松下重綱
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松下 重綱(まつした しげつな)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。遠江久野藩の第2代藩主、常陸小張藩主、下野烏山藩主。のちに陸奥二本松藩の初代藩主となる。
生涯
天正7年(1579年)、近江源氏西條氏庶流松下氏の当主で、かつて豊臣秀吉が少年だった頃、主君として仕えていた松下之綱の次男として生まれる。秀吉に仕え、のち豊臣秀次に属した。天正16年(1588年)、右兵衛尉に任官された。慶長3年(1598年)に父が死去したため、家督を継いで遠江久野藩1万6000石の領主となる。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に与して本戦に参戦し、石田三成軍と戦うなど活躍したものの、慶長8年(1603年)、無断で城の石垣を築いた罪科により常陸小張に移封させられた。しかし慶長19年(1614年)からの大坂の陣でも大いに活躍した。その功績により、元和2年(1616年)に2万800石に加増された。元和9年(1623年)、下野烏山藩へ移封された。
寛永4年(1627年)、舅にあたる加藤嘉明が会津40万石に加増移封されると、娘婿だった重綱も陸奥二本松藩5万石に加増移封され、嘉明の与力大名となった。同年10月2日に死去した。享年49。長男の長綱が跡を継いだ。