浮世絵
220px | 155px | 155px |
315px | ||
左から |
浮世絵(うきよえ)は、江戸時代に成立した絵画のジャンルである。 錦絵 とも言う。演劇、古典文学、和歌、風俗、地域の伝説と奇談、肖像、静物、風景、文明開化、皇室、宗教など多彩な題材がある。「浮世」という言葉には「現代風」という意味もあり、当代の風俗を描く風俗画である。大和絵の流れを汲み、総合的絵画様式としての文化的背景を保つ一方で、人々の日常の生活や風物などを多く描いている。
現在一般に浮世絵といえば、専ら多色刷りの木版画いわゆる錦絵を想起される場合が多いが、巻物などの肉筆浮世絵も含まれる。肉筆浮世絵は、形式上、屏風絵、絵巻、画帖、掛け物、扇絵、絵馬、画稿、版下絵の8種類に大別される。浮世絵師は和装本の挿絵、表紙の仕事も並行してやった。引き札も浮世絵の一種である。 さらに鏝絵、泥絵、ガラス絵、凧絵 ねぶた絵なども浮世絵の一種といえる。
目次
概要
浮世絵には版画、絵画と肉筆画のものがある。絵画と肉筆画は一点ものであり、名のある絵師によるものは高価であった。これに対して、木版画は版画であるために、同じ絵柄のものを多く刷り上げることができ安価で、江戸時代の一般大衆もたやすく求められた。また有力者や大名などのコレクションが、現代の有数のコレクションに引き継がれているという見方もある。
浮世絵版画は大衆文化の一部であり、手に取って眺め愛玩された。現代の美術展等のように額に入れて遠目に眺めるものではなかった。しかし、現在は手にとって眺めるほかに、額に入れて美術館や家庭などに飾られることが多くなった。草双紙や絵巻物、また瓦版(新聞)の挿絵の役割も果たした。絵暦と呼ばれるカレンダーの制作も行われ、絵の中に数字を隠すなど様々な工夫を凝らしたものが作られた。江戸から国元への土産にも、その美しさと嵩の低さが喜ばれた。玩具絵のように切り抜いて遊ぶものもある。
はっきりした図柄と大胆な構図、影の表現を持たないこと等が表現上の特徴である。遠近法も取り入れられた。遠景の人物を逆に大きく描く北斎の『釣の名人』のように、意図的に遠近をずらされたものもある。
また、絵師による誇張や意図などを考慮する必要はあるが、描かれている風景や現在では変化・消失した名所、人々の生活や生業、文化などを伝える歴史資料としても活用されている。
歴史
もともと浮世絵は、浮世を描いた絵、風俗画として登場している。
浮世絵師には狩野派、土佐派出身の絵師が数多く見られる。そのため室町時代から桃山時代の風俗画の影響が見受けられる。
- 始期
- 天文末期から明暦の大火の頃。木版の発生前であり、厳密には浮世絵とはいえないかもしれないが、肉筆によって岩佐又兵衛らが当時の風俗画を描いており、京都では、北村忠兵衛や辻村茂兵衛といった絵師が清水寺に絵馬を奉納している。
- 初期
- 明暦の大火から宝暦の頃。初期の浮世絵は肉筆画と木版の単色刷り(墨摺絵)が主である。その後、墨摺絵に赤い顔料で着色した丹絵(たんえ)、紅絵(べにえ)、紅絵の黒い部分に膠を塗って光沢を出した漆絵(うるしえ)が登場、以上はすべて筆による彩色であった。さらに紅絵に緑色など二、三色を版摺りによって加えた紅摺絵(べにずりえ)が登場する。錦絵登場の直前、輪郭線すらも墨を用いず「露草」の青とした水絵(みずえ)と呼ばれる、極端に彩度の低い多色刷りも生まれている。
- 中期
- 明和2年(1765年)から文化3年(1806年)頃。鮮やかな多色刷りの東錦絵(吾妻錦絵、江戸絵)が編み出され、浮世絵文化が開花する。下絵師、彫師、摺師の分業体制が整っていく。
- 後期
- 文化4年(1807年)から安政5年(1858年)頃。美人画、役者絵、武者絵のほか、旅行ブームに伴い名所絵(風景画)が発達。
- 終期
- 安政6年(1859年)から明治45年(1912年)頃。幕末から明治にかけて、横浜絵、開化絵、錦絵新聞、皇室を描いた絵など、新しい時代の世情紹介に浮世絵が大きな役割を果たす。世相を反映した戦争絵も歓迎されたが、やがて浮世絵は、新聞、写真など他のメディアに押されて衰退していく。絵師は挿絵画家や日本画家に転じ、浮世絵の伝統は他のジャンルへと受け継がれていった。
始期
- 天文末期から明暦の大火の頃までを指す。まだ木版の誕生前であり、肉筆画が主であった。
初期
明暦の大火頃から宝暦の頃までを指す。初期の浮世絵は肉筆画と木版の単色刷り(墨摺絵)が主である。
17世紀半ば以降、木版画の原図を描く者を版下絵師といい、その中で絵本や浮世草子に挿絵を描いた菱川師宣が登場する。また、代表作として有名な『見返り美人図』は肉筆画である。
井原西鶴の『好色一代男』(1682年刊)には、12本骨の扇子に浮世絵が描かれていたとあり、これが浮世絵という言葉の確認出来る最古の文献である。
鳥居清信の時代になると墨摺絵に筆で着色したものが現れる。これらは主に赤い顔料を使い着色され、丹を使ったものを丹絵(たんえ)、紅を使ったものを紅絵(べにえ)と呼んだ。紅絵までは筆彩であったが、さらに紅絵に色を二、三色、版彩によって加えたものを紅摺絵(べにずりえ)と呼ぶ。この当時から鳥居派は歌舞伎と強く結びつき、現代でも歌舞伎の看板を手がけている。
中期
錦絵が誕生した明和2年(1765年)から文化3年(1806年)頃を指す。
明和2年(1765年)に江戸の俳人を中心に絵暦が流行し、絵暦交換会が開かれるようになった。その需要に伴い鈴木春信らが多色刷りによる東錦絵(吾妻錦絵)を編み出したことで、浮世絵文化は本格的開花期を迎えた。多色刷りが可能になった背景には、重ね刷りの際の目印となるよう「見当」が工夫されたこと、複数回の刷りに耐えられる丈夫で高品質な紙が普及したことが挙げられる。越前奉書紙、伊予柾紙、西野内紙などの楮を原料とした紙が用いられた。また、経済の発展により下絵師、彫師、摺師と複雑な工程の分業体制を整えることができた点も重要である。
鈴木春信の死後、美人画は中性的・人形的な絵柄から写実的なものへと変化していった。
安永期、北尾重政は写実的な美人画で人気を博した。役者絵にも写実さが加わり勝川春章によってブロマイド的な似顔絵が描かれた。
さらに喜多川歌麿が登場し、繊細で上品で優雅なタッチで、美人画の大首絵を数多く手がけた。
寛政2年(1790年)、改印制度ができ、出版物に様々な規制がされた。
寛政7年(1795年)、禁令のため財産を没収された版元蔦屋重三郎が起死回生を狙い、東洲斎写楽が売り出される。独特の誇張された役者絵によって話題を呼ぶが、役者の特徴を誇張しすぎ、人気が振るわなかったことと、歌川豊国による『役者舞台姿絵』のより美しく、贔屓目に描かれた役者絵の絶大な人気に敗退した。
歌川豊国の一番弟子、歌川国政の役者絵の技量は抜群であり、師をしのぐ勢いがあるといわれたが、文化2年(1805年)か同3年(1806年)ころには作画を辞め、役者似顔の面を作って売ったといわれる。
その後、豊国の弟子たちからなる浮世絵絵師最大派閥である歌川派が形成されていった。 テンプレート:-
後期
文化4年(1807年)から安政5年(1858年)頃まで。喜多川歌麿の死後、美人画の主流は渓斎英泉が描くような官能的な色っぽい美人や可愛げに移っていく。
勝川春章の門人、葛飾北斎は旅行ブームに伴い『富嶽三十六景』を手がけ、それが元で歌川広重 によって『東海道五十三次』が刊行された。この2人によって浮世絵における名所絵(風景画)が発達した。
役者絵では歌川国貞が師匠歌川豊国の流れを受け継いで、力強い役者絵を手がけた。
また、草双紙で伝奇ブームに伴い、歌川国芳などによって武者絵が描かれるようになる。歌川国芳の『水滸伝』シリーズは当時人気を博し、浮世絵水滸伝ブームが起こる。
嘉永6年刊行の『江戸寿那古細見記』に「豊国にがほ(似顔絵)、国芳むしや(武者絵)、広重めいしよ(名所絵)」と書かれた。 テンプレート:-
終期
安政6年(1859年)から明治45年(1912年)頃を指す。この時期の主な特徴は、浮世絵以外の様々なジャンルとの相互乗り入れが頻繁に行われたことである。また、当時「洋赤」と呼ばれた安価な輸入染料が使われ、前代から引き続き使われたプルシャンブルーと相まって、強い色彩とともに、新しい題材が加わる。
文明開化によって、西洋建築や鉄道を描いた開化絵や横浜絵が描かれ、明治維新後の急激な社会変動の有様を写し、人々に伝えるジャーナリズムの役割を担った。楊洲周延が幕末の戦争絵から大奥、明治時代の上流階級の群像を豪華で華麗な姿で描き、もてはやされた。
また、維新によって発展した社会の中で、歌川国芳の門人、月岡芳年や豊原国周によって様々な画題の新鮮味のある絵が描かれた。無残絵や新聞錦絵も生まれた。[1]。
月岡芳年は繊細で写生を重視した絵柄で、数多くの歴史画、風俗画を手がけ、「最後の浮世絵師」と呼ばれるようになる。また、水野年方ら弟子には積極的に浮世絵以外の絵を学ばせたため、鏑木清方のように多くの門流が挿絵画家や、日本画家として大成し、浮世絵の伝統は他のジャンルへと受け継がれていった。
また、月岡芳年にも学んでいる河鍋暁斎のような狩野派の画家から浮世絵を描くものも登場する。
小林清親は西洋画をチャールズ・ワーグマンに学び、光線画と呼ばれる輪郭線を使わない西洋風の風景画を手がけた。
歌川芳藤は子供のための玩具絵と呼ばれる、今で言う紙でできた付録のようなものを浮世絵で手がけ、その工夫が受けて玩具絵専用絵師として活躍した。「おもちゃ芳藤」とまで呼ばれた。
明治初年から30年間における、錦絵の作画量・出版数は、幕末の15年間より遥かに多い[2]。しかし、このころ新聞や写真、石版画などの新技術が発展してゆき、挿絵画家などへの転向を余儀なくされることもあった。江戸時代からずっと続いた浮世絵の歴史は、日清戦争、日露戦争後一時下火になる。しかし、明治38年(1895年)に博文館から『文芸倶楽部』という雑誌が刊行されると、その表紙の次のページに描かれる口絵を浮世絵師たちが描くようになり、武内桂舟、水野年方、富岡永洗、梶田半古、鏑木清方らがこれを担当しており、清方はこの時代を「木版口絵の時代」と称している。
明治40年頃に始まり大正を経て昭和にかけて、川瀬巴水、伊東深水らは浮世絵の復興を目する新版画を出して、浮世絵の木版多色刷り技法を活かした作品を多数残している。また、山本鼎、石井柏亭、恩地孝四郎らは自ら絵を描き、自分で彫り摺りも行う創作版画を作り始めた。 テンプレート:-
浮世絵師一覧
代表的な浮世絵師
- 始期(天文から寛文)
- 岩佐又兵衛(岩佐勝以)、岩佐勝重
- 初期(延宝から宝暦)
- 花田内匠、菱川師宣、菱川師房、古山師重、古山師政、菱川和翁、田村水鷗、山崎龍女、石川流宣、鳥居清元、鳥居清信、鳥居清倍、鳥居清満、懐月堂安度、長陽堂安知、懐月堂度繁、懐月堂度辰、懐月堂度種、懐月堂度秀、松野親信、宮川長春、宮川一笑、宮川長亀、宮川春水、西川祐信、西川祐尹、奥村政信、奥村利信、西村重長、石川豊信、鳥居清広、月岡雪鼎、川又常行、川又常正、杉村治兵衛、二代鳥居清信、二代鳥居清倍、万月堂、鳥居清忠、鳥居清重、鳥居清経、広瀬重信、鳥居清里、小川破笠、鳥山石燕
- 中期(明和から文化)
- 鈴木春信、礒田湖龍斎、北尾重政、一筆斎文調、岸文笑、勝川春章、勝川春好、勝川春英、歌川豊春、鳥居清長、勝川春潮、窪俊満、北尾政演(山東京伝)、北尾政美(鍬形蕙斎)、水野廬朝、恋川春町、喜多川歌麿、鳥文斎栄之、栄松斎長喜、鳥高斎栄昌、一楽亭栄水、東洲斎写楽、歌川豊国、歌川国政、歌川豊春、歌川豊広、酒井抱一、歌川国丸、鈴木春重(司馬江漢)、亜欧堂田善、勝川春常、勝川春泉、勝川春山、喜多川藤麿、喜多川月麿、喜多川式麿、闇牛斎円志、歌舞伎堂艶鏡、玉川舟調、鳥橋斎栄里、鳥園斎栄深、五郷、一貫斎栄尚、琢斎栄玉、酔月斎栄雅、弄春斎栄江、栄烏、鳥喜斎栄綾、栄鱗、鳥卜斎栄意、葛堂栄隆、一掬斎栄文、鳥玉斎栄京、文和斎栄晁、鳥囀斎栄寿、酔夢亭蕉鹿、桃源斎栄舟、鳥龍斎栄源、十返舎一九、祇園井特
- 後期(文化から安政)
- 葛飾北斎、菱川宗理、昇亭北寿、柳々居辰斎、 魚屋北渓(葵岡北渓)、蹄斎北馬、柳川重信、高井鴻山、葛飾応為、大山北李(恒斎北李)、安田雷洲、牧墨僊、本間北曜、二代喜多川歌麿、喜多川雪麿、菊川英山、渓斎英泉、磯野文斎、二代鳥居清満(鳥居清峰)、歌川国安、歌川国虎、二代歌川豊国(歌川豊重)、三代歌川豊国(歌川国貞)、歌川国芳、歌川広重(安藤広重)、歌川豊広、歌川国政、勝川春扇、歌川国直、勝川春亭、歌川貞虎、歌川貞景、歌川貞房、歌川房種、歌川芳虎、歌川重丸、歌川貞広、玄珠斎栄暁、三畠上龍、吉原真龍、春好斎北洲、春梅斎北英、歌川国輝、歌川貞升
- 終期(幕末から明治)
- 歌川芳艶、歌川貞秀(橋本貞秀)、二代歌川広重(歌川重宣)、歌川芳藤、歌川豊国 (4代目)、歌川国政 (4代目)、落合芳幾、月岡芳年、河鍋暁斎、豊原国周、三代歌川広重、三代歌川国貞、長谷川貞信、二代目長谷川貞信、小林清親、井上安治(井上探景)、田口米作、小倉柳村、楊洲周延(橋本周延)、小林永濯、尾形月耕、水野年方、山本昇雲、歌川芳鶴、歌川芳満、楊斎延一
- 大正から昭和
- 土屋光逸、恩地孝四郎、川瀬巴水、北野恒富、小早川清、弦屋光渓、橋口五葉、山本鼎、石井柏亭、石井鶴三、織田一磨、吉田博、戸張孤雁、上村松園、竹久夢二、鏑木清方、池田輝方、榊原蕉園、山村耕花、伊東深水、山川秀峰、鳥居言人、名取春仙、小村雪岱、志村立美、岩田専太郎
主な版元
娯楽出版物を扱う地本問屋(じほんといや)が浮世絵の版元となっている。当時、町人は苗字帯刀が許されておらず、鶴屋などは屋号で、苗字ではない。
- 鶴屋喜右衛門(鶴屋) - 老舗の一つ。「東海道五十三次」を途中まで出版。
- 奥村屋政信(鶴寿堂)
- 和泉屋市兵衛(甘泉堂・泉市) - 天明-明治初期の代表的版元。歌麿、広重、国貞などの作品を手がける。
- 西村屋与八 - 「冨嶽三十六景」など北斎作品を多く手掛ける。
- 蔦屋重三郎
- 丸屋甚八
- 三河屋利兵衛
- 山口屋藤兵衛
- 伊場屋仙三郎 / 伊場屋久兵衛(伊場仙 / 伊場久) - 東海道張交図絵(歌川広重)。元は幕府御用の和紙・竹製品店。それにもかかわらず、風刺絵や役者絵禁止令が出された後にも「落書き」と称して役者絵を出版している。団扇絵を多く手掛け、現在は日本橋で団扇、扇子、カレンダー業を営み、新宿伊勢丹、日本橋三越、銀座伊東屋などに出店している。
- 有田屋清右衛門 - 「東海道五十三次・有田屋版」(歌川広重)
- 伊勢屋利兵衛 - 「東海道五十三次 絵本駅路鈴」(葛飾北斎)
- 魚屋栄吉(魚栄)
- 上村与兵衛(上ヨ / 上村) - 後発の新興版元。22歳の歌川国政を抜擢し、鮮烈なデビューを飾らせた。
- 加賀屋吉兵衛
- 亀屋岩吉
- 川口屋正蔵
- 蔦屋吉蔵 - 「東海道五十三驛之図」、「東海道・蔦屋版」(歌川広重)
- 西村屋祐蔵 - 「富嶽百景」(葛飾北斎)
- 藤岡屋彦太郎 / 藤岡屋慶次郎 - 「東海道風景図会」(歌川広重・文:柳下亭種員)
浮世絵の題材と種類
- 美人画
- 女性を描いたもの。当時人気のあった店の看板娘、八百屋お七、江戸百人美女、小野小町、秋色女、加賀千代女など多数の有名女性や、化粧姿、入浴姿、遊女、群像の美人画なども多く描かれた。美人画は浮世絵を代表する画題の一つである。喜多川歌麿を筆頭に、鈴木春信、鳥居清長、鳥文斎栄之、菊川英山、渓斎英泉などが画面の力が違う古典的美人画の名手とされる。以降、浮世絵にコクと更に自在な筆さばきが出始め、歌川国輝など多数の絵師が、色彩豊かな美人画を描く。更に月岡芳年、近代的な橋口五葉などにつながってゆく。
- 役者絵
- 歌舞伎の人気役者などを描いたもの。ブロマイド的なものや、広告チラシの役割を持つものもある。役者絵は、最も多く作られた浮世絵の題材の一つである。初期から特に鳥居清倍が市川団十郎を描いてから、一筆斎文調、東洲斎写楽、円熟期の歌川国芳、歌川芳艶などから、楊洲周延が役者絵から大奥、開花期の貴婦人などに切り替えるまで、役者絵は常に美人画とともに浮世絵の最も重要な画題であった。巨匠を含め有名絵師から、無名の絵師まで多くの作品が作られた。現在も続く市川左団次、河原崎権十郎など。
- 芝居絵
- 芝居そのものを描いたもの。歌舞伎絵。主に公家、僧侶、武士階級の出来事を扱ったものを時代物と言う。義経千本桜、楼門五三桐、葛の葉など。江戸時代の庶民の出来事を扱ったものを世話物と言う。三人吉三廓初買、心中天の網島など。仮名手本忠臣蔵のように両者にまたがっているものもある。歌舞伎舞踊の娘道成寺、怪談話の皿屋敷などもある。二枚、三枚続きの芝居絵は最も多く作られた題材の一つである。
- 花鳥画
- 花や鳥、魚貝類などを主題にして描いたもの。アサガオ、ナデシコ、雉、雁、鶏、鷹狩の鷹など。
- 戯画
- 面白おかしく描いた絵。鳥羽絵を含む。こっけいな場面や、擬人化したものが登場する。風刺画的な要素もあるが、あくまでも娯楽性が強い。
- 鳥羽絵
- 手足の長い人物を描く戯画。鳥羽僧正から名前が来ている。初期の漫画をこのように呼ぶこともある。
- 漫画
- 絵手本。万の物を描いた画。現代の漫画とは違う。代表例が北斎漫画。
- 肖像画
- 美人、役者、武将、皇族、火消しなどの他にも、話題の人、藩主、幕末の志士、維新後の政治家、落語家などの様々な肖像画。東洲斎写楽の肖像画は世界的に評価が高い。
- 集団肖像画
- 武田氏武将名鑑、相撲取りや、明治以降、徳川十六神将、家康からの歴代将軍、初期の内閣大臣、神格化された偉人、たたえられた女性、神武天皇からの歴代天皇などの集団肖像画。
- 春画
- 性行為の場面や、性的なものを描くもの。性玩具のカタログや、性器の擬人化などがある。田舎では錦絵といえばこれを指すほどの主流。嫁入り道具にもなる。芸術性が高いものが多く、沢山作られた。
- 名所絵
- 風景画。当時、自由に旅行できなかった民衆が、憧れの名所を知るためのもの。旅行のリーフレット的な役割も持つ。東海道五十三次、名所江戸百景、富嶽三十六景、中山道六十九次、六十余州名所図会、近江八景や全国の名所、伝説奇譚の場所、足踏水車や早乙女の田園風景など。雪景色や、犬猫のいる情景、傘をさす風景なども多く描かれた。歌川広重、葛飾北斎だけでなく、多数の絵師が、多くの作品を残した。
- 風物絵
- 隅田川花火大会、凧揚げ、獅子舞、独楽、ホタル狩り、猿まわし、海女のアワビ取り、金魚や錦鯉、鳥かご、鳩豆などを描いた絵。
- 名産絵
- 桑名の蛤、山梨の葡萄など全国各地の名産を紹介した絵。大日本物産図絵など。
- 摺物絵
- 狂歌師が浮世絵師に絵を描いてもらい、それに狂歌を添えたもの。絵暦も摺物の一種である。
- 絵暦
- 大小暦、伊勢暦、現代の暦など暦の絵や、暦を読んでる人の絵など。
- 判じ絵
- 言葉を人や物の絵に置き換え、その絵に対する音で色々なものを表現した絵。謎解き絵。たとえば歯と逆さの猫の絵は、はコネ(箱根)、台の上に狐がのっている絵は、だいコン(大根)など、濁点や洒落・文字抜き・動物の鳴き声や言葉の逆転等、一定のパターンがあり、そのルールで読ませるものが多かった。天保の改革によって風紀の取り締まりが厳しくなると、浮世絵に役者や遊女の名前が載せられなくなった。その為、歌麿などは絵の上隅に小窓のように判じ絵をのせた。それが江戸に判じ絵が流行した原因となっている。判じ絵の歴史は古く、平安時代に行われていた『言葉遊び』が始まりらしい、とされている。最初は上方で判じ絵物の着物や手ぬぐいが流行し、次第に流行が江戸にまで広がり、戯作の作家が採り入れられる様になってきた[3]。
- 橋絵
- 橋を中心に描いた絵。眼鏡橋、萬代橋、吾妻橋、大阪の高麗橋など。
- 通り絵
- 浅草、霞が関、銀座などの目抜き通りと群衆を描いた絵。
- 店舗絵
- 反物屋、大福帳、千両箱、そろばんの商家、俵の米屋、宿屋、八百屋、茶店、浮世絵屋、下駄草履屋、なまずの蒲焼屋、また寿司、二八そば、おでん、田楽 (料理)やお面などの屋台の絵や、書物、飴、ういろう、団扇、鈴虫、松虫などの虫かご売りなどの絵。後に牛肉屋なども。
- 職人絵
- 石工、大工、左官、仏師、おみくじ書き、綿伸ばし、刀鍛冶、皮革のなめし、屋根ふき、築城の鳶職など職人の絵。
- 着物柄絵。
- 絵師が様々な着物の柄を意匠し、見せるための立美人絵、花魁絵、着物姿の力士絵、役者絵などが沢山作られた。江戸の大胆な市松模様、紗綾形、鱗文、麻の葉などだけでなく、独創的で粋な柄、瓜、茄子などの野菜柄、寛永通宝、碁石、将棋の駒をちりばめた柄、雪の結晶など、斬新な着物のデザインが楽しませたと思われる。
- 食事絵
- 座敷や庭で刺身の盛り合わせ、天ぷら、鍋、鯛の尾頭付き、麺類、だんごなどを伊万里焼などの皿や器に盛って、箸や蓮華で食べている絵や、グラスや杯、とっくり、急須で酒類、お茶などを飲んでいる絵。囲炉裏で串刺しの鮎の塩焼き、大根おろし、せんべいを食べてる絵などもある。
- 武者絵
- 源頼光、新田義貞、楠木正成、上杉謙信、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉など多くの武将の名場面、肖像から戦記ものまで、伝記や伝説、歴史に登場する武者が描かれる。巴御前など女性武将も人気があった。伝奇ブームの後、特に流行った。幕府の規制によって、徳川家や天正年間以降の大名家に関する出来事は描けない。最後の将軍徳川慶喜、または徳川綱吉の御台所などは、明治時代に描かれた。
- 時局絵
- その時々の社会の成り行き、世界の出来事などを描いた絵。
- 古典文学画
- 古事記、太平記、南総里見八犬伝、東海道中膝栗毛、通俗三国志など。
- 御伽草子(昔物語絵)
- 浦島太郎、狐の嫁入り、九尾の狐、舌切り雀、分福茶釜などの絵など。
- 楽器絵
- 三味線、琴、横笛、日本の胡弓演奏などの絵。
- 踊り絵
- 静御前の舞や花笠踊など踊りの絵。浄瑠璃の歌舞伎舞踊絵など。
- 雅楽絵
- 宮中の雅楽や雅楽の舞の絵。
- 能楽絵
- 能楽の様々な演目の絵。
- 故事ことわざ絵
- 日本、中国などの故事ことわざの絵。二十四孝など。
- 教訓絵
- 女性や子供に向けた日本、中国の教訓を題材にした絵。
- 広告絵
- 商品や事業などを広く世間一般に知らせて民衆に興味を抱かせるために描かれた絵。
- 和歌絵
- 奈良、平安時代の六歌仙などの和歌の絵。百人一首など。
- 俳歌絵
- 俳句、川柳、狂歌、どどいつなどが人物と組み合わせて描かれた絵。
- 歴史画
- 古代から明治維新まで。歴史の名場面を描く。元寇、本能寺の変など。維新後天皇家の正当性を高めるために歴代の天皇を描いたものなどがある。
- 徳川画
- 参勤交代、士農工商の絵、大奥の情景、桜田門外の変などの絵。
- 偉人画
- 平清盛、足利尊氏、斎藤道三、菅原道真、太田道灌、安倍晴明など。
- 連作人物画
- 見ごたえのあるシリーズものの連作人物画。渓斎英泉の當世会席尽、三代歌川豊国の見立十二か月、清書七伊呂波、東海道五十三対、俳優見立夏商人、大和高名列女鏡、豊原国周の当世三十二相、当世開花花引品、歌川国芳の本朝水滸伝、賢女烈婦伝、艶姿十六女仙、山海愛度図絵、英雄大倭十二支、誠忠義士伝、月岡芳年の月百姿、新柳二十四時、風俗三十二相、英名組討揃、皇国二十四孝、小林清親などの教導立志基、楊洲周延の時代かがみなど沢山作られた。
- 講談関係絵
- 西行法師、一休宗純、水戸黄門、大久保彦左衛門など講談関係の人物の絵。講談師の絵
- 開化絵
- 国会議事堂、国立銀行、当時の人力車、自転車、車などの絵。内国勧業博覧会、上野不忍池競馬、異国人サーカスなど。時計も和時計から柱時計に代わり始める。
- 乗り物絵
- 平安の牛車、駕籠、玩具の木馬、大八車、船、文明開化の人力車、自転車、馬車、汽車、蒸気船、気球など乗り物中心の絵。戦艦の絵などもある。
- 戦争絵
- 源平合戦、戦国時代の川中島の戦い、伊賀越え、城攻めの絵、西郷隆盛の西南戦争、榎本武揚の箱館戦争、戊辰戦争や、日清戦争、日露戦争の多くの上陸戦、海戦などの様子を描いた絵。日露戦争時の従軍看護婦などの絵もある。石橋山の戦い、宇治川の戦い、四条畷の戦い、長篠の戦いなど多くの合戦図が描かれた。清仏戦争、下関条約の場面などもある。
- 剣豪絵
- 有名な剣豪宮本武蔵、弓の源為朝、槍の賤ヶ岳の七本槍などだけでなく、竹刀、木刀、鎖鎌、なぎなた、鉄砲、大砲の名手の勇壮な場面の絵。墓石、碁盤切り、無数の弓矢を受ける武将、女性のなぎなた合戦図などもある。
- 鉄道絵
- 新橋駅、品川駅、上野駅、高輪駅などの駅舎や機関車の鉄道の絵。
- 郵便錦絵
- 明治時代の郵便局、郵便船、郵便駅など。
- 玩具絵
- 日本橋から清水寺上がりなど様々な双六、福笑い、切り抜いてメンコに貼り付ける絵、人気の浮世絵のミニチュア版、紙の美人や少女の着せ替え人形、紙の組み立て建築、切抜くトランプなどもある。サイコロなど遊び道具が入った絵。子供の遊び道具として様々な趣向が凝らされた。
- 尽くし絵
- 相撲取り尽くしなど沢山の妖怪、武者、お金、勲章、余興の芸などを一枚に集めた絵。
- 見立絵
- 古典作品を江戸に置き換えた絵。パロディなども。
- 相撲絵
- 野見宿禰、雷電為右衛門、谷風梶之助、小野川喜三郎、陣幕久五郎、明石志賀之助、不知火諾右衛門、雲龍久吉など多数の力士の肖像や取組などの相撲を描いた絵。相撲絵も沢山作られた題材の一つである。
- 張交絵
- 一枚の紙に色んな絵を入れたもの。
- 死絵
- 有名な歌舞伎役者などが他界した際に出される絵。有名絵師のものもある。日時、戒名、葬儀の寺などとともに、全体に淡い調子の色調で描かれた肖像画。
- 子供絵
- 子供が鞠などで遊ぶ様子を描いた絵。
- 上方絵
- 関西の絵。
- 長崎絵
- 長崎で見られる異国の文化を描いた絵。長崎版画ともいう。
- 富山絵
- 富山の売薬人が地方へ散布した土産用の絵。富山版画ともいう。
- 横浜絵
- 横浜を舞台にした異国情緒あふれる絵。
- 鎌倉絵
- 源頼朝、護良親王、畠山重忠、佐々木高綱、北條氏など鎌倉関係の絵。
- 鹿児島絵
- 西南戦争、上野戦争などの西郷隆盛や多くの軍功関係の絵。
- 鯰絵
- 安政の大地震後に登場した絵。鯰が地震を起こすという俗信から来ている。地震以外の災害、諸国災害図会など。
- 医学絵
- 疱瘡絵は、天然痘を防ぐための護符。病気を治す医者の絵、新井白石、麻疹、らい病の絵、妊婦や腹の解剖図の絵などもある。
- 団扇絵
- うちわに張られる絵。芸術性が高い絵が多く、有名絵師も多数描いた様式。
- 羽子板絵
- 絵の中の大きな羽子板に描いた絵。
- かるた絵
- かるた、花札、百人一首などに描かれた絵。貝合わせに興じる人の絵。
- 月下絵
- 月下の様々な絵。当時、太陰暦の生活は、日中は問題ないのだが、旧暦の月末、月初は月明かりがなくなるなど月明かりが重要であった。
- 源氏絵
- 『源氏物語』を題材とした絵。ただし柳亭種彦作の『偐紫田舎源氏』が人気を博してからは、これを題材とした絵のことも称するようになった。
- 宮廷絵画
- 明治、大正の皇室関係の絵。肖像画、馬車行列、皇居、行幸や国会に臨幸の様子、凱旋、天覧の諸芸など沢山作られた。
- 宗教画
- 江戸、明治時代から特に信仰を集めた伊勢神宮、上野東照宮、日光東照宮、鶴岡八幡宮、厳島神社、太宰府天満宮、靖国神社などや、各地の神社や釈迦、親鸞聖人、不動明王の石仏、浅草寺、成田山、各地の寺院、江戸三十三間堂の絵など仏教関係の絵。七福神の絵などもある。
- 巡礼絵
- 観音霊験記の四国八十八か所お遍路、西国三十三所、お伊勢参り、金毘羅参りなどの巡礼絵。
- 古地図絵
- 全国の城郭、寺院、温泉街などを中心に作られた古地図の絵。色彩ものと単色の絵がある。
- 囲碁浮世絵
- 囲碁、将棋の図柄をモチーフにした絵。
- 書画絵
- 筆、刷毛、硯、絵皿などで手紙や絵を描いている人の絵。机、衝立、屏風、火鉢、銅製の水盤、鼎などもよく置かれてある。
- 朝鮮錦絵
- 古代から戦前まで。神功皇后や加藤清正など。月岡芳年など東京経済大学に主なコレクションがある。
- 中国画
- 古代中国、台湾の絵。
- 影絵
- 人物の影や影で他のものを表した絵。障子に映るちょんまげの武士や、ポーズをとって何かを表現したものなど色々ある。
- だまし絵
- 猫や人の群像で人の顔や、平仮名の文字などを表した。寄せ絵。歌川国芳が有名。
- 忠孝絵
- 忠臣蔵、曽我物語などが多く作られた。桜井の別れ、安寿と厨子王など。
- 尊王攘夷絵
- 建武の新政、天狗党の乱など尊王攘夷の絵。
- 情話絵
- 芝居絵には与話情浮名横櫛、積恋雪関扉、博多小女郎波枕などの恋愛、情話絵がある。判じ絵に想う人を暗示した美人画など情話ものの絵。
- 花見絵
- 桜、梅、菊、アヤメの花見絵。
- 盆栽絵。
- 盆栽、鉢物の園芸、また水石など。
- 庭園絵
- 主に美人画の背景として描かれ、年代とともに移り変わる庭園の絵。若菜摘み、紅葉から園遊会など。
- 静物画
- 鶴亀、野鳥や、鯛、ふぐ、伊勢海老などの魚介類などの静物画。
- 風刺画
- 社会風刺の絵。百撰百笑、貧福大合戦など。ポンチ絵など。
- 伝統行事絵
- 羽子板、雛祭り、蹴鞠、七夕、節句、七五三の千歳飴、こいのぼり、鏡餅、門松などの絵。
- 婚礼絵
- 皇室の婚礼だけでなく、庶民の白無垢、角隠し姿の婚礼準備の絵などもある。
- 明かり絵
- 照明器具中心の絵。油皿、灯篭、行燈、提灯、ろうそく、松明の明かりと人物の絵。豪華なランタン、ガス灯の絵もある。
- 祭絵。
- 神田明神の山車、山王祭の神輿、酉の市の熊手、亀戸天神の藤まつりなど。
- 山海信仰絵
- 富士山、鳴門の渦潮、華厳滝、布引の滝や磐梯山噴火など。
- 海川絵
- 潮干狩り、天秤棒での潮汲み、浜辺の情景や、乗合船、屋形船での納涼、夕涼み、川遊び、隅田川の花火や花見、大井川の渡し、京都三条河原など海川の絵。また鵜飼、杵と臼での洗濯の絵など。
- 水屋絵。
- 井戸、防火用水桶、手桶、たらい、茶箪笥など水物中心の絵。
- 島絵
- 江の島、源為朝上陸の伊豆大島、屋島の戦いの屋島など島を描いた絵。
- 釣り絵
- 岸、船の海釣り、川釣りの絵。
- 老舗絵
- 三越、松坂屋、三井、山本山など老舗の絵。
- 錦絵新聞
- 世相を映した新聞絵。東京日日新聞、大阪日日新聞など。珍しい話の夫婦親子の人情噺、警官に逮捕される泥棒や殺人事件の無残絵が多い。郵便報知新聞、やまと新聞、東京各社撰抜新聞など。
- 無残絵
- 血みどろ絵。
- 大津絵
- 大津地方の絵。
- 扇絵
- 扇そのものか、扇状の枠に描かれた絵。投扇興や那須与一の扇落としの絵もある。
- 手仕事絵
- 製茶、機織、着物の染織、和鋏や鋏と針刺しの裁縫、鶴や蛙の折り紙などの絵。
- 養蚕絵
- 桑の葉で蚕を飼育する様子や繭を製品化する過程など養蚕絵は多く描かれ、養蚕神などの絵もある。
- 酒絵
- 酒を飲んだり注いだりする人、三組盃、酒のしこみ場面、積み上げられた酒樽の絵など。
- 野菜果物絵
- 瓜、大根、茄子、きゅうり、カボチャなどの野菜や、江戸にこんなものがというとうもろこしや、まずくて下人が食べるとある当時のバナナなどやスイカ、葡萄、軒に吊るした干し柿など野菜果物の描いてある絵。
- 煙管絵
- 煙管、革製品のたばこ入れ、たばこ盆、また印籠などを中心とした絵。
- 刺客絵
- 幡随院長兵衛、龍王太郎など刺客の出てくる絵。
- 遊郭画
- 吉原の遊郭の遊女や館、絢爛豪華な花魁の絵。有名な遊女、高尾太夫、宮城野など、また地獄太夫なども描かれた。遊郭画も沢山作られた題材である。
- 遊覧絵
- 大通りや名所などを主に美人の集団が徒歩、船で遊覧する絵。五枚続きの何十人という遊覧絵もある。 飛鳥山遊覧図、隅田川遊覧図など。
- 楼閣絵
- 金閣寺から楼閣の屋敷、料亭などや、関東大震災で半壊した凌雲閣などの絵。
- 型押し絵
- 版木の凹凸で、着物の柄や木の葉や花、判じ絵の部分だけ紙を凹凸に紗綾形などに細かく浮き出させる技法のある絵。芳年などが好んで使った。また木目つぶし絵という絵の中の羽子板などに版木で木目調を出した技法のある絵。
- ちりめん絵
- 厚手の和紙を絞って紙全体に布地のちりめんのような凹凸を出した紙に、元絵に沿って摺られた絵。
- 浮絵
- 遠景の川面などから手前の座敷、料亭が浮き出て見える絵。芸妓遊び、酒宴の絵。
- 遊び絵
- 伝統になっている遊びのほか、腕相撲、碁盤人形、首綱引き、文楽の真似事のような人形の腰のあたりから手を入れる人形遊び、棒の付いている相撲人形などなくなってしまったものや、今では不明の遊びの絵。
- 流行物絵
- 流行った様々な風俗、持ち物の入った絵。武士などと地球儀、羅針盤、眼鏡、美人と望遠鏡など流行物が描いてある絵。
- 柱絵
- 柱にかける約10x70センチの細長い絵。鳥居清長などが好んで使った。
- 縦揃絵
- 美人画全身像を縦二枚で大きく描いた掛物や、集団の武者絵などの絵。歌川国政など。縦三枚揃の五重塔などもある。
- 姫、御前絵
- 滝夜叉姫、中将姫、八重垣姫、若菜姫、常盤御前、袈裟御前など多くの庶民の美人画の他に位の高い女性の絵も多い。
- 行列絵
- 参勤交代行列、駕籠乗りの姫行列、稚児行列、火消し行列、狐の行列などの絵。
- 参道絵
- 浅草寺、神田明神などの境内からにぎわう参道の様子を描いた、祭りや群衆の絵。
- 士絵
- 沢山作られた忠臣蔵の義士、江戸の烈士、八犬伝の八犬士、維新の志士などの絵。
- 出陣図
- 有名武将の他、真田幸村出陣図、甲州軍団出陣図など出陣の絵。
- 舞台絵
- 中村座など江戸三座、上方、明治座などの歌舞伎座での劇場の様子、相撲の本場所の升席の大勢の観客の様子や、能舞台の絵。
- お家芸絵
- 七代目市川団十郎の歌舞伎十八番、豊原国周が描き上げた五代目尾上菊五郎の梅幸百種、五、六代目菊五郎の新古演劇十種など歌舞伎のお家芸の絵。
- お家騒動絵
- 鏡山物や伊達騒動物などのお家騒動物の芝居絵。
- 役人絵
- 松江出雲守など国司の守(かみ)、内膳司、式部の丞、大判事など役者絵で役人が登場する絵。
- 桟敷絵
- 武将、貴族、公家、天皇などが、城内、館などで、歌舞、芸道、遊興、会議、口上などを桟敷席からのぞんでいる群衆の絵。上覧絵、天覧絵。
- 図解絵
- 日本髪、櫛、かんざし、えびす講など民間信仰、風俗、魚介類、開化時の乗り物、のちに体操などの多くの種類、様子を図解した絵。
- 婦人子宝絵
- 婦人と子供の取り合わせの絵。抱いたり、遊んだり、散歩したり、カミソリで頭を剃ったりするほほえましい絵。
- 洋服絵
- 開化絵、横浜絵、異国人絵などで、洋装の人物を描いた絵。当時の様々な彩色の上流中心の洋装の資料は、世界で浮世絵しかなく貴重。
- 僧侶絵
- 俊寛など僧侶はよく登場するが、特に文覚上人、土佐坊昌俊(金王丸)、武蔵坊弁慶など武勇のある僧侶がよく描かれた。
- 魔人絵
- 達磨、閻魔大王、雷神などの魔人の出てくる絵。
- 偽名絵
- 織田信長を小田信長、羽柴秀吉を真柴秀吉など有力武将達を事情により偽名で描いた絵。
- 怪談絵
- 怪談を描いた絵。四谷怪談、北斎の百物語、本所七不思議などの絵。
- 擬人絵
- 馬、虎、象、オオカミ、ヤギ、獅子など動物だけでなく、ろうそく、俵、酒瓶などを擬人化した絵。魚、蛙などの合戦図もある。
- 町人絵
- 町人が何人かで路上、部屋で、何かをやっている絵。今では何をやっているかわからないものが多い。
- 御所絵
- 皇居、東宮御所、京都御所、六条御所で宴会などをやっている絵。
- 壽絵
- 目出度い図柄、祝の場面の絵。
- 競絵
- 花(美人)競い、色香(粋)競いの美人画、役者絵や、名産や名所に順位を付けたりして紹介している絵。
- 妖怪絵
- 酒呑童子、土蜘蛛、鞍馬天狗、浅茅ヶ原の鬼婆、百鬼夜行など妖怪の絵。
- 怪物怪獣絵
- 大きな化け猫、鯉、龍、虎、象、蛸、ガマ、ねずみ、くじら、どくろなどが中心の絵。
- 幽霊画
- 幽霊を描いた絵。
- 盗賊絵
- 石川五右衛門、鼠小僧、白波五人男などの絵。
- 奇術絵
- 天竺徳兵衛、鳴神上人、児雷也、仁木弾正などの奇術使いの絵。
- 退治絵
- 俵藤太の百足、戸隠れ紅葉伝説、渡辺綱の茨木童子、源頼政の鵺、スサノオの八岐大蛇などの退治する絵。
- 豪族絵
- 蘇我入鹿、中臣鎌足、平将門など豪族の絵。
- 豪傑絵
- 平知盛、熊谷直実、白井権八、左甚五郎、天草四郎、国姓爺や足柄山の金太郎など豪傑の絵。
- 聖人絵
- 天照大神、イザナギ、イザナミ、大国主、ヤマトタケル、後醍醐天皇などの神、聖人の絵。
- 藍摺絵
- 藍色のみの濃淡で摺った花魁、美人などの絵。
- 屏風絵
- 好みの又は同じ題目の浮世絵を多数貼り付けた屏風。
- 折帖絵
- 蛇腹状の紙や台紙に多数の浮世絵を張り付けた絵。
- 額絵
- 楕円鏡の額の中に肖像画を描いた歌川豊国などの押絵鏡、四角い額縁をかたどってある絵。
- 比喩絵
- 門、衝立、手ぬぐい、谷、戸、尺八、かんざし、傘、包丁、垣根、竹のものさしなど様々なものや思わせぶりな仕草で何かを比喩していると思われる絵。女性、男性の思いなどを表しているものもあると思われるが、解明されていない。特に最盛期の役者絵、美人画などは、多くに比喩の部分があるとされる。
- 裏打ち絵
- 昔は稀に絵に虫の食いたどった細長い穴が開くことがあり、また痛んだ紙を古い時代に当時の紙、のりで裏側から修繕、裏打ちした絵。紙には江戸時代からの手紙などがよく使われた。状態が悪くても、貴重なものも多い。
- 検閲画
- 地本問屋の検印のある絵、後に逓信省などの認可とある絵。
- 銘柄絵
- 多くの他の絵師が、有名絵師の質の高い画風、銘をブランドとして描いた絵。
- 下絵
- 版下絵は版木に貼られ、現存するものは稀にしかない。
- 新版画
- 大正時代に始まった伝統技法を継承しながら、新境地をめざした美人画、役者絵、風景画などの絵。
- 謎絵
- 中世の風俗、習慣、物語などで、現代では判らない浮世絵は膨大にある。更なる研究が必要。
浮世絵版画制作法
浮世絵を描く人を浮世絵師、または絵師(画工)と呼んだ。浮世絵師が描いたデザインを木版に彫るのが彫師(彫工)、彩色して紙に摺るのが摺師(摺工)である。共同作業の作品だが、絵師の名だけが残される風習がある。ここに注文主を加えた四者が最低でも必要になる。
多色刷りの際に色がずれないように紙の位置を示す「見当」(現在のトンボ)がつけられる。これは1744年に出版物の問屋の主人・上村吉右衛門が考案したとする説と、1765年に金六という摺師によって行われたとする説がある。また、鈴木春信と交流した平賀源内が発明したとも言われる。現代でも使われる「見当を付ける」「見当違い」「見当外れ」という言葉はここから来ている。
1、版元が企画を立案し、絵師に作画を依頼する。
2、絵師は墨一色の線描きによる版下絵を描く。
3、版元は版下絵を、絵草子掛りの名主に提出、出版許可の印を捺してもらい、彫師に渡す。
4、彫師は版下絵を桜の版木に裏返しに貼り、主版(おもはん)を彫る。この時に、絵師が描いた版下絵は彫刻刀で彫られて消滅する。
5、摺師は主版の墨摺り(校合摺り)を10数枚摺って絵師に渡す。
6、絵師は校合摺りに各色版別に朱で色指しをする。また、着物の模様などの細かい個所を描き込む。
7、指示に従い、彫師は色版を作る。
8、摺師は絵師の指示通りに試し摺りを作る。
9、摺師は絵師の同意が得られれば、初摺り200枚を摺る。売れ筋の商品の場合、初めから200枚以上の見込み生産をする。
10、絵草子屋から作品を販売する。
浮世絵の価格
浮世絵の形式や年代などによってバラつきがあるが、19世紀前後の大判錦絵の実勢価格は約20文前後で、19世紀半ばになっても総じて20文台で推移した事が、当時の史料や日記、紀行類などで裏付けられる。
山東京伝の黄表紙『荏土自慢名産杖』(文化2年(1805年)刊)には、「二八十六文でやくしやゑ二まい 二九の十八文でさうしが二さつ 四五の廿なら大にしき一まい」というくだりがあり、しばしば諸書で引用される。なお、2枚で16文の役者絵とは、用紙もやや劣る細版の事だと考えられる。時代が遡った宝暦頃(1751-61年)の細判紅摺絵の役者絵は、1枚4文だったと記されている(随筆『塵塚談』文化11年(1814年)刊)が、これは紅摺絵が僅か2,3色摺りで、紙質も薄い分安価だったからだと考えられる。
寛政7年(1795年)の町触では、20文以上の錦絵は在庫限りは売ってよいが、新たに制作するものは16文から18文に制限されている(『類聚撰要』)。天保の改革では、色摺りは7,8回まで、値段は1枚16文以下に規制を受けている。この数字は採算割れすら招きかねない厳しい数字だったらしく、『藤岡屋日記』天保14年(1843年)春の記事には、紅を多用した極彩色の神田祭の錦絵は売れはしたが、16文の値段では売れば売るほど赤字になったという話が記されている。
ただし、当時の浮世絵はあくまでも商品であるため、彫りや摺りの手間や、人気のよる需要と供給の関係によって価格は変動した。錦絵の創始者・鈴木春信の中版は、1枚銀1匁(銭約65文)で売られ、その代表作である「座舗八景」などは8枚揃いで桐箱に入れられ、金1分(銭1000文)[4] もしたと伝えられている。他にも、天保の改革を風刺したと風評の立った歌川国芳の大判三枚続『源頼光公館土蜘作妖怪図』は、商品回収のうえ版木は削られる憂き目を見たが、ある彫師は歌川貞秀に模刻させ密かに100文で売った話(『藤岡屋日記』)や、同じく国芳の大判三枚続『八犬伝之内芳流閣』(天保11年)は、1枚38文、3枚セットで118文(なぜか38x3=114文ではない)で売られ、曲亭馬琴は割高だと感じつつも、色版を多く使い通常より手間がかかっているからと聞き及んで、それを買い求めている(馬琴日記)[5]。
浮世絵の飾り方
昔は壁にのりで貼ったり、洗濯ばさみで吊るしたりしていた。現代では、美術館や家庭でも、浮世絵にはとても薄いものもあるので、額にコピー用紙や画用紙など白っぽい紙を背景にして、額のアクリルやガラス板に挟み、ずれ落ちる時には裏に紙などを重ねて調整する。明るい背景で、浮世絵は浮き立つことがある。または版画専用マットに浮世絵の問題ない部分にのりやテープで最小限止めて落ちるのを防ぐこともある。浮世絵は長持ちするけれども繊細なため、丁寧な取り扱いが必要である。直射日光を避け、暖房風が直接当たったり、照明の熱に直接触れないようにしなければならない。お茶などをこぼして濡らしてはならない。
額に入れないときの保存方法としては、地面に平らに置いておくことが良く、桐箱、箪笥、木箱、プラスチックの箱や文具ファイルなどの中に寝かしておくことが望ましい。奉書や紙にはさむと特に良い。雨天などの持ち運びには、ファイルやビニールなどに入れて、セロテープなどで、端を固定し水気を直接触れないようにすることが必要である。
浮世絵の「色」
浮世絵版画に用いられたのは比較的安価な植物性、鉱物性の染料・顔料であった。
黒は墨。初期の墨一色で摺ったものは「墨摺絵」と呼ばれる。白(胡粉)は蛤の殻(炭酸カルシウム)を砕いて作る。
赤色系では
黄色系では
青色系では
などがあり、紫などの中間色はこれらの掛け合わせで表現した。その他、豪華さを出すために金銀や雲母粉が用いられた。無地背景に雲母粉を用いたものは「雲母摺(きらずり)」と呼ばれる。
非常に退色しやすく、印刷当時の色を残すものは稀である。ボストン美術館のスポルディングコレクション(約6500点)も、「展示の厳禁」を条件に寄贈したスポルディング兄弟の意思を汲み、原則的には非公開である(デジタル画像による閲覧は可能)。
幕末から明治にかけて、鮮やかな舶来顔料が使えるようになり、この時期の錦絵の特色ともなっている。
評価と影響
明治時代以降、浮世絵は日本以上に海外で評価され、多量の作品が日本国外に渡った。この為、絵画作品としての浮世絵研究にあっては、正当かつ体系的・学問的な研究は為されておらず、個々の収集家や研究者によって、知見の異なる主張が部分的・断続的に繰り返されるのみである。また、鈴木春信、喜多川歌麿等の作品を始め、多くの有名作品の偽造品が流通してしまった経緯が江戸時代当時から存在している[6]。
欧米諸国では、浮世絵は印象派の巨匠たちに見出されてその作品に影響を与え、ゴッホなどによって油絵による模写もされている。欧米一流美術館20館以上に、20万点以上は収蔵されていると見られ、それ以外に個人コレクションもあり、外国美術品としてこれだけ収集されているのは浮世絵だけである。ボストン美術館には5万点、プーシキン美術館には3万点など、万点以上収蔵しているところも少なくない。
色鮮やかな紙の絵画、精緻な彫りがなされた版画群は世界で浮世絵だけであり、西洋美術にもこの分野はないことが高い評価につながっていると思われる。高品質の芸術品がこれほど庶民の間で広まっていたのも世界に例がなく、大衆のための美術としては世界で初めてのものといえる。また、中世・近世の庶民を中心に多様な生活を描き、記録している資料は世界に浮世絵しかないことも貴重である。明治時代の文献によると、無名の絵師を含めると、2000人近い絵師がその当時までにいたということである。当時は版画の場合、一作品に100から200枚は摺ることもあって、多くの浮世絵が市中に出回っていたが、現在では古い浮世絵で二枚同じ絵を見ることはほとんどない。
大量の流失品には、歌麿を始めとする比較的簡潔な構図が多く、複雑な構図に極彩色の浮世絵は意外に少ない。多くの収集、評価が始まったと考えられる幕末、明治ころの収集の方針や評価が現在まで影響していると思われる。日本国内には、日本国外への流出分の何倍か以上は残っており、旧家の蔵や箪笥の中から出て来るものもあり、総数が把握できないほど大量にあるとも推定されている。世界に稀に見る芸術作品群として、西洋の評価だけにとらわれない更なる研究が進むことが望まれている。
日本の主要な個人コレクション
- 津島コレクション:房総浮世絵美術館
- 浦上コレクション:山口県立萩美術館・浦上記念館
- 小針コレクション:光記念館
- 酒井コレクション:日本浮世絵博物館
- 高橋コレクション:慶應義塾図書館
- 松方コレクション:東京国立博物館
- 氏家コレクション:鎌倉国宝館
- 出光コレクション:出光美術館
- 大谷コレクション:ニューオータニ美術館
- 太田コレクション:浮世絵 太田記念美術館
- 今西コレクション:熊本県立美術館
- 平木コレクション:平木浮世絵美術館 UKIYO-e TOKYO
- 松井コレクション:礫川浮世絵美術館
日本国外からの影響
ジャポニスムに影響を与える一方で、浮世絵には日本国外からの影響もあった。後期の年代になるにつれ、西洋の遠近法や陰影の技法も取り入れられるようになった。また、ドイツに起源を持つ人工顔料ベロ藍(「ベロ」はベルリンに由来)は、鮮やかな発色を持ち、葛飾北斎らによってさかんに使われた。
日本国外への影響
1865年、フランスの画家ブラックモンが、日本から輸入した陶器の包み紙に使われていた『北斎漫画』を友人らに見せて回ったことで美術家の間にその存在を知られるようになった。日本では庶民の娯楽であり、読み古されたものやミスプリントが船便の梱包材に使われるほど安値で取引されていた浮世絵は、ヨーロッパで当時の日本人には考えられないほどの高値で取引された。その後、様々な作品が正式に日本から渡るようになり、印象派の作風に大きな影響を与えることとなった。
ゴッホが『タンギー爺さん』という作品の背景に浮世絵を描いたり、広重の絵を油絵で模写したり、マネの『笛を吹く少年』が浮世絵の影響を受けていることは有名である。
さらに、ジャポニスムの影響と日本美術を取り扱っていたビングによってアール・ヌーヴォーには浮世絵のように平面的な意匠がみられる。
ドビュッシーが北斎の『神奈川沖波裏』に触発されて『交響詩“海”』を作曲するなど(1905年に出版されたスコアの表紙になっていたり、書斎に飾ってあることが分かる写真がある)、影響はクラシック音楽にも及んだ。
脚注
- ↑ 『幕末・明治のメディア展 : 新聞・錦絵・引札』 早稲田大学図書館編. -- 早稲田大学出版部, 1987 41-54頁
- ↑ 樋口弘編『幕末明治の浮世絵集成』 味灯書屋, 1955
- ↑ タイムスクープハンター(NHK総合1ch 11:30~0:00)2013年4月13日放送分 第2話『判じ絵!なぞなぞ挑戦状』番組内説明より。
- ↑ 春信が活躍した1765年から1770年の両替相場は、金1両=銀60匁強=銭4000文ほどで推移している。
- ↑ 大久保純一 「浮世絵の制作と流通」(長岡龍作編 『講座日本美術史 第4巻 造形の場』 東京大学出版会、2005年、ISBN 978-4-13-084084-2)、「浮世絵の価格」(『浮世絵大事典』 東京堂出版、2008年、48頁)。
- ↑ 偽造品について:小林忠『江戸浮世絵を読む』ちくま新書 2002年 17-22頁。新藤茂 『浮世絵の贋作カタログ』 ヨコハマ浮世絵サロン、1998年。
参考文献
- 入門書
- 小林忠 『浮世絵の歴史』 美術出版社、1998年4月 ISBN 978-4-5684-0044-1
- 小林忠・大久保純一 『浮世絵の鑑賞基礎知識』 至文堂、1994年5月 ISBN 978-4-7843-0150-8
- 稲垣進一編 『図説 浮世絵入門』 河出書房新社、1990年9月 ISBN 978-4-3097-2476-8
- 新書
- 大久保純一 『カラー版 浮世絵』 岩波書店〈岩波新書〉、2008年11月 ISBN 978-4-0043-1163-8
- 小林忠 『江戸浮世絵を読む』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2002年4月 ISBN 978-4-4800-5943-7
- その他
- 国際浮世絵学会編『浮世絵大事典』 東京堂出版、2008年6月 ISBN 978-4-4901-0720-3
- 小林忠監修 『浮世絵師列伝』 平凡社<別冊太陽>、2006年1月 ISBN 978-4-5829-4493-8
関連項目
外部リンク
- 錦絵の風刺画1842-1905 ウィーン大学東アジア研究所のデーターベース
- 浮世絵の制作について アダチ版画研究所のHP
- 渋沢栄一記念財団 実業史錦絵・絵引
- 大阪府立中之島図書館 錦絵にみる大阪の風景
- 江戸東京博物館
- 日本浮世絵博物館
- 上方浮世絵館 役者絵を中心とする浮世絵専門美術館
- 国際浮世絵学会
- トーキョーデジタルミュージアム
- 江戸東京博物館
- 東京大学史料編纂所
- 東京都立図書館
- 国立歴史民俗博物館
- 独立行政法人 日本芸術文化振興会
- 山口県立萩美術館・浦上記念館
- 静岡県立中央図書館
- 神戸市立博物館
- 早稲田大学図書館
- 奈良県立美術館
- 米国議会図書館所蔵浮世絵データベース 大学共同利用機関法人 人間文化研究機構 国際日本文化研究センター のデータベースで、米国議会図書館のP&P(Prints and Photographs Division)が保有する日本の浮世絵コレクションである。
- 浮世絵芸術データベース
- ブルックリン美術館 楊洲周延「時代かがみ」の版木が収蔵されている。