戦争( - 1654年)。
- 1653年
- 「統治章典」が制定され、オリヴァー・クロムウェルが護国卿に就任。
- モスクワ総主教ニーコンの教会改革が始まる。
- 1654年 - 後光明天皇が没し、第111代後西天皇が即位。
- 1655年
- 1657年 - 明暦の大火。
- 1658年
- ムガル皇帝シャー・ジャハーンが幽閉され、帝位継承争いに勝利したアウラングゼーブが即位。
- ポルトガル領セイロンをオランダが占領(オランダ領セイロン)。
- 1659年 - ピレネー条約の締結でスペインの没落が決定的となる。
- 1660年
- 1661年
- 1662年
- 1663年 - 後西天皇が譲位し、第112代霊元天皇が即位。
- 1665年
- 第二次英蘭戦争( - 1667年)。
- ポルトガルがコンゴ王国に侵攻しアンブイラの戦いで勝利。
- アイザック・ニュートンが万有引力を発見。古典力学の創始。
- 1666年
- 1667年
- ネーデルラント継承戦争( - 1668年)。
- ブレダの和約でオランダからイングランドは北米のニューネーデルラントを獲得。
- アンドルソヴォ条約で、ウクライナのコサック国家はドニエプル川を軸に分割され、ロシアはキエフと左岸ウクライナを獲得。
- 1668年 - 世界最古の中央銀行であるスウェーデン国立銀行が設立される。
- 1669年
- シャクシャインの戦い。
- 清でオボイが失脚し、康熙帝の親政が始まる。
- 1670年
- 1672年
- 1673年 - 清で三藩の乱が起こる( - 1681年)。
- 1674年
- 1675年 - スコーネ戦争( - 1679年)。
- 1677年 - 美濃郡上藩の農民、江戸に越訴。郡上藩、増徴派と減租派の家中騒動始まる(延宝郡上一揆)。
- 1679年 - ムガル皇帝アウラングゼーブが非イスラム教徒に対する人頭税ジズヤを復活させる。
- 1680年 - 徳川綱吉が江戸幕府第5代将軍となる。
- 1682年
- 宮殿の完成に伴いフランスの宮廷と政府がヴェルサイユに移動する( - 1789年)。
- ストレリツィ(銃兵隊)の蜂起によりソフィア・アレクセーエヴナがロシアの摂政となる。
- 1683年
- 1684年 - 江戸城内で大老堀田正俊が若年寄稲葉正休に刺殺される。
- 1685年
- 1686年 - 服忌令を改訂( - 1693年)。
- 1687年
- 1688年
- 1689年
- イングランド王ウィリアム3世・メアリ2世が「権利の宣言」に署名。これをもとに「権利章典」が発布される。
- 清とロシアの国境がネルチンスク条約で定まる。
- ロシアの摂政ソフィア・アレクセーエヴナが失脚する。
- 1690年 - この頃、浮世草子盛行する。
- 1692年 - セイラム魔女裁判。
- 1693年 - ポルトガル領ブラジルのミナス・ジェライスで金鉱が発見され、ゴールド・ラッシュが起こる。
- 1694年 - イングランド銀行設立。
- 1695年 - 北京紫禁城太和殿が再建される。
- 1696年
- 1697年
- 1699年
- 長崎奉行を4名に増員する。
- カルロヴィッツ条約でによりオスマン朝がハンガリーを放棄。
- 1700年
人物
ヨーロッパ世界
スペイン・ポルトガル
- ミゲル・デ・セルバンテス(1547年 - 1616年) - スペインの黄金世紀の作家・『ドン・キホーテ』を著す
- ルイス・デ・ゴンゴラ(1561年 - 1627年) - スペイン黄金世紀の詩人・難解な修辞による「ゴンゴリスモ」の作風で知られる
- ロペ・デ・ベガ(1562年 - 1635年) - スペインの黄金世紀の劇作家・詩人・『バレンシアの寡婦』『オルメードの騎士』がある
- フランシスコ・デ・ケベード(1580年 - 1645年) - スペインの黄金世紀の作家・『ぺてん師 ドン・パブロスの生涯』などを著す
- オリバレス伯爵ガスパール・デ・グスマン(1587年 - 1645年) - スペインの首席大臣・国王フェリペ4世の治世下でスペインの再建に努力
- ホセ・デ・リベーラ(1591年 - 1652年) - スペイン出身でナポリで活躍した画家・厳格な写実の「えび足の少年」「聖バルトロマイの殉教」がある
- フランシスコ・デ・スルバラン(1598年 - 1664年) - スペインのバロックの画家・セビリアを中心に活躍し聖人画や静物画に優れる
- ディエゴ・ベラスケス(1599年 - 1660年) - スペインのバロックの宮廷画家・国王フェリペ4世の宮廷を描く・代表作に「ラス・メニーナス」
- ペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカ(1600年 - 1681年) - スペインの黄金世紀の劇作家・修辞を駆使した作風で『人生は夢』などを著す
- バルタサール・グラシアン(1601年 - 1658年) - スペインの黄金世紀の哲学者・神学者・イエズス会士・主著に『エル・クリティコン』がある
- ジョアン4世(再興王)(1604年 - 1656年) - ブラガンサ朝の初代 ポルトガル王(在位1640年 - 1656年)・王政復古戦争で勝利
- バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(1617年 - 1682年) - スペインのバロックの画家・セビリャで活躍し「無原罪の御宿り」などを描く
- カルロス2世(1661年 - 1700年) - スペインのアブスブルゴ家最後の国王(在位1665年 - 1700年)・その死でスペイン継承戦争勃発
イングランド・スコットランド
- ジョン・ネイピア(1550年 - 1617年) - スコットランドの数学者・対数の概念を発見し「対数表」を作成・「ネイピアの骨」でも知られる
- エドワード・コーク(1552年 - 1634年) - イングランドの法律家・政治家・「権利の請願」の起草者の一人
- フランシス・ベーコン(1561年 - 1626年) - イングランドの政治家(国璽尚書・大法官)・哲学者(経験論)として『学問の進歩』がある
- ウィリアム・シェイクスピア(1564年 - 1616年) - イングランドの劇作家・詩人・エリザベス時代に続いてジェームズ時代でも活躍
- ジェームズ1世(1566年 - 1625年) - スコットランド王・スチュアート朝の初代イングランド王(在位1603年 - 1625年)
- ガイ・フォークス(1570年 - 1606年) - イングランドでの国王暗殺の火薬陰謀事件の計画犯
- トーマス・マン(1571年 - 1641年) - イングランドの実業家・経済学者(重商主義)・『外国貿易によるイングランドの財宝』を執筆
- ジョン・ダン(1572年 - 1631年) - イングランドの聖職者(セントポール大聖堂首席司祭)・詩人(形而上詩人)として「日の出」「蚤」がある
- ベン・ジョンソン(1572年 - 1637年) - イングランドの劇作家・代表作に『錬金術師』『エピシーン』がある・桂冠詩人でもある
- ロバート・フラッド(1574年 - 1637年) - イングランドの神秘主義者・薔薇十字団や錬金術を擁護しメルセンヌと対立・著作に『両世界誌』がある
- ロバート・バートン(1577年 - 1640年) - イングランドの聖職者・著述家・古典文学と医学に通じ『憂鬱の解剖学』を執筆する
- ウィリアム・ハーヴェー(1578年 - 1657年) - イングランドの解剖学者・国王チャールズ1世の侍医・血液循環説を唱える
- ジョン・ウェブスター(1580年? - 1634年?) - イングランドの劇作家・代表作に『白い悪魔』『アマルフィ侯爵夫人』がある
- トマス・ホッブズ(1588年 - 1679年) - イングランドの哲学者(経験論)・主著『リヴァイアサン』で社会契約説を唱える
- アイザック・ウォルトン(1593年 - 1683年) - イングランドの文筆家・伝記として『ジョン・ダン伝』、随筆として『釣魚大全』がある
- オリバー・クロムウェル(1599年 - 1658年) - イングランドの軍人・政治家・清教徒革命で国王勢力を倒し護国卿となる
- チャールズ1世(1600年 - 1649年) - イングランド王(在位1625年 - 1649年)・清教徒革命で処刑される
- トマス・ブラウン(1605年 - 1682年) - イングランドの医師・『俗信論』で迷信的医療を批判・『医師の宗教』『骨葬論』などの著作がある
- ジョン・ミルトン(1608年 - 1674年) - イングランドの詩人・清教徒革命を支持・王政復古で不遇となり『失楽園』を執筆
- ジョージ・フォックス(1624年 - 1691年) - イングランドの宗教家・クエーカーの名で知られる「キリスト友会」の創始者
- ロバート・ボイル(1627年 - 1691年) - アイルランド出身の化学者・王立協会協議員・ボイルの法則で知られる
- ジョン・バニヤン(1628年 - 1688年) - イングランドのバプテスト教会の執事・文学者としては『天路歴程』の著者として知られる
- チャールズ2世(1630年 - 1685年) - ステュアート朝のイングランド王(在位1660年 - 1685年)・王政復古を果たす
- ジョン・ドライデン(1631年 - 1700年) - イングランドの桂冠詩人・文芸評論家・劇作家・「驚異の年」などの作品がある
- ジョン・ロック(1632年 - 1704年) - イングランドの哲学者(経験論)・医者・『統治二論』の社会契約論で名誉革命に影響する
- クリストファー・レン(1632年 - 1723年) - イングランドの建築家・ロンドン大火の後の復興建築を行う・代表作はセント・ポール大聖堂
- ジェームズ2世(1633年 - 1701年) - ステュアート朝のイングランド王(在位1685年 - 1688年)・名誉革命で国を追われる
- サミュエル・ピープス(1633年 - 1703年) - イングランドの政治家・平民から海軍の実力者になり「海軍の父」と称される・日記も有名
- ロバート・フック(1635年 - 1703年) - イングランドの科学者・『顕微鏡図譜』で細胞の概念をまとめる・王立協会の実験監督でもある
- アイザック・ニュートン(1642年 - 1727年) - イングランドの物理学者・数学者・『プリンキピア』でニュートン力学を体系化
- ロチェスター伯ジョン・ウィルモット(1647年 - 1660年) - イングランドの詩人・「人類に対する風刺」「チャールズ2世の風刺」がある
- ウィリアム3世(1650年 - 1702年) - オラニエ公・オランダ共和国統領・名誉革命でイングランド王(在位1689年 - 1702年)になる
- ヘンリー・パーセル(1659年 - 1695年) - イングランドの作曲家・宮廷音楽家・代表作に歌劇「ディドとエネアス」がある
イタリア
- アンニーバレ・カラッチ(1560年 - 1609年) - イタリアの初期バロックの画家・カラッチ一族の中心として古典主義を復権する
- ガリレオ・ガリレイ(1564年 - 1642年) - イタリアの物理学者・天文学者・『天文対話』などで地動説を擁護し宗教裁判を受ける
- クラウディオ・モンテヴェルディ(1567年 - 1643年) - イタリアの初期バロックの作曲家・オペラの発展に寄与し「オルフェオ」を作曲
- ウルバヌス8世(1568年 - 1644年) - ローマ教皇(在位1623年 - 1644年)・サン・ピエトロ大聖堂の献堂式を行う・ガリレイ裁判でも知られる
- トンマーゾ・カンパネッラ (1568年 - 1639年) - イタリアのドミニコ会士・教皇庁から異端とされ牢獄生活を送る・主著は『太陽の都』
- ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ(1571年 - 1610年) - イタリアの初期バロックの画家・代表作に「聖マタイの召命」がある
- ピエトロ・ダ・コルトーナ(1596年 - 1669年) - イタリアの盛期バロックの画家・建築家・代表作にローマのバルベリーニ宮殿天井壁画がある
- ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598年 - 1680年) - イタリアの盛期バロックの彫刻家・建築家・代表作はサン・ピエトロ広場
- フランチェスコ・ボッロミーニ(1599年 - 1667年) - イタリアの盛期バロックの建築家・同時代の建築家ベルニーニのライバル
- エヴァンジェリスタ・トリチェリ(1608年 - 1647年) - イタリアの物理学者・ガリレイの弟子・水銀柱を用いて真空を発見(トリチェリの真空)
- ジョヴァンニ・ピエトロ・ベローリ(1613年 - 1696年) - イタリアの美術評論家・マニエリスムを否定・『現代画家・彫刻家・建築家列伝』がある
- ジョヴァンニ・カッシーニ(1625年 - 1712年) - イタリアの天文学者・木星の4つの衛星を発見・後にパリ天文台の初代台長ともなった
- マルチェロ・マルピーギ(1628年 - 1694年) - イタリアの解剖学者・生理学者・解剖に顕微鏡用いて「マルピーギ小体」「マルピーギ管」を発見
- ルカ・ジョルダーノ(1634年 - 1705年) - イタリアの後期バロックの画家(ナポリ派)・スペインのマドリード王宮ほか各地の宮殿壁画を制作
- アンドレア・ポッツォ(1642年 - 1709年) - イタリアの後期バロックの画家・イエズス会士・ローマのサン・ティニャーツィオ聖堂壁画を制作
- アレッサンドロ・スカルラッティ(1660年 - 1725年) - イタリアのバロックの作曲家・オペラの発展に尽くしナポリ楽派の祖となる
神聖ローマ帝国とドイツ領邦
- ティリー伯ヨハン・セルクラエス(1559年 - 1632年) - 三十年戦争での神聖ローマ皇帝側の傭兵隊長・マクデブルク劫掠などで活躍
- ヨハネス・ケプラー(1571年 - 1630年) -ドイツの天文学者・天体の運行法則に関する「ケプラーの法則」を発見
- マクシミリアン1世(1573年 - 1651年) - 初代バイエルン選帝侯・三十年戦争でカトリック連盟を率いて奮戦し選帝侯位を獲得
- ヤーコプ・ベーメ(1575年 - 1624年) - ドイツのルター派の神秘主義者・もとは靴職人・主著は『アウローラ』『キリストへの道』
- フェルディナント2世(1578年 - 1637年) - ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝(在位1619年 - 1637年)・三十年戦争を引き起こす
- アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン(1583年 - 1634年) - 三十年戦争での神聖ローマ皇帝側の傭兵隊長・戦功を誇るが後に暗殺される
- フリードリヒ5世(1596年 - 1632年) - プファルツ選帝侯・ボヘミア王に選出されるが白山の戦いで敗北し廃位される・「冬の王」と呼ばれた
- アタナシウス・キルヒャー(1601年 - 1680年) - ドイツ出身のイエズス会士・博識多才を誇り「遅れてきたルネサンス人」と称される
- オットー・フォン・ゲーリケ(1602年 - 1686年) - ドイツの科学者・「マクデブルクの半球」実験で真空の存在を証明・同市の市長でもあった
- フリードリヒ・ヴィルヘルム(1620年 - 1688年) - ブランデンブルク選帝侯・プロイセン公としてポーランドから自立・大選帝侯と呼ぶ
- ハンス・ヤーコプ・クリストッフェル・フォン・グリンメルスハウゼン(1621年/1622年 - 1676年) - ドイツの作家・『阿呆物語』を書く
- アンゲルス・シレジウス(1624年 - 1677年) - ドイツの神秘主義詩人・ヴュルテンベルク公の侍医・詩集に『ケルビムのような巡礼者』がある
- エルンスト・アウグスト(1629年 - 1698年) - 初代ハノーファー選帝侯・息子ゲオルク・ルートヴィヒ(ジョージ1世)はイングランド王になる
- ザミュエル・フォン・プーフェンドルフ(1632年 - 1694年)・ドイツの法学者・ハイデルベルク大学教授・三十年戦争後の自然法論の世俗化を推進
- フィリップ・シュペーナー(1635年 - 1705年) - ルター派の牧師・ドイツ敬虔主義の創始者・ハレ大学を中心に教会刷新を行う
- レオポルト1世(1640年 - 1705年) - ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝(在位1658年 - 1705年)・ハンガリーをトルコから奪還
- ゴットフリート・ライプニッツ(1646年 - 1710年) - ドイツの哲学者(合理論)・数学者・万学に通じベルリン科学アカデミーを創設・主著は『モナド論』
- ヨハン・パッヘルベル(1653年 - 1706年) - ドイツの作曲家・オルガン楽派の最盛期を現出・「パッヘルベルのカノン」他を作曲する
- クリスティアン・トマジウス(1655年 - 1728年) - ドイツの法学者・『神法学提要』が代表作・ハレ大学を創設し「ドイツ啓蒙主義の父」と呼ばれる
フランス
- シュリー公マクシミリアン・ド・ベテュヌ(1559年 - 1641年) - フランス宰相・国王アンリ4世を補佐し宗教戦争後のフランス産業を復興させる
- フランソワ・ド・サール(1567年 - 1622年) - フランス出身のジュネーヴ司教・カトリック改革の旗手・教会博士・『信仰生活入門』がある
- マリー・ド・メディシス(1575年 - 1642年) - フランス王アンリ4世の2番目の王妃・ルイ13世の母后として摂政となる
- リシュリュー(1585年 - 1642年) - 枢機卿・フランス宰相・ハプスブルク家打倒のために三十年戦争に参加
- マラン・メルセンヌ(1588年 - 1648年) - フランスの神学者・数学では「メルセンヌ数」を発見し音楽では12平均律を確立
- ピエール・ガッサンディ(1592年 - 1655年) - フランスの物理学者・哲学者・エピクロスの唯物論を復権しデカルト哲学と対決
- ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593年 - 1652年) - フランスの画家・明暗表現と静謐な画面構成が特徴・「大工の聖ヨセフ」などがある
- ニコラ・プッサン(1594年 - 1665年) - イタリアで活躍したフランス人画家・その端整で荘重な様式は古典主義と呼ばれる
- ルネ・デカルト(1596年 - 1650年) - フランスの哲学者(合理論)・数学者・『方法序説』で近代哲学の基礎を築く
- クロード・ロラン(1600年頃 - 1682年) - イタリアで活躍したフランス人画家・理想風景を追求する画風で知られる
- ルイ13世(1601年 - 1643年) - フランス王(在位1610年 - 1643年)・宰相リシュリューを重用して王権の強化を進める
- アンヌ・ドートリッシュ(1601年 - 1666年) - フランス王ルイ13世の王妃・ルイ14世の母・夫君の死後に摂政となりマザランを抜擢する
- ジュール・マザラン(1602年 - 1661年) - イタリア出身の枢機卿・フランス宰相・ルイ14世を支えフロンドの乱を鎮圧する
- ピエール・コルネイユ(1606年 - 1684年) - フランスの悲劇作家・古典主義の三大作家の一人・『ル・シッド』『オラース』で知られる
- ピエール・ド・フェルマー(1607年/1608年 - 1665年) - フランスの数学者・「数論の父」とも呼ばれ「フェルマーの最終定理」で有名
- アントワーヌ・アルノー(1612年 - 1694年) - フランスの神学者でジャンセニズムの中心人物・哲学者・数学者としてデカルトと交流
- フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー(1613年 - 1680年) - フランスの貴族・モラリスト文学者・辛辣で機知に富んだ『箴言集』を執筆
- ルイ・ル・ヴォー(1612年 - 1670年) - フランスの建築家・画家シャルル・ルブランや庭師アンドレ・ル・ノートルと協力しヴェルサイユ宮殿の中核を建設
- ジャン=バティスト・コルベール(1619年 - 1683年) - フランスの財務総監・ルイ14世に仕え重商主義の立場から産業育成を行う
- シラノ・ド・ベルジュラック (1619年 - 1655年) - フランスの作家・『日月両世界旅行記』を執筆・ロスタンの戯曲の主人公でもある
- ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ(1621年 - 1695年) - フランスの作家・イソップ寓話をもとにした「寓話詩」で知られる
- モリエール(1622年 - 1673年) - フランスの喜劇作家・古典主義の三大作家の一人・『人間嫌い』『タルチェフ』などで知られる
- ブレーズ・パスカル(1623年 - 1662年) - フランスの哲学者・数学者・物理学者・ジャンセニスムを支持し『パンセ』を執筆
- ジャック・ベニーニュ・ボシュエ(1627年 - 1704年) - フランスのキリスト教聖職者・神学者・著書『世界史叙説』で王権神授説を擁護
- シャルル・ペロー(1628年 - 1703年)・フランスの詩人・新旧論争では近代派につきボワローと対決・『ペロー童話集』がある
- ジャン=バティスト・リュリ(1632年 - 1687年) - フランスで活躍した盛期バロックの作曲家・ルイ14世の宮廷楽長および寵臣
- ラ・ファイエット伯爵夫人(1634年 - 1693年) - フランスの女流作家・サロンで活躍し『クレーヴの奥方』を執筆
- マントノン侯爵夫人(1635年 - 1719年) - フランス王ルイ14世の晩年の妻・秘密結婚のため王妃ではないが王に影響力があった
- ルイ14世(太陽王)(1638年 - 1715年) - フランス王(在位1643年 - 1715年)・ブルボン朝の絶対王政の最盛期を実現
- ニコラ・ド・マルブランシュ(1638年 - 1715年) - フランスの哲学者・オラトリオ会士・『真理の探究』でデカルト哲学と神学を総合
- ジャン・ラシーヌ(1639年 - 1699年) - フランスの悲劇作家・古典主義の三大作家の一人・『アンドロマック』『ベレニス』で知られる
- フランソワ=ミシェル・ル・テリエ(1641年 - 1691年) - フランスの政治家・ルイ14世のもとで陸軍大臣となり欧州随一の常備軍を育成
- ジュール・アルドゥアン=マンサール(1646年 - 1708年) - フランスの建築家・ヴェルサイユ宮殿を増築し「鏡の間」を建設
- ピエール・ベール(1647年 - 1706年) - フランスの哲学者・思想家・『歴史批評辞典』などを著し啓蒙思想の先駆けとなる
- ギュイヨン夫人(1648年 - 1717年) - フランスの神秘主義者・キエティスム(静寂主義)の一人・カトリック教会により異端とされ投獄される
- フランソワ・フェヌロン(1651年 - 1715年) - フランスの聖職者・ルイ14世の孫の教育係・『テレマックの冒険』を執筆・ジャック=ベニーニュ・ボシュエは論敵
フランドル・オランダ
- ヤーコブス・アルミニウス(1560年 - 1609年) - オランダの神学者・従来のカルヴァン説よりも自由意志を重視したアルミニウス説を唱える
- ピーテル・パウル・ルーベンス(1577年 - 1640年) - フランドルのバロックの画家・代表作に「マリー・ド・メディシスの生涯」
- フランス・ハルス(1581年/1585年頃 - 1666年) - オランダ絵画の黄金時代の画家・「陽気な酒飲み」など軽妙な写実的肖像画に優れる
- フーゴー・グローティウス(1583年 - 1645年) - オランダの法学者・自然法に基づく国際法の基礎を定め「国際法の父」と称される
- コルネリウス・ヤンセン(1585年 - 1638年) - フランドルのイーペル司教・『アウグスティヌス』で神の恩寵を重視しジャンセニスムの嚆矢となる
- アンソニー・ヴァン・ダイク(1599年 - 1641年) - フランドルのバロックの画家・ルーベンスの協力者で後にイングランドで活躍
- レンブラント・ファン・レイン(1606年 - 1669年) - オランダ絵画の黄金時代を代表する画家・「夜警」など光と闇の表現に優れる
- ヨハン・デ・ウィット(1625年 - 1672年) - オランダ共和政の指導者・英蘭戦争を指揮するがオランダ侵略戦争で追い詰められオランダ市民に虐殺される
- クリスティアーン・ホイヘンス(1629年 - 1695年) - オランダの物理学者・天文学者・「土星の環」の発見や振り子時計の発明で有名
- ヨハネス・フェルメール(1632年 - 1675年) - オランダ絵画の黄金時代を代表する画家・市井の人々の生活を精妙な光で描いた
- バールーフ・デ・スピノザ(1632年 - 1677年) - オランダの哲学者(合理論)・ユダヤ人共同体から破門される・主著は『エチカ』
- アントニ・ファン・レーウェンフック(1632年 - 1723年) - オランダの科学者・顕微鏡で微生物の観察を行い「微生物学の父」と呼ばれる
北欧
- クリスチャン4世(1578年 - 1648年) - デンマーク王・三十年戦争に参加・スウェーデンとの戦いで敗北
- アクセル・オクセンシェルナ(1585年 - 1654年) - スウェーデン宰相・グスタフ2世からクリスティーナ女王までの国王を補佐
- グスタフ2世アドルフ (獅子王)(1594年 - 1632年) - スウェーデン王(在位1611年 - 1632年)・リュッツェンの戦いで戦死
- フレデリク3世(1609年 - 1670年) - デンマーク王(1648年 - 1670年)・カール・グスタフ戦争で多くの領土を喪失する
- クリスティーナ(1626年 - 1689年) - スウェーデン女王(在位1632年 - 1654年)・デカルトを招聘・後にカトリックに改宗
- カール10世(1622年 - 1660年) - スウェーデン王(在位1654年 - 1660年)・北方戦争に勝利し「バルト帝国」を建設
- オーレ・レーマー(1644年 – 1710年) - デンマークの天文学者・コペンハーゲン大学教授・光速度の値を世界で初めて算出した
- クリスチャン5世(1646年 - 1699年) - デンマーク王(在位1670年 - 1699年)・法典整備や税制の改革を行う
- カール11世(1655年 - 1697年) - スウェーデン王(在位1660年 - 1697年)・オランダ侵略戦争やスコーネ戦争に介入
東欧
- コメニウス(1592年 - 1670年) - モラヴィア出身の教育思想家・三十年戦争の混乱で諸国を遍歴し百科事典『世界図絵』などを残す
- ボフダン・フメリニツキー(1595年 - 1657年) - ポーランドの貴族・ウクライナ・コサックのヘーチマン・フメリニツキーの乱を起こす
- ヤン3世 (1629年 - 1696年) - ポーランド王(在位1674年 - 1696年)・大洪水時代後の混乱を収拾・第二次ウィーン包囲に勝利
ロシア
- ボリス・ゴドゥノフ(1551年 - 1605年) - ロシアのツァーリ(在位1598年 - 1605年)・リューリク朝断絶に伴う動乱時代を招来
- 偽ドミトリー1世(1581年 - 1606年) - ロシアのツァーリ(在位1605年 - 1606年)・動乱時代に相次いで出現した帝位僭称者の最初
- クジマ・ミーニン(16世紀後半 - 1616年) - ロシアのニジニ・ノヴゴロドの商人・ポジャルスキー公とともに義勇軍を結成しモスクワを解放する
- ミハイル・ロマノフ(1596年 - 1645年) - ロシアのツァーリでロマノフ朝最初の君主(在位1613年 - 1645年)・ゼムスキー・ソボルにて選出
- ニーコン(1605年 - 1681年) - モスクワ総主教・ロシア正教会の典礼改革を行う・これにより古儀式派が正教会から離脱
- セミョン・デジニョフ(1605年頃 - 1673年) - ロシアの探検家・ユーラシア大陸の最東端を回航しアメリカ大陸とは陸続きでないことを発見
- アヴァクーム(1620年/1621年 - 1682年) - ロシアの司祭・古儀式派の最初期の指導者・ニーコンの改革に反対し追放され焚刑にされる
- アレクセイ(1629年 - 1676年) - ロシアのツァーリ(在位1645年 - 1676年)・ウクライナ東部を獲得しヘーチマン国家を併合
- スチェパン・ラージン(1630年 - 1671年) - ロシアのドン・コサック軍の指導者・政府に対して反乱を起こすが敗北し処刑される
- フェオドシア・モロゾーヴァ(1632年 - 1675年) - ロシア貴族の女性・ニーコンの改革に反対し古儀式派の中心となるが捕縛され餓死する
- ソフィア・アレクセーエヴナ(1657年 - 1704年) - イヴァン5世とピョートル1世の姉・摂政(在任1682年 - 1689年)・事実上の女性君主
- ピョートル1世(1671年 - 1725年) - ロシアのツァーリ(在位1682年 - 1725年)・西欧大使節団を派遣・大北方戦争でスウェーデンに勝利
南北アメリカ
- インカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベーガ(1539年 - 1616年) - ペルー出身の歴史家・母はインカ皇女・『テンプレート:仮リンク』『ペルー征服史』がある
- グァマン・ポマ(1550年? - 1616年?) - ペルー出身の原住民の記録者・多くの挿絵を含む『新しい記録と良き統治』を執筆
- ウォルター・ローリー(1552年/1554年 - 1618年) - イングランドの探検家・アメリカ大陸で最初のイングランド植民地を築くが失敗
- ヘンリー・ハドソン(1560年-70年代 - 1611年?) - イングランドの探検家・北アメリカを探検しハドソン湾やハドソン川に名を残す
- サミュエル・ド・シャンプラン(1567年/1570年 - 1635年) - フランスの探検家・地理学者・ケベック植民地を築く
- ジョン・スミス(1580年 - 1631年) - イングランドの軍人・探検家・植民者・永住植民地ヴァージニアを築く
- ウィリアム・ブラッドフォード(1590年 - 1657年) - イングランド出身のピルグリム・ファーザーズの指導者・プリマス植民地を築く
- アン・ハッチンソン(1591年 - 1643年) - イングランド出身の女性の聖書研究者・マサチューセッツのピューリタンと対立し追放される
- ポカホンタス(1595年頃 - 1617年) - アメリカインディアン・ポウハタン族の女性・大西洋を越えてイングランドに招かれる
- ピーター・ストイフェサント(1612年 - 1672年) - オランダの最後のニューネーデルラント植民地総督・英蘭戦争後にここを放棄
- メタコメット(1639年 - 1676年) - アメリカインディアンのワンパノアグ族の酋長・フィリップ王とも呼ばれフィリップ王戦争を起こす
- ロベール=カブリエ・ド・ラ・サール(1643年 - 1687年) - フランスの探検家・ミシシッピ川流域をフランス領としルイジアナと名付ける
- ウィリアム・ペン(1644年 - 1718年) - イングランド出身のクエーカー教徒・フィラデルフィア市を建設しペンシルベニア州を整備
- ウィリアム・キッド(1645年 - 1701年) - スコットランド出身の海賊船船長・「キャプテン・キッド」の名で知られている
北アフリカ・西アジア・中央アジア世界
- リザー・アッバーシー(1565年頃 - 1635年) - サファビー朝の画家・アッバース1世の宮廷工房で活躍しイスファハーン画派を大成する
- アッバース1世(1571年 - 1629年) - サファヴィー朝第5代シャー(在位1588年 - 1629年)・最盛期のシャー・オスマン帝国からイラク奪還
- モッラー・サドラー(1572年 - 1640年) - サファヴィー朝のシーア派のイスラム哲学者・実存を重視した超越論的神智学を提唱
- キョプリュリュ・メフメト・パシャ(1583年 - 1661年) - オスマン帝国大宰相・キョプリュリュ時代の基礎を築く
- キョセム・スルタン(1590年 - 1651年) - オスマン帝国カリフのアフメト1世の后・ムラト4世およびイブラヒムの母后
- キャーティプ・チェレビ(1609年 - 1657年) - オスマン帝国最大の博物学者・書誌学の『書誌総覧』や地理学の『世界の鏡』がある
- ヘザルフェン・アフメト・チェレビ(1609年 - 1640年) - オスマン帝国の発明家・イスタンブルで人力飛行(グライダー)に成功した?
- ラガリ・ハサン・チェレビ(? - 1640年頃) - オスマン帝国の発明家・ヘザルフェンの兄弟・火薬を用いたロケット飛行に成功?
- エヴリヤ・チェレビ(1611年? - 1682年) - オスマン帝国の旅行家・40年間にわたって帝国内を記録し『旅行記』10巻を執筆
- サバタイ・ツヴィ(1626年 - 1676年) - オスマン帝国イズミル出身のユダヤ教の宗教家・人々を熱狂させた偽メシアとして知られる
- セリム・ギレイ1世(1631年 - 1704年) - クリミア・ハン国の君主(在位1671年 - 1704年で断続的に4度)・オスマンに与し西欧と戦う
- キョプリュリュ・アフメト・パシャ(1635年 - 1676年) - オスマン帝国大宰相・父のメフメトを継いでオスマン帝国最大領土を保持
- カラ・ムスタファ・パシャ(1635年? - 1683年) - オスマン帝国大宰相・キョプリュリュ家の娘婿・第二次ウィーン包囲を敢行
- キョプリュリュ・ムスタファ・パシャ(1637年 - 1691年) - オスマン帝国大宰相・第二次ウィーン包囲後の混乱を収拾する
- ジャン・シャルダン(1643年 - 1713年) - フランス出身の商人・サファヴィー朝で貿易に従事し『ペルシア紀行』を出版・後にイギリスへ亡命
- キョプリュリュ・ヒュセイン・パシャ(1644年 - 1702年) - オスマン帝国大宰相・カルロヴィッツ条約を締結しハンガリーを放棄
- ムーレイ・イスマーイール(1645年 - 1727年) - アラウィー朝モロッコの君主(在位1672年 - 1727年)・半世紀の治世でメクネス宮殿を建設
インド・東南アジア世界
- ヤン・ピーテルスゾーン・クーン (1587年 - 1629年) - オランダ東インド会社第4代総督・バタヴィアを築きアンボイナ事件を起こす
- ジャハーンギール(1569年 - 1627年) - ムガル帝国第4代皇帝(在位1605年 - 1627年)・アクバルに続き寛容政策を行う
- シャー・ジャハーン(1592年 - 1666年) - ムガル帝国第5代皇帝(在位1628年 - 1658年)・愛妃を偲んでタージ・マハルを建立
- ムムターズ・マハル(1595年 - 1631年) - ムガル皇帝シャー・ジャハーンの第1皇妃・その死後タージ・マハル霊廟に葬られる
- フランソワ・カロン(1600年 - 1673年) - オランダ東インド会社のもと日本ほかで勤務・後年フランス東インド会社長官に転じる
- ダーラー・シコー(1615年 - 1658年) - ムガル帝国の皇族・哲学者として「ウパニシャッド」の翻訳を行う・弟アウラングゼーブに処刑される
- アウラングゼーブ(1618年 - 1707年) - ムガル帝国第6代皇帝(在位1658年 - 1707年)・ムガル帝国の最大領土を実現
- フランソワ・ベルニエ(1620年 - 1688年) - フランス出身の医師・旅行家・ムガル帝国を旅行し『ムガル帝国誌』を執筆
- シヴァージー(1627年 - 1680年) - インドのマラータ王国の建国者・マラータ族を糾合しムガル帝国アウラングゼーブに敵対
- ナーラーイ(1633年 - 1688年) - アユタヤ朝タイ王国国王(在位1656年 - 1688年)・フランスと外交関係を結ぶ・文芸も奨励
- フランソワ・マルタン(1634年 - 1706年) - フランス東インド会社長官・フランソワ・カロンに続きポンディシェリに商館を設置
- グル・ゴービンド・シング(1666年 - 1708年) - シク教第10代教主(グル)(在位1675年 - 1708年)・以後は経典が教主とされる
オセアニア
- アベル・タスマン(1603年 - 1659年) - オランダの探検家・オランダ東インド会社のもとで太平洋各地を探検・タスマニア島に名がつく
- ウィリアム・ダンピア(1651年 - 1715年) - イギリスの探検家・海賊(バッカニア)・オーストラリア他を調査し『最新世界周航記』を残す
東アジア
明・清
- 顧憲成(1550年 - 1612年) - 明の官僚・儒学者として故郷の無錫に東林書院を再興・この学派が明末に東林党に成長する
- マテオ・リッチ(利瑪竇)(1552年 - 1610年) - イタリア人のイエズス会士・明の官僚である徐光啓らに洗礼を授け宣教につとめる
- 董其昌(1555年 - 1636年) - 明の官僚・文人・書画に優れ文人画(南宗画)の優位を説く・明末の「邢張米董」の一人
- 鄭貴妃(? - 1630年) - 明の万暦帝の妃で福王の母・帝位継承をめぐる疑獄事件の「三案(梃撃・紅丸・移宮)」の黒幕か?
- ヌルハチ(1559年 - 1626年) - 清の初代皇帝(太祖)(在位1616年 - 1626年)・サルフの戦いで明に勝利
- 徐光啓(1562年 - 1633年) - 明の官僚・暦数学者・マテオ・リッチの影響でキリスト教徒となり『農政全書』『崇禎暦書』を残す
- 魏忠賢(1568年 - 1627年) - 明末の宦官で東廠の長官・東林党を弾圧するなど専横を極める・崇禎帝に死を命じられる
- 馮夢竜(1574年 - 1646年) - 明末の官僚・陽明学者として『王陽明靖乱録』を、著述家として『平妖伝』『笑府』などを残す
- 袁崇煥(1584年 - 1630年) - 明末の武官・寧遠城の戦いでは大砲を用いてヌルハチを退ける・後に謀反の疑いにより処刑される
- 黄道周(1585年 - 1646年) - 明末の官僚・北京陥落後も南明政権を支える・書家として「明末三大家」の一人とされる
- 宋応星(1590年頃 - 1650年頃) - 明末清初に活躍した地方官吏・技術者・『天工開物』の著者として知られる
- アダム・シャール(湯若望)(1591年 - 1666年) - ドイツ人のイエズス会士・天文学に優れ明では『崇禎暦書』を清では「時憲暦」を作成
- ホンタイジ(1592年 - 1643年) - 清の第2代皇帝(太宗)(在位1626年 - 1643年)・国号を後金から清とし国家体制を整える
- 隠元隆琦(1592年 - 1673年) - 明末清初の禅僧・中国の動乱を避けて日本に渡来し黄檗宗を伝える・宇治の黄檗山萬福寺開山
- 王鐸(1592年 - 1652年) - 明末清初の官僚・黄道周や倪元璐と異なり国に殉ぜず・書家として「明末三大家」の一人とされる
- 倪元璐(1593年 - 1644年) - 明末の官僚・北京陥落に合わせて殉死・書家として「明末三大家」の一人とされる
- 張岱(1597年 - 1684年) - 明末清初の文人・江南の風俗や人物を回顧的に語る随筆集『陶庵夢憶』を著す
- 朱舜水(1600年 - 1682年) - 明末清初の儒学者・反清復明運動に参加するが成功せず日本に亡命・徳川光圀の庇護を受ける
- 李自成(1606年 - 1645年) - 明末の農民反乱指導者・明の崇禎帝を倒し北京を奪取・皇帝を名乗るが清軍に滅ぼされる
- 張献忠(1606年 - 1646年) - 明末の農民反乱指導者・四川の成都で皇帝を名乗るが清軍に滅ぼされる
- 黄宗羲(1610年 - 1695年) - 明末清初の儒学者(考証学)で「清初三大師」の一人・反清復明運動に参加・『明夷待訪録』の著者
- オボイ(1610年? - 1669年) - 清の軍人・政治家・ホンタイジ以後の諸帝に仕えるがやがて独裁化・康熙帝に失脚させられる
- 崇禎帝(1611年 - 1644年) - 明の最後の第17代皇帝(在位1628年 - 1644年)・李自成の乱で北京を包囲され縊死する
- 李漁(1611年 - 1680年) - 明末清初の劇作家・著作家・戯曲『笠翁十種曲』や小説『十二楼』を書く・好色文学『肉蒲団』の作者とも
- 呉三桂(1612年 - 1678年) - 明末清初の軍人・北京陥落の報を聞き清軍に投降・雲南を支配するが清に背き三藩の乱を起こす
- ドルゴン(1612年 - 1650年) - 清の皇族・幼い順治帝の叔父として摂政となり北京入城後の清軍を指揮
- 顧炎武(1613年 - 1682年) - 明末清初の儒学者(考証学)で「清初三大師」の一人・反清復明運動に参加・『日知録』の著者
- 王夫之(1619年 - 1692年) - 明末清初の儒学者(考証学)で「清初三大師」の一人・反清復明運動に参加・『読通鑑論』の著者
- 永暦帝(1623年 - 1662年) - 南明政権の最後の皇帝・崇禎帝の従弟・ビルマまで落ち延びて抗戦するが呉三桂に殺害される
- フェルディナント・フェルビースト(南懐仁)(1623年 - 1688年) - フランドル人のイエズス会士・アダム・シャールを補佐して宣教する
- 鄭成功(1624年 - 1662年) - 明末清初の政治家・明の亡命政権を支援し台湾で抵抗運動を続ける・鄭氏政権の祖・俗称は国姓爺
- 八大山人(1626年? - 1705年?) - 明末清初の画家・書家・詩人・明の皇族の一人だが明滅亡後は世間を避けて生活する
- 順治帝(1638年 - 1661年) - 清の第3代皇帝(在位1643年 - 1661年)・山海関を越えて北京に入城・中国支配を始める
- 蒲松齢(1640年 - 1715年) - 清の文学者・官僚にはなれず家塾などを営む・志怪小説『聊斎志異』の作者
- 石濤(1642年 - 1707年) - 清の画家・明の皇族の末裔で同じ境遇の八大山人とも交流する・黄山派に属す
- 洪昇(1645年 - 1704年) - 清の劇作家・戯曲「長生殿」の作者・孔尚任とともに「曲苑双星」「南洪北孔」と称される
- 孔尚任(1648年 - 1718年) - 清の劇作家・戯曲「桃花扇」の作者・洪昇とともに「曲苑双星」「南洪北孔」と称される
- 康熙帝(1654年 - 1722年) - 清の第4代皇帝(在位1661年 - 1722年)・中国屈指の名君・在位60年で「三世の春」時代を迎える
ジュンガル
チベット
日本
- 天海(1536年? - 1643年) - 比叡山探題の僧・江戸の上野寛永寺開山・徳川家康の側近・諡号は慈眼大師
- 本多正信(1538年 - 1616年) -大名(相模玉縄藩藩主)・老中・徳川家康の重臣として幕政を牛耳る
- 徳川家康(1543年 - 1616年) - 江戸幕府初代征夷大将軍(在任1603年 - 1605年) ・大阪夏の陣で豊臣氏を滅ぼす
- 大久保長安(1545年 - 1613年) - 勘定奉行として全国の金銀山を統轄・その死後は不正の疑いで子弟は処刑される(大久保長安事件)
- 高山右近(1552年 - 1615年) - キリシタン大名・キリスト教禁令で領地を放棄・キリシタン国外追放令によりマニラで死去
- 安楽庵策伝(1554年 - 1642年) - 浄土宗西山深草派の僧・説教に優れた才を生かし笑話集『醒睡笑』をまとめ落語の祖と呼ばれる
- 片桐且元(1556年 - 1615年) - 大名(摂津茨木藩藩主)・賤ヶ岳の七本槍の一人・豊臣と徳川の和平に尽くす
- 藤堂高虎(1556年 - 1630年) - 大名(伊勢津藩藩主)・徳川家康に外様でありながら譜代格として重用される
- ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンスタイン(1556年? - 1623年) - オランダ人航海士・徳川家康の外交顧問・日本名は耶楊子
- 本阿弥光悦(1558年 - 1637年) - 刀剣鑑定家・陶芸家・漆芸家・書家としては「寛永の三筆」の一人と称される
- 俵屋宗達(生没年不詳) - 画家・本阿弥光悦の協力者でいわゆる琳派の祖・「風神雷神図屏風」ほかがある
- 藤原惺窩(1561年 - 1619年) - 儒学者(朱子学)・朝鮮人姜沆との交流を経て儒学を体系化・林羅山や松永尺五は弟子
- ウィリアム・アダムス(1564年 - 1620年) - イギリス人航海士・徳川家康の外交顧問・日本名は三浦按針
- 不干斎ハビアン(1565年 - 1621年) - イエズス会士として護教論『妙貞問答』を執筆・後に棄教して反キリスト教論『破提宇子』を執筆
- 坂崎直盛(1565年? - 1616年) - 大名(石見津和野藩藩主)・大阪落城の際に千姫を救出・千姫再婚で事件を起こす
- 真田信繁(幸村)(1567年 - 1615年) - 信濃国の武将・関ヶ原の戦いで浪人・豊臣秀頼に招かれ大阪夏の陣で奮戦するも戦死
- 淀殿(1567年? - 1615年) - 豊臣秀吉側室で豊臣秀頼の母・浅井三姉妹の長女・大阪夏の陣に敗北し自殺
- 伊達政宗(1567年 - 1636年) - 大名(陸奥仙台藩藩主)・徳川家康から徳川家光までの将軍に仕える・慶長遣欧使節団を送る
- 崇伝(1569年 - 1633年) - 南禅寺(金地院)住持・寺社行政に携わりキリスト教の禁止や寺社諸法度ほかの法制を整備
- 柳生宗矩(1571年 - 1646年) - 大名(大和柳生藩藩主)・柳生新陰流(江戸柳生)の剣術家で徳川将軍家の剣術師範
- 支倉常長(1571年 - 1622年) - 仙台藩士・伊達政宗の家臣・慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパまで渡航
- 松永貞徳(1571年 - 1654年) - 俳人・歌人・歌学者・貞門派俳諧の祖として『新増犬筑波集』『俳諧御傘』を残す
- 沢庵宗彭(1573年 - 1645年) - 大徳寺住持・紫衣事件で流罪となるが後に将軍徳川家光の帰依を受ける・江戸の東海寺開山
- 岩佐又兵衛(1578年 - 1650年) - 画家・「浮世又兵衛」とも呼ばれる浮世絵の遠祖・荒木村重の遺児
- 徳川秀忠(1579年 - 1632年) -江戸幕府2代征夷大将軍(在任1605年 - 1623年)・大名統制を強化し幕府の体制を固める
- 八条宮智仁親王(1579年 - 1629年) - 皇族(八条宮初代)・後陽成天皇の弟で後水尾天皇の叔父・桂離宮の造営で知られる
- 春日局(1579年 - 1643年) - 江戸幕府3代将軍徳川家光の乳母・江戸城大奥の礎を築く
- 小堀遠州(1579年 - 1647年) - 大名(近江小室藩藩主)・茶人(遠州流)・建築家・作庭家として知られる
- 林羅山(1583年 - 1657年) - 儒学者(朱子学)・後に幕府の学問を司ることになる大学頭の林家の祖
- 宮本武蔵(1584年 - 1645年) - 剣豪・兵法者(二天一流兵法の祖)としては『五輪書』を著す・書画にも優れる
- 豊臣秀頼(1593年 - 1615年) - 豊臣秀吉の嫡男・右大臣・大阪夏の陣で敗北し母の淀殿とともに自殺
- 後水尾天皇(1596年 - 1680年) - 第108代天皇(在位1611年 - 1629年)・中宮は徳川秀忠の娘東福門院・寛永文化の中心
- 松平信綱(1596年 - 1662年) - 大名(武蔵川越藩藩主)・老中・官職名の伊豆守から「知恵伊豆」と呼ばれ将軍徳川家綱を補佐
- 初代酒井田柿右衛門(1596年 - 1666年) - 肥前国有田の陶工・赤絵磁器の焼成に成功・「柿右衛門様式」はマイセン磁器などにも影響
- 千姫(1597年 - 1666年) - 徳川秀忠の娘・豊臣秀頼の正室・大阪夏の陣では落城間際に脱出・後に本多忠刻に嫁す
- 徳川御三家の祖
- 狩野探幽(1602年 - 1674年) - 狩野派の画家・狩野永徳の孫・江戸鍛冶橋狩野家の祖・江戸城や諸寺の障壁画を担当
- 徳川家光(1604年 - 1651年) - 江戸幕府3代征夷大将軍(在任1623年 - 1651年)・鎖国やキリスト教禁令などを行う
- 由井正雪(1605年 - 1651年) - 軍学者・浪人らを募り丸橋忠弥らとともに反乱を計画するが発覚し自決(慶安の変)
- 西山宗因(1605年 - 1682年) - 俳人・連歌師・談林派俳諧の祖・大坂天満宮の連歌所宗匠となり『蚊柱百句』などを残す
- 中江藤樹(1608年 - 1648年) - 儒学者(陽明学)・伊予大洲藩藩士であったが脱藩・母に孝養を尽くし「近江聖人」と称えられた
- 保科正之(1611年 - 1673年) - 大名(陸奥会津藩藩主)・将軍徳川家光の異母弟・兄家光と甥の家綱を補佐し幕閣に重きをなす
- 河村瑞賢(1617年? - 1699年) - 豪商・材木商として幕府の公共事業を請け負う・東廻海運や西廻海運の開発でも知られる
- 菱川師宣(1618年 - 1694年) - 画家・浮世絵の創始者・肉筆浮世絵「見返り美人図」で知られる
- 熊沢蕃山(1619年 - 1691年) - 儒学者(陽明学)・中江藤樹の弟子・岡山藩藩主池田光政の藩政改革を促す
- 山崎闇斎(1619年 - 1682年) - 儒学者(朱子学)・垂加神道を体系化し会津藩藩主保科正之の藩政改革を促す
- 木下順庵(1621年 - 1699年) - 儒学者(朱子学)・木門十哲(新井白石・室鳩巣・雨森芳洲ら)ほか優れた弟子を育てる
- 天草四郎(1621年 - 1638年) - 島原の乱の指導者・松平信綱率いる幕府軍に徹底的に鎮圧され討ち取られる
- 山鹿素行(1622年 - 1685年) - 儒学者(古学派の祖)・軍学者(山鹿流兵法の祖)・赤穂藩家老の大石良雄は門弟
- 三井高利(1622年 - 1694年) - 商人・呉服商から両替商まで事業を拡大・三井家(のちの三井財閥)の基礎を築く
- 酒井忠清(1624年 - 1681年) - 大名(上野厩橋藩藩主)・大老・将軍家綱のもと権力を握るが続く将軍綱吉に解任される
- 北村季吟(1625年 - 1705年) - 歌人・俳人・古典研究者として『源氏物語湖月抄』『伊勢物語拾穂抄』を著し古典注釈学を大成する
- 伊藤仁斎(1627年 - 1705年) - 儒学者(古義学派の祖)・京都堀川で私塾古義堂を開く・息子伊藤東涯らも学者となる
- 徳川光圀(1628年 - 1701年) - 水戸徳川家第2代藩主・彰考館を開き『大日本史』の編纂を開始・水戸黄門としても知られる
- 貝原益軒(1630年 - 1714年) - 福岡藩士・本草学者として『大和本草』を、教育者として『養生訓』を著す
- 円空(1632年 - 1695年) - 天台宗の僧侶・仏師として日本各地に「円空仏」と呼ばれる木造仏を残す
- 堀田正俊(1634年 - 1684年) - 大名(下総古河藩藩主)・大老・将軍家綱から綱吉まで仕える・江戸城で暗殺される
- 渋川春海(1639年 - 1715年) - 天文暦学者・800年近く用いられてきた宣明暦に代わる貞享暦を作成
- 契沖(1640年 - 1701年) - 真言宗の僧・古典学者(国学者)・『万葉代匠記』などで優れた実証主義的研究を行う
- 徳川家綱(1641年 - 1680年) - 江戸幕府4代征夷大将軍(在任1651年 - 1680年)・武断政治から文治政治へ政策が転換される
- 関孝和(1642年 - 1708年) - 数学者(和算家)・著書『発微算法』で筆算による代数計算法(点竄術)を開拓し和算の基礎を築く
- 井原西鶴(1642年 - 1693年) - 俳諧師・浮世草子作者・『好色一代男』『世間胸算用』『日本永代蔵』の著者
- 松尾芭蕉(1644年 - 1694年) - 俳諧師・『奥の細道』の著者・「俳聖」とも呼ばれ俳句を芸術の域まで高める
- 徳川綱吉(1646年 - 1709年) - 江戸幕府5代征夷大将軍(在任1680年 - 1709年)・元禄時代の文治政治を推進
- エンゲルベルト・ケンペル(1651年 - 1716年) - ドイツ人医師・博物学者・将軍綱吉に謁見・日本を紹介した『日本誌』をまとめる
- 尾形光琳(1658年 - 1716年) - 琳派の画家・「紅白梅図屏風」や「燕子図屏風」などの作品で知られる・陶芸家尾形乾山は弟
- 初代市川團十郎(1660年 - 1704年) - 役者・元禄の江戸歌舞伎を代表し荒事芸を歌舞伎に導入した
10年紀と各年
<tr><td>1600年代</td> <td>1600</td><td>1601</td><td>1602</td><td>1603</td><td>1604</td><td>1605</td><td>1606</td><td>1607</td><td>1608</td><td>1609</td></tr>
<tr><td>1610年代</td> <td>1610</td><td>1611</td><td>1612</td><td>1613</td><td>1614</td><td>1615</td><td>1616</td><td>1617</td><td>1618</td><td>1619</td></tr>
<tr><td>1620年代</td> <td>1620</td><td>1621</td><td>1622</td><td>1623</td><td>1624</td><td>1625</td><td>1626</td><td>1627</td><td>1628</td><td>1629</td></tr>
<tr><td>1630年代</td> <td>1630</td><td>1631</td><td>1632</td><td>1633</td><td>1634</td><td>1635</td><td>1636</td><td>1637</td><td>1638</td><td>1639</td></tr>
<tr><td>1640年代</td> <td>1640</td><td>1641</td><td>1642</td><td>1643</td><td>1644</td><td>1645</td><td>1646</td><td>1647</td><td>1648</td><td>1649</td></tr>
<tr><td>1650年代</td> <td>1650</td><td>1651</td><td>1652</td><td>1653</td><td>1654</td><td>1655</td><td>1656</td><td>1657</td><td>1658</td><td>1659</td></tr>
<tr><td>1660年代</td> <td>1660</td><td>1661</td><td>1662</td><td>1663</td><td>1664</td><td>1665</td><td>1666</td><td>1667</td><td>1668</td><td>1669</td></tr>
<tr><td>1670年代</td> <td>1670</td><td>1671</td><td>1672</td><td>1673</td><td>1674</td><td>1675</td><td>1676</td><td>1677</td><td>1678</td><td>1679</td></tr>
<tr><td>1680年代</td> <td>1680</td><td>1681</td><td>1682</td><td>1683</td><td>1684</td><td>1685</td><td>1686</td><td>1687</td><td>1688</td><td>1689</td></tr>
<tr><td>1690年代</td> <td>1690</td><td>1691</td><td>1692</td><td>1693</td><td>1694</td><td>1695</td><td>1696</td><td>1697</td><td>1698</td><td>1699</td></tr>
<tr><td>1700年代</td> <td>1700</td><td>1701</td><td>1702</td><td>1703</td><td>1704</td><td>1705</td><td>1706</td><td>1707</td><td>1708</td><td>1709</td></tr>