門松
門松(かどまつ)とは、正月に家の門の前などに立てられる一対になった松や竹の正月飾りのこと。松飾りとも。古くは、木のこずえに神が宿ると考えられていたことから、門松は年神を家に迎え入れるための依り代という意味合いがある。
神様が宿ると思われてきた常盤木の中でも、松は「祀る」につながる樹木であることや、古来の中国でも生命力、不老長寿、繁栄の象徴とされてきたことなどもあり、日本でも松をおめでたい樹として、正月の門松に飾る習慣となって根付いていった。能舞台には背景として必ず描かれており(松羽目・まつばめ)、日本の文化を象徴する樹木ともなっている。
また、地域の言い伝えにより松を使わない所もある[1]。
新年に松を家に持ち帰る習慣は平安時代に始まり、室町時代に現在のように玄関の飾りとする様式が決まったと言われる[2]。
飾り付け
現在の門松は中心の竹が目立つが、その本体は名前で解るとおり「松」である。 もと、平安の貴族達が好んだ小松引きと言う行事で持ち帰った「子の日の松」を長寿祈願のため愛好する習慣から変遷したもので、現在も関西の旧家などでは、「根引きの松」という玄関の両側に白い和紙で包み金赤の水引を掛けた根が付いたままの小松(松の折枝は略式)が飾られる。
竹の先端部の形状は、斜めに切った「そぎ」と、真横に切った「寸胴(ずんどう)」の2種類がある。 「そぎ」は徳川家康が始めたもので、徳川家康の生涯唯一の敗北として知られる「三方ヶ原の戦い」(1572年)のあと、対戦相手の武田信玄に対して、次は斬るぞという念を込めたのが始まりという説がある。江戸期の門松は現在と異なり、松の先を切らずに地面からそのまま家屋の二階屋根まで届くような高さのものが飾られていた[3]。仙台藩の武家では、松の枝を括り付けた高さ3m程のクリの木を門の両脇に立て、その間に竹を渡してしめ縄と藁の飾りをかけるという物だった[4][5]。
地方により門松の様式に差がある。関東では、3本組の竹を中心に、周囲に短めの若松を配置し、下部をわらで巻くという形態が多い。関西では3本組の竹を中心に、前面に葉牡丹(紅白)後方に長めの若松を添え、下部を竹で巻く。豪華になると梅老木や南天、熊笹やユズリハなどを添える。
「逆さ門松」とも言われる、松を下向きに飾る門松のほか、松を使用しない門松が、東京都府中市の大國魂神社[1]と神戸市生田神社[6]、千葉県市原市の姉埼神社などにある。
集合住宅の発達など社会環境の変化などから、画像の様な本格的な門松が設置されることは少なくなったが、一般家庭用に小さな寄せ植え風の門松などが年末に店頭に並ぶようになったため、このタイプの門松を置く場合がある。
さらに省略版として、枝振りのいい若松に、赤白や金銀の水引を蝶結びにし、門柱などに付ける方法もあり、手軽なことから多く使われる。
スーパーマーケットなどの商店では「賀正」「謹賀新年」といった語と、新年のあいさつ文、門松や鶴、亀、日の出などの絵を印刷したポスターを張って済まされることもある。また、松の木の保護や伝統文化の継承を目的に「門松カード」と呼ぶものを市役所や公民館などで配布したりホームページからダウンロード出来るようにしている自治体もあり、上記の千葉県市原市には「門榊カード」も存在する[7]。
生花店やホームセンター、造園業や工務店などで作られ、設置・撤去まで一括でおこなうサービスもある。生花を利用するので翌年に使い回しはできないが、造花を使用する門松もある。
近年は年末年始の警備員が居ない状況下での危険を避けるため、繁華街の店舗用などでは先が尖ってない門松を置く事が多くなっている。また大型商店やオフィス街では、初売りや正月は無人に近くなる都心の事情などにより、本格的な門松が置かれるのが大晦日や元旦になる場合がある。
設置期間
12月の13日(もしくはその後)に、山から松の木(枝)を取ってくる「松迎え」をおこなう[8]。この「松」により、山から歳神様(歳徳神)を迎え入れる事となる。
門松の設置は「松の内」に入る12月13日以降ならばいつでも良い。ただし、クリスマスは避けて設置される傾向にあり、他に12月29日に飾るのは「二重苦」、さらに9の末日でもあるので「苦待つ」に通じるとされ、「苦松」といって忌む[9]。また12月31日に飾るのは「一夜飾り」「一日飾り」といって神をおろそかにするということから、それぞれ避けることとされている。
松の内の1月15日まで飾るのが伝統であるが、関東の一部などでは松の内を1月7日までに短縮しており、その場合は6日の夕方や翌7日に片づける場合が多い。(左義長が行われる地域は、左義長で門松を焼くので、それに合わせて仕舞う。左義長は1月15日の小正月が多いが、地域や神社によって異なる)。
作品
「門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」は、門松を飾る新年を迎えることはめでたいが、墓に向かっていく一里塚のようでもあると歌っている。これは、徒然草でも歌われている。
脚注
引用文献
- 『守貞漫稿』
- 『ビジュアル百科江戸事情第一巻生活編』樋口清之監NHKデータ情報部編雄山閣出版
- 『江戸年中行事図聚』三谷一馬著立風書房
- 『江戸の庶民行事事典』渡辺信一郎著東京堂出版