垂加神道

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垂加神道(すいかしんとう、しでますしんとう)は、江戸時代前期に山崎闇斎が提唱した神道説。吉川神道伊勢神道と並ぶ儒家神道のひとつとされる[1]

概要

垂加神道は、吉川神道を始めとする神道の諸教説を学んだ山崎闇斎が、吉川神道の流れをさらに発展させ、朱子学、陰陽学、易学をも取り入れた神道の集大成として完成させたもので、道徳性が強い内容となっている[1]

「垂加」の由来

臨済宗の僧侶であった山崎闇斎は、その後儒教を学ぶがあきたらず、度会延佳から伊勢神道を学び、ついで吉川惟足に師事し、吉川神道の奥義を伝授された。垂加とは、このとき、惟足が闇斎に贈った号である。

思想

垂加神道は、天照大御神に対する信仰を大御神の子孫である天皇が統治する道を神道であると定義づけ、天皇への信仰、神儒の合一を主張し、尊王思想の高揚をもたらした[2]。また、人間の「敬」を最も大切な徳分とし、敬を全うすれば天地と合一できる「天人唯一の理」を唱えた。

影響

垂加神道は、 その内容から、尊王思想の思想的バックボーンを形成することとなり、水戸学尊王論国粋主義思想に大きな影響を与えた[2]。また、この系譜から竹内式部のような熱烈な尊皇家が出た。浅見絧斎も儒教的大義名分論から尊王論を唱えた。やがてそこから日本主義国学の隆盛をもたらすこととなった。

脚注

  1. 1.0 1.1 テンプレート:Cite book
  2. 2.0 2.1 テンプレート:Cite book

参考文献

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