飛鳥山公園
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飛鳥山公園(あすかやまこうえん)は、東京都北区にある区立公園。JR都内の桜の名所の一つ。
江戸享保期に行楽地として整備され、明治6年(1873年)には上野公園などと共に日本最初の公園に指定された。園内に残る渋沢栄一の旧邸は国の重要文化財に指定されている。
概要
徳川吉宗が享保の改革の一環として整備・造成を行った公園として知られる。吉宗の治世の当時、江戸近辺の桜の名所は寛永寺程度しかなく、花見の時期は風紀が乱れた。このため、庶民が安心して花見ができる場所を求めたという。開放時には、吉宗自ら飛鳥山に宴席を設け、名所としてアピールを行った。
「飛鳥山公園」の名の通り一帯は小高い丘になっているが、「飛鳥山」という名前は国土地理院の地形図には記載されておらず、その標高も正確には測量されていなかった。北区では、「東京都で一番低い」とされる港区の愛宕山(25.7メートル)よりも低い山ではないかとして、2006年に測量を行い、実際に愛宕山よりも低いことを確認したとしている(測量結果は公表していない[1])。北区は国土地理院に対し、飛鳥山を地形図に記載するよう要望したが採択されなかった。
歴史
- 1720年(享保5年) - 徳川吉宗がサクラの苗木を植える整備を行う。
- 1737年(元文2年) - 江戸庶民に一般開放。
- 1873年(明治6年) - 太政官布達により、上野公園・芝公園・浅草公園・深川公園と共に日本最初の公園に指定。
- 1879年(明治12年) - 渋沢栄一が飛鳥山に別荘を構える。1901年から栄一が死去した1931年までは本宅として使用(実際は子息のいる三田山上の邸宅との併用である)。
- 1883年(明治16年) - 日本鉄道の上野と熊谷を結ぶ路線(現在の東北本線・高崎線)の開通に伴い、かわらけ投げが禁止。
- 1927年(昭和2年) - 来るべき東京オリンピックの会場を想定し、運動場を整備。
- 1945年(昭和20年)4月13日 - 東京大空襲罹災。旧渋沢住宅の大部分を焼失。
- 1970年(昭和45年) - 回転式展望タワー「スカイラウンジ」(通称・飛鳥山タワー)開業
- 1993年(平成5年) - スカイラウンジ廃止
- 1998年(平成10年) - 園内に三つの博物館が開館。
- 2009年(平成21年)7月17日 - 斜行モノレール「飛鳥山公園モノレール」運転開始。
園内の施設
飛鳥山3つの博物館
- 北区飛鳥山博物館
- 地域の郷土資料を展示する博物館。
- 紙の博物館
- 世界でも有数の紙専門の博物館。日本最初の洋紙工場だった旧王子製紙(1949年分割)の収蔵資料を引き継ぎ、1950年に製紙記念館として設立。1998年に飛鳥山公園内に移転。
- 渋沢史料館
- 同地に本邸を構えていた実業家渋沢栄一に関する資料を収蔵展示する博物館。
史跡・展示物
- 旧渋沢庭園
- 渋沢栄一の旧邸「曖依村荘(あいいそんそう)」跡の庭園。現存する2棟は共に「旧渋沢家飛鳥山邸」の名称で国の重要文化財に指定されている。建物の内部は毎週土曜日の午後のみ公開。
- 静態保存車両
- 近年までは保存状態が悪く荒廃が著しかったが、2005年の園内整備に併せて修復・再塗装が行われた。
- 国鉄D51形蒸気機関車 853号機 - 1943年製造
- 東京都交通局6000形電車 6080号 - 1949年製造
- 石碑