川北町
テンプレート:Mboxテンプレート:Infobox 川北町(かわきたまち)は、石川県の南西に位置し、東西に細長い町である。金沢市への通勤率は19.0%(平成17年国勢調査)。
目次
概要
手取川北岸に位置する町で、これが町名の由来となっている。
金沢平野に属しており、平坦な地形が多く、宅地以外では大部分が水田に利用されている。
手取川の度重なる氾濫が古くから続き、氾濫の影響が少ない小高い丘に集落を形成してきた(島集落)。そのため、川北町には、島が付いた町名が残されている(田子島など)。
地理
自然地理
- 河川
隣接する自治体
歴史
沿革
- 1907年(明治40年)8月5日 能美郡中島村、草深村、砂川村が合併して川北村が成立。
- 1968年(昭和43年)1月 川北村常備消防部が設置される。
- 1980年(昭和55年)4月1日 県の町制施行基準の変更を受け町制施行し川北町となる。
- 1990年(平成2年)4月1日 能美郡広域事務組合設立、同組合消防本部川北分署設置。
昭和30年頃の昭和の大合併では、川北村を3分割して東部の中島地区を鶴来町へ、中央部の川北地区を松任町へ、西部の橘地区を美川町へそれぞれ合併する計画があったが、調印直前になって当時の村長が公印とともに失踪する事件があり、分割合併が中止になった。
また、平成の大合併でも同調のきざしが当初から見られないこともあり、根上町・寺井町・辰口町で発足させた合併協議会に後から参加し、早々に撤退した経緯もある。
人口
平成18年時点では、増加率が県内では最も高く、特に年少人口(0~14歳)が県内で唯一の増加傾向となっている。 テンプレート:人口統計
行政
町長
代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | 山田五三郎 | 1907年(明治40年)10月30日 | 1911年(明治44年)8月22日 | |
2 | 1911年(明治44年)9月27日 | 1913年(大正2年)9月3日 | |||
3 | 2 | 土谷亀作 | 1913年(大正2年)9月16日 | 1916年(大正5年)10月20日 | |
4 | 3 | 村上市右ェ門 | 1917年(大正6年)3月13日 | 1921年(大正10年)3月12日 | |
5 | 1921年(大正10年)3月23日 | 1925年(大正14年)3月22日 | |||
6 | 1925年(大正14年)3月 | 1929年(昭和4年)3月 | |||
7 | 1929年(昭和4年)3月 | 1933年(昭和8年)3月 | |||
8 | 1933年(昭和8年)3月 | 1937年(昭和12年)3月 | |||
9 | 1937年(昭和12年)3月 | 1941年(昭和16年)3月 | |||
10 | 1941年(昭和16年)3月 | 1945年(昭和20年)3月 | |||
11 | 1945年(昭和20年)3月 | 1947年(昭和22年)4月 | [1] | ||
12 | 4 | 森栄作 | 1947年(昭和22年)4月5日 | 1951年(昭和26年)4月4日 | |
13 | 5 | 山田善治 | 1951年(昭和26年)4月23日 | 1955年(昭和30年)4月22日 | |
14 | 1955年(昭和30年)4月30日 | 1959年(昭和34年)4月29日 | |||
15 | 6 | 森田重治 | 1959年(昭和34年)4月30日 | 1963年(昭和38年)4月29日 | |
16 | 1963年(昭和38年)4月30日 | 1967年(昭和42年)4月29日 | |||
17 | 1967年(昭和42年)4月30日 | 1971年(昭和46年)4月29日 | |||
18 | 1971年(昭和46年)4月30日 | 1975年(昭和50年)3月31日 | |||
19 | 7 | 山本堅次 | 1975年(昭和50年)4月27日 | 1979年(昭和54年)4月26日 | |
20 | 1979年(昭和54年)4月27日 | 1980年(昭和55年)3月31日 |
代 | 人 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | 山本堅次 | 1980年(昭和55年)4月1日 | 1983年(昭和58年)4月26日 | |
2 | 2 | 西田耕豊 | 1983年(昭和58年)4月27日 | 1987年(昭和62年)4月26日 | |
3 | 1987年(昭和62年)4月27日 | 1991年(平成3年)4月26日 | |||
4 | 1991年(平成3年)4月27日 | 1995年(平成7年)4月26日 | |||
5 | 1995年(平成7年)4月27日 | 1999年(平成11年)4月26日 | |||
6 | 1999年(平成11年)4月27日 | 2003年(平成15年)4月26日 | |||
7 | 2003年(平成15年)4月27日 | 2007年(平成19年)4月26日 | |||
8 | 2007年(平成19年)4月27日 | 2011年(平成23年)4月26日 | |||
9 | 3 | 前哲雄 | 2011年(平成23年)4月27日 | 現職 |
- 町長 - 前 哲雄(まえ・てつお)
庁舎
- 川北町役場
- 〒923-1295 石川県能美郡川北町字壱ツ屋174番地
財政等
- 1980年の町制化以降、川北町による積極的な企業誘致活動が行われた。松下電器産業(当時)の進出など相次ぎ、企業の法人税収入が増加の一途をたどっている。
- また、下水道普及率が石川県内では唯一100%(2009年時点、参照:石川県の下水道事業)整備されている。
- 雇用促進住宅「サン・コーポラス」の廃止に伴い、2棟の5階建て建物を住民を入居させたままで、そのまま雇用・能力開発機構から買い取るかたちで町営住宅化した(サンハイム三反田)。
施設
- 川北町ふれあい健康センター
- 川北温泉と図書館を併設した施設となる。
- サンアリーナ川北
- 多目的屋内運動場であり、テニスコートが3面が使用できる広さを持つ。
- 川北町コミュニティ&スポーツ公園
- ナイター野球場1面、ソフトボール場2面、テニスコート2面がある。バーベキュー等が行える施設もある。また、川北まつりでは開催場所にもなる。
経済
産業
手取川の豊富な伏流水を利用する電子部品工場が立地している。町の財政もこれらの企業からの税収により成り立っている。 その他、古くから旧国道8号線沿いの手取川付近に砕石業者が林立し、同業者組合の運営する骨材会館が町役場近くにある。
主な事業所
- ジャパンディスプレイ(旧 東芝モバイルディスプレイ)石川工場 - 液晶ディスプレイ(TV・PC用など)の製造
- ハチバンフーズパーク - 株式会社ハチバンの製めん・食材加工
商業
同町にあるプラント3川北店(字朝日)とヤマキシ川北店(字三反田)の2店舗で商業施設の売り場面積の99%以上を占めている。
特産
特産品としていちじく・しいたけ・加賀雁皮紙がある。
地域
公共機関
警察
- 木呂場駐在所
- 壱ッ屋駐在所
消防
能美広域事務組合消防本部が管轄する。
- 川北分署
医療機関
- 川北町内には病院はなく、南加賀医療圏においては小松市の国民健康保険小松市民病院が中核の医療機関となる。なお、川北町は白山市の公立松任石川中央病院の運営にも携わっている。
郵便局
- 集配は、能美市の辰口郵便局が受け持つ。
社会資本
- 上水道
- 下水道
- 町内には各集落ごとに排水処理施設が整備されている。
- 電話
- 全域で076-277となっている。
教育
中学校
- 川北町立(1校)
- 川北中学校
小学校
- 川北町立(3校)
- 中島小学校
- 川北小学校
- 橘小学校
- 児童数が少ないため、高学年はクラブ活動の一環で多数が吹奏楽クラブに所属する。
交通
鉄道
- 町内に鉄道路線はないが、JR西日本の北陸本線美川駅が最寄となる(車で約10分)。遠方からの出張の場合は小松駅で特急列車を下車し、タクシーでの移動となるが、運賃が高額となるので注意を要する。
- バス利用の場合は川北町役場へは、松任駅からとなる。また、金沢駅からは国道157号を通過する「寺井庁舎前」行が利用可能である。
道路
バス
マスメディア
観光
祭り・イベント
- 川北まつり
日本最大級の高さ45メートルのかがり火を使った「手取の火祭り」が開催される。 また、同時に2尺玉が打ち上げられる石川県最大規模となる「北國大花火川北大会」が開催される。 手取川の河川敷に設けられた特設ステージでは、豊作の祈りを込めた「虫送り太鼓」や先人の遺徳と御霊を慰める「送り火」、 地域おこしの一環として生まれた「手取亢龍太鼓」などが次々と披露される。
註
関連項目
参考文献
- 『川北町史第2巻 近・現代編』 - 川北町(1996年)
- 『図説 川北町の風土と歴史』 - 川北町(1999年)
外部リンク
テンプレート:Navbox- ↑ 1946年12月に引退を表明し辞任。