演劇
演劇(えんげき、英語:theater)とは、主として生身の俳優による演技を通し、何らかのストーリーやテーマなどを、同じ場にいる観客に対しリアルタイムに提示する表現活動を言う。
目次
演劇の起源
よく言われる説には、呪術や宗教的儀式が発展し、演劇となっていたのではないかというものがある。確かに古代ギリシアにおいては、悲劇の競演が行われる大ディオニュシア祭は、神ディオニュソスを称える祭儀としての側面を持っていた。また呪術や宗教的儀式には、なんらかの行為・現象の模倣やその再現が重要な要素として含まれていることも多く、宗教が起源という説にはある程度の説得力がある。
一方で、人間が本能として、あるいは社会的営みとして行う遊びこそが演劇の起源とも言われている。例えばある者が他人や動物の物まねなどをする。それを見て楽しむ者が生まれた時点で、演劇が発生したとするものである。いずれにせよ、演劇が人類史の初期に生まれたであろうことは間違いない。
演劇の定義
生身の人間が舞台という場所に上がり、そこで観念的な存在である「役」の姿がどのようなものかを表現する。これは表現のアイデアはもとより、「役」へのある種の「執着」が問われるものである。
また、演劇と良く似た表現方法に映画がある。両者の大きな違いのひとつはライブであるか記録された映像かという単純な違いであるが、このことが両者を決定的に分け隔てているのである。つまり、演劇は「定点観測」であり、観客は目の前の「空間」で展開される物語に注目する。また製作的な視点から見ると演劇が開幕と共にノーカットで演目を進行し閉幕するのに対し、多くの劇映画は細かくシークエンスを刻んで撮影した上で編集をかける点があげられる。このことから演劇においての失敗(台詞忘れ、スタッフの見切れなど)は修復が効かない。また演技方の面から見ても、映画創世記に発明されたズームなどの演出手法は演劇に応用することは難しいため舞台役者はよりダイナミックな演技を求められることが多い。
社会的な視点で見ると映画は映像の為、字幕を出して他言語を使用する観客に鑑賞させることが比較的容易でありポピュラーな鑑賞方法となっているが、演劇で字幕を出すことは映画に比べ普及しておらず言語の壁が存在する。また映画の基本的なフォーマットであるフィルムは複製が可能であるが、生の人間が舞台に立つ演劇は複製が出来ない為映画に比べローカライズされている場合が多い。鑑賞料金が映画に比べ高いことが多い。
芸術作品としての演劇
俳優の演技の他、様々な芸術表現を組み合わせ調和と協調をはかり、演劇作品は作られていく。それゆえに、演劇は総合芸術の一つとして捉えられている。用いられる芸術分野は多岐に渡り、音楽や舞踊、舞台音響・舞台照明や舞台美術、時には舞台機構や劇場となる空間そのものなど建築デザインの範疇にまで至る。演劇のために劇作家が執筆する戯曲は、それ単体でも文学作品となりうる。
芝居・舞台・劇
演劇は通称「芝居」といわれる。「芝居」は、平安時代の観客席が芝生であったことに由来している。現在でも「(お)芝居を観に行く」というフレーズが日常的に用いられているのに対し、「演劇を観に行く」という表現はあまりされない。また演劇に携わる者が「芝居をやっている」という表現をよく使う。
演劇を指して「舞台」と言われることも多い。「舞台を観に行く」も日常的である。「俳優Xの舞台出演作」とは言われても「演劇出演作」という表現は一般的ではない。俳優が初めて演劇作品に出演する場合、または作品そのものについて、「初舞台」という言葉が使われる。これらに鑑みると「演劇」という言葉にはよりフォーマルで専門用語に近い位置づけがあるようである。
演劇の上演
現代演劇を上演する上で不可欠なのは、一定以上の長い期間(多くは1ヶ月程度)にわたる俳優の稽古である。多くの演劇作品で上演時間は1時間半以上、長いものでは途中休憩等を除いても3時間以上もあり、演出家の指示のもと、稽古を通してセリフや動き・他の俳優とのやり取りを身体で覚える必要がある。古典歌舞伎などの場合は、セリフや動きが型にはまっており、幼少時からの稽古で演目や演技が役者の身体に染み付いているためか、稽古期間は数日であるという。新作歌舞伎でも、その稽古期間は現代劇に比べ圧倒的に短い。また古典歌舞伎に演出家はいない。
同じ演目であっても、上演するたびに、俳優のセリフ回しや「間」の違い、掛け合いのタイミング、動きなどが少しずつ異なるものとなり、観客集団も毎回違うため反応も様々で、その反応によって俳優の演技も変化し、時には思わぬハプニングも起こるなど、まさに演劇は「生き物」であると言える。また上演期間内にも演出家による「ダメ出し」があったり、観客の反応を見て変更される箇所があったり、俳優自身もより良いものにしようと日々努力するため、特に複数回鑑賞する場合、映画鑑賞とは違った楽しみ方ができる。
最初の開演日を「初日」といい、最終公演を「千秋楽」という。上演期間が長い場合、ほぼ中間に当たる上演日を「中日(なかび)」といい、それぞれに俳優やスタッフが祝われたり、お互いをねぎらったりする機会となる。
映像作品の演劇
リアルタイムの演技提示ではない「映像作品中の演劇」(映画、テレビドラマなど)は、現代では演劇とは分けて考えられているが、例えばワンシーンが非常に長いなど、俳優やスタッフが入念に稽古やリハーサルを重ねて撮影された場合、そのシーンや作品自体を「演劇である」「演劇的だ」と評することがある。テレビドラマも開始当初は生放送(リアルタイム)であり、その後も撮影用ビデオテープは貴重であった時代が長く、演劇がそのまま撮影される手法が普通であったため、近年のドラマと1980年頃までのドラマを見比べると、昔の作品では一連の演技がそのまま撮影されており、セリフのちょっとしたミス(いわゆる「とちり」や「噛み」)の許容度が高いなどリアル感があり、より演劇的である。作品や監督によってはいわゆる「長回し」の手法が用いられるなど、演劇的であることが重視される場合も多い。
モノクロ時代のクロサワ映画の予告編などを見ると、「映画演劇」という言葉が出てくる。この当時は劇映画を演劇の延長とみなしていたことがわかる。
広義の演劇
上の項と関連して言えば、人形劇というのもある。演じるのは必ずしも人間でなくてもよいわけである。例えば、日本はマンガがそれなりの文化として内外で認められつつあるが、絵画による演劇と見なすこともできよう。「絵画劇」と呼ぶこともできよう。劇画という言葉はその辺を意識して造語されたのかもしれないが、後に、重厚でリアルタッチな絵柄のストーリー・マンガを指すようになっていった。劇画とマンガの間にあるのは、もはや絵柄(小説で言えば文体)の差くらいしかない。
現代において、演劇と言ったら、舞台の上で人間が演じるものを指すのが一般的だが、劇映画も演劇、テレビドラマも演劇、劇画も演劇というように拡張されうる。
演劇の諸分野
- 総括的分類
- 近現代の日本の演劇
- 日本の伝統芸能
- 外国の伝統芸能
- その他