柴又

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テンプレート:Pathnav テンプレート:Infobox Settlement 柴又(しばまた)は、東京都葛飾区の地名。現行行政町名で柴又一丁目から柴又七丁目までが設置されている。2011年4月1日現在の人口は23,255人[1]郵便番号は125-0052(葛飾新宿郵便局管区)。

地理

古くから題経寺(柴又帝釈天)の門前町として知られていたが、映画男はつらいよ』の舞台となったことでさらに広く認知されるようになった。江戸川の西岸に位置し、対岸の千葉県松戸市矢切地区とを結ぶ渡し船矢切の渡し」の渡し場がある。概ね住宅地からなり、北には金町が隣接し、北東に金町浄水場が立地する。東は江戸川の対岸に千葉県の下矢切が、南に鎌倉が、西に高砂新宿がある。帝釈天界隈は、環境省の「日本の音風景100選」に選定されている。

地価

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、柴又1-29-15の地点で27万5000円/m2となっている。[2]

歴史

正倉院に残る養老5年(721年)「下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」に記されている「嶋俣里」(しままたのり)の比定地(推定される場所)である。男165人、女205人の42戸370人が居住していたという。以後「嶋俣」の地名は応永5年(1398年)の葛西御厨田数注文に至るまで文書に多数見受けられ、永禄2年(1559年)の小田原衆所領役帳において初めて「柴俣」(しばまた)が登場する[3]

近代に入り、南葛飾郡柴又村と号したが、貧しい村は小学校を作ることができなかったため、子供を金町小学校に通学させるために、ほどなくして同郡金町村と併合して同村の一字となった。1932年昭和7年)、東京市に併合され葛飾区柴又町と名乗り、題経寺界隈を1丁目とし他2および3丁目を設けた。1967年(昭和42年)には住居表示の変更が行われ、同区新宿町4丁目の半部を併合。新域に柴又1-3丁目と町名を付し、旧町を同4-7丁目と改め今日に至っている。そのため、いまだに「柴又町内会」には柴又2丁目と3丁目は含まれておらず、別途「北野町内会」が組織されている。

柴又八幡神社の社殿下付近は「柴又八幡神社古墳」と呼ばれる古墳である。

交通

鉄道

上記のほか、京成本線・京成金町線・北総鉄道北総線の京成高砂駅も徒歩圏内にある。

路線バス

京成バス
  • 柴又帝釈天バス停
  • 柴又六丁目バス停
  • 柴又小学校バス停
  • 新柴又駅バス停
京成タウンバス
  • 古録天神バス停
  • 柴又一丁目バス停

道路・橋梁

施設

行政機関

  • 葛飾区柴又区民サービスコーナー

警察・消防

郵便局

  • 葛飾柴又郵便局
  • 葛飾柴又一郵便局

教育・保育

観光

史跡

柴又出身の有名人

脚注

テンプレート:Sister テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

テンプレート:葛飾区の町名

テンプレート:男はつらいよ
  1. 住民基本台帳による葛飾区の世帯と人口-葛飾区地域振興部戸籍住民課、2011-05-10閲覧。
  2. 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  3. 比定地については別の見解も存在する。