羽子板
羽子板(はごいた)は、長方形で柄のある板。羽根突きに用いる競技用の羽子板と、飾り羽子板に分別できる。
室町時代の文献『下学集』に「正月に羽子板を用いた」という旨の記述があり、これが文献における羽子板の初見だと言われる。胡鬼板(こぎいた)とも呼ばれ、羽子板で突く羽根を胡鬼子(こきのこ)と言い、蚊を食べる蜻蛉に似せて作られていた。
当初は羽根突きの道具として用いられたが、徐々に厄払いとしても使われるようになり、魔除けとして正月に女性にあげる習慣もこのころ出来たとされる。江戸時代に入ると、歌舞伎役者などをかたどった押絵羽子板が流行し、元禄期以降になると、遊びの道具として定着した。井原西鶴の『世間胸算用』に、正月に羽子板が江戸の市場で他の正月用の玩具と共に売られていたという言及がある。その後種類が増加し、金箔、銀箔を施した高級品も現れ、幕府が華美な羽子板の販売を禁止したり、製造について制約を課すなどの干渉をすることもあった。文化、文政年間になると、押し絵により人気俳優などの有名人を模った羽子板も登場、明治時代に入ると、新たな技術が応用され、羽子板の種類は更に増えた。近代から現代における羽子板は、運動用、遊戯用に主眼を置いており、かつての儀式的な道具としての要素は失われている。現代では東京の伝統工芸品に指定されている。
羽子板市
毎年12月17日から同19日までおこなわれる行事。江戸時代から現代に至るまで浅草寺で開催されており、毎年大勢の客が訪れることで有名である[1][2]。押絵羽子板の産地としては埼玉県春日部市とさいたま市岩槻区(旧岩槻市)が有名テンプレート:要出典。
また、羽子板市では久月が、その年に話題となった人物を素材にした変わり羽子板を作成、出展している[3]。
参考文献
- 斎藤良輔「日本人形玩具辞典」(東京堂出版) 351-356項
脚注
テンプレート:Sister テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist