6世紀
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6世紀(ろくせいき)とは、西暦501年から西暦600年までの100年間を指す。
目次
できごと
- 502年 - 中国の南朝が斉から梁にかわる。
- 503年 - 「癸未年八月」の干支銘をもつ人物画像境が和歌山県橋本市の隅田八幡宮に伝わる。(癸未年を443年とする説もある)。
- 507年 - ブイエの戦いでフランク王国が西ゴート王国に勝利。西ゴート王国は南ガリアの領土を喪失。
- 510年代 - エフタルのトラマーナ王と続くミヒラクラ王がインドにたびたび侵入する。
- 520年 - インドのグプタ朝が分裂し統一王朝は崩壊。グプタ朝の版図は北ベンガルとビハールに限定される。
- 523年 - 北魏で六鎮の乱が起こる。
- 527年(継体天皇の21年)- 磐井の乱起こる(『日本書紀』)。
- 527年 - 梁の武帝が建康の同泰寺で最初の捨身を行う。
- 527年 - 東ローマ帝国でユスティニアヌス1世が皇帝に即位(- 565年)
- 528年(継体天皇の22年)- 磐井斬殺される(『日本書紀』)。
- 529年 - 東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世がアテネのアカデメイアを閉鎖し、学者を追放する。
- 529年 - ベネディクトゥスがイタリアのモンテ・カッシーノに修道院を創設。
- 530年 - ユスティニアヌス1世が古代ローマ法の集大成である『ローマ法大全』編纂を命じる(533年完成)。
- 531年 - サーサーン朝ペルシア帝国でホスロー1世が即位(- 579年)。サーサーン朝の最盛期を迎える。
- 532年1月 - ユスティニアヌス1世がニカの乱により退位寸前まで追いこまれるが、皇后テオドラの励ましにより反徒を武力鎮圧し、専制支配を固める。
- 532年6月 - 東ローマ帝国とサーサーン朝ペルシアとの間に「永久平和条約」を結んで東方国境を安定させる。
- 533年 - 東ローマ帝国が北アフリカのヴァンダル王国を征服。
- 534年 - フランク王国(パリ・ソワソン)がブルグンド王国を征服。
- 534年 - 東ゴート王国女王アマラスンタが廃位される。翌535年にアマラスンタが殺害されると東ローマ帝国が軍事介入を開始。
- 534年 - 北魏が東魏と西魏に分裂。
- 534年 - 西魏の宇文泰が郷兵を結集する(府兵制の始まり)。
- 535年 - 地球規模の大異変が起きた。世界各地の古文書、年代記、伝承などに異常寒波、自然災害、飢饉、疫病が発生し、その結果政変や文明の崩壊がおきたことが記されている。[1]。
- 537年 - 東ローマ帝国でニカの乱で焼失したハギア・ソフィア大聖堂のユスティニアヌス1世による再建が完成。現存している「アヤソフィア」とは再建されたこの3代目の建物を指す。
- 538年 - 日本に仏教伝来。
- 541年 - 東ローマ帝国で「ユスティニアヌスのペスト」が大流行。
- 541年 - 東ローマ皇帝ユスティニアヌスがローマ共和政以来の執政官(コンスル)を廃止する。
- 548年 - 梁で侯景の乱。翌年には建康が陥落し梁の武帝が憤死。
- 550年 - 北斉が東魏を滅ぼす。
- 550年頃 - インドでグプタ朝が完全に滅亡。
- 552年 - 北アジアで柔然が分裂する。突厥が建国される。
- 553年 - 第2コンスタンティノポリス公会議で「三章問題」が討議されその著作が排斥される。
- 554年 - 東ローマ帝国がイタリアの東ゴート王国を征服。
- 554年 - 東ローマ帝国が西ゴート王国領イスパニア南部を征服。
- 554年 - 西魏が江陵を陥落させ、梁の元帝を殺害。
- 557年 - 西魏に代わり北周が建国。
- 557年 - 梁に代わり陳がおこる。
- 559年ごろ - サーサーン朝ペルシアのホスロー1世が突厥と同盟してエフタルを滅ぼす。
- 560年 - 西ゴート王国がトレドに遷都。
- 567年 - ゲピド王国がランゴバルド族に征服され、国王クニムンドが殺害される。
- 568年 - ランゴバルド人がイタリアに侵入し、ランゴバルド王国を建国。
- 574年 - 北周の武帝の廃仏が始まる(三武一宗の法難の一つ)。
- 577年 - 北周が北斉を滅ぼし華北を統一する。
- 580年ごろ - スラブ人が北ギリシャに侵入する。
- 581年 - 中国で楊堅(文帝)が北周を滅ぼして隋を建国。「開皇律令」が公布される。
- 582年 - 隋の都・大興城が整備され、大興善寺が国寺として置かれる(仏教治国策)。
- 583年 - 突厥が東西に分裂する。
- 583年 - 隋の文帝が郡を廃止し、州県制を導入。
- 584年 - 東ローマ皇帝マウリキオスがラヴェンナに総督府を設置。
- 587年 - 蘇我馬子が仏教受容反対派の物部氏を滅ぼす(丁未の乱)。
- 589年 - 隋が南朝の陳を滅ぼし、中国を統一。
- 589年 - 西ゴート国王レカレド1世がカトリックに改宗する。
- 590年 - ローマ教皇にグレゴリウス1世が即位。
- 591年 - 東ローマ皇帝マウリキオスがカルタゴに総督府を設置。
- 592年 - 隋で均田法が施行される。
- 592年 - 崇峻天皇が暗殺され、推古天皇が即位。
- 593年 - 聖徳太子が推古天皇の摂政となる。
- 598年 - 隋で科挙が行われる。高句麗遠征(隋の高句麗遠征)に失敗する。
- 600年 - 日本が第1回遣隋使を派遣。(『隋書』倭国伝にみえるが、『日本書紀』に書かれていない)
日本
日本では古墳時代にあたる。ただし、崇峻天皇が暗殺され推古天皇が立てられた崇峻天皇5年(592年)以降、または聖徳太子が摂政になった推古天皇元年(593年)以降は、飛鳥時代に区分される場合もある。
人物
地中海世界とヨーロッパ
イタリア(東ゴート王国からランゴバルド王国まで)
- ディオニュシウス・エクシグウス(470年頃 - 544年) - ローマの神学者・教会法学者・キリスト紀元(西暦)を案出。
- ヌルシアのベネディクトゥス(480年頃 - 547年) - 西方教会における修道制の創設者・モンテ・カッシーノ修道院を建立。
- ボエティウス(480年頃 - 524年頃) - 東ゴート王国の執政官で哲学者・神学者。著作に『哲学の慰め』がある。
- カッシオドルス(485年頃 - 585年頃) - 東ゴート王国の執政官で哲学者・神学者。ウィウァリウムの修道院に隠棲する。
- トーティラ(? - 552年) - 東ゴート国王(在位541年 - 552年)・ゴート戦争で東ローマ帝国軍に抵抗しタギナエの戦いで戦死。
- アルボイン(526年? - 572年) - ランゴバルド王国の初代国王(在位560年 - 572年)・東ローマ支配を覆す。
- フォルトゥナトゥス(530年頃 - 610年頃) - イタリアのラテン詩人・聖十字架の賛歌「王の旗が進む」や『聖ラデグンディス伝』がある。
- グレゴリウス1世(540年 - 604年)- ローマ教皇(在位590年 - 604年)・ゲルマン系諸民族への宣教を推進。
フランク王国
- クロタール1世(497年 - 561年) - メロヴィング朝フランク王国ソワソンの王(在位511年 - 561年)・ブルグンド王国を滅ぼす。
- テウデベルト1世(500年頃 - 547年/548年) - メロヴィング朝フランク王国のランス(アウストラシア)王。
- テウデバルド(535年 - 555年) - メロヴィング朝フランク王国のランス(アウストラシア)王・テウデベルト1世の子。
- フレデグンデ(? - 597年) - フランク王国ネウストリア王キルペリク1世の王妃・ブルンヒルデの政敵。
- ブルンヒルド(543年頃 - 613年) - フランク王国アウストラシア王シギベルト1世の王妃・フレデグンデの政敵。
- ゲルマヌス(496年 - 576年) - パリ司教・フランク王国のキリスト教化につとめサンジェルマン・デ・プレ修道院にその名が残る。
- トゥールのグレゴリウス(530年頃 - 594年頃) - フランク王国の司教・年代記作家で『歴史十巻(フランク史)』の著者。
- アルルのカエサリウス(468年/470年 - 542年) - レランスの修道院長・アルルの司教・ガリア教会の復興を指揮する。
イングランド・アイルランド
- クロンファートのブレンダン(484年頃 - 578年頃) - アイルランドの修道士・各地への宣教で知られ『聖ブレンダンの航海』で伝説化される。
- コルンバ(521年 - 597年) - アイルランド出身の修道士・アイオナ修道院を創建し各地へ宣教・コルンバヌスは弟子。
- カンタベリーのアウグスティヌス(? - 604年/605年)- 初代カンタベリー大司教・ケント国王エゼルベルフトを洗礼する。
西ゴート王国
- セビリャのレアンデル(549年以前 - 599年/601年) - セビリャ大司教・国王レカレド1世の改宗に活躍・後継の大司教イシドールスは実弟。
- レカレド1世(559年頃 - 601年) - 西ゴート王国国王(在位586年 - 601年)・アリウス派からカトリック教会に改宗。
東ローマ帝国
- ユスティニアヌス1世(482年 - 565年) - 東ローマ皇帝(在位527年 - 565年)。東ローマ帝国の最大版図を築いた。
- テオドラ(500年頃? - 548年)- 東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世の皇后。二カの反乱で窮地に至った皇帝を励ます。
- マウリキウス(539年 - 602年) - 東ローマ皇帝(在位582年 - 602年)・帝国再建のため各地に総督府を設置・フォカスに暗殺される。
- ベリサリウス(505年 - 565年) - 東ローマ帝国の将軍・サーサーン朝やヴァンダル王国/東ゴート王国との戦いに勝利。
- ナルセス(478年 - 573年) - 東ローマ帝国の政治家・宦官・将軍。解任されたベリサリウスを継ぎイタリアの東ゴート王国を征服。
- カイサレイアのプロコピオス(生没年不詳) - 東ローマ帝国の歴史家。ユスティニアヌスの再征服に関する『戦史』『秘史』の著者。
- ヨルダネス(? - 578年頃) - 東ローマ帝国の歴史家。『ゴート人の歴史』はゴートに関する最重要史料。
- トリボニアヌス(? - 543年/545年) - 東ローマ帝国の法務官僚。『ローマ法大全』を編纂。
- アンティオキアのセウェロス(465年頃 - 538年) - アンティオキア総主教・非カルケドン派を指導し合性論を構築する。
- ヤコボス・バラダイオス(500年頃? - 578年) - 東ローマ帝国のエデッサ司教・単性論ヤコブ派教会をシリアで組織する。
- ダマスキオス(458年頃 - 538年以降) - アテネのアカデメイア学園最後の学頭。ユスティニアヌス帝の学園封鎖に立ち会う。
- トラレスのアンテミオス(474年 - 534年) - 東ローマ帝国の建築家・数学者・ハギア・ソフィア大聖堂を設計し建立する。
- ミレトスのイシドロス(生没年不詳) - 東ローマ帝国の建築家・数学者・トラレスのアンテミオスと協力しハギア・ソフィア大聖堂を建立。
- コスマス・インディコプレウステース(生没年不詳) - エジプト出身の商人・修道士・インド洋貿易にまつわる『キリスト教地誌』を残す。
西アジア
- マズダク(? - 524年/528年) - サーサーン朝の宗教家・マズダク教の開祖・カワードに庇護されるがホスロー1世に弾圧される。
- ホスロー1世(? - 579年) - サーサーン朝ペルシア帝国のシャー(在位531年 - 579年)・中央アジアや東ローマへの対外遠征を行う。
- アンタラ・イブン・シャッダード(525年 - 608年) - ジャーヒリーヤ時代のアラビアの英雄・詩人としても有名で『アンタラ物語』のモデル。
中央アジア
- テンプレート:仮リンク(? - 533年以降) - エフタルの王(在位512年 - 528年頃)・大規模な仏教弾圧を実施。
- 木汗可汗(? - 572年) - 突厥の可汗(カガン)(在位553年 - 572年)・柔然を滅ぼしエフタルを攻略して突厥に最盛期をもたらす。
- バヤン(? - 602年) - アヴァールの王(カガン)(在位562年 - 602年)・ドナウ川を渡りゲピド王国を倒しアヴァール王国を建国。
南アジア
- アリヤバータ(476年 - 550年頃) - インドのグプタ朝の数学者・天文学者・著作『アーリヤバティーヤ』では円周率の近似値などに言及。
- ディグナーガ(480年頃 - 540年頃) - インド仏教の有相唯識派の学僧・「因明学」と呼ばれる仏教論理学を確立した。
- プラケーシン1世(? - 566年) - インド・デカン高原の前期チャールキヤ朝の初代君主(在位543年頃 - 566年)。
- バーヴァヴィヴェーカ(清弁)(490年頃 - 570年頃) - インド仏教の中観派の学僧・空の思想を積極的に論証する(自立論証派)。
- ダンディン(6 - 7世紀) - インドの文人・小説『ダシャクマーラチャリタ(十王子物語)』や詩論『カーヴィヤーダルシャ(詩作の鏡)』がある。
東アジア
南朝
- 蕭衍(464年 - 549年) - 南朝梁の初代皇帝(武帝)(在位502年 - 549年)・仏教保護政策により「皇帝菩薩」と称される。
- 朱异(483年 - 549年) - 南朝の梁の政治家・東魏から亡命した将軍侯景を受け入れ反乱を誘発させた。
- 侯景(503年 - 552年) - 北朝東魏から南朝梁へ降った武将・侯景の乱を起こし建康を占領・梁の武帝を餓死させる。
- 宝誌(418年 - 514年) - 南朝宋から梁の僧侶・神異や予言で知られ「野馬台詩」の作者に擬せられる。
- 陶弘景(456年 - 536年) - 南朝梁の医学者・科学者・梁の武帝の信任が厚く「山中宰相」とも呼ばれる。著作に『真誥』など。
- 劉勰(466年? - 532年) - 南朝梁の文学評論家。中国で最初の体系的な文芸理論書『文心雕竜』を著す。
- 周興嗣(470年? - 521年) - 南朝斉から梁の官僚・文章家・初学者の漢字習得用テキスト『千字文』の撰者。
- 慧皎(497年 - 554年) - 南朝梁の僧侶・後漢から梁までの中国僧の事跡を集めた『高僧伝』の撰者。
- 昭明太子(501年 - 531年) - 南朝梁の武帝の皇太子・文章家・詩文のアンソロジー『文選』の撰者。
- 達磨(ボーディダルマ)(? - 528年頃?) - インド出身の僧侶で禅宗の開祖。梁の武帝と交流があったか。
- 王僧弁(? - 555年) - 南朝梁の将軍・侯景の反乱を鎮圧し元帝を擁立・江陵失陥後は陳覇先と対立し敗死する。
- 陳霸先(503年 - 559年) - 南朝陳の初代皇帝(武帝)(在位557年 - 559年)。王僧弁の残党の反乱に苦慮する。
- 徐陵(507年 - 583年) - 南朝梁から陳の文学者・政治家・梁の太子蕭綱(後の簡文帝)の命で『玉台新詠』を編纂。
北朝
- 鄭道昭(? - 516年) - 北朝北魏の官僚・書家・六朝楷書の代表作である「鄭文公碑」が残る。
- 宋雲(活躍時期518年 - 522年) - 北朝北魏の官僚(僧官か)・西域からインドに赴き経典を求めた・『宋雲行記』が残る。
- 酈道元(469年 - 527年) - 北朝北魏の官人・地理学者として『水経注』をまとめる。
- 曇鸞(476年 - 542年) - 北朝北魏の僧侶・中国浄土教の祖・道綽や善導さらに法然や親鸞に影響・著作に『浄土論註』がある。
- 爾朱栄(493年 - 530年) - 北朝北魏の軍人・河陰の変で霊太后を倒し六鎮の乱を鎮圧して北魏の全権を掌握。
- 高歓(496年 - 547年) - 北朝北魏の政治家・孝静帝を擁立し鄴に東魏政権を立てる・子孫は北斉の皇帝となる。
- 宇文泰(505年 - 556年) - 北朝北魏の政治家・孝武帝を擁立し長安に西魏政権を立てる・子孫は北周の皇帝となる。
- 賈思勰(活躍時期532年頃 - 549年頃) - 北朝北魏の官僚・中国最古の総合的農書『斉民要術』をまとめる。
- 楊衒之(生没年不詳) - 北朝北魏末から東魏の人・洛陽の仏寺の繁栄を記録した『洛陽伽藍記』の撰者。
- 高長恭(541年 - 573年) - 北朝北斉の皇族(蘭陵王)・武勲がありながら「音容兼美」と称され雅楽「蘭陵王」のモデルとなる。
- 武帝(543年 - 578年) - 北朝北周の皇帝(在位560年 - 578年)・北斉を滅ぼし北中国を統一・周武の法難(廃仏)を実施。
- 衛元嵩(生没年不詳) - 北朝北周の廃仏論者・もとは予言をする風狂の僧として知られ後に還俗・北周武帝の廃仏に影響を与える。
隋
- 顔之推(531年 - 591年以降) - 南北朝時代から隋の学者・著書に『顔氏家訓』がある。
- 智顗(538年 - 597年) - 南北朝時代から隋の僧侶・天台宗の第三祖(事実上の開祖)・智者大師・著書に『摩訶止観』がある。
- 信行(540年 - 594年) - 北朝北斉から隋の僧侶・三階教の開祖・長安真寂寺(化度寺)に招かれるが死後に宗派は弾圧される。
- 楊堅(文帝)(541年 - 604年) - 隋の初代皇帝(在位581年 - 604年)・陳を滅ぼし南北朝を統一・その治世が「開皇の治」。
朝鮮
- 武寧王(462年 - 523年) - 百済の第25代国王(在位502年 - 523年)・宋山里古墳群の武寧王陵からは墓誌や副葬品が発見される。
- 聖王(? - 554年) - 百済の第26代国王(在位523年 - 554年)聖明王・日本に仏教を伝える(仏教公伝)・新羅との戦いで戦死。
日本
- 継体天皇(450年? - 531年) - 第26代天皇(在位507年 - 531年)。
- 筑紫君磐井(? - 528年?) - 古墳時代末の九州北部の豪族・磐井の乱を起こす。
- 大伴金村(生没年不詳)- 古墳時代末の豪族・大連・朝鮮半島での任那滅亡に伴い失脚。
- 欽明天皇(509年 - 571年) - 第29代天皇(在位539年 - 571年)・この時代に仏教公伝。
- 物部守屋(? - 587年) - 飛鳥時代の豪族・大連・崇仏論争で排仏を唱え丁未の乱で滅ぼされる。
- 蘇我馬子(551年? - 626年) - 飛鳥時代の豪族・大臣(嶋大臣)・崇仏論争で崇仏を唱え丁未の乱に勝利。
- 司馬達等(生没年不詳) - 飛鳥時代の渡来人・娘に日本最初の出家者善信尼、孫に仏師鞍作止利がいる。
- 推古天皇(554年 - 628年) - 第33代天皇(在位592年 - 628年)・日本最初の女帝。
- 聖徳太子(厩戸皇子)(574年 - 622年) - 推古天皇の摂政・用明天皇の皇子。
10年紀と各年
500年代 | 500 | 501 | 502 | 503 | 504 | 505 | 506 | 507 | 508 | 509 |
510年代 | 510 | 511 | 512 | 513 | 514 | 515 | 516 | 517 | 518 | 519 |
520年代 | 520 | 521 | 522 | 523 | 524 | 525 | 526 | 527 | 528 | 529 |
530年代 | 530 | 531 | 532 | 533 | 534 | 535 | 536 | 537 | 538 | 539 |
540年代 | 540 | 541 | 542 | 543 | 544 | 545 | 546 | 547 | 548 | 549 |
550年代 | 550 | 551 | 552 | 553 | 554 | 555 | 556 | 557 | 558 | 559 |
560年代 | 560 | 561 | 562 | 563 | 564 | 565 | 566 | 567 | 568 | 569 |
570年代 | 570 | 571 | 572 | 573 | 574 | 575 | 576 | 577 | 578 | 579 |
580年代 | 580 | 581 | 582 | 583 | 584 | 585 | 586 | 587 | 588 | 589 |
590年代 | 590 | 591 | 592 | 593 | 594 | 595 | 596 | 597 | 598 | 599 |
600年代 | 600 | 601 | 602 | 603 | 604 | 605 | 606 | 607 | 608 | 609 |
脚注
注釈
出典
- ↑ 石弘之著『歴史を変えた火山噴火ー自然災害の環境史ー』刀水書房 2012年 84ページ