10世紀
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10世紀(じっせいき)とは、西暦901年から西暦1000年までの100年間を指す。1千年紀における最後の世紀。
目次
できごと
- 日本では平安時代にあたる。
- 901年 - 藤原時平によって菅原道真が大宰府へ左遷される(昌泰の変)。
- 902年 - 延喜の荘園整理令院宮王臣家が荒田閉地を請占するを禁ずる。
- 903年 - 菅原道真没。
- 904年 - 朝鮮半島で弓裔が摩震(のち泰封)を建てる。
- 905年 - 唐で白馬の禍が起きる。
- 905年 - 「延喜式」編纂開始。紀貫之・紀友則・壬生忠岑らが『古今和歌集』を撰進。
- 906年 - マジャル人によりモラビア王国が滅亡。
- 906年 - モースルにハムダーン朝が興る。
- 907年 - 節度使の朱全忠が唐を滅ぼし後梁を建国(五代十国)の始まり。
- 907年 - 契丹(遼)の耶律阿保機が即位。
- 907年 - 日本で「延喜格」が完成(909年には「延喜格」を頒下、910年には諸国に「延喜格」を写させる)。
- 909年 - チュニジアにシーア派のファーティマ朝が成立。
- 910年 - フランス中東部にクリュニー修道院が設立される。
- 910年 - イベリア半島ではレオン王国のガルシア王が領土拡張を開始。
- 911年 - 東フランク王国でカロリング朝が断絶しフランケン公コンラート1世が王に選出(ドイツ王国ザクセン朝)。
- 911年 - サン・クレール・シュール・エプト条約で、ノルマン人の首長ロロがノルマンディー公国を樹立。
- 912年 - 「延喜式」の編集を促進させる。
- 913年 - ブルガリア王シメオン1世が皇帝を称す。
- 913年 - 東ローマ帝国でコンスタンティノス7世が即位(- 959年)。
- この文人皇帝のもとで「マケドニア朝ルネサンス」が展開する。
- 918年 - 朝鮮半島で王建が泰封を滅ぼして高麗を建国。
- 918年 - 遼の耶律阿保機が上京臨潢府(皇都)を新都に定める。
- 919年 - ハインリヒ1世が東フランク(ドイツ)王に即位する。
- 921年 - ボン条約により東フランク王ハインリヒ1世と西フランク王シャルル3世が王位を相互承認。
- 926年 - 契丹(遼)が渤海を滅ぼす。
- 928年 - ジャワ東部にクディリ朝が成立。
- 929年 - 後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン3世がカリフを称し、東西にカリフが分立する。
- 930年 - 清涼殿落雷事件。醍醐天皇が没し第61代朱雀天皇が即位。藤原忠平が摂政就任。
- 930年 - イスマーイール派の分派カルマト派の信者がメッカのカーバ神殿から黒石を奪取(- 951年)。
- 930年 - アイスランドで世界最古の近代議会「アルシング」が創設。
- 932年 - イラン系シーア派のブワイフ朝が興る。
- 933年 - 上ブルグンド王国が下ブルグンド王国を併合する(アルル王国)。
- 935年 - 平将門・藤原純友による承平天慶の乱が始まる(- 941年)。
- 935年 - 高麗が新羅を滅ぼす。
- 935年ごろ - 紀貫之が最初の仮名日記である『土佐日記』を著す。
- 935年 - エジプトにイフシード朝興る。
- 936年 - 高麗が後百済を滅ぼして朝鮮半島を統一する。
- 936年 - 契丹(遼)が後晋から燕雲十六州を獲得する。
- 936年 - オットー1世がドイツ王に即位する。
- 937年 - 中国の雲南地方でタイ系の段氏が大理国を建国する。
- 939年 - ベトナムで呉朝が成立。
- 940年 - 平将門の乱が終わる。
- 941年 - 藤原純友の乱が終わる。藤原忠平が関白就任。
- 946年 - 朱雀天皇が譲位し、第62代村上天皇が即位。
- 946年 - ブワイフ朝がバグダードに入りアッバース朝カリフからアミール・アルウマラー(大アミール)の称号を得る。
- 947年 - 契丹の耶律堯骨(太宗)が大梁(開封)を陥落させ後晋を滅ぼす。
- 950年ごろ - トンガがトゥイ・トンガによって統一。
- 950年 - 村上天皇が内裏歌合を催行。
- 951年 - 村上天皇が『後撰集』の編纂を下命。
- 951年 - ドイツ王オットー1世のイタリア遠征。ブルグントのアーデルハイトと結婚しイタリア王を兼任する。
- 955年 - ドイツ王オットー1世がレヒフェルトの戦いでマジャル人に勝利する。
- 955年 - 後周の世宗が廃仏を行う(三武一宗の法難の最後)。
- 957年 - キエフ大公国王母オリガが東方正教会に帰依する。
- 958年 - 高麗で科挙制度が採用される。
- 960年 - ミェシュコ1世がポーランド王国を建てる。
- 960年 - 陳橋の変で帝位についた趙匡胤(太祖)が宋を建てる。
- 960年 - 平安遷都以来初めて内裏が全焼する(天徳4年の内裏焼亡)。
- 960年代 - 東ローマ帝国で最古の百科事典『スーダ辞典』が編纂される(- 970年代)。
- 961年 - イベリア半島でカスティーリャ伯領成立。
- 962年 - ドイツ王オットー1世、ローマ教皇から皇帝の冠を受け、神聖ローマ帝国が成立する。
- 962年 - アフガニスタンでトルコ系のガズナ朝が成立。
- 965年 - 北欧でハラール青歯王が洗礼を受ける。
- 965年 - キエフ大公スヴャトスラフ1世の遠征によりサルケルとイティルが攻略されハザールが滅ぼされる。
- 966年 - ベトナムで丁朝が成立。
- 967年 - 藤原実頼が関白となる。
- 967年 - 村上天皇が没し、第63代冷泉天皇が即位。
- 968年 - 東ローマ帝国がアンティオキアを約330年ぶりにイスラム勢力から奪回する。
- 969年 - ファーティマ朝がエジプトに進出してイフシード朝を滅ぼす。
- 969年 - 源満仲の讒言により左大臣源高明が左遷される安和の変が起こる。
- 969年 - 藤原実頼、摂政就任。
- 969年 - 高麗の使節が対馬国にくる。
- 969年 - 冷泉天皇が譲位し、第64代円融天皇が即位。
- 970年 - 藤原伊尹、摂政就任。
- 972年 - 藤原兼通、関白就任。
- 973年 - デカン高原でタイラ2世がラーシュトラクータ朝を倒しチャールキヤ朝を再興する。
- 973年 - ファーティマ朝がイフリーキヤのマフディーヤからエジプトのカイロに遷都。
- 973年 - クリュニー修道院院長マヨルスがアラブ人海賊により南フランスのフラクシネートゥムで拉致される。
- プロヴァンス伯ギョーム1世が報復として南フランスからアラブ人を駆逐。
- 976年 - 東ローマ帝国でバシレイオス2世が皇帝に即位( - 1025年)。東ローマ帝国は最盛期を迎える。
- 976年 - 神聖ローマ帝国がオーストリアにバーベンベルク家の辺境伯領を設ける。
- 977年 - 藤原頼忠、関白就任。
- 979年 - 宋の太宗が北漢を滅ぼして中国統一する。
- 980年 - マルギュ・シュール・シェール条約で、神聖ローマ皇帝オットー2世と西フランク王ロテールが講和。
- 984年 - 円融天皇が譲位し、第65代花山天皇が即位。
- 984年 - 日本僧奝然が宋の太宗に拝謁し、法済大師号と宋版大蔵経を賜与される。
- 986年 - 遼が宋に侵入する(岐溝の戦い)。
- 986年 - 寛和の変により、花山天皇が退位させられる。
- 986年 - 第66代一条天皇即位。藤原兼家、摂政就任。
- 987年 - 西フランク王国でカロリング朝が断絶し、ユーグ・カペーがカペー朝を開く(フランス王国のはじまり)。
- 988年 - キエフ大公国のウラディミル1世が東方正教会に改宗する。
- 988年 - カイロのアズハル・モスク(972年完成)付属のアズハル大学が設置される。
- 989年 - シャルー教会会議で最初の「神の平和(パックス・デイ)」が布告される。
- 990年 - 藤原兼家、関白就任。藤原道隆、摂政・関白就任。
- 991年 - イングランドにノルウェー王オーラフ1世来襲する。デーンゲルドの徴収始まる
- 993年 - この頃清少納言が『枕草子』を記す(成立年代については諸説あり)。
- 995年 - 藤原道兼、関白に就任するが、就任後12日で死亡し、「七日関白」と称される。
- 995年 - 藤原道長が内覧となり、事実上の摂政となる。
- 997年 - ハンガリー大公ゲーザの死により息子イシュトヴァーン1世が後を継ぐ。
- 997年 - 後ウマイヤ朝の大臣アル・マンスールがサンチアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂を破壊する。
- 997年 - 奄美島人、対馬・壱岐に来襲。
- 999年 - カラハン朝のイリグ・ハンがブハラを占領しサーマン朝を滅ぼす。
- 1000年 - イシュトヴァーン1世が戴冠式を行い、正式にハンガリー王国が成立する。
- 1000年頃 - アイスランド人のレイフ・エリクソンが西洋人としてはじめて北アメリカ大陸に到達、ヴィンランドと名づける。
人物
東アジア
唐
五代十国
- 朱全忠(852年 - 912年) - 五代後梁の初代皇帝(太祖)(在位907年 - 912年)・門閥貴族を根絶し唐を滅ぼす
- 李存勗(885年 - 926年) - 五代後唐の初代皇帝(荘宗)(在位923年 - 926年)・李克用の息子・洛陽に遷都
- 石敬瑭(892年 - 942年) - 五代後晋の初代皇帝(高祖)(在位936年 - 942年)・燕雲十六州を遼に割譲
- 劉知遠(895年 - 948年) - 五代後漢の初代皇帝(高祖)(在位947年 - 948年)・遼の華北撤退後に建国
- 郭威(904年 - 954年) - 五代後周の初代皇帝(太祖)(在位950年 - 954年)・後漢の隠帝を倒し建国
- 柴栄(921年 - 959年) - 五代後周の第2代皇帝(世宗)(在位954年 - 959年)・五代随一の名君・後周の法難(廃仏)を実施
- 李煜(937年 - 978年) - 十国南唐の末代皇帝(後主)(在位961年 - 975年)・詞文学の大成者
- 布袋(? - 917年?) - 唐末五代の禅僧・本名は契此か・弥勒菩薩の化身とされ日本では七福神の一人とされる
- 楊凝式(873年 - 954年) - 五代十国時代の官僚・書家として「古意帖」「乞花帖」「韮花帖」がある
- 馮道(882年 - 954年) - 五代十国時代の政治家・宰相・五朝八姓十一君に仕えたことは毀誉褒貶が激しい
- 董源(生没年不詳) - 十国南唐の宮廷画家・江南の風景を描いた山水画に優れ「瀟湘図巻」「夏山図巻」などの伝承作がある
- 巨然(生没年不詳) - 十国南唐から北宋の画家・董源の弟子・南唐滅亡後は開封に移る・「層巌叢樹図」などの伝承作がある
- 顧閎中(910年頃 - 980年) - 十国南唐の画家・李煜に命じられ描いた「韓煕載夜宴図」は南唐の爛熟を示す画として名高い
北宋
- 趙匡胤(927年 - 976年) - 北宋の初代皇帝(太祖)(在位960年 - 976年)・陳橋の変で皇帝に擁立される
- 趙匡義(939年 - 997年) - 北宋の第2代皇帝(太宗)(在位976年 - 997年)・北漢を討ち中華を再統一
- 李昉(925年 - 996年) - 北宋の政治家・宰相・太宗に命じられ『太平広記』『太平御覧』『文苑英華』を編纂
- 陳希夷(? - 984年/989年) - 五代宋初の隠士・儒仏道三教の調和を説く・紫微斗数や河洛理数などの占術を創始したか
- 楊業(? - 986年) - 北漢から北宋に帰順した武将・遼との戦いに従事・『楊家将演義』では楊一族の始祖として活躍
契丹
- 耶律阿保機(872年 - 926年) - 契丹(遼)の初代皇帝(太祖)(在位916年 - 926年)・渤海を滅ぼす
- 耶律堯骨(902年 - 947年) - 契丹(遼)の第2代皇帝(太宗)(在位927年 - 947年)・後晋を滅ぼす
朝鮮
日本
- 菅原道真(845年 - 903年) - 公卿・右大臣・昌泰の変で失脚・怨霊伝説から天満宮の祭神とされる
- 藤原時平(871年 - 909年) - 公卿・左大臣・昌泰の変の首謀者・最初の荘園整理令を行い延喜の治の端緒となる
- 藤原忠平(880年 - 949年) - 公卿・摂政・関白・太政大臣・藤原時平や藤原仲平の弟・延喜の治を指導
- 藤原利仁(生没年不詳) - 武将・鎮守府将軍・武蔵守ほか各地の地方官を歴任・『今昔物語集』の説話や伝説で有名
- 紀貫之(872年? - 945年) - 官人・木工権頭・『土佐日記』作者・『古今和歌集』選者
- 平将門(? - 940年) - 武将・承平天慶の乱では関東で「新皇」を名乗る・怨霊伝説から神田明神などの祭神とされる
- 藤原秀郷(生没年不詳) - 武将・鎮守府将軍・平将門追討の功績で有名・近江三上山の百足退治伝説でも知られる。
- 小野好古(884年 - 968年) - 公卿・参議・大宰大弐・追捕使長官として藤原純友を追討
- 藤原純友(893年? - 941年) - 官人・伊予掾・承平天慶の乱では瀬戸内海で海賊を率い国府を襲う
- 小野道風(894年 - 967年) - 官人・内蔵頭・書家で「三蹟」の一人・「智証大師諡号勅書」などが残る
- 藤原実頼(900年 - 970年) - 公卿・摂政・関白・太政大臣・北家小野宮流の祖・天暦の治を指導・安和の変の首謀者か
- 空也(903年 - 972年) - 僧侶・浄土教の先駆者として「市聖」と呼ばれる
- 藤原師輔(909年 - 960年) - 公卿・右大臣(九条右大臣)・北家九条流の祖・天暦の治を指導
- 源順(911年 - 983年) - 学者・歌人・日本最古の分類体辞典『和名類聚抄』を編纂・梨壺の五人の一人
- 丹波康頼(912年 - 995年) - 医師・日本最古の医学書『医心方』を編纂
- 良源(慈恵大師)(912年 - 985年) - 天台座主・通称は元三大師・比叡山延暦寺の中興の祖
- 源満仲(912年 - 997年) - 武将・鎮守府将軍・摂津源氏/大和源氏/河内源氏の祖
- 源高明(914年 - 983年) - 公卿・左大臣(西宮左大臣)・安和の変で失脚・有職故実の書『西宮記』を残す
- 安倍晴明(921年 - 1005年) - 陰陽師・天文博士・神秘的な人物として伝説化される
- 藤原兼家(929年 - 990年) - 公卿・摂政・関白・太政大臣・藤原道長の父・寛和の変で一条天皇を擁立
- 慶滋保胤(933年以後 - 1002年) - 文人・儒学者で『池亭記』・『日本往生極楽記』の著者
- 藤原道綱母(936年? - 995年) - 藤原兼家の妻の一人・藤原倫寧の娘・『蜻蛉日記』を残す
- 奝然(938年 - 1016年) - 入宋僧・宋の太宗に引見される・京都清涼寺の開祖
- 源信(942年 - 1017年) - 天台宗の僧侶・良源の弟子・『往生要集』著者
- 藤原佐理(944年 - 998年) - 公卿・参議・書家で「三蹟」の一人・「詩懐紙」「離洛帖」などが残る
- 源頼光(948年 - 1021年) - 武将・藤原摂関家の家司・大江山酒呑童子征伐伝説で知られる
- 藤原道隆(953年 - 995年) - 公卿・摂政・関白(中関白)・藤原兼家の長男・伊周や定子の父
- 藤原道長(966年 - 1027年) - 公卿・摂政・内覧・通称は御堂関白・藤原兼家の四男・摂関政治の最盛期
- 清少納言(966年頃 - 1025年?) - 一条天皇の中宮定子の女房・『枕草子』作者
イスラム世界
サーマーン朝
- イスマーイール・サーマーニー(? - 907年) - サーマーン朝のアミール(在位892年 - 907年)・サーマーン朝の全盛期
カラハン朝
- サトゥク・ボグラ・ハン(? - 993年) - カラハン朝の君主(在位920年 - 958年)・テュルク系民族の集団改宗を行ったという
ガズナ朝
ブワイフ朝
ファーティマ朝
- アブー・アブドゥッラー(? - 911年/912年) - マグリブのイスマーイール派の教宣員・ファーティマ朝建国の功臣
- ウバイドゥッラー(873年 - 934年) - ファーティマ朝の初代カリフ(在位909年 - 934年)・アグラブ朝を倒しチュニジアに建国
- ムイッズ(932年 - 975年) - ファーティマ朝の第4代カリフ(在位953年 - 975年)・イフリーキヤからカイロに遷都
- ジャウハル(? - 992年) - ファーティマ朝の将軍・カリフのムイッズに仕える・イフシード朝を倒しエジプトにカイロを建設
- アズィーズ(955年 - 996年) - ファーティマ朝の第5代カリフ(在位975年 - 996年)・アズハルモスク付属のアズハル学院を創設
後ウマイヤ朝
- アブド・アッラフマーン3世(889年 - 961年) - 後ウマイヤ朝の初代カリフ(在位929年 - 961年)・王朝の最盛期・ザフラー宮殿を造営
- ムハンマド・イブン・アビー・アーミル(938年 - 1002年) - 後ウマイヤ朝の大臣・カリフのヒシャーム2世に代わり実権を握る・キリスト教諸国に大勝
学者・詩人
- ルーダキー(850年代初頭 - 940年頃) - サーマーン朝のペルシア語詩人・ペルシア詩の確立者であり『カリーラとディムナ』他がある
- アル・ハッラージュ(857年/858年 - 922年) - ペルシアのイスラム神秘主義者・神人合一の神秘体験を説き異端として処刑される
- アル・ラーズィー(865年 - 925年) - ペルシアの錬金術師・化学者・哲学者・医師・四体液説の誤りを証明
- ファーラービー(870年? - 950年) - ファーラーブ出身のイスラム哲学者・数学者・アリストテレスに次ぐ「第二の師」とも呼ばれる
- アシュアリー(873年 - 935年) - イスラム神学者・ムウタズィラ派ジュッバーイーの弟子だったが離反しアシュアリー派の祖となる
- イブン・ファドラーン(活躍時期921年 - 922年) - アッバース朝の使節として各地を旅行し『ヴォルガ・ブルガール旅行記』を残す
- マスウーディー(896年 - 956年) - バグダード出身の歴史地理学者・「アラブのヘロドトス」・著作に『黄金の牧場と宝石の鉱山』がある
- アブル・ファラジュ(897年 - 967年)- エスファハーン生まれの学者・アラブ人の詩歌の記録をまとめた『歌の書』を残す
- アブド・アル・ラフマン・アル・スーフィー(903年 - 986年) - ブワイフ朝で活躍した天文学者・『星座の書』『アストロラーベの使用法』がある
- アル・ムタナッビー(915年 - 965年) - クーファ出身のアラビア語詩人・「預言者を僭称する者」の別名で知られ華麗な作品が多いが殺害される
- ブズルク・イブン・シャフリヤール(10世紀後半) - イスラム航海者・インド洋の航海者に伝わる説話を『インドの驚異譚』でまとめる
- ダキーキー(930年/940年 - 978年頃) - サーマーン朝で活躍したペルシア語詩人・フィルドウスィーに先行し影響を与える
- フェルドウスィー(934年 - 1025年) - サーマーン朝・ガズナ朝で活躍したペルシア語詩人・『シャー・ナーメ』を書く
- イブン・スィーナー(980年 - 1037年) - ブハラ出身の哲学者・科学者・医師としては『医学典範』『治癒の書』がある
南アジア
- タイラ2世(? - 997年) - インドの後期チャールキヤ朝の初代の君主(在位973年 - 997年)・ラーシュトラクータ朝を滅ぼす
- ラージャラージャ1世(? - 1014年頃) - インドのチョーラ朝の君主(在位985年 - 1014年頃)・チョーラ朝最盛期の王
キリスト教世界
フランス王国
- ロロ(徒歩王)(860年頃 - 933年) - ノルマン人の族長・初代ノルマンディー公(在位911年 - 933年)
- ユーグ・カペー(941年 - 996年) - フランスの初代国王・カペー朝の祖(在位987年 - 996年)
- クリュニーのベルノー(850年 - 927年) - クリュニー修道院初代院長・アキテーヌ公ギヨーム1世の援助で修道院を建立
- クリュニーのオド(879年 - 942年) - クリュニー修道院2代院長・教会刷新運動を進め俗界権力の容喙を拒絶
- ゴルツェのヨハネス(900年 - 974年) - ゴルツェ修道院院長・修道院改革をロレーヌ地方からドイツに広げる
神聖ローマ帝国
- ハインリヒ1世(捕鳥王)(876年 - 936年) - ザクセン朝の祖・ドイツ(東フランク)王(在位919年 - 936年)
- オットー1世(大帝)(912年 - 973年) - ザクセン朝のドイツ王・初代神聖ローマ皇帝(在位962年 - 973年)・マジャール人を撃退
- ブルグントのアーデルハイト(931年/932年 - 999年) - 神聖ローマ皇帝オットー1世の皇后・息子夫妻の死後はオットー3世の摂政となる
- オットー2世(955年 - 983年) - ザクセン朝の神聖ローマ皇帝(在位973年 - 983年)・東ローマ皇女テオファヌと結婚
- テオファヌ(960年 - 991年) - 神聖ローマ皇帝オットー2世の皇后・東ローマ皇帝の姪・夫君死後は息子のオットー3世の摂政となる
- オットー3世(980年 - 1002年) - ザクセン朝の神聖ローマ皇帝(在位996年 - 1002年)・古代ローマへの憧憬からイタリア遠征を行う
- ロスヴィータ(935年頃 - 973年頃) - ドイツのベネディクト会律修修女・オットー朝ルネサンスを代表するラテン語劇作家・詩人
イタリア
- マロツィア(890年頃 - 932年/937年) - ローマの女性政治家・その教皇庁支配はポルノクラシー(娼婦政治)と呼ばれる
- クレモナのリウトプランド(922年頃 - 972年) - クレモナの司教・東ローマ帝国の宮廷に派遣され『コンスタンティノポリス使節記』を残す
- ヨハネス12世(937年 - 964年) - ローマ教皇(在位955年 - 964年)・オットー1世を神聖ローマ皇帝として戴冠
- シルウェステル2世(950年? - 1003年) - ローマ教皇(在位999年 - 1003年)・オットー3世の家庭教師・数学者・天文学者でもある
東ローマ帝国
- レオーン6世(ソフォス)(866年 - 912年) - 東ローマ帝国マケドニア朝の皇帝(在位886年 - 912年)・「バシリカ法典」編纂や四婚問題で知られる
- コンスタンティノス7世(ポルフュロゲネトス)(905年? - 959年) - 東ローマ帝国マケドニア朝の皇帝(在位913年 - 920年、944年 - 959年)
- ニケフォロス2世フォカス(913年 - 969年) - 東ローマ帝国マケドニア王朝の皇帝(在位963年 - 969年)・シリアのアンティオキアを奪回
- ヨハネス1世ツィミスケス(925年 - 976年) - 東ローマ帝国マケドニア王朝の皇帝(在位969年 - 976年)・先帝に続き東方領土を拡大
- バシレイオス2世(ブルガロクトノス)(958年 - 1025年) - 東ローマ帝国マケドニア朝最盛期の皇帝(在位976年 - 1025年)
- アトスのアタナシオス(920年頃 - 1000年頃) - 東ローマ帝国の修道士・アトス山にメギスティス・ラヴラ修道院を建立し聖地の名を高める
東欧
- シメオン1世(864年 - 927年) - ブルガリア王(在位893年 - 913年)・ブルガリア皇帝(在位913年 - 927年)
- ボゴミル(10世紀前半) - ブルガリア支配下の西マケドニアの司祭・異端パウロ派の影響から善悪二元論のボゴミル派を創設
- オリガ(? - 969年) - キエフ大公国第2代大公イーゴリ1世の妃・第3代大公スヴャトスラフ1世の摂政・キリスト教(東方正教会)を受容
- ヴァーツラフ1世(907年 - 935年) - プシェミスル朝のボヘミア公(在位921年 - 935年)・都プラハに聖ヴィート大聖堂を建立
- ミェシュコ1世(935年? - 992年) - ピャスト朝の初代ポーランド国王(在位963年 - 992年)・キリスト教(カトリック教会)を受容
- ウラディミル1世(聖公)(956年 - 1015年) - キエフ大公(在位980年 - 1015年)・キリスト教(東方正教会)を受容
- イシュトヴァーン1世(975年 - 1038年) - ハンガリーの建国者(在位997年 - 1038年)・キリスト教(カトリック教会)を受容
- プラハのアダルベルト(956年 - 997年) - プラハ司教・東欧各地(ボヘミア・ハンガリー・ポーランド)に宣教・殉教して守護聖人とされる
北欧
- ハーラル1世(青歯王)(? - 986年?) - デンマーク国王(在位940年 - 985年?)・キリスト教(カトリック教会)を受容
- オーラヴ1世(960年代 - 1000年) - ノルウェー国王(在位995年 - 1000年)・キリスト教(カトリック教会)を受容
アイスランド
- 赤毛のエイリーク(950年頃 - 1003年頃) - ノルウェー生まれでアイスランドで活躍した航海者・グリーンランドを発見か
- レイフ・エリクソン (970年頃 - 1020年頃) - アイスランド生まれのノルマン人航海者・アメリカ大陸を発見か・エイリークの息子
10年紀と各年
900年代 | 900 | 901 | 902 | 903 | 904 | 905 | 906 | 907 | 908 | 909 |
910年代 | 910 | 911 | 912 | 913 | 914 | 915 | 916 | 917 | 918 | 919 |
920年代 | 920 | 921 | 922 | 923 | 924 | 925 | 926 | 927 | 928 | 929 |
930年代 | 930 | 931 | 932 | 933 | 934 | 935 | 936 | 937 | 938 | 939 |
940年代 | 940 | 941 | 942 | 943 | 944 | 945 | 946 | 947 | 948 | 949 |
950年代 | 950 | 951 | 952 | 953 | 954 | 955 | 956 | 957 | 958 | 959 |
960年代 | 960 | 961 | 962 | 963 | 964 | 965 | 966 | 967 | 968 | 969 |
970年代 | 970 | 971 | 972 | 973 | 974 | 975 | 976 | 977 | 978 | 979 |
980年代 | 980 | 981 | 982 | 983 | 984 | 985 | 986 | 987 | 988 | 989 |
990年代 | 990 | 991 | 992 | 993 | 994 | 995 | 996 | 997 | 998 | 999 |
1000年代 | 1000 | 1001 | 1002 | 1003 | 1004 | 1005 | 1006 | 1007 | 1008 | 1009 |