花見
花見(はなみ)とは主に桜の花を鑑賞し、春の訪れを寿ぐ日本独自の風習である。
概要
桜は日本全国に広く見られる樹木である。その花は春の一時期にある地域で一斉に咲き競い、わずか2週間足らずで散るため、日本人の季節感を形成する重要な風物となっている。可憐な花の美しさが開花期間の短さ、散り際の豪華さによりいっそう印象づけられ、しばしば人の命の儚さになぞらえられる。そのためか古来より、桜は人を狂わせるといわれることもある。
花見の席では持参の花見弁当を愉しむのが伝統的である。花を見ながら飲む酒は花見酒と呼ばれ風流なものではあるが、団体などの場合、乱痴気騒ぎとなることも珍しくない。陰陽道では、桜の陰と宴会の陽が対になっていると解釈する。
歴史
花見は奈良時代の貴族の行事が起源だといわれる。奈良時代には中国から伝来したばかりの梅が鑑賞されていたが、平安時代に桜に代わってきた。それは歌にも現れており、『万葉集』には桜を詠んだ歌が40首、梅を詠んだ歌が100首程度みられるが、10世紀初期の『古今和歌集』ではその数が逆転している。「花」が桜の別称として使われるのもこの頃からである。
『日本後紀』には、嵯峨天皇が812年(弘仁3年)に神泉苑にて「花宴の節(せち)」を催した[1][2]とある。時期的に花は桜が主役であったと思われ、これが記録に残る花見の初出と考えられている。831年(天長8年)からは宮中で天皇主催の定例行事として取り入れられた。その様子は『源氏物語』「花宴(はなのえん)」にも描かれている。
吉田兼好は『徒然草』第137段で、身分のある人の花見と「片田舎の人」の花見の違いを説いている。わざとらしい風流振りや騒がしい祝宴に対して冷ややかな視線であるが、ともあれ『徒然草』が書かれた鎌倉末期から室町初期の頃には既に地方でも花見の宴が催されていたことが窺える。
織豊期には野外に出て花見をしたことが、絵画資料から確認される[3]。この時期のもっとも大規模な花見は1598年(慶長3年)3月15日に行われた豊臣秀吉の醍醐の花見である[1]。
花見の風習が広く庶民に広まっていったのは江戸時代といわれる。江戸で最も名高かったのが忍岡(しのぶがおか)で、天海大僧正によって植えられた上野恩賜公園の桜である。しかし格式の高い寛永寺で人々が浮かれ騒ぐことは許されていなかったため、享保5年に徳川吉宗が浅草(墨田川堤)や飛鳥山に桜を植えさせ[4]、庶民の行楽を奨励した。吉宗は生類憐みの令以降途絶えていた鷹狩を復興させた際、鷹狩が農民の田畑を荒す事への対応策として、鷹狩の場に桜の木を植えることで花見客が農民たちに収入をもたらす方策をとったとされている。江戸の城下・近郊の花見の名所は上野寛永寺、飛鳥山、隅田川堤の他にも、愛宕山、玉川上水など少なからずあった。この時期の花見を題材にした落語としては、『長屋の花見』や『あたま山』、飛鳥山の花見を想定して作られた『花見の仇討(あだうち)』などがある。
花見の満開
テンプレート:節stub 各地域での桜の開花予想日は、毎年2月から4月にかけて各民間気象会社から発表され、同じ日に開花予想された地域を結んだ線は桜前線と呼ばれる。この前線はソメイヨシノを基準にしているため、桜によっては若干、開花の時期が前後する事があるので注意が必要である。かつて、2009年までは気象庁から毎年3月に発表されていた。
気象庁では、サクラの開花日とは、標本木で5~6輪以上の花が開いた状態となった最初の日を指し、満開日とは、標本木で80%以上のつぼみが開いた状態となった最初の日を指す[5]。
日本の半分以上の地域では桜の開花時期が毎年4月と、時期的に企業・学校等の年度始めや新学期とちょうど重なる。ただし、年度替りの3月の春休みに桜が開花する九州・中国地方・四国地方や5月上旬に開花する東北地方や北海道ではこの限りではない。しかし、近年では地球温暖化や気候変動の原因で、桜の開花や見頃(満開)時期が観測史上記録的な早さだった2002年を皮切りに従来の4 - 5月から3月にほぼ毎年開花するようになった。関東以西では1990年代以降花見の習慣が1か月早まり、3月に行われるようになってきているため、桜が卒業式シーズンの代名詞になりつつある。
なお、沖縄県では花見の習慣は基本的に存在しない。沖縄県で代表的な桜はカンヒザクラで、その開花時期は例年1月 つまり九州以北では真冬となる時期である。同様に北海道でも道東・道北を中心に花見の習慣はそれほど盛んではなく、代わりに秋の紅葉シーズンに「観楓会」と呼ばれる宴会が実施される習慣がある。
夜に花見をすることは夜桜(よざくら)または夜桜見物(よざくらけんぶつ)と呼ばれ、桜に独特な習慣である。上野公園や靖国神社など一部の桜の名所では夜桜のためにぼんぼりを設置することがある。
東京国立博物館などのように普段は一般公開されていないが花見の季節に特別公開されたり、六義園などのように幻想的にライトアップし夜間特別公開される。こうした機会は秋の紅葉でも持たれることが多い。
桜吹雪とは桜林や桜並木のある所で風などにより数多くの花弁が舞い散るさまであり、その美しさも愛でられる。全て散った後には葉桜と呼ばれる状態になる。
花見には団子がつきものといわれている。「花見団子」などともいい、庶民の花見の供として江戸時代から定番となっており、桜色(薄い赤色)・白色・緑色などの色で華やかな色彩を付ける。この3色の組み合わせが一般的で桜色は桜を表して春の息吹を、白は雪で冬の名残を、緑はヨモギで夏への予兆を表現している。
尚、花見は梅でも行われ、奈良時代では梅が鑑賞されている。
「花より団子」という諺は花見団子に由来し、花の観賞という審美的な行為より団子という実質を選ぶ行動を揶揄したもの。天然記念物クラスの枝振りが見事な桜や梅、歴史のある桜や梅などの下では茶席が設けられる事が多い。
花見の将来
実際に日本国内における桜の花見はソメイヨシノを対象としているところが多い。しかしながら、全国のほとんどのソメイヨシノが寿命を迎えていると言われている。この為、現在多くの公園などで桜の植え替えが行われており、これにより開花時期が大きく異なっている。例えば、三重県のともやま公園ではソメイヨシノの他に河津桜、吉野桜などを交互に植える等の桜並木の延命作業を行っている。
この為、開花時期の異なる木が混在するなど、僅かながら花見の時期も異なり始めている。
花見の問題
前もって広い場所を占有する団体や、カラオケの使用や音楽を流したり、火気の使用、立小便、酔った勢いで桜の枝を折る、木を傷つけるなど、桜に悪影響を与えたり、他の花見客や近隣住民に対する迷惑行為を行う集団・団体が増え、大きな社会問題となっている。 特に近年はコンビニなどの増加により弁当やペットボトルなどを容易に入手可能になった為、花見で出るゴミの量が倍増。更に集団心理と酒の影響かゴミを放置、所構わず捨てる客が増え、年々各地で花見客によるゴミ散乱が問題視されている。
同じようなゴミ問題として、近年では川崎市高津区瀬田の多摩川河川敷のバーベキュー問題があったが、こちらは有料化等を行う事である程度の問題の緩和に成功している。
また、まだ明るいうちから陣取り用のビニールシートがそこここに広げられている光景ははなはだしく景観を損なう。
日本国外の花見
日本統治時代に桜を植えたことから、韓国や、台湾でも花見をする習慣がある。また、アメリカ・ワシントンD.C.のポトマック河畔には1912年に東京市から寄贈された桜が植えられており、毎年全米桜祭りが行われている。また、中国、ドイツ、フランスほか多くの国で日本から贈られた桜が愛されている。
主な日本の桜の名所
- Cherry blossoms at Yoshinoyama 01.jpg
吉野山の中千本
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三春の滝桜
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- UenoParkHanami.jpg
- Lightup Fuchu-Koen-Dori in Fuchu Tokyo Japan.jpg
府中公園通りの夜桜
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- Senri-Bairin Minabe Wakayama03bs1800.jpg
千里梅林
- Night cherry bloosom on river 01.JPG
福岡県の宇美川でライトアップされた満開の夜桜
桜や花見に関連した作品
その他、サクラ (曖昧さ回避)も参照。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 「年中行事事典」p656 1958年(昭和33年)5月23日初版発行 西角井正慶編 東京堂出版
- ↑ 『日本後紀』 弘仁3年2月条
- ↑ 豊公吉野花見図屏風など。
- ↑ 山田孝雄 山田忠雄 校訳 『櫻史』 講談社学術文庫 ISBN 4061589164、303-304p
- ↑ テンプレート:PDFlink(気象庁)
関連項目
外部リンク