メスキータ
メスキータ (mezquita) とは、スペイン語でモスクという意味で、アラビア語 مسجد ("Masjid") に由来する。しかし、一般的には固有名詞として、スペインアンダルシア州コルドバにあるカトリック教会の司教座聖堂「コルドバの聖マリア大聖堂 (Catedral de Santa María de Córdoba)」を指す場合が多い。本項は、この聖マリア大聖堂について解説する。
メスキータ (Mezquita) は「モスク」(ひざまずく場所)、ムスリム(回教徒)の礼拝堂の意味で、スペインに現存する唯一の大モスクである。アブドールラフマン1世は、グワダルキビール川の流れが変わるコルドバの小高い丘にメスキータの建設を始める。ここは紀元2世紀、戦勝祈願を行ったローマ神殿があったという伝説があり、西ゴート王国時代には聖ヴィアンテ教会があった神聖な場所であった。
概要
785年、イスラム教の寺院としてアブデラマン1世時代に建設された。その後、カトリック教徒が権力をにぎった1236年からは、内部に礼拝堂を設けたりカテドラルが新設されて、メスキータはイスラム教とキリスト教、2つの宗教が同居する世にも珍しい建築となった。かつてイスラム教徒が庭の池で身を浄めたオレンジの中庭や、アーチ上部の赤と白の縞模様がモスクの面影を感じさせるマヨール礼拝堂など、見所は数多い。
もともとこの地には西ゴート王国時代に建設されたカトリック教会の聖ビセンテ教会が存在していた(現在ではメスキータ内部に一部その遺構が公開されている)。その後、イスラム勢力が北アフリカからイベリア半島に侵入し後ウマイヤ朝を建国すると、この聖ビセンテ教会はイスラム教のモスクとしても使用されるようになった。更に8世紀末にはイスラム教徒がキリスト教徒から聖ビセンテ教会を完全に買い取り、新たにモスクの建造を開始した。この時に建造されたモスクは、現在でも聖マリア大聖堂の一部として使用されている。
コルドバのモスクは10世紀末に拡張工事が行われ、数万人を収容することが出来る巨大モスクが完成した。しかし13世紀にレコンキスタによってカスティージャ王国がコルドバを再征服すると、コルドバの巨大モスクはカトリック教会の教会堂に転用される。
最終的には16世紀、スペイン王カルロス1世(神聖ローマ皇帝としてはカール5世、ただしスペイン国内ではカルロス5世とも呼ばれる)の治世にモスク中央部にゴシック様式とルネサンス様式の折衷の教会堂が建設され、現在のような唯一無二の不思議な建築物として成立を見た。現在、この聖マリア大聖堂は世界遺産に登録されている。
歴史
- 6世紀〜7世紀 - 西ゴート王国の聖ビセンテ教会の地であった。
- 711年 - 後ウマイヤ朝の西ゴート王国征服成る。教会の半分をモスクとする。
- 784年 - コルドバの初代アミールアブド・アッラフマーン1世の命により、コルドバ教会の所有部分を買い取り、王宮に隣接するモスクとして建設工事がスタート。妃の名をとってAljama Mosqueと名付けた。(第1次建設部分)
- アブド・アッラフマーン3世 (889-961) がミナレット(塔)の建設を命ずる。
- 961年 - ハカム2世の命により、拡張工事が実施され、ミフラーブも拡張される。
- 987年 - アル・マンスール・イブン・アビ・アーミルにより拡張工事、現在のメスキータの形となる。
- 1236年 - カスティリャ王フェルナンド3世の軍によりコルドバ征服。モスクはカトリックの教会に転用される。
- カルロス1世 (1500-1588) により、メスキータ中心部に身廊が増築される。
特徴
メスキータは大きく3つの構成要素からなる。アミナール (Aminar) と呼ばれる回教寺院の「塔」と、現在はオレンジのパティオ (Patio) と呼ばれ、礼拝者が体を清めるための沐浴を行う清めの「庭」。そして無数の柱が森のように広がる祈りの場「礼拝の間」である。礼拝の間にはキブリ壁 (muro Kibli) といわれるメッカのカーバ (Kabah) 神殿の方向を指し示す壁が正面にあり、目印となるミフラーブ (Mihrab) と呼ばれる小さな窪みが設けられている。
モスクは、イスラムの教義「すべての人は神の前で平等である」にもとづき、聖地メッカのカーバ神殿の方向に一人一人が祈りをささげる場所である。礼拝の間はこの教義をそのまま形にしたといえる。多数の柱によって支えられた空間は、無限に連続してゆく祈りのための均質な広がりとなっている。空間を支える無数の円柱は、世界各地から集められた時代、様式、場所の異なる他の建物から転用されたものである。この転用されたために寸足らずとなった円柱の上部に10m程度の高い天井を支えるための工夫が、特徴となる2重アーチを生んだ。メリダにあるローマの水道橋を参考にしたとされるこの2重アーチは、赤いレンガと白の石灰岩を交互に楔状に配した構成となっている。
歴代の王は、人口の増加と共にメスキータの拡張を図っていった。外壁を壊し、多柱の空間を水平に拡張していった。最終的に、外周は約175m×135mの広がりとなり2万5千人もの回教徒を収容する規模まで達した。各時代の拡張の中で、最も重要なのはアルハキム2世の時代の拡張(961年-968年)である。この時代、王はカリフを自称し、イベリア半島のイスラム国家は、政治、宗教の両面で独立を遂げた。その権力の象徴として現存するミフラーブと共に王が礼拝するマクスーラ(貴賓席)が設けられたのである。マクスーラ上部のキューポラ(cupula: 天蓋)は正方形に組まれたリブ状のアーチを45度の角度で回転複写させた星型の架構となっている。この重いキューポラを支える交差する多弁型(多くのアーチが集合した形態)のアーチは全体を支配する同一の柱間の統制の中にあって、豊かな装飾性を生み出している。このマクスーラ部分は、他の柱間の平天井部分においても松の板に幾何学模様の彫刻が施されている。メスキータ全体を統制する建物の幾何学は、各時代ともラサッシ (rassasi) と呼ばれる47.5cmのモデュールに基づいて行われ、このモデュールが最後にカトリック寺院として改修されるまで守られてゆく。
メスキータの周囲は、10m程度の高い塀で囲われている。オレンジのパティオは、周囲を壁(最終的には回廊となる)で囲まれた内部化された外部空間である。沐浴の場、オレンジの並木は礼拝の間の柱がそのまま連続して外部につながってゆくように柱の延長上に規則的に配されている。かつては、ナツメヤシ、月桂樹の並木であった。樹の周囲に円形に掘られた溝が並び、各列でつなげられた潅水のための水路が配置されている。カトリックの教会として転用される以前は、このパティオと礼拝堂の間の壁はふさがれておらず、19の開口により連続するものであった。ここで信者は、水によって五感を清め、流れるように礼拝の間へ進んでいったのである。礼拝の間の床は、当初は漆喰であった。今日では大理石が敷き詰められている。
1236年、フェルデナンド3世によりコルドバが征服されるとメスキータはキリスト教の礼拝堂として使われ始める。16世紀に入り、内部には大聖堂が建設されることによってメスキータは大きな転機を迎える。求心的なカトリックの祈りの空間がこの空間に挿入される。
登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。テンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/coreテンプレート:世界遺産基準/core
ギャラリー
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中庭
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内部「円柱の森」
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外壁装飾
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「円柱の森」のアーチ群
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「円柱の森」のアーチ群
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「円柱の森」のアーチ群
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内部装飾
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ミフラーブ部周辺
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ミフラーブの前に設けられたドームの天蓋
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外壁装飾
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グアダルキビール川対岸からメスキータを臨む
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「オレンジの中庭」