花火
花火(はなび)は、火薬と金属の粉末を混ぜて包んだもので、火を付け、燃焼・破裂時の音や火花の色、形状などを鑑賞する。火花に色をつけるために金属の炎色反応を利用しており、混ぜ合わせる金属の種類によってさまざまな色合いの火花を出すことができる。原則として野外で使用する。
多くの場合は火薬が爆発・燃焼した時に飛び散る火の粉の色や形を楽しむが、ロケット花火やへび花火、パラシュート花火のように、火薬の燃焼以外を楽しむものもある。
日本では、夏の夜の風物詩とされている。一部の自治体では大規模な花火の打ち揚げを「花火大会」と称して行っている。大会の時期は7、8月に集中している。花火大会のほか、イベントなどの開催を告げるため、また、祝砲のかわりにも使われる。
英語では、テンプレート:Enという。1988年より開催されている東京湾大華火祭など、近年は「華火」の字を当て字として使用している例も稀にある。
花火の種類
日本では、大きく分け、取り扱いや打ち揚げに許可が必要な大型の打上花火(法令上の用語は煙火)と、玩具店などで販売され、家庭などで消費される小型のおもちゃ花火(法令上の用語は玩具花火)に分けられる。花火玩具は誰でも使用できるが、打上花火(煙火)の点火作業を行う事が出来るのは、日本煙火協会が発行する「煙火消費保安手帳」を所持した煙火消費従事者に限られるため、(後述の音物も含め)一般の者は使用することが出来ない。
法令上は、花火と煙火は異なるが、煙火は一般的な用語でないため、本項目内では花火に統一する。日本煙火協会ウェブサイト内でも、一般向けの表記は「花火」にほぼ統一されている。
打上花火
火薬を球状に成形した「星」を詰めた紙製の球体「玉」を打ち上げる花火である。上方を向いた円筒の底に発射薬を敷きその上に玉を置き打ち上げに備える。打ち上げは「投げ込み」と呼ぶ火種を円筒上方の射出口から投げ入れて発射薬に点火する。打ち上げと同時に玉から出ている導火線に引火し、玉は所定の高さまで上昇しながら導火線が燃え玉内部の割火薬に到達し玉が破裂し星に引火・飛散する。玉の大きさ(花火の高さ)によって発射薬の量と導火線の長さが調整・選定される。玉の破裂後、星には光の尾を引きながら燃焼するもの、落下途中で破裂するもの、色が変化するものなど様々なタイプがある。玉の内部に星を均一に詰めることが重要であるが、詳細な技術は花火師の秘伝とされる。
現在テンプレート:いつの打上花火の主流は、打ち揚げ時に光が同心円状に広がるものが多く、花火玉そのものの形も球形をしている。これに対し、初期の花火は打ち揚げても円状にはならず、花火そのものの形も円筒形のものが多かった。円筒形の花火は、球形に比べ、火薬量などを増やすことができ、華やかな光や色を出すことが可能であるが、破裂途中で色の変化をさせることは困難だとされる。かつて、日本の花火も同心円状に広がるものの製造は困難で、一部の武家花火師のみの秘伝とされていたといわれるが、明治期に鍵屋十二代目弥兵衛が技術を取得し、以後、円形の花火が多く作られるようになったとされる。
打上花火は昼花火、夜花火に分けられるが、タイプとして大きく、「割物」、「ポカ物」、「型物」などに分類される。
- 割物
- 代表的な打上花火で、破裂したときに星が球状に飛散する。中でも星が菊の花のように尾を引いて広がるものを「菊物」、尾を引かないものを牡丹に喩えて「ボタン物」とよぶ。また、二重の球状に広がるものを「芯物」という。
- ポカ物
- 星が飛散しない。ランダムな方向に星が飛んでいく「蜂」などがある。
- 型物
- 割物の変形で、土星などの形に星が飛散する。
- 音物
- 俗に「のろし」「合図花火」等と呼ばれているもの。運動会など様々なイベントの開催の合図に使用されている。3回連続で音が鳴る「3段雷」と5回鳴る「5段雷」が主に使われている。
- 袋物・吊物など
- 和紙など薄紙で袋状に作った人形や、パラシュートに吊った煙玉・旗などがゆっくりと落ちてくる昼花火。特定条件下以外の打ち上げが禁止されている。「袋物」は花火師の平山甚太が1883年にアメリカで特許を取得しているが、これが日本人がアメリカで取得した初の特許である[1]。
伝統的に打上花火の「玉」の大きさは寸、尺であらわされる。直径約6.06cmの二寸玉(2号玉)から直径約60.6cmの二尺玉(20号玉)、さらに三尺玉(30号玉)、四尺玉(40号玉)まである。二尺玉は直径約500m程度、世界最大といわれている四尺玉は直径約800m程度まで広がる。ただし、この号数表記は打ち揚げ筒(内側)の太さであって、実際の花火玉の直径はこれよりも若干小さくなる。具体的には、20号玉の直径は60cmではなく約57cmである。また、最近テンプレート:いつ開発された世界最小の打ち上げ花火は、玉の直径1cm、打ちあげる距離は2m。ただし、まだ開発段階のため、実用化されていない。
『世界の果てまでイッテQ!』の企画で、開花時の直径が推定1kmになる花火玉(四尺三寸大千輪)を作り打ち上げた。しかし、花火玉自体が重過ぎたために上昇せず水中で爆発、失敗に終わった。
代表的な打上花火である「割物」の鑑賞のポイントとして以下のようなものがある。
- 玉の座りがしっかりしているか。玉が昇りつめた点で開いていることを「玉の座りがしっかりしている」という。きれいに広がるための重要なポイントである。
- 盆が取れているか。星が盆のように真ん丸に見えているか。
- 消え口が揃っているか。星の色が一斉に変化し、一斉に消えているかである。ただし、わざと消え口をずらしている花火もある。
- 星がまんべんなく広がり、歯抜けになっていないか。
- 星の発色が良く、はっきりとした色が出ているか。さらに、星をどのように配色するかは花火師の個性が発揮される重要なポイントである。
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花火打ち上げ筒のモニュメント(長岡駅前)
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おぢやまつりの花火
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サンディエゴでのアメリカ独立記念日の花火
仕掛花火
複数の花火を利用するなど作為的に仕掛けを施した花火。
- 枠仕掛
- 速火線で連結した焔管(えんかん)を、木や鉄パイプ等で文字や絵を型どった枠上に並べて配置し、点火によって焔管が一斉に燃焼することにより、数分程度文字や絵を浮かび上がらせるもの。
- 網仕掛(ナイアガラ)
- 速火線で連結した焔管を数から数十メートルに渡り一列に吊し、点火によって焔管から火の粉が一斉に流れ落ちるもの。一部花火大会では2000mに及ぶものも存在する。ナイアガラ滝から。
- スターマイン
- 速射連発花火。打上花火の玉や、星、笛等を順序よく配置し、速火線で連結し、高速で次々と連続して打ち揚げるもの。枠仕掛けの最後に裏打ちとして使用されることもある。主に2号玉(約6cm)から4号玉(約14cm)の玉が用いられる。これらの制御にパソコンや電子式リレーを多用しているものは「デジタルスターマイン」などと呼ぶことがある。
- 立火仕掛
- 星を連発で打ち揚げる「乱玉」、筒に詰めた火薬により火の粉を噴出させる「噴水」(別名「三国」)の二種がある。「噴水」のうち、手持ちや抱えたまま噴出させるものは「手筒」という。
- 車花火
- 円盤等の周りに火薬を詰めた筒を配置し、火薬の噴射推進力により円盤を回転させ、火の粉を円状に噴出させるもの。
- 流星(龍勢)、ロケット
- 竹筒等に火薬を詰めた筒を取り付け、火薬の噴射推進力により、上空へ打ち出すもの。
- ケーブル花火
- ロケットをロープで吊し、火薬の噴射推進力によりロープに沿って走るもの。枠仕掛の点火用に使用されることもある。
- 海上自爆
- 花火を打ち上げるのではなく、海上に浮かべた筏などの台舟に「玉」を設置し、遠隔操作で点火するものである。本来、球形に展開する花火が海面上でしか開かず下半分は海面に映ったものとなるが、遠方から見るとあたかも普通の花火のように見える。湖上でも行われる。近年テンプレート:いつの遠隔操作技術の向上により、各地で見られるようになった。
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ナイアガラ(網仕掛) ドイツのデュースブルク市、2004年
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スターマイン
おもちゃ花火
テンプレート:Notice かつては玩具花火とも呼ばれたが、日本煙火協会での表記はこちらに統一されている。購入や使用に免許が不要な花火の総称で、線香花火のような手で持つものが代表的なものであるが、小型ではあっても打上花火になっていて、筒があって上空で破裂するものも存在する。日本では日本煙火協会が出荷品の検査を行っており、合格したものには「SFマーク」がつけられる。
おもちゃ屋などで単品で発売されることも多いが、大抵は一つの種類の数本入りから複数種類の花火100本くらいを詰め合わせにしたものが、晩春から初秋にかけてスーパーマーケットやホームセンター、駄菓子屋などで売られている。
帰省や旅行の際に楽しもうと出発前に購入しておくことがあるが、安全上の理由から航空機内への持込み、受託手荷物の取り扱いも出来ない[2]ので注意を要する。また、宅配便での発送もできない[3]。
- ねずみ花火
- 炎を吹き出すタイプのひも状の花火を、円形に組んだもの。火を点けて炎が吹き出すと重心に対して回転を与える向きの力がかかるため、地面に置かれた場合、高速に回転してその勢いで地面をはい回る。円形の炎がシュシュッと音を立ててはい回る様がネズミに喩えられたためにこの名がある。最後にパンとはじけるような仕掛けを施されたものが一般的。最近テンプレート:いつは使い方が分からない人が多く、やけどをする人も珍しくないようである。
- コマ花火
- ねずみ花火の応用型で、本体が独楽(こま)状になっている。ねずみ花火よりも高速に回転できるため、うなるような音を立てて地面上で回転する。
- UFO花火
- コマ花火の応用系。扇風機の様な小型のフィンがついているため回転と同時にフィンに風を受け上昇する。平らな所に置かないと予想しない方向に飛んだりするので、注意が必要。
- 線香花火
- 日本の夏の情緒を代表する花火である。こよりや細い竹ひごの先端に火薬を付けた花火。火を付けると火薬が丸くなり、小さな火花を散らすようになる。燃え方に様々な名前が付いている。現在テンプレート:いつでも開発が行われている。最も長く安定させて燃えさせるには45度の角度に傾けた方が良いとも言われている。
- ロケット花火
- 打ち揚げ式の花火。瓶などを発射台にする。打ち揚げ後破裂するものと破裂しないもの、曳光の有るもの無いものがある。破裂しない物の場合は打ち揚げ時の大きな音を出すように改良されているものが多い。燃えカスが回収できないという問題があるため、海岸での使用を禁止している自治体も存在する。
- こうもり花火
- 基本的にはロケット花火と変わらないが、コウモリのような羽がついており、真上に急上昇、柄が無いなどの特徴がある。地方によって名称の違いあり。
- パラシュート花火(袋物)
- 打上花火の一種で、昼花火の一種でもある。上空で破裂した玉の中に袋が入っており、万国旗やパラシュートが降りてくる仕組み。おもちゃ花火で小さなものが若干生産されている。1931年に細谷火工(現在テンプレート:いつホソヤエンタープライズの名で花火部門が独立)によって製造されたものが始まりとされる。電線にひっかかるなどの障害が生じるため、打ち上げの際には注意が必要。
- 噴出花火
- 紙製の筒から火花を噴水のように吹き上げるもの。地面に置いて、導火線に点火して使う。手持ち用として小パイプほどの太さに改良されたものもあるが、無論人に向けてはならない。
- 発破
- 長さ数センチの小型の花火。多くの場合複数の爆竹が導火線によって結びつけられており連続して爆発するようになっている。花火としての歴史は古く、もっとも古い種類の花火とする説もある。中国系文化圏では、旧正月などを祝うために使われる。別名、ダイナマイト。
- クラッカー
- 長さ10cm程度の小型花火。発破同様、音を楽しむ花火であるが発破とは異なり単体で使用する。導火線は無く、代わりに筒の先端に有る火薬が導火線の役目を果たしている。点火後5秒程度で破裂する。
- 蛇花火
- 火をつけるとヘビのように燃えかすが伸びる花火。色は黒。地方によって名称の違いあり。
- 煙花火(煙玉)
- 球体をしたもの(玉の色はさまざま)。花火の一種。火をつけるとその名のとおり煙を吹く。殆どが色の付いた煙を出す。もっぱら花火の使われ方より、その特性から悪戯などに使われるのが非常に多い。地方によって名称の違いあり。
- 癇癪玉(かんしゃくだま)
- 踏んだり、物に当てたりすると音がなる。パチンコなどで飛ばすことが多い。クラッカーボールと呼ぶ場合もある。
- これを大型化したものが、異常時に線路上にセットし、列車が通過すると爆音を発して緊急停止を促す信号雷管である。
- 紙火薬
- 遊戯銃、あるいは陸上競技のスタート用のピストルなどに使用され、火薬部分に打撃が加わると発火し、火花と破裂音を放つ。小粒な火薬を赤い巻紙に等間隔で配置したものを巻玉火薬、ミシン目の入った赤色または黄色のシートにやや大きめの火薬を配置したものを平玉火薬と呼ぶ。大量にまとめて使われる危険性があるため、後述のキャップ火薬の普及により淘汰されつつある。
- キャップ火薬
- 主に遊戯銃に使用される、プラスチック製のキャップに紙火薬同様の火薬を詰めたもの。過剰装てんなどのおそれがなく、紙火薬より取り扱いが容易かつ発火も確実である。特にモデルガンに使用されるものは、作動を確実にするために厳密に調整されており、価格も高い。種類は、直径5mmと7mmの2種類ある。
炎の色
原子を励起した時に電子が外側の軌道に移り、元の軌道に戻る時に放出されるエネルギーに応じた色の光を放出する炎色反応を応用している。添加される元素はアルカリ金属、アルカリ土類金属が多く用いられる。
歴史
紀元前3世紀の中国で爆竹が使用されたのが起源だという説もあるが、最初期の花火は6世紀、中国で火薬が使われるようになるのとほぼ同時期に作られはじめたと考えられている。ただし、10世紀まで花火は存在しなかったという主張もあるが、いずれにしても発明の地は中国であったとされる。最初期のものは、例えばロケット花火に似たものを敵陣に打ち込んで火事を起こしたり相手を威嚇したりといった、武器との区別がはっきりしないものもあった。
ヨーロッパでの歴史
ヨーロッパに伝わったのは13世紀以降で、初期のものは祝砲の音を大きくしたり、煙に色などがつくようにしたものだったと考えられる。ヨーロッパでの主な生産地はイタリアで、火薬と花火製造がさかんに行われた。この時代、ヨーロッパの花火は主に王侯貴族のものであり、王の権力を誇示するため王が催すイベントなどで揚げられた。ロケットを除く打上花火はイタリアで開発されたという説もある。
16世紀になるとイングランドで花火の技術が大きく進歩する。1532年、ヘンリー8世は王室軍隊の花火師を徴用するための規則を定め、戴冠式や王室の結婚式、誕生日などでテムズ川で水上花火を楽しんだという記録がある。
また17世紀になるとポーランドやスウェーデン、デンマークなどに花火学校が設立され、体系的な知識を有す専門的な花火師集団が形成されていった。イングランドのジェームズ1世はデンマークから技術者を招聘し、娘エリザベスの結婚式を花火で盛大に祝った。また1672年にはウリッジ兵器廠に花火研究所が設立され、1683年には花火に関するテキストが刊行されるなど、花火技術は漸次発展していった。
日本での歴史
日本において花火の初使用が、いつ、どこで、どんな機会に行われたのかは定かでない。
古い記録としては、室町時代の公家万里小路時房の日記『建内記(建聖院内府記)』の1447年5月5日(文安4年3月21日)条に、浄華院における法事の後に境内にて「唐人」が花火と考えられる「風流事」を行ったという記事が見えている。そこでは、竹で枠を作り、火で「薄・桔梗・仙翁花・水車」などの形を表現したもの、火が縄を伝って行き来するといったものや、「鼠」と称し火を付けると「走廻」るもの、手に持って火を付けると空中を「流星」のように飛ぶもの、などが披露されたという。時房は「希代之火術也」と賞賛し、褒美を与えている。
この時代は足利義満の死後途絶えていた日明貿易が足利義教によって再開されており、花火も大陸から持ち込まれていたことがわかる。
16世紀の鉄砲伝来以降は日本でも花火が製造されるようになったとされているが、以後も宣教師や「唐人」といった外国人の手による花火の記録が多く見られる。1582年4月14日(天正10年3月22日)にポルトガル人のイエズス会宣教師が現在の大分県臼杵市にあった聖堂で花火を使用したという記録(『イエズス会日本年報』『フロイス日本史』)や、伊達政宗が居城の米沢城で、1589年8月17日(天正17年7月7日)夜、「大唐人」による花火を見物したというもの(『貞山公治家記録』、『伊達天正日記』など)、1613年に徳川家康が駿府城内で外国人の行った花火を見物したという記事(『駿府政事録』)などがある(但し政宗の記事は元禄頃の編纂資料によるものであり、家康の記事と酷似するなど問題が指摘されている)。
こうした外国人による花火の技術を学び日本でも独自に花火が作られたと考えられるが、その最初はよくわかっていない。1585年に、現在の栃木県栃木市で、皆川山城守と佐竹衆が戦のなぐさみに花火を立てたという説もあるが、戦の最中に当時貴重だった火薬をそのようなことに使うはずがないという主張もされている。
太田牛一著『信長公記』巻十四に見える1581年2月18日(天正9年正月15日)のところに「御爆竹の事」に見える「御爆竹」を花火の爆竹であるとし、安土城下で爆竹(花火の一種)の製作されたと考える説もあるが、これは竹を燃やして音を立てる小正月の催しの一つとして少なくとも鎌倉時代から行われているものであり、火薬を使用した花火であったかどうかは即断できない。
ただし、この頃には鉄砲に使用する需要から火薬の大量生産がおこなわれるようになっており、日本独自の花火の製作も行われていたことであろう。
江戸時代になり、戦がなくなると、花火を専門に扱う火薬屋が登場した。1648年には幕府が隅田川以外での花火の禁止の触れを出しており、花火は当時から人気があったとされる。当時のものは、おもちゃ花火であったと考えられる。1712年頃出版された『和漢三才図会』(寺島良安著、江戸時代の図入り百科事典)には、鼠花火、狼煙花火[4]などが紹介されている。
2013年時点で現存する日本で最も古い花火業者は、東京(当時の江戸)の宗家花火鍵屋であり、1659年に初代弥兵衛がおもちゃ花火を売り出した。
鍵屋初代弥兵衛は大和国篠原(奈良県吉野郡)出身であり、幼少の頃から花火作りに長けていたと言う。1659年、江戸に出てきた弥兵衛は葦の中に星を入れた玩具花火を売り出した。弥兵衛はその後研究を続け、両国横山町に店を構え、「鍵屋」を屋号として代々世襲するようになった。
その後大型花火の研究を進め、1717年には水神祭りに合わせて献上花火を打ち上げている。1733年、畿内を中心に飢饉に見舞われ、江戸ではコレラが猛威を振るい多数の死者を出した暗い世相の中、将軍吉宗が死者の慰霊と悪霊退散を祈り両国大川(隅田川のこと)の水神祭りを催し、それに合わせて大花火を披露し、これが隅田川川開きの花火の起源になったと言われている。
鍵屋と並んで江戸の花火を代表したのが玉屋である。玉屋は六台目の鍵屋の手代であった清吉が1810年に暖簾分けをし、市兵衛と改名の上、両国広小路吉川町に店を構えたのが始まりである[5]。
このように鍵屋、玉屋の二大花火師の時代を迎えるようになった江戸では、両国の川開きは、両国橋を挟んで上流を玉屋、下流を鍵屋が受け持つようになった。「た〜ま〜や〜」「か〜ぎ〜や〜」というかけ声が生み出された[6]。当時の浮世絵を見ると玉屋の花火は多く描かれており、また「橋の上、玉や玉やの声ばかりなぜに鍵やといわぬ情(じょう)なし」(「情」と鍵屋の「錠」をかけている)という歌や「玉屋だと またぬかすわと 鍵屋いい」という川柳が残っていることからも、玉屋の人気が鍵屋をしのいでいたと考えられる。しかし1843年5月16日(天保14年4月17日)、玉屋から失火、店のみならず半町(約1500坪)ほどの町並みを焼くという騒動があった。当時失火は重罪と定められており、また偶然将軍家慶の東照宮参拝出立の前夜であったことから厳しい処分が下され、玉屋は闕所(財産没収)、市兵衛は江戸お構い(追放)となってしまい、僅か一代で家名断絶となってしまった。
当時は、鍵屋のような花火専門業者の花火は町人花火と呼ばれた。このほか、大名らが配下の火薬職人らに命じ、競って隅田川で花火を揚げたという。これらの花火は武家花火と呼ばれる。特に、火薬製造が規制されなかった尾張藩、紀州藩、水戸藩の3つの徳川御三家の花火は御三家花火と呼ばれ、江戸町人らに人気があった。また仙台の伊達家の武家花火も、伊達政宗以来の豪放な藩風を反映させ、仙台河岸の花火として江戸町人の人気を得、見物人が大挙押しかけ、藩邸近くの萬年橋の欄干が折れるという事故まで発生している。武家花火は、戦に用いる信号弾のようなものが進化したもので、狼煙花火と呼ばれ、いわば垂直方向に着目した花火であり、色や形を楽しむ仕掛け花火を中心とした、いわば平面に特化した町人花火とは方向性が異なった。この方向の違いを共に取り入れたのが現代の日本の花火技術である。
日本煙火芸術協会創立者で煙火に関する書物を数多く著した花火師の武藤輝彦(1921年 - 2002年)によれば、打揚花火は、1751年に開発されたとされている。それ以前の花火は、煙や炎が噴き出す花火であったと考えられている。
鍵屋は第二次世界大戦期に十三代天野太道が花火製造を取りやめ、2013年現在は打ち上げ専業業者となっている。
花火に関しては特に江戸での記録が多く残っているが、これ以外の地方で花火が製造されなかったわけではない。特に、外国と交易のあった九州と、長野、愛知などでは、江戸時代から花火が作られていた。特に、三河国岡崎地方(愛知県岡崎市付近)は徳川家康の出身地ということで、火薬に関する規制が緩やかであり、江戸時代から町人が競って花火を製造した。2013年現在も岡崎周辺におもちゃ花火問屋が多いのはこの名残だといわれる。これ以外の日本国内での花火の主な産地は長野県、新潟県、秋田県、茨城県で、徳川家にゆかりのある地方が多い。
明治時代になると、海外から塩素酸カリウム、アルミニウム、マグネシウム、炭酸ストロンチウム、硝酸バリウムといった多くの薬品が輸入され、それまで出せなかった色を出すことができるようになったばかりか、明るさも大きく変化した。これらの物質の輸入開始は1879年から1887年にかけて段階的に行われ、日本の花火の形は大きく変化した。これ以前の技術で作られた花火を和火、これ以後のものを洋火と言い分けることもある。
新たな薬品によって多彩な色彩を持つ鮮やかな花火が誕生した反面、化学薬品に対する知識不足から相当な事故が発生したのも明治時代である。特に塩素酸カリウムは他の酸性薬品と混合すると不安定になり、僅かな衝撃でも爆発する危険性が高まる性質を有しており、和火時代の酸化剤として使用していた硝石と同様に扱った場合重大な事故を招く結果となった。
多彩な色彩を持った洋火を大規模に打ち上げた記録としては、1889年2月11日の大日本帝国憲法発布の祝賀行事で、二重橋から打ち上げたものである。
それまで、花火の製造は打ち揚げには何の免許も規制も存在しなかったが、1910年に許可制となった。これ以前の地方の花火は、農家などが趣味で製造しているものが多かったが、この後、化学知識を駆使する必要から花火師の専業化が進むことになる。
大正期には発光剤としてのマグネシウムやアルミニウムなどの金属粉が登場し、夜空により鮮やかに大輪の華を咲かせられるようになり、また塩素酸カリウムに鶏冠石を混合した赤爆を編み出し、大きな発音効果を有す花火が完成していった。
このように順調に技術を発展させていった花火であるが、昭和に入り戦火が拡大する世界情勢で停滞期を迎えることになる。花火製造は禁止はされないかわりに高い物品税がかけられたが、それでも当初は出征兵士壮行の花火や、英霊を迎える慰霊花火など、慰霊祭や戦勝祈願の花火が上げられていた。しかし戦火の拡大により隅田川川開きの花火大会も1937年に中止となった。そんな中、花火製造業者は防空演習で使用する発煙筒や焼夷筒(焼夷弾の音を再現する)を製造していた。
敗戦後は1945年9月に長野市の諏訪神社で花火が揚げられるが、翌10月に連合国軍総司令部(GHQ)により火薬製造が禁じられた。しかし、1946年7月4日には、各地のアメリカ軍基地で日本業者がアメリカ独立祭の打ち揚げ花火を揚げ、戦後初の花火大会として1946年9月29日と30日に土浦市で開催された第14回全国煙火競技大会(後に土浦全国花火競技大会となる)、1947年の新憲法施行記念で皇居前広場(皇居前広場では最後の花火打ち上げとなった)などが行われた。
日本の花火製造業者の粘り強い説得により、1948年にはGHQが在庫花火の消費を許可、これを受け両国花火組合主催、読売新聞社が後援、丸玉屋小勝煙火店が単独で打ち上げる、両国川開きの花火大会が1948年8月1日に復活した。この時は打ち上げ許可量僅か600発であったが、平和な時代の大輪の華に70万人の観客があった(『両国川開年表』)。
敗戦後はおもちゃ花火を含め、日本の花火は海外に多く輸出されたが、2013年現在は中国からの輸入量の方が多く、輸出は激減している。多くの花火業者は、2013年現在でも地元に根付いた零細・中小企業であり、技術を親の手から子の手へと伝える世襲制をとっている。
経済
消費季節
日本では、花火の消費は夏に集中しており、そのほかの季節は需要が少ない。これは、花火が川開きに使用されていた名残だといわれている。一方、諸外国では冬をピークに年間を通じて消費されており、日本でも2000年代以降では、自治体の緊縮財政などで消費が伸び悩んでいる打ち上げ花火を中心に、年間を通した小口での販売を行う業者が出てきている。
価格
花火の種類、複雑さ、花火師により価格が大きく異なるが、一般的な打ち上げ花火の一発あたりの相場は
- 3号玉が約3,400円
- 5号玉が約1万円
- 10号玉が約6万円
- 20号玉が約55万円
- 正三尺玉が約150万円
- 正四尺玉が約260万円
となっている。
伝統花火
主に歴史のある花火を紹介する。この中には手筒花火の様に地方公演も行うなど地域交流の1つともなっているものもある。
- 松下流綱火(茨城県つくばみらい市)
- 別名をからくり人形仕掛花火ともいう。1603年、小張藩主となった松下重綱が戦勝祝いなど陣中で行ったのが始まりとされる。江戸時代になると火難除けと五穀豊穣を祈って愛宕神社に奉納するようになった。
- 小張松下流綱火は民族芸能の人形芝居と花火を組み合わせた珍しい行事であり、高さ10m程度の柱を3本立て、3本の大綱を中心に綱を張り巡らし、人形を操作するための櫓を組み、お囃子に合わせて人形を操りながら仕掛け花火で人形の姿を照らすというものである。
- 上演外題は源平盛衰記や桃太郎、安珍清姫日高川場などであり、お囃子も松下以外にも、巫女舞、繰こみ、三番臾など外題によって様々である。
- 人形は外題により上演ごとに藁を束ねたものを使用する。また仕掛け花火の火薬の調合は、1807年の文書『万華火本』が現存テンプレート:いつしており、それに従った製法が守られている。
- 高岡流綱火(茨城県つくばみらい市)
- 「綱火」は、あやつり人形と仕掛花火を結合させ、空中に張り巡らせた綱を操作し、お囃子に合わせて人形をあやつるもので、別名をあやつり人形仕掛花火とも言う。その歴史は古く慶長年間から続いており、それを中止すると村内は不幸に見舞われると言われている。
- この綱火の起源について確かな記録は残っていないが、慶長年間の愛宕神社祭礼当日、黒蜘蛛と赤蜘蛛の空中での巣作りをみて、その動作から暗示を得て、藁で人形を作り、空中で演技をさせるようになったという。
- その後このあやつり人形にたいまつや提灯をつけるようになり、火薬の伝来とともに花火の製造技術を研究し、人形に取り付け神社に奉納し、村内の安全を祈願したといわれる。現在テンプレート:いつは高岡地区に住む長男だけで組織される更進団により伝統が守られている。
- 秩父龍勢花火(埼玉県秩父市)
- 天正年間に始まったといわれる秩父市下吉田、椋神社秋の大祭に奉納される手造りの花火。長さ約15mのロケット花火が300 - 500mの高さまで打ち上げる。
- 三河手筒花火(愛知県豊橋市・東三河)
- 直径約10cm、長さは70-80cmの青竹の節をくりぬき、周囲を麻縄で巻きつけた手筒を使用した花火である。氏神に奉納する前日に内部には火薬をたたき詰め、奉納の当日は若衆が脇腹に抱えて点火する。すると炎が時には10メートルを超えて噴出すという勇壮なものである。
- 手力雄煙火(岐阜県長森)
- 毎年5月、9月、11月に方策を祈って手力雄命(たぢからおのみこと。手力男命とも)に奉納する花火である。神輿に取り付けた手筒花火や、舞火、滝花火などの種類がある。
- 流星(滋賀県米原市・近江他)
- 関ヶ原の戦いの際、関ヶ原から石田三成が本陣を構えた佐和山まで狼煙花火で連絡を取っていたのを真似て今日に伝えたと言われている。
- 流星で使用されているのは日本の伝統的な黒色火薬であるが、集落ごとに配合が異なり流派を形成している。
- 篠田の花火(滋賀県近江八幡市)
- 江戸中期に起源を持つ花火である。硝石と明礬を配合した上で糊を加え、板に絵や文字を描き、それを櫓に取り付けて火を放つというものである。
- 成羽愛宕神社奉納花火(岡山県成羽)
- 1704年に成羽領主の山崎義方が愛宕神社の勧請のための奉納花火を催したことに由来する花火大会である。
花火大会
テンプレート:大言壮語 テンプレート:Seealso 記録ではっきりわかる最も古い花火大会は、隅田川花火大会(両国川開き)である。
打ち上げ花火の製造には半年以上かかり、ほとんどの工程が手工業で量産が不可能である。また、危険な業種でもあることから、古くから非常に人気があったにもかかわらず、長い間花火大会の数はあまり増えなかった。1980年ごろでも、名のある主な花火大会は10-20くらいであったとされる。しかしその後、安価な中国産花火が大量に輸入されるようになり、1985年に鍵屋十四代天野修が電気点火システムを開発すると、少人数で比較的安全に打ち揚げができるようになったことから、花火大会の数は激増した。日本煙火協会によれば、2004年に行われる花火大会は200近くにのぼる。協会が把握していない小規模なものもあるため、実数では200を超えると考えられる。
北海道
- 北海道
- 洞爺湖ロングラン花火大会
- 虻田郡洞爺湖町、4月28日から10月31日の20時45分 - 21時05分、1日350発。
- 実施日数では日本最高(年間約180日間開催)。約20分間と時間は短めだが、数隻の船が洞爺湖上を移動しながら花火を打ち上げるスタイルのため、洞爺湖温泉街の何処からでも美しい花火の姿が眺められる。また、2013年の第32回から打ち上げ数が1日350発から450発に増えた。
- 勝毎花火大会
- 帯広市十勝川河川敷、8月13日、2万発
- 十勝毎日新聞社主催。北海道内で最大規模、日本全国においても八大花火大会の1つに数えられる花火大会。2007年度の集客数は約17万人。
- いわみざわ公園花火大会
- 岩見沢市 いわみざわ公園内北海道グリーンランド遊園地、8月13日、5,500発
- 5,500発の花火をわずか15分という短時間で一気に打ち上げるのが特徴。時間単位に換算すると、道内最大の勝毎花火大会をも上回るペース(366.6発/分)である。開始数時間前から遊園地の入園料が免除され、無料で観覧できる。2012年度の集客数は約1万3000人。
- 北海道真駒内花火大会
- 札幌市、真駒内セキスイハイムスタジアム、チケット2500円から、7月14日、約2万2,000発
- 平成23年、東日本大震災のチャリティーとして開催されて以降、夏の恒例イベントとなった有料花火大会。
- 道新・UHB花火大会
- 札幌市、豊平川南大橋から幌平橋間、7月26日、約4,000発
- 道新花火大会
- 函館市、函館港周辺、8月1日、打ち上げ数非公開
- おたる潮まつり道新納涼花火大会
- 小樽市、小樽港第3号埠頭周辺、7月26日・28日、合計約2,500発
- ラベンダーの里 かみふらの花と炎の四季彩まつり花火大会
- 空知郡上富良野町、日の出公園、7月28日、打ち上げ数未定
東北地方
- 秋田県
- 全国花火競技大会
- 大仙市(旧・大曲市)、8月第4土曜日、約1万8,000発
- 1910年に、奥羽六県煙火共進会として開催されたのが、大曲の花火の始まり。1915年に規模を拡大し、全国花火競技大会へと発展した。80回以上続く著名な競技大会で、日本三大花火大会の1つ。日本煙火協会が後援する2つの競技大会のうちの1つで「大曲の花火」とも呼ばれる。また、競技会の合間にテーマに合わせて打上げられるワイドスターマイン「大会提供花火」は毎年大変な人気で、大曲花火協同組合青年部が1年かけて製作する。「大会提供花火」は1セットのスターマインではなく一列に並んで何カ所も打ち上げられ、音楽に合わせて約5-7分に渡り壮大な打ち上げを行う。集客は約70万人(大仙市の人口は9.8万人)と非常に多い。なお、NHKの衛星放送(BS-hiで生中継によるリアルタイム放送をしたのち、大会当日から1-2週後にBS2でも放送される)でこの大会が全国放送されるようになるとさらに知名度があがり、2010年の第84回大会では約80万人を記録した。また、大会の模様を2-3週遅れの金曜夜19:30 - 20:43に地元局のNHK秋田放送局(場合により東北ブロックネット)の『あきたスペシャル』(2006・2007年は『ワンダフル東北』(東北ブロックネット))で73分の短縮放送で再度放送されている。
- 能代港まつり花火大会
- 能代市、7月第3土曜日、1万5,000発
- 能代大火復興記念行事として1958年「能代の花火」として始まった。一時テンプレート:いつ中断したが、24年のブランクを経て、2003年「能代港まつり花火大会」として復活した。三尺玉の打上もある。テレビでは秋田放送で中継録画され特別番組として放映されている。
関東地方
- 茨城県
- 土浦全国花火競技大会
- 土浦市、10月第1土曜日、約2万発
- 日本三大花火の1つであり、日本煙火協会が後援する2つの競技大会のうちの1つで、日本各地の花火大会が終わった秋季に開催される。1925年から開催している。途中、第二次世界大戦による中断があった。会場は土浦市の桜川学園大橋付近下流側河川敷。観客数は毎年70万人以上で2008年には80万人(土浦市の人口は2009年現在約14万4千人ぐらいである)を記録し、茨城県内では最大規模のイベントである。また、一般的に大会前に行われる市長の挨拶が中盤に行われて「土浦花火づくし」という大会主催者が日本煙火協会茨城県支部の協力を得て提供するスターマインが1列に並んだ4か所から約5分かけて同時に合計約1,000発も打ち上げられる。このスターマインの打ち上げ幅は約500mに達し、この大会で毎年一番打ち上げ数が多い。茨城放送が2000年から『Saturday night IN HANABI』と題して毎年実況を茨城県内全域で放送している(2006年は当初放送予定であったが、順延のため枠確保できず中止)。しかし、土浦局及び県西中継局限定の放送もあった。また、NHK茨城県域(NHKでは関東初となる県域テレビジョン放送(茨城県内が放送エリアの地上デジタル放送))でも生放送されている。
- 栃木県
- 足利花火大会
- 足利市、8月第1土曜日、2万発
- 北関東を代表する歴史と規模。渡良瀬川河川敷の田中橋から福寿大橋間で打ち上げられる。毎年約40万人の人出となる。スターマインコンクールも開催され、昔懐かしい仕掛け花火、尺玉の打ち上げやナイアガラ花火もある。大会会場と打ち上げ場所が近いため、花火の炸裂が近く迫力のある鑑賞ができる。
- おやまサマーフェスティバル 小山の花火
- 小山市、8月第2土曜日、2万8発(2008年実績)
- 約30万人の人出。思川河畔で打ち上げられる。
- うつのみや花火大会
- 宇都宮市、8月上旬-中旬、2万発
- 鬼怒川河川敷の道場宿緑地で打ち上げられる。2003年に中止になったが、2007年からボランティアで結成された実行委員が開催する花火大会。毎年オープニングで二尺玉を3連発で打ち上げている。
- 埼玉県・東京都
- 千葉県
- NARITA花火大会in印旛沼
- 成田市、10月第3土曜日
- 印旛沼湖畔で行われる花火大会。
- 水郷おみがわ花火大会
- 香取市、小見川大橋下流、利根川河畔、8月1日、約8,000発
- 東京都
- 隅田川花火大会
- 墨田区・台東区、第1会場・桜橋下流 - 言問橋上流、第2会場・駒形橋下流 - 厩橋上流、約2万2,500発
- 記録に残る限り最も古い。
- 東京湾大華火祭
- 中央区、8月第2土曜日、1万2,000発
- 隅田川花火大会と並ぶ東京の代表的な花火大会。
- 神宮外苑花火大会
- 新宿区・渋谷区
- 神宮球場、軟式球場、秩父宮ラグビー場、国立競技場を会場とする都会の花火大会。
- 足立の花火
- 足立区、7月最終土曜日の2日前の木曜日、約1万2,000発
- 荒川河川敷(西新井橋 - 千代田線鉄橋間)にて行われる。旧名「千住の花火大会」「足立の花火大会」。
- 立川まつり国営昭和記念公園花火大会
- 立川市、7月最終土曜日、約5,000発(1尺5寸玉を含む)
- 国営昭和記念公園にて行われる。
- 江戸川区花火大会
- 江戸川区、8月第1土曜日、約1万4,000発
- 江戸川河川敷(都立篠崎公園先)にて行われる。市川市納涼花火大会との共催で、観客動員数は日本一。
- 葛飾納涼花火大会
- 葛飾区、7月第4火曜日、約1万2,000発
- 江戸川河川敷(柴又)で開催。東京都内で最初に行われる大規模花火大会。
- 東京都・神奈川県
中部地方
- 新潟県
- 長岡まつり大花火大会
- 長岡市、8月2日・3日、約2万発
- 信濃川河川敷で開催される。日本で初めて実寸が3尺ある、正三尺玉(30号玉)を打ち上げた経歴があり、日本最大の花火玉である正三尺玉発祥の地である。長岡市のシンボル、長生橋に仕掛けられたナイアガラとの同時打ち上げに10号早打ち100連発や超大型ワイドスターマイン・ミラクルスターマインなど、僅少な花火大会のフィナーレを連想させる壮大な花火が多々打ち上げられ、その圧倒的な迫力、地形を活かしたスケールの大きさや花火本来の醍醐味を堪能できる花火大会として、日本一の大花火と称される。日本三大花火大会および越後三大花火大会の1つ。毎年、約80 - 90万人が訪れる。新潟県中越地震からの復興を祈願して打ち上げを企画され、大会終盤に打ち上げられる「復興祈願花火 フェニックス」は打ち上げ幅、約2.8km。2010年時点にて、ギネスブック公認の打ち上げ幅世界最大の花火であり、復興のシンボルとして毎年上げられる。長岡まつり協議会と市内のTV放送局エヌ・シィ・ティが連合し、三条市を含む一部地域で祭りの模様を中継で放映されている。
- 片貝まつり浅原神社秋季大祭奉納煙火
- 小千谷市、9月9日・10日
- 小千谷市片貝町にある浅原神社の神様に奉げる花火、奉納煙火である。世界唯一の四尺玉(40号玉)を打ち揚げる記録を持つ。花火玉の大きさは直径凡そ120cmで420kg、その花火玉を重量4.5t,高さが5m20cmの巨大な打ち上げ筒で上空800mまで昇天させ、開く直径も800mに及び、打ち上げ花火の中では世界最大としてギネスブックに掲載された。また、昼之部では国内でも珍しいカラースモークを用いられた日本で唯一の「昼間の正三尺玉」の打ち揚げや、真昼のスターマイン・尺玉等の打ち上げも行われる。2日間合わせて、正三尺玉は国内最多の打上げ数である。越後三大花火大会のひとつ。見晴らしの良い丘陵の上で打ち上げられる。
- ぎおん柏崎まつり海の大花火大会
- 柏崎市、みなとまち海浜公園周辺、7月26日、約1万5,000発
- 越後三大花火大会の1つ。花火の上げ筒を斜め45°に傾け、海面に打ち込む超大型海中空スターマイン・日本唯一の海上三尺玉や、尺玉(十号玉)1,500mからの100発一斉打ちなど、多様で絢爛華麗な花火が目白押しである。柏崎市制60周年には記念として異例の尺玉600連発の打上げを達成した怒涛の尺玉300連発は、約7分間にも及んだ。本州日本海側最大規模。観覧適地では花火が視界一杯に広がり包み込まれる様な180°のパノラマワイドスクリーンに観客は酔いしれる。
- 長野県
- 諏訪湖祭湖上花火大会
- 諏訪市、毎年8月15日、約4万2,000発(2007年)
- 日本最大の打ち上げ数の大会。観衆は約45万人。水上スターマインや水上花火、大ナイアガラなど様々な花火が楽しめるだけでなく、周囲の山々に反響する花火の余韻音も、この大会ならではの魅力。
- 全国新作花火競技大会
- 諏訪市、9月第1週、約1万7,000発
- 観衆は約30万人。花火師各々がテーマを決め、そのテーマに沿って作られた新作花火を、テーマに沿った曲にあわせて打ち上げる。新作もの限定の競技会であり、目新しい花火を見ることができる。大会の最後には諏訪湖花火名物の水上スターマインも打ち上げられる。
- 長野えびす講煙火大会
- 長野市、11月23日、約10000発
- 晩秋に開催される、1899年(明治32年)から続く伝統ある花火大会。2005年(平成17年)に第100回を迎え、観衆は32万人であった。
- 現在テンプレート:いつではミュージックスターマインという曲と花火をシンクロさせ、ワイドに打ち上げる花火が呼び物になっている。
- 福井県
- とうろう流しと大花火大会
- 敦賀市、気比の松原海岸、毎年8月16日、19時30分 - 20時30分(とうろう流しは18時30分から)、約1万2,000発
- 約1.5キロにわたって白砂青松が続く、名勝「気比の松原」をバックに繰り広げられる。スターマインや水中花火、二尺玉など、バラエティーに富んだ花火が楽しめるだけでなく、敦賀に因んだテーマで毎年内容を変えて打ち上がる、ストーリー仕立ての演出が凝らされた花火も人気がある。
- 岐阜県
- 全国選抜長良川中日花火大会
- 岐阜市、長良川河畔(長良橋から金華橋間)、毎年7月最終土曜日、12時 - 19時10分(昼の部)、19時20分 - 20時45分(夜の部)、約3万発
- 長良川全国花火大会
- 岐阜市、毎年8月第1週土曜日、約3万発
近畿地方
- 兵庫県
- みなとこうべ海上花火大会
- 神戸市、メリケンパーク沖海上周辺、8月第1土曜日、約1万発
中国・四国
- 島根県
- 松江水郷祭湖上花火大会
- 松江市、宍道湖の湖上。7月末-8月上旬の土日、2日間合計で9000発
- 香川県
- さぬき高松まつり花火大会・どんどん高松
- 高松市、8月13日、約6,000発
- サンポート高松で行われ、約21万人の観客を集める。
- まるがめ婆娑羅まつり花火大会
- 丸亀市、丸亀港内台船上、8月24日、約5,000発
- 高知県
- 高知市納涼花火大会
- 高知市、鏡川河畔柳原、8月9日、約4,000発
- 須崎まつり海上花火大会
- 須崎市、富士ヶ浜、8月3日、約2,000発
- 須崎湾を七色に染め上げるスターマインや仕掛け花火、水中花火など多彩な花火が楽しめる。中でも一番の見ものは、最後に上げられる豪快な二尺玉。四国で二尺玉が見られる大会はここだけ。
関門
九州・沖縄
- 大分県
- べっぷクリスマスHANABIファンタジア
- 別府市、12月23・24日、約1万2,000発
- 真冬の開催が定着した、日本では珍しい花火大会。クリスマスソングメドレーの音楽にシンクロして花火が打ち上げられるのが特徴。会場はスパビーチ(的ヶ浜公園)。
- 日田川開き観光祭花火大会
- 日田市、5月20日過ぎの土・日曜日、約1万発
- 市内を流れる三隈川を会場に2日間行われる花火大会。1948年(昭和23年)に鮎漁解禁(川開き)にともなう水神祭事に合わせて行われる観光祭の催しとして始まった。打ち上げ花火のほかに、数台のクレーンを動員し、亀山公園から三隈川南岸まで中ノ島公園や島内堰、河面を利用して仕掛け花火を披露する。毎年約20万人の集客がある
- 宮崎県
- みやざき納涼花火大会
- 宮崎市、大淀川河畔、8月3日、約1万発
- 鹿児島県
- かごしま錦江湾サマーナイト大花火大会
- 鹿児島市、鹿児島港本港区、8月24日、約1万4,000発
- 世界有数の活火山である桜島と、錦江湾(鹿児島湾)を背景に開催される。打ち上げ数は約1万4,000発で九州エリア最大級の花火大会。花火と音楽を同期させた音楽花火、一尺玉20発の連続打ち上げ、上空で直径480メートルの花を咲かす二尺玉の2発同時打ち上げなど、どれもが迫力満点。
日本の制度
法規制
演劇や映画などで演出や効果の一環として流される煙(スモーク)や、パーティーなどで音とともに紙テープなどが飛ぶクラッカーも、法令上、花火(煙火)に含まれる。
- 火薬類取締法
- 製造から消費までが規制されている。打上花火を揚げるには、各都道府県知事による煙火消費許可が必要であり、申請には一般人から俗に花火師と呼ばれる煙火店所属の技能認定証明である日本煙火協会発行の煙火消費保安手帳を保持した「煙火打揚従事者」を記載する。一定量以下の消費であれば許可は必要ないものの、玩具煙火でない限り各自治体に対し消費届けを提出する事になっている。一般人の取り扱いは不可能に近い。
- 航空法
- 打ち上げる花火が到達する空域によっては、打ち上げが禁止される場合、または打ち上げる場合に事前に国土交通大臣への届出が必要な場合がある(制限表面)。
花火の日
戦後、花火が解禁された1948年8月1日の記念に、東京本所厩橋で大規模な花火爆発事故の起きた1955年8月1日の追悼、世界最大ともいわれる教祖祭PL花火芸術の開催日8月1日の記念を兼ね、花火の日が8月1日に制定された(1967年制定)。このほか両国川開きが旧暦5月28日であったことから、5月28日も花火の日となっている。
花火の事故
花火の事故としては、花火工場における製造過程での事故と花火大会における実演時の事故とに大きく分けられる。花火大会における事故は、花火の危険性だけでなく、群集事故など多くの観客が集まるために起こりうる事故を防ぐために事前にさまざまな予防措置が運営側によって施されるようになっているが、防ぎ切れていない。また、家庭で行なわれる花火でも、火薬の危険性を十分認識していない児童が遊戯の主体であるため、取り扱い時の不注意や、ふざけて人に向けるなど危険な行為を行なう[8]ことによって、事故を起こしがちである。また、遊戯後の火の不始末による火災の危険性もある。
家庭で花火をするときは、バケツなどに水を汲むなどしていつでも消火できる環境にして遊び、燃え尽きた後の花火はきちんと処理すること。また、小さい子供だけで花火をするのは避けること。不発の花火(特に打ち上げ花火のものは「黒玉」と呼称される)には再発火や爆発の危険があり、水に漬けるなどの処置が必要となる。
従来から花火の事故は多くあったが、統計が残っているのは1950年代ごろからである。1950年代から1960年代にかけては花火工場の爆発事故が多く、毎年10人以上の死者が出ていた時代もあった。多くは花火工場が爆発し従業員が死亡するというものだったが、近隣の建造物や一般人の生命に危害を及ぼしたものもあり、これらの事故により花火製造に関する規制は徐々に厳しくなった。ただし、安全な種類の火薬を用い、保管量を守れば、そのような事故の大部分は防げたはずだという主張もある。
国によっては花火の爆音が銃声と混同されかねないことから、記念日以外は花火の使用を禁止していることもある。
花火が直接の原因の事故
- テンプレート:Flagicon 玩具問屋爆発事故
- 1955年8月1日
- 東京都墨田区厩橋で、おもちゃ花火問屋が爆発。死者18人。
- テンプレート:Flagicon 東京宝塚劇場火災
- 1958年
- 無許可で演出のために使われた花火が引火。劇団員3人が死亡。以後劇場での花火の使用に厳しい規制がかけられる。特に東京都では全面禁止となった(1985年に一部規制緩和)。
- テンプレート:Flagicon 上郷村花火工場爆発事故
- 1959年5月29日
- 長野県下伊那郡上郷村(現・飯田市)で死者7人を出した事故。花火工場に近接した小学校校庭で体操をしていた小学6年女子児童1人が爆風で死亡。花火製造への規制が強化される一因となる。
- テンプレート:Flagicon 横浜花火大会爆発事故
- 1989年8月2日
- 山下公園前海上の台船で打ち揚げていた花火の火が、他の打ち上げ前の花火に引火し花火玉325個が爆発。花火師2人が焼死、負傷者7人。
- テンプレート:Flagicon 茨城県守谷町花火工場爆発事故
- 1992年6月16日
- 煙火製造工場内倉庫、薬品庫で爆発が発生、工場内で3人死亡、負傷者58人。
- テンプレート:Flagicon エンスヘーデ花火保管倉庫爆発事故
- 2000年5月13日
- オランダのエンスヘーデにあった花火保管倉庫に保管されていた100tの中国製花火が爆発し、街にオランダ史上第二次世界大戦以来と言われる壊滅的被害を与えた。20人以上死亡、900人以上負傷、1,000人が住居を失った。被害総額8,900万ドル[9]。
- テンプレート:Flagicon 北海道の女児死亡事故
- 2002年8月
- 第53回勝毎花火大会で、二尺玉花火の破片(3.4kg)が観客席に落下、小学3年生が直撃を受けて死亡。この事故を受けて、北海道は安全距離基準を改定した。
- テンプレート:Flagicon 鹿児島県南国花火製造所爆発事故
- 2003年4月11日
- 煙火製造工場内の配合所、火薬類一時置場を含む複数箇所で爆発が発生、10人死亡。この事故により法令が改正され、雷薬などの配合工程において導電性のある器具の使用義務が定められたほか、この工程における停滞量・人数が従来より縮小され、原材料に使われる金属の保管場所は危険区域外へ設置しなければならなくなった。
- テンプレート:Flagicon 中国赤峰市での爆発事故
- 2012年1月10日
- 中国内モンゴル自治区赤峰市元宝山区で、野外販売中の花火に実演として点火したところ、売り物に引火し爆発した。5人が死亡、8人が負傷[10]。
- テンプレート:Flagicon 中国杭州市での爆発事故
- 2012年10月13日
- 中国浙江省杭州市での第14回テンプレート:仮リンク開幕イベントの花火大会で、花火が暴発し、観客100人以上が負傷した(報道時点で死者はなし)[11]。
- テンプレート:Flagicon ナイジェリアでの爆発事故
- 2012年12月26日
- ナイジェリア最大の都市ラゴスの人口密集地にある花火保管庫で大規模な火災と爆発が起こった。少なくとも1人が死亡、30人が負傷した[12]。
花火大会での群集事故
- テンプレート:Flagicon 両国橋落下事故
- 1879年
- 両国川開きの際、混み合う見物人により両国橋が崩れ、花火は途中中止となる。
- テンプレート:Flagicon 萬代橋事件
- 1948年8月23日
- 「新潟まつり」の前身にあたる「川開き」の花火大会の際、打ち上がり始めたスターマインを見ようと、観衆が一斉に萬代橋下流側の欄干に殺到し欄干が落下、約100人の観衆が信濃川に転落。死者11人、重軽傷者29人。これ以降、花火大会の際には萬代橋を含む信濃川に架かる橋梁上での立ち止まっての花火見物は禁止されている。
- テンプレート:Flagicon 明石花火大会歩道橋事故
- 2001年7月21日
- 花火大会の観客が歩道橋で群集雪崩を起こし、死者11人・負傷者247人の大惨事に。警察・自治体の警備や対応の不備が浮き彫りになる(大蔵海岸#事故も参照のこと)。
花火が関連する作品
書籍
- 『星花火 - 夏目雅子写真集』(夏目雅子、発行:新潮社)
- 『花火の本』(冴木一馬 発行:淡交社 2004年6月) ISBN-10:4473031772
- 『花火のふしぎ』(冴木一馬、サイエンス・アイ新書、発行:ソフトバンク クリエイティブ 2011年7月) ISBN978-4-7973-6450-7
音楽
- 「王宮の花火の音楽」ヘンデル
- 「花火」ドビュッシーの前奏曲集第2巻の第12曲
- 「花火」ストラヴィンスキー
- 「-花火-」TUBE
- 「花火」aiko
- 「HANABI」「HANABI〜episodeII〜」浜崎あゆみ
- 「金魚花火」大塚愛※タイトルは大塚の造語であり、実在する金魚花火とは無関係。
- 「花火」レミオロメンのアルバム「風のクロマ」収録曲
- 「あの夏の花火」DREAMS COME TRUE
- 「FIREWORKS」EXILE
- 「月夜のロケット花火」松任谷由実
- 「せんこう花火」モーニング娘。
- 「starmine」Ryu☆
- 「花火」PINKISH PARTYのセカンドシングル。三国花火をモチーフにした曲
- 「花火」浜田省吾
- 「HANABI」Mr.Children
映画・TVドラマ
舞台
ゲーム
- ファンタビジョン(PS2用ゲームソフト、パズル)
- ドンちゃんパズル 花火でドーン!(ゲームボーイアドバンス用ゲームソフト、パズル)
- 花火百景(PS2用ゲームソフト、パチスロシミュレータ)
- 花火職人になろう(ウィンドウズ用ゲームソフト、花火シミュレータ)
- 花火職人になろう2(PS2用ゲームソフト、花火シミュレータ)
参考文献
- 監修:日本煙火協会、写真:泉谷玄作『花火の大図鑑』PHP研究所
- 武藤輝彦『日本の花火のあゆみ』あずさ書店、2000年10月
- 武藤輝彦『ドン!と花火だ』三空出版、1993年5月、ISBN4944063059
- 清水武雄『花火の話』サークル花火万華鏡、1998年7月(1970年刊行の復刻版。著者は1912年生まれ、工学博士) ISBN494762039X
- 武藤輝彦『長野の花火は日本一』信濃毎日新聞社、2001年11月、ISBN4784099123
脚注
関連項目
外部リンク
- 日本煙火協会(日本の業界団体)
- ↑ 明治期の花火が横浜に里帰り
- ↑ おあずけ・機内へのお持込に制限がある手荷物 | 安全・運航情報 | JAL企業サイトANA国内線手荷物について
- ↑ ヤマト運輸の宅急便の例花火はゆうパックで送れますか?。なお、一般向けおもちゃ花火を通信販売する業者の扱いについては不明。
- ↑ 狼煙花火
- ↑ 『江戸東京地名辞典』(講談社学術文庫)。
- ↑ “打ち上がって、花が開き、それが落ちていくまで「たーーーまやーーー」と声を出し続けるのが本寸法と聞くが、現在のようにひと晩に二万発も打ち上がるとあっては、そんな声の掛け方も無理であろう。享保十八(一七三三)年の両国での花火大会はせいぜい二十発程度だったという”中日新聞「中日春秋」(2014年7月28日)。
- ↑ 2008年は花火の数え方を、花火の炸裂数から打ち上げ数に変更したため、見かけの数は激減して2万発と発表された。規模は例年通りである。
- ↑ 花火を尻に挟んで大やけど、パーティーの余興でAFPBB.News 2012年07月30日]
- ↑ 失敗事例データベース
- ↑ 花火爆発 5人死亡、8人けが 中国内モンゴル - livedoorニュース
- ↑ 花火大会で花火爆発、100人ケガ 中国 - 日テレNEWS24
- ↑ ナイジェリアの花火倉庫で大規模な爆発 - AFPBB News