15世紀
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15世紀(じゅうごせいき)とは、西暦1401年から西暦1500年までの100年間を指す。
目次
15世紀の歴史
世界
ヨーロッパでは1453年、オスマン帝国により東ローマ帝国が滅ぼされ、古代から続いてきたローマ帝国は完全に滅亡した(これを以て、「中世の終わり」とする場合がある)。オスマン帝国の勢力が拡大し地中海の交易を支配すると、15世紀中頃から新たな交易ルートの開拓を目指して、ポルトガル・スペインを中心に航海ブームが起き、大航海時代に突入した。1492年、クリストファー・コロンブスがアメリカ大陸に到達すると大きな転機となり、ヨーロッパ諸国はしのぎを削って新大陸への進出を開始することとなる。
また、イタリアで始まった文化、哲学、科学、芸術などにおけるルネサンスが、アルプス以北の西ヨーロッパ諸国にも波及する(北方ルネサンス)。
日本
室町時代の中期にあたる。応仁の乱(1467年)、または明応の政変(1493年)以後は戦国時代に区分される場合もある。戦国時代には室町幕府権力の著しい低下、幕府と守護の体制の崩壊などにより、戦国大名の乱立が起き全国動乱の時代に突入した。この動乱は約1世紀に渡り続くことになる。
できごと
- 1401年
- 1402年
- 1403年 - 明が首都・北平を北京と改名。
- 1404年 - 冊封使が初めて琉球へ来琉。日明貿易(勘合貿易)始まる。
- 1405年
- 1406年
- 1407年
- 1408年 - 足利義満死去。
- 1409年 - ピサ公会議。
- 1410年
- 1411年 - 明使の入京拒否による国交断絶( - 1432年)。
- 1412年 - 後小松天皇が譲位し、第101代称光天皇が即位。
- 1414年 - コンスタンツ公会議( - 1418年)。
- 1415年
- アジャンクールの戦い。
- ポルトガルのセウタ攻略。
- 宗教改革者ヤン・フスの火刑。
- 1418年
- 鄭和の艦隊の分団が東アフリカのマリンディに到達。
- 1419年
- 1420年
- 1421年 - 明の永楽帝が首都を南京から北京に遷す。
- 1422年 - 雲南地方で麓川の乱。
- 1423年 - 足利義量が室町幕府第5代将軍となる。
- 1424年
- 1425年 - 明の宣徳帝が第5代皇帝に即位。
- 1428年
- 1429年
- 1430年
- 1431年
- 1434年
- コジモ・デ・メディチがフィレンツェにおける支配権を確立( - 1494年)。
- ポルトガル艦隊がボジャドル岬(ボハドル岬)を通過。
- 1435年
- 1437年 - フェラーラ公会議。
- 1438年 - パチャクテク即位によってインカ帝国は国家として再編する。
- 1439年
- 1441年 - 嘉吉の乱。
- 1442年 - 足利義勝が室町幕府第7代将軍となる。
- 1443年 - 禁闕の変。
- 1444年 - ヴァルナの戦い。
- 1446年 - 朝鮮の世宗のもとで「訓民正音」が公布される。
- 1448年 - 鄧茂七の乱。
- 1449年
- 1450年 - フランチェスコ・スフォルツァがミラノ公となる。
- 1453年
- オスマン帝国がコンスタンティノポリスを陥落させ、東ローマ帝国滅亡。
- カスティヨンの戦いにより英仏百年戦争が終結。
- エセン・ハーンがモンゴルのハーンとして即位するが、反発が強く翌1454年に殺害される。
- 1454年
- 1455年
- 1457年 - 明で奪門の変により、英宗天順帝が第8代皇帝に重祚。
- 1461年
- 1464年
- 1467年 - 応仁の乱(-1477年)。室町幕府が衰退し、戦国時代へ。
- 1469年 - ティムール朝がサマルカンド政権とヘラート政権に分裂する。
- 1471年
- 1472年 - モスクワ大公イヴァン3世が東ローマ帝国の皇女ソフィヤと結婚。
- 1473年 - 足利義尚が室町幕府第9代将軍となる。
- 1474年 - 越前一向一揆。
- 1476年 - 青松寺開創。
- 1477年
- ナンシーの戦いでブルゴーニュ公シャルル(突進公)がロレーヌ公ルネ2世に敗北し戦死。
- ブルゴーニュ公国のうちネーデルラントは娘のマリー女公とその夫君であるマクシミリアン1世(のちの神聖ローマ皇帝)が継承。
- ナンシーの戦いでブルゴーニュ公シャルル(突進公)がロレーヌ公ルネ2世に敗北し戦死。
- 1478年
- 1479年
- 1480年
- 1483年
- イングランド王エドワード4世が急死。息子のエドワード5世が即位するも、叔父グロスター公により退位させられる。
- グロスター公がリチャード3世として即位する。
- 1484年
- バニョーロの和議。
- 1485年
- 1487年
- 1488年
- ポルトガル人バルトロメウ・ディアスが喜望峰に到達する。
- 加賀一向一揆。
- 1490年 - 足利義材が室町幕府第10代将軍となる。
- 1492年
- ナスル朝が滅亡しレコンキスタ完了。
- クリストファー・コロンブスがカリブ海の島々に航海。いわゆる新大陸の発見。
- スペインからのユダヤ教徒追放令。
- 1493年
- 1494年
- 1495年
- 1498年
- 1499年
- シュヴァーベン戦争での勝利によりスイスは神聖ローマ帝国からの事実上の独立を勝ち取る。
- 1500年
人物
キリスト教世界
フランス・フランドル
- ピエール・ダイイ(1351年 - 1420年) - 枢機卿・パリ大学総長・コンスタンツ公会議で主導的な役割を果たす・著作に『世界像』がある
- ジャン・ジェルソン(1363年 - 1429年) - パリ大学総長・ピエール・ダイイと並びコンスタンツ公会議を主導・著作に『神学の慰め』がある
- ファン・エイク兄弟(兄フーベルト(1366年頃 - 1426年)、弟ヤン(1395年頃 - 1441年)) - 初期フランドル派の画家で油彩技法を大成
- ジャン1世(無畏公)(1371年 - 1419年) - ブルゴーニュ公・オルレアン公らアルマニャック派と対立・王太子シャルルによって暗殺される
- ジャック・クール(1395年 - 1456年) - フランスの財政家・シャルル7世の貨幣鋳造や戦費調達を担当・後年に不正が発覚し財産没収の上で亡命
- フィリップ3世(善良公)(1396年 - 1467年) - ブルゴーニュ公・百年戦争でイングランド側に接近・北方ルネサンスのパトロン
- ギヨーム・デュファイ(1397年 - 1474年) - ブルゴーニュ楽派の作曲家・ミサ曲「アヴェ・レジーナ・チェロールム」他がある
- シャルル7世(勝利王)(1403年 - 1461年) - ヴァロワ朝フランスの第5代国王(在位1422年 - 1461年)・百年戦争で最終的に勝利
- ジル・ド・レ(1404年 - 1440年) - フランスの貴族・百年戦争で活躍しフランス元帥となる・のちに多数の少年殺害の嫌疑で逮捕処刑される
- ジャンヌ・ダルク(1412年 - 1431年) - フランスの農民の娘・「オルレアンの乙女」・百年戦争でフランス軍を鼓舞・魔女裁判で火刑
- フランソワ・ヴィヨン(1431年? - 1463年以降) - フランスの詩人・放浪無頼の生活を送り「泥棒詩人」として有名・代表作に『遺言詩集』
- ジョスカン・デ・プレ(1440年? - 1521年) - フランスの作曲家・フランス王や教皇庁などに仕える・ミサ曲「めでたし海の星」などがある
- ヒエロニムス・ボス(1450年頃 - 1516年) - 初期フランドル派の画家・寓意を暗示する幻想的な画風・代表作に「快楽の園」がある
- シャルル8世(温厚王)(1470年 - 1498年) - ヴァロワ朝フランスの第7代国王(在位1483年 - 1498年)・イタリア戦争を始める
イングランド
- ヘンリー5世(1387年 - 1422年) - ランカスター朝のイングランド王(在位1413年 - 1422年)・トロワ条約でフランス王位継承者となる
- ヘンリー6世(1421年 - 1471年) - ランカスター朝のイングランド王(在位1422年 - 1461年、1470年 - 1471年)・狂疾から薔薇戦争勃発
- エドワード4世(1442年 - 1483年) - ヨーク朝のイングランド王(在位1461年 - 1483年)・ヘンリー6世を退位させヨーク朝の祖となる
- リチャード3世(1452年 - 1485年) - ヨーク朝のイングランド王(在位1483年 - 1485年)・ヘンリー7世に敗北・シェークスピア劇では悪役
- ヘンリー7世(1457年 - 1509年) - イングランド王(在位1485年 - 1509年)・薔薇戦争に勝利しテューダー朝を開く
- エリザベス・オブ・ヨーク(1466年 - 1503年) - エドワード4世の娘でヘンリー7世の妻・ランカスター家とヨーク家を結びつける
- トマス・マロリー(1399年頃 - 1471年) - イングランドの作家・伝説をもとに『アーサー王の死』をまとめる
- ジョン・カボット(1450年頃 - 1498年) - イタリア出身の探検家・ヘンリー7世の特許状で大西洋を渡り北アメリカ大陸を発見
神聖ローマ帝国
- ジギスムント(1368年 - 1437年) - ルクセンブルク家の神聖ローマ皇帝(在位1410年 - 1437年)・コンスタンツ公会議を招集
- トマス・ア・ケンピス(1380年 - 1471年) - ドイツ生まれの神秘思想家・聖書に次いで読まれた『キリストに倣いて』の著者
- ヨハネス・ニーダー(1380年頃 - 1438年) - ドイツのドミニコ会士・異端審問や教会刷新で活躍・著作『蟻塚』は魔術の研究としても重要
- ヨハネス・グーテンベルク(1398年頃 - 1468年) - ドイツのマインツ出身の金属加工職人・活版印刷術を発明
- ニコラウス・クザーヌス(1401年 - 1464年) - ドイツの枢機卿・神学者・哲学者・フィレンツェ公会議で東西教会合同を推進
- フリードリヒ3世(1415年 - 1493年) - ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝(在位1452年 - 1493年)・婚姻政策で帝位を世襲化
- ハインリヒ・クランマー(1430年頃 - 1505年) - ドイツのドミニコ会士・異端審問官・『魔女に与える鉄槌』を執筆し魔女裁判に影響を与える
- セバスチャン・ブラント(1457年 - 1521年) - ドイツの風刺作家・バーゼル大学教授・この当時の世相を風刺した『阿呆船』で知られる
- マクシミリアン1世(1459年 - 1519年) - ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝(在位1493年 - 1519年)・「中世最後の騎士」と呼ばれる
ローマ教皇・イタリア
- マルティヌス5世(1368年 - 1431年) - ローマ教皇(在位1417年 - 1431年)・コンスタンツ公会議で選出され教会大分裂は終結
- フィリッポ・ブルネッレスキ(1377年 - 1436年) - フィレンツェの建築家・ルネサンス様式のフィレンツェ大聖堂を建立
- ポッジョ・ブラッチョリーニ(1380年 - 1459年) - イタリアの人文主義者・ルクレティウスをはじめ古代ラテン語文献を発見したことで知られる
- ロレンツォ・ギベルティ(1381年頃 - 1455年) - フィレンツェの彫刻家・金細工師・サン・ジョヴァンニ洗礼堂門扉の製作競技で優勝する
- ドナテッロ(1386年 - 1466年) - フィレンツェの彫刻家・代表作に「ダヴィデ像」「カントリア」「ガッタメラータ像」がある
- コジモ・デ・メディチ(1389年 - 1464年) - フィレンツェの銀行家・メディチ家のフィレンツェ支配を確立・パトロンとしても有名
- フラ・アンジェリコ(1390年/1395年頃 - 1455年) - フィレンツェの画家・ドミニコ会士でサン・マルコ修道院に所属・「受胎告知」などが有名
- パオロ・ウッチェロ(1397年 - 1475年) - フィレンツェの画家・代表作に「サン・ロマーノの戦い」「ジョン・ホークウッド像」がある
- トスカネリ(1397年 - 1482年) - フィレンツェの地理学者・数学者・天文学者・実際よりも小さく地球の周長を見積りコロンブスに影響
- フランチェスコ・スフォルツァ(1401年 - 1466年) - スフォルツァ家最初のミラノ公(在位1450年 - 1466年)・ローディの和に協力
- マサッチオ(1401年 - 1428年) - フィレンツェの画家・透視遠近法を大成しブランカッチ礼拝堂フレスコ画などを手がける
- レオン・バッティスタ・アルベルティ(1404年 - 1472年) - フィレンツェの人文主義者・建築家・他の学芸にも秀で「万能人」の典型とされる
- ピウス2世(1405年 - 1464年) - ローマ教皇(在位1458年 - 1464年)・もとは人文主義者・オスマン朝に対する十字軍提唱
- ロレンツォ・ヴァッラ(1407年 - 1457年) - ローマ出身の人文主義者・文献調査から『コンスタンティヌスの寄進状』を偽書と指摘
- ピエロ・デラ・フランチェスカ(1412年 - 1492年) - ウルビーノで活躍した画家・遠近法や幾何学に優れ代表作に「聖十字架伝説」がある
- フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ(1422年 - 1482年) - ウルビーノ公・傭兵隊長・パトロンとしてウルビーノ宮廷で文化を保護育成する
- ジョヴァンニ・ベッリーニ(1430年頃 - 1516年) - ヴェネツィア派の画家・油彩技法をこの地で拡げる・「レオナルド・ロレダンの肖像」がある
- アンドレア・マンテーニャ(1431年 - 1506年) - マントヴァで活躍した画家・遠近法や人体描写に優れ代表作に「死せるキリスト」がある
- マルシリオ・フィチーノ(1433年 - 1499年) - フィレンツェの人文主義者・哲学者・神学者・プラトンの著作を翻訳・代表作は『プラトン神学』
- アンドレア・デル・ヴェロッキオ(1435年頃 - 1488年) - フィレンツェの画家・彫刻家・建築家・レオナルドの師としても有名
- サンドロ・ボッティチェッリ(1445年? - 1510年) - フィレンツェ出身の画家でルネサンスを代表する「春」「ヴィーナスの誕生」を描く
- ロレンツォ・デ・メディチ(イル・マニフィコ)(1449年 - 1492年) - フィレンツェの銀行家・コジモの孫・事実上のフィレンツェの僭主
- ジロラモ・サヴォナローラ(1452年 - 1498年) - フィレンツェの修道院長・メディチ家が失脚してフィレンツェを支配・火刑に処される
- レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年 - 1519年) - フィレンツェの画家・彫刻家・建築家など「万能の天才」・「モナリザ」他がある
- ピコ・デラ・ミランドラ(1463年 - 1494年) - フィレンツェのプラトン・アカデミーの中心人物・『人間の尊厳について』を著す
- ミケランジェロ(1475年 - 1564年) - フィレンツェの画家・彫刻家・「ダヴィデ像」「ピエタ」・「最後の審判」などの作品で知られる
イベリア半島
- エンリケ航海王子(1394年 - 1460年) - ポルトガル王ジョアン1世の王子・航海者の育成を支援し大航海時代を準備する
- トマス・デ・トルケマダ(1420年 - 1498年) - スペインの異端審問所長官・ドミニコ会士・カトリック両王に仕え激しい異端審問を行う
- バルトロメウ・ディアス(1450年頃 - 1500年) - ポルトガルの航海者でヨーロッパ人として初めて喜望峰に到達した
- イサベル1世(1451年 - 1504年) - トラスタマラ家のカスティーリャ女王(在位1474年 - 1504年)・夫フェルナンドとの結婚でスペイン王国成立
- クリストファー・コロンブス(1451年頃 - 1506年) - ジェノヴァ出身の探検家・スペイン王の支援でいわゆる「アメリカ大陸を発見」
- フェルナンド2世(1452年 - 1516年) - トラスタマラ家のアラゴン王(在位1479年 - 1516年)・妻イサベルとの結婚でスペイン王国成立
- ディオゴ・カン(1452年頃 - 1486年頃) - ポルトガルの航海者・コンゴ川を遡りコンゴ王国との通商を始める・現ナミビアにまで到達したか
- ジョアン2世(無欠王)(1455年 - 1495年) - アヴィス朝のポルトガル王(在位1481年 -1495年)・ポルトガル最盛期の王
- ペドロ・アルヴァレス・カブラル(1467年/1468年 - 1520年) - ポルトガルの航海者・探検家・ヨーロッパ人で初めてブラジルに到着
- ヴァスコ・ダ・ガマ(1469年頃 - 1524年) - ポルトガルの航海者・探検家・喜望峰を経てインド洋からインド(カリカット)に到着
東ローマ帝国
- ゲオルギオス・ゲミストス・プレトン(1360年? - 1452年) - 東ローマ帝国末期のプラトン学者・「パレオロゴス朝ルネサンス」を代表する
- ヨハンネス・ベッサリオン(1399年? - 1472年) - 東ローマ帝国から亡命した人文主義者・正教会からカトリックに転じ枢機卿となる
- コンスタンティノス11世(1409年 - 1453年) - 東ローマ帝国最後の皇帝(在位1448年 - 1453年)・オスマン朝との帝都攻防戦で戦死
- ゲンナディオス2世(1400年 - 1468年?) - 東ローマ帝国滅亡後で最初のコンスタンティノポリス総主教・東西教会合同には反対
東欧
- ヴワディスワフ2世(1351年 - 1434年) - ヤギェウォ朝の君主・タンネンベルクの戦いでドイツ騎士団に勝利
- ヤン・フス(1369年 - 1415年) - ベーメンのカレル大学学長・宗教改革の先駆者とされる・コンスタンツ公会議で火刑に処される
- ヤン・ジシュカ(1374年 - 1424年) - ベーメンの軍人・ターボル派(急進フス支持派)を率いフス戦争で活躍する
- スカンデルベグ(1405年 - 1468年) - アルバニアの君主・オスマン帝国に一時臣従するも反逆・アルバニアの民族的英雄
- フニャディ・ヤーノシュ(1409年? - 1456年) - ハンガリーの政治家(摂政)・オスマン帝国とたびたび交戦・ヴァルナの戦いでは敗北
- ヴラド・ツェペシュ(1431年 - 1476年) - ルーマニアのワラキア公・通称ドラキュラ公または串刺し公・トルコから国を救った英雄
- マーチャーシュ1世(正義王)(1443年 - 1490年) - ハンガリー王(在位1458年 - 1490年)・ルネサンス文化をハンガリーに広げる
ロシア
- アンドレイ・ルブリョフ(1360年頃 - 1430年) - ロシアの修道士・モスクワ派(ルブリョフ派)のイコン画家・代表作に「至聖三者」がある
- イシドール(1385年頃 - 1464年) - モスクワ府主教・ギリシア人・フィレンツェ公会議に出席し東西教会合同宣言に署名・後に追放される
- イヴァン3世(1440年 - 1505年) - モスクワ大公(在位1462年 - 1505年)・ゾイ・パレオロギナと結婚し「ツァーリ」の称号を用いる
イスラム世界
- ティムール(1336年 - 1405年) - 中央アジアの征服者でティムール朝の建設者(在位1370年 - 1405年)・アンカラの戦いで勝利
- ルイ・ゴンザレス・デ・クラビホ(? - 1412年) - カスティリャ王エンリケ3世がティムール朝へ派遣した外交官・『ティムール帝国紀行』を残す
- ムハンマド・イブン・ムハンマド・アル・ナフザウィ(活躍時期1410年 - 1434年) - ハフス朝に仕えた文筆家・性愛文学『匂える園』を残す
- ヒズル・ハーン(? - 1421年) - サイイド朝の初代君主(在位1414年 - 1421年)・もともとはティムール朝に仕えた軍人
- カラ・ユースフ(? - 1420年)- アナトリアの黒羊朝(カラ・コユンル朝)の第3代君主(在位1389年/1390年 - 1400年、1406年 - 1420年)
- カラ・ユルク・オスマン(? - 1435年) - アナトリアの白羊朝(アク・コユンル朝)の初代君主(在位1378年 - 1435年)
- アル=マクリーズィー(1364年頃 - 1435年) - マムルーク朝の地理歴史学者。『エジプト地誌』『エジプト社会救済の書』などがある
- シャー・ルフ(1377年 - 1447年) - ティムール朝の第3代君主(在位1409年 - 1447年)・サマルカンドからヘラートに都を遷す
- ハーフェズ・アブルー(? - 1430年) - ティムール朝のシャー・ルフに命じられ『歴史集成』を撰述
- アシュラフ・バルスバーイ(? - 1438年) - マムルーク朝のスルターン(在位1422年 - 1438年)・マムルーク朝の中興の祖
- ウルグ・ベク(1394年 - 1449年) - ティムール朝の第4代君主(在位1447年 - 1449年)・天文学者・歴史家としても知られる
- ムラト2世(1404年 - 1451年) - オスマン朝の第6代スルタン(在位1421年 - 1444年、1446年 - 1451年)・ヴァルナの戦いで勝利
- ジャーミー(1414年 - 1492年) - ヘラートで活躍した神秘主義詩人・ペルシア語の恋愛詩「ユースフとズライハ」などの作品で知られる
- ウズン・ハサン(1423年 - 1478年) - 白羊朝の君主(在位1453年 - 1478年)・黒羊朝を滅ぼしイラン西部まで領土を拡大
- アブー・サイード(1424年 - 1469年) - ティムール朝の第7代君主(在位1451年 - 1469年)・ティムール朝再統一・バーブルの祖父
- メフメト2世(征服王)(1432年 - 1481年) - オスマン朝のスルタン(在位1451年 - 1481年)・東ローマ帝国を滅ぼしバルカンを平定
- バフルール・ローディー(? - 1489年) - ローディー朝の初代君主(在位1451年 - 1489年)・アフガン系ローディー族のサルダール(指導者)
- ミールホーンド(1433年 - 1498年) - ティムール朝の歴史家・天地創造からティムール朝までの歴史書『清浄の園』を著す
- フサイン・バイカラ(1438年 - 1506年) - ティムール朝ヘラート政権の君主(在位1470年 - 1506年)・最盛期の君主
- ミール・アリー・シール・ナヴァーイー(1441年 - 1501年) - ティムール朝の政治家・詩集『諸思想の宝庫』や思想書『敬虔な信者の困惑』がある
- ボアブディル(ムハンマド12世)(1460年? - 1527年) - ナスル朝(グラナダ王国)の最後の君主(在位1482年 - 1492年)
南アジア
東南アジア
- パラメスワラ(? - 1414年) - マラッカ王国の初代国王(在位1402年 - 1414年)・もとはシュリーヴィジャヤ王国の王子
- ボーロマトライローカナート(1431年 - 1488年) - タイのアユタヤ朝の国王(在位1448年 - 1488年)・サックディナー制度を完成させる
東アジア
明
- 姚広孝(1335年 - 1418年) - 明の政治家・軍師・法名は道衍・靖難の変で永楽帝に挙兵を進言・第一の功臣とされる
- 永楽帝(1360年 - 1424年) - 明の第3代皇帝(成祖)(在位1402年 - 1424年)・靖難の変に勝利し北京に都を遷す
- 楊士奇(1365年 - 1444年) - 明の政治家・洪熙帝と宣徳帝の治世(仁宣の治)を支えた「三楊」の一人(他に楊栄・楊溥)
- 陳誠(1365年 - 1457年) - 明の外交官・探検家・陸路からティムール朝を訪れその記録を『西域番国志』に残す
- 鄭和(1371年 - 1434年) - 明の宦官(太監)・探検家・永楽帝の命で南海大遠征を指揮し東南アジア・インド・アラビアなどに赴く
- 亦失哈(イシハ)(生没年不詳) - 明の宦官(女真族)・探検家・黒竜江流域に赴き奴児干都司を設置・石碑「奴児干永寧寺碑記」が残る
- 朱高煦(1380年 - 1426年) - 明の皇族(漢王)・永楽帝の子で洪熙帝の弟・甥の宣徳帝から帝位簒奪を謀るが失敗し処刑される
- 宣徳帝(1398年 - 1435年) - 明の第5代皇帝(在位1425年 - 1435年)・その治世が仁宣の治・鄭和の最後の南海大遠征を派遣
- 于謙(1398年 - 1457年) - 明の政治家・土木の変で正統帝が捕虜になると弟の景泰帝を擁立し北京に迫ったオイラト軍を撃退
- 王振(? - 1449年) - 明の宦官・正統帝の教育係としてオイラト遠征を勧め土木の変にて戦死する
- 鄧茂七(? - 1449年) - 明の農民反乱指導者・福建省で小作料や徭役の減免を要求して蜂起(抗租)・曹吉祥の軍に鎮圧される
- 曹吉祥(? - 1461年) - 明の宦官・石亨と共謀して奪門の変を起こし天順帝を重祚させる・于謙らも粛清し権勢を誇るが処刑される
- 李賢(1408年 - 1466年) - 明の政治家・奪門の変で権勢を振るった石亨や曹吉祥を倒し天順帝の信任を得る
- 正統・天順帝(1427年 - 1464年) - 明の第6代・第8代皇帝(英宗)(在位1435年 - 1449年、1457年 - 1464年)
- 沈周(1427年 - 1509年) - 明の文人・画家で呉派の中心人物・唐寅や祝允明や文徴明らは弟子
- 万貴妃(1430年 - 1487年) - 明の第9代皇帝成化帝の寵姫・後宮を支配し皇帝の後継者問題に容喙した
- 弘治帝(1470年 - 1505年) - 明の第10代皇帝(在位1487年 - 1505年)・先帝までの弊を改め明の中興の祖と呼ばれる
大越
- 黎利(1385年 - 1433年) - ベトナム(大越国)の後黎朝の初代皇帝(太祖)(在位1428年 - 1433年)・明から独立を果たす
- 黎聖宗(1442年 - 1497年) - ベトナム(大越国)の後黎朝の第5代皇帝(在位1460年 - 1497年)・チャンパを屈服させ「光順中興」を現出
モンゴル
- エセン・ハーン(? - 1454年) - オイラト部の部族長・土木の変で明の正統帝を捕虜とする・後にハーンとなるが反対が多く殺される
- ダヤン・ハーン(1464年 - 1524年) - モンゴルのハーン・長らく分裂状態にあったモンゴル諸部を再統一
朝鮮
- 宋希璟(1376年 - 1446年) - 李氏朝鮮の官僚・応永の外寇の処理のため派遣され来日・『老松堂日本行録』がある
- 世宗(大王)(1397年 - 1450年) - 李氏朝鮮の第4代国王(在位1418年 - 1450年)・ハングル(訓民正音)を制定する
- 世祖(1417年 - 1468年) - 李氏朝鮮の第7代国王(在位1455年 - 1468年)・癸酉靖難後に甥の端宗を倒し即位する
- 申叔舟(1417年 - 1475年) - 李氏朝鮮の官僚・癸酉靖難では首陽大君(世祖)に協力・来日した記録に『海東諸国紀』がある
日本
- 満済(1378年 - 1435年) - 真言宗の僧・醍醐寺中興の祖・准后として将軍足利義教の選出に尽力
- 赤松満祐(1381年? - 1441年) - 守護大名・嘉吉の乱で将軍足利義教を暗殺・幕府軍に追討され自殺
- 正徹(1381年 - 1459年) - 臨済宗の僧・歌人であり古典学者・『正徹物語』がある
- 上杉禅秀(? - 1417年) - 室町時代関東管領・鎌倉公方足利持氏と対立し反乱を起こすが鎮圧される(上杉禅秀の乱)
- 足利義持(1386年 - 1428年) - 室町幕府第4代将軍(在任1394年 - 1423年)・父の足利義満の政策を否定
- 善阿弥(1386年? - 1482年?) - 庭師・河原者という身分ながら将軍足利義政に重用される・花の御所庭園などを造営
- 瑞渓周鳳(1392年 - 1473年) - 臨済宗五山派の禅僧・相国寺住持・外交に関与し日本初の外交資料集『善隣国宝記』を編纂
- 足利義教(1394年 - 1441年) - 室町幕府第6代将軍(在任1429年 - 1441年)・「万人恐怖」と呼ばれる強権政治を行う
- 一休宗純(1394年 - 1481年) - 臨済宗大徳寺派の禅僧・漢詩人として『狂雲集』がある・一休さんの頓知話でも知られる
- 能阿弥(1397年 - 1471年) - 室町幕府の同朋衆・水墨画家・鑑定家として東山御物を選定・子に芸阿弥・孫に相阿弥がいる
- 周文(生没年不詳) - 水墨画家・禅僧・「水色巒光図」「竹斎読書図」が残る
- 如拙(生没年不詳) - 水墨画家・禅僧・将軍足利義持の命で書いた「瓢鮎図」が残る
- 足利持氏(1398年 - 1439年) - 室町幕府の鎌倉公方・永享の乱で室町将軍と対立し滅ぼされる
- 一条兼良(1402年 - 1481年) - 公卿・摂政・関白・古典学者で『花鳥余情』などの著者
- 結城氏朝(1402年 - 1441年) - 守護大名・永享の乱後に足利持氏の遺児を擁して幕府と戦う(結城合戦)
- 山名宗全(1404年 - 1473年) - 室町幕府侍所頭人・守護大名・応仁の乱では西軍の総大将を務める
- 日親(1407年 - 1488年) - 日蓮宗の僧・京都本法寺開山・将軍足利義教に拷問を受けた「鍋かぶり日親」の話が有名
- 足利義量(1407年 - 1425年) - 室町幕府第5代将軍(在任1423年 - 1425年)
- 上杉憲実(1410年? - 1466年?) - 室町幕府関東管領・鎌倉公方足利持氏と対立・足利学校を再興
- 蓮如(1415年 - 1499年) - 本願寺第8世・北陸地方で信者を開拓し一向一揆を指導する
- 雪舟等楊(1420年 - 1506年?) - 水墨画家・禅僧・渡明して技法を学ぶ・「秋冬山水図」や「天橋立図」で知られる
- 宗祇(1421年 - 1502年) - 連歌師・東常縁より古今伝授を受ける・『新撰菟玖波集』を撰集
- 村田珠光(1422年/1423年 - 1502年) - 茶人・一休宗純に参禅・唐物を賞玩する茶を否定しわび茶を創始
- 池坊専慶(活躍時期1457年頃 - 1466年頃) - 京都頂法寺(六角堂)の僧・池坊華道の元祖とされ『碧山日録』に記録が残る
- 朝倉孝景(1428年 - 1481年) - 守護大名・斯波義廉と組んで応仁の乱では西軍に属すが後に裏切る
- 日野勝光(1429年 - 1476年) - 公卿(左大臣)・妹に日野富子がおり足利義尚は甥・「押大臣」と呼ばれ権勢を誇った
- 細川勝元(1430年 - 1473年) - 室町幕府管領・守護大名・応仁の乱では東軍の総大将を務める
- 骨皮道賢(? - 1468年) - 足軽大将・応仁の乱では細川勝元の東軍に属す・略奪放火を繰り返し乱の被害を拡大させる
- 太田道灌(1432年 - 1486年) - 関東管領上杉氏の一族(扇谷上杉家)の家宰・江戸城を築く
- 足利義勝(1434年 - 1443年) - 室町幕府第7代将軍(在任1442年 - 1443年)
- 狩野正信(1434年? - 1530年?) - 室町幕府御用絵師・狩野派の祖・「周茂叔愛蓮図」などがある
- 斯波義敏(1435年 - 1508年) - 守護大名・武衛騒動で斯波義廉と家督を争う・後に応仁の乱では東軍に属す
- 吉田兼倶(1435年 - 1511年) - 神道家・吉田神道(唯一神道)の事実上の創始者として全国の神社を統括・著作に『神道大意』ほか
- 足利義政(1436年 - 1490年) - 室町幕府第8代将軍(在任1449年 - 1473年)・東山文化を代表する慈照寺銀閣を建てる
- 足利成氏(1438年 - 1497年) - 室町幕府の鎌倉公方・足利持氏の遺児・享徳の乱で鎌倉を出奔し初代古河公方となる
- 足利義視(1439年 - 1491年) - 足利義政の弟で将軍候補の一人・後に子の足利義稙が10代将軍となる
- 日野富子(1440年 - 1496年) - 足利義政の正室・将軍後継をめぐり実子の足利義尚を推し応仁の乱の原因をなす
- 畠山政長(1442年 - 1493年) - 守護大名・室町幕府管領・応仁の乱では東軍に属す・畠山義就との家督争いから山城国一揆を招く
- 真盛(1443年 - 1495年) - 天台宗の僧・天台宗真盛派の祖・近江西教寺を再興する・諡号は慈摂大師
- 大内政弘(1446年 - 1495年) - 守護大名・応仁の乱では西軍に属し動向を左右する・本拠地山口で大内文化を育む
- 三条西実隆(1455年 - 1537年) - 公卿・内大臣・宗祇から古今伝授を受ける・『実隆公記』を残す
- 足利義尚(1465年 - 1489年) - 室町幕府第9代将軍(在任1473年 - 1489年)・六角征伐の鈎の陣で病没
- 足利義稙(1466年 - 1523年) - 室町幕府第10代将軍(在任1490年 - 1493年、1508年 - 1521年)・通称「流れ公方」
- 足利義澄(1480年 - 1511年) - 室町幕府第11代将軍(在任1493年 - 1508年)・明応の政変で擁立される
フィクションのできごと
- 1482年 - パリのノートルダム大聖堂助祭長フロロがジプシーの踊り子エスメラルダを魔女裁判で処刑。大聖堂の鐘つきカジモドがそれに反発しフロロを殺害する(ヴィクトル・ユーゴー『ノートルダム・ド・パリ』)。
脚注
- ↑ サイモン・ウィンチェスター著、野中邦子訳『世界を変えた地図 -ウィリアム・スミスと地質学の誕生-』早川書房 2004年 65ページ